日本製鋼所の7.7mm機銃生産 2002.04.21
この機銃はイギリスのビッカース社が開発した機銃で、大正13年に日本海軍が同社から機銃を購入するとともに現在で言うライセンス権を購入し日本で生産開始されたものです。当初は呉海軍工廠で生産されていましたが、昭和5年には横須賀海軍工廠内に機銃工場が設置されて「毘式7.7ミリ機銃」として本格生産に入りました。
その後 この銃は改良されて、鹿児島で発見された「97式7.7ミリ固定機銃3型」になったわけです。弾丸は弾帯(ベルト)給弾方式であり、性能は初速747m/sec、毎分発射速度1000発、重量12.8Kg、全長1.035mでした。
搭載機としては、日本で一番有名な零戦約1万機をはじめとして、96艦戦約1000機、二式水戦300機、強風約100機、雷電11型約150機などの戦闘機、99艦爆1500機、彗星約2000機などの艦上爆撃機や零式水上観測機約1000機などに2丁ずつ搭載されました。
全体で約1万6千機なので、この機銃は3万2千丁程、搭載されたもの推定されます。
そのなかで日本製鋼所横浜製作所の製造総数は20,753丁ですから、約6割をたった
1社で生産していたことになります。
昭和の始め頃、日中戦のさなか、対米戦を控えて機銃の大増産が計画され、
横須賀海軍工廠だけではなく、民間にも機銃の生産拠点を作ることが望まれました。
それに答えたのが、当時海軍砲の民間需要を一手に引き受けていた日本製鋼所でした。
日本製鋼所は、航空機銃の生産のメッカ横須賀海軍工廠に近い横浜に工場を建設する
ことに決定し、昭和11年に工場を完成させています。昭和15年には日本製鋼所の7.7ミ
リ機銃の生産能力は年産300丁になっていましたが、同年12月23日に海軍は艦本機密
14424号のより年産目標1000丁を日本製鋼所に示達しました。
その9ケ月後の昭和16年9月24日、海軍は艦本機密1-9.183号により年産目標2000丁に改正して日本製鋼所に示達しました。結果的には翌17年度には日本製鋼所の製造数は年産2000丁を突破し、昭和19年には9.903丁製作の記録を作って海軍側の期待に見事に応じています。