- 建物一般
-
山本留吉 2009/8/24
- 東久留米駅(北口)
-
東久留米駅(北口)
西武鉄道西武池袋線の東久留米駅(北口)。
北口の名称は、橋上駅ができた後追加された。
2009年現在北口駅舎改築のため解体中。
漫画「めぞん一刻」に時計坂駅として登場したことでも有名。
写真を元に起こしてるので、変なところがあるかもしれません。
気づいた人がありましたら是非とも更新お願いします。
そのうち自動改札化前の有人改札状態も描けたらな、と思ってはいます。
にわとり(2004/10/26更新)- 詰所A
- 1間=1818mmを36ピクセル前後で書きました。明治後期から昭和30年代に、官民を問わず建築された 標準的な構造の詰所です。
トタン波板屋根タイプを書きましたが、瓦屋根タイプでも基本的構造は変わりありません。あとは部屋数が増えたり、高さ方向に大きくなったり、若干の地域差があったりするだけです。私が書いたのは換気窓の無い、背の低い部類ですね。詰所以外でも、官や会社が立てた建築物で、油庫等 特殊用途のもの以外は ほとんどこの構造でした。
にわとり(2004/10/26更新)- 詰所B
山本留吉(2003/10/15更新)- 田舎駅駅舎(ホーム側)
- 貨物列車も止まる田舎の普通駅を再現しています。
にわとり(2003/10/15更新)- 駅前タクシー
- 古くからの小地方都市の駅前にある、車2台分の車庫を備えた タクシー会社の駅前出張所です。
営業所兼 事務所兼 運転手詰所と 運転手の仮眠室が併設されており、車の簡単な日常整備も出来ます。この手の建物は色々なデザインがあり、平均値的な絵を描くのは難しいのですが、数多くの実物を観察し、その機能・流行を理解する事で何とか描き上げます。社名も何処にでもある社名に。
事務所&仮眠室部分が二階建になっている実物も多いいようですが、私の趣味で平屋にしました。仮眠室は事務所の奥の方にあり、外に布団が干してあります。終電後が稼ぎ時のタクシーとしては 必要な装備なのです。庫内に色々置いてありますが、ドラム缶(エンジンオイル入り)は出張所としては過剰装備かも。
「つばめタクシー」の文字は安直にPhotoshopの文字ツールで出力した物に 味付け。他は手書き。それから、絵の時代設定としては テレビ普及後〜現代。建物自体は昭和20〜30年代製か?
にわとり(2004/10/22更新)- 住宅A
- トタン波板張りでセメント瓦屋根のタイプです。団地、社宅等 各種用途にどうぞ。
にわとり(2004/10/22更新)- 住宅B
- 化粧板張りのタイプです。団地、社宅等 各種用途にどうぞ。
にわとり(2004/10/26更新)- 住宅C
- 北海道の炭鉱住宅。
北海道の建物は 本土の建物とだいぶ違い さまざまな特徴があります。
描いたのは木造の古い炭鉱住宅の仕様で、間口より奥行きの長いタイプです。長屋状に何件も繋がっているのが普通ですが、図は二件分のタイプです。屋根はトタンで、傾斜は急。雨樋はナシ。雪が軒下に滑り落ちないよう 雪止めが吊られています。煙突は土管で、はしご状の枠で支えられ、煙突手前の屋根には 破風(三角形の屋根状のヤツ)が 設けられて雪に備えています。これが少し新しい建物になりますと、さらに北海道らしい独特の煙突になります。
山本留吉(2003/3/13更新)- 三省堂文具店
- 江戸東京たてもの園に有った、三省堂文具店です。
山本留吉(2003/2/5更新)- 出桁駄造りの町屋
- 江戸時代からの伝統伝統的な町屋作りを再現してみました。
モデルは、江戸東京たてもの園の仕立て屋です。
山本留吉(2003/2/5更新)- 出桁駄造りの町屋庭付き
- 竹囲い(左側)と板塀(右側)併用のちょっとした庭(井戸付き)を付けてみました。
山本留吉(2003/2/5更新)- 出桁駄造りの町屋庭付き夏版
- -夏の親子-
一階の窓と、二階の窓二枚を開け、二階にはすだれをつけてみました。
ところが、それだけだと何かさびしかったので、虫取りから帰った子供と、日本酒を飲む父親を追加しました。
着物に、ザンギリなので、明治時代くらいでしょうか?
