ソ連戦車アイコン
解説協力:ねこくんさん  .
酒匂135さん  .
川邑榊さん  .

T-18軽戦車1927年型 (2003/1/27更新)

T-18軽戦車1927年型

T-18軽戦車1930年型 (2003/1/27更新)

T-18軽戦車1930年型

T-26軽戦車1931年型 (2003/3/6更新)

ヴィッカース6t戦車のライセンス生産品。
左右に並んだ2つの砲塔を持つ。

T-26軽戦車1933年型 (2003/3/6更新)

ヴィッカース6t戦車の偽物

T-26軽戦車1937年型 (2003/3/6更新)

傾斜装甲を取り入れた新型の砲塔を装備した型。

T34_1940 (2003/2/5更新)
(2006/5/8更新)

T-34の最初の量産型。(溶接砲塔型)
後のものより砲身が短い76.2mm戦車砲L-11を搭載。

T34 (2002/9/9更新)


T34/85 (2002/9/9更新)


T-35重戦車_1933 (2002/11/23更新)
(2006/1/14更新)

5つの砲塔を持つ多砲塔戦車。

重量35tの重戦車として開発が始まり、1933年には量産が開始された。
短砲身の76mm砲を装備する主砲塔の周囲に、45mm砲を搭載する砲塔と機関銃を搭載する銃塔2つずつが設けられていた。

もちろん車両は欠陥の塊だった。
その巨体の割には内部は狭く、緊急時の乗員の脱出にもかなりの無理があった。
駆動系は故障が頻発し重量過大で不整地をろくに走れなかった。
砲塔は互いに邪魔をし合い射界は限定された。
装甲は最大でも30mmに過ぎず、副砲塔に至っては15mmしかなかった。

生産は年間10両前後のペースで行われ、1939年までに61両が完成した。
そしてその後、独ソ戦においてほとんどの車両が失われている。

重量: 50t 乗員:11名  エンジン出力: 500hp(ガソリン) 速度: 30km/h
武装: 16.5口径76mm戦車砲 *1 42口径45mm戦車砲 * 2 7.62mm機関銃 *6
装甲: 主砲塔前周-30mm/ 車体前周-30mm

T-37水陸両用軽戦車
(2002/12/1更新)(2003/3/6更新)

T-27豆戦車の後継として開発された偵察用戦車。イギリスのA4E11水陸両用軽戦車を模倣したT-33をベースに開発された。

1933年から1936年の間に1909両生産され、後継のT-38と共に歩兵部隊などに配備され、独ソ戦の初期の頃まで前線にあった。

T-40 軽戦車
(2006/6/11更新)

T-38軽戦車の後継の水陸両用戦車。
従来の水陸両用戦車シリーズとは異なり、足回りにトーションバーサスペンションを採用するなど近代的な軽戦車だった。
また、簡易化のため水陸両用機能を廃したT-40Sという型も作られた。
生産は1940年末から1942年までで666両が完成したが、武装・装甲ともに貧弱で大した戦力にはならなかった。

重量: 5.5t 乗員: 2名 エンジン出力: 85hp (ガソリン) 速度: 45km/h
武装: 12.7mm機関銃 DShK x1 7.62mm機関銃 x1
装甲: 最大13mm

T-30 軽戦車
(2006/6/11更新)

独ソ戦初期に開発されたT-40軽戦車の武装強化型
航空機用の20mm機関砲を改修し搭載したが、代わりに水上航行機能は廃止されている。
T-30の完成後すぐに新設計のT-60軽戦車が登場したため少数生産に終わった。

重量: 5.5t 乗員: 2名 エンジン出力: 85hp (ガソリン) 速度: 45km/h
武装: 82.4口径20mm砲 TNSh x1 7.62mm機関銃 x1
装甲: 最大15mm

T-50軽戦車 (2003/3/6更新)

1940年にT-26の後継として開発された軽戦車。
軽戦車としては優秀であったが高価であった為、63両が生産されただけに留まった。

T-60軽戦車
(2006/06/18更新)

独ソ戦初期に登場した軽戦車。
T-40水陸両用戦車の発展型で水上航行機能を廃止し装甲や武装を強化している。
小型で生産も容易なことから、工場の疎開によりほとんどの戦車の生産が停止していた中で大量生産が行われ、1941年末から1942年初めのドイツ軍への反攻に投入された。
量産は1942年秋まで続き、総生産数はおよそ6000両であった。

