未成計画アイコン

 ここに展示しているアイコンは、「未成計画アイコン」であり、一部不明な点について作者の創作が入っています。
解説協力:T216さん      .
     えりゅさん     .
     和来名春さん   .
     zonoさん     .
     ささきさん     .

日本


(2002/11/23更新)

三菱 試作局地戦闘機 烈風改 (A7M3-J)
艦上戦闘機である烈風をベースに開発が進められていた本格的高高度局地戦闘機。
エンジンを排気タービン過給器付きのハ43-11型(Mk-9A)に換装、主翼に30o機銃4挺、胴体に30o斜銃2挺を装備し、最大速度648q/h、上昇力10,000mまで15分30秒、実用上昇限度11,500mという性能を発揮する予定であった。
設計段階で用兵側から求められた追加要求を満たすため、胴体は操縦席周りと後端部以外を、主翼は内翼部の半分が再設計されており、原型となった烈風とはほとんど別物に近いものになっている。
終戦までに部品の一部が完成しただけで、実機は1機も完成していない。
なお、この烈風改とほぼ同時期に同じ烈風の発展型として、エンジンを三速過給器付きのハ43-51型(Mk-9C)に換装した烈風性能向上型(A7M3)の開発が進められている。
烈風性能向上型は局地戦闘機である烈風改とは異なり高高度甲戦闘機(対戦闘機用戦闘機)で、主翼の折り畳み構造を廃止、主翼武装の20o機銃を2挺追加して計6挺とし、防弾装備を強化、最大速度643q/h、上昇力10,000mまで13分6秒、実用上昇限度11,300mという性能を発揮する予定で、終戦時に実大模型が完成していた。


(2002/11/22更新)

愛知 十八試丙戦闘機 試製電光 (S1A1)
昭和18年に近い将来来襲することが確実視されていたB-29を迎え撃つために十八試丙戦闘機として試作発注された。
最初から夜間戦闘機として開発された初の海軍機だったが、量産性を高めるために可能な限り部品などは銀河のものを流用する予定であった。
全備重量が10t近い大型機で、機首にレーダーを搭載、武装として機首固定30o機銃1〜2挺及び20o機銃2挺、遠隔操作式20o連装旋回機銃を装備する予定だった。
最高速度は搭載エンジンによって異なるが、誉22型装備の場合は589q/h、排気タービン過給器付き誉24型装備の場合は669q/hを発揮する予定だった。
試作一号機が昭和20年8月に完成する予定だったが、6月の空襲で破壊されてしまった。


(2002/11/15更新)

川西 十八試陸上戦闘機 陣風 (J6K1)
海軍は昭和17年に十七試陸上戦闘機(J3K1)の開発を川西に命じたが、問題が多く翌年作業は一時中断。
昭和18年夏に二段二速加給機つき「誉」発動機の完成の目処が立ったので、改めて十八試陸上戦闘機の試作を下命。「試製陣風」として開発が再開され、19年6月にモックアップ審査を行うが肝心の発動機が完成せず時間だけが経過。その間海軍の試作機種整理と紫電改の完成が急務との判断で本機の開発は中止された。
全長:10.118.m 全幅:12.5m 全高:4.13m 自重:3.5t 全備:4.372t 乗員:1名
最大速度685km/h(高度10,000m) 航続距離:3,425km(5時間) 発動機:中島 ハ-45「誉」四二型(2,200馬力)×1
武装:20mm×4 or 30mm×2(翼内)、13mm×2(機首) 生産数:なし(実物大モックアップまで)


(2004/4/4更新)

立川 キ-94
予想される米超重爆(B-29, B-36)を迎撃する高速重武装戦闘機として昭和18(1943)年に計画された機体。排気タービン、層流翼、与圧コクピットなどの新機軸が積極的に導入され、ユニークなブーム双胴形態の串型双発としてモックアップまで作成されたが、脱出方法など未解決の問題が多いため冒険的に過ぎるとして廃案となり、同じ「キ94」の番号でオーソドックスな牽引式単発案が再開された。双発型をキ94-I、単発型をキ94-II と呼ぶこともあるが、制式にはどちらも単に「キ94」と表記される。
 三菱ハ-211ル 空冷 18 気筒 2200hp(排気タービンつき)x2、最高速度 750Km/h、航続距離不明、武装 37mm 機関砲x2 + 30mm 機関砲x2。


(2002/10/20更新)

満州 キ98 試作高高度戦闘機
空冷エンジンの特殊装備方法の研究機として昭和18年に開発がスタート。
性能がよければ戦闘襲撃機として採用する予定でしたが、途中で高高度戦闘機に変更されています。
双胴式の機体中央部にハ-211ル発動機を推進式に搭載し、機首部への大口径砲搭載と有害抵抗増大を防ぐ狙いがありました。
昭和19年秋にはモックアップが完成し実機の製作に入るも12月に奉天工場が爆撃を受けて作業中断。
翌年に再開しますが、試作機がほぼ完成した状態でソ連軍の侵攻を受け、全て焼却されてしまいました。
全長11.4m、全幅11.26m、全高4.3m、自重3,500kg、全備4,500kg、最大速度710〜730km/h、航続距離1,000km+15分の戦闘、発動機ハ−211ル(2200馬力)、武装ホ-5(20mm)×2、ホ-211(37mm)×1


(2002/10/28更新)

川崎 キ102丙 試作夜間戦闘機
対B-29夜間迎撃用単座重戦として昭和19年11月から設計開始。
甲型の翼面積を増大、胴体を1m延長して夜間での離着陸性能や高高度での方向安定を図り、20mm上向き砲(陸軍では斜銃をこう読んでいた)と電波標定儀を装備。
昭和20年6月、試作機の完成直前に爆撃を受けてしまい日の目を見ることなく終わりました。
全長:13.5m 全幅:17.25m 全高:3.7m 自重:5.2t 全備重量:7.6t 乗員:1名、最大速度:600km/10,000m 航続距離:2,200km 発動機:ハ112-2ル(1350馬力)×2、武装:30mm×2(機首) 20mm上向き砲×2
(武装については20mm×2(機首) 30mm上向き砲×2という資料も有りよくわかっていない)


(2002/10/28更新)

川崎 キ102乙 試作襲撃機 (イ号一型乙誘導弾搭載機)
イ号1型乙誘導弾の実験には九九式双軽が使われ、実戦での母機にはこのキ-102乙が予定されていました。


(2003/3/12更新)
(2003/12/1更新)

キ-119 試作戦闘爆撃機


(2002/9/18更新)

中島 キ-201 火龍
設計図上の計画機


(2004/10/19更新)

川西 梅花
神風特攻専用機。パルスジェット・エンジンを背負式に搭載しています。
終戦直前の20年7月に、東大航研と陸海軍が共同して着手しましたが、設計途中で終戦を迎え、実機は完成しませんでした。


(2004/3/3更新)

グラマンG-98J-11
1950 年代暮れ、航空自衛隊は二次防衛計画の一環として F-86F/D を置換する時期主力戦闘機(F-X)を模索、グラマン F11F-1F, ノースロップ N-156(F-5A), ロッキード F-104, ノースアメリカン F-100 の間で採用が競われた。なかでも F11F-1F は最有力候補とされ、商談は J79GE-7 を搭載し腹ビレを増設した空自仕様 G-98J の試作が非公式に発注されるまでに進んでいたが、1960 年 11 月に F-X はロッキード F-104J に決定したと発表され、グラマンの夢は皮算用と消えてしまった。この経緯には関係省庁、商社、政治家の利権が複雑に絡み合い、更には日米間の国債や関税問題にまで及ぶパワーゲームがあったとされ、真相はいまだに闇の中だが、多くの小説や映画がこの事件を題材に作られている。


(2002/8/30更新)

川崎 キ-91 試作遠距離爆撃機
設計図上の計画機。日本機の計画機の中では3番目に大きい


(2002/9/3更新)

