情景オブジェクト_人物アイコン

 ※ 拡大図はあくまでイメージなので、縮尺等不正確です。

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山本留吉(2003/2/5更新)
騎兵(明治37.38年戦役頃)
明治三三年制服(黒に近い紺)の戦時服を着た士官です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
騎兵(昭和初期)
昭五式軍衣の士官です。 ページのトップへ戻る
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(2003/2/5更新)
アイコン※拡大図
(2003/8/23更新)
昭五式軍衣の皇族付武官
昭五式軍衣の陸軍将官です。
相関は、襟の兵科色はありません。
亦、銀色の飾緒は皇族付武官であることをあらわします。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/27更新)
憲兵将校(昭五式)
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(2004/2/1更新)
憲兵将校(昭五式マント)
ちなみに、憲兵腕章は、将校はつけないそうです。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
憲兵下士官(昭五式)
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(2003/9/3更新)
憲兵尉官正衣袴
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(2003/9/3更新)
陸軍警査(法務兵)
昭和17年に法務兵(法務官)は文官から武官へ制定されて、服制制定されました。
階級章は、他の兵科と異なり、白地に星章がつきます。
警査は、軍法会議の下級職員で、主理の命に従いて執務する者です。 ページのトップへ戻る
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拡大図
(2003/9/3更新)
陸軍監獄長正服
法務兵の最高位は大佐です。
帽子は、海軍や、有爵者帽と同じ形の物で、正刀帯は、他兵科の飾帯と正刀帯を合わせたような意匠です。
正刀隊の模様のと、前章(バックル)の拡大図です。
前章の印は、憲兵印と同じものです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
第一種航空衣袴(初期型)
陸軍の冬用航空服です。
落下傘は、旧型のサルヴァドーレ式を装着します。
腕の赤いのは、階級章のつもりです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
第二種航空衣袴(初期型)
陸軍の夏用航空服です。
日本の航空服には、軍刀差しがついています。
(機内への軍刀の持ち込みはよろしくありませんが、持ち込む人も多かったそうです。)
腕の赤いのは、階級章のつもりです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
防暑航空衣袴
陸軍の防暑航空衣袴です。
脇に通風孔があり、腕をまくりあげることができます。
腕時計をつけています。
南方戦で着られていたものなので、少々日焼けさせてみました。 ページのトップへ戻る
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(2004/7/21更新)
第二種航空衣袴(後期型)
陸軍の航空服後期型です。型救命胴衣を着け、92式操縦者用落下傘の縛帯を着ける。
落下傘は座席の下に敷きます。 ページのトップへ戻る
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(2004/7/25更新)
第二種航空衣袴(後期型)救命胴衣のみ装備
第二種航空衣袴(後期型)の上に救命胴衣のみ着用した状態で、戦闘帽を装備しています。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
98式軍衣の戦車将校
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山本留吉(2003/2/5更新)
戦車兵(つなぎ)
セパレート式の航空兵タイプの戦車衣。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
戦車兵(つなぎ)休憩
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山本留吉(2003/2/5更新)
挺身兵(陸軍)
陸軍の挺身(落下傘)隊は、パレンバンの活躍で有名です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
近衛騎兵(儀礼服)
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山本留吉(2003/2/10更新)
改四五式軍衣の歩兵
改四五式です。制定されたのは、大正11年です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
出征兵士
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山本留吉(2003/2/18更新)
九四式軽装甲車と車長
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山本留吉(2003/2/19更新)
飯上げ(初年兵)
改四五式軍服の初年兵(二等兵)です。
内務班での仕事は、基本的に初年兵に回ってきます。
今回は、飯上げです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/19更新)
フケ飯
軍隊名物?のフケ飯です。
生意気な上官や、仕返しとして二年兵以上のモサが行う嫌がらせです。
