米 陸/空軍機アイコン | 解説協力:和来名春さん . 舞沙Pさん . 人見 忍さん . ささきさん . 群馬帝国空軍工廠さん. 巣田@うぐぅさん . 中村さん . J1N1-Saさん . |
(2005/10/27更新) | ボーイング P-26 ピーシューター(Peashooter)- 当時最新の『モノメイル』単発高速郵便機(1930)の技術を軍用機にも応用すべく開発された米国初の全金属製単葉戦闘機。大恐慌後の緊縮財政下での計画だったため、試作時にはボーイング社の自社開発に陸軍からエンジン、プロペラ、計器等を貸し出す体裁がとられた。
胴体・翼ともに全面的に沈頭鋲を採用した全金属製モノコック/応力外皮構造であるが、速度性能重視の薄翼に強度をもたせるため、片持式主翼・引込脚とはせず、胴体と主脚固定部から張線で主翼を支える方式となった。飛行試験においては着陸速度の速さや急降下時の加速過大、地上姿勢での前方視界の悪さなどが指摘されたものの、高速と強固な構造は高く評価され、陸軍戦闘機戦力の近代化に必要な機材だとして制式採用された。量産機数は、米陸軍向けP-26A〜Cが136機と輸出型モデル281が12機。 生産当初から本格的単葉戦闘機(P-35・P-36)の実用化までのつなぎと位置付けられたこともあり、同社製主力戦闘機P-12の後継機となるほどの数が配備されることはなく、また、米軍機としては事実上実戦に参加することはなかったが、フィリピンや中国国民党政府に供与された機体が対日戦で陸攻の迎撃等に活躍しており、グアテマラでは1950年代前半まで現役にあったとされるなど、実用性の高い機体であった。 アイコンは、第20追撃航空群所属機。第95追撃航空群から移譲された機材なので、尾翼に「95」の数字が残されている。 |
(2002/11/29更新) | カーチス P-36A ホーク(Hawk)- 低翼単葉、全金属モノコック構造、完全引き込み脚、R-1830 二重星型 14 気筒 1050hp エンジンなど、カーチスが 1935 年当時の先進技術を結集して製作した戦闘機。米陸軍で約 200 機が使用され、輸出型(Hawk75 または Mohawk と呼ばれる)を含めると合計約 1000 機が生産された当時のベストセラー。P-36A は 177 機作られた米軍向け主力生産型で、真珠湾では日本軍を迎撃し戦果を挙げてもいる。最高速度 500Km/h、武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺。
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(2002/11/29更新) | カーチス YP-37- P-36 をベースに新鋭アリソン V-1710-11 液冷 V12 気筒エンジン(排気タービン付き) 1150hp を搭載した高々度高速戦闘機。排気タービン搭載のため機首が延長され、更に防火壁後方の胴体内にラジエターを埋め込んだためコクピットが著しく後退し、地上視界・前下方向視界は最悪となった。高度 6000m で速度 547Km/h を記録したものの、戦闘機としては問題が多く試作に終わった。武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺、生産機数は XP-37 1 機+YP-37 13 機。
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(2006/01/17更新) | ロッキード P-38G ライトニング(Lightning)- 400mph(643Km/h)を超える高々度高速戦闘機 Model608 として自社開発され、1937 年に次世代戦闘機を求める陸軍に提出され採用された機体。排気タービンつきアリソン V-1710 エンジンを双ブームの独特な胴体に搭載、左右のプロペラは外回りに逆回転する。1939 年に初飛行した XP-38 は高度 2 万フィート(6096m) で目標を上回る 413mph(665Km/h)の速度を発揮、同時期に試作されていたベル XP-39 を差し置いて高速戦闘機の本命となった。欧州戦線では 1942 年秋から実戦に参加し、独特の外形のためドイツ軍から Gabelschwanz Teufel(尻尾の割れた悪魔)の渾名を頂戴した。
G 型は初期ライトニングの主要生産型(偵察型 F-5A を含め 1082 機)。J 型以降との違いはスピナー下部の「アゴ」が無いことで、機首下面の小型インテイクはオイルクーラー、インタークーラーは主翼前縁を利用した表面冷却となっている。E, F, G, H 型はエンジンや艤装品が若干異なるだけで、外形的な違いは殆どない。アリソン V-1710-51/55 液冷 V 型 12 気筒 1325hp x 2、最高速度 643Km/h、航続距離 2816Km(増槽使用)、武装 12.7mm 機銃 x 4 + 20mm 機銃 x 1、爆弾最大 500Kg x 2。 |
(2006/01/17更新) | ロッキード P-38J ライトニング(Lightning)- H 型までの初期型ライトニングは吸気冷却能力が不足し、カタログ通りのエンジン出力が出せない問題があった。J 型は吸気レイアウトを全面的に改定したモデルで、スピナー直下に「アゴ」上のインテイクを設けオイルクーラー・インタークーラーが配置されている。エンジンは H 型と同じ 1710-89/91 であるが、吸気冷却効率改良によるパワー向上は有害抵抗増加を上回り、J 型はシリーズ中最高速のモデルとなった。また遷音速時の操縦困難対策であるダイブ・リカバリー・フラップが装備され、生産型の途中(J-25 モデル)からはジェット機なみの油圧エルロンブーストも導入、300mph(480K/mh)を超える高速域では米軍機中最高のロール性能を有した。
左右逆転プロペラに加え、これら各種の小道具を持った P-38 は他のレシプロ戦闘機と異質な運動性を持ち、相手の得意領域に引き込まれなければ大したことはないが、一旦そうなると殆ど手も足も出ず翻弄されるという、対戦する枢軸機にとっては厄介な特性を持っていた。太平洋戦線では当初日本機相手に巴戦を挑んで被害を重ね「ペロハチ」「メザシ」などの渾名で呼ばれたが、米軍側が機材の特性差を覚え一撃離脱に徹するようになると日本側の被害は急増した。Richard "Dick" Bong(40 機), Thomas McGuire(38 機)など太平洋戦線の米陸軍トップエースの愛機として活躍したほか、山本長官機を待ち伏せ撃墜したのも P-38(F/G 型)であり、日本人にとっては B-29, F6F とならび忘れがたい機種となっている。 アリソン V-1710-89/91 液冷 V 型 12 気筒 1425hp x 2、最高速度 675Km/h、航続距離 3637Km(増槽使用)、武装 12.7mm 機銃 x 4 + 20mm 機銃 x 1、爆弾最大 800Kg x 2 または 5 インチロケット弾 x 10。アイコンはチノのプレーンズ・オブ・フェーム博物館が所有するシリアル 44-23314、民間登録 NX138AM の "Joltin' Josie" 号機。 |
(2006/02/02更新) | ロッキード P-38J Richard Bong 少佐機(42-103993 "Marge")- 40 機撃墜の米陸軍 No.1 エース、第五空軍 49 戦隊 9 中隊(9th FS/49th FG/5th AF)所属ディック・ボング少佐(Major Richard Ira "Dick" Bong)の愛機。高名なエースの損失による士気低下を懸念した軍は、1944 年にボング少佐の前線任務を解き、米国内でテストパイロット任務に就くことを命じた。しかし皮肉なことに、この人事が少佐の運命を決定づけることになってしまう。1945 年 8 月 6 日、テスト中のロッキード P-80 ジェット戦闘機は離陸直後のフレームアウトを起こして墜落、少佐は終戦を目前に殉職した。
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(2006/02/02更新) | ロッキード P-38L Thomas McGuire 少佐機(44-24155 "Pudgy V")- 38 機撃墜の米陸軍 No.2 エース、第五空軍 475 戦隊 431 中隊(475th FS/431st FG/5th AF)所属トミー・マクガイア少佐(Major Thomas Buchanan "Tommy" McGuire Jr)の愛機。マクガイア少佐は 1945 年 1 月 7 日、不調の No.131 Pudgy V に代えて No.112 号を借りフィリピン・ネグロス島での航空掃討作戦に出撃したが、低空の一式戦を相手に増槽を付けたまま空戦に突入するミスを犯して苦戦。乱戦に飛び込んだ四式戦が僚機の背後に回るのを見た少佐は、援護に入ろうと無理な旋回を試み、失速墜落して戦死した。
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(2002/11/12更新) (2005/6/12更新) | Bell P-39D エアラコブラ(Airacobra)- 1937 年に米陸軍が応募した高々度戦術戦闘機案に対し、ベル社が自主開発していた「機関砲と排気タービンを備える重単発戦闘機」Model4 を応募した機体。しかし開発途上で軍は方針を変更し、排気タービンを外し低空用戦闘機として採用された。P-39 は頑丈で離着陸が容易とも評価されたが、短い航続距離・劣悪な高々度性能・凶悪なスピン特性など多くのパイロットからは嫌われたという。D 型は初期量産型で V-1710-35 1150hp, 最高速度 579Km/h, 航続距離 965Km。武装 M4 37mm 砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 2(機首), 7.62mm 機銃 x 4(主翼)。生産数約 554 機(P-39 全体で 9584 機)。