中島 Z 飛行機
昭和17年末、中島飛行機の創始者 中島 知久平 氏の提唱した「必勝防空計画」での構想であった「六発超重爆撃機」を具現化するために昭和18年初旬頃から中島飛行機の社内の独自企画で、その「六発超重爆撃機」の機体の設計、エンジンの研究、機体運用の検討 等が行なわれました。この機体の企画を社内では「Z計画」(ゼ−タ ガンダム開発計画の事ではありません。)設計されている飛行機は「Z飛行機」と呼ばれていた様です。昭和18年秋頃に機体の大まかな設計が終了していた様です。その頃戦局が悪化の打開を図りたかった日本陸海軍は、この{Z飛行機」に目を付け、この「Z計画」は「陸海軍共同開発計画「富嶽 計画」に格上げになった。


(2003/7/6更新)

三菱 Q2M 大洋
新型中攻「泰山」、木製一式陸攻「東山」から繋がる木製哨戒爆撃機。




(2003/9/7更新)

Arado E560
Ar234から発展した四発ジェット爆撃機。全長約19メートル。
主翼は30度の後退翼を持ち、高出力のジェットエンジンJumo012(推力2905kg)を四基備え、操縦席は与圧室で機体前面から下部にかけて強固な防弾鋼板が貼られていた。
武装は20mm機関砲(MG151)を機首前面に2門、尾部に2門(遠隔操作式)、操縦席後方上面に1門で、2トン以上の爆弾を搭載する。


(2002/10/21更新)

Bf109TL
ジェットエンジン搭載で、Me262のバックアップとして開発された機体


(2003/1/28更新)

ブロ−ム・ウント・フォス BvP212.03
設計図上の計画機


(2003/1/31更新)

ドルニエ DoP252 (Dornier DoP252)
設計図上の計画機


(2003/2/18更新)

ドルニエ DoP256 (Dornier DoP256)
Do335から発展したジェット重戦闘機。
全長:13.6m 全幅:15.45m 全高:5.5m 自重:6.86t 全備:11.3t 乗員:3名
最大速度:882km/h(高度8,000m) 発動機:HeS011A (推力1,300kp)×2
航続距離:1550km 武装:30mm Mk108×4、500kg爆弾×2


(2003/2/12更新)

ドルニエ Do435 (Dornier Do435)
社内番号DoP.254。Do335の進化型でレシプロとターボジェットの混合動力を採用している。
全長:13.4m 全幅:15.4m 全高:5.6m 自重:7.585t 全備:10.5t 乗員:2名
発動機:DB603LA (2,300馬力)×1、HeS011A (推力1,300kp)×1


(2003/1/31更新)

フォッケウルフ FwP031025-1006 (Focke Wolf FwP031025-1006)
設計図上の計画機
ちなみに、この 031025-1006 と言うのは設計図の図面番号でありまして、文字通り「設計図上の計画機」である事を表しているのであります。


(2003/1/28更新)

フォッケウルフ Fw1000×1000×1000A (Focke Wolf Fw1000×1000×1000A)
1944年後半フォッケウルフ爆撃機設計部のハレム技師を主務者として設計された双発ジェット軽爆撃機。
開発コンセプトは『1000km/hの速度で、1000kgの爆弾を積み、1000km先まで進出可能な爆撃機』。
35度の後退翼を持ち、後年のSO-4050ボートゥールやB-47ストラトジェットなどと良く似た降着装置を備えている。
設計案には本機A型の他に無尾翼式のB型や、直線の主翼を持つA型に似た形式のC型があった。
全長:15.8m 全幅:14m 自重:4.2t 全備:8.1t 乗員:2名 最大速度:1,000km/h 航続距離:2,000km 発動機:HeS011A (推力1,300kp)×2
武装:30mm×4 爆弾:1,000kg


(2003/9/7更新)

Focke Wulf FwVII Flitzer (フリッツァー)
1942年に開発の始まったジェット戦闘機。当初はFw190の機体を流用してをジェット化するという計画だったが、いくつかの案を検討した結果、双ブームの後端に昇降舵を繋いだ形式となりFlitzer(向こう見ず)と名付けられた。
主動力であるHeS011ターボジェットエンジンの他にワルターHWK109/509Dを装備し、主翼は32度の後退角を持つ。
開発はモックアップまで進んだものの、FW社が後発のTa183に力を注いだために1機も完成することなく終戦。
なお、本機はHeS021エンジンを装備したターボプロップ型も計画されていた。

全長:10.55m 全幅:8.0m 全高:2.35m 自重:2.73t 全備重量:4.35t 乗員1名
最大速度:962km/h 航続距離:1,460km 発動機:ハインケル HeS011B (推力1,500kg)×1
武装:30mm MG108×2(機首)、Mk103×2(主翼)

本機と同時期に設計された同形式機にはイギリスのバンパイアや日本の閃電などがあったりします。
フリッツァーそれらの中では一番進歩した機体だとか。


(2003/8/23更新)

ハインケル He280A-0(Jumo004装備)
ジェット実験機 He178 の経験を踏まえ、当初から実用軍用機として設計された機体。1940 年 9 月 22 日に無動力グライダーとして初飛行したがエンジンの開発に手間取り、ハインケル HeS8A 遠心式ターボジェット(推力 720Kg)を搭載しての自力飛行は 41 年 4 月 2 日となった。He280 は翼面積 21.5m^2、全備重量 4.3t と軽い機体で(Me262 は 21.7m^2 / 6.8t)最高速度は約 800Km/h、前縁直線のテーパー主翼によって Fw190A に優る運動性を示した。しかし航続距離は最大 650Km に過ぎず、武装は 20mm 機銃 x 3 と比較的軽武装のうえ爆撃能力もなく、更にエンジンが推力・信頼性とも不足のうえ寿命も短かいとあっては空軍に「使い道がない」と結論づけられても仕方なかった。He280 は結局実験機として9機が製作されたにとどまり、BMW003 や Jumo004 など各種エンジンのテストベッドとして使われた。
アイコンはこの塗装での完成が確認されていないため未成扱いとしています。


(2002/9/13更新)

He100の発展型 Heinkel HeP1076


(2003/1/23更新)

Heinkel HeP1078 A型
1944年7月に空軍が要求した軽戦闘機に応じて計画されたジェット戦闘機。
40度の後退角を持つ主翼にはさらに外翼1.8m分に下半角がついている。
機首にはFuG240ベルリンレーダーを収めたレドームを装備。
本機は同時期に計画されたHe162Aよりワンランク上の設計となっている。
全長:8.8m 全幅:8.91m 全高:2.3m 自重:2t 乗員:1名 最大速度:980km/h 発動機:ハインケル HeS011A (推力1,300kp)×1
武装:30mm×2、FuG240ベルリンレーダー 生産数:なし


(2003/8/3更新)

Heinkel HeP1078 B型


(2003/8/3更新)

Heinkel HeP1080


(2003/8/23更新)

Heinkel HeP1079A
1945年2月ごろに設計された大型複座多用途戦闘機。設計主任はジークフリート・ギュンター。
後退翼を備えた主翼にV字型尾翼、胴体中央に埋め込まれたエンジンが特徴。
本機はA,B,Cの3タイプが計画されておりA型が機首にFuG244ブレーメンレーダーを装備した夜間戦闘機、B型が外翼に下反角がついた無尾翼形式、C型がA型の昼間戦闘機型となっていた。
1950年代にイギリスで製作されたスーパーマリン508や525は主翼形状などの違いはあるものの良く似たデザインをしており、
本機の設計がいかに先進的であったかを証明している。

全長:14.25m 全幅:13.0m 全高:3.4m 自重:4.9t 全備重量:10.0t 乗員2名
最大速度:950km/h(高度7,000m) 航続距離:1,800km 発動機:ハインケル HeS001A (推力1,300kg)×2
実用上昇限度:12,500m 武装:30mm Mk108×4 (データはHeP.1079A-1のもの)


(2002/11/22更新)

ヘンシェル Hs132 (HENSCHEL Hs132)
He162に類似したジェット急降下爆撃機。パイロットは耐Gの為、うつ伏せの格好で操縦することになっていた。試作機の完成を目前にして敗戦となってしまった。


