英軍機アイコン

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天凛 2011/12/10
ブラックバーン スクア
全長 10.8 m (35 ft 7 in)
全幅 14,07 m (46 ft 2 in)
全高 3,81 m (14 ft 2 in)
翼面積 28,98 m2 (312ft2)
機体重量 2490 Kg (5,490 lb)
最大離陸重量 3732 Kg (8,228 lb)
翼面荷重 128 kg/m2 (26.4lb/ft2)
機関 エンジン ブリストル・パーシュースXII 一基 馬力 890hp
飛行性能 最高速度 高度1980mで363 Km/h (225 m/h) 海面速度 最高326.4 Km/h (204 m/h) 巡航速度 266 Km/h (4,570m) 航続距離 1.223 km (760miles) 限界高度 6,160 m
武装 固定武装 7.7mmブローニング固定式前方機銃4挺 7.7mmルイス旋回式後方射撃機銃1挺 爆弾 胴体下に227Kg爆弾1発 翼下に14Kg爆弾(訓練用)8発

イギリス海軍の誇る艦上戦闘爆撃機(笑)です 元が爆撃機ベースで爆撃戦闘機と言ったほうが正しいですね WW2イギリス機初のドイツ機撃墜なんて戦果を挙げてしまったことから 本当に戦闘機としての扱いを受けてしまい撃墜されることに 急降下爆撃機としての評価は日本で言う九七式や九八式 旧式戦闘機という評価では脆弱な爆撃機ベースで戦えるはずもなく・・・ そんな英国面全開の変態機スクアです ページのトップへ戻る
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中村(2003/4/29更新)
ウェストランド・ワールウィンド MkI (Westland WhirlWind MkI)
1930 年代後半に流行した双発戦闘機構想を受けて英空軍が発注した F.35/37 仕様に呼応した機体で、原形機の初飛行は 1938 年 10 月。双発戦にありがちな後方旋回銃を廃した単座として新鋭 R&R ペリグリン・エンジン 860hp 二基に合わせ形状を絞り込み、四連装 20mm イスパノ機関砲、水滴風防、翼内埋め込みラジエターなど斬新なアイデアを盛り込んだ機体である。最高速度 580Km/h(4500m)は 1938 年としては画期的で 340 機が発注されたが、R&R の技術陣がマーリンに注力したこともあってペリグリンの生産と改良は捗らず、量産機の部隊配備は 1940 年 9 月までにずれ込んでしまった。この頃には本機の性能もあまりパッとしないものとなり、特に過給器の能力不足による高々度性能低下は戦闘機として深刻な問題だった。結局本機の生産は 144 機で打ち止めとなり、生産機は 43 年頃まで主として対地攻撃に従事した。ページのトップへ戻る
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中村(2003/5/1更新)
ウェストランド・ウェルキン (Westland Welkin MkI)
元々の仕様F4/40があまりにも高望みだったので、改めて出されたF7/41で作られた高々度戦闘機。
1942年11月に初飛行するものの、ロール速度が遅い上に急降下時の限界速度が低く、更に当初想定していたドイツ軍の高々度爆撃機が飛んでこなかったため、67機も作られながら部隊配置されることは無かった。
全幅21.3m 全長12.6m 全高4.6m 自重5,431kg 総重量8,970kg
エンジン 右側マリーン72または76 左側マリーン73または77
最大速度623km/h 実用上昇限度13,400m 航続距離1,930km
武装 イスパノMkII 20mm機関砲×4
乗員一名ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/11/4更新)
ウェストランド・ワイバーン (WESTLAND Wyvern)
艦上戦闘攻撃機として戦時中から開発が始められていたがトラブルが続出し、ファイヤブランドの後継として実戦配備されたのは1953年になってからだった。
1956年のスエズ動乱に参加している。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/29更新)
グラマン・マートレット Mk.IV
F4F は英国でも使用され、マートレットと呼ばれた(1944年3月に米国と同じワイルドキャットへ名称変更)。英国最初の F4F は、元々フランスが新空母用にグラマン社へ発注していた G-36A だが、引渡し前にフランスがドイツへ降伏したため、英国が引き取った(これがマートレット Mk.I)。Mk.II は英国の注文により折り畳み翼と機銃6挺を装備したもの。Mk.III はギリシア向けの F4F-3A を英国が引き取ったもの。
Mk.IV は基本的に F4F-4 相当の機体だが、エンジンは R-1820-40B で、性能的にやや劣る。主に護衛空母へ搭載され、TBMやソードフィッシュと組んで船団護衛にはげんだ。脚間が狭いために、本機で翼端クラブ会員となった者多し(入会資格は着陸時に片翼をつくこと)。
Mk.V は、米国の FM-1 と同じ機体である。R-1830-86 1200hp 装備で、最高速度 515km/h。総弾数が減ったために評判の悪かった6挺機銃を4挺に戻して、総弾数を増やしている。
最終型のワイルドキャット Mk.VI は FM-2 の英軍名称。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/2/20更新)
グラマン・ターポン MkI
英海軍艦上攻撃機。
グラマンTBM-1B相当の機体をブラックバーン社で英海軍向けに改修し、使用した。
舷側のブリスター・ウィンドウが特徴的。ページのトップへ戻る
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中村(2003/5/22更新)
グロスター・グラディエーター MkI (Gladiator MkI)
英空軍 第3飛行中隊所属機
駄作機展覧会の様相を呈した F.7/30 競作において、要求仕様を無視して独自開発したゆえに成功したグロスター SS.37 型機が 1935 年に制式採用されたもの。NACA 型カウリング、片持ち式の単支柱の主脚、密閉風防、四連装機銃など革新的な装備を持つ一方、複葉機の運動性と操縦性を引き継ぎながら中途半端な単葉機よりも高速であり、複葉育ちの保守的パイロットに歓迎された。値段も手頃だったので世界各国に輸出されたが早々に時代遅れとなり、英空軍では 1941 年暮れに退役している。ブリストル・マーキュリー星型 9 気筒 840hp、最高速度 400Km/h、航続距離 650Km、武装 7.7mm 機銃 x 4。Mk.I は木製二翅の固定ピッチプロペラを装備しており、胴体機銃はヴィッカース・主翼機銃はルイスを搭載している。ページのトップへ戻る
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中村(2003/6/18更新)
グロスター・シーグラディエーター“チャリティー”(Sea gladiator“Charity”)
イタリア参戦直後、孤立したマルタ島を護った3機のシーグラディエーターの内の1機
戦雲急を告げる1940年5月、防備の整わない英空軍は急遽予備機として同島に保管されていた海軍のシーグラディエーター借用し、稼動機4機だけのささやかな部隊を編成した。
この即席の部隊は迫りくるイタリア空軍相手に果敢に戦い、ハリケーンを擁する第261飛行中隊が増援として到着するまで同島を護り抜いた。
後にこの戦いに使用された3機のシーグラディエーターにはそれぞれ“Hope”“Faith”“Charity”の名が贈られた。
以上、何処に行っても目立たないグラディエーターの唯一の武勇伝です。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/3/13更新)
スーパーマリン322ダンボ
バラクーダ同様、S.24/37仕様に基づいて開発された艦攻。
原型1号機は1943年2月に初飛行。
主翼取付角可変機構と、翼前後縁の高揚力化装置で、失速速度92km/hという翼面過重に似合わぬ優れた低速性能を誇る。
バラクーダに破れ、不採用。
日本でいえば12試に相当するのだが、固定脚が特徴的な機体。ページのトップへ戻る
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アンサラー(2002/12/26更新)
スーパーマリン・スピットファイヤ MkXIV (Supermarine Spitfire Mk.XIV)
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スピットファイア Mk1
たく 2009/2/27
スピットファイア Mk1
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スピットファイアMK9
たく 2009/2/27
スピットファイアMK9
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スピットファイア Mk24
たく 2009/3/7
スピットファイア Mk24
