(2002/12/15更新) | 航空母艦レキシントン級(完成時)- ワシントン条約では未成戦艦の内の二隻を空母に改造することが認められ、日米英の三国はこの枠にいずれも高速の巡洋戦艦を充当しました。レキシントン級はそれらの中で最も実用的なレイアウト(一枚飛行甲板、右舷艦橋煙突)を採用し、日英のライバル艦を速度、搭載機数、そして主砲の火力で上回る最大最強艦として君臨しました。
巡戦時代から配置に散々苦悩した煙路ですが、英海軍からの資料提供を受け、右舷甲板上に直立して配置する事で良好な成績を得ると共に、本級を印象付ける最大の特徴となりました。 機関部は巡戦時代から変わらず18万馬力の電気推進。電気推進には構造が複雑で重量がかさむ欠点があるものの、航続力を長く取れると共に高速巡航に向く利点があり、サンデェエゴ〜真珠湾間2500浬を平均時速34kt弱で走破した実績がある他、サンフランシスコで大規模な停電が発生した際に、サラトガが岸壁に横付けして電力を供給したエピソードがあります。 |
(2004/10/7更新) (2004/11/3更新) | 航空母艦ヨークタウン- アメリカは試作艦であるラングレー、改造艦であるレキシントン級2隻、そして小型のレインジャーと4隻の空母を建造してきたが、この時点で、ワシントン海軍軍縮条約に定められた空母の保有限度に対して、約5万4千tの残量があった。この制限一杯を使って建造する方針を定めたアメリカは、いくつかの案の中から2万t級2隻と、それよりやや小さい1万4千5百t級1隻の計3隻を建造する事にした。このうちの、前者がヨークタウン級であり、後者がワスプである。
ヨークタウン級は、前級であるレインジャーの拡大改良型であるが、レインジャーが搭載機数の増大ばかりを追及して防御力が皆無に近く、速力も低かった事から、その点の改良に主眼が置かれた。したがって、搭載機数は最大90機とレインジャーの86機とほぼ同じであったが、この点については各段に改良された。まず、水線には104mm、甲板には38mmの装甲が張られ、5万馬力強だったエンジンは12万馬力のものになった。この結果、30ノット弱だった速力は33ノットに増やされた。なお、
両舷に配置されていた起倒式の煙突は1本にまとめられて上部構造物と一緒にされ、右舷に寄せられた。127mm高角砲も単装8基と言う点では同じであったが、25口径だったものが38口径の新式のものに変更されている。 ただ、当初、予定されていた高温高圧の新式ボイラーの採用は予算と信頼性の問題から見送られ、重巡洋艦用のものが使用された。しかも、重巡洋艦の整備が優先された結果、1929年に建造が決定されたものの、実際の予算化は1933年度となり、起工は1934年にずれ込み、1936年に(CV5)ヨークタウン、(6)エンタープライズと命名された2隻は1937年と38年に竣工した。なお、艦名は独立戦争でアメリカ軍の勝利に終わったヨークタウンの戦いと同戦争等で活躍した軍艦を記念したもので、エンタープライズは「冒険」を意味する(なお、エンタープライズには「企業」と言う意味もあり、アメリカは「会社」等と言う艦名をつけて平気であったと揶揄される事もあったようだが、イギリスにも同名の巡洋艦があり、こちらも「冒険」の意味である) 2隻の運用実績は良好
であり、1937年の条約切れ後の最初の空母は、その準姉妹艦として建造される事になった。若干の改正は施されたが、前級のワスプが新型のエンジンを採用していたにも関わらず、ヨークタウンと同じものが搭載された。1939年に起工、40年に進水した同艦は、エンタープライズと同じくアメリカの初期の軍艦の名をとって(CV8)ホーネットと命名された(この艦名はワスプと同じく「雀蜂」を意味するが、ワスプの方が示す範囲は広いようである)。 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃した時、10月20日に竣工したばかりのホーネットは大西洋岸のノーフォークで就役訓練中、ヨークタウンも大西洋にあり、残るエンタープライズはウェーク島から真珠湾へ帰投中であった。この時、エンタープライズ搭載機の一部は日本艦隊の攻撃の最中にハワイに到着しており、もう少し攻撃が遅ければ同艦も沈められていた可能性があった。しかし、幸運はこの艦の上に輝き続け、東京空襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、ソロモン海戦、南太平洋海戦と闘い続け、数度の被爆に遭い、2隻の姉妹艦を失ったにも関わらず、
新鋭空母と伍して戦争終結時まで闘い抜いた。また、1943年には大規模な改修を受け、満載排水量3万2千tと言う大型空母に生まれ変わり、戦訓に従って水中防御力を増大させた。その後、保存運動も起きたが、1958年に解体された(本艦の三脚檣はアナポリスの兵学校に記念として残された)。なお、この栄光の艦名は史上初の原子力空母ならびにスペース・シャトルの艦名として踏襲され、さらにはドラマ、スター・トレックの宇宙船の艦名にまで採用された。 一方、ヨークタウンは珊瑚海海戦で大破したもののきわめて短時間で修理を行ってミッドウェー海戦に参加、飛龍搭載機の爆撃を受けて損傷後伊168の発射した魚雷を受けて沈没した。 また、ホーネットは東京空襲に参加する等奮闘を続けたが、南太平洋海戦で雷爆撃機の攻撃を受けて大破炎上後放棄され、一時は日本まで曳航しようかと言う話もあったが、結局、駆逐艦の雷撃を受けて沈没した。 相対的に、このクラスは非常にバランスのとれた中型空母と言えたが、水雷防御については不足があったようで、2艦ともその弱点
を衝かれた形になった。ただし、その就役時期もあって、その戦歴は見事なものがあり、第2次大戦の初期において最も活躍したアメリカ艦艇であったのではないかと思う。
満載排水量25484t 246.7x25.4x6.6m タービン4軸 1万2千馬力 32.5ノット 航空機90-100機 127/38mm砲単装8基 乗員2200 |
(2004/11/1更新) | 航空母艦エセックス- 1936年末の海軍軍縮条約失効により、アメリカは新たな空母の建造に着手する事が出来る事になった。最初の艦はヨークタウンの改良型となったが、第2次世界大戦の勃発により、第3次ヴィンソン・プランとして近代的な大型空母の建造が計画される事になった。これがエセックス級である。
ベースとなったのはヨークタウン級であるが、計画は脆弱性を指摘されていた飛行甲板の防御を中心に進められた。ただし、飛行甲板に装甲を施すと排水量が大きくなるにもかかわらず、搭載機数が減少する事から、最終的に格納庫甲板に76mmの装甲を張ることで設計は確定した。 ヨークタウン級の25%増の90機とその半分の予備機の搭載が求められた事もあって、搭載機数の増大には留意され、100機以上を余裕で搭載できたようである。同時に、サイド・エレヴェーターを採用し、前後と合わせて3基のエレヴェーターの搭載し運用効率を高めていた。また、127mm高角砲は連装4基、単装4基とヨークタウンの1.5倍に増やされ、33ノットの高速発揮のため15万馬力の蒸気タービンが搭載された。 しかし、その最大の特徴は、建造数であった。最終的には32隻と言う大量の同型艦が発注され、すべては建造されなかったものの26隻が起工され、うち2隻は建造中止となったものの、残り24隻もの多数が竣工したのである。うち、戦争に間に合ったのは17隻で、軽巡洋艦改造のインデペンディンス級軽空母とともに高速機動部隊を編成、日本艦隊を圧倒した。 戦争中にエセックス級各艦は特攻機の突入、爆撃等により損傷を受けたが、(CV13)フランクリンが大破、予備役に編入され復役することなく戦後に解体されたが、1隻の喪失艦も出さずに戦争を乗り切った。しかし、同級で雷撃を受けた艦は1隻もなく、戦訓により改正された後期建造の長船体型であるならともかく、前期型の場合、多少の不安はあったようである。 戦後、SCB27A、SCB27C改装を実施してジェット機の運用を可能とし、さらに初期から中期の建造艦から順にSCB125改装を実施してアングルド・デッキ、エンクローズド・バウを採用、ヴェト=ナム戦争に参加した。さらに一部の艦は1960年代にFRAMII改装を実施して艦齢の延長を計った。しかし、後期建造艦に改装を施す頃にはより有力なフォレスタル級が就役しつつあったので、この改装が施されずに終わったものも多い。その中で例外だったのが、(CV34)オリスカニーで、戦争の終了により放置されていたものを設計変更して1950年に同級中、最後に竣工、改装を重ねて同級の中では最有力の空母となり、1966年にヴェト=ナム沖で事故により大損害を被るも復活し、1976年まで使用された。 同級のほとんどは1952年に攻撃型空母(CVA)に類別変更され、逐次、対潜空母(CVS)として第2線任務に移ってから1970年代に除籍された。しかし、一部は練習空母(AVT)や強襲揚陸艦(LPH)として使用され、1975年にはオリスカニーと(CVA19)ハンコックが空母(CV)に類別変更されたが、じきに除籍された。 1980年代になっても使用されていたのは練習空母となった(CV16)レキシントン(戦没した先代を襲名したもの)で、1991年11月26日に同級中、最後に除籍された。しかし、エセックス級の歴史はこれに終わったわけではなく、
解体を免れた数隻が残っており、ニュー・ヨークの(CV10)ヨークタウン(襲名)や(CV11)イントレピッドのように、多くが記念艦としてその栄誉を伝えている。
新造時のエセックスの要目 基準排水量27208t満載排水量34881t 全長265.78(長船体型270.66)m 水線幅28.34m 全幅44.95m 最大喫水8.38m タービン4軸 150000shp 32.7knt 航続距離15000nm/15knt 127/38mm連装砲2基、同単装4基 40mm4連装機関砲8基 20mm単装機関銃46基 航空機91機 乗員2682人 |
(2005/1/19更新) | 護衛空母サンガモン- アメリカ海軍は貨物船を改造したボーグ級護衛空母の建造を進めていたが、24隻の予定のうち、4隻の調達ができなかった。そこで、この4隻分を海軍艦艇の改造で振り替えることとし、シマロン級給油艦12隻の中の4隻が選ばれた。
もっとも、このシマロン級は海軍艦艇と言っても、建造中の民間タンカーを海軍が譲り受けて給油艦としたもので、民間ベースである事に違いはなかった。ただ、ボーグ級のもとになったC3-S-A1型戦時標準船よりも一回り大きな船体を有しているため、より有力な空母になると期待された。また、給油設備も残されたため、船団護衛任務には最適であると考えられていた。 ただし、1942年8月から9月にかけて相次いで竣工した4隻の初陣は11月の北アフリカ上陸作戦への支援であった。翌年、太平洋戦線に移動した4隻は、正規空母への航空機補充任務を中心に活動、ボーグ級の20機に対して、2倍近い36機の搭載能力を活かし、1943年から45年にかけて大量に竣工したカサブランカ級、コメンスメント・ベイ級とともにアメリカ艦隊の戦力を後方から支え続けた。 したがって、この4隻が第1線で戦うというのは想定されていなかったが、1944年10月25日、突然、実戦に放り込まれる事になる。この時、同級の(CVE26)サンガモン、(27)スワニー、(28)シェナゴー、(29)サンティーの4隻はT・L・スプラーグ少将の指揮下、第22空母戦隊を編制、第28空母戦隊の護衛空母(CVE82)サギノー・ベイ、(80)ペトロフ・ベイ、駆逐艦3、護衛駆逐艦5隻とともに第77任務部隊第4群第1隊(タフィー1)としてレイテ湾にあったが、同姓のC・A・F・スプラーグ少将の率いる同群第3隊(タフィー3)の護衛空母群が日本艦隊と遭遇したとの連絡が入り、急遽、搭載機を派遣する事になったからである。 また、関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊の第1陣が上空に飛来しスワニーとサンティーに突入した。その後、サンガモンに特攻機が突入したが、すべて戦列に復帰できたのは、船体の大きさも含めて丈夫だったからかも知れない。 その後、沖縄戦に参加した4隻のうち、シェナゴーが特攻機の突入を受けて損傷し、全艦が特攻の洗礼を受ける事になるのだが、
