最初で最後の休暇
ソロモン群島方面の激烈な航空戦は、われわれの訓練に反映され、一段と厳しさを増し
てきた。楽しみにしていた年末年始の特別休暇は、われわれ八月入隊組には与えられず、
昭和十八年は年末ギリギリまで訓練が実施された。
明けて昭和十九年、正月早々から、 なおも厳しい訓練が続けられた。なぜかこの寒い時
期になって、 体育の時間に「相撲」が実施されるようになった。南国鹿児島といっても真
冬は寒い。暖まるためには競って土俵に上がるしかない。教員連中も考えたものである。
また、海軍相撲の特徴は「勝ち抜き」ではなく「負け残り」である。負けた方が土俵に
残り、次の者と対戦する。勝つまでは土俵を降りられないのである。だから、早く勝たな
ければ疲れが出て、ますます勝ちが遠のいて大変なことになる。
土俵はグランドの端に二十面ぐらい並べて作られていた。ここには前田教員と愛甲教員
という、相撲を専門に指導する教員がいた。海軍の相撲に対する関心の深さには驚かされ
た。大相撲の横綱「双葉山」一行が来隊して、「土俵開き」を行ったのもこの時期である。
双葉山」一行来隊。
飛行予科練習生の卒業も近づき、ようやく軍人らしくなったところで休暇帰省が許可さ
れた。階級も二月一日付けで、「海軍飛行兵長」に進級していた。帰省すると真っ先に学
校を訪問した。ところが、同級生は新しい教育制度で、前年の十二月末に繰り上げ卒業し
ていた。だから、だれとも会うことができず「七つ釦」の晴れ姿を披露できなかったこと
は残念であった。
だが、同じ方面から通学していた下級生からは大歓迎を受け、一緒に写真を撮ったりし
て旧交を暖めることができた。また、親戚に挨拶回りをして平素のご無沙汰をお詫びした。
アッ! という間に休暇は終わった。さあ次はいよいよ飛行術練習生に進むのだ、飛行機
に乗るんだ。
学校の後輩と。
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