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中村(2003/5/13更新)
デハビランド・モスキート B.MkIV シリーズii (De Havilland Mosquito B.MkIV series ii)
デ・ハヴィランド社が、それまで同社の培ってきた木製航空機技術を生かして自主開発した、木製の高速爆撃機。
折りしも世はSB-2やブレニムといった“戦闘機よりも高速な爆撃機”が実は複葉戦闘機の時代の泡沫の夢であることを暴露しつつあった頃であり、無武装高速爆撃機というコンセプトにも、木製でそこまでの性能が出せるのかについても懐疑的な見方が主流であった。
しかし、1941年末に初飛行した試作機は630km/hという空前の高速を叩き出し、関係者を驚愕させる。
正式採用されたモスキートはベルリン空襲を皮切りに持ち前の高速を生かして活躍し、"Wooden Wonder"の名をほしいままにする。本来の爆撃機としての用途のほか戦闘爆撃機型、夜間戦闘機型、偵察雷撃機型・写真偵察型など多くのバリエーションが作られ、いわば万能機としての活躍を見せた。
アイコンは1941年、英空軍 第2大隊 第105飛行中隊所属の“Mosquito B.MkIVseriesii”当初のコンセプトである無武装高速爆撃機としてはじめて量産された“モッシー”。
ちなみに、第105飛行中隊は当型が初めて配備された部隊です。
最高速度:612km/h、航続距離:2,390km、主機:ロールスロイス・マーリンXXI(1,460HP)、武装:爆装2,000lb(後に4,000lb)ページのトップへ戻る
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中村(2003/5/13更新)
デハビランド・シー・モスキート TR.Mk33 (De Havilland Sea mosquito TR.Mk33)
1947年、リー基地に配備された英海軍航空隊 第771飛行中隊所属
空母に離着艦出来ます、主翼もたためます、その上雷撃だって出来ちゃうす的に正しいロイヤル・ネイビーな“モッシー”ページのトップへ戻る
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Schump(2003/8/4更新)
デハビランド・ホーネット (De Havilland hornet)
来るべきアジア太平洋戦域での日本軍機との戦いに適応する長距離戦闘機として、また、高高度戦闘機、高速軽爆、写真偵察機等にも発展可能な多用途機として開発された双発単座機。形態的にはモスキートの縮小を基本にしているが、木材−金属接着構造の採用や特製の正面面積縮小型マーリンエンジンと左右逆転プロペラの組み合わせにより、2000馬力級の双発機としては限界ともいえる小型軽量かつ機動性・操縦性の高い機体を実現した。
開発自体は順調に進んだものの、量産期の納入開始が1945年2月となり、大戦には間に合わなかった。それでも増槽装備で4800kmにもなる航続距離と初期ジェット機に対してもさほど見劣りしない機動性・火力を買われて300機近くが量産(海軍型を含む)され、マラヤでの対ゲリラ戦や香港防空、艦隊防空などに活用された。
アイコンは、1950年ごろ、本土で機種転換訓練に使われていたF.Mk.3。ページのトップへ戻る
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Schump(2003/8/4更新)
デハビランド・シー・ホーネット (De Havilland Sea hornet)
ホーネットの高性能に着目した英海軍の要求により、ヘストン社の協力を得て開発された機体。構造強化、着艦フック・RATO取付点・翼折りたたみ機構の追加、脚緩衝装置のゴム式から油気圧式への変更等により約250kgの重量増加があったが、空軍型からの性能低下はわずかなものだった。
昼間戦闘爆撃機型のF.MK.20(64機)、機首レーダーと後部胴体レーダー手席を設けた夜間/全天候戦闘機型NF.Mk.21(78機)、艦上偵察機型PR.Mk.22(13機?)の各型が生産され、50年代前半までFAAの兵力の一端を担った。
アイコンは、1953年ごろHMSイーグルに搭載されていたNF.Mk.21。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/10/6更新)
ノースアメリカン・ムスタング MkI (Mustang MkI) 英軍塗装(P-51A)
カーチスに P-40 増産を持ち掛けて断られた英空軍がノースアメリカンにライセンス生産を呼びかけ、「P-40 に代わる新戦闘機」NA-73 をわずか 120 日で製作した話は有名。
A 型はアリソン V-1710-39 を搭載、機首下面のラインがマーリン搭載型と異なり、機首上面にキャブレターインテイクが開口している。
もともと援英機材として開発された輸出戦闘機だったが、高性能に注目され米陸軍でも採用した。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/9/13更新)
マーチンベイカー MB.5
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RN(2007/6/6更新)
ハンティング/パーシヴァル・プロヴォスト(Hunting/Percival Provost)
プロヴォストは空軍省仕様 T.16/48によって開発され同社前作のプレンティスの代替として採用された初等練習機です
英空軍伝統の初等練習機”タイガー・モス”の後継として第二次大戦後パーシヴァル・プレンティス、デハヴィラント・チップマンクの2機種が採用されましたが、一線機のジェット化が促進するなか最大速力が200kmそこそこの両機では当時採用され始めたミィーティア・T7のようなジェット練習機とのギャップは大きくより高性能な機体が望まれました。パーシヴァル社ではプレンティスとほぼ同重量の機体に7割程度の翼面積と2倍以上の出力のエンジンを与え、より洗練された空力性能を加味することによりWW2時の一線機に匹敵する機動性を持つ機体を完成させました。
プロヴォストはプレンティス同様、低翼単葉固定脚のレイアウトを持つ単発機ですがはるかに小型の機体にまとめられ全幅、全長は14.02mから10.71m、9.52mから8.73mへと小型化されています。エンジンは伝統のジプシー・クイーン32 250hpからアルビス・レオニダス126 550hpとなり、さまざまな戦闘機動の訓練も可能な機体となりました。座席レイアウトは当時のはやりでもあったサイド・バイ・サイドで特に訓練の初期段階では有効な形式でした。
1950年2月に初飛行したプロヴォストは翌年正式採用、1953年から順次訓練飛行隊に配備され、それまで必要だった中間練習機を省いたプロヴォスト⇒ヴァンパイアの2段階の訓練体系を確立、1956年までに461機が生産され、発展型の”ジェット・プロヴォスト”が採用された後も1960年代後半まで使用されました。また本国のほかマレーシア、イラクなど7カ国でも採用されそれらの国では翼下にハードポイントを装備して軽攻撃機としても重用されました。
アイコンはリヴァプルールユニヴァーシティ・エアスコードロン所属のT.Mk.1で同”XF844”機は現在も屋外展示されています。
主な要目
エンジン アルビス・レオニダス126 空冷星型9気筒550hp 翼巾10.71m 全長8.73m 全高3.70m 字重量1.995kg 最大速度322km(海面高度) 上昇限度7.620m 航続距離1.040km 乗員2名 ページのトップへ戻る
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中村(2003/5/27更新)
フェアリー・ソードフィッシュ MkI (Swordfish MkI)
1936年、グローリアスに搭載された第823飛行中隊所属のSwordfish MkTです。ページのトップへ戻る
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中村(2003/5/30更新)
フェアリー・ソードフィッシュ MkI(水上) (Swordfish MkI)
第823飛行中隊所属のSwordfish MKT水上機型です。ページのトップへ戻る
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中村(2003/6/8更新)
フェアリー・ソードフィッシュ MkIII (Swordfish MkIII)
1945年、ルズート基地に配備された第119飛行中隊所属のSwordfish MkVです。ページのトップへ戻る
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中村(2003/2/20更新)
フェアリー・アルバコア MkI (Albacore MkI)
1940年、フォーミタブルに搭載された第826飛行中隊所属のAlbacore MkTです。ページのトップへ戻る
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群馬帝国空軍工廠(2003/3/13更新)
フェアリー・バトル(Fairey Battle)
プロペラスピナーがついていないのはこれが標準です。