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(2002/11/12更新) (2005/6/12更新) | Bell TP-39- P-39 の機首武装を撤廃し教官席を設けた複座練習機型。
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(2002/9/10更新) | Curtiss P-40C- 1941 年の初期生産型で、フライング・タイガースの主力使用機体。機首形状がのちのタイプと大きく異なる。
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(2002/11/12更新) | Curtiss P-40E- 1942 年の中期主力生産型。機首武装を全廃し主翼に 12.7mm×6 を装備した。
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(2002/11/12更新) | Curtiss P-40N- 1943 年に登場した後期主力生産型。機体重量を大幅に軽量化した割に性能は大して向上しなかった。
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(2002/11/12更新) | Curtiss XP-40Q- 1944 年に3機が試作された P-40 最後の改良型。二段過給エンジンを搭載、ラジエターを翼内埋め込みに改め、水滴風防を装備。最高速度 679Km/h を記録したが時既に遅く、量産されなかった。
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(2002/11/12更新) | Curtiss TP-40- P-40N のコクピット後部に教官席を設けた複座練習機型。
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(2002/11/29更新) | カーチス XP-42- P-36 の性能向上案として1機だけ試作された機体。延長軸つきエンジンを搭載、カウリング前面を絞って大直径のスピナーを付け、カウリング下部の小さなインテイクから冷却気を取り込むことで空気抵抗削減を狙った。最高速度は 553Km/h に向上したもののエンジン過熱を解決できず、のち通常カウリングに戻された。武装は機首に 12.7mm と 7.62mm 機銃を各1挺を予定していたが、試作機には装備されていない。
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(2002/11/3更新) | リパブリック P-47B- P-47Bはサンダ−ボルト シリ−ズの初の量産型でありますが、専ら国内で練習用として使用された
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(2002/11/3更新) | リパブリック P-47C- C型はB型を改良された結果B型より機首が伸びて全長が11mになってます。
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(2002/11/3更新) | リパブリック P-47D- C型の改良型のD型はサンダ−ボルト シリ−ズの中では最も生産されたタイプであります。外観的にはD型には「レザ−バッグ風防型」「水滴風防型」垂直尾翼に背鰭を追加した「背鰭付き型」がありますが、これは、そのうちの「レザ−バッグ風防型」であります。
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(2002/11/17更新) | リパブリック P-47D (水滴風防型) |
(2002/11/17更新) | リパブリック P-47D (背鰭付型)- 垂直尾翼に背鰭を追加した「背鰭付き型」
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(2002/11/18更新) | リパブリック P-47H |
(2002/11/17更新) | リパブリック P-47N- N型は、対日戦を意識して航続距離を伸す改良を施された型で、他にも翼端形状の変更、大型かした垂直尾翼の背鰭の装着等の改良点が上げられます。
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(2002/11/12更新) | ノースアメリカン P-51B MUSTANG- エンジンをパッカード・マーリンに換装した性能向上型。
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(2002/11/12更新) | ノースアメリカン P-51D MUSTANG- 水滴風防を装備し、主翼機銃を 12.7mm×6 に強化した改良型。
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(2002/9/7更新) | ノースアメリカン P-51H MUSTANG- 量産されるも第二次大戦には間に合わなかった。
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(2005/11/21更新) | ダグラス A-20G ハボック(Havoc)- 原型は 1939 年に輸出用軽爆 DB-7 として自主開発された機体で、いわゆる高速軽爆万能思想の落とし子である。A-20G は 2850 機が作られた最多生産型で、爆撃手席を廃し固定機銃を装備した襲撃機仕様。低空での軽快な運動性を活かし、対地支援・船舶攻撃などの任務に活躍した。ライト R-2600-23 空冷星型 14 気筒 1600hp x 2、最高速度 545Km/h、航続距離 1650Km(標準武装時)、武装 12.7mm 固定機銃 x 6、12.7mm 旋回機銃 x 3、爆弾 1000Kg。
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(2005/10/27更新) | ダグラス A-26 インベーダー(Invader)-
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(2008/03/08更新) | ダグラス A-26 インベーダー(Invader)-
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(2008/03/08更新) | ダグラス A-26 インベーダー(Invader)-
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(2002/11/12更新) | A-36A- P-51A をベースに急降下ブレーキと爆弾投下器を付加した対地攻撃型。
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(2002/12/1更新) | パイパー PA-48 エンフォーサー(Enforcer)- AT-6 や T-28D に代わる安価な輸出用対地攻撃機として 1984 年に設計された機体。ライカミング T-55 2450hp ターボプロップを搭載、固定武装は持たず主翼左右 10 個所のハードポイントに各種爆弾・ロケット弾・ガンポッドを搭載する。P-51 の設計がベースになっているが、根本的に改設計されており部品の互換性は 10% 未満しかない。結局買い手がつかず試作一機に終わった。最高速度 648Km/h、航続距離 1500Km。
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(2002/11/3更新) | Northrop XP-56 Black Bullet- 1940 年、米軍期待の新型エンジン P&W X-1800 を搭載する新戦闘機開発計画「R-40C」に沿って開発されたゲテモノ三兄弟の一機。
R-40C は開発途中で肝心の X-1800 が挫折しそれぞれに代替エンジンを選択したが、XP-56 は空冷 R-2800(二重反転推進式) を積んだため食用ガエルのように膨れてしまった。 XP-56 は深刻な安定性不足と悪性スピンに悩み、最後まで解決できず没となった。 アイコンはヨクたん形状を改修し尾翼面積を拡大した二号機の姿。 |
(2002/10/27更新) | BELL P-59 Airacomet- アメリカ初のジェット戦闘機。
特に速いレシプロ機に速度で劣り、運動性等も良くなかったが、一応ジェット機なので、ジェット機取り扱い用の訓練機として使用された。 全幅13.87m 全長11.84m 全高3.66m 自重3,606kg 全備重量4,909kg 最大速度665km/h 航続距離885km 武装37mm*1 12.7mm*3 爆弾907kg |
(2002/9/18更新) | カ−チス XP-60- 数機製作された試作戦闘機
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(2002/9/18更新) | カ−チス XP-60A- XP-60のバリエ−ション
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(2002/9/23更新) | カ−チス XP-60C- XP-60のバリエ−ション。二重反転プロペラ装備
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(2002/9/23更新) | カ−チス XP-60E- XP-60のバリエ−ション