(2003/1/31更新)

ヘンシェル HsP75 (HENSCHEL HsP75)
設計図上の計画機


(2003/2/10更新)

Junkers JuEF.128
Ta183と並んで戦力化が有望視されていたというジェット戦闘機。
45度の後退角を持つ主翼、射出式コックピットなどを備え、後年のF7Uカットラスとよく似た形をしている。
夜間戦闘機型も計画されていて、これは30mm機関砲四門と機首にマイクロ波レーダーを装備。
全長:7.05m 全幅:8.9m 全高:2.65m 自重:2.607t 全備:4.077t 乗員:1名
最大速度:990km/h 発動機:HeS011A (推力1,300kp)×1 武装:30mm MK108×2


(2002/10/27更新)

Me209A-1


(2003/1/23更新)

メッサーシュミット P.1106 (Messerschmitt P.1106)
大戦末期に設計された迎撃用戦闘機。Ta183に敗れ採用されなかった。
V字尾翼の本機の他にT字型尾翼型やラム・ジェット型も計画されていた。
全長:9.18m 全幅:6.65m 全高:3.37m 自重:2.3t 全備:4.0t 乗員:1名 最大速度:993km/h 発動機:ハインケル HeS011A (推力1,300kp)×1
武装:30mm×2 生産数:なし


(2003/1/28更新)

メッサ−シュミット (Messerschmitt MeP1111)
設計図上の計画機


(2003/1/23更新)

フォッケウルフ Ta183 フッケバイン (Focke Wolf Ta183 Huckbein)
言わずと知れたクルト・タンクが開発した半木製のジェット戦闘機。
40度の後退角を持ちねじれGに強いトルク・ボックス桁構造の主翼、胴体をブロック構造にして
製作の容易さと整備の簡便さを狙うなど数々の画期的なアイデアを盛り込んでいた。
試作機16機の発注を受け開発は急ピッチで進められたが生産準備中に終戦となった。
全長:9.2m 全幅:10.0m 全高:3.86m 自重:2.98t 全備:4.3t 乗員:1名最大速度:960km/h(高度7,000m) 航続距離:1,300km 発動機:ハインケル HeS011A (推力1,300kp)×1
武装:30mm×2〜4 生産数:なし


(2003/1/28更新)

フォッケウルフ Ta283 (Focke Wolf Ta283)
設計図上の計画機


(2003/1/28更新)

ゾムボルト So344
設計図上の計画機




(2007/6/6更新)

マーチン XB-16
1934 年に「2000 ポンド爆弾を搭載し 5000 マイルを飛ぶ」こととして計画された超大型爆撃機。初期案は通常形態の4発機だったが、予定性能不足のためブーム双胴としてアリソン V-1710 4基を牽引式、2基を推進式に配した異形の6発機となった。同時期に計画されたボーイング XB-15 が採用されたため、実機製作には至っていない。


(2007/6/6更新)

ダグラス XB-31
1940 年 1 月、大西洋渡洋爆撃を視野に入れ発注された超高性能爆撃機計画「R40B」に呼応してダグラス社で計画された機体。コクピット窓を双眼の水滴型にして胴体を絞込み、P&W R-4360 空冷 28 気筒 3000hp 4基を装備する予定だった。R40B 計画はボーイング B-29 が本命、コンソリデーテッド B-32 が保険とした採用され、XB-31 は実機製作に至らなかった。




(2002/9/15更新)

Sud-Est SE580




(2003/1/28更新)

Yakovlev Yak-43
Yak-41 の実用化型は Yak-41M と仮称されていたが、その設計を更に発展させた計画機が Yak-43 である。メインエンジンを NK-321 に換装し、外形もステルス性を考慮した形態に改められる予定だった。ロシア軍備縮小のため発注が取れず、計画どまりになったらしい。


日本_海軍
解説協力:hushさん      .
     A-140さん      .
     SUDOさん     .
     烈風天駆さん    .
     和来名春さん    .
     戦艦乞食さん    .
     中村さん      .
     山本留吉さん     .
     zonoさん     .
     天翔さん     .


(2002/12/29更新)
(2003/1/13更新)
戦艦加賀級
神戸川崎造船所(加賀)三菱長崎造船所(土佐)にて、戦艦として建造され始めたものの最終的には戦艦とし完成しなかった。
アイコンは戦艦として完成した状態を再現している。


(2002/9/10更新)
天城
天城は84艦隊計画による1917(大正6)計画第4装甲巡洋艦として1920年12月16日、横須賀海軍工廠で起工されました。姉妹艦赤城(同第5装甲巡洋艦)はこれより10日前に呉海軍工廠で起工されています。
ついで、86艦隊計画による1918計画第6号巡洋戦艦として高雄(予定艦名愛鷹)が1921年12月19日、三菱重工業長崎造船所で、同第7号巡洋戦艦として愛宕が1921年11月10日、川崎造船所神戸工場で起工されました。
これら4隻からなる天城級巡洋戦艦は、後の88艦隊計画5〜8号主力艦、金剛級戦艦の代艦として建造された同計画の巡洋戦艦の第1陣でした。
排水量、常備41,217t、満載47,000t、水線長 250m、全長 251.8m、全幅30.8m、吃水9.5m、主機技本式オールギヤードタービン8基4軸、ロ号艦本式ボイラー19基(うち重油・石炭混焼8基、重油専焼11基)、131,200shp、速力30knt、重油 3900t、石炭 2500t、航続力14kntで8000nm、装甲厚水線帯250バルクヘッド75バーベット230-280司令塔78-355甲板100mm、45口径410mm連装砲塔5基、50口径140mm単装16門(片舷8門ケースメイト)、45口径120mm高角砲単装4基、610mm魚雷発射管8門(水上)
先行する長門級が45口径410mm砲連装4基8門、26.5knt、同じく加賀級が長門級の410mm連装砲塔を1基増やすとともに、装甲を強化したものであったのに対して、天城級は加賀級と同等の砲撃力を有する巡洋戦艦として計画されました。このため、装甲は加賀級に比べると若干低下させた代わり、加賀級から出力を40000shp増大し船体を20m延長したことにより、対抗馬であるレキシントン級の33kntには及ばないものの30kntの高速を発揮可能とされました。もっとも、加賀級より若干装甲が薄いというものの、長門級より強力であり、レキシントン級を凌駕するものでありました。巡洋戦艦とは言うものの、むしろ高速戦艦に類別すべき性格の艦だと考えるべきであろうと思います。
1922年2月6日、ワシントンで調印された海軍軍縮条約は、天城級の運命を一変させます。起工されたばかりの高雄、愛宕は条約調印とともに工事中止となり24年4月14日に建造中止となり、翌年には解体。
一方、天城と赤城はその高速と、大和竣工まで最長だった長大な船体を利してアメリカのレキシントン級、イギリスのカレイジャス、フューリアス級(私のハンドル・ネームの由来になったシリーズですが)とともに空母になることが決定されます。しかし、1923年9月1日に起きた関東大震災は同年1月8日に工事を再開したばかりの天城の船体を破壊、高雄等と同時に建造中止となり、同年中に解体されました。最後に残された赤城のみは、天城に代わって空母に改装された加賀等とともに機動部隊を編成し真珠湾攻撃を始めとする各種作戦に参加、1942年6月6日、ミッドウェー海戦でその数奇な運命を終えました。


(2002/12/14更新)
超甲巡「795号艦」
アメリカ海軍が計画した大型巡洋艦アラスカ級に対抗するべく、マル5計画で建造が計画された大型巡洋艦です。
本艦は夜戦部隊の旗艦兼火力支援艦としての使用が考えられており、主砲に新開発の31cm50口径砲を採用、舷側装甲は190oでしたが、大和型戦艦と同様の傾斜装甲を採用、甲板装甲は125mmとされ、列国の重巡洋艦が装備していた8インチ砲に対しては十分な防御能力を有していました。
結局、マル5計画そのものが廃案になったため、この超甲巡も計画のみで建造中止になりました。