液冷発動機(しかもマーリン)だというのに珍しいことです。
キャノピーがやたらと長いですが、三座です。
複座の複葉軽爆ハート(及びハインド)の後継機なのに妙なことです。
爆弾はとりあえず最大で1000lb(454kg)しか積めません。
要するに爆弾倉が狭いんですね。
最大速度は388km/hも出ます。要求が322km/hですから、ものすごい高速軽爆です。
一応1937年式だということは忘れておくことにします。
たぶん、いちばん活躍したのはフランス戦でしょう。
とりあえず、1939年9月20日にBf109に喰われたのが、イギリスが第二次大戦で空中戦で失った初の飛行機となりました。
1939年中にはもう昼間に飛ばすのは危ないという結論が出てしまっていましたが、ドイツ軍の西方電撃戦が始まるとそうとばかりは言っておられず、セダンでムーズ川に架かる橋への5月14日の英仏合同大空襲にも参加しました。
この攻撃は決死隊の体裁で志願者のみ出撃(といっても全員志願したんですが)
71機が参加して、橋を守る対空陣地とドイツ戦闘機とに40機が喰われました。
一応BoBの頃までは現役でしたが、1940年の暮れ頃までには引退し、残っていた機体のほとんどはカナダへ飛んでそこで練習機になりました。
最高速度:388km/h、航続距離:1,690km、武装:7.7mm前方固定x1、旋回x1、爆装1,000lbページのトップへ戻る
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群馬帝国空軍工廠(2003/3/19更新)
フェアリー・バトル(Fairey Battle)標的曳航機仕様
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巣田@うぐぅ(2003/1/27更新)
フェアリー・フルマー (Fulmar) 艦上複座戦闘偵察機
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中村(2003/4/29更新)
フェアリー・バラクーダ MkII (Fairey Barracud MkII)
1944年、HMSパンチャーに搭載された第821飛行中隊所属のBarracud MKUです。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/3/13更新)
フェアリー・ファイアフライ F.MkI
フルマーの後継機として開発された、艦上戦闘偵察機。
完全引き込み式のヤングマンフラップの効用で、低速性能が向上、離着艦が容易で巡航性能、運動性も高い機体。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/3/13更新)
フェアリー・ファイアフライ FR.MkIV
ラジエターが主翼付根前縁に移動、翼端が角張っているのが特徴。
また、垂直尾翼が増積されている。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/11/7更新)
フェアリー・ガネット (Fairly Gannet)
対潜哨戒機ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/6更新)
ブラックバーン・ロック (Blackburn B-25 Roc)
急降下爆撃機兼複座戦闘機のスキュアから発達した複座動力銃塔つき艦上戦闘機。
全幅14.02m 全長10.85m 全高3.68m 自重2,778kg 最大重量3,606kg 最高速度359km/h 航続距離1,304kmページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/6更新)
ブラックバーン・ファイヤブランド (Blackburn B-37 Firebrand)
全幅15.63m 全長11.81m 全高4.04m 自重5,197kg 最大重量7,575kg 最高速度560km/h 航続距離1,200kmページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/11/4更新)
ブラックバーン B-88 (BLACKBURN B-88)
艦上対潜哨戒機として当初グリフォンを搭載し、B-54として開発がスタートしたが、ターボプロップに変更されB-88に改められた。フェアリー社のガネットとの競作に敗れて終わった。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/10/1更新)
ホーカー・ハート(Hawker Hart)
ハリケーンの開発者として知られる、サー・シドニー・カムの出世作がこの機体。1927年に初飛行し、複座軽爆ながら約300km/hと従来の機体を大きく上回る速度で関係者を瞠目させた。1930年から配備が始まり、大戦直前まで使用されている。
主機をケストレルV (640HP)に強化したハインド(Hind)、ネイピア・ダガーに換装したヘクター(Hecter)、戦闘機型のディーモン(Demon)、直協機のオーダクス(Audax)、艦載型のオスプレイ(Osprey)、中東向けのハーディー(Hardy)、南アフリカ向けのハートビー(Hartbee)等々多くの派生型が生産された。
また、本格的に戦闘機化すべく単座化したフューリーも開発され、更にはこの基本構造を活かしつつ単葉化した傑作機ハリケーンへと発展していく。
最高速度:299km/h 、航続距離:692km、武装:Vickers.303x1(機首)、Lewis.303x1(後席)、爆装500lbページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/1/23更新)
ホーカー・ハリケーン (hurricane)
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巣田@うぐぅ(2003/1/27更新)
ホーカー・ハリケーン MkIID (hurricane MkIID)
ビッカース“S”、40o機関砲を両翼下に搭載した対地攻撃型です。ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/11/9更新)
ホ−カ−・タイフ−ン
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群馬帝国空軍工廠(2003/3/13更新)
ホーカー・テンペスト MkII(Hawker Tempest MkII)
テンペストのエンジンをブリストル・セントーラスに換装したタイプ。ページのトップへ戻る
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群馬帝国空軍工廠(2003/3/13更新)
ホーカー・テンペスト MkIII(Hawker Tempest MkIII)
テンペストのエンジンをロールスロイス・グリフォンに換装したタイプ。
量産はされなかった。ページのトップへ戻る
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群馬帝国空軍工廠(2003/3/5更新)
ホーカー・テンペスト(Hawker Tempest)
全長:10.3m 全幅:12.5m 全高:4.28m 自重:4.082t 全備:5.216t 乗員:1名
最大速度:702km/h(高度5,600m) 航続距離:約1,200km 発動機:ネイピア「セイバー」(液冷2,180馬力)×1
武装:20mm×4 爆弾:900kg or ロケット弾×8 生産数:約1400機
(データはTempest Mk.Xのもの)ページのトップへ戻る
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ささき(2002/9/29更新)
ホーカー・シーフューリー FB.Mk.11 (SeafuryFB.Mk.11)
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舞沙P(2002/11/6更新)
ハンドレー・ページHP.50ヘイフォード (Handley Page Heyford)
制式採用は1932年、1936年7月までに124機が生産されています。
尾輪と主脚までの線を引っ張るとわかりますが、駐機状態でのコクピットの高さは4メートルにもなります。
機体前方に位置する爆撃手(航法手兼任)と操縦手の正規の乗降法は、コクピットの脇に長ーいハシゴをかけてえーんやこーらと登ったり降りたりするというもので、機上で負傷でもしたら、基地に帰り着いても助かりそうもないですねえ。
後部キャビンとは伝声管でつながっているだけで、行き来はできません。電信手はこっちにいるので、ちょっと不便だったかもしれませんが、まあ基本的にメイデイの発信以外は無線封止でいくものだったので、大事な受信だけ前に伝えられればなんとかよしとしましょう。
後下方銃座はこの時代に流行の引込み式です。
とはいえ、このレイアウトのおかげで、たった3挺しかない7.7ミリ機銃ですが、死角はほとんどありません。
専用の設備さえあれば、車輪周り以外は整備員はちっともかがまずに仕事ができ、地上員にとても優しい爆撃機でもあります。(もちろん、設備のない飛行場ではエンジンには背が届かず整備不能になりますが)
爆弾倉は下翼中央の翼内にあり、位置が低くてこれまた搭載作業がしやすいのです。
