米海軍機アイコン解説協力:和来名春さん    .
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     F4Fさん      .

(2003/1/27更新)
カーチス F6C-3
カーチスが陸軍向けに開発した P-1「ホーク」を海軍向けに改修した機体が F6C である。F6C-3 はカーチス V-1150 液冷 12 気筒 435hp を搭載した初期生産型で、35 機が量産された。最高速度 248Km/h、航続距離 565Km、武装 7.62mm 機銃 x 2。

(2005/9/07更新)
ベル XFL-1 エアラボニタ(Airabonita)
1938 年、次世代高速艦戦を求める米海軍の要望に応え社内呼称 Model5 として開発された機体。基本設計は P-39 に基づいているが着陸装置は尾輪式に変更され、胴体は僅かに細く・短くなって背の高いキャノピーを装備、翼幅を 30cm 延長して主翼面積が拡大され、主翼下面に素通し式のラジエター/オイルクーラーを装備するなど相違点は多く、基本的には「よく似ている別の機体」である。
試作機は 1940 年 5 月に完成したが自重は予定値を 400Kg も上回っており、また前脚撤去・武装変更による重心後退対策の設計見積もりが甘く、機首に 150Kg ものバラストを積まなければ致命的安定性不良を起こすという有様で、はっきり言って欠陥機の失敗作であり試作一機にとどまった。
アリソン V-1710-6 液冷 12 気筒 1150hp x 1、最高速度 547Km/h、航続距離 1725Km、武装 12.7mm 機銃 x 1 + 7.62mm 機銃 x 2。

(2003/5/17更新)
ブリュースターF2A バッファロー (Brewstar F2A Buffalo)
1935年の米海軍の艦上戦闘機の要求に対する新興ブリュースター社の提案。老舗グラマンが旧態依然な複葉機などを提案しているのを尻目に最新型の全金属単葉機で受注を掻っ攫うも、グラマン社の巻き返しに遭いF4Fに主力艦上戦闘機の座を追われる。その後は海兵隊等で使用されたほかフィンランド、英国、オランダ領東インドなどに輸出され、太平洋戦線でも日本陸海軍機と交戦している。アイコンは主機をライトR-1820-40(1,200HP)に換装して機首がちょっとだけ長くなったF2A-2。
最高速度:515km/h、航続距離:1,550km、武装:12.7mm×4

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン FF-1 Fifi
米海軍初の引込脚戦闘機。ボーイング F4B-1 を引込脚式に改造できるかどうか軍から尋ねられたグラマン社が、独自の艦上複座引込脚戦闘機を提案し、開発されたものがこれである。当時最新の密閉式コクピットを採用している。ライト R-1820-78 750hp を装備。初飛行 1931 年。最高速度 323km/h。索敵型の SF-1 も作られた。

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン F2F-1
FF を小型化した単座艦戦。ずんぐりむっくりで、「飛ぶ樽」とも呼ばれた。P&W R-1535-72 650hp 装備で最高速度 372km/h。初飛行 1933 年。

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン F3F-2
F2F の発展型。米海軍最後の複葉艦上戦闘機である。海兵隊でも使用された。初飛行 1935 年。F3F-2 はライト R-1820-22 850hp を装備。最高速度 410km/h。

(2003/1/6更新)
F4F-3 ワイルドキャット
F4F-3 は二段過給器つき P&W R-1830-76 1200hp を搭載した初期生産型で、主翼の折り畳み機構は装備されていない。エンジンを R-1830-90 に換装した F4F-3A、写真偵察型の F4F-3P、フロートを付けた水上型 F4F-3S(試作1機のみ) などの派生型がある。武装 12.7mm 機銃 x 4、最高速度 531Km/h、航続距離 1400Km、生産機数 285 機(うち -3A が 95 機)。なお -3A のうち 30 機はマートレット Mk.Vの名で英国に送られた。

(2004/10/17更新)
(2005/3/14更新)

(2005/6/23更新)
グラマン F4F-4 ワイルドキャット
主翼を折り畳み式にし、機銃を6挺に増やす等したグラマン社の後期量産型F4F。

(2004/10/17更新)
(2005/3/14更新)