山本留吉(2003/2/5更新)- 出桁駄造りの町屋庭付き秋版
- 秋(月見)版。
庭の草を少し枯らして、縁台の上には、月見団子、ススキ入り花瓶が乗せました。
山本留吉(2003/2/5更新)- 出桁駄造りの町屋庭付き冬版
- かわらにうっすらと雪が積もった冬版です。雪ということなので、雪だるまをつけてみました。
山本留吉(2004/1/10更新)- 正月の情景
- 以前作った出桁駄造りのバリエーションです。
正月飾りや凧、獅子舞などが追加されています。
山本留吉(2003/3/15更新)- 水車小屋
- 昔は、村の水路に必ずあった水車小屋。
水車の力で石臼や杵を動かして様々な仕事をします。
山本留吉(2003/3/15更新)- 水車小屋(水路付)
- 武蔵野(関東ローム層上の大地)では、地面に段差が殆ど無い為、水車をまわすために石垣を組み段差をつけるという工夫が行われた。
山本留吉(2003/3/15更新)- 穀びつ
- 穀物(主に米)を保存するための倉庫です。
ある程度大きな農家が建てていました。
山本留吉(2003/3/15更新)- 玄関棟
- 江戸時代頃の特に格式の高い名主の家などでは、母屋と別に玄関を作りその間を廊下でつなぐ家もありました。
小平ふるさと村にある『旧小川家玄関棟』を基に作りました。
残念ながら、母屋は保存されていないので玄関だけです。
にわとり(2004/10/22更新)- ラーメン屋
- ラーメン屋は その外見に特徴があります。
まず色。基本的に赤、黄、白、で構成されており、観察したところ、どうやらその店の麺や スープの特徴が そのまま外装の色になって 表れているようです。
窓は正方形格子窓が基本で、何故か出窓の構造になっている事が多いいです。そして花壇やノボリが花を添えてラーメン屋の完成です。
にわとり(2004/10/22更新)- 喫茶店
にわとり(2004/10/1更新)- そば屋
- お高くとまってない 街のそば屋です。
山本留吉(2003/6/22更新)- モダンカフエー
山本留吉(2003/10/15更新)- 郵便局
- このアイコンのモデルは『旧小平小川郵便局舎』です。
明治41年11月15日建築、郵便局で等級は3等郵便局。
局長は、小川家から荒井家に移り代々受け継がれました。
業務は、郵便集配、小包、為替、貯金、内容証明郵便を行い、大正10年7月から昭和19年5月までは電話の交換業務も行い、交換室も設置されました。
山本留吉(2004/3/25更新)- 時計店
- この時計店は2階建て看板建築(看板造り)で、貴金属も扱う時計店の一つの特徴である『洋風で華やか』な造りになっています。
又、上部に取り付けられた時計は、道行く人からは重宝されましたが、正確な時間を管理しなければならないため、
(店の信用にも影響するので)
従業員の人は苦労したそうです。
看板建築(看板造り)について
関東大震災以降、出桁造りに変わって普及していった建築方で、建物正面を一つの大きな板(看板)のようにした住居・店舗併用の建物です。
概ね洋風の意匠で、銅版や石造風のモルタルなどで飾られています。
が、大工さんの思い入れか江戸時代以来の伝統の技術が織り込まれている場合が多く、この傾向は昔かたぎの大工さんが多い初期のものほど強いそうです。
以下にわとりさんよりご教授いただきました
看板造り(看板建築)とは、当時の「町の大工さん」が いかにして自分の持っている技術で 洋風建築物を建てるのか、挑戦した結果です。
よって、欧米の建築様式とは異なり、例えば本来石積みの所を モルタルでそれらしく見せたりします。また、大工によって造型に癖があり 持てる技術をフルに投入しているので、建築物趣味者を楽しませてくれます。
ただ、洋風なのは正面だけ。裏に廻れば従来の「木造日本商家」そのものなので「看板建築」と言われている訳です。
当時の施工主も大工さんも ハッキリ言って本物の欧米の建物を知らないんですよ。でもモダンさを追求して
「本町の銀行に負けねーやつ建ててくれ。」「オウ、まかしとけ。」と、なる訳です。
山本留吉(2004/3/25更新)- 薬局(たばこ屋付)
- 銅版張り看板建築の薬局(たばこ屋付)です。
銅版張りは東京下町に多く見られた建築様式で、防火能力が高く、塗装の必要がなく手間がかから無いと云うことで流行ったそうです。
(東海道の品川宿あたりなどでもよく見られます
店の前におかれた薬メーカーのかえるや像、うさぎなどのマスコットキャラクターは、子供達に大変人気がありました。
たばこ屋に設置されたおなじみの赤電話は、大型赤電話で、市外間電話の需要が増えた昭和41年6月から正式採用されたものです。
従来型赤電話より背が高く、胴体中部の金色ベルトに『ダイヤル市街用』と云う文字が誇らしげにかかれて居ました。
山本留吉(2004/8/9更新)- (旧)軽井沢駅舎[明治43年改築時]
- 明治43年の大改築時の状態の草軽電気鉄道駅舎
(大正13年改名、旧名は草津軽便鉄道株式会社)
一階に客溜り、待合室、駅事務室等があり、二階は貴賓室として使われていた。
後に国鉄軽井沢駅として使用され、新幹線開通と共に新駅舎と交代した。
山本留吉(2004/8/29更新)- 写真館
山本留吉(2004/8/29更新)- 陶器屋(蔵作りの商店)
山本留吉(2004/11/17更新)- 二階建て長屋
- 平屋建ての長屋より少し豪華な木造二階建ての長屋です。
2階建てですが一軒当たりの敷地自体はそう広くないため、屋内に急な階段が設けられています。
