蘇&露機アイコン
解説協力:舞沙Pさん     .
     人見 忍さん   .
     巣田@うぐぅさん .
     ささきさん     .
     えりゅさん     .
     ねこくんさん    .
    Schumpさん   .
    J1N1-Saさん   .
     zonoさん     .

(2002/10/17更新)
Amtorg GST
十分な性能の長距離飛行艇を開発できていなかったソ連が、アメリカのコンソリデーテッド社よりライセンスを受け生産した機体。
原型機との違いは、発動機換装のためのカウル上面のオイルクーラーの有無と、性能低下である。
全幅31.72m 全長20.68m 全高5.54m 全備重量12,250kg 最大速度329km/h 航続距離2,660km

(2005/11/21更新)
アントノフAn-2F(1949)
 An-2のSTOL・低速飛行性能を活用した砲兵観測/前線偵察機として開発された機体。胴体後部を完全に再設計して全面ガラス張りの観測員席を設け、自衛用の旋回銃座(アイコンの1号機は20mm×1、2号機は23mm×2)を追加、射界を妨げぬよう尾翼は低めの双尾翼とされた。また、軽攻撃機として使用するため防弾装甲と400kgまでの爆弾懸吊装置を備えている。
 飛行試験ではおおむね要求どおりの性能を示したが、この用途に専用の機体を作ること自体に疑問が呈されたうえ、観測任務には空中停止できるヘリコプターのほうが適していることから、生産に移ることはなかった。

(2003/4/5更新)
(2003/4/6更新)

(2003/8/15更新)
バルティニVVA-14地面効果実験機(1972)
水陸問わずいかなる場所からも発着し、敵からの探知が困難な低空を高速巡航できる地面効果機の技術実証機として、ベリエフ設計局の協力のもとに建造された機体。機名は「14発水陸両用VTOL」の意。
コクピットと降着装置を備えた中央胴体と空気膨張式フロートを収納する側胴とを結ぶ翼弦15mにもなる内翼が地面効果内飛行時の、側胴から生えた高アスペクト比の外翼が高空飛行時の揚力を担う。
機体上面の2基の水平飛行用エンジンのほかに側胴内に12基のリフトエンジンを収納し、内翼下の空間に空気を吹き込むことでVTOL能力を得る予定だったが、本機専用のリフトエンジンが完成しなかったため、コクピット脇に地面効果増強用エンジンを追加した水上機14M1Pに改造されることになる。

(2003/4/19更新)
(2003/8/15更新)
バルティニ14M1P地面効果試験機(1976)
専用リフトエンジン(Yak-38用RD-36のバイパス比増大型?)の開発失敗によりVTOL機としての完成が見込めなくなったVVA-14を改造した実験機。
約3m延長した機首左右に、中央胴体・側胴間の内翼下面へ圧縮空気を送り込むためのジェットエンジンを追加、フロートも固定式に改めている。陸上発着用の降着装置は残されているが、試験の大半は側胴スタブウイングの補助輪収納ポッドを外した純水上機として行われた。
改造で重心が狂ってろくに飛ばず、圧縮空気吹込みによる離水促進システムも予定の効果を発揮しなかったため、実用型の開発に進むことなく開発は中止され、現在はモニノの空軍博物館でエンジンや翼の外れた無残な姿をさらしている。

(2002/9/13更新)
BolkhovitinovS

(2002/10/31更新)
(2003/6/20更新)
Il-2
初期型はごらんのように後方防御がありませんでした。
それでも主要部の装甲が異様に分厚く、当時としては驚異的な防御力を有する機体だったことが功を奏したのか(肉薄できるので攻撃の成功率も高くなる)、独ソ戦の初期に、ドイツ軍にまともに損害を与ええた航空機はこのIl-2のみだったのです。
そのためスターリンがこの機体の大増産命令を下したので、Il-2系列は結果的に各型あわせて30000機強という世界の航空機史上最も数多く量産された機体として名を残すことになったのです。

(2002/10/31更新)
Il-2M
吹きっさらしの後方機銃座に注目

(2002/10/31更新)
Il-2M3 対戦車襲撃機
この機体は、ドイツ側から「戦車殺し」「黒死病」などの異名で恐れられたIl-2攻撃機の後期生産型で、大戦末期のソ連軍を支えた機体の一つです。

(2003/4/5更新)
Ilyushin Il-4
双発中型ながら長大な航続力をもつ爆撃機DB-3の改良型というか後期バリエーション。主機をM-87B(950HP)のままで機首周りを全面改訂したのがDB-3Fで、この主機をM-88B(1,100HP)としたのがIl-4ということらしい。長距離爆撃機として使われた他、雷撃や機雷敷設にも使用された。
最高速度:430km/h (6,700m)、航続距離:3,800km、武装:7.62mm機銃×2、12.7mm機銃×1、爆装2,500kg

(2003/6/18更新)
Ilyushin DB-3
1935年に初飛行した中型長距離爆撃機。主機にM-85 (760HP)を搭載した初期型に続いてM-87B (950HP)を搭載したDB-3Mが開発されている。独ソ開戦前に生産は後継(というか改良型)のIl-4に引き継がれていたが、一線には尚多くが展開し爆撃隊の主力であった。初期には長大な航続力を生かしてベルリン空襲も行っている。データはM型。
最高速度:439km/h (4,900m)、航続距離:3,800km、武装7.62mm機銃×3、爆装2,500kg

