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空母
RN(2005/12/23更新)- 航空母艦ベアルン
- 1922年度計画で空母の整備が認められた仏海軍は、1920年の進水後ワシントン条約により放置されていたノルマンディ級戦艦を条約の規定により設計を変更、空母として就役させることとしました
50%以上工事が進んでいた諸艦は設計変更に適さず、最も工事が遅れていた”ベアルン”がその対象に選ばれました
列国の改造空母のトップを切って1927年5月に完成したベアルンは米のレキシントン級と同様全長いっぱいの(180m)飛行甲板を備え、近代的空母の外観を呈していました
また横張り式の着艦制動器を当初より備え、後に各国の標準となる3基のエレベーター、煙突一体のアイランド艦橋など先進的な設計でした
しかし、その他の改造空母が巡洋戦艦、高速戦艦がベースだったのに比し全長176m、21ktの純戦艦であったためカタパルトの不備と相まって航空機運用能力は低いものでした
またフランス航空工業の」混乱からか適当な艦載機にも恵まれず、初期は戦闘機にドボワチーヌD1、艦攻/艦偵にルヴァッスールPL7を搭載しましたが大戦前
には戦闘機ドボワチーヌD373/376のみ搭載していたといわれています
当然ながら仏海軍もベアルンの能力に満足していたわけではなくその運用実績から設計された後継となるジョッフル級空母の就役後は第一線を退く予定でした。しかし、1938年度計画で2隻が認められた同級は休戦時ネームシップが28%の工事進捗状況、2番艦のパンルヴェ、40年に追加された3番艦は未起工で、結局ベアルンが第二次大戦開戦時仏海軍唯一の空母となりました
開戦時はブレストで新鋭戦艦ダンケルク級とともに第一戦隊を組み大西洋の哨戒活動を行いドイツポケット戦艦シュペーの捜索などに参加、その後は本土防衛のため米国より緊急輸入される戦闘機の輸送などおこないました
休戦後は西インド諸島はマルティニック島にてあり、自由フランス軍に参加した1943以降、米国にて航空機輸送艦に改装後カナダ-フランス間の航空機輸送に従事しました
アイコンは1939年頃のベアルンです。煙突の排煙冷却用の通気口が完成時より増加しています
しかし搭載機は適当な資料がなかったのでド
ボワチーヌD1が載っています
計画時の要目
基準排水量22.1465t 182.6m*35.2m*9.3m 計画出力36.200hp 計画速力21.5kt
15.5cm単装砲*8 7.5cm高角砲*6 搭載機*40
RN(2006/4/11更新)- 水上機母艦
コマンダン・テスト(Commandant Teste)
- 1926年計画で建造、1932年に完成した水上機母艦でベアルンの支援、巡洋艦群の搭載機の補給目的で建造されました。
両舷2基づつのカタパルト、12t、5t併せて5基のクレーン、ハインマット、広大な格納庫及び修理施設(L=84m*W=27m*H=7m)により優れた水上機運用能力を有し、この艦種としては有力な火力(10cm高角砲12門、片舷指向6門、艦首尾指向5門)も有しており航空機自体の能力(水上機、飛行艇であるという)を除けば大戦間の正規空母としてみても遜色のない存在でした。
搭載機は哨戒、偵察用としてロワール130飛行艇、対艦攻撃用としてラテコエール298水上雷撃機がそれぞれ1スコードロンとされ、このことからも仏海軍の本艦への期待が感じられ、1930年代空母ベアルンに攻撃機は搭載されず戦闘機のみとされたことは本艦とのペアでの運用を考慮したことによると想像されます。
10.000tを超え艦隊随伴能力を持つ水上機母艦は他国に例がなく、通常は補助艦艇に類別されることの多い同艦種の中で”主力艦”として空母に分類されることもあり後年
の日本の千歳型にも影響を与えました。
開戦時は地中海艦隊に所属、フランス降伏後英軍の攻撃を逃れツーロンに脱出、一斉自沈に参加しましたが爆破などの破壊は行われず1946年浮揚、軍隊輸送船、あるいは500ftの飛行甲板を持つ練習空母への改装も検討されましたが実施されずハルクとして1950年まで使われました。
計画時の要目
排水量10.000t 167.0m*27.0m*6.9m 計画出力21.000hp 計画速力20.5kt
10cm単装高角砲*12 搭載機26
RN(2006/5/10更新)- 航空母艦ディズミュド(Dixmude)
- 前身は英海軍護衛空母バイター(Biter)、1945年4月に引渡しを受けました。
バイターは米国より貸与された40隻あまりの護衛空母の最初のタイプ、アーチャー級4隻のうちの1隻で1941年に商船”リオ・パラナ”より改造されました。
改造の要領は米国初の護衛空母”ロングアイランド”にほぼ準じ、C3型標準設計貨物船の上構の1部を撤去、中央部ハウス部分より後方の両原則を囲い格納庫とし、その上部に全通した飛行甲板を設けました(ただし、他艦の原型となった商船が船首楼形式であったのが”リオ・パラナ”は平甲板型であったため艦首部舷側のシルエットが異なっています)
そのため”ロングアイランド”同様、格納庫は船体全長の半分以下でエレベーターも後部に一基のみとされ搭載機数、運用面で問題があり、続くボーグ級では上構のほとんどが撤去され全長に及ぶ格納庫が設けられました。
英海軍時代は大西洋、ジブラルタル方面で船団護衛に活躍、トーチ作戦にも参加しました。仏海軍に貸与されて後は航
空機輸送等に従事、インドシナ紛争時は空母としての活動を期待されSBDドーントレスなどを搭載しましたがカタパルトの不調などで十分な活動が出来ず、1949年以降は主に航空機輸送に従事、1951年にはクレーンを搭載して輸送専用とされました。1955年の退役後は宿泊艦として使用され1966年米国に返却、標的艦として海没処分されました。
アイコンは1940年代後半のディズミュドです。大戦時と比べてマストが増設され電子装置が強化されています。
主な要目
排水量8.200t 150.0m*20.2m*8.7m 出力8.500hp 速力16.0kt
10.2cm単装高角砲*3 搭載機15〜20(輸送任務)
RN(2006/6/8更新)- 航空母艦クレマンソー級(Clemenceau Class)
- フランスが空母として計画就役させた始めてのクラスです。1953年計画のPA-54(クレマンソー)、55年計画のPA-55(フォッシュ)の2隻が建造されました。
その計画はドイツ降伏直後のPA-28プロジェクトに遡りますが戦後の混乱は大型艦の建造をゆるさず1946年に計画は一時中断、当面は英米供与の第二次大戦型の小型空母の運用に甘んじなければなりませんでした。
1950年代に至りシュルクーフ級駆逐艦、ナルヴァル級潜水艦の建造など海軍力の整備も軌道に乗り、本級は1955年より建造を開始、7年後の1961年米国を除いては初のの戦後設計の空母として完成しました(フォッシュはそれぞれ1955年、63年)
本級はジェット艦上機を運用する空母としてはもっとも小型の部類に属しそのサイズ、形状は同時期にSCB-27C、SCB125改造を終えた米エセックス級に良く似ています。英国製ミッチェル・ブラウンBS-5スチームカタパルトと8°のアングルドデッキを備え、エレベーターはカタパルト直後の甲板中央と後部甲板右舷側の2基でした。
(ちなみにカタパルトは当時米国も同形式のものをC-11として採用、”世界標準”といえました)