1933年11月の第99飛行隊への配備に始まり、絶頂期には英本土の11個爆撃飛行隊に配備され、文字通りの主力爆撃機として使用されます。
1937年頃から初期型の引退が始まりますが、訓練部隊では長く使われ、1941年頃まで航法及び爆撃の訓練に用いられました。
全幅22.86m 全長17.68m 最大速度230km/h 航続距離1500kmページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/13更新)
アブロ・アンソン (Avro Anson)
民間用の軽輸送機アブロ652をベースに開発された双発汎用機で、主として沿岸防備隊、訓練航空隊などで活躍した。本国のほか英連邦各国で使用され、カナダではライセンス生産もされている。総数で10,000機以上が生産され、戦後も長く貨物輸送機として使用された。
最高速度:300km/h(2,100m)、航続距離:1,270m、武装:7.7mm固定x1、旋回x1、爆装300lbページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2002/8/31更新)
アブロ・ランカスター (lancaster)
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J1N1-Sa(2003/4/27更新)
アームストロング・ホィットワース・アルベマール (Armstrong Whitworth Albermarle)
元はブリストル社が空軍省の仕様P9/38に応えて製作した双発爆撃機であったが、仕様がB18/38になったのに伴いアームストロング・ホィットワースに移管される。爆撃機として生産されたのは最初の30機程度で後は輸送機に改造と、某バッキンガムと似通ったコースを辿るが、機体がうすらデカかったり、木鉄構造で軽金属を食わなかったりするのが幸いしてか、グライダーも牽引できる空挺部隊用の輸送機として活躍する。Mk.VIまでのバリエーションがあるが、試作に終わったものを除いて主機はブリストル・ハーキュリーズXI(1,590hp)を使用。アイコンと諸元はMk.VI SeriesI
最高速度:426km/h、航続距離:2,160 km、武装:7.7mm機銃×2ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/19更新)
ダグラス・ボストン (Douglas Boston)
1936 年のダグラス社によって独自開発された高速軽爆。当初は米軍の興味を引かず、フランスからの発注により DB-7 の呼称で 1939 年から量産が開始された。しかしわずかな数がフランスに渡った時点でフランスが陥落してしまい、だぶついた生産機の大部分は援英機材としてイギリスに送られた。イギリスでは本機を夜戦型の「ハボック」と爆撃機型「ボストン」に分類、ボストンはのちの発注分も合わせ Mk.I〜Mk.V までの種類がある。ボストン I, II は 1000hp R-1830 だったんですが、ボストン III 以降から 1600hp R-2600 に換装されています。
ボストン Mk.III の仕様は R-2600-A5B 1600hp 双発、最高速度 544Km/h、武装 7.7mm 前方固定機銃 x 4 + 後上旋回 x2 + 後下旋回 x 1、爆弾 500Kg、航続距離 1200Km。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/8/23更新)
ダグラス・ダコタ MkI (Douglas DakotaMkI)
C-47 の英軍供与機に与えられた呼称が「ダコタ(Dakota)」である。定着しなかった米軍の愛称「スカイトレン」とは対照的に「ダコタ」の愛称は広く使われ、英国では民間用の DC-3 まで「ダコタ」と呼ばれたという。Mk.I は米軍での C-47(A や B の付かない)に相当する初期生産型で、小型の天測窓、尖った胴体後端、少ないアンテナ類などが特徴。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/2/20更新)
マーチン・メリーランド (Martin 167 Maryland)
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J1N1-Sa(2003/2/12更新)
マーチン・バルチモア MkI (Martin Baltimore MkI)
もともと米陸軍で不採用となり、英国に送られたマーチン 167 メリーランド(Maryland)の発展型として英国が発注した機体。エンジンはメリーランドの R-1830 1000hp からライト R-2600 1600hp となり、胴体が延長されて武装・爆弾搭載能力も増加している。Mk.I から Mk.V まで各型あわせ合計 1575 機が生産され、北アフリカ・地中海方面で活躍した。最高速度 490Km/h、航続距離 1740Km、武装 7.7mm 旋回銃 x 2 + 7.7mm 固定銃 x 4 + 7.7mm 後部旋回銃 x 1、爆弾最大 900Kg。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/2/12更新)
マーチン・バルチモア MkV (Martin Baltimore MkV)(FAA)
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J1N1-Sa(2003/7/16更新)
ハンドレページ・ハンプデン (Handley-Page Hampden)
ヴィッカース・ウェリントンと同じ、空軍の仕様B9/32に応えてハンドレページ社が開発した双発爆撃機。高速性能を重視して極力幅を絞った特異な胴体形状から“空飛ぶフライパン”とも呼ばれる。大戦初期に昼間爆撃に従事したほか、航続力と良好な視界から哨戒・雷撃機としても使用された。
最高速度:409km/h、航続距離:3,000km、主機:ブリストル・ペガサスXVII(1,000HP)、武装:7.7mm機銃×6、爆装:2,000lbページのトップへ戻る
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中村(2004/3/31更新)
ハンドレページ・ハリファックス B.MkIシリーズi(Handley-Page Halifax B.MkI series i)
本機の起源は1935年にまだ初飛行も済ませてないウェリントンの後継機として発注された、仕様B13/35による双発爆撃機までさかのぼる事ができる。
社内名称でHP55と呼ばれていたこの爆撃機は、翌年に発表された高速爆撃機案、仕様P13/36にあわせ全幅を縮小しエンジンもハーキュリーズからより強力なバルチャーに変更、新たにHP56と呼ばれるようになるが、開発が進むにつれバルチャーに不信感を抱くようになったハンドレページ社は軍を説得、1937年9月にマリーン四発案への変更を認めさせた。
こうして社内名称もHP57へと再度変更されハリファックスが誕生した訳だが、その後の開発も設計変更に伴なうトラブルに巻き込まれ順調とは言えず、初飛行は当初の予定より一年以上遅れた1939年10月になり、初の量産型であるB.MkIシリーズiの完成は1940年10月まで待たなければならなかった。
しかし、生産自体は順調に進み、量産型完成からわずか五週間後には最初の部隊である第35飛行中隊が編成された。
その後も量産体制を驚異的な速度で整え1941年末には第4爆撃群隷下の11の飛行中隊に配備されたが、この間飛行中にプロペラが外れるという事故が多発、さらに油圧系統の問題から主輪は引き込まれず尾輪は下がらないという故障も発生した。
このためシリーズiの製造はわずか8ヶ月、50機で打ち切られ、以後生産はこれらの問題を解決したシリーズiiへ移行する事となった(なお尾輪の問題はMkIIIになるまで修繕されず、その間尾輪の引き込みは禁止されていた)。ページのトップへ戻る
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たく(2004/2/25更新)
ハンドレページ・ハリファックス B.MkIIシリーズia(Handley-Page Halifax B.MkII series ia)
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舞沙P(2002/11/7更新)
ビッカース・ウェズレイ (Vickers Wellesley)
全幅22.73m 全長11.96m 全高3.75m 自重2,889kg 全備重量5,035kg 最大速度369km/h 航続距離1,786kmページのトップへ戻る
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胃袋3分の1(2003/8/15更新)
ビッカース・ウェリントンMkIC (Vickers Welington MkIC)
空軍の主力戦略爆撃機を求める1932年度のB9/32仕様に従って開発されたもので、原型機は1936年6月15日に初飛行している。大型の中翼双発機で外形は平凡であるが、機体構造の面でウェルズリーの翼構造に用いられて成功した大圏構造を全面的に採用しているのが最大の特徴であろう。
ちなみに、このB9/32仕様に応じたのはハンドレーページ・ハンプデンも同じで、同じ仕様書からまるで違う飛行機ができてくることの良い例と言えよう。