45年5月4日、サンガモンに突入した特攻機が与えた損害は大きく、アメリカ本土に帰還はしたものの、そのまま全損となり、戦後すぐに解体された。 残る3隻は戦後も保有され、1955年にはヘリコプター空母(CVHE)に艦種変更されたが、現役に復帰する事はなく、1959年にそろって除籍後解体された。
満載排水量23235t
168.56x22.86(飛行甲板153.0x25.91)x9.27m タービン2基2軸16900shp 19ノット 127mmIx2 40mmボフォース機関銃4連装x2+連装x12=32門 航空機36機(最大) エレヴェーターx2 乗員1100 |
(2007/1/22更新) | 戦艦テキサス(Texas)- 従来のモニターを主力とする沿岸防御海軍から”航洋海軍(ニュー・ネイビー)”への脱却を図る米海軍により建造された最初の装甲艦です
1886年計画で認められた2隻の”二重底装甲大型艦”の1隻目で、建造法案の条文により船体、装備の国産化が義務付けられていました。しかし設計はコンペティションの結果イギリス、バーロー社の案が採用されその設計に基づき海軍工廠にて建造されました(もう1隻のメインは海軍省の設計) すでに英国では中心線上の前後に連装砲塔を1基づつ搭載する近代的なアドミラル級の建造が進んでいました。しかし、認められた排水量が6.000tに過ぎなかったため装甲区画を局限し、併せて首尾線砲力を強化できる梯形配置の中央砲塔艦として建造されました。この砲塔には10.000t級戦艦並みの12in砲が1門づつ装備され正前後左右には2門づつ指向することができましたが極めて接近していたためほとんどの方向には1門しか向けられませんでした。この中央砲廓は2基を一緒に12inの装甲囲壁で囲まれその他の上構
は無防御でした。舷側装甲は同じく12inですがやはり機関部に局限されていました。また副砲の6in砲は中心線上前後に1門づつ、船体前後舷側部のスポンソンに1基づつの6門が装備され、舷側方向には4門、首尾線方向には3門が指向できました。機関は従来の横置きレシプロ機関から英国でもヴィクトリア級で採用されたばかりの直立(倒立型)3段膨脹式が採用され排水量の制約の中で8.600hpを発揮、17ktの速力を得ました アイコンは1898年、米西戦争中のグレー塗装の本艦です。初の大型航洋艦である本艦の設計、建造には相当の困難があったようで計画後進水までに6年(起工後3年)さらに艤装に3年を費やし1895年8月に竣工しました。米海軍が経験する初めての対外近代戦となる米西戦争の際には偵察部隊の1隻として参加、サンチャゴ海戦に参加しました。1911年新たに建造される超ド級戦艦に船名を譲り”サン・マルコス”と改名した後、同年10月除籍の上標的艦として処分されました。ちなみに1920年7月より採用された艦番号システムで戦艦は”BB"で始まる通し番号が与えられましたが、
通常米戦艦の嚆矢とされる本艦とメインの2隻は2等戦艦とされ番号は与えられませんでした
計画時の要目 常備排水量6.315t 94.2m*19.5m*6.9m 計画出力8.600hp 速力17.0kt 12in単装砲*2 6in単装砲*6 6pdr単装砲*12 14in魚雷発射管*4 |
(2007/1/22更新) | 戦艦メイン(Maine)- 1886年計画で認められた2隻の”二重底装甲大型艦”の1隻で3檣バーク型汽帆走の装甲巡洋艦として計画されましたが、完成後メインマストは撤去されその火力、装甲から戦艦として扱われました。設計、建造とも米国で行われた初めての大型航洋艦で(サイズ的にはより大型のモニターが存在しましたが)、当時南米最強だったヒアッシェーロ級露砲塔艦を参考にして設計されました
テキサス同様梯形配置の主砲を持っていますが両舷への射界を確保するため前後離れた位置に搭載されたため一つのリダウトに装備できず個別に11inの装甲で防御されています。10n砲が2門づつ装備され2砲塔を向けられる範囲はテキサスより大きいように見受けられますが反対舷への射界はやはり限られていました。舷側装甲はテキサスと同じく12inで主砲塔が離れて装備されているためより広い範囲が防御されています。副砲の6in砲は船首楼、船尾楼の両舷にそれぞれ1門づつ、最上甲板の煙突両脇に1門づつでやはり首尾線砲火を重視した配置でした。機関はテキサスと同じく直立(
倒立型)3段膨脹式が採用されましたがより痩せた船型のためか缶は前者が4缶にたいし小容量のもの8缶となっています アイコンは完成後メインマストが撤去された後の姿で、船体は白、上構は黄色の平時塗装です。テキサス同様設計建造に手間取り計画後進水までは3年でしたが装甲鈑の供給が不足し工事中断、進水後、竣工にいたるには5年掛かりました。また設計の不良から竣工後艦首吃水が90cm深いことがわかり48tのバラストを搭載しました。1895年9月に竣工した本艦は1898年1月、独立運動に揺れるキューバ在住の米国人保護の目的でキューバに派遣されましたが翌2月15日、原因不明の爆発を起こし沈没、乗員355名中260名の死者行方不明を出す惨事となりました。従前よりキューバ独立運動の報道で部数を伸ばしていたハーストは自誌の”ニューヨーク・ジャーナル”でこの事件をスペインの破壊活動によるものとし”リメンバー、ザ、メイン!”の合言葉のもと米国民を扇動、米西戦争の発端となりました。現在でも爆発の原因は不明のままですが炭庫あるいは弾薬庫による内部からの爆発が有
力視されハーストが報道したような”秘密艤装爆破装置”によるものでは無いのは確実なようです
計画時の要目 常備排水量6.682t 97.3m*17.4m*6.6m 計画出力9.000hp 速力17.0kt 10in連装砲*2 6in単装砲*6 6pdr単装砲*7 14in魚雷発射管*4 |
(2007/1/22更新) | 戦艦インディアナ級BB-1インディアナ(Indiana Class)- 1890年計画で建造された列国海軍に比肩し得る初めての10.000tを超える本格的戦艦です。前後部中心線上に連装の主砲塔を有する近代的戦艦ですが砲兵装、装甲は列国海軍並みとしながら10.000t級としたため低乾舷で航洋性の無いモニター的思想から脱しきれない艦でした(事実、予算上は”航洋海防戦艦”と言う難解な分類になっています)
船体は平甲板型とし主砲は列強の12inより1in大きい13in(同時期の英ロイヤル・ソヴェリン級は13.5in砲を露砲塔に装備)、その前方射界をクリアーにするため前甲板はほとんどシェーアが無くその低い艦首乾舷を補うためのブルワークが設けられています(この特徴はサウス・カロライナ級まで続きました)。また、世界に先駆け中間砲の8in連装砲塔を片舷2基づつ中央部上構上部に装備、その高さによる射界の広さも相まって火力は列国随一といってよいものでした。装甲は水線18in、砲塔15in、バーベット17inでほぼロイヤル・ソヴェリン級に準じますが従来のニッケル鋼より強度の高いハーヴェイ鋼が開発されたため、建造中設計
を変更採用されています(英は1892年計画のリナウン以降採用)。主機はレシプロ2軸4缶で9.000hp、速力は比較的低速の15ktにとどまっています。 アイコンは1899年米西戦争後、平時塗装のインディアナです。本級3隻の建造は比較的順調で1895〜6年に就役しました。本級は米西戦争で海軍の中核として活躍、開戦時太平洋で警備活動についていたオレゴンはマゼラン海峡を経由する14.000海里の回航により大西洋艦隊と合流、サンチャゴ海戦に参加しました
計画時の要目 常備排水量10.288t 107.0m*21.1m*7.3m 計画出力9.000hp 速力15.0kt 13in連装砲*2 8in連装砲*4 6in単装砲*4 6pdr単装砲*20 18in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-2マサチューセッツ、BB-3オレゴン) |
(2007/1/22更新) | 戦艦BB-4アイオワ(Iowa)- 1892年計画でインディアナ級の改良型として建造されました。艦型は1.200t拡大、その重量を主に航洋性の改善に充て砲力は若干減じられました
艦首乾舷を高めるため船体中央部までの船首楼形式を採用、装備位置を高めた主砲は12inとし砲塔はムービングウェイトを用いたバランス構造としました(インディアナ級では前後主砲塔を片舷に向けると船が傾いた)。中間砲はインディアナ級では主砲に近接していたため相互にブラストの影響があったものを中央部に近接させることにより改善、装甲は設計時よりハーヴェイ鋼の採用が決まってたため前級より減じられ水線15inとし範囲を拡大しました(砲塔は変わらず)。主機はレシプロ2軸5缶で11.000hpに強化、速力は16ktとしました。当時米海軍ではメルヴィル提督の提唱により缶への送風圧力を高め出力の増大を図るための高い煙突が採用されており本艦の煙突も前檣見張り所を上回る高さとされました アイコンは1898年平時塗装のアイオワです。本艦は1897年に就役、米西戦争に参加しました。
WW1当時は訓練艦となり1919年には海防戦艦4号と改称、無線操縦の標的艦を経て1923年標的艦として処分されました
計画時の要目 常備排水量11.410t 110.5m*22.0m*7.3m 計画出力11.000hp 速力16.0kt 12in連装砲*2 8in連装砲*4 4in単装砲*6 6pdr単装砲*20 14in魚雷発射管*4 |
(2007/1/22更新) | 戦艦キアサージ級BB-5キアサージ(Kearsarge class)- 1895年計画で建造予定の3隻の戦艦は折からの財政難と民主党のクリーブランド大統領の返り咲きにより2隻に削減されアイオワよち1.000tの排水量増加しか認められませんでした。この制限の中で最大の攻防力の発揮を求められたのがキアサージ級です
主砲は再び13inとし、兵装重量を削減しながらインディアナ級と等しい片舷砲力を求められたため中間砲を主砲搭上に搭載する二重砲塔が採用されました。これにより従来艦の4砲塔に対して半分の2砲塔で同等の片舷4門指向を実現しましたが、爆風の影響、弾薬庫配置、揚弾機構の複雑化など問題も多く成功した配置とはいえませんでした。副砲は対水雷艇防御の重要性が増したためか大幅に強化され6in砲を14門装備しています。装甲はアイオワ級の14inから16.5in(舷側最大値)に増厚、防御の強化を図っています アイコンは1900年就役当時のキアサージです。本艦は州名を冠していない唯一の米戦艦で、南北戦争で南軍のアラバマを沈め1894年に難破した汽走フリゲートより襲名しています。1920年クレーン船に改造、1955年
除籍まで沈船引き上げ、新造船の艤装工事などに活躍しました 計画時の要目 常備排水量11.540t 114.5m*22.0m*7.2m 計画出力10.000hp 速力15.0kt 13in連装砲*2 8in連装砲*2 5in単装砲*14 6pdr単装砲*20 18in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-6ケンタッキー) |
(2007/1/22更新) | 戦艦イリノイ級BB-7イリノイ(Illinois class)- 1896年計画で、議会要求により従来艦と同じ11.000t級としながら列強より低く抑えられていたより速力、航洋性の向上をもとめられた戦艦がイリノイ級です