機関は通常型の蒸気タービンで6缶で、当時の大型艦としては珍しい2軸推進で126.000hpを発揮、発揮速力は32ktといわれています。
搭載機は当初、国産のエタンダールW戦闘/攻撃機と写真偵察型のWP、アリゼ対潜哨戒機でしたが、後に防空能力の不足からF8Eの中古再生機を導入しています。1977〜78年に実施された第一次近代化改装の際に(フォッシュは80〜81年)機関のオーバーホール、航空機運用能力の強化とあわせて新たに導入されたシュペル・エタンダールのASMP巡航ミサイルの戦術核弾頭AN-52用に弾薬庫の改修も行われました。また1985〜86年には100o砲を半減クロタル短SAM*2に換装するなどの工事も行われました(フォッシュは87〜88年)
完成後、永年の間フランス独自の外交戦略の象徴を勤めた両艦ですが湾岸戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時の国連軍の支援活動などを最後として、クレマンソーは1997年退役、フォッシュは2000年に現役を退きブラジルに売却、2001年よりサンパウロとして再就役しました。
アイコンは最終状態のクレマンソーです。
完成時の要目
排水量27.307t 満載排水量32.780t 265m*51.2m(甲板幅)*8.6m
出力126.000hp 速力32.0kt 100o単装高角砲*8 搭載機*40
JTPS-P16(2006/6/8更新)- 原子力航空母艦シャルル・ド・ゴール
- アメリカ以外では唯一の原子力空母です。
当初の予定ではクレマンソーの退役に合わせ1996年に就役させる予定でした。
しかし冷戦の終結の為、進水が遅れ、更に原子炉の強度不足の補修や、アングルドデッキを4メートル延長する(E-2Cを運用するには当初の長さでは足りなかった。)等の工事を行ったため更に就役が遅れ、正式に就役したのは2001年5月18日でした。
船体は正規空母としては初めてステルス性を考慮したものとなっています。
要目
全長 261.5m,全幅 31.5m,甲板幅 64.4m,吃水 8.5m,
基準排水量 36,600t, 満載排水量 40,600t,
機関 PWR-K15加圧水型原子炉2基/蒸気タービン2基 2軸推進, 出力 83,000hp, 速力 27kt
搭載機 約40機, 乗員 1,950名(航空要員550名含む)
兵装 アスター15用VLS*4基, サドラル個艦防空ミサイル用6連装発射機*2基
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戦艦
RN(2006/2/8更新)- 弩級戦艦クールベ級(Courbet Class)
- 19世紀終盤、仏海軍では水雷兵器の発達から戦艦不要論を唱える新生学派(ジューヌ・エコール)の旗頭オーブ中将の海相への就任により戦艦建造が停滞、1898〜1906年の間にはわずか8隻の前ド級戦艦を建造したにとどまり、その海軍の地位は新興ドイツ海軍に次ぐ第三位に転落しました(この間英34隻、独16隻)。またこの間の海軍戦術の変化もあまり省みられず、1908年計画で海軍勢力の刷新のため一挙6隻が建造されたダントン級も巨砲混載の準ド級戦艦とされ、このクラスの建造が1911年まで続いてしまいました。
ダントン級各艦の進水の後、1910年に至りフランス初のド級戦艦として計画された戦艦がクールベ級で、設計は前級とは異なるM・リヤッセ造船官ですが全体に前級を踏襲したデザインとなっています(ダントン級はロム造船官の設計)。
首尾線砲火を重視、前後に背負い式に2基の連装砲塔と、両舷一基づつの砲塔により舷側10門、首尾線方向にも8門を指向しえる主砲配置は初のド級戦艦としては良好なものといえますが、すでに英国では超ド級、主砲10門を中心
線上に配置したオライオン級が進水しておりいささか時代遅れの感もあります。またその主砲も仰角12°で最大射程13.500mにとどまり、フランスの海戦に対する当時の考えが窺われます。副砲は方舷に11門を3門づつ3群に分け上甲板に配置、後部主砲塔直下の中甲板に2門を配置、全周に多数に砲を指向できました。
装甲防御は前級とほぼ同じ方式で全体に増厚、フランスでの正式な艦種名(キュイラッセ・デスカドール=艦隊装甲艦)に相応しいものでした。機関は前級同様パーソンズ・タービンで21ktを狙い、公試では22〜3ktを記録しました。煙突は前部2本、後部1本とし1番煙突直前に艦橋、司令塔を2番煙突直後に前檣を配しましたが艦橋、前檣の見張り所は排煙、熱に悩まされ成功した配置とはいえませんでした。
アイコンは1913年、就役当時のクールベです。本級はWW1開戦に前後して4隻が完成、仏海軍の主力として第一次大戦時は主に地中海の警戒にあたりました。
計画時の要目
常備排水量23.475t 168.0m*27.9m*9.0m 計画出力28.000hp 計画速力21.
0kt
12in連装砲*6 5.5in単装砲*22 4.7cm単装砲*4 45cm魚雷発射管*4
(同型艦フランス、ジャン・バール、パリ)
RN(2006/2/16更新)- 弩級戦艦クールベ級パリ(Paris)(改装後1932)
- 本級も列国戦艦に倣い、大戦後逐次戦訓を取り入れた改装が実施されました(1922年座礁全損のフランスを除く)
1923〜24年の第一次改装で、排煙の影響の大きかった前檣の第一煙突前への移動、三脚化、1.2番煙突の結合、大型化、艦橋構造のリファインが実施され、続く1927〜29年の改装では主砲仰角の増大による(最大23°)、射程の21.000mへの延伸に伴い三脚檣トップに装甲射撃指揮所を設け4.57m測距儀を装備、機関の一部が重油専焼とされました(後に全缶が改装)
アイコンは1932年ころの”パリ(Paris)”です本艦は結合した1.2番煙突の断面が8字型になっており識別点になっています。
主砲塔、バーベット、前後檣トップは黒塗装となっています。
本級は1922年に遭難したフランス、新戦艦に艦名を譲り”オセアン”と改名1938年には非武装の練習艦となった”(旧)ジャン・バール”を除いた”クールベ””パリ”がWW2に参加、開戦時はブレストにあり大西洋沿岸の警戒に当たっていました。
フランス降伏後は英国に接収されクールベは自由フランス海軍に引き渡され、ノルマンディ上陸作戦時にはオルヌ河沖に防波堤として沈められました。パリは宿泊艦として亡命ポーランド海軍が利用、戦後フランスに返還、”Q64”と改名、港湾付属として1955年まで艦籍にありました。
RN(2006/9/26更新)- 戦艦ブルターニュ級(Bretagne Class)
- 1910.11年度計画で2隻づつ建造されたクールベ級に続くド級戦艦で1912年の海軍法に基づき同年計画で3隻が建造されました
ド級戦艦の整備に立ち遅れたフランスでは二番目のこのクラスからイギリスの13.5in砲に相当する34cm砲を採用、超ド級艦時代を迎えました。設計はクールベ級の船体をそのままとし34cm連装砲6基を搭載することとしましたが3.000tの重量増が見込まれるため中央両舷2基の砲塔を中心線上の1基に改め、前級とほぼ同大の船体のまま超ド級化に成功しました。装甲もほぼ前級のままですが重量減のため部分的にはむしろ減厚されているところもあります。また前級同様主砲射程は仰角12°で14.500mに過ぎず、そのため遠距離砲戦のための射撃指揮は考慮されておらず前檣は棒檣で見張り所が備えられているだけでした