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(2002/10/7更新) | カ−チス YP-60E- XP-60のバリエ−ション
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(2002/8/31更新) | ノースロップ P-61 ブラックウィドウ(Blackwidow)- バトル・オブ・ブリテンの研究から高性能夜戦の必要を感じた米陸軍が 1940 年暮れに発注した機体。機首先端をレーダー室とし、胴体下面に 20mm 機銃 x 4、胴体上面に後方防御機銃を兼ねる旋回式 12.7mm 機銃 x 4 の重武装を持ち、強力な R-2800 双発によって高速・高運動性を誇ったが、少々凝りすぎた設計のため実戦デビューは 43 年暮れまで遅れ、第二次大戦ではそれほど目立った戦果は挙げられなかった。残存機の一部は写真偵察機 F-15(RF-61) レポーターに改造され朝鮮戦争で活躍している。主生産型 P-61B(450 機)の仕様は R-2800-10 2000hp x 2、最高速度 594Km/h、航続距離 3058Km、武装 20mm 機銃 x 4 + 12.7mm 機銃 x 4、SCR-720 レーダー。各型合わせた総生産数は 706 機。
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(2002/10/27更新) | カ−チス XP-62- 数機作られた試作機
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(2002/11/12更新) (2005/6/12更新) | Bell P-63A キングコブラ(Kingcobra)- P-39 の発展型で、レイアウトは似ているが一回り大きな新規設計機。主翼は層流翼となり、二段過給器つきアリソンエンジンを搭載している。1942 年 12 月に初飛行し性能良好と認められたものの、航続距離不足などで米軍の需要を満たすことはできず、生産された機体の過半数はレンドリース機材としてソ連へ送られた。アリソン V-1710-93 液冷 12 気筒 1325hp, 最高速度 660Km/h, 航続距離 724Km。武装 M10 37mm 機関砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 4。総生産数 3303 機。
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(2005/6/12更新) | Bell P-63D キングコブラ- P-63 の性能向上型。水滴型風防、より強力なエンジン、高初速の機関砲を備え、重量増加に対し翼端を延長して翼面積を増加してある。しかし完成は 1945 年にずれ込んでしまい、既に戦争の行く末は見えており試作一機に終わった。唯一の試作機はテスト中の事故で全損してしまい、現存していない。アリソン V-1710-109 液冷 12 気筒 1425hp, 最高速度 703Km/h, 航続距離 1528Km(増槽使用時?)。武装 M9 37mm 機関砲 x 1, 12.7mm 機銃 x 4。
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(2005/10/27更新) | マグダネル XP-67 バット(Bat)- 1940 年 7 月に新興マグダネル社が自社開発した双発単座長距離戦闘機。胴体やエンジンナセルを滑らかな曲線でつながれた翼型断面とし、主翼に埋め込んだ排気タービンつきエンジンは延長軸で左右逆回転の四翅プロペラを駆動、タービン排気も無駄にせずナセル後方に推力排気管を設けて速度を稼ぐという凝った設計だった。しかし 1944 年 1 月 6 日に初飛行した試作機は IV-1430 の不調・出力不足に悩まされ続け、9 月には空中エンジン火災を起こして不時着全焼してしまい試作1機に終わった。
コンチネンタル IV-1430 液冷倒立 V12 気筒 1350hp x 2、最高速度 764Km/h(計画) / 652Km/h(実測)、武装 37mm 機関砲 x 6(予定)。 |
(2003/8/18更新) | XP72 |
(2002/12/2更新) | Bell XP-77- アルミ等の軽金属が不足すると駄目っぽいような気がした陸軍が、木製戦闘機なんかを作ってみた機体。
震動問題や、安定性に問題がある以前に、目的からして問題があるようで、結局不採用に終わった。詳しくは"世界の駄っ作機"参照 幅8.4m 長7.0m 自重1295kg 総重量1665kg 最大速度531km/h 航続距離880km 機銃12.7mm*2 爆弾100~300*1 |
(2002/12/2更新) (2003/2/10更新) | XP-79 ノースロップ社- 主翼に仕込んだマグネシウム合金のブレードで敵機(の主翼など)を切り裂き撃墜する構想のもと開発された全翼機。
通常攻撃も可能なよう 12.7mm 機銃×4も搭載する予定でした。 計画時はロケット動力機(XP-79 および 79A)だったのですが、のちに要求が変更されウェスティングハウス 19B ターボジェットエンジン双発に換装されたのが XP-79B です。 '45年9月12日に初飛行、最高速度は 880Km/h を予定していましたが15 分で墜落したので当然未測定です。開発中止となった。 全長4、26m 全幅11、58m |
(2002/11/12更新) | Lockheed P-80 (Shooting Star)- 米軍初の制式ジェット戦闘機。1948 年以降は F-80 と呼ぶのが正しいのだが、P-80 のほうが通りが良い。
P-80A,B,C のサブタイプがあるが外見上の違いは殆どない。各型あわせ約 1700 機が生産された。 |
(2002/11/12更新) | Lockheed P-80R (Racey)- P-80 の高性能に喜んだ米空軍が公式速度記録の為に製作した機体。
武装を全廃し、翼端形状を変え、キャノピーを小型化し、インテイクを NACA 型半埋め込み式に変更、機体表面はパテ埋め後に灰色の塗料を塗り平滑に磨き上げてある。 1947 年 6 月 16 日に 1003.8Km/h の公式速度記録を達成した。 |
(2002/11/27更新) | コンベア XF-81- 初期ジェットエンジンの燃費の悪さを補完すべく、1944 年に米空軍が発注した混合動力機。アリソン J33 ジェットエンジンと GE XT31 ターボプロップエンジンを混載しており、通常はターボプロップで巡航、離陸および空戦時にパワーブースターとしてジェットエンジンを使用するという考えだった。しかし XT31 の調達が遅れ 45 年 2 月の初飛行時には代わりに V-1670 マーリンを搭載(P-51 の機首を丸ごと移植したという)、12 月には待望の XT31 に換装されたがこのエンジンは期待外れで、軸出力はマーリンと大差ない 1650hp にとどまった。最高速度はターボプロップで 442Km/h、両エンジン併用時 815Km/h。この頃ジェット機の水準は既に 900Km/h を越えており、XF-81 は戦闘機として実用化の見込みなしと判断され試作2機に終わった。
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(2002/12/2更新) | ベル XF-83- 1944 年に試作された長距離ジェット戦闘機。基本的に P-59A エアラコメットを拡大した機体で、二基の J33 エンジンを内蔵した太い胴体に 4400 リッターの燃料を搭載、増槽未使用時 2500Km・使用時 3540Km の航続距離を実現した。しかし最大重量 12t、翼幅 16m の巨体に比してエンジンがあまりに非力であり、戦闘機としての実用性なしと判断され試作2機に終わった。最高速度 840Km/h、武装 12.7mm 機銃×6。
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(2002/11/12更新) | リパブリック F-84G サンダージェット(Thunderjet)- 戦後に開発された中では米空軍初の制式採用ジェット戦闘機。アリソン J35 エンジンを搭載、最高速度 998Km/h、武装は機首4挺+主翼付け根2挺の M3 12.7mm 機銃に加え各種爆弾・ロケット弾を搭載可能。各型合わせ 4439 機生産、最多生産型の F-84G は 3025 機で7割近くを占める。朝鮮戦争時には既に旧式化して MiG-15 の敵ではなく、対地攻撃機として使用された。パイロットによる非公式な渾名は Hog(猪)。
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(2002/11/12更新) | リパブリック F-84F サンダーストリーク(Thunderstreak)- F-84 に後退翼を装備した発展型。試作時は YF-96 と呼ばれていた。エンジンを J65 に換装したため胴体が縦長の長円断面となり、コクピットキャノピーも変更され、主翼・垂直/水平尾翼ともほぼ 45 度近い後退翼と相まってほとんど別機の印象となった。主翼には下反角が付けられているのも特徴。武装は相変わらずの 12.7mm×6 挺、最高速度 1102Km/h、非公式な渾名は「Super Hog」。生産数は 2711 機。