明治時代末期から昭和初期に造られ、特に大正時代に多く作られました。
大正、昭和の小説などに時々登場します。
山本留吉(2004/12/24更新)- 洋風角店(煉瓦)
- 大正末から昭和初期にかけて建てられたモダンな角店。
必ずしも煉瓦造りと云う訳ではなく、煉瓦造り風の場合もよくあります。
カフェーや洒落た飲食店等で建てられました。
山本留吉(2004/12/24更新)- 洋風角店(緑色)
にわとり(2005/6/5更新)- 変電所(戦前)
- 戦前の鉄道電化時に建てられたモルタル造りの美しい建物。 東武鉄道沿線で見られるタイプを描きましたが、当時の変電所といったら どこもこんな感じです。 だいじな建物という事で、多少の装飾が施されています。
変電所は、今では無人・遠隔操作が標準ですが、昔は機械式の回転変流器に代表される原始的な装置で所要の電気を作っていたため、それら機器の保守のために有人でした。機器は屋内配置が基本です。
有人なので 結構大きな明かり窓が目に付き、また、冷却換気のためのベンチレーターは必須です(これは現在も。)。
東武の実物は、屋上に出るための小屋が設けられていますが、後天的改造のような気もし、デザイン上も美しくないので省略。 屋根は緩い傾斜のコンクリート製で 内側にはめ込まれた形になっていて下からは見えません。 うるさくなるので受電側鉄柱は省略。裏手にでもあると想像して下さい。 また、配線もかなり怪しいもの。時代によって配線方法が違うような気がします。
なにぶん素人なのもので、何か決定的に違う様でしたら教えて下さい。
にわとり(2005/6/5更新)- 土蔵A
- 直訳すると「土で出来た蔵」で、そのようなものもありますが、現代では土蔵といえば一般的には漆喰仕上げの物を差します。
構造的には 柱間に竹+藁等で編んだベースを造り、そこに粘土を塗っていき、最後に漆喰(石灰+粘土+ふのり等を練り混ぜたもの。)で仕上げます。 美しい建物なので 今でも趣味的に新築されたりします。
もともとは農家で農産物を貯蔵するための蔵(木の壁より土の壁の方が農産物の貯蔵に適していた。)として誕生しましたが、その耐火性能が注目され、都市部に進出しました。
まず、風雨に対する対抗性や、美しさを求めて漆喰仕上げになり、火に強い瓦屋根になりました。
次に火の一番廻りやすい「軒下部分」がすっぽりと覆われました。 この構造は、のちに建てられたレンガ造、石造、コンクリート造の蔵でも共通します。
下廻りは風雨に晒されやすく、漆喰が傷んでしまうので 何らかの加工が施してあるのが普通です。 一般的には木板やトタン板で囲って保護します。 それでも ちゃんと管理されて無くボロボロに崩れている事がありますね。
さて、耐火目的の都市部建物密集地の蔵(=金持ちの蔵)では、その下廻り保護の木板も不安です。 そこで替わりに瓦平板を貼り付け、漆喰で目止めして保護した「なまこ壁」が誕生しました。 何より美しく、隣家の蔵とそのデザインが競われました。同時に鬼瓦等のデザインも凝っています。
火に強いという事で 更に発展して「店蔵造り」等も誕生しましたが・・・。 それが大大火、震災や空襲とかには耐えられず、壁だけ残して屋根が焼け落ちます。それでもある程度中の物品は守られますが・・・。
なまこ壁の解説までしましたが、描いたのはごくごく普通な土蔵。 右側妻窓は開位置としました。大砲の尾栓みたいな厚みのあるどっしりとした扉です。
にわとり(2005/6/5更新)- 農業倉庫A
- この構造の建物は鉄道趣味者の間では一般的に「農業倉庫」と呼ばれています。おもに農産物用に建てられるためですが、酒蔵や醤油蔵など 用途は色々です。
土蔵(漆喰)構造、レンガ製、石積み製、コンクリート製・・・。大小様々材質は違っても形状はどれも似通っています。
全国各地で見られますが、地域によって微妙〜な特徴・差異があります。
描いたのは土蔵構造で 軒下部分を覆い隠したタイプ、比較的小柄なものです。
差掛け屋根の下に 直接トラックなりトロッコなりを乗り付けて荷役が出来ます。 また、貨物ホーム上に建てれば 雨に濡れずに貨車から荷役が出来ます。
差掛け屋根の一部を壁で囲って部屋にしたものや、全面囲って本体と一体化した構造のものも良く見かけます。
描いたのはちゃんと管理されてるので?白壁が美しいですが、土蔵と同じく風雨に晒されやすい下廻りを木の板で囲う場合も多いいです。
換気が重要なので、屋根上にはベンチレーター(描いたのはクローブベンチレーター)や小屋根があるの場合が多いいです。
換気窓も必要に応じて設けられます(私が描いたのは妻面と背面に計4箇所あるタイプ。)。 地域によっては、それを外から開閉するためにランボードが設けられる場合もあります。
にわとり(2005/11/21更新)- 床屋
- 床屋とは基本的に常連で成り立っている商売である。 親の手による坊主刈りを卒業したガキが、初めて入った近所の床屋。 あるいは、ものごころ付く前から親に付き添って・・・。
そしてそのガキどもは大人になり・・・。
その多くが、やはり同じ床屋に通うのである。
だから、床屋の主人がじいさんになっても、後継ぎがいなくても、客が途絶えることは無く営業を続けるのである。
そんな感じを描きました。
一見、店じまいしてしまったような 薄汚れてひっそりとした姿。
やや投げやりな鉢植が、店の美観にお構いなく配置され、住人がいることは分かります。
「しもたや」か?
