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年号 | 推移 |
明治19年 1月 | 渡邊藤吉本店の付属工場として 創業 水揚げポンプなどを製作 |
大正 5年 | 合資会社渡邊鉄工所に改組 資本金 15万円 |
大正 8年 | 株式会社渡邊鉄工所に改組 資本金150万円 |
大正10年 | 海軍指定工場となる 魚雷発射管の製造開始 |
大正12年 | 航空機用車輪を試作 |
昭和 5年 6月 | 航空機部を設け、海軍飛行機 機体の製作開始 |
昭和 7年 | 魚雷の製造を開始 |
昭和10年 | 武器専門工場となる 飛行機工場を新設 飛行機製造を開始 |
昭和12年 | 陸軍関係を分離して太刀洗製作所を新設 |
昭和17年 | 香椎に航空機工場開設 |
昭和18年10月 | 航空機部門が分離独立、九州飛行機株式会社となる 資本金3000万円 |
九州兵器株式会社に社名変更 資本金 2000万円 |
渡辺鐵工が九州兵器と九州飛行機に分離したのは経理部長の藤城氏(社長の三男)が兵器の国庫補助率が20%に対し 飛行機の国庫補助率が30%であり、両方から援助を受けて業務の拡大、生産の合理化を成し遂げたと聞いています。
両方の社長は渡邊福雄氏で、九州飛行機株式会社の取締役副社長に海軍少将山本順平、九州兵器株式会社所長に海軍少将南里俊秀が就任しました。 |