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(2002/11/12更新) | RF-84F サンダーフラッシュ(Thunderflash)- F-84F から派生した写真偵察型。1.2m 延長された機首に各種写真機材(前方カメラ一台、下方カメラ1台、左側方カメラ1台、広角カメラ一台)を搭載したもの。機首を写真機材スペースに割いたため空気取り入れ口が主翼付け根に移設されている。原形の F-84 と比べると大化けぶりには笑うしかない。総生産数 715 機。
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(2002/11/12更新) | XF-84H サンダースクリーチ(Thunderscreech)- 1950 年代、ジェット戦闘機の短い航続距離に悩んだ米空軍はターボジェットより燃費の良いターボプロップに着目し、当時入手可能な最強のターボプロップエンジンであるアリソン XT-40 を F-84(正確には RF-84F)に搭載した試作機を開発した。XF-84H と名づけられたこの機体は2機が試作され、極薄ブレードを持ち超音速回転する3翅プロペラ(直径 3.65m)を装備、その回転時の凄まじい騒音から「サンダースクリーチ」という非公式の渾名を貰った。残念ながら最高速度は未公表。エンジンとプロペラにトラブルが多発し、満足な全力飛行を行っていないのかも知れない。アイコンの FS-059 はシリアルナンバー 51-17059 の試作一号機。
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(2002/11/13更新) | RF-84K FICON- ジェット機の短航続力問題に悩んだ米空軍が考えたもう一つの解答。RF-84F の機首にフックを付け、超大型爆撃機コンベア B-36 の爆弾倉に半埋め込み式ドッキング装置を設け親子飛行機として運用を試みたもの。ドッキング時に接触しないよう、RF-84K の水平尾翼には 26 度の下反角が与えられた。合計 25 機の RF-84K が製作され専用の親機 GRB-36D とのペアで部隊配備されたが、運用上の問題が多かったうえ親機 B-36 の早期退役もあり短期間に終わった。ちなみに FICON とは Fighter-Conveyer の略で、厳密には RF-84K の愛称ではなく親機 B-36 も含む計画呼称を指す。
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(2002/9/8更新) | マグダネル XF-85 ゴブリン(Goblin)- 航続距離 16000Km に達するコンベア B-36 を護衛すべく、その機内から発進する「寄生戦闘機」として 1945 年に発注された機体。親機 B-36 は爆弾搭載量の一部を割いて F-85 一機を搭載、また爆弾を全く積まず F-85 三機を搭載する空中母艦型も考えられていた。
48 年 8 月から B-29 を改造した母機 EB-29B を用いて空中離脱・空中回収の飛行テストが開始されたが、離脱はともかく回収は容易ではなかった。ドッキングに成功したのはたった 3 回、残りは空中衝突寸前(1 回は実際に衝突し機体の一部を破損)でドッキングを諦め不時着という惨澹たる有様で、実用不可能と結論づけられ試作2機でキャンセルされた。 全長 4.3m、全幅 6.4m(主翼折り畳み時 2.2m)、全備重量 2067Kg、ウェスティングハウス XJ-34 ターボジェット x 1、最高速度 1047Km/h(推定:フルパワーテストは実行されていない)、武装 12.7mm 機銃 x 4(試作機は非武装)、行動時間 1 時間 20 分。 |
(2002/11/12更新) | ノースアメリカン F-86F セイバー(Sabre)- 言わずと知れた第二世代ジェット戦闘機の傑作で、米軍のみならず世界各国で採用された。もともと直線翼の艦載ジェット戦闘機 FJ フューリーを後退翼化した発展型として作られたが、その高性能に目を付けた空軍から先に発注があり F-86 として採用されたもの。F 型は 2500 機作られた最多生産型で、全動式の水平尾翼・主翼前縁スラット・エアブレーキなどの装備を持ち、優れた高速運動性を誇った。エンジンはジェネラルエレクトリック J47、最高速度 1107Km/h、武装 M3 12.7mm×6挺。A, E, F 型合わせた生産数は 3854 機。
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(2002/11/16更新) | ノースアメリカン F-86D ドッグセイバー(Dog Sabre)- F-86 セイバーをベースに開発された全天候型迎撃機で、開発当初は YF-95 の名称で呼ばれていた。一見するとレドームを持つ機首形状が異なるだけに見えるが、アフターバーナー付き J47 エンジンを搭載したため後部胴体形状も異なり、大きなヒレを持つ垂直尾翼、上反角のない水平尾翼など F-86E 系列とは各所が異なる。D 型の最高速度は 1151Km/h。武装は機銃が全廃され、機首下面の引き込み式ポッドに 2.75in ロケット弾を 24 発搭載した。F-86D は 2504 機が生産され、のちに武装を M39 20mm 機銃×4に換装した F-86K が 120 機、バッジ迎撃誘導システムに対応した F-86L が 800 機、迎撃レーダーを外して戦闘爆撃機仕様とした F-86H が 475 機生産された。
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(2002/10/27更新) | Curtiss XF-87 BlackHawk- 機首に大型のレーダーを搭載する、夜間戦闘機として開発された。
四角い断面の胴体から伸びる四角い主翼の四角い断面のポッドにそれぞれ2基ずつ、計4発のジェットエンジンを搭載する。 しかし、正式発注から4ヵ月後、空軍から発注を全てキャンセルされ、多額の負債を抱えたカーチス社は軍用機、航空機産業から姿を消した。 見てのとおり、胴体後部が長く、着陸時に接触する可能性は高い、どうしてこのように間抜けなのか、それがカーチスだからか。
カーチスにしては格好良い戦闘機だ。 全幅18.3m 全長18.9m 自重11,780kg 総重量22,650kg 最大速度522kt(計画値) 航続距離865km(計画値) 武装20mm*4 12.7mm*2 |
(2002/10/19更新) | McDonnell XF-88 VooDoo- 長距離侵攻戦闘機として開発された、一時計画を破棄されたものの、F-101として復活した。
全幅12.09m 全長16.49m 全高5.64m 自重5,450kg 総重量10,460kg 最大速度M1.03 航続距離1,450nm |
(2002/12/2更新) | マクダネル・ダグラス XF-88B- 不採用となった XF-88 の一号機(46-525)を改造して作られた混合動力機。他の混合動力機と異なり航続力延長が目的ではなく、亜音速〜超音速時におけるプロペラの空力特性を調査する為に作られた研究機である。そのため機首のアリソン XT-38 ターボプロップ(2750hp)は中心軸から左寄りに取り付けられ、これに合わせて前脚格納庫が右側に移動し、胴体右舷にはバラストが搭載され、ターボプロップ排気は機首下面からほぼ真下に向けて排出されるなど空力的洗練とはほど遠く、「とりあえず飛べばいいじゃん的」お手軽改造機となっている。1953〜1956 年にかけ 30 種類近いプロペラ形状/翼型/減速比などのテストに使用された。性能については資料なし。
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(2002/10/27更新) | Northrop F-89 Scorpion- 米空軍最初の本格的全天候ジェット戦闘機。
20mm機銃を搭載しているが、機動性は良くないため、火力をロケット弾に委ねている。 全幅18.24m 全長16.44m 全高5.37 総重量18,200kg 最大速度1,023km/h 航続距離2,200km 武装2.75inマイティマウス*104 (以上諸元F-89D) |
(2002/10/27更新) | Lockheed YF-90- XF-88と同じ要求仕様で開発された長距離侵攻戦闘機。
トリム調整のため、垂直尾翼付け根が可動する。 性能不足の上、計画が中止になり不採用。 全幅12.18m 全長17.06m 全高4.8m 自重8,187kg 全備重量14,089kg 最大速度1,075km/h 航続距離1,690km 武装20mm*6 1000lb爆弾*2 |
(2002/11/27更新) | リパブリック XF-91 サンダーセプター(Thunderseptor)- ロケットの急上昇力とジェットの高速巡航力を併せ持つことに期待して作られた混合動力迎撃機。アフターバーナー付き J47 ジェットエンジン一基に加え、機体尾部上下に合計四基の XLR-11 液体燃料ロケットエンジンを搭載する。胴体は F-84 系の面影を残しているが、主翼と水平安定板は先端へ向かうほど厚く幅広な逆テーパー翼で、しかも主翼は -2〜+6 度の範囲で取り付け角を可変できる。これらは強い後退角(XF-91 は 35 度)に伴う翼端失速癖を何とか矯正しようという試みであった。XF-91 は全エンジン噴射時に水平飛行で 1812Km/h(マッハ 1.71)という高速を記録したが、2種類の全く異なる燃料を混載するのは高価複雑かつ潜在的に危険でもあり、薬液燃料タンクで占められた胴体内には全天候迎撃兵装を搭載するスペースもなく、何より増槽未使用時の航続時間 25 分という行動能力が致命的となって試作2機に終わった。
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(2002/10/27更新) | Convair XF-92A- F-102の元になったデルタ翼機。