いやいや、ちゃんと薄汚れたトリコロールカラーのサインポール(「ねじりん棒」とか「ぐるぐる」とか俗称多数。)のコードがつながれ、回転しているじゃ〜ないですか。
これでは、たとえ床屋に用が無くても、営業中な事が遠くから一目で確認できてしまいます。
それに、場違いに新品な「全国理容組合加盟店」の四角い「チョキちゃん」看板が、ドア横に(絵では側面だが・・・。、)。
描いたのは戦後昭和に流行した 典型的床屋建築。
大きなRの付いた、大きな窓。 下廻りのタイル張り。 洋風な化粧屋根。
どこかで見た事ありませんか?
-
鉄道系
にわとり(2004/3/3更新)- 国鉄腕木式信号機(出発停止)
- 停車場から列車が発車する場合、この出発信号機の現示に従います。
腕木式出発信号機の腕木の長さは900mm、腕木の高さは主本線用が5.8m、副本線用が4.6m。
腕木が水平の場合は停止現示(R現示)と言い、斜め45度に傾くと進行現示(G現示)となります。
鉄道の現場用語で 現示が進行(を指示する)信号になる事を「信号が降りる」と言うのがありますが、これは腕木信号機時代の名残です。
にわとり(2004/3/3更新)- 国鉄腕木式信号機(場内進行通過注意)
- 場内信号機 ―― 停車場(駅、操車場、信号場)の入口に設けられた信号機。停車場に入って良いのかを現示します。
この場内信号機から反対側の場内信号機までの間が「(基本的に)停車場構内」となります。場内信号機が無い駅は停留所と呼ばれ、運転取扱上 明確に区分されています。
腕木式場内信号機の腕木の長さは1200mm、腕木の高さは主本線用が7m、副本線用が5.5m。
この絵の場合は通過信号機が併設されています。通過信号機は出発信号機の現示を予告するもので、出発信号機が進行現示(G現示)の場合は 進行現示(G現示)を表示し、そのまま停車場を通過できます。
出発信号機が停止現示(R現示)の場合は 注意現示(Y現示・45km/h制限)を表示し、停車場に停車するための減速を掛けさせます。なを、45km/h制限と言っても、実際にはポイント制限35km/hとかがあったりするので、制限大の方の指示に従って運転します。
通過信号機は (1か0しか表示できない)2位式信号機で色々やろうとした苦肉の策で、3位式信号機ならば場内信号機に直接 制限信号を現示出来ますので、蒸気機関車時代の遺物と言えましょう。
にわとり(2004/3/3更新)- 国鉄腕木式信号機(遠方進行)
- 遠方信号機は場内信号機の現示を予告するもので、場内信号機の400m手前に設置されます。場内信号機が進行現示(G現示)の場合は 進行現示(G現示)を表示します。
場内信号機が停止現示(R現示)の場合は制限信号を現示し、減速を掛けさせます。
遠方信号機が設置されるような線区は、停車場間を1閉塞区間としているような所で、これも蒸気機関車時代のなごりと言えましょう。(閉塞区間=1列車が占有出来る区間。他の列車を入れてはならない。)
にわとり(2004/3/3更新)- 国鉄腕木式信号機(場内信号機スペシャル)
- しゃれたデザインの場内信号機。
左から主本線用場内信号機+通過信号機、副本線用場内信号機×2を、一本の柱にまとめてあります。
上本線、中1番線、中2番線と3つの進路がある停車場で例えると、上本線場内がG現示、通過信号がY現示(出発がR現示)なので 上本線に進入して停車する列車に対しての現示となります。
尚、停車場で通過できる線路は主本線上下各1本で、それ以外の本線路(副本線)では通過禁止、必ず停車しなければなりません。
にわとり(2004/3/3更新)- 三位式三現示 色灯信号機(進行)
- この信号機は場内信号機、出発信号機、閉塞信号機に使用されるごくありふれた信号機です。上からGYRの順に電灯が並んでいます。
鉄道では進行信号をG信号(緑信号)と言いますが、これが道路信号の青信号と並ぶと、なぜか鉄道信号の方が“青い”という不思議な現象が見られます。
閉塞信号機とは 停車場間に列車を何本も詰め込みたい場合に 閉塞区間を分割して、その軌道回路の入口に設けられる信号機です。
にわとり(2004/3/3更新)- 三位式五現示 色灯信号機(警戒)
- 都市部等で列車本数が増えるにつれ 閉塞区間を短縮してさらに列車を詰め込む必要が生じました。そこでY信号(注意信号)制限45km/hの他に制限信号を増やして対応することになり、YG信号(減速信号)制限65km/h、YY信号(警戒信号)制限25km/hが誕生しました。 それに伴い色灯信号機も四現示式、五現示式と、種類が増えました。
尚、信号機柱の中ほどの黒い四角板には 白抜き文字で信号機の名前が書かれています。
その下の黒円盤に黄色三角形の板は、次の信号機を指差喚呼する位置を示しています。黒文字で次の信号機の名前が書かれています。
にわとり(2004/3/3更新)- 中継信号機(制限)
- これは見通しが悪い区間で、次の信号機の現示を予告する信号機です。停止信号の予告は 灯列が水平に点灯、制限信号の予告は 灯列が斜めに点灯、進行信号の予告は 灯列が縦に点灯します。
にわとり(2004/3/3更新)- 入換信号機(進行)
- 入換信号機は車両の入換に用いられる信号機です。進行は 灯列が斜めに点灯、停止は 灯列が水平に点灯します。運転士はこの信号を見て 運転士の責任で車両を動かします。