本級の計画時、米戦艦で完成したものはインディアナのみで充分な実績が得られていないため、より効率の高い設計を求めるため外国艦に範を採り、英マジェスティック級の影響を大きく受けています。主砲は13in砲を従来の円筒型ではなく英式の後部に膨らんだ楕円型とし内部容積を拡大、併せて前楯の傾斜により防弾効果を高めています。またキアサージの実績が得られていないため二重砲塔の採用は見送られ前部乾舷の確保のため長船首楼の採用に伴う重量増の代償に中間砲の搭載は断念されました。副砲を6inに強化しています。機関は従来と同じ円缶ですが舷側の炭庫よりの給炭を容易にするため横置きにされたため米戦艦では珍しい並列2本煙突となっています アイコンは1901年就役当時のイリノイです。本級の速力は計画データの上では15ktで従来と変わりませんが本艦は公試で17.45ktを発揮、設計要求にこたえています 計画時の要目 常備排水量11.565t 114.5m*22.0m*7.1m 計画出力10.000hp 速力15.0kt 13in連装砲*2 6in単装砲*14 6pdr単装砲*16 18in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-8アラバマ BB-9ウィスコンシン) |
(2007/1/22更新) | 戦艦メイン級BB-10メイン(Maine class)- 1898年計画艦で、イリノイ級3隻に加えた本級6隻での戦隊行動を念頭に置き、準姉妹艦として計画されましたが建造中に勃発した米西戦争の戦訓を取り入れた改善をうけ改設計の上建造されました
従来の15〜6ktの速力を列強並みの18ktにするため全長を5m延長、缶も新型の水管式とし、期間出力は60%増の16.000hpとしました。そのため3本の巨大な煙突が中央を占め外見上の特徴になっています。ミズーリとオハイオにはソーニクロフト缶、メインには二クローズ缶が採用されましたが後者の採用には当時の機関総監メルヴィル提督の反対があり、案の定成績不良で後にB&W缶に換装されています。主砲の12in40口径砲は、従来の13in砲35口径砲を上回る装薬量で初速も速く安定した弾道により命中精度も高かったといわれています。副砲は同じ6inですが50口径となっています アイコンは就役当時のメインです。本艦は米西戦争のきっかけとなった先代が爆沈してちょうど1年後の1899年2月15日に建造が開始され、艦名を引き継ぎました 計画時の要目 常備排水量12.846t 120.1m*22.0m*7.4m 計画出力16.000hp 速力18.0kt 12in連装砲*2 6in単装砲*16 3in単装砲*6 18in魚雷発射管*2 (同型艦 BB-11ミズーリ BB-12オハイオ) |
(2007/1/22更新) | 戦艦ヴァージニア級BB-13ヴァージニア(Virginia class)- 1899年計画で3隻、翌1900年度計画で2隻が建造されました。米西戦争の勝利の結果、太平洋全域が行動範囲となった海軍の要求により初めて列強並みの15.000t級とされた本格航洋戦艦です。米西戦争の戦訓(可燃物の極力除去、水密防御の強化、etc)を充分に検討のうえ設計されました
サンチャゴ海戦の際有効だった8in中間砲が復活、高所に装備できること、バーベット重量の節約によりさらに砲数を増すことも可能なため再び改良された二重砲塔が採用されました。揚弾装置の改良、中間砲装備位置の前進による爆風の主砲への影響の低減などが図られましたが、やはり主砲の発射速度への影響は避けられず以降この方式が採用されることはありませんでした。中間砲は両舷側にも1基づつ搭載され、片舷指向数は6門でした。船体には充分な艦尾乾舷が得られるためキアサージ級以来となる水平甲板型を採用、より高められた乾舷は全長で5.5mありました。主缶には二クローズ缶(ヴァージニア、ジョージア)、バブコック&ウィルコックス缶(ネブラスカ、ニュージャージー、
ロード・アイランド)が採用され出力は19.000hp、長大な船体の効果もあり速力は19ktとなっています アイコンは1907年5月のニュージャージーです。本級は準弩級艦として一級の戦力を有する戦艦でしたが建造に手間取り完成は1906〜7となってしまい、ネブラスカは英ドレッドノート竣工後の完成でした 計画時の要目 常備排水量14.949t 134.6m*23.3m*7.2m 計画出力19.000hp 速力19.0kt 12in連装砲*2 8in連装砲*6 6in単装砲*12 3in単装砲*12 21in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-14ネブラスカ BB-15ジョージア BB-16ニュージャージー BB-17ロード・アイランド) |
(2007/5/29更新) | 戦艦コネチカット級BB-18コネチカット(Connecticut class)- 1902年計画で2隻、1903.4年度計画でそれぞれ3隻、1隻が建造されました。ヴァージニア級の改良型で火力の強化がなされていますが、排水量の増加を抑えるため出力を減じ速力は18ktで忍びました
ヴァージニア級の完成以前に設計されていますが、二重砲等の採用は見送られ8in中間砲は連装4基を両舷側に搭載、常識的な配置になっています。そのため片舷指向数が6門から4門と減じられそれを補うためか副砲を6inから7inに強化、前級と同じく舷側ケースメートに12門を搭載しました。多数の大口径砲を片舷に指向しうる火力は一見強力ですが、砲火指揮は困難で射程の延伸による砲戦距離増大の傾向と相まって単一巨砲艦(弩級艦)の建造に踏み切る動機となったともいわれています。また、7in副砲は6inに較べ威力は増大していますが砲弾の重量が50%増の75kgもあり人力での装填は困難で発射速度が遅く、その採用は成功とはいえなかったようです 防御は前級とほぼ同じですが1903.4年計画艦4隻の水線装甲帯は9inに減らされています(1902年計画艦は11in)。前級に比べ速力は低下していますが効率の改善された機関により1割増の燃料で4割り増しの航続力を得ています アイコンは完成当時のコネチカットです。本艦は就役翌年、最新鋭艦として有名な”グレート・ホワイトフリート”の旗艦となり、432日.45.000海里に及ぶ世界周航の中心として活動しました 計画時の要目 常備排水量16.000t 139.2m*23.4m*7.5m 計画出力16.500hp 速力18.0kt 12in連装砲*2 8in連装砲*4 7in単装砲*12 3in単装砲*12 21in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-19ルイジアナ BB-20ヴァーモント BB-21カンザス BB-22ミネソタ BB-25ニューハンプシャー) |
(2007/5/29更新) | 戦艦ミシシッピ級BB-23ミシシッピ(Mississippi class)- セオドア・ルーズベルト大統領の下で続々と大型航洋戦艦が建造される中、小型戦艦有用論を唱えるかのマハン提督に影響された上院は1903年度予算で承認されていたテネシー級装甲巡洋艦2隻を小型戦艦建造に振り換える修正案を可決、本級2隻が建造されました
排水量はコネチカット級に比べ3.000t減としながら主砲、中間砲は同じ、副砲数のみ減じた設計は必然的に乾舷の低下を招き、航洋性の低い海防戦艦に戻った設計となりました 主砲、中間砲の配置はコネチカット級に準じますが復元性の確保のため後部主砲は船首楼後ろの低い位置に搭載され波浪の影響を受けやすい配置でした。副砲は片舷2門づつ減の8門、機関は10.000hpとされ速力は17ktに低下しています アイコンは完成当時のミシシッピです。本艦は就役後、世界周航で主力不在のなかカリブ海に威容を示しました。しかし17ktの速力は艦隊行動には不適で就役6年にして僚艦アイダホ共々敵対するトルコの弩級艦取得計画に憂慮するギリシャに売却、それぞれ”キルギス””レムノス”と命名、1941年のドイツ軍のギリシャ侵攻でサラミス湾に沈みました 計画時の要目 常備排水量13.000t 116.5m*23.5m*7.5m 計画出力10.000hp 速力17.0kt 12in連装砲*2 8in連装砲*4 7in単装砲*8 3in単装砲*12 21in魚雷発射管*4 (同型艦 BB-24アイダホ) |
(2008/2/7更新) | 戦艦サウスカロライナ級 BB-26 サウスカロライナ(SouthCarolina class)- 1905年計画の本級は12in砲8門を搭載する単一巨砲艦で、2隻が1910年に就役しました
3種類の重砲を搭載し射撃指揮が困難な(特に遠距離)コネチカット級の経験を踏まえ、同じ16.000t級の船体から中間砲以下を廃し砲兵装を12in連装砲4基に統一、当初これを菱形配置(首尾線、両舷に各一基)とする計画でしたが、後に設計が改められ前後に背負い式とした2基づつの砲塔をもつ、以後の砲戦型軍艦の標準となる革新的な配置を採用しました。これにより英ドレッドノートより1基少ない主砲塔ながら同等の主砲火力(片舷8門、首尾線4門)を持つこととなりました 補助砲としてはドレッドノート同様の対水雷艇防御用の3in砲を搭載22門上構各所に分散配置しています。船体は船殻重量の節減のため艦尾乾舷を低めた長船首楼型、装甲防御は集中防御とし併せて重量節減に配慮しています。攻防面では様々な新機軸を取り入れた本級ですが航続力の要求から機関はコネチカット級とほぼ同形式のレシプロ2軸ととされたため速力は18.5ktにとどまりこの点では英ドレッドノートに後れを取っています アイコンは1911年の写真元にしたのサウスカロライナです。本級は設計はドレッドノートに先んじたものの完成は1910年で単一巨砲艦の嚆矢の地位を得ることは出来ませんでした。また以降の米戦艦が20kt以上の速力になったことによりその価値を減じWW1時は砲術練習、船団護衛などの補助的任務に従事、ワシントン条約後1921年除籍となりました 計画時の要目 常備排水量16.000t 138.1m*24.4m*7.5m 計画出力16.500hp 速力18.5kt 12in連装砲*4 3in単装砲*22 21in魚雷発射管*2 (同型艦 BB-27ミシガン) |
(2008/2/7更新) | 戦艦デラウェア級BB-28 デラウェア(Delaware class)- 1906年より新造艦の立法処置の際に課せられていた排水量制限が撤廃されることとなり、列国の新造艦を一気に凌駕する20.000t超の巨艦として1906.7年計画で各一隻を発注、共に1910年に就役しました
英独の計画艦を上回る片舷10門の射線を得るため全長を20m延長、艦尾に主砲を一基追加しています。副砲も大型化する駆逐艦に対抗するため復活、発射速度の速い5in砲を14門搭載しています。船体は前級と同じく長船首楼ですが乾舷が高められているため艦尾甲板が波に洗われるという欠点は改善されています 機関出力は50%増とし船体延長とあいまって速力は21ktを発揮、機動性の点でも列強弩級艦並となっています。機関形式はネームシップは従前のレシプロ機関ですが、2番艦のノースダコタでは試験的にカーチスタービンを搭載しましたが信頼性に問題があり燃料消費も大きく、1917年には英製のパーソンズタービンに換装しました。サウスカロライナと同じく建造中にケージマストが採用されましたが煙突後すぐに3番主砲塔があるため後檣は煙突間に設置、前後檣が近接する特徴あるプロフィールとなっています アイコンは1912年の写真元にしたデラウェアですです。WW1参戦後は英グランド・フリートに編入、第6戦艦戦隊に属し1917年11月から翌7月までスカパフロー基地にて独高海艦隊と対峙、ワシントン条約後1923年除籍となりました 計画時の要目 常備排水量20.380t 158.2m*26.0m*8.3m 計画出力25.000hp 速力21.0kt 12in連装砲*5 5in単装砲*14 21in魚雷発射管*2 (同型艦 BB-29ノースダコタ) |
(2008/2/7更新) | 戦艦フロリダ級BB-30フロリダ(Florida class)- 1908年で二隻を発注、共に1911年に就役しました