アイコンは完成翌年1917年のロレーヌです。ブルターニュ、プロヴァンスとは前後檣基部のステージの有無に違いがあり又最終艦の本艦のみ2番煙突後方のクレーンの形式が違うようです。本艦は改装まで主砲塔、バーベットが黒く塗
られていて砲塔のみ黒だった僚艦との識別にもなっていたようです。海軍法では1920年までに本級含め16隻の艦隊装甲艦(=戦艦)を建造するものとされましたが、第一次大戦により全てキャンセルされノルマンディー級のベアルンのみが戦後放置されていた船体を活かし空母として就役したのみでした
計画時の要目
常備排水量23.230t 166.0m*27.0m*9.0m 計画出力29.000hp 計画速力20.0kt
34cm連装砲*5 5.5in単装砲*22 4.7cm単装砲*7 45cm魚雷発射管*4
(同型艦ブルターニュ、プロヴァンス)
RN(2006/9/26更新)- 戦艦ブルターニュ級 改装後(Bretagne Class)
- 大戦後、本級も列国の戦艦同様戦訓を考慮した改装を受けることとなりましたが、他国とは異なり小刻みな小改修がたびたび施され、徐々に艦容を変化させていきました
1920〜24年頃に順次実施された第一次改装では遠距離射撃能力の付与が謳われ、主砲仰角を12°から18°に増大、最大射程を21.000mとし、併せて前檣を三脚化方位盤指揮装置を搭載しました。続く第二次改装では主砲仰角を23°とし最大射程25.200m、射撃指揮装置も国産のローラン・パスキエルへと換装しました。1930年代半ばには3.4次の改装が施され重油専焼缶への換装、出力の増大(29.000⇒43.000hp)2番煙突の嵩上げ等が実施されています。また副砲も当初の22門から18門へ、4次改装後は14門に減じられ、順次7.5cm、10cmの高角砲が増載されました。第二次改装後の一時期(1924年頃)ロレーヌには前檣に左舷側後方45°方向に跳ね出しが設置され吊り下げ式に陸上観測機(!)が搭載されていたこともあったようです
以上のような様々な改装を施された本級ですが日伊でみられたような船体長の延伸
は実施されず、機関出力の50%アップによっても速力は微増で本級の戦術的価値はあまり高いものとはいえませんでした
アイコンは1939年のプロヴァンスです。ブルターニュはほぼ同様の艦容でしたが、ロレーヌのみは第四次改装の際3番砲塔を撤去、煙突も前後に移動させ格納庫カタパルトを設けロアール130飛行艇を4機搭載しました
WW2開戦時は本級3隻を中心に第2戦隊を構成、地中海の警備に当たりました。フランス降伏時は英海軍と共同作戦でリビア砲撃の任に在ったロレーヌを除いた2隻はアルジェに在泊、メルセルビケルの海戦で英海軍の攻撃を受けブルターニュは沈没、プロヴァンスは損傷を受けるも脱出に成功、ツーロンに移動しました。が、1942年11月の一斉自沈に参加、浮揚されるも復旧されることなく解体されました。ロレーヌは降伏時アレクサンドリアで英軍により抑留、武装解除されましたが1943年以降自由フランス軍に参加、南仏侵攻作戦などに参加、戦後も長く練習任務につき1954年解体されました
主な要目
基準排水量22.189t 166.0m*27.0m*
8.9m 出力43.000hp 速力21.4kt
34cm連装砲*5 5.5in単装砲*14 7.5cm単装高角砲*8 (ブルターニュ、プロヴァンス) 34cm連装砲*4 5.5in単装砲*14 10cm連装高角砲*4 (ロレーヌ)
RN(2006/9/26更新)- 戦艦ロレーヌ 1938(Lorraine 1938)
- 1932〜35年の改装後です。自由フランス軍参加の際には再度米国で改装、航空艤装を撤去して対空兵装を強化しています
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巡洋艦
RN(2005/11/29更新)- 装甲巡洋艦ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)
- 1895度計画によるフランス4タイプ目の装甲巡洋艦です。砲力は従来艦と比べさほど強化されていませんが、23ktの高速と3倍の航続力を得るため艦型大型化、排水量で2倍強に達しました
また舷側装甲帯も最大150mmに強化されました。計画出力33.000hpを得るため3軸推進となり缶室分離方式を採用、煙突は前後2郡に3本づつの6本煙突となりその長大な船首楼と共に外見上の特徴となっています
完成後は機関部の故障、船体の振動などで所定の成績(公試速力21.75kt)を得られませんでしたが、以降のフランス大型巡洋艦の基本となり同方式の装甲巡の建造が続き実に18隻が整備されました。
第一次大戦中は船団護衛に活躍、戦後は練習巡洋艦として続く練習巡洋艦ジャンヌ・ダルクの就役まで活躍しました
アイコンは新造時の姿です
計画時の要目
常備排水量11.092t 110.0m*19.4m*8.1m 計画出力33.000hp 速力21.8kt
19cm単装砲*2 14cm単装速射砲*14 4.7cm機砲*16 3.7cm機砲*6 45cm魚雷発射管*2
RN(2005/11/6更新)- 重巡洋艦デュケーヌ(Duquesne)
- フランス最初の条約型巡洋艦のこのクラスは1922年度計画により”一等巡洋艦”として2隻建造されました。
船型は同国最初の近代的軽巡であるデュゲイ・トルーアン級を踏襲、これを拡大強化したものとなっています
高い乾舷の船首楼方船体の前後に比較的高い三脚式の前後檣を備え、その間にシフト配置の2本の煙突を配した姿は列国重巡中もっとも優美な姿といえます
防御よりも速力に重点を置いたデザインによりイタリアのトレント級、日本の妙高級に継ぐ120.000hpの機関出力を備え、公試では僚艦とも35ktを超える速力を発揮、1/2出力運転でも30ktの持続航行が可能でした
反面、防御重量は僅か450tが充てられただけで装甲は最厚部で30mmしかなく、司令塔、弾火薬庫、甲板の一部、舵機室などのみに施されただけで”ブリキ艦”ともいわれました
開戦時ツーロンの地中海艦隊に所属していた本艦はフランス降伏時には僚艦トゥールヴィルと共にアレキサンドリアに在って一時英軍により武装解除されました
1943年自由フランス海軍に参加、アメリカにてにて改修を受けたのち対独戦に参加しました
アイコンはデュケーヌ1930年当時の姿です。デュケーヌは1番煙突に1本、トゥールヴィルは2本の白線が識別用に描かれています
計画時の要目
基準排水量10.000t 191.0m*19.0m*6.3m 計画出力120.000hp 計画速力33.8kt 20.3cm連装砲*4 7.5cm単装高角砲*8 37mm連装機銃*4 13.2mm連装機銃*6 55cm3連装魚雷発射管*2 搭載機*2
(同型艦 トゥールヴィユ)
RN(2005/11/6更新)- 重巡洋艦シュフラン(Suffren)
- フランス条約型巡洋艦の2番目にあたるこのクラスは1925〜28年計画で1隻づつ建造されました
このため個艦ごとに防御、装備が改正され、最終のデュプレクスではシュフランの2倍近い防御重量を有しています
前級があまりにも軽防御に過ぎたことに鑑み、船首楼、一般配置は踏襲しながらも、速力は2ktの減とし推進器の3軸化による余剰重量を装甲防御に充てています