(2005/6/23更新)
ジェネラルモーターズ FM-2 ワイルドキャット
ワイルドキャット最多にして最終生産型。ジェネラルモーターズ社のイースタン航空機部門で製造された。大戦後半、護衛空母に搭載されて活躍。
エンジンは一段二速過給器を持つライト R-1820-56 空冷 9 気筒 1350hp に換装されており、背の高い垂直尾翼を装備していることが外見上の特徴

(2004/10/17更新)
(2005/3/14更新)

(2005/6/23更新)
グラマン F4F-3S ワイルドキャットフィッシュ
エド社によって改造されたワイルドキャットの水上戦闘機試作型。双フロート式。最高速度 428km/h。百機生産の計画もあったが、結局量産されなかった。

(2002/9/19更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機

(2002/9/19更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1A
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機

(2002/9/25更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1D
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機

(2002/10/13更新)
チャンス・ボ−ト XF4U-3B
F4U-1Aを改造して試作された試作高高度戦闘機で下部の顎に排気タ−ビンが入っている。

(2002/10/13更新)
チャンス・ボ−ト XF4U-4
XF4U-4二重反転プロペラ装備型はF4U-4の試作型にエアロプロダクツ製六枚二重反転プロペラを取り付けた試作型で1945年6月6日〜8月22日までテストが行なわれた結果、二重反転プロペラに拠る震動の問題の他、性能そのものも通常型コルセアに劣ると言う散々な結果であったと言われている。

(2002/9/25更新)
チャンス・ボ−ト F4U-4
機首が若干延長され、エンジンカウル/カウルフラップの若干の形状変更、排気管位置の変更 等が実施されている。

(2002/9/29更新)
チャンス・ボ−ト F4U-5
コルセア シリ−ズの中では一番全長が長い(10.52m)

(2002/10/13更新)
グッドイヤ− XF2G-1
日本機の攻撃(カミカゼ攻撃 等)から艦隊を防衛すると言うコンセプトの元にグッドイヤ−社で試作された低空専用迎撃機。

(2002/10/13更新)
グッドイヤ− F2G-2
XF2G-1の方向安定性対策の為に垂直尾翼を30.5cm延長 等の改修を施した型。ちなみに、このF2G-2は5機生産されたのみである。

(2003/3/14更新)
(2003/8/16更新)
グラマンXF5F試作戦闘機 (1940)
軍港や艦隊に対する長距離爆撃を迎え撃つための大上昇力・重武装の防空戦闘機として、主力戦闘機たるXF4U、XF6Fと平行して開発された双発単座艦上戦闘機。R-2600、R-2800両エンジンの開発失敗・遅延に対する保険の意味もあって1200馬力級R-1820の双発とされた。しかし、R-2800が搭載機ともども順調に完成したうえ、本機自身が重量超過、防漏化できないインテグラルタンク一体の主翼構造、搭載予定のデンマーク製マドセン23mm機関砲の入手不能などの問題を抱えてしまったため、開発は中止された。
しかし、機首集中武装、エンジンに邪魔されない前下方視界、全力飛行時の直進安定性の高さといった点は評価され、陸軍型XP-50を経て、そのコンセプトはF7Fタイガーキャットに結実する。
アイコンは初期飛行試験における状態で、フィレットのない主翼と集合排気管が特徴。

(2002/8/31更新)
(2003/1/22更新)
グラマン F6F ヘルキャット(Hellcat)
米海軍期待の新鋭艦戦ボート F4U が初飛行から一年以上もトラブル続きで実用化が遅れたため、中継ぎとして 1941 年 6 月に発注された機体。グラマンは堅実極まりない設計でこれに応え、早くも一年後には試作機の初飛行に漕ぎつけ 42 年暮れには量産型 F6F-3 の生産を開始、44 年までに 4402 機を量産。各部を強化しエンジンをパワーアップした F6F-5 は 44 年 4 月から終戦までに 7868 機が生産され、米海軍空母戦闘機隊の屋台骨として大活躍した。F6F は極めて頑丈で火力と防御力に優れるうえ、31m² という大きな主翼により米軍戦闘機としては飛び抜けて旋回性能に優れており、低速巴戦に引き込まれない限り零戦との挌闘戦でも引けを取らなかったという。F6F-3 の仕様は P&W R-2800-10 空冷星型 18 気筒 2000hp、最高速度 597Km/h、航続距離 2400Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾最大 1t。