文字通り飯にフケをかけて食わせます。
腹をこわすそうなので絶対にまねしてはいけません。(笑 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/19更新)
喇叭(ラッパ)兵
新兵さんはかわいそう〜また寝て泣くのかい〜 ページのトップへ戻る
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(2003/2/19更新)
(2003/9/22更新)
昭五式軍衣(歩兵)
昭五式軍衣の外出着。
裾の細いズボンは短袴といいます。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
昭五式軍衣(歩兵と三八式歩兵銃殿)
上から、
38式歩兵銃殿
38式歩兵銃殿(制式改正脚付)
38式歩兵銃殿(着剣)
38式歩兵銃殿(一〇〇式擲弾器)
38式歩兵銃殿(一〇〇式擲弾器、着剣)
97式6.5mm狙撃銃
30年式銃剣(抜刀)、30年式銃剣(納刀)
ほぼすべての三八式歩兵銃殿を一覧にして見ました。 ページのトップへ戻る
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(2003/10/1更新)
昭五式外被(外套)
ダブルの昭五式外被(外套)、軍帽の上からもフードが被れます。
雨衣も同形式です。 ページのトップへ戻る
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(2004/2/1更新)
昭五式外被(完全軍軍装)
ダブルの昭五式外被(外套)に完全軍装。
二・二六事件仕様というイメージが強い。 ページのトップへ戻る
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※拡大図
(2003/9/3更新)
昭五式軍衣通常礼装の将校 (佐官以下)
礼装は長袴、茶靴または黒靴。式典時には全ての将校が飾緒をつける。
昭5式軍衣襟章と飾緒
襟章は、陛下の識別用のもので
赤=歩兵(ばんだの桜か襟の色)
黒=憲兵
緑=騎兵
茶=工兵
深緑=衛生(いわゆる情の緑)
黄=砲兵
等というようになっています。
襟章の上に付けている徽章は、アラビア数字、ローマ数字、見習い士官、部隊章(台湾歩兵連隊、軍楽隊など)があります。
左右同じ襟部徽章をつける場合と、異なる物をつける場合があります。
ちなみに、絵の物は歩1となります。
飾緒は、ナポレオン時代の野戦筆記具の名残で、我が国の物も初期生産型は筆記具として使える物もありました。
平常は将官参謀将校(金)、と皇族付武官(銀)だけが付けていましたが、式典時には全ての将校が付けました。 ページのトップへ戻る
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※拡大図
(2003/9/3更新)
将官正装
肩から掛けている物は、大勲位菊花大綬章の正章。副賞は左胸に付ける。
前立は駝鳥の羽根。
上段、将官正装の襟
中段、将官用飾帯の模様(非省略版)
下段、将官用飾帯の飾り、灰色(本当は銀)の模様は星 ページのトップへ戻る
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※拡大図
(2003/9/3更新)
歩兵佐官正装
佐官以下の正装は、襟と、正衣の縁、正袴(太線1本)が陛下色になります。
飾帯の飾りに銀星がありません。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
飾帯 飾帯飾り
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軍医尉官正装
尉官以下の正装には前立てがありません。
将校の正装時には、正刀帯か飾帯を装着します。
ここでは正刀帯を装着しています。
拡大図について
尉官用の飾帯飾りは少々異なるため、アイコンでは着けていませんが、あえて飾帯飾りの拡大図もセットにしています。
飾帯=正刀帯の外側に巻く飾りの帯
飾帯飾り=飾隊の端に吊るしている飾り
     (佐官、尉官用のものは明治末期には赤色部分が兵科色だった。
黒い点線で描いた物は、正刀帯と正刀です。
図のように、飾帯を巻いた場合は縦に巻いてある部分と剣つりが重なるようにします。
なお、縦まき部分は接続金具を隠すために左右にずらせるようになっています。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
工兵准尉正装
正刀帯を着けています。
准尉の正袴の兵科色の線は、佐官、尉官のものより細くなっています。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
歩兵完全軍装
九八式軍衣を着用した歩兵の完全軍装姿。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
立射
三八式歩兵銃を立射する歩兵。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/15更新)
航空整備兵
陸軍の航空部隊に配属される整備兵です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/4/23更新)
戦地を移動する陸軍将校
余談ですが、軍医の研修課程には乗馬が含まれていたそうです。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
制馬装 (将官)
乗馬本分の身分の将校には、正装の時に乗る馬用の正装もあった。
明治時代から馬具の改正などはあったものの基本的な制式は変化しなかった。
本当はもっと細かい模様(桜)が入るのですが再現できませんでした。
亦、鞍の細い金線も実際には2本ですが省略してあります。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
陸軍軍楽部将校正装
陸軍軍楽隊の将校用の正装です。
軍楽兵の最高位は少佐です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