なお、本艦の船体の規模や武装については諸説があり、主砲を36cm連装砲3基としたり、魚雷発射管を搭載することも考えられていたようです。


(2003/1/23更新)
航空母艦伊吹級
呉工廠で重巡洋艦から改造された空母 (でも未完成)


(2003/2/13更新)
航空母艦改大鳳級


(2003/8/15更新)
水上機母艦日進(計画時)
本来は昭和十二年度計画の敷設艦。
敷設艦とは言っても、戦時には限られた期間で特種潜航艇甲標的の母艦に改造できるよう設計されており、先に建造された千歳型、瑞穂型両水上機母艦の準同型艦と言える艦であった。
本艦は昭和十四年十月三十日に水上機母艦に変更されたが、建造所である呉工廠では昭和十三年十一月二日の起工時点で既に水上機母艦として着工していた。(と福井静夫氏の本には書いてあるけど、どうして変更されたかは書いてない、何があったんでしょうねぇ)
また水上機の搭載数は敷設艦当初の12機から20機+補用5機に増加し、搭載機には、十二試二座水偵18機、十四試特殊水偵(紫雲)8機を予定しており、敵機動部隊に対する攻撃の一翼を担っていた。


(2006/6/14更新)
巡洋戦艦「天城」

日本_海上自衛隊

(2003/10/10更新)
16年度計画艦 16DDH
防衛庁が平成16年度概算要求と業務計画に盛り込んだ1万3500トン型ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)。
退役が近い『はるな』型DDHの代替艦として予定され、2隻の建造が計画されている。
今回公表された概要図は12年度の中期防策定時とは上部構造物と飛行甲板が大きく異なっている。
前後分離型甲板を取りやめ全通式甲板を採用したことにより、気流の安定化、ヘリスポットの増量(2機から3機へ)、4期の同時発着艦が可能となるなどの改良が行われた。

基準排水量 1万3500トン
全長    195メートル
機関    ガスタービン・2軸
速力    30ノット(55キロ)
乗員    347人(内司令部要員25人)
高性能20ミリ機関砲         2基
短SAM・アスロック兼用垂直発射装置  1式
(短距離地対空ミサイル)
魚雷発射管             2基
艦載ヘリ              3機
     (最大11機まで搭載・運用可能)
エレベーター            2基

日本_民間船

(2006/6/15更新)
客船橿原丸級
 北米サンフランシスコ航路用として日本郵船が建造に着手した大型客船。後に海軍が買収、航空母艦隼鷹/飛鷹となる。

 当時、北米航路において覇を競い合っていたのが、サンフランシスコ航路の日本郵船とバンクーバー航路のカナディアン・パシフィック(CPL)である。CPLの擁するエンプレス級シリーズに、昭和4年(1929)竣工の浅間丸級3隻では対抗が困難になりつつあったことに加え、昭和16年の東京オリンピック開催が決定し、日本郵船では新たな豪華客船建造の気運が高まりつつあった。

 日本郵船の北米航路用客船建造計画を察知した海軍は、昭和11年、有事の徴用・特設空母改装と引き換えに建造費全額政府負担という条件で日本郵船に建造計画支援を申し出た。ところが大蔵省が政府負担5割を譲らず、これを海軍が説得してようやく翌12年、政府負担6割での建造が決定した。
 総トン数26,000t以上、速力24kt以上の旅客船2隻の建造を助成するもので、1隻あたり建造費2,400万円の6割を政府において補助する―――これが「大型優秀船建造助成施設」で、これが適用されたのは橿原丸級2隻だけであり、同級を建造する為だけに整備されたものと言っても過言ではない。
 支援される方の日本郵船も計画最高速力25.5ノットは過剰であり、採算の取れる運航は不可能として難色を示したものの、結局速力は原案通りとされた。建造にあたっては空母改装を見越して、速力確保の為、球状船首や高温高圧の主缶などの新機軸が採用されており、また機関室の前後にガソリンタンク用の区画があらかじめ設けられるなどの配慮が行われている。

 しかし、両船とも客船としての竣工を待たずに航空母艦へ改装され、その姿は太平洋を覆う戦雲の中に幻となって消えていった。

橿原丸
起工:1939.3(40.10工事中断/41.2海軍により買収) 総トン数:27,700t
垂線間長/幅/深さ:206/26.7/13.9m
機関・軸数:タービン2基2軸 出力:56,250SHP
速力:25.5kt
旅客定員:1等220/2等120/3等550

出雲丸
起工:1939.11(40.10工事中断/41.2海軍により買収)

アメリカ


(2002/12/2更新)
BB サウスダコダ級
6隻の建造が予定された米海軍三年計画の実質的な主力戦艦。比較的コンパクトに纏められた船体に新型50口径16インチ砲Mark2を三連装で4基搭載する予定でした。
良くも悪くも、ネヴァダ級以来連綿と続く在来戦艦の延長線上にある設計で、同口径の主砲を装備する日本戦艦と比較すると、主砲砲門数、砲威力、中近距離戦に対応した垂直装甲厚等の点が大きく上回るものの、水平装甲に二層防御構造(80mm+65mm)を用いた事や砲塔天蓋の装甲厚、在来艦の存在に引きずられて低速戦艦のレベルから脱し切れていない速力など、随所に基本設計思想の古さを嗅ぎ取る事が出来ます。

本級も建造中に開催されたワシントン海軍軍縮条約で廃棄が決定。
鈍足ゆえに空母改装の候補にも選ばれる事無く、全艦解体と相成りました。


(2002/12/2更新)
CC レキシントン級『原案』
WWT劈頭、英独の大型装甲巡や巡洋戦艦が外洋で見せた活躍から、それまで同種の艦艇の整備には消極的であった米海軍がその認識を改め、大航続力と画期的な高速発揮の両立を目指して計画した最初の巡洋戦艦です。
左のアイコンは計画最初期の1916年度案を再現した姿で、甲板上にズラリと並ぶ煙突の数は全部で七本(その内二本が並列配置であるため真横からでは5本に見えます)。
35ktという当時の巡洋艦や駆逐艦では捕捉不可能な、そして遥か後のWWU時でも大型艦最速レベルの速力を発揮するべく、18万馬力のパワーユニット(24基のボイラーに4基の電動推進器)を船体に押し込んだ結果、全長で大和を上回り、船体サイズで後年のアイオワ級にほぼ匹敵する巨艦となる予定でした。
攻防性能に関しては、火力こそ14インチ砲を連装三連装混載で10門と、WWT時の巡洋戦艦としては比較的強力ですが、防御面は垂直、水平共に薄弱な装甲厚しかなく、本級単独で正面から戦艦と対決する事は考慮されていなかった節があります。


(2002/12/5更新)
CC レキシントン級『建造開始時案』
レキシントン級は、米海軍が初めて建造する巡戦ということで仕様が落ち着かず、設計は二転三転。更に、WWTの戦訓を設計中に入手して対策を講じた結果、当初原案に徹底的なまでの変更が加えられました。
最終的に、主砲は世界的な戦艦主砲の大口径化に添う形で16インチ砲連装4基に強化され、原案では数が多すぎて防御甲板内に収まりきらなかったボイラーも、その後の技術革新による高性能化で出力を維持したまま16基まで減少(ただし、重量増により最高速は33kt強まで低下の予定)、これにより煙突は2本となり、艦中央部の形態は大きく変容しました。
課題の防御面ですが、舷側に傾斜装甲を取り入れるなど改善が見られたものの、水平装甲の強化は、防御範囲の広大さから板厚を微増するに留まるなど、防御面に原案以来の弱点を内包したままの建造開始となりました。

紆余曲折を経てようやく建造にこぎつけた本級ですが、ワシントン海軍軍縮条約で建造中止と決定。かろうじで死の顎から逃れたレキシントンとサラトガが、初の艦隊空母として新たな道を切り開いてゆく事になります。