重量: 5.8-6.4t 乗員: 2名 エンジン出力: 70hp (ガソリン) 速度: 45km/h
武装: 82.4口径20mm砲 TNSh x1 7.62mm機関銃 x1
装甲: 最大20mm (増加装甲型:最大35mm)

T-60軽戦車 鋼鉄転輪型
(2006/6/18更新)

資源節約のために転輪を変更した後期生産タイプ。

KV1_1939 (2002/10/14更新)
(2003/4/28更新)

30.5口径76.2mm戦車砲のL-11を搭載するKV-1の1939年型。

KV1_1940 (2002/10/14更新)
(2003/4/28更新)

39口径のF-32を搭載した1940年型。
新型の砲塔が導入され、旧型の砲塔と並行して生産された。

KV1_1941 (2002/10/14更新)

さらに長砲身で威力の増した41.5口径76.2mm戦車砲ZiS-5を搭載した1941年型。
このころ鋳造砲塔が導入され溶接砲塔と並行して生産された。

KV1_1942 (2002/10/14更新)

装甲を最大で120mmまで厚くした1942年型。
元々悪い機動力はさらに低下。

KV-1S (2002/10/17更新)

装甲を80mmまで薄くし、重量の軽減と機動力の向上を図ったKV-1S。

KV-1S-85 (2002/10/17更新)

KV-1Sに強引に85mm砲を搭載したKV-1S-85。
狭すぎる事が判明し、試作のみで終った。

SU-152 (2002/10/14更新)

KV-1Sの車体の上に固定式の戦闘室を設け、そこに152mm砲を搭載したSU-152。
最初のうちはKV-14と呼ばれていたらしい。

KVT_1942 (2002/10/14更新)

KV-T 戦車回収車(1942年型ベース)

KV-2先行量産型 (2002/10/31更新)
(2004/9/24更新)

KV-2先行量産型

KV-2 (2002/10/15更新)
(2004/8/29更新)

KV-2

SMK (2002/10/22更新)
(2005/12/13更新)


SMK試作重戦車
T-35の後継として開発された試作多砲塔戦車。
砲塔数は減ったものの、T-35と比べるとまとまったデザインになっており、装甲厚は最大60mmで、足回りにトーションバーを使用するなど大幅な改善がなされた。
試作車は1939年に完成し、同年終わりにはフィンランドで実戦テストを受ることになった。
これには似たような設計の多砲塔戦車T-100と、SMKから派生した単砲塔のKVも参加し、KVは比較的良好な結果を残した一方で、双方の多砲塔戦車はその鈍重さを露呈した。
さらに悪いことにSMKは戦闘中に行動不能に陥り戦場に放棄されてしまう。
結局、多砲塔戦車は両方とも却下され、単砲塔のKVの生産が始まった。

なお、放棄されたSMKは翌年2月に回収され、輸送のため解体後そのままスクラップになっている。

重量: 55.0t 乗員: 7名 エンジン出力: 850hp(ディーゼル) 速度: 35km/h
武装: 30.5口径76mm戦車砲 *1 46口径45mm戦車砲 *1 7.62mm機関銃 *4
装甲: 砲塔前面-60mm 側後面-30mm / 車体前面-60mm 側面-45mm 後面-30mm

SU-100Y自走砲 (2006/2/10更新)

T-100の車体に130mm砲を搭載した自走砲。
ソ・フィン戦争において、ソ連軍はフィンランドに敷かれた防衛線に苦戦していた。
このため、T-100Xと名づけられた130mm砲を搭載する自走砲が計画されることになる。実際に製作された車両では多少の設計変更があり、名称もSU-100Yになった。
SU-100Yは、試作多砲塔戦車T-100の車体上に非常に単純な形状の戦闘室を設け、そこに艦船用の130mm砲B-13を装備するというものだった。
しかし1940年3月の車両の完成時点で、フィンランドとの戦争は終わってしまった。必要性が無くなった本車両はその後試験などに供されていたようであるが、ドイツの侵攻が始まるとモスクワ防衛のため部隊に配備されている。
その後の経緯はよく分かっていないが生き残ったことだけは確かで、現在はクビンカにある戦車博物館に展示されている。