陸軍軍楽部下士官・兵儀礼衣袴
軍楽隊の下士官・兵用の儀礼衣袴です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
陸軍軍楽部下士官・兵夏儀礼衣袴
軍楽隊の下士官・兵用の儀礼衣袴の夏用です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/4更新)
明治37年制将校軍衣
袖の黄色い点は星章です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/4更新)
陸軍将校茶褐色戦時服
日露戦争中の将校用茶褐色戦時服。
将校用の軍服は各個人によって少しずつ違うため、全てが同型と云うわけではありません。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
天皇旗旗手の近衛兵曹長
天皇旗を手にした近衛兵曹長(旗手)です。
天皇旗の生地は錦です。

近衛騎兵は、宮中行事の際の供奉を任務とし、公式鹵簿の行事や、儀杖服務の際などに正装を着用しました。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/15更新)
野球をする歩兵 (打者)
戦時中も、陸軍ではよく野球をやっていたそうです。
本来ならば、娑婆の野球のように英語は禁止なのですが、案外隊長が率先して使ったりしていた部隊も多かったそうです。
娑婆と違うのは、隊長が気合が足りないと判断した場合は容赦なく怒声が飛び、やり直させられたり、ビンタをとられたりしたそうです。(応援している兵も声が小さいとやられます。)
ちなみに、応援歌は軍歌だったそうです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/15更新)
野球をする歩兵 (投手)
こちらも同じく野球をする歩兵 (投手)です。 ページのトップへ戻る
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(2003/10/5更新)
一番銃手(九六式軽機)
『九六式軽機関銃』
上から
九六式系機関銃
九六式系機関銃(弾倉付き)
九六式系機関銃(着剣)
九六式系機関銃(射撃姿勢)
九六式系機関銃(布製カバー付き) ページのトップへ戻る
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵軍馬(十四年式兵用馬具装着)
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵軍馬(十四年式尉官用馬具装着)
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵軍馬(十四年式佐官用馬具装着)
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵佐官儀礼衣袴
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵尉官儀礼衣袴
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵下士官儀礼衣袴
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵尉官外套
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(2003/10/26更新)
近衛騎兵外套
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(2004/2/1更新)
45式軍衣歩兵
明治45年制定の軍服で、上衣袖部分や軍袴の脇に赤線が入っているのが特徴です。 ページのトップへ戻る
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(2004/2/1更新)
45式軍衣喇叭卒
軍隊を満期除隊した時に役に立たない兵種の筆頭とも言われ、『ラッパ、ヨーチン、はとぽっぽ』とうたわれています。 ページのトップへ戻る
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(2004/3/8更新)
十九年式軍衣歩兵(完全軍装)
明治19年制定の兵用軍衣(冬用)で、日露戦争初期(部隊により後期)まで使用された。
五つ釦の紺絨(黒羅紗との資料もあり)製で、軍帽鉢巻は師団所属、襟に兵科章、肩章に部隊番号、袖に階級章を取り付けてある。
日露戦争中、戦場では迷彩効果が得られないことから、徐々にカーキ色の野戦向き軍衣に交換されていき、いきわたらない部隊では十九年式軍衣の上からカーキ色の外套を着用した。
以下ウエストモーランドさんより補足いただきました。
・下士兵卒 上衣
釦は赫銅で胸部前合わせに大が5ヶ、肩章及び剣留めに小が3ヶ使用されています。
釦のサイズは大きい物が8分、小さい物が5分5厘です。
・下士兵卒 袴(アイコン使用の物のみ)
明治19年3月1日制定
ストレート形状
地質 紺絨
側章 緋絨(ズボンの側面の赤い帯の事)
側章の幅は5分
・下士兵卒 肩章(アイコン使用の物のみ)
明治19年3月1日制定
歩兵・砲兵は連隊番号・工輜重兵は大隊番号を附す
地質 緋絨
番号 白絨
・第二種帽(アイコン使用の物のみ)
明治19年2月24日制定
地質 紺絨
横章 黄絨(兵科の場合)
注(アイコン使用の物のみ)
兵科により地質の色彩などの差異があります。
上記の説明はアイコンの物のみです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
看護略衣 (日赤)
日赤看護婦さんの略衣です。
白黒資料と色名しか解らなかった為、感で色を作っているので、若し正しい色がわかる人がおられましたらご指摘ください。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/10更新)
西竹一中尉(バロン西)とウラヌス号
ロスオリンピックで優勝した、西竹一中尉(バロン西)と、ウラヌス号です。