全幅9.53m 全長12.93m 全高5.39m 自重3,950kg 総重量6,800kg 最大速度M0.95 |
(2002/11/27更新) | ノースアメリカン YF-93A- 名機 F-86 セイバーをベースに機内燃料容量を増積し、巡航抵抗削減を徹底することで XF-88, XF-90 に対抗し得る長距離侵攻戦闘機を作ろうとしたもの。当初は XF-86C と呼ばれていたが、殆ど別機になった為 YF-93A に改称された。しかし実機完成前に米空軍は長距離侵攻戦闘機計画を廃棄し、製作された2機の YF-93A は NACA において空力テストベッドとして使用された。アイコンは埋め込み型インテイクを装備した一号機初期の姿で、のち2号機ともに左右に張り出したインテイクに改造された。エンジンはプラット&ホィットニー J48、最高速度 1139Km/h。武装は 12.7mm 機銃×6を予定していたが試作機には装備されていない。
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(2002/11/12更新) | ロッキード F-94B スターファイヤー(Starfire)- TF-80(T-33) をベースにした全天候型戦闘機。機首を延長してレーダーを装備、後部胴体を延長してアフターバーナー付き J33-A33 エンジンを搭載した。武装は M3 12.7mm 機銃×4挺。F-94A が 110 機、各所を改良し大型翼端タンクを標準装備した F-94B が 355 機生産された。
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(2002/11/12更新) | ロッキード F-94C スターファイヤー(Starfire)- F-94B を更に発展させた機体で、試作時には YF-97 の型番が与えられていた。機銃は全廃され、武装は機首 24 発+主翼ポッド 12 発×2の 2.75 インチロケット弾である。後部胴体を延長してより強力な J48 エンジンを搭載、機首を更に延長してレーダー及びロケット弾を搭載したため、全長は P-80 の三割り増しに達してしまった。尾翼まわりは新規設計となり、水平尾翼にだけ後退角が付いている。生産数 387 機。
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(2002/12/2更新) | ヒューズ F-98 ファルコン(Falcon)- 米空軍史上最小の「戦闘機」。親機(主に F-102)から発進し、目標を自動的に追尾し体当たり攻撃をかける無人戦闘機である。…というより、空対空ミサイルそのものである。実際「F-98」の型番はすぐ廃止され GAR と改称(GAR-1, 2, 3, 4, 11 がある)、更にのちには AIM-4 と改称された。全長 1.98m、航続距離(と言うのか?) 8Km、武装は通常または核弾頭(GAR-11)。生産機数約 12000 機(「発」と言ったほうが正しいだろうが)。
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(2002/12/2更新) | ボーイング F-99 ボマーク(Bomarc)- 無人戦闘機シリーズ第二弾。普段は地上のコンテナに格納され、必要に応じて発射台に引き出され主翼を展開、胴体内蔵ロケット(A 型は液体、B 型は固体燃料)で垂直離陸したあと胴体下部にポッド装備された2基のラムジェット・エンジンで高度約 24000m を巡航、地上局からの指示に従って目標迎撃コースを飛び、最終的に目標を自己のレーダーで捕捉、急降下し体当たりをかける無人戦闘機である。…というより、地対空ミサイルそのものである。例によって IM-99 と改称されたあと CIM-10 に名を変えた。愛称のボマークとは開発元 Boeing とミシガン航空研究所(MARC)をくっつけた造語である。1960 年から国防任務に配備されたが、地対空ミサイル技術の進展は目覚しく瞬く間に旧式化して 1972 年に退役、一部は標的機 CQM-10A に改造された。全長 13.8m、航続距離約 700Km(B 型)、最高速度約マッハ 3、武装は近接信管付きの通常または核弾頭、生産機数約 700 機。
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(2002/10/16更新) | NorthAmerican F-100「Super Sabre」- 西側初の実用超音速戦闘機。
F-86「Sabre」を発展させ、超音速飛行を可能とした機体。1953年5月25日に初飛行で超音速に達する。 初期の頃は空力的な問題等から事故が多発するが、それらの解決後は戦闘爆撃型のC型、発展型のD型などが生産されている。 |
(2002/10/16更新) | NorthAmerican F-100「Super Sabre」Thunder・Birds.Ver |
(2002/10/19更新) | McDonnell F-101・B Voodoo- 元々は戦略空軍の要求で長距離戦闘機として開発された機体。
しかし戦略空軍での運用期間は短く、主に米本土の迎撃機として使用された。 また、偵察機型はベトナム戦争に参加、かなりの犠牲をだした。 F-101・Bは複座・長距離迎撃機で、武装に核弾頭装備のAIR-2・A「ジーニ」を2発装備する。 |
(2002/11/10更新) | Convair F-102A デルタダガー(Deltadagger)- 1950年に計画された全天候迎撃機計画MX1179に基き設計された機体。
原型機1号機が1953年に初飛行するが音速を突破できず不採用の危機に見舞われるも、NACAが発表したエリアルール理論に則って再設計した結果、見事マッハ1を突破、正式採用されたのは有名。 |
(2003/9/30更新) | ロッキード F-104A スターファイター(Star・Fighter)- 1952 年にロッキードの「ケリー」ジョンソン技師の提案によって開発された機体。当時最新最強のジェネラルエレクトリック J-79 エンジンを可能な限り小型軽量の機体に搭載し、運動性よりも速度・加速力・上昇力を重視するコンセプトで、翼厚比わずか 3.36% のカミソリのように薄く小さな主翼を装備した。
J-65 エンジンを搭載した試作機 XF-104 は 54 年 3 月に初飛行し早速マッハ 1.79 を記録、本命 J-79 を搭載した YF-104 は 56 年 2 月から飛行を開始し速度、上昇、高度など次々と新記録を樹立、その高性能から「最後の有人戦闘機」とまで呼ばれた。しかし小柄すぎる機体が災いして全天候迎撃データリンクシステムなどの搭載に難があり、当初期待された迎撃戦闘機としての運用は(米軍において)限定されたものにとどまったが、比較的安価で高性能な高速戦闘/戦闘爆撃機として世界各国に輸出され一応の成功を見た。 F-104A は 170 機が生産された米空軍向けの初期量産型で、危険度の高い下方射出座席を備えていることで有名。スペックは最高速度 1669Km/h、航続距離通常 1175Km(最大 2253km)、武装 M61 20mm バルカン砲 x 1(725 発)+AIM-9B 空対空ミサイル x 2。 |
(2003/4/26更新) | リパブリック YF-105 サンダーチーフ(Thunderchief)- F-84 の発展型として 1950 年に計画され、結局ほとんど新設計の機体として完成した超音速戦闘爆撃機。遷音速抵抗を減らすため主翼付け根で絞られた「エリアルール」形状の胴体は当時の最新技術で、胴体内には戦術核兵器を搭載可能な大型爆弾倉を備えている。
搭載予定の J75 が間に合わなかったため試作機 YF-105A は一世代古い J57 を積んで 1955 年 10 月に初飛行し、早くもマッハ 1.2 を記録して素質を示した。YF-105A のインテイクは B 型以降と異なり直角に開口しており、わずかに RF-84 の面影が伺える。 P&W J57-P-25(推力 4626Kg / AB 6800kg) x 1、最高速度 1380Km/h(マッハ 1.2)、航続距離 1625Km(標準)、武装 M61 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 2。 |
(2002/12/16更新) | リパブリック F-105D サンダーチーフ(Thunderchief)- 1959 年から量産された主要生産型で、いちおう全天候性能を持つ。ベトナム戦争では北爆「ローリングサンダー」作戦をはじめ米空軍の主力対地攻撃機として活躍したが、被害も少なくなく 300 機以上を失った。F-105 は翼面荷重を高く設計してあり低空高速侵入には向いていたが、離着陸はいかにも重々しく乗員からは「鉛の橇(Lead Sled)」や「ドサ野郎(Thud)」の渾名で呼ばれていた。
P&W J75-P-19(推力 7800Kg / AB 12020Kg) x 1、最高速度 2285Km/h(マッハ 2.1)、航続距離 1252Km、武装 M61A1 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 610。 |
(2002/12/16更新) | リパブリック F-105F ワイルドウィーゼル II(Wild Weasel II)- もともと低空侵入・航法・爆撃などを単座でこなさねばならない F-105 の技術習得が困難だったため、F-105D をベースした複座練習機として開発されたもの。ベトナム戦争で猛威を振るった地対空ミサイル(SAM)への対策として対レーダーミサイル AGM-45「シュライク(Shrike、もず)」が開発され、F-100F を母機として 1965 年から実戦テストが行われていたが、この結果を受けて本格的な対レーダー攻撃機として作られたのが F-105F ワイルドウィーゼル II である。