シュフランでは50mmの舷側装甲に加え水雷防御縦壁を設置、さらに機関部では装甲と縦壁の間を石炭庫とし防御の一部としています(そのためシュフラン、コルベールは石炭専焼小型缶装備)
コルベール以後、装甲は順次増厚され範囲も拡大、デュプレクスでは舷側60mmとなり防御重量もシュフラン951t、コルベール、フォッシュでは1.374t、デュプレクス1.533tとなっています
シュフランはフランス降伏時デュケーヌらと共にアレクサンドリアにて武装解除、その後の行動を共にしましたがその他3隻はツーロンにあったためヴィシー政権下1942年11月27日自沈しました
アイコンはシュフラン新造時の姿です。僚艦とは航海艦橋が三脚檣の中段にあること、カタパルトの位置などかなりの違いがあります(その他3艦は司令塔上部、煙突間にそれぞれ配置)
煙突の白線はシュフランが3本、コルベールは4本(!)になっていますがさすがにフォッシュ、デュプレには描いていなかったようです
計画時の要目
基準排水量9.938t 194.2m*19.0m*6.3m 計画出力90.000hp 計画速力31kt
20.3cm連装砲*4 7.5cm単装高角砲*8 37mm連装機銃*4 13.2mm連装機銃*3 55cm3連装魚雷発射管*4(シュフランのみ) 搭載機*3(シュフランは3)
(同型艦 コルベール フォッシュ デュプレクス)
RN(2005/11/6更新)- 重巡洋艦アルジェリー(Algerie)
- フランス条約型巡洋艦の最後のクラス、アルジェリーは1930年計画で1隻のみ建造されました
シュフラン級より更なる重防御とするために4軸推進84.000hpとして機関重量を減じ平甲板型の採用により船殻重量を軽減、2.657tを防御重量に充てる事ができました
また外観としては艦橋に同時期に計画されたダンケルク級戦艦にも似た搭状艦橋を採用、前部にまとめた缶室により1本となった煙突と共に従来艦とは一線を隔した近代的なシルエットを有しています
機関出力の低下にもかかわらず船体形状の改善により速力は前級と同じ32ktを発揮しました(公試時 排水量12.000tで32.9kt)
一方平甲板化による艦首乾舷の低下は荒天時の稜波性能、発揮速力に影響があったようです
アルジェリーは開戦後主に地中海で行動、ツーロンにあったシュフラン級3隻とともにイタリア沿岸砲撃などに参加、降伏後もヴィシー政権下ツーロンに在泊、1942年11月27日自沈しました
アイコンは新造時の姿です
計画時の要目
基準排水量10.000t 196.2m*20.0m*6.2m 計画出力84.000hp 計画速力31kt
20.3cm連装砲*4 10cm連装高角砲*6 37mm連装機銃*4 13.2mm機銃*16 55cm3連装魚雷発射管*2 搭載機*3
RN(2005/12/9更新)- 軽巡洋艦デュゲイ・トルーアン
- 1922計画で建造されたフランス海軍初の近代的巡洋艦で、実に1899年完成のデストレ級以来の建造となる小型巡洋艦です(その間は装甲巡洋艦のみ)
1914年計画で1隻発注された4.500t級の偵察巡洋艦”ラモット・ピケ”が大戦によりキャンセルされた後、幾度かの設計変更の経て建造された本級は、防御より速力に重点を置きフランス巡洋艦として初めての重油専焼缶とギヤードタービンの4軸推進とし(装甲巡は全てレシプロ)10.000hp、33ktの高速を狙いました
主砲は陸軍の15.5cm砲を採用、補給面での利便性を図ったといわれますが英国のりアンダー級などに採用されたMkXXII型6in砲より射程も長く艦砲としても優秀なもので、本級はその主砲を軽巡としては世界に先がけて全て連装砲に収め、前後に背負い式に搭載しました
反面その設計思想から舷側装甲は持たず、司令塔、弾火薬庫、甲板の一部、舵機室のみ装甲を施し機関部のダブルハル化、細分化した水密区画により浸水極限を図っていました
これらの点からは本級本来の意味の”軽巡”とは呼べずフランス海軍での呼称”2等巡洋艦”あるいは”偵察巡洋艦”と呼ぶのが相当のようです
また。その高い舷側は航洋性の高い艦でもありましたが、反面の影響を受けやすく操舵には困難があったようです。
デュゲイ・トルーアンは開戦後地中海で行動、フランス降伏時はアレクサンドリアにて抑留、1943年5月以降自由フランス軍に参加、終戦まで地中海にて行動しました
ラモット・ピケは1935年より極東艦隊の旗艦となりサイゴンを母港として活動、降伏後はヴィシー政権に属しタイとの国境紛争では同国の海防艦”トンブリ”を撃破するなど活躍しました
日本軍の進駐後、武装解除されましたが1945年1月12日米機動部隊艦載機の攻撃で沈没しました
プリモゲはやはり降伏後ヴィシー政権に属し、自由フランス軍のダカール攻略の際には対抗して出撃するも支援する英艦隊の妨害を受けてカサブランカに脱出、1942年11月の連合軍の北アフリカ上陸作戦の際機関不調で行動不能のまま、米第34任務部隊の戦艦、重巡らの砲撃により撃沈されました
アイコンは1930年頃、後部甲板にカタパルトを備えた頃の”プリモゲ”です
計画時の要目
基準排水量7.249t 181.6m*17.2m*5.2m 計画出力102.000hp 速力33kt
15.5cm連装砲*4 7.5cm単装高角砲*4 13.2mm機銃*12 55cm3連装魚雷発射管*2 搭載機*3
(同型艦 ラモット・ピケ、プリモゲ)
RN(2005/12/9更新)- 軽巡洋艦ラ・ガリソニエール
- 前年度計画の敷設巡エミール・ベルタンに汎を取り無防御の同艦に対して15.2cm砲防御を施し、航空兵装、対空砲を強化し1931.1932年度計画で合計6隻が建造がされたました
従来の軽巡が舷側装甲を持たず、その他の防御も比較的軽度のものであったのに対し、本級では105mm舷側装甲が追加され、100mmの主砲塔前楯、50mmの天蓋、38mmの甲板防御と9.000t級の英サウザンプトン級並みの(主砲塔などはむしろ彼の51mmの倍)防御を行いました
主砲は前級とほぼ同じながらも高角砲は倍増、機銃の増備とともに防空力を強化、代償重量に水雷兵装は減じられています
エミール・ベルタンでは中央部にあったカタパルトを3番砲搭上に搭載、2番煙突との間に大型の格納庫を設置、4機の搭載機を収納できました(後に大型のロアール130が導入されると3機に減じました)。またスタン形状をトランザム型とし下部にスリットを設けてハイン・マットを船内に搭載、航空機の運用に柔軟性を持たせています
反面機関は2軸推進84.000hpでしのび31ktの計画としましたが、公試ではいづれも35〜6ktを記録、特にグロワールでは実に36.9ktを発揮しました
これらの点により本級は8.000t級の軽巡として列強屈指の優秀艦として戦前高い評価を受けました
第二次大戦ではラ・ガリソニエール、ジャン・ド・ヴィエンヌ、マルセイエーズの3隻はツーロンにて降伏を向かえ1943年11月一斉自沈、全損となったマルセイエーズを除く2隻は浮揚のうえ修復が試みられましたが連合軍の爆撃により失われました。グロワール、モンカルム、ジョルジュ・レイグは降伏時やはりツーロンにあり1940年9月ダカールに回航され(グロワールのみは機関不調のためカサブランカまで)、自由フランス軍の上陸作戦を阻止、後に3隻とも自由フラン海軍に参加大戦を全うし戦後のフランス海軍の一翼を担いました