其の後バロン西は、硫黄島の決戦で戦死しました。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/4/15更新)
陸軍大将山下奉文閣下
シンガポール攻略線を勝利に導いた第十四比島方面軍司令官。
昭和十七年二月二十五日、英軍司令官に対し無条件降伏を呑ませた「Yes or No」は余りにも有名です。
降伏の朝、ブキテマ高地の一角に立つ大将閣下の写真を再現しています。 ページのトップへ戻る
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(2003/10/1更新)
乃木希典大将 (日露戦争時)
当時第三軍司令官を務め、二〇三高地攻略にあたった。
甚大なる被害の責任をとろうと「乃木家から3つの棺がそろうまで葬式は出さない。」といったのは有名。
明治大帝の信任も厚く、甚大なる被害による更迭案も陛下により否決された。亦、陛下は戦後乃木大将の自害もやめさせた。
其の後、明治大帝の崩御のさい妻とともに殉死。
当時の陸軍将校の服は、黒の肋骨服、白い夏服、黒い戦時服、茶褐色夏服、茶褐色戦時服の全てが許可されており、組み合わせる事も可能であった。
乃木大将は黒の肋骨服に白い乗馬ズボン、白手袋を着用。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
陸軍中将栗林忠道閣下
たとえ最終的に落とされてしまったとはいえ、帝国陸軍最強の要塞を築き上げ、戦い続けた小笠原兵団の指揮官です。
武人としての才能と部下を思いやる優しさを持つ将軍で、『昭和の乃木将軍』とも称されました。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/8更新)
加藤建夫中佐(陸軍航空隊将校)
加藤隼戦闘隊として有名な、飛行第六十四戦隊戦隊長。
大東亞戦争中、七度もの感状を承った我帝国陸軍航空隊ただ一人の将官エース。
加藤隼戦闘隊を率いる加藤中佐は、まさしく陸軍南方戦の空の守護神として活躍。
しかし、シンガポール航空撃滅戦、パレンバン降下作戦等を戦い抜いた戦隊長もついにベンガル湾に散った。
死後二階級特進し、軍神となる。
今回は、生前(中佐時)航空基地にての服装を再現しています。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
陸軍患者衣
陸軍病院で、患者が着ていました。
夏・冬同じデザインですが生地が違い、
夏は綿布、冬は綿ネルです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
陸軍看護婦
陸軍病院の看護婦さんです。
階級は、看護婦長、看護婦の二階級で左襟に星章を着けます。
白黒資料と色名がざっぱに茶褐色というくらいしか解らなかった為、感で色を作っているので、若し正しい色がわかる人がおられましたらご指摘ください。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
陸軍看護婦防寒服
陸軍病院の看護婦さんの防寒服です。
白黒資料と色名しか解らなかった為、感で色を作っているので、若し正しい色がわかる人がおられましたらご指摘ください。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
日赤看護婦防暑衣
日本赤十字の看護婦さんです。
襟章は桜で、看護婦長には左胸にポケットが有ります。
白黒資料と色名しか解らなかった為、感で色を作っているので、若し正しい色がわかる人がおられましたらご指摘ください。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
看護略衣 (陸軍)
陸軍看護婦さんの略衣です。
白黒資料と色名しか解らなかった為、感で色を作っているので、若し正しい色がわかる人がおられましたらご指摘ください。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
候補生軍衣(夏衣)
兵学校の物と(アイコン上では)たいした違いがありません。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/3更新)
候補生軍衣(冬衣)
襟章は准士官です。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/20更新)
海軍下士官軍衣(冬用)
両腕の丸は官職区別章、右腕の官職区別章の上の物は善行章(冬用)です。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/20更新)
海軍一種軍装の尉官(冬用)
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(2003/8/20更新)
海軍一種軍装の佐官(冬用)
海軍一種軍装は、冬用です。
この服は、見てのとおり黒に近い紺色であるため、カラスと呼ばれていたとかいないとか・・・
亦、双眼鏡の紐の赤は佐官階級であることをあらわしています。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/20更新)
海軍一種軍装の将官(冬用)
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(2003/8/20更新)
海軍下士官軍衣 (夏用)
両腕の丸は特技章、右腕の特技章の上の物は善行章(夏用)です。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/17更新)
海軍二種軍装の尉官(夏用)
海軍二種軍装は、夏用です。
夏は軍帽に白い日覆いをかけます。
この服は、かの山本五十六元帥が好んできていたことで有名です。
亦、双眼鏡の紐の青は尉官階級であることをあらわしています。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/20更新)
海軍二種軍装の佐官(夏用)