当初14in砲の搭載も検討されましたが砲の開発の遅れから前級と同じ配置の12in10門搭載として建造されました。副砲は前級と同じ5inですが新型のMK15が採用され艦橋基部両舷に1基づつ増の16門としました 機関出力はデラウェアのカーチス式の成績が不良だったため英式のパーソンズタービンとし、併せて4軸推進も米戦艦として初めて採用しました。前級までと違い前後にケージマストを搭載する前提で設計されたため前後檣間に煙突が配される無理の無いプロフィールとなっています アイコンは1921年の写真参考にしたにしたユタです。WW1参戦後1918年8月にはアイルランドを基地とする船団護衛艦隊に編入、北大西洋の船団護衛に従事しました。ワシントン条約では保有が認められましたがロンドン条約により戦艦籍を離れ無線標的艦に改装(AG-16)、1941年12月真珠湾攻撃にて魚雷5本が命中、転覆沈没しました 計画時の要目 常備排水量21.825t 159.1m*26.9m*8.6m 計画出力28.000hp 速力20.8kt 12in連装砲*5 5in単装砲*16 21in魚雷発射管*2 (同型艦 BB-31 ユタ) |
(2008/2/7更新) | 戦艦フロリダ(改装後)- ワシントン条約で新戦艦の建造を禁止された列強は既存戦艦の近代化改修により戦力強化を目指しました。本艦も列国の同様1924年4月から2年余りの期間を掛けて大規模な近代改修が実施されました
改装の中心は機関で、缶は既存12基のB&W缶から4基の重油専焼、ホワイトフォレスター缶に換装、主機もカーチス式のギヤードタービンとなり4.400hpと50%増しとなりました。缶の減少により前部煙突を撤去、煙路は後部煙突に集中されました 主砲は既存のままですが大型の側距儀、方位盤の装備により大遠距離火力は大幅に改善、副砲は波浪の影響が大きく使用に耐えなかった艦首両舷側の2基を撤去、同様に低い位置のケースメート装備であった中央部の8門を新たに上甲板レベルに設けられたスポンソンに6門を移設、合計4門減となりました。航空機の脅威の増大に備え3in高角砲を8門装備しました 水中防御もバルジの装着により強化されています。このバルジは奥行き3mに及び外観上の特徴となっています。後檣は撤去されそのスペースで航空艤装を充実、3番砲塔上にカタパルトを装備、前部煙突を廃したスペースも駐機スペースに利用、合計3機の水偵を搭載しました アイコンは1929年のフロリダです。撤去時期は不明ですが発射管はこの当時撤去されているようです。この大改装により近代海戦に適応する能力を得た本艦ではありますがまもなく開かれたロンドン条約により廃棄が決定、1931年2月除籍、翌年解体処理されました |
(2004/4/14更新) | 戦艦ワイオミング- 1909年度計画で建造されたド級戦艦。
フロリダ級の拡大強化型で、主砲が前級の12インチ10門から12門、口径も45口径から50口径へと強化された。 1912年竣工、大西洋艦隊へ旗艦として編入。第一次大戦中は同型艦アーカンソーとともに英海軍第六戦艦戦隊に編入、作戦に従事。
1925〜26年、大改装。 1930年、ロンドン条約により練習戦艦へ改装。主砲の半数を撤去。 1944年、小改装。主砲塔を撤去し、5インチ連装両用砲に変更。 1947年、除籍。 |
(2003/1/6更新) | 戦艦コロラド- ダニエルズプランの第一陣。
当初はテネシー級同様14インチ砲搭載艦として設計されたが、日本の長門級に対抗し、16インチ砲搭載に変更。 ワシントン条約締結により4隻の計画艦のうちBB47ワシントンが廃棄に至る。 |
(2002/9/6更新) | 戦艦ノースカロライナ- ワシントン条約明けにアメリカが建造した最初の戦艦。
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(2002/8/28更新) | 戦艦サウスダコタ |
(2003/2/7更新) | 戦艦アイオワ級- 戦艦としては最速の33ktを発揮する。
第二次大戦後も退役と現役復帰を繰り返した、ある意味においてアメリカ海軍の象徴のような艦。 |
(2003/9/26更新) | 大型巡洋艦アラスカ |
(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦ACR-2ニューヨーク(New York)- 戦艦テキサス、メインに続いて1888年9月計画された本艦は前二者の中途半端な性格からより航洋性を重視し、建艦法の条文にも”装甲巡洋艦”と明記された名実とも米海軍初の装甲巡洋艦として建造されました
英国の”インペリュース級”を参考にしたと考えられ、装甲範囲などに類似性が見受けられます。主砲は8in砲を連装砲塔に納め前後に配置するとともに同単装砲をバーベット上に搭載、両舷に配しました。副砲は舷側のスポンソンに片舷6門づつの合計12門を搭載、装甲は主に機関部を守るための狭い範囲のもので全長の半分程度をカバーするに過ぎませんでしたが舷側4in,甲板4〜6inの厚さがあり列強の防護巡洋艦のほとんどを凌駕する攻防力を備えていました アイコンは1893年、完成当時のニューヨークです。本艦は就役時米国最大の軍艦でありおもに太平洋艦隊に配属されアジア旗艦など務めました。1911年には新戦艦(州名のニューヨーク)に艦名を譲り”サラトガ”と改名、また1917年には新造する巡洋戦艦にそのなを命名するために”ロチェスター”と改名しました。ちなみにACR-1は当初装甲巡洋艦とされたメイン(I)です 計画時の要目 常備排水量8.200t 117.0m*19.8m*7.3m 計画出力16.000hp 速力20.0kt 8in連装砲*2 8in単装砲*2 4in単装砲*12 18in魚雷発射管*3 |
(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦ACR-3 ブルックリン(Brooklin)- 1892年計画の本艦はニューヨークの完成直前に計画され同艦をタイプシップとした装甲巡洋艦の2番目のタイプです
主砲はニューヨークと同じ8in砲を連装砲塔に納め前後両舷に配した菱形配置で、前級で単装であった両舷砲を連装化することにより首尾線砲火を50%強化しています。副砲配置は前級と同様ですが長船首楼形式の採用により凌波性の向上と共に艦首部兵装配置を高めることが出来荒天時の火力の維持に貢献しています(前級は水平甲板)。また前級とほぼ同じ全幅の両舷に連装砲塔を配置するため船体はフランス式のタンブルホームを採用、上部構造物は極端に幅を絞り込まれ首尾線方向の射界の確保に成功しているようです。装甲は前級同様局限されたもので舷側装甲は主砲強化の代償のためか3inに減厚されています アイコンは1896年、完成当時のブルックリンです。本艦は就役後北大西洋艦隊に配属、米西戦争ではサンチャゴ海戦では遊撃艦隊旗艦として活躍しました。幸運なことに米装甲巡洋艦(ACR)としては唯一船名を剥奪されることなく生涯を”ブルックリン”として過ごし晩年は駆逐艦隊旗艦を勤め1921年退役売却されました 計画時の要目 常備排水量9.215t 122.7m*19.7m*7.3m 計画出力16.000hp 速力20.0kt 8in連装砲*4 4in単装砲*12 18in魚雷発射管*3
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(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦ペンシルヴェニア級ACR-4 ペンシルヴェニア(Pennsylvania class)- いわゆる”ビッグ10”の第一グループ。米西戦争の諸海戦で高速の主力艦の有用性が認識されたことによりブルックリン以来久々に計画された装甲巡洋艦で、1899年度計画3隻、1900年度計画艦3隻と併せ6隻が建造され、1905〜7年に就役しました
前級より一挙50%増しとなる常備排水量13.700tの巨艦で、同年計画の戦艦ヴァージニア級の当初計画13.500tを凌ぐ大きさでした(ヴァージニア級は設計変更で15.000tで就役)。主砲は新型の8in連装砲を前後に、6inに強化された副砲は片舷7門づつの14門を装備、砲撃力は排水量に比し弱体との批判もあります。反面装甲は強力で、舷側装甲は全長に及び、主要部は6in、砲塔6.5in,司令塔9in,副砲も戦艦同様のケースメート配置とされています。機関はクランプ社で建造された2隻が二クローズ缶で他はB&W缶とされ23.000hp、22ktを発揮、当時の戦艦に比し3〜4kt有速でした。砲力が弱体といわれた本級ですが同時期の列国装甲巡と比較すると英ドレイク級は9.2in主砲を持つものの単装2基、仏レオン・ガンベッタは副砲も砲塔化しているものの主砲は19cmで批判は的を射たものではありませんでした アイコンは1905年、完成当時のペンシルヴェニアです。本艦は軽巡バーミンガムでの陸上機の発艦実験に引き続き後甲板にプラットフォームを設置、1911年1月18日、発艦実験と同じユージン・エリイにより着艦実験を実施しました。翌1912年には艦名を新戦艦に譲りピッツバーグと改名、1931年退役売却されました 計画時の要目 常備排水量13.680t 153.6m*21.2m*7.3m 計画出力23.000hp 速力22.0kt 8in連装砲*2 6in単装砲*14 18in魚雷発射管*2 (同型艦 ACR-5ウェスト・ヴァージニア ACR-6カリフォルニア ACR-7コロラド ACR-8メリーランド ACR-9サウス・ダコタ)
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(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦ACR-5 ハンチントン(Huntington)- ペンシルヴェニア級2番艦ウェスト・ヴァージニアとして建造された本艦は1916年、戦艦メリーランド級3番艦に艦名を譲りハンチントンと改名しました
米大型艦の通例として1910年頃前檣をケージマストに改正、艦橋構造も拡充されています。1917年2月、ノースカロライナ、シアトル(旧ワシントン)に続きカタパルトが装備され、水上機を搭載することとなりましたました このカタパルトは後部上構から艦尾方向に向けたもので、フロートの幅に合わせた2条のレールにより構成されていました。またマストから前方は両舷に搭載機繋止用のY字型の分岐があり合計4機を搭載できました。しかしその使用実績は芳しくなく米国の参戦によりこれら装甲巡洋艦が船団護衛任務に就くと共に逐次撤去されました アイコンはこのカタパルト装備時のハンチントンでカタパルト上にはR-G水上機が搭載されています
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(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦テネシー級ACR-10 テネシー(Tennessee class)- ”ビッグ10”の第二グループ。前級の拡大改良型で米海軍最後の装甲巡洋艦です。1902年度計画2隻、1904年度計画艦2隻の併せ4隻が建造され、1906〜8年に就役しました
弱体といわれた前級の攻撃力を大幅に強化、主砲は列強装甲巡のなかでも最大級の10inに強化、副砲、補助砲も配置を改善増備されています。舷側装甲は5inに減厚されていますが範囲を拡大することにより防御力は改善されています。また、主砲塔の大型化に伴い艦橋は1層高められ、前後とも艦橋構造は拡大されています アイコンは1907年、完成後間もない時期のテネシーです。艦首両舷には2個づつの錨があり前は新型のストックレス、後部は旧来のストックアンカーで、参考にした写真ではストックアンカーは装備されていません。後年の写真では前後ともストックレスに改められているのでアイコンのようにアンカーベッドにアンカーが格納された状態は短期間だったものと思われます。1916年5且には艦名を新戦艦に譲りメンフィスと改名しましたが、同年8月、ドミニカでの反乱鎮圧のため錨泊したサントドミンゴ港で不意の高波に襲われ全損、翌年除籍処分となりました 計画時の要目 常備排水量14.500t 153.8*22.2m*7.6m 計画出力23.000hp 速力22.0kt 10in連装砲*2 6in単装砲*16 21in魚雷発射管*4 (同型艦 ACR-11ワシントン ACR-12ノース・カロライナ ACR-13モンタナ) |