(2002/12/19更新)
戦艦モンタナ級

イギリス


(2004/3/7更新)
HMS Furious(plan)
結局航空機搭載艦として完成した「フューリアス」だったが、もし予定通りに完成していればこのような艦容となるはずであった。
 でも主兵装は18吋砲2門のみ、副砲にしても14cm砲11門と「ないよりまし」程度しかないのは…。

 なお空母改装に伴って下ろされた主砲は、モニター艦(対地砲撃用に巨砲を積んだ艦)「ジェネラル・ウルフ」「ロード・クライブ」に1門ずつ搭載され、なんと実戦で砲撃を行った。
(正確には、うち一隻には予備砲が搭載された)


(2002/12/21更新)
戦艦「ライオン」
1938、39年計画により建造を予定されたライオン級戦艦は、基本的には前級のキング・ジョージ5世級の主砲を406ミリ砲とした艦としてスタートした。同級は第2次ロンドン海軍軍縮条約の規定に縛られており、35000トンの基準排水量内で設計することが必要であった。しかし、この排水量では充分な能力の艦は設計できず、グッドールSir Stanley Goodall造船総監が38年1月までに提出した406ミリ砲搭載の16A/38、16B/38、16C/38および356ミリ砲搭載の14A/38の4種の案は、いずれとも決定されずにいた。ところが、日本の大和級戦艦の情報の一部を知ったアメリカが条約の改定を訴え、排水量の制限を10000トン拡大することが決定したことにより、余裕を持った設計が可能となった。
同年2月、42500トン、406ミリ砲3連装3基9門の16D/38と48500トン、同3連装4基12門の16E/38の2つの案が出され、前者を中心に設計が進められることになる。その後、提出された406ミリ砲3連装3基9門を搭載する39500トンの16F/38、43000トンの16G/38、42750トン、356ミリ砲4連装3基12門搭載の14B/38の内、もっとも軽い16F/38が採用され、小改正を経て最終設計案が完成したのは同年12月6日のことであった。
同月15日に承認された設計は40550トン、406ミリ砲3連装3基、前級より約2ノットの速力増加のため、船体を12メートル延長するとともに、約10000馬力、出力を強化されていた。主砲はネルソン級に搭載されていた45口径のMkIを改良した45口径MkU/Vで、初速757メートル毎秒、最大仰角40度で37090メートルの射程を有していた。なお、装填角は5度の固定式が採用されており、前面373ミリ、側面最大249ミリ、天蓋149ミリ(別ソースです)と強固に防御された砲塔は1,626トンの重量があった。これは、ほぼ同時期のドイツの未成戦艦H級の装備した50口径406ミリ砲の最大仰角が30度に押さえられていたため、810メートル毎秒の初速を誇りながら、36800メートルの射程しか有していないことを考えると充分対抗できるものであった。一方、H級の砲塔は前面385ミリ、側面240ミリ、天蓋130ミリ、重量1475トンで、ほぼ同様の防御力であった。
1939年1月21日、38年計画による2隻が前級の1、2番艦を建造中のキャメル・レアード社とヴィッカーズ・アームストロング社に発注され、6月1日、2番艦テメライヤーが前者で船体番号J3866として、7月4日、1番艦ライオンが後者で船体番号J4105として起工された。6月9日に計画を承認された39年計画による3番艦コンカラーは8月6日に前級3番艦を建造中のジョン・ブラウン社に船体番号J1567として発注されたが、同年9月3日、第2次世界大戦が勃発、同28日、駆逐艦と護衛艦の建造を優先することになったことにより、全艦1年間の建造凍結が決定された。この結果、42年7月と9月に竣工予定のテメライヤーとライオンは44年9月と3月竣工となり、コンカラーは41年4月起工、39年計画艦として11月15日に計画を承認された4番艦サンダラーは41年7月起工となり、竣工は45年となることになった。一方、39年7月15日と同8月に起工されたドイツ、H級戦艦の1、2番艦H(候補艦名フリードリッヒ・デア・グロッセ)とJ(同グロース・ドイッチュラント)は10月に建造中止となり、翌年には解体された。この情報をつかんでいたか不明だが、同年10月3日、造船所に発注済の3隻の建造中止が発令され、翌月、再度の通告の後40年5月に最終的に計画中止が通告された。進捗状態はライオンが218トン、テメライヤーが121トンであり、サンダラーも若干の用意がされていたようである。
ライオン級については主砲が45口径であることに対する批判や、この出力で30ノットの速力発揮が可能であったかと言う疑問が出されているが、全体として堅実な設計で実用上充分な艦であったと思う。もともと、ドイツとの戦争は1940年が予定されており、406ミリ砲搭載の2隻、381ミリ砲搭載の10隻の戦艦と3隻の巡洋戦艦を有しているイギリスは、たとえドイツがイタリアと組んでも圧倒できる兵力を有していた。そこに両国の新戦艦が加わっても対抗できるように戦艦5隻を建造(実際、40年から41年に全艦が竣工した)、さらに本級を建造するも、戦争が1年早く始まると通商保護に全力を傾けて切り捨てる。そして、万が一に備えて予備の381ミリ砲塔を使用してヴァンガード1隻だけは建造する。経済が圧迫されている中、必要充分なものだけを建造し、不利は承知で条約はきちんと守る。この余裕のある態度と言うのは、頑固だなと思う反面、すがすがしいものを感じます。


(2003/8/3更新)
防空巡洋艦マイノーター級
英国1947年度計画艦。英国の新造防空巡洋艦の系譜は米国のアトランタ級に対しダイドー級、オークランド級に対しベローナ級と奇しくも似たような道を辿っていました。
それでは米国が理想を求めて造り上げた6インチ自動両用砲を装備したウースター級に対応するものは? それがこのマイノーター級です。
ウースターが1943年度計画に対し本級は4年遅れの計画でしたがこれが致命的でした。ウースターが大戦終結により初期計画艦4隻中2隻のみの建造となってしまったように、本級も海軍予算削減により全艦建造中止となってしまったのです。
ウースターと比較した場合、基準排水量はともに1万4千トン超、6インチ自動両用砲10門(ウースター12門)、3インチ速射砲16門(ウースター24門)とわずかずつ砲数では劣っています。ですがこれら戦後完成した新型砲は開発着手が遅れた分、逆に英国製の方が優れておりこれを加味すると遜色無いどころかむしろマイノーター級の方が総合的な対空能力は優れていたと言えるでしょう。ぶっちゃけて言えば英国製6&3インチ砲の完成は実に米国の十年後ですからこれで劣っていては・・・(涙)
なぜこれほど遅れたかと言えば載せる船体が無いため開発が一時中断されていたからでもありました。
この両砲を搭載した防空巡計画はこの後も練り直されますが、最終的に大戦中建造着手されたものの戦争終結により1946年に工事中断・保管状態にあった軽巡洋艦スウィフトシュア級後期艦を利用したタイガー級として結実します。
1954年に工事再開され1959〜61年にかけて完成したタイガー級は6インチ自動両用砲4門、3インチ速射砲6門とマイノーター級の半分にも満たない戦力でしたが、これが当時の英国に建造できる精一杯のものでした。

そうそう。タイガー級を含む軽巡洋艦スウィフトシュア級、1番艦が竣工直後カナダに身売りされオンタリオと改名されたのですが、この1番艦の旧名をとって「マイノーター」級と呼ばれる事もあるそうです。さらにその先代マイノーター級は英国最後の装甲巡洋艦、世界初の巡洋戦艦インヴィンシブルと竣工が重なってしまったため生まれた時から日の当たらない存在でした。
よほどマイノーターと言う艦名には運が無いようです。おそまつさまでした。