F 型 147 機の過半数を占める 86 機がこの仕様に改造され、友軍攻撃隊の最先端を飛ぶ危険な任務に投入され活躍した。 |
(2002/12/21更新) | リパブリック F-105F コンバットマーティン(Combat Martin)- F-105F をベースとして後席のスペースに QRC-128 VHF 電波妨害装置を積んだ電子作戦機で、背中に四角いアンテナが付いているのが特徴。QRC-128 は北ベトナム軍 MiG 戦闘機の機上無線装置を妨害する能力を持ち、地上誘導局からの連絡を絶ち切って迎撃を断念させることを目的としていた。
十数機が製作され 1967 年暮れから作戦を行ったが、あまり効果がなかったのか 70 年頃に作戦中止、機体はワイルドウィーゼル仕様に改造されたという。 |
(2002/12/23更新) | リパブリック F-105G ワイルドウィーゼル III(Wild Weasel III)- F-105F をアップグレードした改良型で、電子兵装が大幅に強化されたため当初は EF-105F とも呼ばれていた。電子機器搭載スペース確保のため燃料タンクが一部削られている。
56 機が製作され、うち 14 機は海軍の艦対空ミサイルを改造した AGM-78 スタンダード(Standard)対レーダーミサイルを搭載可能に発展した。 |
(2002/11/10更新) | Convair F-106A デルタダート(Deltadart)- F-102の発展型。
当初はF-102Bと呼称されていたが、内容・外見共に全くの別機となってしまった為、F-106と改称されている。 米空軍が開発した最後の迎撃機 Ultimate・Interceptor。 |
(2002/11/12更新) | F-117「ナイト・ホーク」- 言わずと知れた「ステルス・ファイター」。
1970 年代から極秘に研究が進められてきたステルス技術に基づいた初の実用機として 1981 年に初飛行した機体。 対空戦能力は皆無に等しい事実上の戦術爆撃機だが、F 型番であることも、その数字がイレギュラーな 117 であることも情報撹乱を狙った意図的なものらしい。 エンジンはジェネラルエレクトリック F404 双発、最高速度 1100Km/h、武装 2000 ポンド誘導爆弾2発。生産機数は試作 5 機+量産 59 機、うち一機はエアショー中に尾翼がモゲて墜落、別の一機はコソボで撃墜されたので 2002 年現在の配備数は 57 機のはず。 |
(2003/4/1更新) (2003/4/20更新) | McDonnell F-4E PhantomII- アメリカ空軍版 ファントム
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(2003/4/26更新) | F-4Gワイルドウィーズル機 |
(2003/12/25更新) | ノースロップ F-5A フリーダム・ファイター(Freedom Fighter)- 1955 年にノースロップ N-156 として自主開発された戦闘機で、絞り込んだスリムな機体に安価な巡航ミサイル用の小型ジェットエンジンを二基搭載している。F-5A は単座の対地攻撃/軽戦闘機用の量産モデルで、ほぼ同仕様の複座型に F-5B がある。F-5A は極めて運動性に優れ空対空ミサイルの搭載能力も持ってはいるが、レーダーなど電子兵装は最低限のものしか備えておらず空戦能力は限定されている。
1960 年代は冷戦が深刻化していった時代であり、ソ連は共産圏友好国に大量の兵器を供給し始めるが、アメリカ政府はこれに対抗すべく自由主義圏の軍事増援プログラム(MAP:Military Assistance Program)を発動、本機を MAP 向けの輸出用戦闘機として位置付けてセールスに励み、韓国・台湾・タイ・南ベトナム・トルコ・ギリシャ・エチオピア・モロッコ・ノルウェーなど多くの国々に輸出された。米空軍はこれらの国々のパイロットや整備員を養成する錬成部隊も設立、少数の F-5A/B が米空軍マークを付けて配備された。 F-5A/B は安価な割に高性能で操縦の易しい傑作機であり、1963 年から 1972 年まで 10 年近くにわたって合計 836 機(うち 200 は F-5B)が量産されるベストセラーとなった。F-5A の仕様はジェネラルエレクトリック J85(推力 952Kg)x2、最高速度 1489Km/h(マッハ 1.4)、航続距離 2232Km、武装 M39 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 2.8t。 |
(2003/12/25更新) (2004/2/26更新) | ノースロップ F-5C スコシ・タイガー(Skoshi Tiger)- ベトナム戦争において米陸軍は大苦戦、空軍は地上部隊への航空支援で忙殺され、深刻な機材不足に直面する事になった。米空軍は安価で量産向きの F-5A を機材不足解消に適した機材と考え、能力調査のため実戦部隊が組織された。この実戦テストプログラムには「スコシ・タイガー」の暗号名が与えられたが、「スコシ」は日本語の「少し」を「小さな」と勘違いしたもので、本来は「小さな虎」の意味である。
MAP の輸出ラインから 18 機の F-5A が抽出され、空中給油装置の付加やコクピット床面への防弾装甲追加、電子・工学機材のアップデートが施され、新たに F-5C の呼称が与えられた。F-5C に制式な愛称は無いのだが、プログラム名称にちなんで「スコシ・タイガー」と呼ばれたらしい。 F-5C を装備した第 10 戦闘中隊はベトナム南部での地上支援に投入され、対空砲火の高い回避率、整備性・稼働率の高さなどを実証したが、爆撃精度の低さやエンジン出力の不足などの問題も顕在化し米空軍制式採用の座は得られなかった。スコシ・タイガー計画は短期間で終了し、機材は南ベトナム空軍に払い下げられたという。 F-5C は結局空中戦を経験していないが、対空砲火によって 2 機を損失している。アイコンは胴体中央+両翼端に 150 ガロン(568 リッター)増槽を装備した姿。 |
(2003/12/25更新) (2004/2/26更新) | ノースロップ F-5E タイガー II(Tiger II)- F-5A の欠点であるパワー不足と電子機材の貧弱さを改良した機体で 1972 年に初飛行。胴体を延長してより強力なエンジンを搭載、主翼付け根にストレーキと呼ばれる突出部を設けて高迎角時の機動性を増強、主翼も空戦フラップを備えた新型に換装(翼端タンクの機能は撤廃された)、機首には捜索/照準レーダーが備えられた。
F-5E は F-5A の後継機として歓迎され世界各国に輸出されたほか、MiG-21 に近い飛行特性から米軍の仮想敵部隊(アグレッサー・スコードロン)に配備され空戦技術の研究にも使われた。なお、ヒット作となった映画「トップガン」には海軍アグレッサー部隊に所属する F-5E が「ソ連の新鋭戦闘機ミグ 28」として登場している。 F-5E の仕様:ジェネラルエレクトリック J85-GE-21(推力 1488Kg)x2、最高速度 1699Km/h(マッハ 1.63)、航続距離 2483Km、武装 M39 20mm 機銃x2(280発)、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 3.2t。 |
(2003/7/7更新) | Boeing F-15E Strike Eagle- F-15Dをベースに開発された戦闘攻撃機。
元々はF-111の後継戦闘攻撃機として計画されていたが、後にATF(次期戦術戦闘機)完成までの繋ぎとしても用いる為に制空戦闘能力も要求された事から、全天候下での対地攻撃に加えて、原型機のF-15に匹敵する高い空対空戦闘能力も持つ。 外見的にはベースとなったF-15Dと大差はないが、機体側面にコンフォーマルタンクを装備するなどの違いもある。 ストライクイーグルという名称は本来開発メーカーであったマクダネル・ダグラス社がつけた愛称であり、米空軍で正式に採用された名称ではない。 |
(2004/7/4更新) | ジェネラル・ダイナミクス YF-16A- 1973 年 12 月 13 日に初飛行した F-16 の試作一号機、シリアルナンバー 72-1567。生産型に比べると全長が約 30cm 短く、レーダーを搭載していないためノーズコーンが細い。星条旗をあしらった派手な三色のデモ用塗装で、75 年のパリ航空ショーにも参加して耳目を集めた。現在はヴァージニア州の博物館に展示されている。
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(2004/7/4更新) | ロッキード F-16C ファイティング・ファルコン(Fighting Falcon)- 1971 年、米空軍は高性能だが高価な F-15 を補佐する為の補助戦闘機を開発する LWF(Light Weight Fighter)プロジェクトを発動。これにジェネラル・ダイナミクス社(のちにロッキードと合併)が応募し、ノースロップ YF-17 との競作に勝って採用された軽戦闘機が F-16 である。胴体と主翼をなだらかな曲面でつないだブレンデッド・ウィングボディ形状を採用し、主翼付け根を前方に延長したストレーキを備え高い運動性を持つ。操縦系は操縦桿の代わりに圧力検出式のサイドスティックを用い、コンピューター経由の電気信号で舵面を動かすフライバイワイヤー・システムを採用。 30 度後傾したシートを前方枠のない水滴型キャノピーで覆ったコクピットには2基の多機能ディスプレイ(MFD)とヘッドアップディスプレイ(HUD)が装備され、そのハイテクぶりから「エレクトリック・ジェット」の渾名が付けられた。