(2007/5/29更新) | 装甲巡洋艦ACR-11 シアトル(Seattle)- テネシー級2番艦ワシントンとして建造された本艦は1916年、シアトルと改名しました
1910年頃には前檣をケージマストに改正、艦橋構造も拡充されています。1916年秋には艦尾にカタパルトが装備され、水上機を搭載することとなりましたましたがハンチントン同様使用実績は芳しくなくまもなく撤去されました アイコンは1920年代後半のシアトルです。艦橋上には2層の射撃指揮所が設けられ、方位盤が装備されています。また前後主砲搭上には測距儀が装備されています。大戦の戦訓で波浪の影響を受けやすかった舷側下段の砲はすべて撤去、特設輸送船などの備砲に転用されました
当時本艦は合衆国艦隊総旗艦(Administrative Flagship)の任に在り4人の司令長官に仕える名誉に預かりました そのためかどうか1930年には軍縮条約の制限によりほとんどの僚艦が除籍される中、宿泊艦(のちに雑役艦)として第二次大戦後の1946年7月まで海軍籍にあり、同年12月売却解体されるまで永らくその姿を留めていました
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(2004/11/6更新) | 重巡洋艦ペンサコラ(戦前の仕様)- 米国条約型重巡の第一弾が、この「ペンサコラ」級である。
日本の同種重巡に対抗すべく、かなり無理やりに(舷側装甲はわずか2インチ!)重量を削ってまで、主砲を同様の8インチ砲10門(連装2機、三連装2基の変則配置)としている。 ただし機関をシフト配置とすることで、間接的に艦の耐久性を高めていることも特徴である。
太平洋戦争では、ネームシップの「ペンサコラ」はルンガ沖夜戦において沈没寸前の損傷を食うなど、いいところがなかったが、僚艦の「ソルトレークシティ」はいくつかの海戦で活躍。結局両艦とも戦争を生き延びた。最後は両艦ともに原爆試験の標的艦となったという。 |
(2004/11/6更新) | 重巡洋艦ノーザンプトン(1935)- このクラスは米国条約型重巡の第二陣である。
前級の「ペンサコラ」は火力優先のためにやや無理をした設計であったが、この級では主砲を1門減らし、代わりに舷側装甲を3インチまで増強したため、それなりに攻防のバランスが取れた艦となった。 太平洋戦争では、ネームシップの「ノーザンプトン」がルンガ沖夜戦で、「ヒューストン」がバタビア沖海戦で、「シカゴ」は第一次ソロモン海戦で中破され、戦線復帰したがレンネル島沖海空戦で沈没しており、結局同型艦6隻中3隻を喪失した。
アイコンは戦前(1935年)に撮影された、ネームシップの写真より。 |
(2004/11/6更新) | 重巡洋艦ポートランド(1934)- この級は前「ノーザンプトン」級の発展型である。
前級と比較した上での特徴として、舷側装甲を4インチに強化、さらに水平装甲も強化。また完成当初から魚雷発射管を装備せず(既存の米重巡でこのとき搭載していた艦も後に撤去)、その代わりに対空砲を4門から8門に倍増させている。 またもとから大型の艦橋を持ち、そのため大戦中にはしばしば艦隊旗艦として運用されていた。
ネームシップの「ポートランド」は機動部隊の直衛艦として太平洋戦争緒戦期を戦い、第三次ソロモン海戦(第一会戦)で大破損傷した。しかし翌年には戦列に復帰し、終戦までいくつかの戦いに参加し生き延びた。 一方2番艦の「インディアナポリス」は、1945年7月30日、原爆の部品をグアム島に運び込んだ帰りに、日本潜水艦の雷撃によって撃沈された。 |
(2004/11/6更新) | 重巡洋艦アストリア(1941)- この「アストリア」が属する「ニューオーリンズ」級は、米条約型重巡洋艦の第四陣である。
塔状の主艦橋、機関配置の変更などにより、前「ポートランド」級からは艦容が一変している。 このクラスは7隻が建造され米巡洋艦隊の主力として活躍したが、緒戦期には最前線に駆り出された艦のため、太平洋戦争では同級7隻中、実に6隻が撃沈ないし大破損傷という損害を蒙った。 (「アストリア」「ヴィンセンス」「クインシー」が第一次ソロモン海戦で沈没、「サンフランシスコ」が第三次ソロモン海戦で大破、「ミネアポリス」「ニューオーリンズ」がルンガ沖夜戦で大破。残る「タスカルーサ」は大戦末期まで大西洋にいた。) |
(2004/2/9更新) | 軽巡洋艦ブルックリン(1937)- 日本はロンドン条約で定められた8インチ砲搭載重巡の保有枠を使い切ったあとに、残りの巡洋艦保有枠で大型軽巡を建造しはじめました。これが最上型なのは周知のことですが、米国がこれに対抗して建造したのがブルックリン級です。条約型重巡に準じた船体に15.2センチ三連装砲塔を搭載しているのは最上型と同じ。ただし、それまでの条約巡とは異なり、船体を平甲板型とし、航空兵装を艦尾にまとめました。このレイアウトはその後の戦艦、巡洋艦を通じた米国艦の標準となります(アラスカ級を除く)。一番艦ブルックリンは1937年に竣工。同型艦はブルックリン含めて9隻。ただし最後の2隻は高角砲が連装砲塔4基となり、機関や上構の配置も異なるため、改ブルックリン級とされることもあります。
某GS社の戦術級海戦SLGではクリーブランド級軽巡と並び、闇夜のアウトレンジからレーダー射撃で主砲弾を雨あられと降り注がせる日本水雷戦隊のにっくき敵でもあります(笑)。 基準排水量9,475トン 主機ウェスティングハウ
ス式ギアードタービン×4、100,000馬力 速力32.5ノット 主な兵装、15.2センチ砲三連装5基、12.7センチ単装高角砲×8、水偵最大6機(通常は4機)
クラ湾夜戦で撃沈されたヘレナ以外は第二次大戦を生き残り、戦後スクラップとなったサヴァンナとホノルルを除いて、チリ、ブラジル、アルゼンチンの南米各国へ売却され、各国の主力として余生を送りました。 |
(2004/11/26更新) | 軽巡洋艦アトランタ(1941)- 1930年代後半、各国の航空機の性能が進歩したため、航空機による爆撃や雷撃によって主要艦船が打撃を与えられる可能性が高くなっていた。
特に空母に至っては、飛行甲板に爆弾を食らえば一巻の終わり、船として浮いていてもろくな戦力にはならない。 そのような事態を防ぐには、制空権の確保もさることながら、万一敵機が艦隊に近づいた際に、これを迎撃する有力な手段が必要になる。 そこで、砲の搭載能力に余裕がある巡洋艦級の船体に、対空砲を数多く搭載した、「防空巡洋艦」という艦が登場するようになる。
この「アトランタ」級は、米国が建造した最初の専用防空巡洋艦である。同型艦は3隻(ジュノー、サン・ファン、サン・ディエゴ)。 また準同型艦の「オークランド」級が後に建造されている(ただし、これらはアトランタ級の後期グループとしてまとめられることもある)。 最大の特徴は、なんと言っても16門も搭載された5インチ対空対艦両用砲。本来の目的である防空任務のほか、小艦艇の駆逐にも威力を発揮できる。
他には、この頃の米国巡洋艦には珍しく、魚雷発射管を搭載していることも特徴であろう。
この「アトランタ」、大戦初期は本来の任務である空母機動部隊の護衛に活躍したが、ソロモンの激闘で米国の巡洋艦戦力が足りなくなったため、1942年11月、水上艦隊に組み込まれて前線に出撃した。 その結果、同月の第三次ソロモン海戦においては、僚艦「ジュノー」らとともに水上戦闘を行う羽目になり、「アトランタ」「ジュノー」ともに重傷を追い、「アトランタ」は自沈、「ジュノー」は逃げ出したところを潜水艦の雷撃で沈められてしまった。
残る艦では、「サン・ファン(サン・ジュアンという記述もある)」は、1942年8月の第一次ソロモン海戦にも「参加」していたが、主戦場から離れていて無傷で済んだ。 そして同年10月のサンタ・クルーズ沖海戦では、僚艦「サン・ディエゴ」とともに機動部隊防空の要として活躍。両艦とも、以降終戦まで機動部隊と行動をともにした。 |
(2004/7/31更新) | 軽巡洋艦クリーヴランド(CL55)- 本艦は1939-40年計画でアメリカが建造したクリーヴランド級軽巡洋艦の第1艦である。
条約明け後の1938年5月、アメリカはヴィンソン海軍法を成立させ、10ヵ年計画で大量の艦艇を就役させることになった。この中には6000t型防空巡洋艦、10000t型軽巡洋艦、13600t型重巡洋艦計41万2500tを含んでいたが、この防空巡洋艦がアトランタ級、重巡洋艦はボルティモア級であり、軽巡洋艦がクリーヴランド級である。 クリーヴランド級の当初計画は、基準排水量8000t、152mm連装両用砲5基10門と言うアトランタ級の拡大改良型とも言える防空巡洋艦であった。しかし、同砲の開発が間に合わなかったため旧来のMk16、47口径152mm砲が採用され、最終的に対空、対水上兼用の汎用大型軽巡洋艦として、基準排水量10000tで設計がまとめられた。 基本的にはブルックリン級の最終発展型として2隻が建造されたセント・ルイス級軽巡洋艦の改良型で、船体・主機ならびに防御方式は、若干幅が広い以外、ほとんど差異はない。機関のシフト配置
や魚雷発射管の撤廃等、前級を踏襲しており、水上偵察機も同じく4機を搭載した。ただ、主砲塔1基を減じて152mm砲3連装4基12門となった点が大きく異なっており、代わりに38口径127mm連装両用砲を前後中心線上に各1基を増備していた。 アトランタ級防空巡洋艦の主砲にも採用された同砲は、第2次世界大戦時のアメリカ海軍の対空砲の中心となったもので、先の2基に加えて、セント・ルイス級と同じく両舷に各2基の計6基12門、すなわちアトランタ級後期艦と同数を装備していた。さらに、ボフォース40mm機銃を4連装4基、連装6基、計28門と20mm機銃単装10基10門を装備しており、艦隊に有力な対空砲火を提供していた。本級はブルックリン級より砲撃力が少ないように思われるが、第2次世界大戦における最も有力な軽巡洋艦の一つとなり、総合的なバランスの上では非常な強力艦であったと言える。 しかし、本級の最大の特徴は、その建造隻数の多さであろう。1940計画で34隻、41計画で2隻、42計画で5隻、合計で41隻が計画されたのである(別資料では40年4、41年32、42年16計52隻となっているが、
これはファーゴ級を含んでいる)。うち3隻は建造または計画中止となり、9隻がインディペンディス級軽空母に船体を流用され、最後の2隻をトップ・へヴィーだった傾向を改善した本級の改良型であるファーゴ級として竣工させた。したがって本級の完成艦は27隻の多くにおよび、タイコンデローガ級イージス巡洋艦と並んで巡洋艦の最多建造記録となった。しかも、うち25隻は戦争中に竣工しており、対空直衛ならびに前進部隊の主力として非常な活躍を見せた。アメリカの工業力の勝利であった。 1番艦クリーヴランドは1942年6月15日ニュー・ヨーク/キャムデン造船所で同級中最初に竣工、その直後の8月12日、チェサピーク湾で新型信管のテストを実施した。VT信管と呼ばれるそれは電波を発し、目標から戻ってくる電波のドップラー効果により炸裂すると言うものであった。したがって、従来のように時計を用いて滞空時間で爆発させる必要がなく、目標の近くにたどり着くだけでよかった。事実、このテストでクリーヴランドは目標機3機全ての撃墜に成功しており、翌年1月、太平洋戦線で実用
