99式20粍固定機銃用油圧装填装置
直線上に配置
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2002.04.05
2003.01.26改訂

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海軍機銃

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1.開発経緯
1)空気装填装置の故障が多いため、昭和15年11月一枝支廠にて設計計画に着手
2)当初空気ポンプをそのまま利用したが、復帰秒時が大きく実用されなかった。
3)油圧専用のポンプを計画、発條復帰式、油圧復帰式試作実験するが成績は大同小異で油圧復帰式を昭和16年7月に制式採用した。
4)13粍機銃用、30粍機銃用も同様に計画された。
5)量産は極めて遅延し、昭和19年1月にようやく量産品出現する。
6)実用に供した所、以下の不具合を生じた。
@発射中喞子後退し、機銃可動部に当たり破損する。
    A油圧切替弁漏洩あり、
B復帰の動作不確実
  このため弁の改造、油圧管の径の増大、油圧系統の変更、喞子の改造(発條復帰式)等の改造を施し、昭和   19年8月実験を終了、実用可能となる。
2.使用状況
昭和19年3月の「飛行長主管兵器説明資料」によれば、2号3型が空気装填、2号4型が油圧装填としています。
昭和20年1月発行の「搭載兵器基地兵器一覧表」によれば、99式20粍固定機銃の内で油圧装填であったのは、1号3型の一部(主に空気装填)、1号4型(手動装填、油圧装填)、2号4型(手動装填、油圧装填)であり、2号3型は空気装填とされています。
さて終戦後に書かれた「兵器研究経過概要表(戦史−航空射撃兵器)」によれば、油圧装填装置は昭和19年1月にようやく量産機出現、実用に供したが不具合を生じた。昭和19年8月まで不具合の改善実験を行いようやく実用可能となった。しかし終戦まで遂に実用されなかったとあります。この油圧装填の代わりは索装填と手動機械装填が適用された。とも書いています。
雷電の取説(J2M3仮取説昭和19年7月)によれば、雷電の20ミリ機銃は当初油圧装填であったが3036号機から手動装填にしたと書いてありますから時期的にも一致しています。
同時期に零戦52型の4651号機以降にも20ミリ2号4型が装備されますが、19年10月の零戦の取説によれば、この機銃も手動装填と記載されています。
一体これら3種の油圧装填の20粍機銃は、実際に搭載されたのでしょうか?これから調べるのが楽しみです。
最近ある研究者から「雷電以外は搭載されなかったものと思われる。」とのお知らせを頂きました。ますます調べるのが楽しみです。

予定搭載機の例を挙げれば
1)紫電
紫電の取説19年4月には装備する弾倉式の20粍1号固定機銃は252ページに油圧装填電気発射と書かれています。この機銃は20粍1号固定機銃3型という事になります。実際に搭載されたか否かは判りません。紫電に20粍1号機銃が装備された明瞭な写真はまだ発見されていないからです。
余談20ミリ機銃のとう(月へんに唐)軸線の調整範囲、上方へ0度〜1度、機体中心線に対し内方へ0度〜1度30分

2)紫電改

紫電の取説19年12月の205ページには、九九式二号固定機銃四型手動装填装置使用と書かれています。

3)雷電
J2M3仮取説昭和19年7月によれば、雷電の発射官制は油圧装填電気発射とされ、装備機銃は1号機銃も2号機銃もベルト給弾とあります。
但し現在は油圧装填を廃し、3036号機以降は手動装填を装備しあり。とある。
余談20ミリ機銃のとう(月へんに唐)軸線の調整範囲、水平線に対し上方へ3度30分〜4度30分、機体中心線に対し内方へ0度05分〜0度45分

4)零戦
取扱説明書 零式艦上戦闘機 昭和19年10月 海軍航空本部によれば、A6M5(零戦52型)は4651号機以降99式20粍固定機銃4型とし、手動装填、電気発射とす。とあります。
A6M5Cの機銃装備図(19.8に13ミリ機銃の図追加時点から記載されていた模様)によれば、機銃取付角および調整範囲は上向き30分+−25分、内向20分+−25分である。それと13ミリ機銃に手動装填用レバーが付いている。

5)烈風
烈風の図面によれば、19.6.2より上向き角度を従来の30分+−30分から3度+−30分とした。
内方へは25分+−25分であった。(内方の規格は雷電と同じ)