蒼空の果てに

 

   飛練谷田部へ

 昭和十九年三月末、八ヵ月にわたる猛訓練に耐え抜いたわれわれは、四月(一次)入隊 組に遅れることなく飛行予科練習生の教程を無事卒業した。後輩十三期生の「帽振れー」 の見送りを受けて、鹿児島航空隊を後にした。  目指すは飛行術練習生である。陸上機の操縦員に指定された二百余名の者は、数名の教 員に引率されて、 茨城県の谷田部海軍航空隊へ向かった。ここの飛練は、訓練の厳しさで は特に定評があるらしく、 「鬼の谷田部に蛇の筑波」との噂が流されて恐れられていた。  飛練の日課は「飛行作業」と呼ばれる飛行訓練が主体である。だから、予科練以上に厳 しい訓練が続くであろうと、覚悟は決めていた。その反面、飛行機に乗るんだ! 空を飛 ぶんだ! との希望に、胸を躍らせていた。  教員に引率されての移動であったが、専用の車内は比較的自由であった。要領のよい者 は、列車が通過する予定時刻を事前に電報で家族に知らせ、プラットホームでつかの間の 面会をしたり、差し入れなどを受け取って他の者を羨ましがらせていた。        * 「おい、飛練ではどんな教員に当たるのかなあー、厳しいだろうなあー」 「『飛練谷田部は鬼より怖い』と言うぐらいだから、半端じゃないだろうよ……」 「しかし、予科練のように兵科や整備科の下士官が班長になるのと違って、 皆同じ飛行科 の先輩だ、仲間意識があるからそう無茶なことはしないだろうよ」 「そうかなー、だといいんだが中には意地の悪い教員もいると思うよ……」 「まあーいいさ、飛行機に乗るんだから、少しぐらい殴られても我慢するさ……」 「それより、釣床教練がきついらしいよ……」 「釣床かー、今まではベッドで楽をしたからなあー、大変だろうなあー」 「今更じたばたしても仕方がないよ、なるようになるさ……、ところでお前、鹿児島では 隠れてタバコ吸ってたろう」 「同郷出身の整備兵が定員分隊にいたんで、チョイチョイお世話になってたよ……」 「いま、タバコ持ってないか?」 「あるよ、でも教員に見つかったら大変だぞー」 「心配するなって、見ろよあのニコニコ顔、昨日までの鬼が今日は仏様だ、練習生の引率 は名目で、帰りは休暇だそうだ……」 「なーんだそんなことか、でもここではまずい、デッキに行こう……」 「飛練では、まだタバコは吸えないだろうなあー」 「なーに、外出すれば吸えるさ……」       *                                  自由を満喫した三日間にわたる汽車の旅も終わり、二十七日の早朝、 常磐線荒川沖駅に 下車した。早速迎えのトラックに乗せられて谷田部航空隊の門をくぐった。兵舎に到着す ると、先ず新しい分隊と班が編成された。幸いにも予科練の分隊がそのまま引き継がれ、 鹿児島航空隊の第二十一分隊が第一分隊に、第二十二分隊が第四分隊に新しく編成された。 予科練時代の分隊から、水上機の操縦に指定され小松島航空隊と天草航空隊へ行った連中 が抜けただけである。ただし、班は新しく編成された。  われわれ第四分隊の兵舎は、新築された平屋建てのバラックであった。デッキの中央に 通路があり、通路の北側に食卓が並べられ、南側には二段式の木製ベッドが置かれていた。 これは釣床教練から解放されたことを意味する。内心万歳を叫びたい気持ちであった。  予科練での一個班は、二十五〜六名で編成されこれに下士官の班長が一人配置されてい た。ところが、飛練での一個班は練習生十名に対して、 班長と班付の教員が一名ずつ配置 されている。教員一名で、練習生五名を受け持って飛行訓練を実施するからである。この 飛行機単位の組み合わせをペアと呼んでいた。このペア二組で一個班(卓)を編成する。 そして、一脚の食卓が定位置として与えられる。だから、班のことを卓とも呼んでいた。  一個分隊の練習生百二十余名は十三個班に新編成された。これに対し、二十数名の教員 が配置された。海軍では准士官以上を教官と呼び、下士官を教員と呼ぶ。また兵の場合は  正式には助教(教員助手)であるが、ご機嫌をとる意味で下士官同様に教員と呼んでいた。  私たちの班は梶谷二飛曹(二等飛行兵曹)が班長で助教の嵐田飛長(飛行兵長)それに、 練習生十名で編成された。私は飛行訓練では班長のペアに指定された。また私たちの班に  は予科練の同期生以外に、傷病のため訓練の遅れていた丙飛(海軍部内から飛行兵を志願 して選抜された者)出身の村山・松下・田中・木村の各兵長が編入されていた。彼らはわ れわれより海軍生活が長いので、要領よく立ち回っていた。そのうえ一部の助教よりも、 入隊年次が古いらしく、 助教連中も彼らには遠慮している様子が見受けられた。  見回すと、 飛長の助教ばかりが目につく。下士官の教員は少なく半数以上が助教のよう である。それほど海軍には経験豊富な下士官搭乗員が不足しているのだろうか、少し心配 になってきた。  制服を事業服に着替えて身の周りの整理も終わり一息ついていると、助教連中が飛行服 を運んできた。飛行服・飛行帽・飛行靴それにライフジャケットである。早速貸与された 一式を着込んでみると、外見だけはもう一人前のパイロットである。
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