F-16 は比較的安価ながら対空対地ともに優れた性能を持ち、米空軍には各型あわせ 2200 以上が納入されいまだに改良型が生産中であり、かつ世界 20 ヶ国以上に輸出された傑作機と言える。なお、長ったらしい愛称はダッソー社のビジネスジェット機「ファルコン」の登録商標を回避するためと伝えられるが、米軍パイロットはむしろ非公式な愛称である「ヴァイパー(Viper、毒蛇)」と呼んでいるらしい。 F-16C は 1984 年から生産された改良型で、エンジンを強化し全天候能力を付加したもの。性能緒元:P&W F100-PW-220 ターボファン推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.04、航続距離 3943Km(増槽使用)。武装 M61A1 20mm バルカン砲 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、ほか空対空/空対地ミサイル・爆弾・ロケット弾など 5638Kg。 アイコンはユタ州ソルトレイク市の Hills 空軍基地に所属する 388 Fighter Wing の所属機で、両翼端に AIM-9 訓練弾を積んだ状態。 |
(2003/8/2更新) | ジェネラル・ダイナミクス F-16A サンダーバーズ仕様- 1983 年、サンダーバーズは T-38 から F-16A に機種変更し、1992 年 F-16C に更新されるまで米空軍の看板役を務めた。A 型と C 型の外見上の相違は殆どないが、垂直尾翼基部の形状がわずかに異なり、アンテナ類の装備形態が異なる。
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(2003/8/2更新) | ジェネラル・ダイナミクス F-16XL- F-16A の発展型として 1982 年に自主開発された機体。胴体は約 1.4m 延長され、主翼はサーブ・ドラケンを連想させるダブルデルタ翼となり、水平尾翼および腹ビレは削除された。独特の形状の主翼は超音速巡航(スーパークルーズ)能力を目指した結果だとも言われる。米空軍は F-111 に代わる全天候戦闘爆撃機としてマグダネル・ダグラス F-15E と比較検討したが、結局 F-15E が採用されたため F-16XL は試作2機にとどまり、やがて NASA に移譲され高速飛行の研究に用いられた。
P&W F100-PW-200 推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.05、航続距離 4587Km。武装 M61A1 20mm 機銃 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、AIM-7 空対空ミサイル x 4 または対地兵装 6800Kg。 |
(2003/12/25更新) | ノースロップ F-20 タイガーシャーク(Tigershark)- 輸出戦闘機として大成功した F-5A/E の後継機として 1980 年代にノースロップが自主企画した発展型。新鋭 F404 ターボファン単発に換装した胴体は新規設計で、火器管制装置など電子兵装も最新鋭機を搭載し、舵の駆動系にはフライバイワイヤーが取り入れられた。F-5A/E との部品互換性は殆ど無く「別の飛行機」であるが、当初は輸出の利便を図って F-5G の名称が与えられていた。
しかしレーガン政権下で F-16 の輸出規制が緩和されると各国は競ってこの「米空軍の最新鋭機」に飛びつき、同等以上の性能を持つ F-5G は見向きもされなかった。新しさを強調するため F-20 と改称し、退役したばかりのチャック・イェーガーを顧問に雇ったりしたがセールスは捗らず、あまつさえ 1 号機が 1984 年に韓国、2 号機が 1985 年にカナダでデモ飛行中に墜落しパイロットが殉職する事故まで起こし、(どちらの事故もパイロットエラーと結論づけられたにも関わらず) F-20 のセールスはもはや絶望的となった。 プロジェクトは中止され、完成間近だった 4 号機はスクラップ処理、唯一生き残った 3 号機はロサンゼルスの工業技術博物館に収められ、ここに 12 億ドルを費やしたノースロップの賭けは幕を閉じた。アイコンは民間機登録(登録コード N44671)ながら制空迷彩を身にまとい、ダミーのサイドワインダーを積んで営業活動に励んでいた頃の 3 号機。 ジェネラル・エレクトリック F404-GE-100(推力 7711kg)x1、最高速度マッハ 2.1、航続距離 2500Km、武装 M39-2 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、外部兵装 3.6t(AIM-7 スパロー空対空ミサイル搭載可能)。 |
(2008/6/21更新) | ロッキードマーチン F-22 ラプター(Raptor)- F-15 に次ぐ制空戦闘機としてノースロップ YF-23 との競作に勝ち採用された機体。ステルス能力、超音速巡航(スーパークルーズ)、高度なデータリンク機能と高い運動性を併せ持つという。
全幅:13.56m 全長:18.92m 全高:5.05m 自重:14,500kg 全装備重量:27,000kg 搭載エンジン:P&W F-119-PW100×2 最大出力:12,000kg(A/B使用時18,000kg) 最大速度:M2.5 兵装:20mmバルカン砲・AAM・AGM・GBU弾などを搭載可能
乗員:1名
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(2008/6/21更新) | ロッキードマーチン FA-35A ライトニングII(Lightning II)- JSF(Joint Strike Fighter) X-35 として計画された機体の空軍仕様。
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(2008/6/21更新) | ロッキードマーチン FA-35B ライトニングII(Lightning II)- JSF の海兵隊向け仕様で、垂直離着機能を持つ。
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(2003/5/13更新) | De Havilland Mosquito PR.MkX VI- 1944年6〜7月、米陸軍航空隊 第8航空軍 第25爆撃航空群 第653爆撃飛行隊所属
白と黒のストライプはオーバーロード作戦参加機の証、二ヶ月限定のレア塗装な“モッシー” |
(2004/2/26更新) | LTV A-7D コルセアII(Corsair II)- 1960 年代中期、ベトナムで対地支援攻撃に苦戦を続けていた米空軍は海軍の新鋭攻撃機 A-7 の優れた素質に着目、独自の追加仕様を施した A-7D を発注した。A-7D は P&W TF30(推力 5148Kg) に代えてアリソン TF41 を搭載し、機首下面の連装 Mk.12 20mm 機銃は M61A1 バルカン砲に換装された。主翼付け根上面には空軍式の「フライング・ブーム」給油口が設けられている。A-7D の性能向上は目覚しく、海軍はこれをベースにした海軍仕様 A-7E を発注した。
空軍ではコルセア II という愛称が定着せず、単に「A7」あるいは「スラフ(SLUF)」の俗称で呼ばれた。SLUF とは Short Little Ugly Fella(小さな醜いチビ野郎)の意味であまり名誉のある渾名ではないが、パイロットの信頼と愛情を裏返しに表現した渾名でもある。 A-7D は 459 機が生産され、ベトナムでは旧式化の目立ってきた A-1 スカイレイダーに代わって対地支援に活躍した。第一線機としては 1980 年代から A-10 に交代したが、予備役や州空軍の装備として 1990 年代まで現役にとどまった。 アリソン TF41-A-1(推力 6577Kg)、最高速度 1067Km/h、航続距離 4828Km(最大)、武装 M61 20mm 機銃(装弾数 1000 発)、爆弾・ロケット弾など 6.8t。 |
(2003/8/2更新) | フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(Thunderbolt II)- 1971 年 にA-7D に代わる直協機として開発、ノースロップ A-9 との競作に勝って採用された機体。操縦席は最厚部 38mm もあるチタン合金製の「バスタブ」装甲板に囲まれ、二基のエンジンは対空砲火を受けにくい胴体後上部にポッド式で搭載されている。独立した二系統の操縦系に加え人力操舵のバックアップを持ち、車輪は単純なヒンジ式で前上方に引き込むため油圧損失時にも自重/風圧で引き出すことが可能であり、更に胴体着陸を考慮し収納時でも主輪の一部が露出する半引き込み式となっているなど、徹底した生存性が追求されている。
A-10 には高い対戦車攻撃機能力が要求されたため、30mm 劣化ウラン徹甲/焼夷弾を 4000 発/分で発射する火力を持つ GAU-8 7 砲身 30mm ガトリング砲と 1000 発+の弾倉を搭載し、近代ジェット機としては異例に太く角ばった胴体となった。無骨極まりない外観から「ウォーホッグ(Warthog, イボイノシシ)」の渾名が付けられ、むしろ制式な愛称である「サンダーボルトII」とは滅多に呼ばれないと言われる。 1991 年にソビエト連邦の崩壊によって冷戦が終結すると大規模戦車戦の脅威も減り、A-10 は「時代遅れの役立たず」として退役が検討されたが、湾岸戦争において低空を長時間飛べる攻撃機の有用性が再評価されて米空軍にとどまった。低速での運動性が非常に優れており、整備性が良く可動率が高いことも A-10 の特長である。しかしその後、米空軍はステルス化と精密誘導兵器による先制ピンポイント攻撃に傾倒するようになり、このコンセプトに適合しない A-10 は惜しまれつつも徐々に退役が進んでいる。 ジェネラルエレクトリック TF34-GE-100 推力 4100Kg x 2、最高速度 675Km/h、航続距離 1300Km。武装 GAU-8 30mm ガトリング砲 x 1、各種ミサイル・爆弾・ロケット弾など最大 7200Kg。アイコンは湾岸戦争に参加した 23th TFW「フライングタイガース」所属機。 |