試験は若干の方向安定の不足を除いてとくに大きな問題もなく進み、8月には180機の量産発注を受けた。
原型機は双尾翼であったが、先行量産機からは方向安定の改正のため背の高い単尾翼となった。
MkIの部隊配備は1938年10月に始まっている。
MkICは1940年4月に部隊配備が始まっている。
MkI及びMkIAで装備されていたいわゆるダストビン型(腹部引込式)ナッシュ&トムソン銃座を廃止して、胴体側面に左右1挺ずつの7.7ミリ機銃を装備し、草地飛行場からの発着を考慮して、主車輪を大直径の中圧タイヤに改めたタイプ。この大直径タイヤは以降の全タイプで標準となった。
初期型(ブリストル・ペガサス装備)の主力生産モデルで2685機が生産された。
胴体構造はこのタイプで完成しており、側方銃座は以降の型では一度も用いられなかったにもかかわらず、取付部分は生産終了までずっと残されていた。
諸元
全幅 26.26m
全長 19.69m
全高 5.31m
エンジン ブリストル・ペガサス XVIII 離昇出力980馬力 ×2
自重 8,422kg
全備重量 13,381 kg
最大速度 378km/h@4,724m
航続距離 1,931km@爆弾4,500lbs.(2,041kg)
     2,494km@爆弾1,000lbs.(454kg)ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/24更新)
ブラックバーンB-20(社内名称)
1936年の仕様R1/36に対応した飛行艇で、主フロートを上下させる機構により飛行中は胴体下面に一体化させ、補助フロートも翼端に格納することで陸上機並みの性能を発揮する飛行艇(この表現だと水上機?)を目指したものでした。
一見問題の温床になりそうな主フロートの上下機構は試作機ではなんと大過なく働き、B-20は満足すべき性能を発揮しますが、主機に採用されたロールスロイス・ヴァルチュアの不調に悩まされた挙句に試作機は全損。第二次大戦の勃発もあって開発はそのまま中止されてしまいました。
B-20は狙い通りの機能で狙い通りの性能を発揮したわけで、ヴァルチュアさえちゃんと動けば成功作とも言い得たのかもしれません。しかし、同じくヴァルチュアの被害にあったアブロ・マンチェスターやホーカー・トーネードが別のエンジンを模索することで名機ランカスターやタイフーン/テンペストへの途を拓いたのに対し、B-20のコンセプトを継ぐ飛行艇はその後も現れることはありませんでした。
最大速度:492km/h、航続距離:2,400km、武装:爆装4,000lb
試作段階では機銃は装備していないようです。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/24更新)
ブラックバーンB-20(着水状態)
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J1N1-Sa(2003/3/13更新)
ブラックバーン・ボウタ (Blackburn Botha)
ブリストル・ボーフォートと同じ、1935年の要求仕様M15/35に基づく機体。当初主機に予定していたブリストル・ハーキュリーズがボーファイターに優先的に回されたため、ブリストル・パーシュースX(880HP)を装備することとなった。つい勢いで試作結果を待たずに量産され1939年からアブロ・アンソンと交代する形で配備が開始されたものの、エンジンの出力不足や機体の安定性不良のために部隊における評価は劣悪であり、早々に装備をアンソンに戻す部隊も出る始末。結局一部が訓練部隊等で使われた他は早々に退役してしまったとのこと。
最高速度:401km/h(1,675m)、航続距離:2,044km、7.7mm固定x1、旋回x2、爆装2,000lbまたは航空魚雷x1(自称)ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/4/16更新)
ブリストル・ボンベイ (Bristol Bombay)
最高速度:310km/h、航続距離:3,590km、主機:ブリストル・ペガサスXXII(1,010HP)、武装:7.7mm×4(前後の銃塔に1挺ずつ、両側面のドアから1挺ずつ)、搭載量:兵員24名ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/5更新)
ブリストル・ブレニム MkI (Bristol Blenheim MkI)
開発当時イギリスのどの戦闘機よりも高速ということで大きなインパクトを与えた高速旅客機"Britain First"ことブリストル142をベースに開発された軽爆撃機。Mk.Iの主機はブリストル・マーキュリーVIIIで、その後主機の強化等によりMk.Vまでのバリエーションがある。各型合わせて4,432機が生産され、1943頃まで本国で使用されたほか、カナダ、フィンランド、ユーゴスラビア、ルーマニア、ギリシャ、トルコ等で使用された。
最大速度 :418km/h、航続距離:1,810km、武装:Browning.303固定x1(左翼内)、旋回x1(後部銃塔)、爆装1,000lb。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/2/26更新)
ブリストル・ブレニム MkIV (Bristol Blenheim MkIV)
ブレニムのMk.Iに続く量産型。主機をマーキュリーXV(離昇995HP)に強化した他、偵察・哨戒用途を意図して風防の形状が大きく改修されている。
最大速度 :428km/h、航続距離:1,810km、武装:Browning.303固定x1(左翼内)、旋回x2(後部銃塔)、旋回x2(機首下面:オプション装備)、爆装1,000lb。
このアイコンでは機首下面の機銃は装備していません。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/4/28更新)
ブリストル・ブレニムMkV (Bristol Blenheim MkV)
大戦期にはもはや旧式となりつつあったブレニム。しかし、重防御にして近接支援に特化すればまだいけるんちゃう?という甘い目論見でつい開発されたのがMk.V。防弾を増やした上に主機もマーキュリー25(850HP)にグレードダウン。当然のように低下した飛行性能で北アフリカ戦線で苦闘する羽目になる。単に余ったマーキュリーを掃きたかっただけなんじゃ…?
最高速度:406km/h、航続距離:2,380km、武装:7.7mm旋回銃×2(後部銃塔)、7.7mm旋回銃×2(機首下面)、爆装1,000lbページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/3/5更新)
ブリストル・ボーフォート (Bristol Beaufort)
1935年に空軍が出した要求仕様M15/35に応えて開発された陸上雷撃機。Mk.Iの主機はブリストル・トーラスIV(1,130HP)で、その後主機、武装の強化等によりMk.IXまでのバリエーション(途中欠番あり)がある。1940年から配備が開始され、約2,000機が生産された。また、主翼や尾翼などを共通にして双発戦闘機ボーファイターが開発されている。
最高速度:418km/h(1,830m)、航続距離:1,666km、武装:7.7mm機銃x4〜7、爆装1,500lbまたは航空魚雷x1ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/4/16更新)
ブリストル・ボーファイター (Bristol Beaufighter)
ブリストル・ボーフォートの主翼、尾翼等を流用して開発された双発戦闘機。ダメ飛行機の温床とも言うべき戦前の双発多座戦闘機の流行に乗っかった機体ではあるが、極東の某国の双戦のように「十二試艦戦並みの運動性を有す」などと無体な要求を突きつけられることも無く、頑丈重武装という方向に走ったのが幸いしてそれなりの成功作となる。尤も活躍の場はやはり夜間戦闘、対地攻撃等なので、要は他国の双戦が単戦に敗れて流れ着いたところに最初から居ただけという気もしないではない。雷撃機型も含め約6,000機が生産された。データはハーキュリーズXVII(離昇1,735HP)装備のMk.X。
最高速度:512km/h、航続距離:2,366km、武装:20mm固定x4、7.7mm固定x6、7.7mm旋回x1、ロケット弾x8ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/4/16更新)
ブリストル・ボーファイター MkII (Bristol Beaufighter MkII)
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J1N1-Sa(2003/4/16更新)
ブリストル・バッキンガム (Bristol Buckingham)
ブリストル・ブレニムの後継を目指して開発された軽・中爆撃機であったが、出力不足から主機をハーキュリーズからセントーラスVII(2,500HP)に変更したり、そのセントーラスが言うことを聞かなかったりと散々開発に手間取っているうちにデ・ハビランド社が勝手に開発してしまったモスキートに思いっきり先を越される。一応爆撃機として採用はされたものの多くは高速連絡・輸送機(Buckingham C)に改造されてしまったとのこと。これをもとに練習機バックマスターや結局軽爆に戻ったブリガンドとかが開発されたが、結局あまりモノにはならなかった。