に供されるとともにVT信管は絶大な威力を発揮した。特に本級の装備する充実した対空火力は空母輪形陣の中心として所期の目的を達成、その主砲等は陸上砲撃や艦船攻撃に効果をあらわした。 1947年、クリーヴランドは予備役に編入され1960年に解体された。1隻の戦没艦を出す事も無く戦争を乗り切った姉妹艦の多くもほぼ同様の運命をたどった。ジェット機の時代となり、本級の装備する対空火器では能力不足と判断されたのである。しかし、1万tと言う船体の大きさと艦齢の若さは次代の対空兵器となったミサイルのプラット・フォームとして有用であると考えられ、6隻がタロスまたはテリア対空ミサイル搭載艦として使用された。また艦隊旗艦としても有効であると言う事で、うち4隻に旗艦設備が設けられた。1979年、揚陸指揮艦(LCC19)ブルー・リッジと交代するまで、60年代から数次にわたって第7艦隊旗艦となり、日本でも馴染みのあったミサイル軽巡洋艦(CLG5)オクラホマ・シティはその1隻である。 改造されなかったものは1970年に除籍された(CL65)パサデナを最後に姿を消し、
改造艦も70年代には除籍された。海外に引き渡された艦はなかったが、インディペンディンス級軽空母に改装された艦のうち、フランスに2隻、スペインに1隻が引き渡され、スペインに引き渡されてデダロと改名したカボットは1998年まで使用された。本艦はアメリカに返還された後保存運動もあったが、21世紀になって解体された。これが、広義では本級の最後の艦だったのかも知れない。 |
(2004/12/4更新) | 駆逐艦タッカー級「サンプソン」- いわゆる1000t級航洋駆逐艦の最終クラスとなるタッカ-級は、前級オブライエンの改正型として12隻が建造、第一次大戦参戦当時の最新鋭艦として活躍しました
当時の大型駆逐艦は、”スカウト(主に偵察目的の小型巡洋艦。後に軽巡に発展)”的な任務も求められ、通信能力の強化の為に以前の700t級などに比べて高いマストを備えています(本来シルエットが低い方が望ましい”水雷艇”との決別ともいえますね) このクラスの後期6隻は、米駆逐艦として始めて3連装発射管を装備、4基12門の重雷装艦でした
サンプソンは後期6隻の最初の1隻です。アイコンは1917頃大戦参加前の写真参考にしました
完成時の要目 常備排水量1.090t 96.1m*9.3m*2.9m 計画出力17.000hp 計画速力29.5kt 4in単装砲*4 3in単装高角砲*1 21in連装魚雷発射管*4 (DD-63〜DD-68) 4in単装砲*4 1pdr単装高角砲*2 21in3連装魚雷発射管*4 |
(2004/12/4更新) | 駆逐艦タッカー級「アレン」(1943)- タッカ-級12隻中このアレンだけは続く”フォースタッカ-”達が続々退役する中、何故か第二次大戦に参加しました
主にハワイ近辺での哨戒、訓練任務に従事、主砲4基はそのままでしたがレーダー、Y砲など船型に不似合いな近代的装備搭載していました。
アイコンは1943の写真参考にしました。いわゆる”メジャー1”迷彩のように見えましたので、そのように塗ってみました
1943年時の要目 常備排水量1.090t 96.1m*9.3m*2.9m 計画出力17.000hp 計画速力29.5kt 4in単装砲*4 21in連装魚雷発射管*2 爆雷投下軌条*1 爆雷投射機(基数不明おそらく6)機銃多数(10〜12)
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(2004/11/18更新) | 駆逐艦コールドウェル級「グウィン」- 米海軍駆逐艦コールドウェル級のグウィンです(GwinDD−71)
平甲板型の第一陣であるこのクラス、実は計画時煙突は中央の二本を結合した”3本煙突”でした しかし3本煙突で完成したのは全6隻中の半数に過ぎず (ネームシップのコールドウェルにしてからが4本) 機関は3形式、缶は4形式と、続く量産型のための試作的要素の強いクラスです。 続くウィックス級との相違は機関出力が低く30ktどまりであることです。 外観上は煙突の数に加えて艦尾形状の違いがあります。 完成時の要目 常備排水量1.120t 96.2m*9.3m*2.7m 計画出力18.500hp 計画速力30kt 4in単装砲*4 3in単装高角砲*2 21in3連装魚雷発射管4基 爆雷投下軌条1基 |
(2004/11/18更新) | 駆逐艦ウィックス級「ウィックス」- いわゆる”4本煙突”と呼ばれるコールドウェル、ウィックス、クレムソン3タイプの2番目で,例の1916の議会承認による”ダニエルズプラン”により50隻の建造が予定されましたが大戦への参加もあり実に111隻(!)が作られ第二次大戦時にも78隻が参加しました(英貸与艦27隻含む)
これらの3級は前作の”タッカ−級”までのブロークンデッカ−の欠点である中央部分の艦舷不足解消と船体構造の簡易化の為に”平甲板(フラッシュデッカ−)”を採用、その名でも大戦間の米海軍駆逐艦の代名詞として親しまれました
完成時の要目 常備排水量1.160t 95.8m*9.4m*2.8m 計画出力24.200hp 計画速力35kt 4in単装砲*4 3in単装高角砲*1 21in3連装魚雷発射管4基 爆雷投下軌条2基 |
(2004/11/26更新) | 駆逐艦クレムソン級「スチュアート」- 米海軍駆逐艦クレムソン級のスチュアートです(StewartDD−224)
平甲板型の最後飾るるこのクラスも、ウィックス級同様の162隻が計画され、また実際にも休戦にかかわらず156隻が就役しました(休戦条約前の就役艦はありませんでした) また第二次大戦にも様々な形で77隻が参加しましたが、戦時急造による不具合も激しく57隻が10年以内に除籍(ヤーロー缶搭載のベツレヘム社に集中してました)はなはだしい場合はわずか4年で除籍された艦もありました(ロンドン条約の影響でもありますが)。またこのクラスは海難史上有名なカリフォルニア沖の1戦隊まとめての座礁事故(7隻同時)の主人公としても記憶にとどめられています
前級との主な相違は中央の砲甲板下部(このクラスの砲配置は菱形になってます)、炊事室の舷側をエンクローズしたことです。また前級が就役後受けた改修を竣工時より施されていました(後部砲を甲板室上へ、そこにあった探照灯をボート甲板に移す等)
アイコンは大戦中、
色々日本と縁のあったスチュアートの公試中の写真より作成しました。
完成時の要目 常備排水量1.190t 95.8m*9.4m*3.0m 計画出力27.000hp 計画速力35kt 4in単装砲*4 3in単装高角砲*1 21in3連装魚雷発射管*4 爆雷投下軌条*2 爆雷投射機*1 (DD231〜235は4in⇒5in,DD208.209は4in連装砲*4) |
(2005/10/15更新) | 駆逐艦クレムソン級「ベインブリッジ」(1944)- 77隻がWW2に参加したクレムソン級ですが、多数の新鋭艦が就役する中さまざまな用途に転用され
駆逐艦籍のまま終戦を迎えた艦は僅か8隻に過ぎませんでした。
その中の1隻(実は8月13日に除籍されていますが)がこのベインブリッジです 本艦は大戦全期間を通じ西太平洋、カリブ海での船団護衛、哨戒任務に活躍しました
アイコンは1944.7.9といわれる写真からで主砲4基を4in単装平射砲から3in両用砲への換装、 発射管2基の撤去跡に同じく3in両用砲の装備、艦橋前にヘッジホッグの搭載、20mm機銃の装備(4〜6丁程度)が確認されます。
完成時の要目 常備排水量1.190t 95.8m*9.4m*3.0m 計画出力27.000hp 計画速力35kt 4in単装砲*4 3in単装高角砲*1 21in3連装魚雷発射管*4 爆雷投下軌条*2 爆雷投射機*1 |
(2004/11/26更新) | 駆逐艦マハン級「マハン」(1939)- 米国条約型駆逐艦の第二陣(第一陣はファラガット級)。
1500tという小型の艦形に、5インチ砲5門、魚雷12射線の重武装を詰め込み、また新型機関の採用により36ノットの高速を得ている(それを言うなら、たとえ公称排水量とはいっても、日本の特型はもっとえらいことになるのだが)。 このマハン級は18隻が量産されたが、うち7隻が太平洋戦域で失われている。大戦末期には、例の如く武装の一部を下ろして対空能力を強化した艦もあったという。 |
(2004/11/6更新) (2004/11/14更新) (2004/11/23更新) | 駆逐艦バグレー級「ブルー」- アメリカの条約型駆逐艦の第三陣となるクラスである。厳密には、同じクラスには機関形式が異なるだけのグリッドレー級が存在しているが(しかも登場はグリッドレーが先)。
この駆逐艦、魚雷発射管を実に16射線装備している。数だけ見ると日本の駆逐艦も真っ青の重雷装駆逐艦のはずなのだが、実のところは片舷8門ずつの合計16線で、特型駆逐艦の片舷9射線、後のフレッチャー級の片舷10射線には及ばない。 大戦中には、初期のレーダーを搭載して哨戒任務についた艦や、航空機の脅威の増大に伴い、片舷1基ずつの発射管を下ろし、対空火力を増大した艦も現れた。
第一次ソロモン海戦において、日本第八艦隊の至近距離を航行していながら、見事なまでに(?)見逃した哨戒艦の「ブルー」「ラルフ・タルボット」は、このクラスの艦である。
アイコンは「ブルー」を再現しています。
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(2004/11/18更新) (2004/11/23更新) | 駆逐艦グリッドレー級「クレイブン」- 建造当時は4連装4基16門という強烈な魚雷力を持つグリッドレー型であったが、世界大戦の勃発、その中で示された水上艦に対する航空機の脅威の増大に伴い、個艦の対空火力を増強する必要が生じた。
しかし、一般的に駆逐艦はぎりぎりの重量で建造されており、何かの装備を追加するには、その代償として別の何かを艦から下ろさなければならない。 そこでこの型では魚雷発射管の半数を降ろし、その重量を対空火力増強に当てたわけである。
アイコンは「クレイブン」を再現しています。 |
(2004/11/26更新) | 駆逐艦ベンソン級(戦前仕様)- 太平洋戦争開戦時における米国の最新鋭駆逐艦。
軍縮条約の失効に伴い駆逐艦の個艦排水量制限がなくなったため、艦自体が大型化し、武装もこれまでの艦より強化(5インチ砲5門、魚雷発射管10線、対空機銃)されている。 先にも書いたように開戦時における米国最新の駆逐艦だったから、ソロモンの激戦場にも、準同型艦のグリーブス(リヴァモア)級とともに多数の艦が投入されている。 |
(2004/11/26更新) | 駆逐艦グリーブス級(1944)- 大戦後半には、航空機による脅威の増大に伴い、このベンソン/グリーブス級も著しい対空兵装の強化がなされた。主砲塔1基と魚雷発射管1基を降ろし、20mmや40mmの重機銃をどがどがと積み込んだのである。
同時に対潜兵装も強化され、艦後部、4番主砲側面に、爆雷投下器が追加されている。むろんレーダーなどの電子兵装も強化されていたことは言うまでもない。
モデルはネームシップ「グレーブス」より。 |
(2005/10/15更新) | 高速輸送艦タルボット級「クロスビィ」(1943)- 来るべき次期大戦の揚陸作戦の一翼を担うべく米海軍は従来の10〜15kt程度の貨物船型に決別した
高速輸送艦を計画、1940年に旧式の4本煙突型駆逐艦より6隻の改造を行いました (APD-1 マンリー級 コールドウェル級より1隻、ウイックス級より5隻の改造) 改装の要領は缶を半減して余剰のスペースに兵員室を設け、発射管の全廃後の甲板にLCVP4隻を搭載しました 缶の半減、排水量の増大にもかかわらず25kt近い速力を発揮、敵勢力圏での作戦を可能としました
大戦勃発後、これら6隻の南太平洋での有効性を確認した米海軍はさらに26隻に及ぶ同級を取得、 1942〜1944年にかけて改修を実施それがタルボット級(APD-7 Talbot)です 大戦中期の激戦を戦った本級はマンリー級と併せて8隻が失われました。
アイコンは1943.2.2といわれる写真からでほぼグレー1色の塗装で、ファンネルトップも黒には塗られていません
改装後の要目 常備排水量1.190t 95.8m*9.4m*3
.7m 出力13.000hp 速力22〜24kt 3in単装両用*3 40mm連装機銃*1 20mm単装機銃*5 LCVP*4 |