軍帽ではなく、第2種略帽をかぶっています。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/20更新)
海軍二種軍装の将官(夏用)
ひげと双眼鏡の紐が違います。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
海軍三種軍装の士官
大東亜戦争末期、陸上勤務の海軍士官が用いた。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
海軍陸戦隊の士官
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山本留吉(2003/3/31更新)
海軍陸戦隊の士官(鉄兜)
鉄兜をかぶった海軍陸戦隊の士官
海軍緑色の士官服シリーズです。
海軍の軍服といったら白か紺ですが、忘れちゃいけないのがこの緑色です。
陸軍の開襟と似ているようでも、こちらのほうが段違いでかっこいい。(気がする
緑シリーズ(特に三種)は一度は着てみたい軍服です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/29更新)
海軍将校用防暑衣(防暑帽)
南方勤務用の防暑衣。
防暑帽とは、いわゆる探検帽のようなもの。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/29更新)
海軍将校用防暑衣(略帽)
南方勤務用の防暑衣。
こちらは通常の将校用第2種略を帽着用。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
落下傘兵(海軍)
百式短機関銃嚢と、四式落下傘を装着しています。
海軍の落下傘部隊は、日本で初めての実戦部隊です。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/26更新)
水兵(夏)
帝国海軍水兵の兵軍衣(夏)です。
いわゆるセーラー服です。
『ベ式短機関銃』
正式名称 ベルグマン短機関銃
上から
陸軍ベルグマン短機関銃 豪州ステア社製
海軍ベルグマン短機関銃 瑞西(スイス)シグ社製
海軍では早期から艦内用に装備しており、上海事件でも活躍した。
同事件で陸軍にも短機関銃の重要性が認められ、陸軍も独自に輸入するようになった。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
水兵_手旗信号
手旗信号の一こまです。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/30更新)
水兵(冬)
冬服です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/19更新)
水兵(救命胴衣)
救命胴衣を着用した水兵です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/16更新)
海軍尉官通常礼装
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山本留吉(2003/7/16更新)
海軍佐官礼装
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山本留吉(2003/3/31更新)
海軍患者衣
海軍病院などで、傷病兵が着ていたものです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/31更新)
海軍患者用綿入れ衣
海軍病院などで、冬の間用いられる傷病兵用の綿入れです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/3/23更新)
雨衣の士官
雨衣を着て、指示を出している士官です。 ページのトップへ戻る
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(2003/11/23更新)
軍楽兵礼装
この軍服は大正8年から昭和16年までの間使用されました。 ページのトップへ戻る
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(2003/11/23更新)
軍楽兵曹長礼装
この軍服は大正8年から昭和16年までの間使用されました。
生地は赤羅紗で、昭和20年の敗戦まで存在しましたが、実際の使用は昭和16年、即ちこの礼衣が最後でした。 ページのトップへ戻る
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(2003/11/23更新)
一等軍楽手
この軍服は明治40年から大正3年までの間使用されました。
左袖に善行章をつけており、勤続12年以上であることがわかります。
軍帽は普通の下士官用のものですが、前章が『打抜キ真鍮ノ喇叭及銀ノ桜花ヲ付ス』となっています。 ページのトップへ戻る
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(2003/11/23更新)
事業服、カンカン帽の水兵
夏用略帽としての麦藁帽は大正3年に廃止されましたが、翌大正4年から熱帯方面へは剣する艦隊の水兵と、陸上勤務の下士卒に貸与されることになりました。
南方方面で大いに使用されましたが、破損が多く選択が不可能なことから、麦藁帽以外に南方用の布製防暑帽の開発を求める声も多かったそうです。
事業服は生小倉木綿製で明治29年型。
大正11年に新型が開発されましたが、在庫を残さずこれでもかというほど物を大切にするのが軍隊ですから、当然の如く昭和の時代まで使用されていました。 ページのトップへ戻る
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(2003/11/23更新)
機関兵(煙管服)
海軍創設期には『火夫』と呼ばれていましたが、明治28年に『機関兵』と改称されました。
煙管服は制式には『掃除服』と呼びます。
元々は下士卒の古着を用いましたが、何時の頃から過去のような専用の服が用意されました。
手にもっているのは、鍛冶仕事や石炭の塊を砕くのに用いるハンマーです。 ページのトップへ戻る