柱の中ほどに紫灯が点灯していますが、これが滅灯している場合 もしくは無い場合は、入換標識と呼ばれ、操車係が入換標識を確認して 操車係の誘導によって運転士は車両を動かします。貨車の入換等デリケートな操作が必要な場合は入換標識となります。
にわとり(2004/8/29更新)- ISO 20ft海上コンテナ
- ISO規格標準の20フィートコンテナです。
全長6058mm(“約”20ft) 全幅2438mm(8ft) 全高2590mm(8.5ft)が最大寸法です。 が、ここ20年ほどの間に ISO規格の改正→国内法の改正が続き、全高2896mm(9.5ft)の背高コンテナが新たにISO規格化され、最大積載量(荷重+自重)も初期の20302kgから24000kg(国内輸送ではタンクコンテナのみ可)まで大型化しています。
最近、海上コンテナの鉄道輸送が活性化してきましたが、これは JR貨物が地道に準備してきたもので、海上コンテナを輸送できるコンテナ車(100系200系)を量産し、“高価な”大型荷役機械も各地に配備し、また、道路法の車輌制限令の改正 等、輸送環境が整ったので、始められたものです。
海上コンテナを貨車に載せる場合は、コンテナ重量・寸法、貨車の形式・走行線区等で積み方の決まり事があるので、模型とかで海上コンテナ列車を再現する時は 注意する事。
最近、鉄道輸送を前提とした 海上コンテナ規格のタンクコンテナが多数登場しています。これには、従来の化成品タンク貨車をタンクコンテナに置き換え 効率化を推し進める意味合いがあります。輸送環境が整ったのね
にわとり(2004/8/29更新)- ISO 40ft海上コンテナ
- ISO規格標準の40フィートコンテナです。
全長12192mm(“約”40ft) 全幅2438mm(8ft) 全高2590mm(8.5ft=8フィート6インチ)が最大寸法です。最大積載量(荷重+自重)は 初期の30480kgから32480kgまで規制緩和。 更には、全高2896mm(9.5ft)の背高(High Cube)コンテナも登場しています。
最近、国内内陸部でも頻繁に海上コンテナを見かけるようになりましたが、最大で40フィートの背高コンテナまで。 国際的には45ft、48ft、53ft(主に米国内)のコンテナも使われています。
にわとり(2004/10/15更新)- ISO 40ft背高海上コンテナ
- ISO規格の40フィート背高(High Cube)海上コンテナです。
標準の全高2590mm(8.5ft=8フィート6インチ)の通称 ハチロクコンテナに対して、全高を2896mm(9.5ft=9フィート6インチ)としたタイプ。通称 クンロクと呼ばれています。
背高コンテナは見分けやすいように 上部に黄色と黒のゼブラ帯が巻いてあったり、周囲に「CAUTION 9'6 HI HIGH CONTAINER TRAINER」等と表記されています。
にわとり(2004/8/29更新)- 国鉄10tコンテナ
- 国鉄10tコンテナ
俗に「10tコンテナ」とか「20フィートコンテナ」とか言われる日本の鉄道コンテナは、同じ全長の海上コンテナに比べて 貨車に積む都合上 重量が制限されており 荷重(大抵10t弱)+自重が12.3tに収まる様に設計されています。貨車への緊締方式は海上コンテナと同じです。
海上コンテナに比べてヤワな造りなので、重ね積みは2段までしか出来ません。 また、フォークリフトで荷役出来る様に フォークリフトの爪が入る穴が開いています。
物足りない能力に感じられますが、当時の物流事情・道路交通事情にマッチしておりました。
鉄道コンテナと一般コンテナを簡単に見分ける方法は 鉄道輸送用票挿しがあるか否かで分かります。
国鉄時代の有蓋私有10tコンテナは 一般のUC5と、航送対応のUC7がありました、構造・寸法・荷重・自重はマチマチですが、すべてこの2形式にまとめられています。
コキ100系貨車が誕生する以前は 全長6058mm(約20ft) 全幅2450mm 全高2500mmが最大寸法です。
JR以降は形式の命名基準が変わり、輸送の近代化等のおかげで 数多くのさまざまな私有コンテナが誕生しています。
-
其の他系
にわとり(2003/1/8更新)- 電話ボックス昭和30年代
- 丹頂型というタイプです。1954年(昭和29年)から製作とのこと。
にわとり(2003/1/8更新)- 電話ボックス昭和50年代
- 正式名称は、A型屋外公衆電話室と言うらしい。1969年(昭和44年)から製作とのこと。
にわとり(2003/1/27更新)- 街灯A
- 時代設定特になし。
にわとり(2003/1/27更新)- 街灯B
- 時代設定特になし。 傍らにあるのは防火用水槽です。古くからある街に よく見られました。
ここに水を溜めといて イザという時に使うのです。
にわとり(2003/1/27更新)- 街灯C
- 時代設定昭和50年代。このタイプの街灯は昭和40年代製と思われます。
現在でもたまに見かけますが、急速に姿を消しています。自販機の標準高さ1830mm
にわとり(2003/6/16更新)- 消火栓標識