アイコンは1936年の”ラ・ガリソニエール”、普段は折りたたまれている艦尾の航空機揚収用のクレーンが展張された状態です
計画時の要目
基準排水量7.600t 179.5m*17.5m*5.4m 計画出力84.000hp 速力31kt
15.2cm3連装砲*3 9cm連装高角砲*4 37mm連装機銃*4 13.2mm機銃*12 55cm連装魚雷発射管*2 搭載機*4
(同型艦ジャン・ド・ヴィエンヌ、マルセイエーズ、グロワール、モンカルム.ジョルジュ・レイグ)
RN(2005/11/13更新)- 敷設巡洋艦プリュトン(Pluton)
- 本艦は英国のアドベンチャーに刺激を受け1925年度計画で建造された敷設艦巡洋艦です。
高速の攻勢型敷設艦であるアドヴェンチャーに汎を取り彼の6.500tに対し4.500t級と小型化して計画されました。しかし速力は28ktの比して30kt、備砲も4.7in4門に比し5.5in4門とより強力で、対空砲も充実していましたが雷装、航空艤装、装甲防御はありませんでした
機関部は重巡と同様のシフト配置とされ防御の不足を補っています。船体は長船首楼で艦橋以降の船首楼甲板の舷側は開放され敷設作業に用いられ、それに続く後部上甲板両舷にランプ(斜路)を設けそこから機雷を敷設する構造でした
高速敷設艦として期待された本艦でしたが1933年以降老朽化した砲術練習艦ゲイドンの代替として訓練任務に就いており、1939年には士官候補生の遠洋航海訓練に充てるため練習艦へ改修、艦名も”ラ・トゥール・ドーブルニュ”と改名されました
第二次大戦開戦直後の1939年9月にカサブランカにて搭載機雷の陸揚げ作業中爆発事故を起こし全損、フランス海軍における第二次大戦で最初の沈没艦となりました
アイコンは1938年当時の姿です
計画時の要目
基準排水量4.773t 152.5m*15.6m*5.2m 計画出力57.000hp 計画速力30kt
14cm単装砲*4 7.5cm単装高角砲*4 37mm連装機銃*2 13.2mm4連奏機銃*3 機雷*290
RN(2005/11/13更新)- 敷設巡洋艦エミール・ベルタン(Emile Bertin)
- プルトンに続き1930年度計画で建造された敷設巡洋艦です。当初は”プリュトン”の改良型として設計されましたがより広範囲な任務に従事するため軽巡的性格を強め、兵装が強化されました
船首楼型の船体は縦肋骨構造と50kg/mm2の高張力鋼の採用により軽量化に成功、高負荷状態では公試で40ktを記録しました。また主砲は新開発の15.2cmM1930を3連装砲架に搭載、半自動式の同砲は従来の15.5cmM1920の2〜3発/分に較べて格段の7.5発/分の発射速度を持っていました
機関は軽巡のデュゲイ・トルーアンと同じ102.000hpをより高圧のペノエ缶により6基により発揮(デュゲイ・トルーアンは8基)、このためシフト配置の前後煙突の太さは異なっています
プリュトンには搭載されなかったカタパルト、発射管は煙突間の中央部に装備されカタパルト後部の蒲鉾型の格納庫が外見上の特徴となっています
軽巡としての機能を充実させた反面、本来の機雷敷設任務に就く際はカタパルト、航空機を陸揚げ、船体中央部から後部両舷にかけて普段は分解格納されている投下軌条を設置しなければなりませんでした
本艦は公試の際実施した以外に機雷敷設任務に就くことは無く、主に大型駆逐艦を率いる水雷戦隊旗艦として活動しました
開戦時水雷戦隊旗艦としてブレストにあり、ノルウェー作戦に参加、フランス降伏時にはカリブ海のマルティニク島で連合軍に武装解除されました
1943年自由フランス軍に参加、米国にて改修の後、南フランス上陸作戦などに参加しました
ちなみに艦名は御用外国人として三景艦を設計、帰国後造船総監となったフランス屈指の造船官ベルタン中将に由来します
アイコンは1935年当時の姿です
計画時の要目
基準排水量5.886t 177.0m*16.0m*6.6m 計画出力102.000hp 計画速力34kt
15.2cm3連装砲*3 9cm連装高角砲*1 9cm単装高角砲*2 37mm連装機銃*4 13.2mm連奏機銃*4 55cm3連装魚雷発射管*2 搭載機*2 機雷*200
RN(2005/11/29更新)- 練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)
- 老朽化した装甲巡洋艦ジャンヌ・ダルクの代替となるべく1926年度計画で建造された巡洋艦で、士官候補生の遠洋航海訓練用に作られました
約500名の固有の乗員のほか156名の候補生を収容するため長船首楼上にさらに一層の甲板室を設け船室、教室などに充て、その二層にそれぞれプロムナードデッキを備えたことにより大型客船にも似た外観となっています。
速力は25ktに止められたため2軸推進とし缶機缶機配配置とされ、公試では27.8ktを発揮また23ktでの連続航行が可能でした
備砲はデュゲイ・トルーアン級軽巡とほぼ同じとしましたが発射管は訓練目的に両舷一基づつに止められています。また、防御は弾火薬庫の周辺のみとされました
設計時はカタパルト2基の搭載も考慮されましたが実施されず、搭載機2機は海面よりの発進とされました。
本艦は開戦時よりマルチニック島で係留されており、1943年6月からは自由フランス軍に参加、米国で航空艤装、後檣の撤去、電波兵装、対空火器のの充実などその他の仏巡と同様の改修後地中海方面などでその設備を生かした兵員輸送、上陸支援などの任務に就きました。
終戦後も1946年から1964年の除籍まで3度の世界周航を含む数々の訓練航海任務を実施しました
アイコンは1937年の姿です
計画時の要目
基準排水量6.496t 170.0m*17.7m*6.4m 計画出力32.500hp 速力25kt
15.5cm連装砲*4 7.5cm単装高角砲*4 37mm連装機銃*2 13.2mm機銃*12 55cm単装魚雷発射管*2 搭載機*2*2
RN(2005/11/25更新)- ヘリコプター巡洋艦ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)
- 練習巡洋艦ジャンヌ・ダルクの代替として」1957年度計画で建造されました。1964年6月の竣工時の艦名は、ラ・レゾリューとされましたが翌月、先代より練習任務および艦名を引き継ぎました。フランスでの正式な艦種区分は”ヘリコプター空母”ですが、平時の搭載機が4機程度で一般にはヘリコプター巡洋艦に分類されます。
対空巡洋艦コルベールをベースとした船体に1/2弱の出力の機関を搭載、速力を26.5ktに抑え代償重量を航空艤装などに充てました。
船体の中央部から後方に62m*21mのヘリコプター甲板が設けられ、甲板上は最大6機分の駐機スペースがあり2機同時発艦が可能とされています。ヘリコプター甲板の下部を格納庫とされ平時にはその一部が140名の候補生の居住区に充てられています(その際の搭載機は小型ヘリ4機となります)
有事にはそれら設備を撤去、大型のシュペル・フルロン8機、陸兵700名とその装備を搭載、強襲揚陸艦として使用することが出来ます
また艦橋内には作戦情報センター、揚陸戦統合指揮センターがあり、揚陸指揮艦としての任務にも備えられています。
本艦は2005年には退役予定であり、後継の練習任務にはフードル級強襲揚陸艦があてられる予定です。
