オバホルモン

2001.11.01 

 「科学朝日昭和20年2月号」を読んでいたら広告欄に帝国臓器の「オバホルモン」という薬の宣伝が載っていました。広告の文面を見ると

  天然純粋女性ホルモン 女性 生理不順、頭痛、腰痛、下腹痛、逆上、不眠疲労防止と作業力振起

 とあります。
 オバホルモンという言葉を見て前々からの宿題を思い出しました。それは次のようなお話から始まります。


 馬尿からオバホルモン

 当時(昭和ヒトケタ)、十勝地方(北海道)には7万から8万頭の馬がいた。
 岩手にしても馬の産地として有名だ。帝国臓器が両地方に注目したのは、当然といえば当然のことなのである。

 「オバホルモン」が最初に発売されたのは昭和7年3月のこと。当初は、動物の臓物でさえも不気味に思っていた一般の人たちには、馬の尿から製造されるホルモン剤などとても受け入れられるものではなかった。しかし、そのすばらしい治療効果(全く副作用もないことが確認)に加えて、人々に説得するのに十分な大々的宣伝力によって売り上げはうなぎ登り。増産につぐ増産で、大量の原料確保に迫られた。それまで原料の妊娠馬尿は、主に千葉県三里塚の柴田牧場で得ていたが、すでに限界に達して需要に応じ切れなくなり、新しい採尿地の開拓が急がれた。その手始めが岩手県堀村である。

 戦時中とはいえ、医薬品は絶対の必需品。同社の「オバホルモン」は航空部隊の栄養剤として、むしろ需要は増えつづけ、芽室(北海道芽室町)分工場の完成は一刻も急がれた。昭和19年10月、ようやく竣工の日の目を見た。この工場の完成によって、今まで濃縮尿(液体)として運搬しなければならなかたのが、原料尿を結晶薬までに精製することができるので、輸送面において格段の差で容易になったのである。

 最初はとまどいをみせた農家の人々も、そのころになるとむしろ積極的に採尿に協力するようになってきた。馬の妊娠期間は11ヶ月。しかも時期は冬。妊娠馬の尿が牛乳よりも高い値段(一升当買入値、昭和19年で1級品17銭、2級品12銭)で買い取ってもらえるのだから、農閑期の小遣い稼ぎはもってこい。しかも仕事は簡単で、女、子供にも楽にできるのだ。毎年冬になると各農家には採尿の樽が配られ、ドラムカンのような樽に入れられた馬尿が馬そりで運搬される光景が見られるようになり、町民の間には風物詩的な親しみがあった。風向きの悪い日などには、工場からの異臭が町をおおうこともあったという。

 しかし、妊娠馬尿の採取には相当の熟練を要した。一番の心配は、排尿時に蹴られないように注意することだ。音を防止するために受ける容器に松葉や杉葉を入れたり、柄の長いひしゃくや採尿袋を用いたりした。尿を採った後は好物のニンジンを与えたり、肩を軽くたたいてやったりして、馬を手なづける。回数を重ねる従って、馬の方も慣れてきて排尿を暗示するようになるという。一日2、3回の排尿を一定時に毎日繰り返すことによって、馬が健康になるとも聞いた。馬とっても、農民にとってもいい小遣い稼ぎになり、しかも会社にとっても利益が上がり、さらにはその尿が医薬品として人々の健康作りの手助けとなるのだから、こんにいいことはない。いつしか妊馬の採尿は、十勝全域で行われるようになった。

 世界の科学は目覚しい発展をつづけ、メキシコ原産の山芋から卵胞ホルモンが得られたり、農家で機械化が進み、馬が減少したこともあって昭和32年、17年間にわたって「馬尿景気」をもたらした帝国臓器製薬株式会社十勝工場はその灯を消したのである。


 引用・参考文献

ふるさと十勝
1981年2月号より

蹄跡 つめあと 北海道馬産史編集委員会
昭和58年3月31日発行に転載

 上記の話を読んでオバホルモンの効能や化学的性質、組成を調べるべく、現代の医薬品辞典をかなり捜したのですが、これに関する記載はまったく見つからないまま宿題として残っていました。今回戦時中の雑誌の広告でやっとその効能を知ることができました。
 話は変わるのですが、昔、自衛隊の駐屯地のトイレでも人間の尿をポリタンクにためて、それからなにか医薬品を作っていましたよね。



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