- これは、消火栓標識の中で「全国消火栓標識連合会」所属の民間会社によって設置されている 広告付きの物です。広告収入によって設置・維持管理費をまかないます。
広告下辺までの高さは 歩道上2.5m以上、車道上4.5m以上。広告の寸法80cm以下×40cm以下らしい。
設置する側からすると、よほど見通しが悪くない限り なるべく低くして、広告は なるべく大きくしたいわけだから、歩道上で全高3.7m位か? いずれしても 電柱なんかよりは かなり低い。
山本留吉((2003/4/23更新)- 黒ポスト
- 郵便が開業してからの順調な発展に伴い、明治5年3月に東京府内往復郵便が開始され、角柱型の新しいポストが設置されました
黒地に白で『郵便箱』と書いてあります。
にわとり(2003/1/27更新)- 丸型ポストと半鐘
- 通称「丸型ポスト」正式名称「郵便差出箱1号丸型」1949年(昭和24年)から設置。根石直径 約600mm、高さ約200mm。本体直径約400mm、高さ1350mm。
思ったより小さいですね。このタイプのポストは上部に砂が詰まっており、火災等で熱せられると底蓋が落ちて 郵便物に砂がかぶさり 火災から郵便物を守る構造になっているそうです。
傍らにあるのは半鐘(ハンショウ)。
現在でも公民館等の脇に残っていたりしますが、昭和30年代まで 実際に叩いていたそうです。
ちなみに近場の火事の時は叩き方?が違って、鎚を半鐘の内側に入れて内壁を擦る事によって音を鳴らし 危険を知らせていました。これを「擦半(スリバン)」と言います。
にわとり(2003/1/27更新)-
箱型ポスト
- 正式名称「郵便差出箱7号」。箱型の中でも大柄なタイプです。
1962年(昭和37年)から設置。柱直径約270mm、高さ約330mm。本体幅約650mm、高さ約1060mm、奥行約540mm。
郵便物の区分作業効率化のために、差入口を2分割したのが特徴です。郵便物の需要の多いい所に設置されています。
にわとり(2003/1/27更新)- 郊外のバス停
- カーブミラーとパイロンの色で、昭和50年代以前を表現。 あと、色物としては道路標識なんかも昭和50年代末期頃から段々と、反射塗料を使うなどして視認性が高いものに なっていきました。青なんかも 昔はもっと暗い色だったんですけどね。気付いている人は何人ぐらい いるんでしょ?
ベンチの内田歯科に特に意味はありません。まあ、何処にでも在りそうな名前という事で。 ただし、医療機関の名前にしたのは意味があって、電柱の広告ともども、この手の広告には何故か「医療機関」と「質屋」の広告が多く、それを表現しました。
さて、本題のバス停ですが、郊外のタイプですね。この辺はこのサイトに「バスに詳しい人」がいるので説明は省略。 吸殻入れとか描こうとしたけど「内田歯科」が隠れちゃうので省略。代わりに忘れ物の傘を立てかけときました。
にわとり(2003/1/27更新)- 火の見やぐら
- この手の火の見やぐらは 戦前から見られました。現在でも結構残っているのは、消火ホースを干すのに都合がよく、また、防災用のスピーカーを取り付けたりと、色々便利なためです。うちの近所じゃ消防団が移転する時、わざわざ移転先に移設してました。
塗装は銀色が多いいですね。送電鉄塔が銀灰色なのは亜鉛メッキを施されているからですが、それとの関連は不明です。
にわとり(2003/1/27更新)- 電信柱
- いつもは晩春から初夏をイメージして描いてるのですが、今回は秋です。電信線は省略。
無線の発達、ケーブル化以前は このような電信柱プラス裸銅線で 電信が行われていました。横木の本数が 多ければ多いいほど、その電信線は重要な幹線だと解ります。ゲリラの標的になりますね。盗聴も簡単に出来ちゃいます。
その形状から 鉄道趣味者からは「ハエタタキ」の愛称で親しまれています。が、模型とかで 電信柱と送電用電柱を 混同してる人もいますね。電柱は目的によって形状が違うので、よく観察してみましょう。
木製電柱の色は いろいろな見え方があり、防腐剤が染み出て黒ずんでいるヤツ、潮風、風雨にさらされて 防腐剤が抜けきってしまい 枯れた木の色なヤツ、何故か緑がかっているヤツ、の三種に大別されると思います。表現が難しいですね。
にわとり(2003/1/15更新)- ガソリン計量器
- 燃料給油施設の地下タンク化(昭和30年代あたりか?)が行われる以前、車両への燃料給油は 主にこれが使われていました。ガソリン計量器という名前ですが もちろんディーゼル燃料でもOKです。
塔の下の方に付いている ハンドルを右にグルグル廻すと給油、左にグルグル廻すと吸油となり、給油の時 タンクから吸い上げられた燃料は 塔の上部のガラス筒に 一旦蓄えられます。で、ココに目盛が描かれており、必要な分を目盛まで 汲み上げます。汲み上げ終わったら、ホースのノズルを車両の給油口に差込み、コックを開いて給油するわけです。めんどうですね。
描いたのは 600リットル(ドラム缶3本分)入るタイプで、給油しやすいように 枕木で少し嵩上げしてあります。
塗装は何となく赤にしました。ガラス筒部分は金網で保護されている場合が ほとんどですが 表現が難しいので省略。横っ腹には 石油会社や、○○タクシーとかの会社名が入ります。
今では結構貴重な存在なので、ガソリンスタンドの裏手なんかに放置されてたら 写真を撮っておくこと!