ロシア、ソ連


(2002/12/14更新)
戦艦ソビエツキー・ソユーズ級
1938年の第3次5カ年計画において、ソ連はソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦とクロンシュタット級巡洋戦艦(公式には重巡洋艦)の建造を決定した。うち、ソヴィエツキー・ソユーズ級4隻は、基準排水量で大和級戦艦より約3000トン少ないだけの59150トン、全長でアイオワ級戦艦より2メートル短いだけの260メートルと言う巨大艦であった。また、403ミリ砲9門と充分な装甲を有し、231000馬力で28ノットの高速を発揮可能という有力艦でもあった。
当時、残されていた戦艦は23000トンのガングート級3隻のみ、その2.5倍の排水量の艦を、帝政ロシア時代から20年以上もの空白期間をおいて建造しようと言うのである。しかも、未成に終わったボロディノ級巡洋戦艦の356ミリを除くと、同国は305ミリ砲以上の口径の艦砲を作った事がない。このため、イタリア、アメリカの援助を求めたが、最終的には機関を除いて国内での建造となった。
1番艦ソヴィエツキー・ソユーズはレーニングラードのオルジョニキーゼ工廠で38年7月15日、2番艦ソヴィエツカヤ・ウクライナはニコラエフのマルティ南工廠で、3番艦ソヴィエツカヤ・ベロルシアはモロトフスクの第402工廠で、11月28日に起工され、4番艦ソヴィエツカヤ・ロシアも39年中に第402工廠(後にマルティ南工廠に変更)で起工の予定であった。建造期間は丸5年で、1943年から44年に竣工し、1、2番艦はバルチック艦隊用と黒海艦隊に、3、4番艦は北洋艦隊に配備される予定であった。
1941年6月、ドイツ軍のソ連進攻により4隻の建造は停止され、資材の多くが他の艦の修理等に流用された。うち、ソヴィエツカヤ・ウクライナは同年8月にニコラエフがドイツ軍に占領された際に、クロンシュタット級巡洋戦艦の2番艦セワストーポリとともに、船体の75%が出来上がった状態で拿捕された。ドイツは2隻の建造を再開せず、44年撤退時に船台上で破壊していった。ソヴィエツカヤ・ロシアは起工されずに終わり、ソヴィエツカヤ・ベロルシアは40年10月に建造中止後、その船体を利用して対空浮砲台ネ・ツロン・メニヤとして使用46年に解体された。残るソヴィエツキー・ソユーズも49年に解体され、結局、竣工したものはなかった。
同級の主砲は、アメリカ以外では唯一の50口径406ミリ砲であるが、同国がこのような砲を開発できたかどうかは疑問視されており、試作を行った形跡もないようである。アメリカからの輸入を考えていたが、これが無理となって、国産が決まる直前にも、ドイツからビスマルク級の搭載していた47口径381ミリ砲の導入を図ったとか、疑惑が残っている。
艦全体のイメージは、長船首楼船体、二重式測距儀、上部構造物等イタリア式で、先にイタリア、アンサルド社から提示された案をもとにしていると言われる。また、同国のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦に採用された多重円筒型水中防御方式を採用しているが、これもイタリアのウンベルト・プリエーゼ造船中将のアイデアによるものであった。
装甲は水線420-375砲塔425甲板155ミリ、水線長の57%が防御されると言う強力なもので、56口径100ミリ高角砲連装4基8門、67口径37ミリ機関砲4連装8基32門、l2.7ミリ機銃4連装2基8門と、強力な対空兵装を有していた。副砲も搭載しており、50口径150ミリ砲12門を6基の連装砲塔に収容していた。
機関は、非常に珍しいことにタービン・エレクトリックによる3軸推進であったと言われる。タービン・エレクトリック推進は、日本の加賀級、天城級でも検討されたようだが、実際に大型戦闘艦艇に採用したのはアメリカ海軍のみ、それも27年に竣工したレキシントン級空母で途絶えている。この時期に、この方式を採用した真意は分からないが、大出力歯車減速式タービンの調達ができなかった、巡航時の航続力の延伸をはかった、タービンとボイラーの配置が自由にできることを利用して防御力の向上をはかった等の理由が考えられる。なお、タービン部はスイスのBBC(Brown Boveri & Cie)社に発注されたと言われるが、これも開戦後はどうなったか不明である。
強力な戦艦を欲しがったのは、クズネツォフ海軍総司令官よりもスターリンであったと言われ、戦後も305ミリ砲搭載40000トンの重巡洋艦スターリングラード級4隻を計画、2隻を起工させている。結局、この2隻は53年のスターリンの急死とともに1番艦の船体の92%が完成していたにもかかわらず放棄された。もしかすると、このような彼の執着心が国家予算の33%、国家全体の造船能力の65%にも及ぶ同級を建造を、実際に使用可能な状態になるかどうか不明なのに促進させた原動力であったのかも知れない。
なお、同級については情報が錯綜しており、適宜、取捨選択したことを断っておきたい。


(2003/1/6更新)
巡洋戦艦ボロディノ級
ボロジノ級巡洋戦艦は、ガングート級、インペラトリッツァ・マリーヤ級に続いて建造着手されたロシア初の超弩級艦です。
デザイン的にはガングート級の拡大型で、イタリアがさっさと放棄しちゃったダンテ・アリギエーリのデザイン系譜の最終型とも言えるでしょう。
さすがにここまで進むとロシア独自の香りがして、味わい深いです(笑)
このボロジノ級は輸入予定の部材(タービン等)が開戦で確保できず、また主砲の開発能力の問題もあって建造中止になってしまったと言われてます。
さて、このボロジノ級は第一次大戦時に建造着手された巡戦として見てみると、速度が低めで、代わりに防御力が凄まじいです。
舷側最大装甲厚は9吋ちょっとで、大したこと無いんですが、実はこの世代のロシア戦艦は舷側装甲が二重になってまして、少し奥に2〜4吋の縦隔壁が第二の舷側装甲として作用するんです(これと傾斜甲板で、それより裏に敵弾が行かないようになってる)言うならば、第一次大戦世代の多重防御方式の最終型(つまりビスマルクよりも進んでいる)でして、強烈な防御性能を持っていたのです。
主砲も14吋12門ですから、カタログ上は他国の最新巡戦と同等以上、速度が低い事と併せて考えると、巡戦というよりは高速戦艦に類する艦かもしれません。
もっとも実際に建造できたのかとか(起工はしてるんだから何とかなりそうですが)ちゃんと性能が出るのかとか、色々不安もあるのですが、かなりアグレッシブで、面白いところのある戦艦だったとも言えるでしょう。

っていうかさ、主砲の背負い配置もしてないとか、ボロっちいというか、独自路線全開な感じが素敵なんですよね


(2003/8/10更新)
戦艦インペラトール・ニコライ1世

イタリア


(2003/1/6更新)
高速戦艦フランチェスコ・カラッチェロ級

ドイツ


(2002/12/16更新)
航空母艦グラーフ・ツェッペリン級
グラーフツェッペリンはドイツ初の航空母艦として計画されました。
起工は1936年で40年末には完成するはずだったんですが、ドイツは39年9月に開戦し、ツェッペリンの工事は中断されてしまいます(もっとも、そのままじゃ完成できなかったような)
42年に工事再開となりましたが43年には大型艦建造中止の命令を受け、結局完成しなかったんです。
さて、ここで、ツェッペリンの工期を冷静に数えて見ましょう。
起工 36年12月28日 進水 38年12月8日
まあ、ほぼ2年で進水、もともとの予定では40年末完成って話ですから、艤装工事は2年あれば良かった訳です。
工事中止は40年6月ですので、単純に考えると、あと半年で完成って所だった訳です。ちなみにこの時点で進捗率88%だったそうです。

42年5月、工事再開です。まあ中断の影響を考えても43年に入る頃には完成していて良いですよね?
43年1月、工事中止・・・あれ? まだ完成してません。っていうか完成寸前だったら中止しないでしょうしねー。

ドイツ敗戦後、船体はソ連に持っていかれましたが、その時の写真を見ても、完成が近いとは思えません(あくまでも主観)