(2004/3/2更新)
イリューシンIl-28爆撃機(1948)
Pe-2、Tu-2両機の後継機となる新世代の戦術爆撃機として開発された機体。あえて主翼を直線翼とすることで離着陸時の操縦性や低空侵攻に必要な強度を確保したうえで、新翼型の採用や大後退角の尾翼のおかげで高速域でも優れた飛行性能を発揮する。癖のない操縦性と機動性・安定性、さらに不整地運用性と信頼性に優れていたことから、本来の戦術爆撃以外にも、偵察、雷撃、対潜哨戒、標的曳航、電子戦、エアラインの操縦訓練、郵便輸送、エンジン・射出座席テストベッドといった広範な用途に供された。
超音速軽爆Yak-28の配備に伴ってソ連空軍から退役していったため、同級のキャンベラに比べて存在感が薄いきらいがあるものの、東欧・中東を中心に広く輸出され、チェコスロヴァキア(アヴィアB-228)や中国(ハルビンH-5)でも生産されたベストセラー機である。21世紀初頭にいたっても、総計400機程度が中国、北朝鮮、アルバニア、ルーマニアで現役であるという。

(2003/1/27更新)
ニキーティン IS-1
引き込み脚に連動した下翼が三ツ折りに畳まれ胴体側面および上翼に密着し、離着陸時と通常飛行時で複葉からパラソル単葉に変身するという凝った機構を持つ試作戦闘機。1941 年に初飛行した。シュベツォフ M-63 1100hp、最高速度 435Km/h、航続距離 600Km、武装 7.62mm 機銃 x 4。

(2003/1/27更新)
ニキーティン IS-2
IS-1 のエンジンを複列 14 気筒のツマンスキー M82 1100hp に換装、カウリングや垂直尾翼などを改修した機体で、1941 年初飛行。最高速度は 507Km/h に向上し、武装は 12.7mm x 2 + 7.62mm x 2 に強化されていたが、既に LaGG-3 や Yak-1 などの高性能戦闘機が完成しており、IS-2 は試作一機に終わった。不屈の男ニキーチン・セブチェンコは諦めず、液冷 1400hp のミクーリン AM-37 に換装した発展型 IS-4 を設計、1941 年の夏頃には初飛行に漕ぎ着けたというが、その直後にバルバロッサ作戦が始まってソ連にはゲテモノ飛行機にかまけている余裕などなくなった。IS-4 の性能については記録が残されていない。

(2002/10/5更新)
Ka-25ホーモン

(2006/6/10更新)
カモフKa-26 フードラム(1965)
このクラスとしては最終世代に属する小型レシプロヘリコプター。空冷星形9気筒325馬力のフェデネイエフM14エンジンを収めたポッドを胴体上部左右に備え、二重反転式のローターを駆動する。操縦席直後以降の胴体は上部メインフレームを残して脱着できるユニットとなっており、アイコンの6人乗り旅客キャビンのほか、担架、農薬散布装置、消化剤タンク、測量機器などが用意されていたほか、何も付けない状態でクレーンヘリとして運用することもできた。
 エンジン重量とポッドの空気抵抗のため、最大速度が170km/hにとどまり、余剰出力もやや不足していたことから、軍用にはほとんど使用されなかったが、二重反転方式の長所である良好な回頭性能や穏やかなダウンウォッシュ、尾部ローターがないことによる地上作業員の接近性の良さは、殊に僻地での軽快かつ柔軟な運用を可能にしており、タービンヘリ全盛の70〜80年代にあっても850機以上の販売数を達成した要因となっている。輸出も広く行われ、日本にも3機が輸入されている。NATOコードネームは「フードラム」。

(2003/8/15更新)
カモフKa-50ホーカム 攻撃ヘリコプター(1982)
鈍重さを否めないMi-24の後継機として、AH-64等に対抗可能な軽快・強力な攻撃専用機たるべく開発された機体。同軸反転ローター方式特有の俊敏な横進・後退・回頭性能により、機体メインフレームに固定された限定スイング式機関砲からは高速機動中の精密射撃が可能であり、同時にロケット弾・ミサイル類の目標指向も素早い。また、軍用ヘリの戦闘損失原因の30%以上を占めるといわれるテイルローター系統の損傷はありえず、セラミックや複合材を多用した機体装甲、胴体そのものが防火壁となってエンジン火災の反対側への延焼を防ぐ構造、射出座席(使用時にはローターが爆散される)等、生存性に最大限の配慮がなされている。
いったんは競作相手のMi-28に勝って量産化されると思われたが、ロシア軍の要求が夜間攻撃重視に改訂されたため、単座ゆえに長距離/夜間/悪天時の航法・索敵に不安のある本機は複座センサー強化型の追加開発を余儀なくされ、さらに財政事情から選定作業自体が遅延していることから、Mi-28との決着はまだついていない。
アイコンは、前量産型2号機とされる機体が1995年頃に施されていたデモ用塗装の状態。

(2003/8/15更新)
ラボーチキン LaGG-1
ラボーチキンたちのグループが最初に製作した戦闘機。
そこそこの性能を示して採用されたが、直後にこの機体のエンジンを変えた機体が一層の高性能を示したため、大量生産は中止された。エンジンを変えた機体というのは、ずばりLaGG-3である。

(2003/7/3更新)
Lavochkin LaGG-3
ラボーチキンらのグループが最初に造った機体であるLaGG-1は、一応試作機が飛んだものの、十分な性能を持つとは言えなかったので、エンジンを換装するなどして何とか実戦に耐えうる機体に仕立て上げたのがこのLaGG-3である。
独ソ戦初期には、これでも「新鋭機」として最前線に立ち奮戦、木金混成(事実上木製機?)のため量産がしやすかったこともあり、ソ連の一番苦しい時期をYak-1などとともに支えた。なお、この機体の強化形がLa-5である。

(2002/10/31更新)
La-5
WWIIのソ連が誇る空冷戦闘機です。
液冷エンジンを搭載していたLaGG-3に、無理やり高出力の空冷エンジンを取り付けた無骨な機体ですが、機首上面装備の20mm砲2門と低空での運動性の高さを生かし、1942年後半以降のソ連空軍の主力として活躍しました。