(2005/4/26更新) | フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(灰色迷彩)- ワルシャワ機甲軍団による地上侵攻の脅威に備えて開発された A-10 攻撃機は、配備当初は欧州戦域の森林地帯を想定した濃緑色の迷彩が施されていた。しかしソビエト連邦の崩壊によって欧州における対戦車戦闘の可能性が薄れたこと、また湾岸戦争やボスニア紛争などで A-10 が単なる「戦車キラー」ではなく近接支援・前線観測などの適合性を示したことなどにより、1994 年頃からより幅広い任務に適合する灰色ベースの二色迷彩へと切り替わっていった。アイコンはアリゾナ州ツーソンの 355FS 所属機。
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(2003/2/12更新) | Curtiss B-2 Condor- 1927 年に開発された双発複葉の「重」爆撃機。鋼管羽布張り構造でカーチス・コンカラー V-1570 水冷 V12 630hp 双発、エンジン直上に縦長のラジエターを持ち、左右ナセル後部に旋回銃座が設けられているのが特徴。1928 年から量産が開始されたものの、大恐慌の真っ最中に一機7万5千ドルという価格は高価に過ぎると判断され量産発注はわずか 12 機。1929 年から 30 年にかけてノンビリと手作りペースで生産されたが、ただでさえ古臭い設計の本機は航空技術日進月歩の時代にあってますます旧式化し、1934 年頃には早くも退役してしまった。機体は全てスクラップ処理され現存していない。最高速度 209Km/h、航続距離 1255Km、爆弾搭載量 1134Kg、武装 7.7mm ルイス旋回機銃 x 4、乗員 5 名。
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(2002/9/26更新) | マーチン B-10B- 1932 年にマーチンが独自開発した Model123 爆撃機は全金属応力外皮構造、引き込み脚、タウネンドカウリングなどの最新技術を結集した単葉機で、当時の戦闘機を凌ぐ 317Km/h の高速を発揮した。これに注目した米陸軍は XB-10 として仮採用し、何度かにわたる改良の末に量産仕様 B-10B を決定した。B-10B は空力的に一層洗練され、エンジンもパワーアップして速度は 346Km/h に向上、防御武装も改善されている。B-10B は米陸軍向けが 103 機が生産されたほか、エンジンなど細部の異なる輸出仕様 Model139W がオランダ、中国、アルゼンチン、トルコ、シャムなどに合計 189 機が輸出された。
B-10B の仕様は全長 13.6m、全幅 21.5m、全備重量 6668Kg、ライト R-1820-33 空冷 9 気筒 775hp x 2、最高速度 346Km/h、航続距離 2200Km、武装 7.62mm 機銃 x 3 および爆弾最大 1t。 |
(2003/8/31更新) | ボーイング B-17E- 意外に撃たれもろかったB−17Dに対して、後部胴体を完全に再設計し、背びれの追加、尾部銃座の追加、水平尾翼の再設計等を実施したタイプ。この改造により安定性が向上し、爆撃照準能力も上がっている。
その他、コクピット後上方の連装回転銃座など、武装がすべて12.7mm機銃に換装されており、防御能力も飛躍的に向上している。 胴体後下部の銃座は、当初、ベンディックス社製のペリスコープを用いた遠隔操作式のものであったが、非常に不便であったため、以降の型で使用されることになる、スペリー社製の人が中に入って操作するタイプにものに変更された。 諸元 全幅:31.63m,全長:20.68m,全備重量:27,216kg,最大速度:510km/h,航続距離:3,200km,爆弾搭載量:5,440kg(最大),エンジン:ライトR-1820-65 空冷星形9気筒 1,200HP |
(2003/8/31更新) | ボーイング B-17F- 元々は1934年8月に米陸軍から出された多発爆撃機の競争試作に、ボーイング社がモデル299で応募したものであった。試作機から高性能を発揮していたが、機体サイズとコスト高がネックとなり、一旦はダグラス社のB-18に敗れたが、その高性能と世界情勢の変化等により量産されることとなった。
このF型は、E型に対して、翼内燃料タンクの増設、機首武装の強化等、400カ所以上もの改修が施された機体であり、外観上は機首の爆撃機席風防が枠の少ない大型のものになったことで容易に識別ができる。 主に欧州戦線で多用され、ドイツ昼間爆撃の主戦力として重用された。 諸元 全幅:31.63m,全長:22.78m,全備重量:29,484kg,最大速度:510km/h,航続距離:2,400km(爆弾2,300kg),爆弾搭載量:4,350kg(最大),エンジン:ライトR-1820-97 空冷星形9気筒 1,380HP |
(2002/9/23更新) | B-17F「バーミンガム・ブリッツクリーク号」 空中集合目標機 |
(2006/6/6更新) | ダグラス XB-19- 1935 年、超大型長距離爆撃機を求める米陸軍航空隊の「プロジェクトD」に応募し採用された機体。しかし予算不足と度重なる計画変更によって試作機製造は遅延を重ね、41 年 5 月に一号機が完成した時には既にキャンセルされており、ただ一機のみ完成した機体は超大型機のデータ収集、エンジンテストベッド及び大型輸送機として用いられた。エンジンは当初はライト R-3350-5 空冷 2000hp だったがトラブル多発し、のちにアリソン V-3420 に換装して XB-19A と改名、戦後の 1946 年まで安全に飛行を続けたが、やがてスクラップ処理されてしまった。
ライト R-3350-5 空冷星型 18 気筒 2000hp x 4、最高速度 360Km/h、航続距離 12408Km、武装 12.7mm 機銃 x 5 + 7.62mm 機銃 x 6 + 37mm 機関砲 x 2、爆弾 8t。 |
(2002/9/23更新) | コンソリデーテッド B-24J リベレイター(Liberator)- 1938 年、米陸軍から B-17 ライセンス生産を打診されたコンソリデーテッド社が「より優れた性能を安価に提供できる」として自主開発した機体で、社内呼称を Model32 と呼ぶ。独特の細長い翼には試作に終わった Model31 双発飛行艇(P4Y)で培われた技術が応用されており、縦長断面の胴体に高翼を付けたレイアウトも飛行艇に似ている。試作機 XB-24 は 39 年 12 月に初飛行、防御武装強化・排気タービン装備など量産型 B-24D の仕様が決定し引き渡しが始まったのは 42 年始め。 43 年中頃から生産された J 型は総生産数の約 1/3(6678/18484)を占める主力モデルで、戦訓に基づいた武装強化などが施されている。B-24 は主にイタリア方面からのドイツ本土爆撃に従事したほか、優れた航続性能を活かして物資輸送や洋上哨戒にも活躍した。これらの任務に特化した派生型として輸送機型の C-87 リベレイター・エクスプレス(287 機)や米海軍向け PB4Y-2 プライベティア(739 機)などが存在する。
P&W R-1830-65 空冷 14 気筒 1200hp x 4、最高速度 482Km/h、航続距離 2735Km(爆装時)/6000Km(最大)、武装 12.7mm 機銃 x 10 + 爆弾 2.3t(通常)/5.8t(過載)。 |
(2002/11/22更新) | NorthAmerican B-25 ミッチェル(Mitchell)- 全長:16.13m 全幅:20.6m 全高:4.98m 自重:8.84t 全備:15.9t 乗員:6名 最大速度:438km/h(高度4,000m) 航続距離:2,175km 発動機:ライト サイクロン R-2600-92(1,700馬力)×2 武装:12.7mm×12 爆弾:最大1,360kg 130mmロケット弾×8 生産数:約11300機
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(2003/1/6更新) | B-25B ミッチェル- 昭和17年4月18日、ドゥリットル中佐はこのB型を駆って日本を初空襲しました。
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(2005/10/27更新) | マーチン B-26B マローダー(Marauder)- 1939 年 1 月の米陸軍高速双発爆撃競作にマーチン社がモデル 179 として応募した機体。空力的に洗練された胴体に大馬力 R-2800 二基を装備したデザインは軍を魅了し、試作機初飛行前に量産命令が発注された。B-26 は特に中低空での速度に優れ、神出鬼没の戦術任務に欧州・太平洋を股にかけ活躍したが、高翼面過重による離着陸特性は危険で事故が多く「後家づくり(ウィドウ・メーカー)」とも陰口を言われた。このため末期生産型の F/G 型は最高速度低下を忍んで主翼取りつけ角を 3.5 度増加し、着陸速度を下げる改良が施されている。
B/C 型は 3093 機が作られた主生産型で、尾部・後部銃座の火力が強化されている。P&W R-2800-43 2000hp x 2、最高速度 453Km/h、航続距離 4500Km。武装 12.7mm 機銃 x 8 + 爆弾 2.5t。 |