アイコンは1966年の姿で、艦橋前のエクゾセSSMはまだ装備されていません。艦容はエクゾセの装備以外現在も目立った変化は無いようです。
計画時の要目
基準排水量10.000t 182.3m*24.0m*7.3m 計画出力40.000hp 速力26.5kt 10cm単装両用砲*4 搭載ヘリコプター*4〜8
-
駆逐艦
RN(2006/1/11更新)- 大型駆逐艦シャカル級(Chacal)
- 大戦期のフランス海軍の特徴のひとつが一般に大型駆逐艦といわれる(正式にはContre Torpilleur=駆逐艦)一連の2.000t級駆逐艦の存在でした。その最初の形式がシャカル級です。
19世紀終盤〜20世紀のフランス海軍は英国に対抗するための極端な通商破壊偏重主義により装甲巡洋艦を多数建造、戦艦は沿岸用の低乾舷としこれと小型の水雷艇を併せて沿岸防御を担う事としました。
しかし日本海海戦の結果仏式戦艦の弱点が露呈、合わせて巡洋艦を初めとする航洋性の有る軽艦艇の存在が艦隊決戦に不可欠であることに気付きましたがWW1の勃発により、特に軽巡の整備は立ち遅れてしまいました。
1922年計画で建造されたこのクラスは各国ががいまだ前大戦時の1.000t、備砲10〜12cm3〜4門の駆逐艦を主力としていた当時、それらを遥かに凌駕する2.000t、13cm砲5門、軽巡の整備の遅れを補完しうる強力な駆逐艦として計画されました。
船型は船首楼形式で艦首乾舷を高く取り高速航行時の凌波性に寄与、シェーアを比較的小さくすることができ、背負い式の主砲配置と共に艦首方向の射線の確保にも貢献しているようです。
当時としては進歩的な機関のシフト配置を採用しています。5缶を前部3基、後部2基に分けそれぞれの後部に機関室を配置、前部の缶の排煙を大小2本の煙突に、後部のそれを1本の煙突に導入しています。また機関部の信頼性も高く34ktで連続航行ができたようです。
仏海軍では当初同型艦36隻を1940年までに整備する計画が立てられましたが本級の建造は6隻にとどまり、逐次改正型がに移行、開戦当時32隻の同種艦を保有していました。
アイコンは1930年頃の”シャカル”です。中央部両舷の高角砲は撤去、機銃を装備しています。1939年頃には3番砲を撤去、1940年には主砲を10cm連装高角砲に換装する計画も立てられましたが開戦により実施されませんでした。
本艦はダンケルク撤退作戦中独空軍の爆撃により沈没しました。ジャグアールは同日独魚雷艇により戦没、同じく同作戦に参加したレオパールは休戦後英軍により確保され自由フランス軍に参加、1943年座礁沈没しました。
残る3隻は休戦時ツーロンにあり1942年一斉自沈に参加、ランクスは同地にて1944年解体、損傷の軽微なパンテール、ティーグルを伊海軍が取得、パンテールは結局復旧されず降伏時再び自沈(!)ティーグルは最就役後1943年10月にフランスに返還、地中海にて作戦の後1954年まで練習任務に有りました。
計画時の要目
基準排水量2.126t 126.8m*11.4m*4.1m 計画出力50.000hp 速力35.5kt
13cm単装砲*5 7.5cm単装高角砲*2 55cm3連装魚雷発射管*2
(同型艦ジャグアール、パンテール、レオパール、ランクス、ティーグル)
RN(2006/1/11更新)- 大型駆逐艦ゲパール級(Guepard)
- シャカル級の改正型で1925.26年計画でそれぞれ3隻が建造されました。
全般配置は前級を踏襲しながら機関のシフト配置を徹底4缶4本煙突を前後に分離、出力も64.000hpに増大、公試では6隻中4隻が40kt超える成績残しました。
主砲は同配置ながら13.8cmに強化、前対戦型のほとんどの軽巡と遜色の無い火力となりました。
(このクラス計画当時いまだ仏海軍初めての軽巡デュゲイ・トルーアンは就役していませんでした)
アイコンは1942年5月の”ゲパール”です。新造時と比較して前部の発射管は撤去、後檣は短縮されています。
また後部上構の甲板室が大型化、対空機銃が増備されているように見受けられます。
本艦は1942年一斉自沈に加わりましたが全損にはいたらず引き上げられましたが1944年連合軍の爆撃により沈没しました。
ビゾンはノルウィ作戦時独空軍の爆撃により沈没、のこる4隻はいずれも一斉自沈に参加、リオン、ヴァルミが伊に引き渡されましたがいずれも最就役には至らず、いずれも再び自沈しました。
計画時の要目
基準排水量2.436t 130.2m*11.8m*7.7m 計画出力640.000hp 速力35.5kt
13.8cm単装砲*5 37o単装機銃*4 55cm3連装魚雷発射管*2
(同型艦ビゾン、リオン、ヴォーバン、ヴェルデュン、ヴァルミ)
RN(2006/1/11更新)- 大型駆逐艦エーグル級(Aigle)
- ゲパール級の改正型で1927年計画で6隻が建造されました。
主砲が1924年型から発射速度を増した(5〜6発/分⇒12〜15発/分)半自動式の1927年型となった以外変更点もなく外観上から見て取れる範囲では前級とほぼ同一です。
アイコンは1936年5月の”ミラン”です。前級と変化の少ない本級ですが、本艦とエペルヴィエの2隻は、艦尾をクルーザー型とし発射管配置も中心線配備の前部3連装発射管を両舷2連装に、主缶も新型のものとされエーグル級第二グループとも呼ばれています。
本艦は1942年11月8日米軍のカサブランカ上陸の際、僚艦アルバトロスと共に砲撃により損傷、擱座放棄されました。エペルヴィエは同日に開始されたオラン上陸の支援英艦隊と交戦、やはり擱座放棄されています。のこる3隻は一斉自沈に加わりましたが全損にはいたらず引き上げられましたが連合軍の爆撃により沈没しました。
計画時の要目
基準排水量2.441t 128.5m*11.8m*7.7m 計画出力640.000hp 速力36kt
13.8cm単装砲*5 37o単装機銃*4 55cm3連装魚雷発射管*2 (ミラン、エペルヴィエは連装*2 3連装*1)
(同型艦ヴォートゥール、アルバトロス、ジェルフォー、ミラン、エペルヴィエ)
RN(2006/1/11更新)- 大型駆逐艦ヴォークラン級(Vauquelin)
- ゲパール級の改正型で1927年計画で6隻が建造されました。
エーグル級第二グループに良く似ていますが、主缶はそれ以前のものが採用され、艦橋構造が丸みを帯びた形状となり識別点になっています。また3番煙突に探照灯台が追加されています。
ゲパール級から本級までの3級4グループ(エーグル級は2グループに分けられる)18隻は一括して2.400t型、あるいはゲパールグループと呼ぶことも有るようです。
アイコンは1934年11月の”マイレ・ブレゼ”です。本艦は1940年4月英グリーノックに在泊中前部発射管の魚雷が暴発、艦橋を直撃、爆発炎上全損となりました。
シュヴァリエ・ポールは1941年6月、シリア沖にて英軍機の雷撃により沈没、
のこる4隻は一斉自沈にて失われゲパールグループの18隻は全て戦没したこととなります。
計画時の要目
基準排水量2.441t 129.3m*11.8m*7.7m 計画出力640.000hp 速力36kt
13.8cm単装砲*5 37o単装機銃*4 55cm連装*2 3連装*1
(同型艦ケルサン、カサール、タルテュ、マイレ・ブレゼ、シュヴァリエ・ポール)
RN(2006/1/22更新)- 大型駆逐艦ル・ファンタスク級(Le Fantasque)