なおLaGGからLaに型番が代わっているのは、最初はラボーチキンさん(La)と、Gが頭文字の人2人が設計を行っていたのですが、この機体の設計のときGの2人が急死したらしく、最後に残ったLaさんが機体をまとめたのでこうなったらしいです。

(2002/11/2更新)
La-5FN
La-5のエンジンを換装したパワーアップ型、La-5FNです。

(2002/11/2更新)
La-7
大戦末期のソ連空軍主力機です。
La-5FNのエンジンを強制冷却ファン付きのものに換装、それに伴い機体のラインはLa-5よりも洗練されたものになり、武装も20mm機関砲3門まで強化されています。
La-5譲りの運動性も健在で、そのためかソ連のトップエースたちが主に愛用した機体でもあります。

(2003/2/20更新)
(2003/6/20更新)
ラボーチキン La-9
La-7をさらに改良した機体で、主な特徴は機体の全金属化と武装の更なる強化である。
カウリング上面に20mm機関砲4丁を並べた重火力、La-5から一貫して続く運動性能は、共に枢軸軍機にとって大いなる脅威になっただろうが、あいにく前線に登場したのは1945年前半、戦争の勝敗はほぼついており、もはやこの機体の出番はなかった。
しかし戦後もソ連空軍の主力機として生き抜き、一部機は義勇軍として朝鮮戦争にも参戦している。

(2003/2/20更新)
ラボーチキン La-11
La-9に小改良を施した機体で、Mig-15が完成するまではソ連空軍の主力を務めた。性能的にはほぼLa-9と同じだが、燃料搭載量は増加しているらしい。
この機体も朝鮮戦争に参戦している。
今回は、翼端にドロップタンクを装備した機体を描いている。

(2002/10/22更新)
Lisunov Li-2
DC-3のライセンス生産機、設計等、いくらか変更点が有る。
C-47やダコタの様に、又はそれ以上に共産国のために働いた。
全幅28.81m 全長19.65m 最大重量11,280kg 最大速度300km/h 航続距離2,500km 貨物搭載量2,950kg

(2004/12/20更新)
ミルMi-8(1962)
ターボシャフトエンジンの実用化を受けて、当時の東側主力輸送ヘリMi-4の後継機として開発された機体。1961年に初飛行した試作機V-8はAn-24と同系のエンジン単発として開発・製造費の低減を図っていたが、翌年初飛行の双発型試作機V-8Aが故障時の冗長性、余剰出力、燃費等の面で優れていたため、こちらが量産されることとなった。
前作Mi-6と同様に動力系統を胴体外に置き、さらに燃料タンクの殆どを胴体側面に外付けしてキャビン内部の有効容積を確保、旅客なら28席、患者なら 12床が搭乗できる。このクラスとしては初めて胴体後部にクラムシェルドアとローディングランプを標準装備して車両の自走搭載を可能とするなど、荷役作業の効率も高い。また、大型の下方視界窓やドップラー航法装置の装備により、悪天時の運用性にも優れる。西側同級機と比べて非常に安価なばかりでなく、強襲輸送、電子戦、戦闘指揮、捜索救難、消防、VIP輸送等軍民両用に多彩なオプションが用意され、運航経費も安いことから共産圏に限らず世界中に輸出され、 1999年にMi-8M/-17系に生産が完全移行するまでに少なくとも7000機が作られた。
アイコンは、強襲輸送型Mi-8TV(1968年型)。左舷前方ドアに兵員降下用のホイストを、胴体左右に火器搭載用のフレームを追加装備している。

(2004/12/20更新)
ミルMi-8PP/PPA(1974)
Mi-8の電子戦型。胴体両側面に電子機器収納ボックス、後部胴体両側面にはアンテナアレイ、前部胴体下面に6基の電子機器冷却用円筒形ラジエターを追加しており、敵防空レーダーの妨害と電子偵察を主任務とする。ソ連のみならず、チェコスロヴァキアとイラクにも供与された。
アイコンは、ソ連で使用されていたPPA型。

(2005/1/7更新)
ミルMi-8MT/-17(1975)
西側同級機の発達と、旧式ながらも高温・高地性能に優れていたMi-4の老朽化をうけて、Mi-8を改良した機体。従来型の生産と派生型の開発を妨げないよう、改設計は、強化型エンジンへの換装、効率と安定性を向上させるためのテイルローター回転方向の変更、エアインテクへの防塵フィルター標準装備、ギアボックス後方へのAPU追加といった最小限かつ要点を押さえたものとなった。さらにアフガニスタンの戦訓による改良もあって、僻地運用性と生残性に優れた機体となっている。国内向けをMi- 8MT、輸出型をMi-17と称するが、派生型の多さもあって、近年は名称の混乱がみられる。生産機数は輸出を含めて3000〜4000機に上るが、 NH90やS-92といった新世代機に対しては見劣りするようになったことから、2010年までにはMi-38にその地位を譲ることになる。
アイコンはチェチェン紛争にも投入された夜間偵察・攻撃型Mi-8MTKO。機首下面に暗視装置のターレットを備えるほか、通信機能も強化されていると思われる。

(2005/1/7更新)
ミルMi-172ロシア大統領専用機(2003)
Mi-172と称される機体には、旅客型と全天候強襲輸送型とがあるが、前者を改造したVIP輸送型は、ロシアとルワンダで運用されている。その中でも最も改造度が高いのが、プーチン大統領専用機として作られたアイコンの機体である。通信装置と空調の強化に加え、客室窓は防弾ガラス製の小型のものとされ、軍用型と共通のコクピット側面外部装甲・排気熱抑制装置・後部胴体側面フレアディスペンサーを備え、さらにウェザーレーダー・強化型ドップラー航法装置と、あらゆるアクシデントに対応可能な装備を有している。