(2005/10/21更新) | 駆逐艦フレッチャー級- 太平洋戦争の勃発に伴い、米国は駆逐艦の大量建造に乗り出したが、当時の最新型艦であったリヴァモア型は、ロンドン条約の規制にとらわれない大きさの艦ではあったとはいえ、まだ艦形は小さく、特に航洋性において余裕がとれなかった。そこで船体を大幅に大型化したこの艦が急遽設計・建造されたのである。
火力などはリヴァモア級とほぼ同等だったが、艦の搭載余裕は大きくなったため、最初から全部の砲が砲塔化されており、また後に機銃などを増載しても代償として既存の武装を撤去する必要がなかったのである。 戦時中という事情があったとはいえ、全部で175隻と言うとんでもない数が建造されている。 この級の太平洋戦争での戦没艦は19隻あるが、戦線への登場時期が遅かったせいもあり、その過半数が特攻機の突入によるものである。「赤トンボ」による特攻で沈んだ艦、さらには台風で転覆した艦もある。 |
(2005/10/21更新) | 駆逐艦アレン・M・サムナー級(1943)- フレッチャー級駆逐艦はそれなりに優秀な艦であったが、結局の所火力はベンソン(リヴァモア)級と同じであった。船体の幅は広かったので5吋連装砲塔を積めたのだが、戦時になったので生産が急がれたこと、連装砲塔自体の製作が進んでいなかったことからである。
そこで、フレッチャー級の船体をベースに、5吋連装砲塔を3基搭載し、火力を増強した新型駆逐艦の建造が急がれた。これがこの級である。 連装砲塔の採用により主砲のスペースが圧縮されたことから、艦後部のスペースには40mm重機銃すら搭載しており、主砲は対空対艦両用砲ということもあり、小柄ながら強烈な防空能力を持つ。 出現時期が遅いことから、大戦に於いては戦果も被害も少なかったが、それでもかなりな数が前線に姿をあらわしている。戦没艦は4隻で、そのうち「クーパー」は、明らかに格下のはずの松型駆逐艦の雷撃で撃沈されている。 戦後は小改良型のギアリング型と共に、アメリカ同盟国へ譲渡されて活躍。一部の国では近代化改装を受け、
台湾に至っては2005年現在でもなお数隻が現役にある。
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(2005/10/15更新) | 高速掃海艇ドーゼイ級「ペリー」(1942)- 敵勢力圏での揚陸作戦を可能とするため必要な揚陸水域での強行掃海を目的として
タルボット級と同じく、4本煙突型駆逐艦より改造されたものが高速掃海艇ドーゼイ級です 1930年代の軽敷設艦への改造に準じた要領で実施、中央部の発射管を撤去したスペースに掃海用具を備えました またペリーを含む数隻は4番ボイラー及び煙突を撤去、タンクの増設により航続力を伸ばしています
ウイックス級、クレムソン級双方より9隻づつの併せて18隻を改造、高速輸送艦同様、 損害も多く1944年7月パラオで蝕雷戦没した本艦を含み5隻が戦没しています アイコンは1942〜3年頃の状態です
改装後の要目 常備排水量1.190t 95.8m*9.4m*3.8m 出力24.000hp 速力27kt 3in単装両用*3 40mm4連装機銃*1 20mm単装機銃*5〜7LCVP*4 |
(2003/3/26更新) | LST- LSTは、形も塗装もバラエティーありすぎて
よく判らないのですが、米艦が寂しいようなので、とりあえず投稿。色もそのまま。
誰かが後で
決定版を投稿してくれる事を期待します。 |
(2002/10/21更新) | 南部連合海軍
装甲艦ヴァージニア- もとは北軍の放棄した木造汽走フリゲート「メリマック」で、この焼け残った船体を回収して改装されたのが、この装甲艦「ヴァージニア」である。
大きく傾斜した装甲砲室とその大部分が水線下に隠れた乾舷の低い船体が特徴的。 1962年3月9日のハンプトンローズでの北軍装甲艦「モニター」との殴り合いが有名。 |
(2002/10/22更新) | 北軍
装甲艦モニター- ハンプトンローズ海戦のもう一方の主役です。
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アメリカ海軍(現代艦)
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(2002/10/31更新) | フォレスタル級航空母艦(アイコンは舷側5インチ砲撤去前の状態) CV-59フォレスタル、CV-60サラトガ、CV-61レンジャー、CV-62インデペンデンス- 米空母の戦後型航空母艦第一世代。
最初からジェット艦載機の運用を想定して設計され、戦後型空母の基本を確立したクラスで、これ以後に建造された米海軍の空母は全て、本級の延長線上にあるものと言えます。戦後の空母に望まれていたのは核兵器の運用能力であり、これはそのまま空軍の長距離爆撃機思想との対決の構図でした(海軍側の答えであるCVA−58
ユナイデット・ステーツが起工から僅か5日後に、核兵器運用を巡る論争に海軍が破れた事で建造中止となったのは有名なエピソード。そして本級ネームシップの艦名は、その際失意のあまり自殺した海軍長官の名前に由来しています)
当然のことながらこの思想はフォレスタルにも受け継がれており、船体規模やエレベーターのサイズ、23ftという格納庫の高さなどの寸法は、当時最新の艦上核攻撃機A3Dスカイウォーリアのサイズに合せての設定であると言われています。
アイコンは完成後間もない頃、今だミサイルが未発達の時代において重要な装備であった54口径5インチ砲が、舷側周囲に8基配置されていた時期のものです(後にスポンソンごと撤去。 |
(2002/10/31更新) | キティ・ホーク級航空母艦 前期建造艦CV-63キティ・ホーク、CV-64コンステレーション(計画変更艦CV-65エンタープライズ→CVN-65へ) 後期建造艦CV-66アメリカ、後期建造艦改良型CV-68J・F・ケネディ- フォレスタル級の飛行甲板配置を改良した戦後型空母第二世代艦。
フォレスタル級は性能面で満足できる優秀な空母であり、艦載機の同時発着艦を可能とする飛行甲板配置も基本的には成功でした。 問題となったのは、着艦した機体を迅速に収容する目的から、アングルドデッキ(着艦甲板)前端に装備された左舷エレベーターの配置で、艦載機の更なる大重量化と着艦必要距離増大が予想された為、下降時(及び故障被弾で上昇位置にない場合)に着艦甲板長を減少させることになる、このエレベーター位置が危険視されるようになってきたのです。
フォレスタル級5番艦以降としての建造予定であった計画を変更し、問題の左舷エレベーターを着艦動作に支障のない後方に移動、右舷エレベーターの配置を艦橋前1基、後2基から前2基、後1基に変更したのがキ
ティ・ホーク級で、この完成の域に達した飛行甲板の配置形状は、以後の空母にほぼそのまま踏襲されていく事になります。 また,建造時から砲兵装を全廃するようになったのも本級からの事です。 |
(2002/10/12更新) | CVN−65エンタープライズ、1961〜1979 (N=Nuclear=原子力)- 原子力推進機関を搭載した初の航空母艦です。竣工は1961年。
当時、原子力推進機関の開発及び搭載は潜水艦を優先して進められた為に、水上艦艇への応用が遅れていましたが、その見通しがようやくついた事から、キティ・ホーク級の3番艦として計画中であった本艦は設計を変更、原子炉搭載空母として、原型の約二倍の巨額を投じて建造されました。
本艦のもう一つの特徴は、ロングビーチと酷似する角柱型の艦橋で、周囲四面にはSPS−32・33型フェーズド・アレイ・レーダーを二種類八枚もしていました。釣鐘を連想させるその上の物体は、ECMレーダーアンテナのドームです。 共にやや信頼性に欠ける点があるなど、本艦のレーダーシステムは必ずしも成功とは言がたい物がありましたが、この経験は後のイージスシステム艦の建造に際して大いに生かされていくことになります。 |
(2002/10/29更新) | エンタープライズ改装後、1982〜現在- 鳴り物入りで登場した本艦のレーダーシステムでしたが、SPS−32型レーダーは48t、SPS-33型には120tもの重量があった上に、その精密な機構は維持整備に問題を抱え、実用機器としての信頼性を欠く状態でした。
このため、1979年から82年にかけてのオーバーホールに際して、エンタープライズはレーダー換装を目的とした長期の改装工事に入ります。
大改装でSPS−32、33型レーダーは艦橋上のパコダドームもろとも取り外され、替わって通常形式のレーダーであるSPS−10、48C、49、58、65型を装備。ECM装置は、新たに小型軽量のものをマスト等に分散して搭載しました。(同時にSAM、CIWSの増設も実施) |
(2002/10/9更新) | ニミッツ級航空母艦 CVN-68ニミッツ、CVN-69ドワイド・D・アイゼンハウアー CVN-70カール・ヴィンソン、CVN-71セオドア・ルーズヴェルト CVN-72エイブラハム・リンカーン、CVN-73ジョージ・ワシントン CVN-74ジョン・C・ステニス、CVN-75ハリー・S・トルーマン CVN-76ロナルド・レーガン CVN-77ジョージ・H・W・ブッシュ(建造中)- エンタープライズに続く原子炉搭載航空母艦第二世代。
ただし、同型艦全9隻の建造期間が、一番艦ニミッツ完成の75年から現在までと極めて長期に渡っている関係上、既成建造中問わず随時各部に改良改修が行なわれており、5番艦エイブラハム・リンカーン以降の艦は飛行甲板の装甲厚を増すなどした結果排水量が遂に10万tの大台を越えるなど、建造時期により各艦でかなりの変化が見られます。 (ニミッツの完成時に比べると、何と万t単位も重い『同型艦』になります)
本級1隻を完全状態で運用するのに必要な人員はおよそ六千名以上。海自の主力DD「むらさめ」型(165名程度)の実に36倍もの人
員を必要とする、現時点における航空母艦、その究極の進化型です。 |
(2005/12/1更新) | 駆逐艦「スプルーアンス」(1975年) つい最近まで米国駆逐艦の主力として君臨してきた大型対潜駆逐艦。総計31隻が建造された。 初期型ですら満載排水量は8000tに迫り(第二次世界大戦時の巡洋艦並み!)、その割に武装は貧弱(就役当初の武装は、127mm速射砲2門、シースパロー、ASROC、対潜短魚雷、対潜ヘリコプター1機「のみ」)だったため、艦形過大の批判を免れ得なかったが、最初から大型の船体を採用したことによる搭載余裕は、後に建造される「タイコンデロガ」級巡洋艦への発展として生かされることとなる。 また「スプルーアンス」級自体についても、さすがにこの武装では貧弱すぎることは明らかなため、後の近代化改装でハープーンやCIWSを積み足して戦闘力を強化し、またASROCはVLSランチャーに収めるようにされた。
アイコンは一番艦「スプルーアンス」の就役当時のもの。非常にすっきりした外観である。 |
(2005/12/1更新) | 駆逐艦「スプルーアンス」(2000年時) 1980年代に近代化改装を行い、ハープーンランチャーの追設、ASROCランチャーのVLS化、CIWSの追加などを行った「スプルーアンス」の姿である。 しかし元からすっきりした艦形の上に、改装後も細々した変化しかないため、遠目には就役当時の姿とほとんど変わらないのだが…。
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(2005/12/3更新) | スプルーアンス級駆逐艦
DD-990「インガソル」 31隻建造されたスプルーアンス級駆逐艦のうちの7隻は、近代化改装時に艦首側のASROCランチャーをVLS化せず、その代わりにMK-143型ランチャーを追設し、トマホーク巡航ミサイルの搭載能力を付加した。この「インガソル」はそのような改装を受けた一隻。
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(2005/12/3更新) (2005/12/9更新) | スプルーアンス級駆逐艦 DD-968「アーサー W.