- ヴォークラン級の拡大改正型で1930年計画で6隻が建造されました。
主砲を1929年型の13.8cm45口径とし長砲身化、併せて3番砲搭載位置の変更、新型の方位盤射撃式装置が搭載されています。また主缶はエーグル級ミランとエペルヴィエに搭載されたペノエ式とされました(ル。テリブル除く)
主機の出力は74.000hpに強化37ktを狙い、公試では85.000〜100.000hpを発揮いずれも42〜3ktの成績を残しました(ル・テリブルは実に45.03kt)
一般に仏艦は公試成績では計画を上回る速力を記録していますが軽荷状態での数値であまり現実的でなく、また実際にその数値が得られてとするなら逆に設計の詰めの甘さと言えるかもしれません。
外見的には従来の4本煙突から大きく変わり4基のボイラーの排煙を太く低い2本煙突にまとめ、近代的なローシルエットとなりました。
アイコンは1937月9月の”ル・ファンタスク”です。本級はあまり活躍することのなかった仏艦の中でも例外的に活躍したクラスで、ダカール、ビゼルトで連合軍の攻撃を受け結局放棄されたローダシュー、一斉自沈に参加したランドンターブルを除いて自由フランス軍に参加、戦後も長くフランス艦隊の一翼を担いました。
計画時の要目
基準排水量2.569t 132.4m*12.3m*5.0m 計画出力74.000hp 速力37kt
13.8cm単装砲*5 37o単装機銃*4 55cm3連装魚雷発射管*3
(同型艦ローダシュー、ランドンターブル 、ル・マラン、ル・テリブル 、ル・トリヨンファン)
RN(2006/1/22更新)- 大型駆逐艦モガドール級(Mogador)
- 大型駆逐艦の最終となるこのクラスは1932、34年度に1隻づつが建造、大戦間近の1938年度に4隻の追加発注がありましたが起工されませんでした。
主砲は1934年式の連装4基8門に強化、発射管も3連装、連装を片舷1基づつの合計10基とされました。機関も92.000hpとし計画値で39ktを狙う類の無い大型高速艦として大戦前各国の注目を浴びる存在でした。
反面、連装化された主砲は給弾装置の問題から発射速度は単装に劣り単装5門と比してさしたる火力強化はなされていなかったとの説もあります。
1938年発注の4隻(クレベ、ドゼー、マルソー、オッシュ)は改正型とされ発射管を減らし高角砲の搭載が予定されていたようです。
アイコンは1940年11月の”ヴォルタ”です。開戦時本艦はモガドールと共にル・ファンタスク級とブレストにあり新型戦艦ダンケルク級と第1戦隊を組み大西洋の哨戒活動を行いました。ドイツポケット戦艦シュペーの捜索などに参加、その後も両艦は行動を一にしフランス降伏後メルセルケビル開戦で英軍と交戦の後ツーロンに脱出、1942年一斉自沈に参加、浮揚されましたが修理は実施されず結局両艦共放棄されました。
計画時の要目
基準排水量2.884t 137.5m*12.7m*6.6m 計画出力92.000hp 速力39kt
13.8cm連装砲*4 37o単装機銃*6 55cm3連装*2 連装*2
(同型艦ヴォルタ)
RN(2006/9/26更新)- 駆逐艦ブーラスク級(Bourrasque Class)
- 第一次大戦時陸戦兵器の増産に追われたフランスで、は海軍力全般の整備に立ち遅れ列強が数百に及ぶ駆逐艦を建造するなか僅か2隻を就役させるにとどまり、不足をわが国より樺型の緊急輸入で凌ぐ有様でした
その影響で戦後列国が1930年代まで新型駆逐艦の建造を控える中いち早く1922年に大型駆逐艦シャカル級とともに12隻の建造が認められたものが本級で外観はシャカル級の小型版のような3本煙突、船首楼形式の駆逐艦でした(仏海軍での呼称は”艦隊水雷艇”でしたが)
排水量的には列国より小ぶりですがシャカル級と同じ13cm砲を装備、有力な駆逐艦でした
アイコンは1938月の”ブーラスク”です。すでに7.5cm高角砲は撤去され37o機銃が追加されています。本艦は1940年5月ダンケルク撤退作戦の際、ベルギー沖で触雷沈没しました
計画時の要目
基準排水量1.319t 105.8m*9.6m*4.0m 計画出力31.000hp 速力33kt
13cm単装砲*4 7.5cm高角砲*1 55cm3連装魚雷発射管*2
(同型艦シクローヌ、ミストラル 、オラージュ、ウーラガン 、シムーン、シロコ、タンペート、トルナード、トラモンターヌ、トロンプ、ティフォン)
RN(2006/9/26更新)- 駆逐艦ラドロア級(L,Adroit Class)
- ブーラスク級に続く1.500t型駆逐艦でで1924〜26年計画で14隻が建造されました
大形駆逐艦の改良に準じて前級の主砲を新型の1922年式に改めた以外に大きな変化はありませんでした
アイコンは1941年の”ル・マルス”です。後檣は撤去され3番煙突にケーブル保持用の小さな支柱が追加されています。本艦は1942年ツーロンで自沈しました
計画時の要目
基準排水量1.378t 107.2m*9.8m*4.0m 計画出力33.000hp 速力33kt
13cm単装砲*4 7.5cm高角砲*1 55cm3連装魚雷発射管*2
(同型艦ラルション、ル・フォルチュネ 、ル・マルス、ラ・パルム 、ラ・ライユーズ、バスク、ボルドレー、ブーロネー、ブレストア、フォルバン、フードロワイヤン、フーグー、フロンドゥ−ル)
RN(2006/9/26更新)- 駆逐艦ル・アルディ級(Le Hardi Class)
- 仏海軍はラドロア級の建造後しばらく駆逐艦の建造を控えていましたが、高速の主力艦の整備が進むにつれ従来駆逐艦の速力では随伴に困難でを生じ(外洋では30ktを下回った)1932年度計画でネームシップが建造されました
大形駆逐艦モガドール級と同年度計画で外観は同級に類似、主砲の連装化、発射管配置などの点でも影響が見られます。また、機関出力は従来駆逐艦の2倍近い58.000hpを狙い37ktの発揮が期待されました(公試は61.119hpで38.69kt)
初期の大形駆逐艦シャカル級を上回るスペックを持ちながら400tあまり小型化された本級は設計に手間取り工事は1936年から、ネームシップの完成は開戦後の1940年となりました。また続いて発注された1935年度、36年度、37年度計画艦7隻も1940年中に相次いで竣工しましたが、1938年度計画4隻は建造中止となりました
本級8隻は全てツーロンの一斉自沈に参加しましたが破壊活動は行われなかったため2隻を除き浮揚後独伊軍により最就役、各艦閉塞船として自沈、損傷激しく放棄されるなど芳しくない最期を遂げました。閉塞船として沈められた後浮揚されたル・シクローヌも1958年まで籍にありましたが復旧されることはなく解体されています
アイコンは1941年の”ラドロア(U)”です。新造時はレペと命名されましたがラドロア級ネームシップの戦没によりその艦名を引き継ぎました。本艦はツーロンでの自沈後、イタリア艦FR.33として再就役、イタリアの降伏後1944年に解体されました
計画時の要目
基準排水量1.772t 117.2m*11.1m*4.2m 計画出力58.000hp 速力37kt
13cm連装砲*3 55cm3連装魚雷発射管*1 55cm連装魚雷発射管*2
(同型艦フルーレー-後フードロワイヤンU、レペ-後ラドロアU 、カスク、マムリュク 、ランスクネー-後ル・シクローヌU、ル・コルセール-後シロコU、ル・フリビュスティエ-後ビゾンU)