(2006/02/02更新)
ミルMi-24初期型
 旧東側を代表する攻撃ヘリとなったMi-24だが、その形態が固まるまでには、しばしの寄り道を必要とした。上反角のない短翼や右舷側テイルローターなどを有する試作機に続く初期生産型約240機までは、機首銃手席の後ろに正副操縦士が横並びに座る輸送ヘリ風のコクピットを有しており、ミサイル誘導システムや夜間戦闘能力にも不満足な部分を抱えていた。
 それでも、1974年までに量産された機体は、ソ連陸軍のほかアフガニスタン、リビア、ベトナム等に採用されてシリーズ決定版のMi-24D(ハインドD)が登場するまでのストップギャップ役を果たしたばかりでなく、アフガニスタン紛争では、スティンガーSAMや大口径対空火砲への脆弱性を晒しながらも、ゲリラから「悪魔の戦車」と渾名されるほどの有効性を示し、以降の型の開発に貴重な戦訓を残した。

(2006/02/02更新)
ミルMi-24(1969)
 ベトナム戦争におけるUH-1改造ガンシップの戦果と本格的攻撃ヘリAH-1の登場に触発されて開発された攻撃ヘリコプター。当初はより小型の設計案もあったが、搭載量と速度性能の観点からMi-8輸送ヘリの動力系統を流用した大型(とはいえ機動性を得るためにひと回り小さい)の機体となった。 ヘリボーン降下地点の事前制圧を主任務とし、あとから対戦車任務が追加された点ではAH-1と同じだが、攻撃単能機に特化するまでには至らず、武装兵員8名程度の輸送能力を有している。しかし、初期の運用試験とアフガニスタンでの戦訓から、実際には少人数の特殊部隊を強行送迎する以外に兵員輸送を行うことはまれであり、キャビンは補用弾薬や整備員の輸送、強行コンバットレスキューに使われることが多い。胴体左右の短翼は兵装パイロンを有するほか、揚力の一部を分担することで前進に振り向けられるエンジン出力を増やし、高速性能に貢献している。
 特徴的な「フタコブラクダ」型のキャノピーを有するスタイルは1973年量産開始のMi-24D(ハインドD)で確定したものだが、その後も新型対戦車ミサイル運用能力の追加や機関砲の強化などを重ねて各種の改良型が作られ、総生産数2000機超、使用国数30超のベストセラー機となっている。
 アイコンは、9M114シュツルム(AT-6スパイラル)対戦車ミサイルの運用能力を追加し、赤外線妨害装置、チャフ・フレアディスペンサー、排気赤外線抑制装置等が装備できるようにした最多生産型Mi-24V(ハインドE)。

(2003/1/27更新)
MIKOYAN-GURYEVICH MiG-13

(2003/3/4更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-15「Fagot」
1950年に勃発した朝鮮戦争の空中戦におけるもう一方の主役。
元々は高高度を高速で侵入してくる爆撃機を高速・重火力をもって撃破することを目的とした純粋な迎撃機であったが、高い運動性能と上昇性能で西側航空機を圧倒した事が原因でジェット時代の軽戦思想の火付け役ともなった。
エンジンはクリモフ VK-1(ロールスロイス・ネーンのコピー)一基、最高速度 1075Km/h、航続距離 800Km(増槽装備時 1500Km)、武装 37mm 機関砲 x 1 + 23mm 機銃 x 2。派生型として MiG-15UTI 複座練習機型があり、西側コードネームはミジェット(Midget)。

(2003/3/4更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-17「Fresco」
1952 年に登場した MiG-15 の発展型。アフターバーナー付き VK-1A エンジンに換装して胴体を延長、尾部下面にベントラルフィンを増設。主翼は再設計され前縁後退角は MiG-15 の 35 度から 45 度に増加、ウィング・フェンスが片翼3枚に増設されているのが識別上のポイント。エアブレーキ装備やコクピット空調や計器類の改良、尾翼再設計による高速運動性能向上など、外見ではわかりにくいが数多くの改良が施されている。最高速度 1140Km/h、航続距離 800Km(増槽使用時 1500〜2000Km)、武装 37mm 機関砲x1+23mm 機銃x2(但し多くの発展改良型がある)。

(2003/4/26更新)
(2003/6/29更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-19S/MIG-19P「Farmer・B」
ソ連初の実用超音速戦闘機。
試作機が1952年5月に初飛行、1955年8月に量産開始とされている。
初期型のファーマーAは操縦性が悪く殆ど実用に耐えず生産は少数で終っている。
ファーマーBは最初の実用量産型で、全可動式の水平尾翼、ロールを制御するスポイラーの装備が行われている。

(2003/4/26更新)
(2003/6/29更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-19SF/MIG-19PF「Farmer・C」
S/P型の機首にMIG-17PFと同じRP-5イズムルド・レーダーを装備した限定的全天候型迎撃機。
武装をS/P型の30mm機関砲x1、23mm機関砲x2から30mm機関砲x3に強化されている。
MIG-17PFに代わってソ連防空軍に配備された。

(2003/5/20更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-21・F フィッシュベットC

(2003/5/20更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-21・PF フィッシュベットD

(2003/5/20更新)
MAPO(Mikoyan-Gurevich)MIG-21・bis フィッシュベットL
アイコンは第17回共産主義青年同盟会議記念塗装機。

(2002/11/10更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-25・P「Foxbat・A」
旧ソ連の開発したマッハ3級の高高度迎撃機。
元々はアメリカのA−12戦略偵察機計画(後のSR−71戦略偵察機)に対抗することを目的に開発された機体。
出現当初は西側の誤解もあって「高速でかつ高い機動性と長大な航続距離をもつ超高性能戦闘機」と恐れられていたが、1976年の函館亡命事件以降は「高速性能しか取り柄のない単機能機」とこき下ろされている。
現在では一般的に散々な評価をされているが、当機の存在が西側のソ連に対する戦略偵察を断念させる一因となったことは評価されてもいいだろう。