重量: 不明 乗員: 不明 エンジン出力: 850hp(ディーゼル) 速度: 不明
武装: 130mm砲(艦船用) *1
装甲: 不明

SU-122 自走砲 1943年型 (2006/5/10更新)

ドイツの突撃砲の影響を受けて開発された自走砲。
1942年10月に要求が提示され、同年中に生産が開始されている。
主砲の122mm砲は短砲身で低初速なため対戦車能力が低かったが、非装甲目標に対する攻撃力には優れ、歩兵支援に活躍した。
また、SU-85の登場後は、SU-85の設計を流用した1944年型が生産されている。

重量: 30.9t 乗員: 5名
エンジン出力: 通常400hp 最大500hp (ディーゼル) 速度: 55km/h
武装: 22.7口径122mm車載榴弾砲「M-30S」 *1
装甲: 前面-45mm(40度傾斜) 側面-40-45mm 背面-45mm

SU-85 自走砲 (2006/5/10更新)

SU-122に続いて開発されたソ連版突撃砲。
1943年に現れ始めたパンターやティーガー等ドイツの新型戦車に対抗するため、対空砲をベースに開発された85mm砲を搭載していた。
基本的な設計はSU-122とほとんど同じだが、主砲の換装に伴う防盾の小型化のため前面の様子は大きく変わっている。
その他、戦闘室上面のレイアウトの変更も目立つ。
SU-85は1943年8月の生産開始後、ドイツの新型戦車に対する切り札として活躍し、T-34-85の登場した後も1944年末まで生産が続けられ、2654両が完成している。

重量: 29.2t 乗員: 4名
エンジン出力: 通常400hp 最大500hp (ディーゼル) 速度: 47km/h
武装: 51.6口径88mm戦車砲「D-5S」 *1
装甲: 前面-45mm(40度傾斜) 側面-40-45mm 背面-45mm

KV-3 (2002/10/26更新)
(2004/9/25更新)

Object220(KV-3)
KVの車体を転輪1個分延長し、さらに強力な装甲と、85mm戦車砲F-30、850hpのエンジンを搭載した、KVの強化型。
試作車数両が完成したが、独ソ戦が始まったため、開発中止。

KV-7ヴァリアント1 (2002/11/17更新)

Object227(KV-7) ヴァリアント1
この自走砲は、単純な形状の固定式戦闘室を持っており、一見したところ、普通の自走砲のようであったが、複数の砲を搭載するというかなり怪しい代物であった。
76.2mm砲1門と45mm砲2門を搭載する「ヴァリアント1」と呼ばれる型と76.2mm砲を2門搭載する「ヴァリアント2」と呼ばれる型が作られたが、砲が多ければ強いということではないことは、SMKやT-100の失敗とKVの成功で既に証明されており、さらにはスターリン書記長も多砲身自走砲の有効性を疑問視しており、このような時代遅れな自走砲が採用されることは無かった。

KV-7ヴァリアント2 (2002/11/17更新)

Object227(KV-7) ヴァリアント2

KV-13 (2002/11/15更新)
(2006/3/13更新)

Object233(KV-13 試作中戦車)
重戦車と中戦車を統合した中型汎用戦車で、IS重戦車のベースになった試作車。
内部スペースを切り詰めることで車両の構成に必要な装甲板の面積を減らし、その分装甲を厚くすることで、軽量かつ重装甲の車両を目指した。
最初の試作車は1942年春に完成したが、まだ技術的に未熟で不具合が続出した。
その後改良が続けられ、IS重戦車の直前の段階であるObject233とObject234に発展した。

重量: 32t 乗員: 3名 エンジン出力: 600hp(ディーゼル) 速度: 55km/h
武装: 41.5口径76mm戦車砲 *1 7.62mm機関銃 *2
装甲: 砲塔-85mm / 車体前面-120mm 側面-75mm

JS-1 (2002/11/2更新)

鹵獲したドイツの新型戦車に、従来のKV-1が対抗できないことが明らかとなったため、以前不採用となった試作戦車KV-13をもとに開発された。名前はイォシフ・スターリンの頭文字から取られている(ロシア文字を直訳してIS-1とも表記される)。
76mm砲より強力な85mm砲D-5Tの搭載を予定して設計されたが、開発中に中戦車T34も85mm砲搭載が決まったため、本車にはさらに強力な砲を求められるようになり、JS-1はわずか一両のみの生産に終わった。
先に完成していた砲塔は、KV-1の車体に載せられKV-85として使用されている。