一見普通の双発機だが、機首に武装を盛り込んだために爆撃手の居場所がなくなってしまい、後部胴体下面の第三艦…もといゴンドラに爆撃手が乗り込む辺り、やっぱり何か変。
最高速度:531km/h、航続距離:5,118km、武装:7.7mm固定x4(機首)、7.7mm旋回x4(後部銃塔)、7.7mm旋回x2(後部胴体下ゴンドラ)、爆装:4,000lbページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/4/16更新)
ブリストル・ブリガンド (Bristol Brigand)
ボーファイターの設計を流用する雷撃機のはずが、いつの間にかバッキンガムと主翼・尾翼を共用する軽爆になっていたという、もう成り立ちからして日陰者っぽい爆撃機。150機程度が生産され、熱帯での運用に難のあったモスキートの穴埋めとして東南アジアなどで細々と活動するが、結局はデハビランド・ホーネットにとって替わられる。一応RAF最後のレシプロ軽爆ということらしいが、取って替わった以上はホーネットも実質軽爆として使われてたんじゃないかという気もしないではない。
最高速度:575km/h、航続距離:3,168km、主機:ブリストル・セントーラス57(2,810HP)、武装:20mm固定x4、爆装:2,000lbページのトップへ戻る
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ささき(2005/6/14更新)
ベル P-400 (援英)
軸内砲を 20mm に、機首と主翼機銃を 7.7mm に換装した援英型。エアラコブラ Mk.I の名称で英国に送られたが、性能不足で突き返された。一部が米軍において P-400 の呼称で用いられ、残りはソ連に送られた。ページのトップへ戻る
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中村(2004/12/23更新)
ボールトン・ポウル デファイアント Mk.I(Boulton Paul Defiant Mk.I)
1935 年の F.9/35 要求仕様に基づいて作られた、7.7mm 四連装旋回機銃のみを武装とする複座戦闘機。「ナンセンス」「時代錯誤」と酷評される事も多いが、1930 年代後半は高速多発爆撃機の編隊防御火力が過大評価された時代でもあり、「防御火網の死角に潜り込んで集中打を浴びせる」というコンセプトはあながち間違いでもない。しかし白昼迎撃に使うには鈍足鈍重であり、夜間戦闘機に使うには弱火力すぎる中途半端な機体であることも確かであった。
実戦には 1940 年 5 月のダンケルク撤退作戦から参加。当初はハリケーンと誤認されたこともあってドイツ戦闘機を返り討ちにする戦果も挙げたが、ドイツ側が対応方法を覚えると忽ち馬脚を現して前線から下げられ、1940 年 8 月以降は夜間戦闘機として用いられた。
ロールスロイス・マーリン III 1030hp x 1、最高速度 489Km/h、航続距離 748Km、武装ブローニング 7.7mm 機銃 x 4。乗員2名、生産数 713 機。ページのトップへ戻る
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中村(2003/10/22更新)
ボールトン・ポール オーヴァーストランド(Boulton&Paul Overstrand)
ボールトン・ポール社が先に制作したサイドストランドの改良型。
33年に初飛行した原型機はサイドストランドを改造したもので、当初はサイドストランドMK5と呼ばれていた。
しかし翌34年に正式採用が決定した本機に改めてオーヴァーストランドの名が与えられたのは、英空軍が本機にたいして並々ならぬ期待を寄せていたからである。
爆弾搭載量はサイドストランドの五割増し、動力銃座、密閉式の操縦席、自動操縦装置などの新技術を採用し、その上軽快な運動性能まで有しているとなれば「航空戦術に革命を引き起こしそうだ」と期待するのも無理からぬことだった。
35年1月から第101飛行中隊に配備を開始した本機は、同年7月にジョージ五世陛下の閲兵を受け華々しくデビュー、その後ブレニムが配備される38年まで第一線にとどまり、一線を退いた後も標的曳航などの雑務につき末永く英空軍に尽くした。ページのトップへ戻る
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中村(2004/12/23更新)
ボールトン・ポウル デファイアント NF.Mk.II(Boulton Paul Defiant Mk.II)
白昼迎撃で護衛戦闘機に対抗できない事が明らかになったデファイアントは、夜間戦闘機として使用された。NF.Mk.II はエンジンをパワーアップして A.I Mk.IV レーダーを積んだ機体で、同時期に活動したブレニム夜戦より高速で運動性も良く、1940 年暮れから 1941 年にかけてのドイツ夜間爆撃「ブリッツ」に対しては最も戦果を挙げた夜戦でもあった。1942 年に入ると流石に鈍足・低火力が目立つようになり、残存機は沿岸哨戒・標的曳航などの地味な雑用任務に格下げされた。
操縦席キャノピーと銃座をむすぶフェアリング部は、銃座射界を広げるため昇降する仕組みになっていた。アイコンはフェアリングを下げた射撃時状態。
ロールスロイス・マーリン XX 1280hp x 1、最高速度 502Km/h、航続距離 748Km、武装ブローニング 7.7mm 機銃 x 4。乗員2名、生産数 210 機。ページのトップへ戻る
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中村(2004/12/23更新)
ボールトン・ポウル デファイアント TT.Mk.I(Boulton Paul Defiant TT.Mk.I)
 「英国機の失業保険」とも呼ばれる(ウソ)標的曳航任務。デファイアントも御多分に漏れずこの任務を仰せつかり、既存生産分の Mk.I および Mk.II 150 機づつが標的曳航仕様に改造された。銃座は撤去されて標的操作員席となり、胴体下には曳航ワイヤーのウインチが設けられ、後部胴体下面は標的収納庫となって膨らんでいる。奇妙なことに Mk.I 相当機が TT.Mk.III, Mk.II 相当機が TT.Mk.I と呼ばれ、TT.Mk.I は既存機改造に加え 140 機が新規生産されてもいる。TT.Mk.II はエンジンを 1620hp のマーリン 24 にパワーアップした発展型だったが、当然ながら計画のみに終わった。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2003/4/29更新)
BAe ライトニング F.Mk.1 (LIGHTNING)
英国が独力で開発した唯一のマッハ2級の超音速戦闘機。
基本的に高高度を高速侵入してくる爆撃機を迎撃するために開発された。
1957年に発表された英国国防白書でミサイル万能・有人機不要論が唱えられる中、英国唯一の超音速戦闘機として完成するも、その未来は暗いものと思われていました。
ところが国防白書発表から数年も経たないうちにミサイル万能論は、実は机上の空論に過ぎなかった事が発覚、ライトニングは一躍桧舞台へと踊り出る事になります。
もっとも、基本的に速度を最優先にした設計であった為、エンジンを上下に重ね胴体幅を狭めたり、その御蔭で燃料タンクの容積が限定され航続距離が短くなるだの、主脚を胴体内に収める事が出来ず主翼に引き込むようにした為に主翼下面にハードポイントを設置できないなど問題の多い機体でした。
F.Mk.1は最初の生産型で、武装は機首のADEN30mm機関砲×2門とファイアストリークAAM×2発装備。
この後、航続距離延長の為の給油プローブを装備したF.Mk.1A、防空システムとのデータリンク機能を備えるつもりが予算の関係上装備できず、結果的に何処を改良したのかよく分からないF.Mk.2、機関砲を全廃し電子装備の強化とミサイルキャリアー化をはかったF.Mk.3が開発されています。
なお、当アイコンの塗装は最初のライトニング飛行隊No.74 Sqnのもの。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2003/4/29更新)
BAe ライトニング F.Mk.6 (LIGHTNING)
F.Mk.3の開発によって一応迎撃機としての完成の粋に達したライトニングですが、相変わらず航続距離が短いといった問題が残されていました。
そこで機体下面のタンクを大型・固定化し航続距離の延長を図り、同時にいったん廃止されたADEN30mm機関砲を再装備したのがMk.6です(正確にはF.Mk.3.A、あるいはF.Mk.3ERVの制式採用型)。
F.Mk.6の特徴は、主翼上面に装備されたドロップタンクですが、これは機体下面にハードポイントの設置ができない為の苦肉の策でした。
なお、当アイコンの塗装は1966年にF.MK.6に機種変更されたNo.74 Sqnのもの。ページのトップへ戻る
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中村(2003/11/6更新)
BAe シーハリアーFRS.Mk1(BAe Sea Harrier FRS.Mk1)