(2002/9/3更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-25・RB「Foxbat・B」
偵察型のMIG−25・Rに爆撃任務もこなせる様、ペーリェンクD航法爆撃システムを装備した型。
初期型は500kg爆弾×4発と貧弱な搭載量だったが、後期型では最大5tの搭載量を持つに至っている。
もっとも、照準用のレーダー等を持たない為、爆撃能力はたかが知れていた。
偵察機としての能力はその速度性能からかなりの脅威とされた。

(2002/9/5更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-25・PU「Foxbat・C」
MIG−25の転換訓練用の機体。
戦闘機転換訓練型のPUと偵察機転換訓練型のRUがある。

(2002/10/27更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-25・PD「Foxbat・E」
1976年の函館亡命事件がきっかけでMIG-25・Pの性能が知られてしまった為、急遽開発された改良型。
アビオニクスの更新、胴体下面への増槽装着用パイロンの増設、赤外線センサーの追加装備を行っている。
なお、1980〜82年にかけてP型の一部もPD型に準じた改装を受けている(これらはPDS型と称される)。
P型との外見上の違いは機首部の赤外線センサーの出っ張りだけ。

(2002/10/27更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-25・PDZ「Foxbat」
MIG-25は大量の燃料を搭載しているがエンジンの特性上、長時間の滞空には難があった。
そこで空中給油プローブを装備したのがMIG-25・PDZである。
実用上の問題は無かったようだが、MIG−31等の存在もあり採用は見送られている。
製作数は1機のみ(既成のPD型からの改造機)。

(2004/7/12更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-29「Fulcrum」
F-15, F-16 等の米軍新世代機に対抗すべく Su-27 と同時期に開発された戦闘機。1977 年 10 月に原型機初飛行、量産開始は 83 年から。基本設計は Su-27 と同じく中央流体力学研究所(TsAGI)で行われ、基本形状にも共通点が多いが、制空/迎撃を主任務とする Su-27 に対し戦術任務を想定しており、航続距離が短くミサイル搭載能力が貧弱な代わりに高い対地攻撃能力を持ち、また脚やエンジン吸気口の設計には不整滑走路での運用が考慮されている。
 本機はとりわけ低空低速における高迎角機動を得意とするが、エアショウでは派手をやりすぎて墜落や空中衝突を起こすことも多い。それでも、殆どの場合パイロットは脱出し助かっていることがロシア製射出座席の優秀さを示しているとも言う。
 本来ならば共産衛星国にも供与されソ連空軍のワークホースを努める筈の機体だったが、肝心のソビエト連邦が崩壊してしまい、規模を縮小したロシア空軍は経費削減のため Su-27 系に機種統合してしまった。輸出市場においてもライバル Su-27 系がバーゲン攻勢をかけており、また形振り構わず売られた MiG-29 がイラクやユーゴで米軍相手に惨敗を喫したことが悪評を生んでしまい、本機の未来は決して明るくはないが、海軍向けの艦載型 MIG-29K、フライバイワイヤーを搭載した改良型 MIG-29M などが継続開発されている。
 MIG-29 Fulcrum-A の仕様:クリモフ RD-33 推力 8300Kg x 2、最高速度マッハ 2.3、航続距離 2000Km(増槽使用)、武装 GSh-301 30mm 機銃 x 1(150 発)、爆弾・ミサイルなど最大合計 4t。

(2004/7/13更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-29UB「Fulcrum」
MIG-29 の操縦訓練用として作られた複座練習機。機首を延長して生徒席を増設してある。赤外線探査装置(IRST)は残してあるが、レーダーは前席スペース確保のため省略された。そのため、戦術訓練機としては若干使いにくい点があると言われる。ロシアでは観光客相手の同乗飛行で外貨を稼ぐ手段として重宝されているとか…。

(2002/10/27更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) MIG-31・DZ「Foxhound」
MIG−25の性能向上型。
外見的にはMIG−25を踏襲しているが、ターボ・ファンや世界初のフェ−ズド・アレイ・レーダーの採用と内部的には全く原形を留めていない。
DZ型は給油プローブを装備した型だが、新規に製造された機体は少ない。

(2003/4/5更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) Ye-152M
MIG設計局が開発したマッハ3級の実験機。
運用実績のあったMIG-21の設計を基本に設計された。
1961年7月にYe-166(あるいはE-166)という番号を付け、ソ連機としては初めて2679km/hという世界記録を樹立。

(2002/9/7更新)
MAPO (Mikoyan-Gurevich) Ye-155R-1
MIG−25の試作機。
Ye−266という名称でいくつもの速度記録をつくった事で知られる。

(2002/12/12更新)
MOSKALEV SAM-13

(2002/10/13更新)
Shavrov Sh-2
水陸両用の小型飛行艇として、連絡・輸送等、多目的に使われた。
使い勝手の良い機体として、1930年11月11日完成からシリーズ最終号機の引退が1964年と長く使われた。
全幅13.0m 全長8.2m 全高2.5m 全備重量1,160kg 最大速度139km/h 航続距離1,300km

(2003/1/27更新)
SUKHOI Su-5

(2002/11/4更新)
Sukkoi Su-9「Fishpot」
1956年にスホーイ設計局が開発した防空軍向けの迎撃機。
ミサイル万能論と、用途が対爆撃機攻撃であった事もあり、武装は基本的にAAMのみとなっている。
一見するとMIG−21の様な外見をしているが、これは当時のTsAGI(航空力学・流体力学中央研究所)の各設計局に対する影響力の強さを現している。