JS-2m (2002/11/3更新)

新たにJSが搭載すべき砲には、新開発の100mm砲D-10と122mm軍団砲A-19が候補に挙げられた。しかし100mm砲は従来の弾薬体系にない砲弾を使用するため、生産・補給に難があるのに対し、122mm砲は広く使われ砲身の供給も容易であったため、新型JSには122mm砲が選定された。(A-19は隔螺式だったが、量産車にはより操作性の高い鎖栓式のD25-Tが搭載された。)
のちに、KV-13以来の車体正面の切り立った形状が、なだらかな曲線を描くように改良された。また、85mm砲用だった防盾が、より幅広のものに変更され、ペリスコープも新型に置き換わった。この型は、JS-2m(またはJS-2 1944年型)と呼称されている。

JS-3 (2002/11/4更新)

JS-2mの生産と平行して、JS-2の防御力をさらに向上した「キーロヴェッツ1」の試作が開始された。避弾径始を徹底した結果、砲塔はお椀を伏せたような半球形に成形され、車体正面は中央が尖り砲弾を左右へ弾く形状になった。
この特異な砲塔はつづいて開発されるソ連戦車の嚆矢となり、また諸外国の戦車設計にも大きな影響を及ぼしたが、JS-3自体は量産開始当初に機械的故障が頻発し、その威力を発揮できなかった。

T-72B(Объект-184) (2005/4/22更新)

 T-72(オブイェークト-172)は、125mm滑腔砲と自動装填装置、複合装甲等を盛り込みつつも、T-54/55、T-62といったソビエト戦車の拡大発展型として開発された。
結果として、新規技術を積極的に採用して高性能戦車を目指したものの成功作とは言えなかったT-64に対し、価格と性能のバランスの取れた戦車となり、1971年よりT-55といった旧式戦車を代替するために大量生産された。
また、同盟国および友好国への輸出・供与用として輸出型が開発・生産されると共に、ライセンス生産も行われた。
 T-72は、中東での戦訓や西側戦車の発展に対するための改良が続けられた。
T-72A(オブイェークト-174)では装甲が強化され、ステレオ式測距儀をレーザー測距儀に変更、スモークディスチャージャー、ゴム製サイドスカートの装備がされた。
T-72B(オブイェークト-184)では、西側各国の新型主力戦車に対抗する為、砲腔内発射ミサイルが採用され、砲塔の複合装甲が更に強化されるとともに、爆発反応装甲 コンタクトが装着され防御力の強化がなされた。
 西側各国軍の恐怖の対象となっていたT-72であるが、湾岸戦争において、複合装甲を使用していない、もしくは射撃装置のグレードが劣る輸出型、いわゆるモンキーモデルではあったが、米英の戦車にほぼ一方的に撃破されたことで、その評価を地に落としてしまう。それでも、T-72はライセンス生産も含めた総数で5万両以上が生産されているという。

全長:9.53m 全幅:3.46m 全高:2.226m 重量:44.5t
V-84-1ディーゼル:840hp
最高速度:60km/h
武装
 62口径125mm滑腔砲 D-81TM
 砲発射ミサイル 9M120 スヴィリ(AT-11 スナイパー)
 12.7mm機関銃 NSVT
 7.62mm同軸機銃 PKT
乗員:3名

BM-8-24自走ロケット発射機(2006/06/18更新)

82mmロケット弾M-8の発射装置。
8は弾丸の直径が8cmであることを示し、24は24連装型であることを表している。
BM-8には、この他に36連装のBM-8-36や48連装のBM-8-48などの

BM-13 (2002/11/17更新)

BM-13カチューシャロケット

Tsar (2003/1/15更新)

レベデンコ戦闘車 戦車のツァーリ
巨大な車輪で敵の潜む塹壕にのしかかり、頭上から敵を攻撃することを目的に作られた車両。
塹壕戦の必殺兵器として期待されていたらしい。
1917年に設計され、1922年には試作車が完成し、試験も行なわれたらしいが、被弾に弱く実用性にも乏しいと判断され計画は中止になった。