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(2004/1/4更新)
海軍陸戦重砲隊
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(2003/8/13更新)
東郷平八郎GF指令長官
日本海海戦時に、三笠艦橋で指揮を取る東郷GF長官を再現しました。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/9更新)
山本五十六GF指令長官
ラバウルでの前線視察にて、零式艦戦見送りの一こま。
これより後、一式陸攻にて移動中メザシに撃墜されて戦死。
大勲位、攻一級、正三位、元帥の称号、国葬を賜った。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
海軍大尉宇垣纏
大尉時代の、宇垣参謀長です。
大東亞戦争中、GFの参謀長を務め、後に特攻機地の指揮官になる。
終戦後、沖縄へ向けて特攻出撃・・・ ページのトップへ戻る
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(2003/8/6更新)
宇垣纏中将出撃
『後から俺も征く』と言って送り出した特攻隊員との約束を守り、特攻の精神に生きる道を選んだ武将。
昭和二十年四月より、九州の最前線基地にて特攻作戦の指揮を取る。
八月十五日、玉音放送により、積極的攻撃の中止命令発令。
同日、宇垣中将は、自ら特攻出撃すべく山本五十六元帥から拝領の脇差を手に飛行場に向かう。
幕僚に翻意を進められるも、「いまだ停戦命令に接せず、多数の純忠の将士のあとを追い、特攻の精神に生きんとするにおいて、考慮の余地はない」と、言い切り5機の彗星に出撃命令を出す。
最後の特攻隊は、大分飛行場より志願者を含め11機の編隊を作り沖縄の空を目指した。
今回は、海軍三種を着、襟の階級章を取り払い、右手に元帥より拝領の脇差を持っています。 ページのトップへ戻る
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(2004/6/24更新)
明治大帝(大元帥陛下)
大日本帝國国家元首にして陸海軍を統べる大元帥陛下。
日清日露の戦役の折に常に御召しになられていたという肋骨軍服で再現しました。 ページのトップへ戻る
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(2003/10/12更新)
大元帥陛下(大正天皇)
陸軍大元帥服を御召しになられた大元帥陛下(大正天皇)。
白黒写真からおこしたもので、色が少々間違っているかもしれません。
記章、勲章の一部は、ドット数の都合で省略しております。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/25更新)
大元帥陛下(昭和天皇)
海軍大元帥服を御召しになられた大元帥閣下(先代の天皇陛下)。
主に、観艦式などの海軍行事、閲兵の折に此の服を御召しになられた。
だいげんすい【大元帥】
1.全軍を統率する総大将。
2.兵權を統率する元首、即ち我国にては天皇陛下。
           (昭和九年版廣辭林より)
ドット数の都合により記章及び、眼鏡は省略しております。 ページのトップへ戻る
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(2003/8/6更新)
坂上田村麻呂(古代・鎧)
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山本留吉(2003/2/18更新)
神武天皇と金鵄
神武天皇の弓に金鵄(金色の鳶)がとまっています。 ページのトップへ戻る
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※拡大図
(2003/9/3更新)
野口英世博士エクアドル陸軍名誉軍医監制服
大正7年にエクアドルへ遠征し、黄熱病を研究。
南米の黄熱病に対する治療法を発見。
この軍服は其の折に、エクアドル国より送られた物で、亜米利加で軍医になることができなっかた博士が在米中好んで着用していたそうです。
博士はこれ以外にもエクアドル国から陸軍大佐の地位と軍服を与えられている。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/21更新)
幕府軍将校
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(2004/4/25更新)
幕府海軍レキション羽織・だんぶくろ
慶応元年ごろの幕府海軍士官服が洋式化する前に使われていました。
レキション羽織は黒羅紗又は黒呉絽製の筒袖で、襟の形は多種多様ですが、アイコンでは常備のみ折返しをした陣羽織型です。
だんぶくろは袴と同じように腰板を付け裾はズボンのような作りになって居ます。
其の上から白帯を胴締めのように締め、刀を差します。
足元は紺足袋に白緒の草履を履いています。
笠は特に指定がなく、文久年間に指定され陣笠を着装しました。
又、慶応年間初期には青年仕官の間で洋装が流行し、幕府より『レキションと唱候筒袖羽織』と、『ダンブクロは腰板有之分』以外は禁止し、それらも生地は木綿・羅紗・呉絽製で黒に限ると云うお達しが出ました。
(対象は陸軍でしたが、このアイコンの物は其の条件に合致しています ページのトップへ戻る
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(2004/6/2更新)
幕府海軍士官(慶応4年以降)
幕府海軍回天御軍艦役並勤方蒸気役一等(機関大尉) ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
新撰組隊士
我国最強にして最後の剣客集団『新撰組』。
壬生狼と恐れられし武士を再現しました。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/5更新)
新撰組局長近藤勇
隊服ではなく、紋付を着ているところです。