 1960 年代に開発された実験機ホーカー P.1127 から発展した実用 VTOL ジェット戦闘攻撃機で、空軍仕様の GR.Mk.1 は 1967 年から生産された。
 シー・ハリアーは艦載仕様として視界向上・構造強化に加え新型のエンジンを搭載したタイプで、FRS とは Fighter/Reconnaisance/Strike(戦闘/偵察/攻撃)の略。
 1978 年から約 10 年間で合計 54 機が生産された。ロールスロイス・ペガサス Mk.104(推力 9752Kg)x1、最高速度 1185Km/h、航続距離 1000Km。武装 ADEN 30mm 機関砲x2、各種爆弾・ロケット弾・ミサイルなど合計 3.6t。
 アイコンは空母ハーミーズ(H.M.S Hermes)搭載の第800飛行中隊(NAS 800)機で、胴体下面の白色カウンターシェイド迷彩を全面ダーク・グレイで塗り潰し、国籍マークや部隊マーク、機体番号なども徹底的に上塗りされたロービジ塗装となっている。フォークランド紛争においては優れた低空運動性と全周ロックオン可能な AIM-9L サイドワインダー・ミサイルの威力を発揮、自らの損害なくアルゼンチン空軍機 26 を撃墜し戦闘機としての有用性を証明した。ページのトップへ戻る
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中村(2004/10/14更新)
BAe ホークT.Mk1(BAe Hawk T.Mk1) レッドアローズ仕様
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巣田@うぐぅ(2002/9/7更新)
グロスター・ミーティア (Meteor)
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Schump(2009/7/11更新)
グロスター・ミーティア NF.11 夜間戦闘機(1950)
1948年、「いつまでもモスキート夜戦じゃねーよな、やっぱ」という英国空軍の要求に応え、本格全天候ジェット戦闘機であるジャヴェリン導入までのつなぎとして、グロスターが提案したミーティア改造夜戦。実際の開発と生産は、下請け生産の経験があるアームストロング=ホイットワース社が担当した。
当時の主力型であるF.8をベースに、練習機型のコクピットと延長型主翼、モスキートNF.30と同じA.I.Mk.10レーダーを組み合わせた急造機ながら、358機(同仕様で各部に冷却空気経路を増設し砂塵防止シーリングを施した熱帯用NF.13が40機)が作られ、大英帝国の夜の護りを担った。
アイコンは、現存で唯一飛行可能な機体であるWM167号機。ページのトップへ戻る
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Schump(2009/7/11更新)
グロスター・ミーティア NF.12 夜間戦闘機(1953)
WW2レベルのレーダーの探知距離と方位分解能ではジェット機の速度に対応しきれないことから、NF.11のレーダーを米国製APS-21に換装したタイプ。電子機器の増設により機首が43センチ延長されている。
アイコンは、1955年ごろ第25飛行隊に所属していた機体。ページのトップへ戻る
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Schump(2009/7/11更新)
グロスター・ミーティア NF.14 夜間戦闘機(1953)
再びレーダーを国産のものに換装(単なる国産品愛用ではなく、NF.12の米国製レーダーに対してソ連がジャミング手段を完成させたためらしい)し、ついでに視界が狭く夜間飛行には危険で脱出にも不便なフレームの多い横開き式キャノピーを、一体型の後方スライド式に改めたタイプ。レーダー換装にともない、機首はさらに延長されている。
アイコンは、1960年ごろ、第85飛行隊に所属していた機体。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/9更新)
グロスター・ジャベリン (Javelin)
イギリスの双発ジェット戦闘機、分厚いデルタ翼とT字尾翼が特徴で、格好良い。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/12/2更新)
サンダース・ロウ SRA1 (Sanders Roe SRA1)
ジェット水上戦闘機、もちろん不採用。
幅14.02m 長15.24 重量8633kg 最大速度824km/h 機関砲20mm*4ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/11/29更新)
サンダース・ロウ SR53 (SAUNDERS-ROE SR53)
1957 年イギリスで試作された局地迎撃機。デハビランド・スペクター液体燃料ロケットエンジン一基に加え巡航用にアームストロング・シドレー・ヴァイパージェットエンジン一基を搭載する。武装は翼端のミサイル2基。最高速度は 2135Km/h と威勢良かったが、航続距離が短すぎ実用に耐えないと判断され試作2機に終わった。機体を大型化し燃料搭載量を増大した発展型 SR.177 は計画だけで終わった。ページのトップへ戻る
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中村(2004/10/14更新)
スーパーマリン・アタッカーF.Mk1(Supermarine Attacker F.Mk1)
1944年6月に提出された仕様E1/44を元に作られた英国初のジェット艦戦。
仕様E1/44は、新型エンジン、ニーンを使用した単発ジェットの実験機で、開発がうまくいけば空海両軍で戦闘機として採用もありうるとされていた。
同仕様に対してスーパーマリン社は、開発中のレシプロ戦闘機スパイトフルの主翼を流用した尾輪配置の保守的な機体を提案、なにが気に入ったのか軍は同年八月に三機の試作機を発注した。
しかし45年1月に初飛行したスパイトフルの低速時における操縦性が劣悪であることが判明、原因は層流翼にあり、同じ翼を使用するアッタカーでも同様の問題が発生し開発は難航した。
試作一号機は46年7月に初飛行するも、この頃になると空軍は採用を見合わせており、以後の開発は海軍仕様に絞られ、47年10月に空母イラストリアスで初の離着艦に成功し、48年9月に量産型60機が発注された。
最初の量産型F.Mk1は49年3月に初飛行し、以後の生産は順調に進んだがテストや訓練に多くの時間をとられ、部隊配備は51年8月まで待たなければならなかった。
結局、52機生産されたF.Mk1空母に搭載されることはなく、続いて8機だけ作られた戦闘爆撃機型のFB.Mk1が始めて空母に配備されたジェット機になった。
全幅11.3m 全長11.4m 全高3m 自重3,800kg 総重量5,300kg
動力 ロールスロイスニーン3 推力2,270kg
最大速度950km/h 実用上昇限度13,700m 航続距離950km
武装 イスパノMkV20mm機関砲×4
乗員一名 ページのトップへ戻る
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中村(2004/10/14更新)
スーパーマリン・アタッカーFB.Mk2(Supermarine Attacker FB.Mk2)
エンジンを推力が100ポンドほど強化したニーンMk102に変更した性能向上型。
初飛行は52年4月、同年7月から部隊に配備され9個飛行中隊で運用されたが、54年から配備が始まったシーホークに追われ55年には早々とRNVRの飛行隊へとまわされ、57年に退役した。
生産数は121機、うち36機がパキスタンに輸出された。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/7更新)
デハビランド・バンパイヤ (De Havilland Vanmpire)
全幅12.19m 全長9.37m 全高2.69m 自重2,890kg 全備重量4,760kg 最大速度865km/h 航続距離1,170kmページのトップへ戻る
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中村(2004/10/14更新)
フォランド・ナットT.Mk1(Folland Gnat T.Mk1)レッドアローズ仕様
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人見 忍(2002/11/11更新)
フェアリー FD.2 (Fairly F.D.2)
英国が開発したデルタ翼超音速実験機。
1958年3月に1822km/hを記録、世界速度記録を更新。この記録は当時としてはかなり長い21ヶ月もの間維持された。
着陸時に機首が9度下に下り曲がるのが特徴。
当アイコンのカラーはファーンボロー・ショーの時のもの。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/12/2更新)
ブリストル Type188 (Bristol Type188)
オールステンレス・スチール製の超音速実験機。
超音速爆撃機のデータ収集目的かなんかで作られた。予算を食っただけで大して使い物にならなかったらしい。詳細"世界の駄っ作機2"参照