さて、何故そんなに遅れたのでしょうか?
理由は、ツェッペリンの図体の大きさにありました。他国の大型空母と比較して見ても、たぶん最も大きい部類に入ります。
勿論ドイツには溶接技術が有るので、それによる軽量化は期待できるのですが、恐らく確実に重量が予定を超過していたと考えます。
この為、工事再開の時に、ツェッペリンは巨大で不細工なバルジを舷側に貼り付けています。
バルジを貼るのが大好きな海軍といえば日本とアメリカですが、彼らの美意識から一万光年ぐらい離れたデザインで欧州の歴史を感じさせます。どうでもいい事ですが、私はこのバルジを見て、プリエーゼシリンダーの実験に使われたタンカーを思い出しました。

さて、ツェッペリンはつまり、完成させる前に船体の浮力を取り直す必要があったのですね、恐らくそれが工事再開から7ヶ月経っても全然完成しなかった理由の一つだったのでしょう。
結局、二度完成させるチャンスはあったのです。40年の工事中止が無かったら、もしくは工事再開後にとにかく完成させちゃっていたら、どちらも『当初の予定』に従えば可能だったはずなんですけどね・・・。

ああ、ツェッペリンは日本の空母の情報を参考にしたともいわれてますが、まあ、手に入る限りの世界中の空母の情報を参考にしていたでしょうから驚く事でもないでしょう。
また、火薬式のす的なカタパルトが有名ですが、なんと、主砲はケースメイトでありながら連装です。ちなみに如何でも良い事ですが我が赤城の20糎主砲は舷側配置のも「砲塔」だったりします。世間は広いんですね。
この15糎砲はビスマルクの副砲なんかとしても使われた有名な砲ですが、ツェッペリンの砲は工事中止に伴ってノルウェーの海岸砲に持っていかれてしまったそうです。建造再開時も砲の装備場所は空所のままだったようですから、この砲の製造取得が出来なかったのかも知れません(作れないのではなくて、空母にまで割り当てできない)
だったら素直に大砲諦めて高角砲だけにすれば良さそうな物ですが(少しは軽くなるし)もしかすると高角砲も割り当てできなかったのかもしれません。

結局のところ、ツェッペリンは欲張りすぎた空母だったのでしょう。
凄いカタパルト、充実した防御、凄い速度、長い飛行甲板、強烈な主砲、多数の対空砲、そして結構充実した航空機搭載能力と、実に多岐にわたってカタログ上は超一級品です。
ですが、空母を実際に使った場合に一番問題になる航空艤装は、結局作って経験してみないと駄目な部分があります。ツェッペリンはまず完成させて、そしてドイツ軍が「空母とはどういう代物なのか、どういう設備や用法が望ましいのか」を知る為の第一歩となるべき存在であり、その場合、最も求められるのは、とにかく完成して存在する事だったはずです。
恐らく、ツェッペリンが完成しても、マトモに使いこなすには数年は必要だったはずで、その数年間は、ツェッペリンの強力な武装も防御も事実上無意味です。そしてドイツ軍が求める空母の姿形がはっきりと見えるころ、それはツェッペリンとは異なる空母になったかもしれません。やっぱり、ツェッペリンは見かけだけ凄くて内実の伴わない、如何にも第二次大戦時のドイツ大型戦闘艦艇の典型例だったのかもしれません。

(2003/9/23更新)
(2003/9/25更新)
大型巡洋艦マッケンゼン(未成艦)
この艦はジュットランド海戦以前に起工されており、いわゆるポストジュットランド戦艦ではありません。
しかしながら帝政独逸初の12インチを超える主砲を搭載したいわゆる超弩級巡洋戦艦でありライオン級(英)・金剛型(日)に比すべきもので、かつ弩級戦艦に匹敵する防御力はクィーンエリザベス級(英)と共に高速戦艦のパイオニア足り得る存在でした。
主砲は正350mmで英国超弩級艦標準の13.5インチ(342.9mm)、日米超弩級艦標準の14インチ(355.6mm)の中間で他国に例を見ない珍しい口径でした。
艦形は大型巡洋艦(巡洋戦艦)デアフリンガーから採用された平甲板型で独逸主力艦としては異彩を放っています。
また独逸主力艦としては初めて舷側主甲帯内部の傾斜甲板を廃止しており独逸新世代設計艦の嚆矢とも言えるでしょう。
4隻が計画・起工されマッケンゼンとグラフ・シュペー2隻が進水までこぎつけたものの結局完成されずに敗戦を迎えました。
常備排水量31000トン、全長223m、9万馬力、27ノット、兵装350mm/約42.5×2×4、149mm/42.4×14、88mm/約42.5高角砲×8、60cm水中魚雷発射管×5

(2003/9/24更新)
(2003/9/25更新)
大型巡洋艦ヨルク代艦(未成艦)
本級は第二帝政独逸最後の建造が承認された主力艦です。
起工自体はジュットランド後ですが設計は海戦以前に完了していたのでこの艦もポストジュットランド戦艦ではありません。
ただし起工後、上部構造物や細部の設計に若干手が加えられており戦訓がいくばくか生かされてはいるようです。
巷間大巡マッケンゼン級とほぼ同じ船体に戦艦バイエルン級の38cm砲を搭載した改良型とされますがそれにしてはかなり差異が見られます。
例えばマッケンゼンは独逸主力艦としては初めて舷側主甲帯内部の傾斜甲板を廃止したのですが、このヨルク代艦では何故かその傾斜甲板が復活しています。これ以降の大型巡洋艦では全てマッケンゼン式を踏襲しているので尚更違和感を感じます。
3隻が計画されましたが起工は1番艦のみ、さらに工事中止により未成に終わりました。
常備排水量33500トン、全長227.8m、10万馬力、26.5〜28.75ノット、兵装380mm/42.4×2×4、149mm/42.4×12、88mm/約42.5高角砲×8、60cm水中魚雷発射管×3(5?)

オーストリア・ハンガリー帝國

(2003/10/13更新)
モナーク代艦(未成艦)
フィリブス・ウニティス級承認直後、「モナーク代艦」あるいは「テゲトフ級(フィリブス・ウニティス級)改良型」と呼称されるその次の戦艦計画が考えられました。
本級の最初の設計案は海軍に先行してスコダ社からの提案だったと言うのは面白い事実です。スコダ社はフィリブス・ウニティス級の30.5cm主砲開発後、続いて34.5cm主砲を開発する事を計画しておりこれを搭載した新戦艦の建造を希望していました。しかしこれは海軍当局の拒否する所となりあらためて各種設計案が練り始められます。
排水量はドッグの大きさから23800トンと制限されましたが、主戦場をアドリア海と限定し燃料搭載量を切り詰めればより大きな敵国同世代艦に伍する事ができると考えられました。航続力のより積極的な対策として同盟国独逸でも当時検討中だったディーゼル・タービン併用も考えられたものの、結局技術的難度の高さからこの案は放棄されました。
紆余曲折の末、主砲は独逸次世代巡洋戦艦マッケンゼン級と弾薬互換性を持たせるため35cmと決定しあらためてスコダ社に開発が命じられました。
排水量制限から1・4番砲塔を3連装、2・3番砲塔を連装とし、後部艦橋及び後檣も省略され、、さらに当初小さな船体に20門前後もの装備が要求され2段式砲郭まで考えられた副砲も14門にまで減らされ通常の砲郭装備となりました。
このような設計陣の努力と、予算獲得のため皇帝自ら大臣の説得に当たるなどの苦労の末、本級は建造実現目前までこぎつけます。
しかしそれもサラエボの一発の銃弾による他でもないオーストリア皇太子フェルディナンドの死、世界大戦勃発により全て水泡に帰してしまったのでした。

常備排水量24500トン、全長173.5m、3万1千馬力、21ノット、兵装350mm/約42.5×3×2+2×2、150mm/約47.5×14、90mm/約42.5×8、90mm/約42.5高角砲×12、56cm水中魚雷発射管×6

ギリシャ


(2003/8/23更新)
戦艦サラミス

韓国海軍


(2006/6/25更新)
KD-III「安龍福級」イージス駆逐艦

補助艦艇規格

デンマーク

海防戦艦ペデル・スクラム
(2003/11/21更新)