(2003/5/7更新)
(2003/5/12更新)
スホーイ27「フランカー」戦闘機(1981)
F-14/15を始めとする米軍新世代戦闘機に対抗して開発された機体。1977年に初飛行した原型T-10は空力設計に問題が多く、全面改修の結果、ほとんど別機となった。
「中間位置で可変翼を止めたF-14」ともいえる空力形態は、中央流体力学研究所(TsAGI)の指導によるものであり、「プガチョフ・コブラ」に象徴される失速後までの高い機動性能の源となっている。
兵器としての方向性も米国第5世代戦闘機の影響を強く受けており、機内燃料だけで4000kmに及ぶ航続距離、探知距離200km以上の高性能レーダー、最大10発のAAM搭載能力等は従来のソ連戦闘機から脱却したものとして世界の注目を集めた。
燃料・兵装搭載能力と改造の余地の大きさから、ロシア空軍は、今後しばらく制空から戦術爆撃に至る多様な任務を本機の派生型に委ねることにしている。

アイコンは、1990年代前半にスホーイ設計局で試験・デモに用いられた機体で、テストパイロット、ヴィクトル=プガチョフの乗機として有名。

(2003/9/24更新)
Tupolev SB-2
1934年に初飛行した、その後第二次大戦前に大流行した双発高速軽爆撃機の先駆けとも言うべき爆撃機。Katyuskaの愛称で知られる。折から勃発したスペイン内戦にも投入された他、中華民国に輸出されて日本軍と交戦したり、本国空軍機もノモンハンや冬戦争で実戦投入されたりと大戦前夜のごたごたに必ず現れる機体である。初期型はクリモフM-100(860HP)を装備し、一見空冷機のように見える独特のナセル形状が特徴。
最高速度:411km/h、航続距離:1,200km、武装:7.62mm機銃×4、爆装600kg

(2002/10/13更新)
Tupolev TB-3
歴代巨人機のうちの一機
全幅39.5m 全長24.4m 全高8.45m 全備重量18,000kg 最大速度196km/h 航続距離1350km 7.62m機銃*6~8 爆弾4,000kgまで

(2003/4/5更新)
Tupolev Tu-2
1940年に初飛行した中型爆撃機。拘禁中であったアンドレイ・ツポレフが収容所で設計した機体として知られる。製造上の問題などから大戦中の生産は約1,000機にとどまったが、戦後も生産が続けられ、衛星国などでも多くが使用された。45mm砲を搭載した襲撃機型などのバリエーションもある。
最高速度:550km/h、航続距離:1,400km、主機:ASh-82FNV (1,850HP)×2、武装:12.7mm機銃×3、20mm機銃×2、爆装4,000kg

(2002/11/7更新)
TUPOLEV Tu-91 Boot
スターリンが健在な頃に開発された空母が無い国の艦上攻撃機。
胴体中央部に2基のターボプロップエンジンを置き、延長軸で機首のコントラペラを駆動した。コクピットは並列複座式。
全長17.7m

(2003/2/20更新)
Yakovlef Yak-7
対独戦初期のソ連空軍主力機で、前作Yak-1の小改良型である。
性能はBf109にやや劣ったが、木・金混製の機体は高い量産性をこの機体に与え、また操縦性に癖がなく、練度が低いパイロットでもそれなりの性能を引き出せた。
この機体自体は凡作といえなくもないが、後のYak-9系列の礎になったこと、また独ソ戦の最も苦しい時期を支えた機体ということを考えると、客観的に見て高い評価を与えるべき機体といえよう。

(2003/7/3更新)
Yakovlef Yak-9
1942年末ごろから東部前線に現れた、第二次大戦のソ連機では最も有名な戦闘機の一つ。機体構造は相変わらずの木金混成だが、前作Yak-1、Yak-7からは著しく性能が向上している。しかし前作同様に操縦は比較的優しく、誰が操縦しても十分な性能を引き出せる機体であった。
そして独ソ戦後半において、La-5やLa-7などと共に活躍し、ソ連の制空権確保の一翼を担ったのである。派生型の中には第二次大戦後にも生産が続けられたものもあり、最終発展型に至っては朝鮮戦争に(義勇軍機で)参戦している。

(2003/7/3更新)
Yakovlef Yak-9D
Yak-9のサブタイプの一つで、原型より12.7mm機銃一丁を撤去し、代わりに機体内の燃料タンク容量を増加させた長距離戦闘機型。大戦後半にソ連戦略爆撃隊の護衛機として活躍した。
なお、さらに残りの12.7mmを下ろして、武装を20mmモーターカノン一丁に落としてまで航続距離を増やした、Yak-9DDという機体もある。
…さて元のYak-9の武装はどうなっているのでしょう(笑

(2003/7/3更新)
Yak-9D(ノルマンディー・ニーメン飛行隊塗装)
ノルマンディー・ニーメン飛行隊とは、自由フランス空軍(連合軍側に馳せ参じた元フランス空軍)のうちで、主にソ連領内で活躍した部隊である。彼らはこのYak-9やYak-3などのソ連機を駆って(借って)ドイツ軍機と戦い、第二次世界大戦中に編成されたフランス空軍の飛行隊(休戦前のものも含む!)の中では、最高の戦果数を記録しているという。

(2003/1/6更新)
(2003/8/16更新)
Yakovlef Yak-15(1946)
大祖国戦争を戦い抜くためにジェット機開発を中断していたソ連が、その遅れを取り戻すため、とりあえず確実に飛ぶ機体を手に入れようと作ったもの。
当時ソ連が量産していた最速かつ小型軽量の機種であるYak-3のエアフレームを流用、若干延長した機首にNS-23機関砲2門とともにドイツのJumo004BのコピーであるRD-10Aエンジンを搭載、ノズルはコクピット直下に開口させた。排気による焼損を防ぐため、後部胴体は金属製に改め、特に下面は耐熱ステンレス製とし、尾輪も鋼鉄製としている。
Yak-3を原型としたおかげで俊敏な運動性を得たものの、最高速度は750km/h未満、航続距離も500〜640kmに過ぎず、地面に向いた排気口では離陸時の加速が悪く、野戦飛行場で下草を発火させて火災を起こすこと等も問題視されたため、生産数は280機にとどまった。しかし、パイロットや整備員にジェット機の経験を積ませる教材としてそれなりの意義はあった。
アイコンは、曲技飛行デモンストレーションに用いられた機体。