幅10.7m 長216m 最大速度1,930km/h以上ページのトップへ戻る
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人見 忍(2003/4/27更新)
McDonnell Douglas F-4K「PhantomII」FG1
F-4Jを基本に英国海軍向けに改造された機体。
小型の空母でも発艦できるように前脚を1m近く伸縮させることが可能になっている。
またエンジンをJ79からロールスロイス・スペイ202/203ターボファンに換装、推力強化と航続距離の延長を図っている。
垂直尾翼上部にレーダー警戒装置のフェアリングが付いているのが外見的特徴。
1968年から配備が開始されるが、海軍の航空兵力削減の影響で全機が空軍に移管された。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/12/2更新)
BAC TSR.2
コストが高騰するだの、F-111を導入するだの、色々あった挙句、駄目になった。
幅11.28m 長27.13m 自重20344kg 最大重量34500kg 最大速度2185km/h(1352km/h海面) 航続距離6857kmページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/7更新)
アブロ・バルカン (Avro Vulcan)
全幅33.83m 全長30.45 全高8.26m 自重不明 最大速度1030km/h 航続距離7400kmページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/7更新)
ビッカース・バリアント (Vickers Valiant)
全幅34.85m 全長33m 自重23,419kg 最大重量79,380kg 最大速度912km/h 航続距離7240kmページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/11/7更新)
ハンドレーページ・ビクター (Handley Page Victor)
全幅33.53m 全長35.3m 自重41,473kg 最大重量101,150kg 最大速度1038km/h 航続距離7400kmページのトップへ戻る
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Schump(2006/2/26更新)
ウエストランド・ウェセックス(1957)
英海軍の新型対潜ヘリコプター要求に応えるため、ウエストランド社が米シコルスキーS- 58のライセンスを購入のうえターボシャフトエンジンに換装して作り上げた機体。当初は1500馬力級のネイピア・ガゼル単発であったが、後に空軍の要求によりブリストル=シドレー・ノーム双子エンジン(片発緊急1350馬力級)搭載型も追加され、動力部の軽量化による性能向上に加えて高い安全性をも得ることとなった。また、自動安定装置やドップラー航法装置の採用によって着艦、吊下げ作業が容易になった点でも評価が高い。対潜哨戒、強襲輸送、捜索救難、VIP 輸送、油田開発支援等の各型合計約400機が製造されて、英国三軍はもとより、ブルネイ、ウルグアイ、オーストラリア軍にも採用され、21世紀に入っても現役の機体がある。  アイコンは、英海軍の対潜哨戒・捜索救難兼用型ウェセックスHAS.3。ローター後方の滑油冷却器排気口の上に追加されているのは、その後方の捜索レーダー周りに吹き付けるダウンウォッシュを整流するためのフェアリング。ページのトップへ戻る
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Schump(2006/2/6更新)
ウエストランド・ウェセックス英国王室専用機
英空軍女王飛行班に1969年6月から7月にかけて2機が導入され、1998年3月まで就役した特別仕様機。客室内装が豪華仕様なのは当然として、計器飛行装置を完備し、後には携帯式SAM対策用の赤外線ジャマーが追加されるなど、安全運航に最大の配慮が払われている。前任のウエストランド・ホワールウインドHCC.12と違って双発で信頼性が高いため、女王が頻繁に搭乗したほか、チャールズ皇太子が自ら操縦桿をとることもあったという。ページのトップへ戻る
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にわとり(2003/11/26更新)
ウエストランド・シーキング HAS.5
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舞沙P(2002/12/2更新)
スーパーマリン・ストランレア飛行艇 (Supermarine Stranraer)
スーパーマリン・ストランレアは1925年初飛行のサザンプトンから改良に改良を重ねて出来上ってきた飛行艇で、サザンプトンMk.IVことスカパの小改良版として、1935年にサザンプトンMk.Vの名で初飛行します。
スピットファイアやS.6Bで知られるレジナルド・I・ミッチェルの設計で、17機が生産され、1936年から1940年まで沿岸航空軍団の4個スコードロンに配備されています。
カナダでもライセンスされ、こちらは40機が生産されて対戦中を通じて沿岸哨戒にあたり、なお14機が戦後も民間機として生き残りました。
幅25.81m 長16.61m 自重5,690kg 全備9,035kg 最大速度265km/h 巡航速度177km/h 航続距離1,834km or 2816kmページのトップへ戻る
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Schump(2003/8/16更新)
ハフナー・ローターバギー (1943)
来るべき大陸反攻に備え、空挺部隊用の車両として開発された回転翼グライダー。車輛部分は2.1〜2.4mの高さから舗装路面に投下しても乗員ともども損傷しないように開発された特製のもので、これに投棄可能な直径14.2mのローターユニットと尾翼、そして牽引フックを装着した。ローターの防振マウントの調整にてまどったものの、最終的には曳航機により高度2100mに上昇し、ここからの切離し降下に成功するにいたった。
その後、車輛搭載可能な輸送グライダーや車両用大型パラシュートの実用化により存在意義がなくなり、開発は中止された。しかし、本機によってえられた回転翼の構造・制御技術は戦後のヘリコプター開発に大きく寄与した。ページのトップへ戻る
ブリストル Type167 ブラバゾン1(Brabazon1))
RN 2009/9/3
ブリストル Type167 ブラバゾン1(Brabazon1)
第二次大戦中の1942年、英航空生産省は戦後英国が必要とする民間輸送機の機種選定をおこなうブラバゾン卿を長とする「ブラバゾン委員会」を設置しました
委員会は翌2月5種の航空機が必要である旨政府に勧告、5月には具体的な生産機種を選定するメーカー、航空会社の代表による「第二次ブラバゾン委員会」が発足、そのタイプT、最大機種として製作されたのがブリストル Type167 ブラバゾンです。
ブリストル社内ではタイプ167の開発名称を与えられたこの機体は空気抵抗減少のため8基のブリストル センタウルス20 2.500hpエンジンを主翼内に搭載、それぞれ2基のエンジンで4組の直径4.88mの同軸反転プロペラを回すツインエンジン方式を採用、胴体は直径5.1mの円形断面、主翼は2桁構造で、後のジャンボジェットを上回る全幅70.1mの主翼は中央翼と左右翼の3分割、中央翼は胴体と一体で組み立てられています。操舵方式は油圧の動力操縦式とされ各動翼には大型のマスバランスを取り付けることとしました。
設計は順調に進み1945年4月に最初の図面ができ、10月には各部品の製作が始まりました。しかしこの試作のためには新たなハンガー、滑走路の建設が必要で、近隣住民との折衝に時間を要し新工場の完成は1947年末となりました。1947年10月未完成の工場に胴体主翼を持ち込み組み立てを開始、その名も「ブラバゾン」と名づけられた本機は1年余りの組み立て期間の後1948年末工場をロールアウト、地上試験の後、1949年9月4日初飛行にこぎつけました
(すでにこのとき本計画には変更が加えられ1号機はテストのみに供され、エンジンをターボプロップとした2号機Mk2が生産型となることが決定していましたが)
1号機は試験基材とともに30名分の座席とバーラウンジを持ち、乗客の同乗飛行の際にはその乗り心地が高く賞賛されました。一時は製作が進まない2号機への繋ぎとして短期間商業運行への試用も検討されましたが、プロペラマウント周囲の疲労破壊が多発し、正規の滞空証明が発行されず断念、そして1953年7月、ブラバゾン計画の中止が発表されました
実のところ組み立てが始まった1947年末には採算が不安視されはじめ、1949年末にBOACは(比較的)安価なボーイング ストラトクルーザーを導入、650万ポンドの開発費と200万ポンドの工場拡張費を費やした本機は、164回382時間15分の試験飛行の記録を残し未完成の2号機とともに解体廃棄とされました

主な要目
エンジン ブリストル センタウルス20 空冷星型18気筒2.500hp*8
翼巾70.1m 全長53.95m 全高15.24m 自重65.730kg
最大離陸重量131.370kg 最大速度482km(推定)航続距離8.800km 乗員12名 乗客100名 ページのトップへ戻る