傍らのドラム缶に 突き刺さっているのは「サイフォン式ロータリーポンプ」要するに このポンプが「ガソリン計量器」に内蔵されているわけです。構造は、ハンドルにロータリー羽根車が直結されており、ハンドルをいきよいよく右回転させると パイプ内が真空になって油が吸上げられる仕組みです。逆回転させると逆に作用します。簡単な給油なら これでもOK。
絵の想定では 計量器への給油用を想定しています。計量器単体でも ドラム缶から直接吸い上げられるのですが、ホースの先のノズルを いちいち外さなければなりませんので・・・。
怪人37型(2003/2/18更新)- 狛犬(阿)
- 神社用
怪人37型(2003/2/18更新)- 狛犬(吽)
- 神社用
山本留吉(2003/2/25更新)- 東郷平八郎の像
- よこすかは、三笠公園に有る東郷平八郎元帥の銅像。
山本留吉(2003/5/27更新)- 駅名看板
- 今でも田舎の方に行くと残っている木製の駅名看板です。
山本留吉(2003/5/27更新)- 伝言板
- 駅などにおいてある伝言板です。
山本留吉(2003/11/18更新)- 門松
- この大きさだと実際は商店に飾るような大きさですが、一般家庭用の大きさでは特徴が出せそうにないので、どうかご勘弁を・・・
怪人37型(2002/11/13更新)- 鉄条網
- 横に並べて、つなげられるように作ってはあります。
怪人37型(2002/12/17更新)- 対戦車防御設備 通称竜の歯(dragon's teeth)
- 第二次大戦のドイツなどで使われました。
-
其の他
にわとり(2003/2/5更新)- 自転車とリアカー
- 積荷は米俵のつもり。
にわとり(2003/2/5更新)- リアカー
にわとり(2003/2/5更新)- 自転車
山本留吉(2005/5/23更新)- 普通式自転車(オーディナリー型)
- 前輪が大きく後輪が小さい自転車を普通式と呼び、之に対し前輪と後輪がほぼ同じ大きさの物を安全式と呼ぶ。
英語では初期の自転車はbikeでなくvelocipedeと呼ぶらしい。
山本留吉(2005/11/6更新)- 人力車 芸者付 幌閉
- りんりき車、力車とも呼ばれる。
明治以降昭和初期までの間に栄え、落語家や芸者集がよく利用したようで、特に落語家は真打になったら寄席へは必ず車で通うと云う掟があり、昇進したての貧乏落語家には中々出費が大変だったそうだ。
人力であるため乗り心地や速度は車夫の腕次第で、九段などの急坂には車を押して駄賃を取るたちんぼと云うものが居た。
現在は観光地などで観光用に営業が行われている。
山本留吉(2005/11/6更新)- 人力車 幌開
山本留吉
(2004/4/15更新)- トヨタGB発動機起動車(航空機スケール)
- 昭和14年から17年4月に発売されたトヨタGB型自動貨車を元に改造されたものです。
山本留吉
(2003/5/12更新)- 鯉幟[真鯉 拾米](航空機スケール)
- 端午の節句に男児の出世などを願って飾る。
一般的に一番上に飾る真鯉(黒)は、父親らしい。
田舎の方で見かける全長10mの最大級の鯉幟。
都会ではまずお目にかかれない大きさです。
山本留吉
(2003/5/12更新)- 鯉幟[緋鯉 九米](航空機スケール)
- 端午の節句に男児の出世などを願って飾る。
一般的に二番目に飾る緋鯉(赤)は、母親らしい。
10mの真鯉には、此9mの緋鯉がセットになります。
山本留吉
(2003/5/12更新)- 鯉幟[緋鯉 八米](航空機スケール)
- 端午の節句に男児の出世などを願って飾る。
一般的に三番目に飾る緋鯉(青)は、子供らしい。
10mの真鯉には、此8mの緋鯉もセットになります。
山本留吉
(2003/5/12更新)- 武者幟 [立ち武者](航空機スケール)
- 端午の節句に男児の立身出世を願って飾ります。
大幟に立ち武者、小幟に鯉の滝登りをあしらってあります。
※家紋は、山本鳥居です。(家紋と名は、とりあえず私(山本留吉の設定)で作ってあります。)
(2003/1/27更新)- 廃車体バス (おしゃかバス)
- 廃車体です。山間部を走っているとよく見かけると思いますが、意外と街中にも落ちていたりします。今のバスにはない、当時の特徴なんかが散見できたりして、結構貴重な歴史的資料だったりします。
この絵は、「山間部に放置後約10年・平地屋根無し野晒し・夏場」を想定しています(モデルあり)。
(2003/1/29更新)- 廃車バス焼肉店
- 「おしゃかバス」の用途は、その多くは普通の倉庫として使われています。
しかし、中にはバスの持つ大きな居住空間を生かして、店舗等に改造されることもあります。これも、その一例です。焼肉店に改造されています。
焼肉店になるにあたり、側面には日除けのテント、提灯が設置されました。篭る煙への対策として、天井に大穴を開けて巨大ルーバを設置、換気扇2基を装備しました。
山本留吉(2004/2/28更新)- やきとり屋台(おやじ付)
山本留吉(2004/2/28更新)- やきとり屋台