(2003/3/4更新)
Yak-28・I「Brewer・C」(ブリューワーC)
1962 年に登場した中型爆撃機で、あまりに先鋭的なデザインに当初は戦闘機と誤解され「フラッシュライト」のコードネームが与えられていた。ツマンスキー R-11AF エンジン双発、最高速度 1900Km/h、航続距離 2630Km、武装 23mm 機銃 x 1 + 爆弾 3000Kg。

(2003/3/4更新)
Yak-28・P「Firebar」(ファイアバー)
Yak-28 の全天候迎撃機型。機首に長く突出したレドームを持ち、コクピット後方にレーダー/ミサイル操作手席を持つ。武装は AA-3「アナブ」レーダーミサイル2発に加え、場合によって AA-2「アトール」赤外線誘導ミサイル2発を装備、機銃は装備されていない。
「ブリューアー」と「ファイヤバー」の登場順序は資料によってまちまちだが、どうやら「ブリューアー A/B」が少数生産された後に「ファイヤバー」が作られ、ファイヤバーで施された空力的改良が爆撃機型にも取り入れられて「ブリューアー C」が量産されたという順序らしい。

(2003/1/27更新)
Yakovlef Yak-36
NATO コードネーム「フリーハンド(Freehand)」、VTOL 実験機。機首前方に R-27 エンジン二基を搭載、主翼直下に開口した回転式ノズルで垂直/水平方向の推力を得る。23mm 機関砲一門+ロケット弾ポッド程度を装備できたという説もあるが、結局実用の域に達することはなかった。生産機数 6 機。
全長16.75m 全幅7.14m 全高4.18m 自重4140kg 全備重量4835kg 航続距離370km

(2003/1/27更新)
Yakovlev Yak-38
NATO コードネーム「フォージャー(Forger)」、キエフ級空母で運用された VTOL 艦載機。外見は双発に見えるが、推進用に R-27 エンジン一基(回転式双ノズルを持つ)、コクピット直後に垂直離陸用 RD-38 エンジン二基を持つ三発機である。航続力が短くて武装搭載量が少なく事故故障多発という問題機であり、目立った活動もないまま短い運用期間を終えて退役した。生産数 231 機。
全長15.86m 全幅7.06m 全高4.28m 自重6,530kg 最大重量10,850kg 最大速度1050km/h

(2003/1/27更新)
Yakovlev Yak-141
NATO コードネーム「フリースタイル(Freestyle)」。Yak-38 の後継機として試作された VTOL 機で、超音速飛行能力を持つ。前方二基のリフトエンジン(RD-41)+後方一基の推進エンジン(R-79)という基本構成は Yak-38 と変わらないが、後方エンジンには独特の方向制御ノズルとアフターバーナー(この技術はのちにロッキードが購入し X-35 JSF に採用したという)が付加され、垂直/水平尾翼は後部ノズルを挟む双胴形式で装備されている。型番は「Yak-41」と「Yak-141」の二つがあり、試作された Yak-41 2 機のうち公式記録用に使われた機体が Yak-141 と呼ばれているらしい。30mm 機関砲1門+2600Kg の武装搭載能力を持つが、本機はより実用的な機体の設計データを得る為の実験機だったと考えられている。
全長18.3m 全幅10.1m 全高5m 自重15,795kg 最大重量18,950kg 最大速度1800km/h 航続距離2,150km

 宇宙機

(2003/2/20更新)
スプートニク1号
1957年10月4日に打ち上げられた世界初の人工衛星。
電離層の観測や電波の送信実験を行なった。

(2003/2/20更新)
ヴォストーク宇宙船
世界初の有人宇宙船として有名な宇宙船。
1961年4月12日に1号が打ち上げられ、1963年の6号まで打ち上げられた。

(2003/2/20更新)
ヴォスホート宇宙船
ヴォストークに続く宇宙船として、2つだけ打ち上げられた。
1号は医師を含む乗員3名を乗せて宇宙飛行を行なった。
2号は乗員2名を乗せて打ち上げられ、レオーノフ飛行士が世界初の宇宙遊泳を行なった。

(2002/9/16更新)
БУРАН
見てのとおりの機体。ジェットエンジンを装備した型もあり、そちらは自力で離陸できる。

 大型機

(2002/10/10更新)
An-70
東側の新しい輸送機。プロペラが沢山、前方8枚後方6枚のペラが4発のターボプロップに付いている。とにかくプロペラが凄い。
幅44.45m 長40.7m 自重72,800kg 総重量112,000kg 最大速度750km 航続距離約3,800km

(2002/10/8更新)
An-72
STOLの輸送機、このタイプの輸送機で実用化したのはこれぐらい。
幅31.89m 長28.07m 自重19,050kg 最大離陸重量34,500kg
最大速度705km/h 航続距離800km

(2003/7/3更新)
(2003/7/9更新)

(2006/1/22更新)
ベリエフA-50 メインステイ 早期警戒管制機(1978)
Tu-126早期警戒管制機(Tu-95改)が能力的に不満足なものだったため、滞空時間ではやや劣るものの機内容積と電気容量で大きく勝るIl-76輸送機をベースにベリエフ設計局がシステム統合を行ったソ連初の本格的早期警戒管制機。搭載レーダーシステムの処理能力ではアメリカのE-3に一歩譲るものの、ソ連崩壊により利用可能な地上レーダーサイトが減ったロシアにおいては防空の要ともいうべき存在であり、飛行試験・演習支援型「946」を含め20機以上が就役しているといわれる。
アイコンは、第2期生産型A-50M。

(2003/7/3更新)
(2003/7/9更新)