片手に下げた日本刀は、愛用の虎鉄のつもりで・・・ ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/10更新)
数右衛門
仮名手本忠臣蔵にでてきた、中心の一人です。
今回は、坂東妻三郎が、演じたときの錦絵からおこしました。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/4/26更新)
自衛隊制服(昭和25年〜32年)
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(2003/12/22更新)
防衛医大制服1
冬用 ページのトップへ戻る
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(2003/12/22更新)
防衛医大制服2
夏季用正装 ページのトップへ戻る
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(2003/12/22更新)
防衛医大制服観閲式
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(2006/12/22更新)
陸上自衛隊第302保安中隊(特別儀仗隊)
市ヶ谷駐屯地に配置される東部方面総監直轄の保安中隊。
国賓来日等の際に同中隊から編成されるのが特別儀仗隊である。
尚、保安中隊は警務科(憲兵科)職種で編成される。
アイコンは特別儀仗服装の儀仗隊指揮官で、儀礼刀を佩刀している。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/8/6更新)
政治指導官 (オルツグルッペンライター)
独逸第三帝國の町や村にいる政治指導官。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
総統ダブル
先の大戦(欧州戦線)が始まってから、某ちょび髭の伍長上がりが着ていた服です。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
独逸海軍将校
将校用ブルードレス、ブルートップ制帽着用。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
Uボート艦長
本来、制帽はブルートップで、ホワイトトップは夏用ですが、艦長はホワイトトップを好んで着用しました。
襟の内側の黄色っぽいのはスカーフです。 ページのトップへ戻る
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(2003/6/16更新)
Uボート艦長(革コート着用)
ボタンは陸軍用のものを使用しています。
わき腹のポケットは、防寒用と思われます。 ページのトップへ戻る
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(2003/6/16更新)
Uボート艦長(革コート着崩し)
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(2003/9/24更新)
独逸陸軍(制帽着用)
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山本留吉(2003/2/18更新)
東独逸国境警備隊
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(2003/10/31更新)  ※)拡大図
ヨーゼフ・ディートリッヒ(ヨーゼフ・ゼップ)
武装SS上級大将、第6装甲軍の司令官。
部下からは「おやじ」と呼ばれ、信頼されていた。
親分肌で、反骨精神旺盛だが、軍事的素養はほとんど無い。
独逸陸軍将校を真似て改造した軍服を愛用。
ディートリヒ氏は上記解説にもあるように1942年4月20日に高級集団指揮官(陸軍の上級大将に相当)に昇進していますが、拡大図に描かれている階級章は上級集団指揮官(陸軍の大将に相当)の物です。
ただし、これは誤りでは無くて、当の本人も1944年の8月23日まで上級集団指揮官の階級章を着用していました。
これは別に本人が上級集団指揮官の階級章に思い入れがあるなどの理由では無く、昇進の事実を知ったのが2年後だった為との事です。
事実を知るのが遅れた理由については手持ちの資料には書かれていないので何とも言えませんが、本人が2年間も知らなかったというのも凄い話ですね・・・。
拡大図
上から
独逸陸軍将校風改造軍帽
襟章
柏葉付騎士鉄十字章 ページのトップへ戻る
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(2003/10/31更新)
独逸海軍将校用フロックコート
独逸海軍将校が、夜会やパレード等の公式なセレモニーで着用。 ページのトップへ戻る
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頑次朗(2004/10/28更新)
ドイツ軍戦車兵
戦車及び装甲車搭乗員用の被服です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
竜騎兵将校(日露戦争時)
日露戦争時の露西亜の竜騎兵将校です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
ウラルコサック(日露戦争時)
当時ロシア騎兵の中でも特に勇猛な戦士がコサック騎兵だった。
身の丈の倍はあろうかという長槍と、疾風の如き駿馬を用い我が帝國陸軍を圧倒した。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
コサック歩兵パレード服(日露戦争時)
コサック歩兵のパレード用軍服。
左胸についているのは、勲章です。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
ウラルコサック夏服(日露戦争時)
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山本留吉(2003/6/16更新)