ラドフォード」(1999年) 数あるスプルーアンス級駆逐艦の中で、一際異様な改装を受けたのが、この「アーサー
W.
ラドフォード」である。 この艦、1997年〜1998年の改装で、後部マストを六角柱というかトウモロコシのような異様な形をしたものに変更した。これはAEMS(Advanced
Enclosed Sensor
System)といい、要は通常はマストの上にさらした状態で置かれているセンサーシステムを、この外皮の中に包み込むことで、外部から来た電波の反射を逸らす=ステルス性の向上を図る、というものである。 艦自体は2004年に退役したが、現在でも保管状態にあり、またこの間で試験されたマストと同種のものは、今後建造される新型艦(強襲揚陸艦「サン・アントニオ」級など)に採用されることになっている。
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(2005/12/3更新) | ミサイル駆逐艦「キッド」級 「スプルーアンス」級駆逐艦の船体をベースにして建造した、スタンダードミサイルを搭載する防空駆逐艦…というのは事実なのだが、実際のところ、元々はアメリカが「イラン」向けに建造した駆逐艦なのである!。
この場合の「イラン」はイスラム革命前の親米政権であるが、それを考えても最新鋭のミサイル駆逐艦を気前良く売りつけるとは大胆と思う。 事実としては、イランがアメリカに注文した同級4隻が完成する前に親米政権が倒れ、仕方がないので米海軍が艦ごと買い取ったというところがある。
艦の能力面では、極端に言えば「イージスシステムのないタイコンデロガ級」とも言える。スプルーアンス級の基本兵装に加え、SM-1スタンダードミサイルランチャーを2基搭載。従って対空ミサイル誘導に必要な機器も追設されている。 2005年現在、すでに同級4隻は米海軍から退役したが、今後4隻とも順次台湾海軍の主力艦として売却されることが決定しており、同国海軍にとっては飛躍的な戦力増強となりえるであろう。
(何しろ、この「キッド」級で代替される艦は…いかに近代化改装されているとはいえ、基本設計が60年前の「ギアリング」級なのだ!)
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(2007/1/22更新) | ミサイル駆逐艦DDG-51「アーレイ・バーク」 アメリカ海軍が「タイコンデロガ」級に続いて建造した、イージスシステムを搭載する駆逐艦。 「タイコンデロガ」は既存艦であるスプルーアンス級に後付でイージスシステムを搭載したものだが、この艦は当然新規設計であり、艦上構造物の配置が合理化されている。 また、フォークランド紛争の戦訓を踏まえ、上部構造物をアルミ合金から鋼鉄製にして、間接的な防御力を高めたことも特徴の一つであろう。 武装は対空はともかく、対艦・対潜とも一通りのものを持っており、トマホーク巡航ミサイルの搭載能力もある。対潜ヘリは固有のものは無いが、着陸甲板はちゃんと持っている。
アイコンの艦はネームシップ「アーレイバーク」。 本級は2006年現在も量産が続いているが、この艦を始めとする初期のバージョンは「フライトI」と呼ばれている。
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(2007/1/22更新) | ミサイル駆逐艦DDG-81「ウィンストン・S・チャーチル」 この艦を含むアーレイバーク級後期型は、一般に「フライトIIA」と呼ばれている。 (「フライトII」の艦も存在するが、「フライトI」との相違点は電子機器のアップグレードで、外観上の違いは少ない) 「フライトI」と比べたときに目立つ特徴は、艦尾へのヘリ格納庫の増設で、これに伴い後部VLSの位置をヘリ格納庫上面まで上げている。 細かい変化としては、後部SPY-1レーダーの取り付け位置変更、127mm砲のステルスシールド化などがある。 また、昨今の世界情勢変化に伴い対水上艦戦闘が発生するケースが減少したことからか、搭載兵器から対艦ミサイルを降ろしている。(必要となった際にはランチャーを装備可能とも言うが)
「フライトIIA」はDDG-79「オスカー・オースティン」から建造が進められているが、このフライトIIAの中でも建造時期によって微妙な装備の差異がある。 アイコンはフライトIIAの中で比較的早期に建造された「ウィンストン・S・チャーチ
ル」のもの。 |
(2007/1/22更新) | ミサイル駆逐艦DDG-91「ピンクニー」 アーレイバーク級駆逐艦「フライトIIA」型の一隻だが、これは装備的には後期型というか、最新型と言ってよいものである。 「フライトIIA」前期型との違いは、近接防御用のCIWSまで降ろしてしまい(対艦ミサイルには防御デコイで対処。DDG-85以降で採用)、さらに煙突のカバー形状を変更したり、後部VLSの位置を僅かに下げるなど(共にDDG-90以降で採用)、外観的によりすっきりした艦容になったことである。
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(2005/12/11更新) | ミサイル巡洋艦CG-47「タイコンデロガ」 皆様ご存知、いわゆる「イージス艦」の元祖。 イージスシステムと称する高度なミサイル管制装置を備え、敵航空機の襲撃から空母を守る盾(「イージス」とは、ギリシャ神話で女神アテナが持つ、絶対的な防御力を持つ盾のこと)として期待された艦である。 そして建造から30年近くなった今となっては、そのあまりの高性能が故にか、かつての『戦艦』にも似た、この種の艦を保有しているかどうかでその国の海軍の実力が計られるかのような事態にまでなってしまっている。
この「イージス巡洋艦」だが、元はと言えば「強力な防空システムを搭載したミサイル駆逐艦」でしかなかった。 イージスシステムの必要性自体は早くから分かっていたのだが、その時期はベトナム戦争後の軍事予算削減ににあたってしまい、本来このシステムを積むべき新型巡洋艦の計画が相次いでキャンセルされてしまったのである。(もし最初の方の案で建造されていたら、艦種は原子力巡洋艦になっていたかもしれない。
) そして最後に回ってきたのが、大型駆逐艦「スプルーアンス」級の船体を流用し、これにシステムを搭載する案だったのである。
実際のところSPY-1レーダーや電子装置を積みまくったため、元の船体にあった搭載余裕は限界一杯まで使われてしまったが、とにかく「タイコンデロガ」以下、最初に注文された4隻の「ミサイル駆逐艦」はなんとか設計がまとまり、建造のめどが付くこととなった。
ところが良く考えてみると、その強力な防空能力などから見て、これらの艦は既存のミサイル巡洋艦のいずれよりも戦闘力が高いことが判明した。いくら新造艦とはいえ、仮にも「駆逐艦」のくせに巡洋艦より強いのでは、今まで米艦隊の主力の一翼を担ってきた「巡洋艦」の立場がない。 そういう理由かどうか知らないが、事実として建造の途中で『艦種を格上げ』し、最終的にこれらの艦はミサイル巡洋艦として米艦隊に就役したのである。
アイコンはCG-47「タイコンデロガ」そのもの。同艦の竣工時にはVLSというミサイル搭載器自体が「なかった」
ため、その当時の米国ミサイル巡洋艦が搭載していた、連装式ミサイルランチャーを艦の前後に搭載している。
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(2005/12/11更新) | ミサイル巡洋艦CG-73「ポート・ロイヤル」 27隻建造された「タイコンデロガ」級ミサイル巡洋艦の最終番艦。そして、2005年現在、世界で最後に建造された「巡洋艦」でもある。
この艦の完成は1994年で、一番艦の完成から14年経っている。よって、初期の「タイコンデロガ」級と比べると格段に電子機器の能力が向上(イージスシステムの能力も上がっていることは言うまでもない)。そして何といっても、ミサイルの多くをVLSランチャーに収めるようになったため、応戦能力が向上している。
おのおののVLSセルには、対空(SM-2スタンダード)、対地(トマホーク巡航ミサイル)、対潜(ASROC)の各ミサイルを、任務に応じて適宜搭載する。 結果的に米艦隊が遭遇するであろうあらゆる局面に対し、イージスシステムを駆使した適切な応戦を行い、さらには相手方に対する強烈な攻撃すら可能である。
2005年現在、ネームシップの『タイコンデロガ』をはじめとしてこの級の退役艦も出始めたが、それでも同級は、今後も空母機動部隊の防
空の(水上打撃力の)要として、そして米国海軍力の象徴として君臨することであろう。
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(2005/12/14更新) | ミサイルフリゲート「オリバー・ハザード・ペリー」級 1977年から1989年にかけて建造された、WWII時の駆逐艦並みの排水量を持つフリゲート艦。総計55隻が建造された(うち、最初から豪州に引き渡された艦が4隻ある)。 さらに、オーストラリア海軍が自国用に追加で2隻を建造、スペイン海軍が準同級艦の「サンタ・マリア」級を6隻、台湾海軍も準同級艦の「成功」級を8隻建造しているため、ファミリー全体では実に71隻となる。
さすがに1番艦の就役から30年近くが過ぎ、すでに退役した艦もあるのだが、それらの中にはトルコやエジプトなどの中小国海軍の主力艦として売却され、現役と続けているものもある。
武装面では、まずミサイルは対空(SM-1)・対艦(ハープーン)を搭載。これらのミサイルは艦首側にある兼用ランチャーから発射する。 砲兵装としては76mm速射砲、近接防御用のCIWS、さらには対潜短魚雷や、2機のヘリコプターを運用できる能力をも持ち、この大きさでありながら近代水上戦に必要な一通りの装備を持っている。
艦名の「オリバー・ハザード・ペリー」は、日本に開国をもたらしたペリー提督の兄の名前から取られている。アメリカ本国ではこちらの方が有名な軍人らしい。
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(2003/10/13更新)
| ステルス実験艦シーシャドー |