(2006/1/22更新)
イリューシン Il-76(1971)
アントノフAn-22の後継として、アメリカに比べて見劣りする戦略空輸能力を強化するために開発された大型ジェット輸送機。大バイパス比のターボファンエンジンが開発できなかったため、機体規模はC-141を若干上回る程度にとどまり、航続力にも不満が残った。しかし、信頼性が高く、手ごろな搭載力と内部スペースを有することから、空中給油、消防、早期警戒等の派生型を含めて1000機以上が生産され、近年は低燃費エンジンに換装し、胴体をストレッチした型も開発されている。
 アイコンは、民間型Il-76M。

(2002/10/15更新)
Mi-26ハロ
世界最大の実用輸送ヘリコプター。
貨物室の容積はC-130ハーキュリーズにも匹敵し、搭載量は20tにも及ぶ。
シベリア奥地のツンドラ地帯のような、陸路輸送が困難でかつ大規模滑走路の建設が困難な泥湿地帯での輸送だは大いに役に立ったようである。
日本語表記は「ヘイロー」とする向きもある。

(2002/10/9更新)
Sukhoi T-4 '100'
戦略超音速爆撃機スキー。ステンレスとチタンを素材にしている、前方はコンコルドの様に折れ、離着陸時の視界を確保する、飛行中は何も見えない。
現在はモニノ空軍博物館あたりにあったかもしれない。しかし、まだこの計画には続きがあったらしい。
幅22m 長44.5m 自重55.600kg(?) 最大重量136,000kg(?) 最大速度3200km/h

(2002/10/14更新)
Tupolev Tu-22「Blinder」
旧ソ連初の超音速爆撃機。
1961年に初飛行。
西側は当初、当機の外見を見て「Beauty」というコードネームをつけていた。
当初は米本土まで到達可能な重爆撃機と過大評価されていたが、実は搭載量は5t、航続距離も約3000kmと軽爆撃機並の能力しか持たない事から過小評価をされることとなる。
元々はTu-16の後継機として開発されるが、総合性能でTu-16に劣っていた。その為、Tu-16と代替以前に生産は停止されている。

(2002/11/4更新)
Tupolev Tu-22M-2 「Backfire・B」
超音速戦略爆撃機。
Tu−22「ブラインダー」の発展型とされるが、殆ど原形を留めておらず、実質的には全くの新造機と見て良い。
高高度ならびに低高度での高速侵攻を前提に開発されている。
航続距離は戦略爆撃機としては短めで、一般には中距離戦略爆撃機と認識されている。
Tu-22M-2は最初の量産型。

(2002/11/4更新)
Tupolev Tu-22M-3 「Backfire・C」
Tu-22M-2の改良型。
改良点は推力向上型のエンジンの採用と主翼構造の強化、それに伴う兵器搭載量の増加である。
M-2との外見上の相違点は機首部がしゃくれた顎のようになった点と、エアインテイクが二次元可変式に変更された点。

(2002/11/4更新)
Tupolev Tu-22M-2 「Backfire・B」 AS-6装備状態

(2003/2/26更新)
Tu-128「Fiddler」
1961 年に初飛行した超大型戦闘機で、不採用となった Tu-98 爆撃機から発展したもの。ツポレフの社内呼称は Tu-128 だが、ロシア軍の制式呼称は Tu-28 だと言われる。シベリア北部におけるレーダー/対空ミサイル網の薄さをカバーする為に作られた「空飛ぶ SAM サイト」である。当時最新鋭のスマーク(Smerch, ロシア語で竜巻の意味)火器管制システムと最大射程 40Km を誇る R-4 ミサイル2ないし4発を搭載、地上レーダーサイトとの連携なしに哨戒/迎撃を行う能力を持つ。Tu-98 で爆弾倉だった胴体内容積は全て燃料タンクに割り当てられているが、更に航続時間を伸ばすため、実戦部隊配備機の写真では腹部に大型のコンフォーマル・タンクを装備している姿が多い。約 200 機が製造され 1992 年まで哨戒任務に就いていたが、より近代的な Su-27 および MiG-31 に交代した。乗員 2 名、リュールカ AL-21F エンジン双発、最高速度 1900Km/h、航続距離 2600Km。

(2002/9/22更新)
Ekranoplan

(2002/10/7更新)
Antonov An-22 Antheus(アントノフ An-22 アンチス)
初飛行 1965年 2月 27日、最大離陸重量 250t(ペイロード 80t) 全長57.9m。15000馬力のターボプロップ四基で直径 6.2m の四翅×2の二重反転ペラを駆動。この巨大プロペラゆえに最短 1300m の離陸性能を得ましたが、トラブル続出で早期退役の原因にもなったようです。以上、佐貫亦男先生の名著「続々・飛べヒコーキ」からの抜粋。

(2002/10/16更新)
Antonov An-124
アントノフが誇る巨人輸送機、全長こそ劣るものの、最大離陸重量、搭載量ともにC-5輸送機を凌駕する。
SS-20中距離弾道ミサイルを発射車両ごと搭載できる能力を持つ。
あの、An-225のベースとなった機体である。
全幅73.3m 全長69.1m 全高20.78m 自重175,000kg 最大離陸重量405,000kg 最大速度467kt 航続距離4,500km 搭載量約150t

(2002/10/11更新) (2004/3/6更新)
An-225
なんかもうでっかいらしい、世界一ぐらい。スペースシャトルスキーである"ブラン"をピギーライドで搭載するために巨大化した。
An-124をベースに主翼・尾翼を大型化し発動機を4発から6発に、垂直尾翼を双尾翼化した。
ブラン計画がポシャってから使い道も無くほったらかされていたが、最近復活する話もあるらしい。
幅88.40m 全長84.00m 自重142,000kg 最大離陸重量600,000kg 最大速度850km/h 航続距離4,500km(200,000搭載時) 搭載量約250t

(2002/10/10更新)
БУРАН2