防空艦アドラー
(2003/11/21更新)
海防戦艦ペデル・スクラム(デンマーク)/防空艦アドラー(独逸・未成)
本艦はヘルルフ・トローレ級3隻の最終艦として1909年コペンハーゲンのデンマーク海軍工廠で竣工しました。
第二次大戦中は独逸の保護占領下、デンマーク沿岸艦隊旗艦の任に着いていました。
しかし1943年8月29日独逸による戒厳令が宣言されデンマークは無政府状態に陥ってしまいます。
デンマーク陸軍は独逸軍により武装解除されますがこの事を予期していた海軍司令ヴェーデル中将の命令により コペンハーゲン港のデンマーク艦隊はペデル・スクラム以下ほぼ全艦が自沈して果てました。
しかしながらペデル・スクラムは独逸の手によって浮揚されアドラーと改名され係留練習艦として再利用されてしまいます。さらに独逸海軍は本艦を防空艦として改装する計画を練ります。
ですがこの計画は頓挫、1945年4月キール軍港にて今度は連合軍の爆撃によって2度目の沈没の憂き目に会います。
戦後彼女は再び浮揚され生まれ故郷のコペンハーゲンに帰る事が実現しますが、哀しい事にそれはスクラップとなるためでありました。

海防戦艦ペデル・スクラム
常備排水量3735トン、全長87.4m、5千4百馬力、16ノット、兵装240mm/43×1×2、150mm/50×1×4、75mm×10、45cm水中魚雷発射管×4
防空艦アドラー
兵装105mmL60.46高角砲×1×6、40mmL56対空機関砲×1×4、20mmL65対空機銃×2×4


日本戦車
解説協力:胃袋3分の1さん     .
  川邑榊(D▽K社・特車事業部)さん.
    戦艦乞食さん     .


(2002/9/8更新)

カト車
このデザインになった経緯はこちらを参照


(2002/9/10更新)

試製十糎砲戦車 ホリ

独戦車


(2003/3/3更新)

PzKpfw V Ausf.F Panther V号戦車F型 パンター
パンター最後の改良案。
最大の特徴はステレオ式測距儀を備えたシュマールトゥルム(狭幅砲塔)と呼ばれる新型砲塔で、防御力を強化しつつ砲塔の軽量化を果たしている。
車体はG型のものの改良型が用いられる予定で、車体と砲塔が数両分製造されたものの、完成した実車は無かった。

全長:8.86m 全幅:3.44m 全高:2.92m 重量:45t マイバッハHL230 12気筒ガソリン:700hp 最大速力:55km/h
武装 KwK42 70口径7.5cm戦車砲 MG42 7.92mm機関銃 MP44 7.92mmサブマシンガン 乗員:5名


(2006/4/7更新)

E-10 駆逐戦車
E-10はドイツが大戦末期に計画したEシリーズのうち、E-5に次いで二番目に小型の車両である。
38(t)の後継と位置づけられ、自走砲型や兵員輸送車型などが計画されていた。
その中でも、ある程度まで設計が進んでいたのがヘッツァーの後継にあたる駆逐戦車型だった。

E-10駆逐戦車は、ソ連戦車のように後部にエンジンと変速機をまとめ、
内部空間をあまり必要としない新型のサスペンションを採用するなどし、
車内の戦闘スペースを確保しつつ全高を抑えた設計になっていた。
戦闘時には車内からサスペンションを操作し、より姿勢を低くする機構も搭載された。
また、エンジンも新型の強力なものを搭載し、最高速度は70km/hに達する見込みだった。

このように数々の新機軸を取り入れたE-10であったが、
無難にヘッツァーを拡張した38(d)駆逐戦車との競作に敗れ、計画は中止された。
重量: 不明 乗員: 3名 エンジン出力: 400-600hp (ガソリン) 速度: 70km/h
武装: 48口径75mm砲 *1
装甲: 前面-30-60mm(60度傾斜) / 側背面-20mm


(2006/4/7更新)

E-50 中戦車
大戦末期にドイツが開発を進めていたEシリーズの一つ。
E-100、E-75に次いで3番目に大型のタイプで、位置づけとしては5号戦車パンターの後継であり、主力戦車としての活躍が期待されていた。
重量: 60t 乗員: 5名 エンジン出力: 800hp以上 (ガソリン) 速度: 60km/h
武装: 70口径75mm戦車砲KwK44 x1
装甲: 砲塔前面120mm 車体前面90mm(60度傾斜)

蘇戦車


(2002/10/27更新)

Object220(KV-3) 107mm砲搭載型


(2006/3/1更新)
(2006/3/2更新)

KV-4 超重戦車(ツェイツ技師案)
1941年に開発が始められ。ペーパープランに終わった超重戦車。
107ミリZIS-6戦車砲と125〜150mmの装甲を備える予定で、
完成すれば世界最強の車両になるはずだった。
これまでに無い巨大戦車ということで数々の試案が作られたが、
結局独ソ開戦により開発中止に追い込まれている。

このアイコンはツェイツ技師の設計を基に描いたものである。
KV-4の試案には奇をてらった新機軸を取り入れたものが多いが、
この案はその中で比較的オーソドックスな設計にまとめられている。
主だった特徴は次の通りである

・エンジンを後部に、変速機を前部に配置している
  当時のソ連戦車は後部にエンジンと変速機をまとめるのが一般的。
・副砲を装備していない
  107mm砲の発射速度の遅さを補うため45mm砲を装備した案が多かった。
・車体前部に火焔放射器を装備
  火炎放射器を装備する案は他にも幾つかあった。
・巨大な砲塔
  砲塔内には砲弾が縦に置かれる予定だった。
  スペースにも余裕があり他の案に比べ主砲発射速度などで優れると思われる。

90トンの巨体ながら1200hpの強力なエンジンを備え、
最高速度は45km/hに達する予定だった。
装甲は前面が130mm、側面と背面が125mmである。
前面装甲は車体・砲塔ともに傾斜がつけられており、150mm程度の垂直装甲に相当する。
主砲のZIS-6は重量18.9kgの徹甲弾を初速800m/sで発射可能だった。
重量: 90t 乗員: 7名 エンジン出力: 1200hp 速度: 45km/h
武装: 48.6口径107mm戦車砲 *1 7.62mm機関銃 *2 火焔放射器 *1
装甲: 前面-130mm(傾斜30度) 側背面-125mm

ハンガリー戦車


(2003/8/3更新)

タス重戦車
1943年春(夏?)ハンガリーにおいてトゥラン中戦車の後継車輌開発が決定しました。同盟国である独逸のパンター及びティーゲルを意識して設計された本車はパンターと同じ75mmL70を載せていますが、希望したマイバッハHL230エンジンの方はライセンス許可が下りず止む無くトゥランの物を2つ組み合わせて搭載。38tと言う重量の割りに車体が巨大化したのはこれが理由でした。
装甲や避弾経始などもパンターに匹敵する極めて野心的な設計でしたが、2輌製作中だった軟鋼製プロトタイプ(主砲は75mmL43を仮載)が1944年7月27日アメリカの爆撃によって破壊され開発が途絶されてしまいました。
なおプロトタイプの2輌は微妙にバージョンが異なっているらしいのですが、本アイコンは一般に量産型と伝えられるタイプをとってみました。


(2003/8/3更新)

タス駆逐戦車
タス重戦車と共に同じ車体を利用して開発されました。
武装は量産型では88mmL71を搭載するらしいのですが、伝わる図面では88mmL56となっており本アイコンも後者の方の再現です。
タス重戦車同様軟鋼製プロトタイプが2輌製作中でしたが、タス重戦車とともに失われてしまいました。
重戦車・駆逐戦車とも生産上最大のネックは主砲でした。トゥラン戦車・ズィリニイ駆逐戦車用75mmL43の生産さえままならない状況では・・・

未成計画アイコンとは
 未成計画アイコンは「試作で未完成の物や開発中止となり動く状態とならなかった物」や計画段階の図面から作ったアイコンなどと定義しています。
 そのため、資料の図面などに欠落があった場合、「作者が想像により補っている箇所がある」事をご了承の上ご使用になって下さい。