-
フリゲイト
RN(2005/12/1更新)- フリゲイト ラファイエット級シュルクーフ
- 1987年度計画で1番艦以下3隻が建造され1996年より順次就役の新鋭フリゲイトです(92年に3隻が追加、1隻キャンセル)。ステルス性をデザインの中心にすえた初めての大型水上戦闘艦でもあります
本級は海外領土の警備、護衛任務に就くべく建造されたフリゲートで、速力は25ktと艦隊型フリゲイトに比較して低速で、ヘリコプター以外の対潜兵装も装備していません
外見はステルス性能を追求したため取られた船体と上構の一体化に特徴があり外壁は全て10°の傾斜が与えられ、正面から見る姿は”算盤の玉型”となっています。上構中央部位の搭載艇甲板も作戦時はカバーがかけられ、ボラード、キャプスタンなどの錨索設備もエンクローズされています。また主砲のシールドも上構と同じ傾斜角を持つ新型になっていおり、これらの設計と電波吸収性のある塗料などによりレーダー反射面積は通常の40%程度に減少しているといわれています。
比較的兵装の軽い本級ですがSLAT対航跡追尾魚雷システム、現在装備のクロタル短SAMに換えて中射程のアスター15の16連装VLSなどの搭載が計画されており、これらの追加装備により船型に見合った強力な汎用艦となるものと期待されています。
また本級は台湾、サウジアラビア、シンガポールなどにも輸出されておりそれぞれ独自の仕様の兵装強化型となっています。
アイコンは新造時の姿シュルクーフです。港湾内航行中の写真元にしているため錨のカバーは開いた状態です。
計画時の要目
満載排水量3.700t 124.2m*15.4m*5.8m 計画出力21.107hp 速力25kt 10cm単装両用砲*1 クロタル短SAM8連装発射機*1 エクゾセMM40 SSM4連装発射機*2 パンテールヘリコプター*1
サバニ(2004/2/26更新)- 通報艦A-69型「デチエンヌ・ドルヴ(D'Estienne D'Orves)」級
- 近海の哨戒、対潜護衛、海外領の警備、国外での権益保護、訓練など、さまざまな任務をつとめる小型の汎用フリゲイトです。1976年に1番艦が竣工し、合計17隻が建造されました。小型艦の割には凌波性にすぐれ、また使い勝手もよかったようで、現在でも9隻が現役にとどまっています。
基準排水量1,100トン 満載排水量1,250トン 主機ディーゼル2軸 12,000馬力 速力23.5ノット
主な兵装、エクゾセSSM連装発射筒×2 10センチ単装砲×1 20ミリ単装機銃×2 対潜魚雷発射管×4など。
また、1番艦から11番艦までは6連装対潜ロケットランチャー×1を後部の上構上に置いていましたが、12番艦から17番艦まではそれの代わりに短SAMミストラルの発射機をつけています。
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潜水艦
a- 巡洋潜水艦シュルクーフ
- 第一次世界大戦後に建造された大型潜水艦。
通商破壊を主任務とし、拿捕された船の乗員を輸送用の動力付きカッターや、捕虜を収容する船室もあった。この潜水艦の特徴は前方にある20.3cm水密連装砲を搭載しており、水偵も装備していた(しかし、あまり活用されず、開戦時には水偵をおろし、倉庫にしていた)。フランス休戦後には、自由フランスに所属していたが、1942年2月18日にカリブ海でで米商船「トムソンライクス」と衝突、沈没した。また、沈没せずに損傷し、ドイツ軍に接収されたという設定でこの潜水艦は小説・映画「ローレライ」で戦利潜水艦「イ−507」として登場している。
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その他
サバニ(2002/10/19更新)- 水雷艇ラ・メルポメール
- フランスはロンドン条約には参加しなかったものの、条約規定外の枠に相当する水雷艇を建造しました。これがラ・メルポメーヌ級です。基準排水量680トンに対して、兵装は10センチ単装砲2基、55センチ連装魚雷発射管1基と、同時期に作られたイタリアのスピカ級(10センチ砲×3、45センチ発射管×4)や、日本の千鳥型(性能改善後のバラスト100トン積んだやつ)に比べても見劣りします。そのうえ復原性もよくなかったようで、同型艦のブラルンバーはそのために1940年、荒天下で遭難しています。果たして日本の造艦技術が優れているのか、あるいはフランスのソレがアレなのか…、さてさて?
全12隻の同型艦で、そのブラルンバー以外はフランス降伏時にイタリアに接収されたり、イギリスに投降後自由フランスに参加したり、戦没したりして、最終的にメルポメーヌを含めて5隻が戦後まで生き残り、50年に除籍されました。
ちなみに舷側の描き文字は第14水雷隊2番艦という意味のようです。
RN(2006/9/26更新)- 植民地通報艦ブーゲンヴィユ級(Bougainville Class)
- 仏では旧来、海外領土とその権益を守るための通報艦(アヴィゾ)を保有してきましたがこれらの代替のため1927年以降順次整備されたものがこのクラスで、1938年度までに合計10隻が計画、8隻が完成しました
本級はワシントン条約の対象外となるよう2.000t未満、備砲13.8cm砲3門、速力15.5ktでまとめられ、機関はディーゼル、297tの燃料で8.5kt/13.000nmの航続力を得ました
アイコンは1933年の”ブーゲンヴィユ”です。本艦は1940年11月9日、自由フランス軍のガボン攻略の際ヴィシー政府の元で戦い、同型のサヴォルナン・ド・ブラザと交戦、炎上沈没しました
計画時の要目
基準排水量1.969t 103.7m*12.7m*4.5m 計画出力3.200hp 速力15.5kt
13.8cm単装砲*3 37o機銃*4 機雷*50
(同型艦 アミラル・シャルネ、ブーゲンヴィユ 、ダントルカストー 、ディベルヴィユ、デュモン・デュルヴィユ 、ラ・グランディエール 、リゴー・ド・ジュヌイー 、サヴォルナン・ド・ブラザ)
RN(2006/9/26更新)- 植民地通報艦ブーゲンヴィユ級デュモン・デュルビユ(Dumont d'Urville )
- 本級もフランス艦艇らしく様々な運命をたどったものが多く、アミラル・シャルネは1941年コーチャン海戦に活躍した後も仏印に在り、1945年3月9日、米軍の支配下にあったフィリピンに脱出を図るも日本軍機の攻撃を受け航行不能、翌日自沈、ダントルカストーは1942年5月6日英軍のマダガスカル攻略の際攻撃を受け大破着底、後に浮揚されるも復旧されず1948年解体、ラ・グランディエールはフランス降伏時艤装中でしたがオランに逃れ同地にて艤装完了しました。連合軍の北アフリカ侵攻に伴い降伏、連合軍に参加し1959年解役、解体されました
リゴー・ド・ジュヌイーは1940年7月4日メルセルビケルの海戦の際、英潜水艦パンドーラの攻撃により沈没、フランス降伏時ポーツマスに在り英軍に拿捕されたサヴォルナン・ド・ブラザは自由フランス軍創設時より同海軍に参加、戦後は仏印に派遣インドシナ戦争に参加ののち1957年解役、解体されました
アイコンは1942年3月の”デュモン・デュルビユ”後檣は撤去され、後部の甲板室が増設されています。本艦は1942年11月連合軍に参加、大戦を生き延び1958年解体されました