尉官夏衣(日露戦争時)
帝政露西亜軍の歩兵将校の夏服は、伝統的に白のシングルボタン。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
尉官軍衣(日露戦争時)
帝政露西亜軍尉官標準服 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/19更新)
露西亜海軍士官[初期型](日露戦争時)
露西亜海軍士官の軍服は、ダブルの金ボタンをつけたフロックコート。
プロシア海軍を手本にしている。
海軍士官の軍服は、始めは深緑色であったが後に黒色となった。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/19更新)
露西亜海軍水兵(日露戦争時)
服の色が露西亜式の新緑色である以外は、他国のものとさして変わりは無い。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/7/4更新)
ステッセル将軍 (露西亜帝國軍将校)
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(2003/9/24更新)
露西亜陸軍(外套着用)
露西亜陸軍の軍服は、民族服の『ルバシカ』に似た意匠の上着と乗馬ズボンで、防寒用に灰色のオーバーコートを着用しました。 ページのトップへ戻る
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怪人37型(2003/2/18更新)
ロンドン塔の守衛
イギリスはロンドン塔の守衛、Beefeaterです。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
大英帝國陸軍蘇格蘭(スコットランド)連隊
蘇格蘭の兵士はキルト(スカート)を正服とすることで有名ですが、第一次大戦当時は戦場でもキルトを着用しました。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
大英帝國陸軍(皿ヘルメット)
大英帝國でお馴染みの皿ヘルメットは、この頃から使われていました。 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
大英帝國陸軍(制帽)
大英帝國は他国に先駆けてカーキ色の軍服を採用しました。
其の後、カーキやくすんだ褐色が戦場で目立ちにくいことがわかると、他国も挙って採用しました。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/27更新)
蘇格蘭兵
タータンチェックのキルト(スカート)にベレー帽。
蘇格蘭といえばキルトですが、今でも蘇格蘭兵の正装軍服はキルトです
此の格好で戦っていたのは第一次世界大戦まです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/2/18更新)
外国の兵隊
米フロリダにあるらしいCastlio de San Marcosという要塞で戦った兵隊。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/22更新)
竜騎兵 (仏蘭西)
普仏戦争時の竜騎兵です。
通常、騎兵は抜刀突撃が基本戦法ですが、馬上から騎兵銃を撃ったり、手榴弾を投擲したりもしました。
亦、馬から降りて、戦う事もあった為、胸甲鎧わずに、身軽になってます。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/5/27更新)
墺太利洪牙利帝国領ガリツィアのコサック兵
当時、墺太利洪牙利帝国はウクライナまで版図を広げて居り、其処に住んでいたコサック達を軍に編入していました。
*ナポレオン戦争の頃 ページのトップへ戻る
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(2003/9/24更新)
仏蘭西陸軍(初期型)
第一次大戦勃発当初、仏蘭西の軍服は濃い青色の外套に赤いズボンでしたが、一年後に目立たない水色軍服に変更されました。
背中の棒は、トレンチ・ショベルです。 ページのトップへ戻る
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山本留吉(2003/6/16更新)
バイエルン軍歩兵
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(2003/9/24更新)
亜米利加陸軍
被っている帽子は、スロウチ帽です。鉄兜は、英国と同じ皿ヘルメットを使用しました。 ページのトップへ戻る
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怪人37型(2003/2/18更新)
連邦軍(北軍)兵士
アメリカ南北戦争の北軍の兵士です。
服の色からblueともいいます。 ページのトップへ戻る
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怪人37型(2003/2/18更新)
南部連合軍(南軍)兵士
南部連合軍(南軍)兵士
こちらはgreyと呼ばれることもあります。 ページのトップへ戻る
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頑次朗(2004/10/28更新)
アメリカ軍戦車兵
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怪人37型(2003/11/15更新)
サンダース大佐
全高180cm 大佐(colonel)は退役してからもらった称号だそうです。
TVドラマ”コンバット”の伝説的原作者だとか。 ページのトップへ戻る
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怪人37型(2003/2/19更新)
バチカン市国スイス衛兵
この服はミケランジェロデザインです。 ページのトップへ戻る