山本留吉(2004/2/28更新)- おでん屋台
- のれん、赤提灯、調理器具、棚などが変更してあります。
山本留吉(2004/2/28更新)- 焼き芋屋台
- のれん、釜、新聞などが変更してあります。
山本留吉(2005/1/6更新)- ニ八蕎麦屋台
- 江戸〜明治くらいのニ八蕎麦の屋台です。
記憶では、左右の柱部分の内側が棚のようになって居り、蕎麦や食器等を収納していたはずです。
お客は立ち食いか、場所によっては元々置いてある樽などに腰掛けたりします。
時代小説などでは屋台の飲み屋(担ぎの酒屋だったかな)と一緒に店を出して、椅子も用意していたりしました。
ニ八とは小麦粉とそば粉の割合を表しています。
山本留吉(2005/9/17更新)- 琺瑯看板(月虎蚊取り線香)
- 125cm×125cmの基本形で白地に赤丸、虎と月がトレードマークの琺瑯看板。
主に関東方面に分布し、秩父や多摩方面によく残っている。
山本留吉(2005/9/17更新)- 琺瑯看板(管公学制服)
- 125cm×125cmの基本形で黄色地、上下には波型に赤、中央には菅公の文字が堂々と記されている。
まだまだ張られている数が多く、姉妹品?にポリジョイ菅公がある。
山本留吉(2005/10/24更新)- 琺瑯看板(ハイアース)
- 190cm×90cmの正方形水原弘さんがハイアースの缶を持っているデザインが有名。
姉妹品に由美かおるさんのアース渦巻の看板があり、希に両面式の物もあるらしい。
RN(2005/9/17更新)- (株)マゼラー社 RM-33N
- (株)マゼラー社 RM-33Nです
生コン、飼料など手軽な攪拌作業に使われています。
上の四角い部分がドラムで中にローターがついてて攪拌します
本来ドラムの上には安全カバーのメッシュがついているらしいのですが
ついているところ見たことありません。
混ぜあがったら左下の三角の排出口を上のレバーで開くと流れ出てきます。
-
ジオラマ
山本留吉(2003/5/6更新)- 三笠艦橋ノ図
- 三笠艦橋に立つ東郷元帥の情景
山本留吉(2003/4/23更新)- 大喜利
- 大喜利の情景
山本留吉(2003/7/11更新)- 水師営ノ会見
- 水師営ノ会見
(2003/8/20更新)- ヤルタ会談
- ヤルタ会談
左から、チャーチル、ルーズベルト、スターリンです。
山本留吉(2004/2/28更新)- 屋台のある風景
山本留吉(2004/3/3更新)-
- 右大臣、左大臣まで完成しました。
ただ、泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸以降の3段は省略しました。
山本留吉(2005/6/5更新)- 艦上のロジェストウェンスキー中将
山本留吉(2005/6/14更新)- 縁側の午后
ジェットスキー
飛鳥(2004/8/17更新)- YAMAHA MJ-FX160
- 全長:3,34m
全幅:1.22m
全高:1.16m
乾燥重量:363kg
定員:3名
最大出力:104.5kw(160ps)/10,000rpm
エンジン排気量:1,052cc
飛鳥(2004/8/17更新)- YAMAHA MJ-XLT1200 マリンジェット
- 全長:3,16m
全幅:1.22m
全高:1.13m
乾燥重量:361kg
定員:3名
最大出力:106.6kw(155ps)/7,000rpm
エンジン排気量:1,176cc
-
2倍サイズ
(2003/10/15更新)- 神社 神主
(2003/10/15更新)- 神社 巫女
-
主力艦スケール
飛鳥(2003/10/15更新)- ランドマークタワー
山本留吉((2004/1/10更新)- 松本城
- 我国の近世城郭中初期の物で、種別としては平城に分類されます。
豊臣家の支援を受けた石川家が、前任の小笠原家の企画を拡大して建築しました。
山本留吉(2008/05/24)- 自衛隊缶飯(とり飯)
-
冨田鉄道頭和宏画伯 (2008/05/24)- 上向三位式腕木信号機
-
ちゅん(2008/05/24)- 三洋電機 solar ark
-
これは三洋電機のsolar ark (ソーラーアーク)という建物
で、岐阜県安八郡安八町に建っています。高速や新幹線で滋賀〜岐阜県を走行しているときに見たことある人もいると思います。建築デザイン的にも面白いので、機会があれば、是非みてほしいです。
建物表面に5046枚の太陽電池モジュールを貼り付けてある本体は「箱舟」をイメージして設計されています。
設計・施工 鹿島建設
建築面積 3294.48m2(996.58坪)
全長 315m 巾 上部4.3m〜下部13.7m
構造 鉄骨立体トラス構造
柱スパン 長辺方向126.6m×短辺方向13.7m
総重量 約3,000t
曲率 上弦半径2001m、下弦半径740m
仕上げ塗装 フッ素樹脂塗装
耐風 最大風速34m/s(最大瞬間風速60m/s相当)
耐震 震度7クラス相当に対応
太陽電池モジュール総数5046枚
発電能力 最大出力:630kW推定年間発電量53万kWh