(2002/10/14更新)
グラマン F7F タイガーキャット(Tigercat)
大火力・高上昇力を持つ艦隊防衛戦闘機として 1941 年 6 月に発注された機体で、形状こそ大きく異なるが試作に終わった F5F スカイロケットのアイデアを踏襲したものである。試作機は 43 年 12 月に初飛行したが、海軍は既存の F6F や TBF の量産を優先事項としたため量産機の引き渡しは 45 年春にずれ込み、実戦を経験する前に終戦となり生産数は 361 機にとどまった。第二次大戦では実戦を経験せずじまいだったが、朝鮮戦争では夜戦型の F7F-3N および偵察型の F7F-3P がある程度の活躍を見せている。F7F-3 の仕様は P&W R-2800-34W 空冷星型 18 気筒 2100hp x 2、最高速度 700Km/h、航続距離 1931Km、武装 20mm 機銃 x 4 + 12.7mm 機銃 x 4、爆弾最大 1t または魚雷 x 1。

(2002/9/5更新)
グラマン F8F-1 ベアキャット(Bearcat)
Fw190 や零戦など敵国機の研究成果を取り入れて開発された機体で、護衛空母からも作戦可能な小型軽量で高性能な戦闘機を得ることを目的としていた。1943 年 11 月に発注、初飛行は 44 年 8 月。45 年 5 月から実戦配備されたが、戦闘を経験することなく終戦を迎えた。戦後余剰となった機体はフランスに供与され仏印紛争で対地攻撃に投入されたが、爆弾搭載量が少なく被弾に弱いなどあまり評判は芳しくなかったという。F8F-2 の仕様は P&W R-2800-34W 2100hp、最高速度 719Km/h、航続距離 1778Km、武装 20mm 機銃 x 4。総生産数 1266 機。

(2002/9/13更新)
ボーイング XF8B
機動部隊の攻撃力を飛躍的に向上させる重武装の長距離戦闘爆撃機として 1941 年 6 月に発注された機体。当時最強のレシプロエンジン R-4360 を搭載した大型(レシプロ単発単座戦闘機としては世界最大)の単発機で、爆弾 3t または魚雷 2 本という凄まじい量の攻撃兵装を搭載し 1600Km 以上の行動半径が要求されていた。しかしボーイングは B-29 の開発生産に注力したため XF8B の開発は遅れ、試作機は 44 年 11 月に初飛行したが既に戦争の先行きは見えており試作 3 機でキャンセルされた。P&W R-4360-10 空冷星型 28 気筒 3000hp、最高速度 695Km/h、航続距離最大 4473Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾 3t または魚雷 2 本。

(2002/11/29更新)
カーチス XF15C
ライアン FR ファイヤボールと同じ要求仕様に応えて作られたカーチス最後の艦戦だが、FR とは似ても似つかない異形の大型機となった。機体のどこを見ても、間違った前提に基づいて一生懸命真面目に取り組んだ形跡が見られるのが可笑しくも哀しい。機首には複列 18 気筒 2100hp の P&W R-2800 に露骨なダウンスラストを付け、胴体下部にはアリソン J36 ジェットエンジンを搭載し、尾翼はジェット排気流を避けて細長いブーム状の後部胴体に取り付けられている。しかし試作1号機ではブーム基部の水平安定板がジェット排気流に煽られて激しい振動を発生し、水平安定板は垂直安定板上のT型に改められた。20mm 機銃4挺を装備する主翼の上反角は異様なほど強く、尾部ブーム上には XP-62 以来カーチスの持病となっただらしないドーサルフィンが伸びているが、これでも安定性不足でブーム下部にも細長いベントラルフィンが追加された。最高速度だけは FR より速い 754Km/h を記録したが、他は問題だらけの欠陥機であり試作3機に終わった。

(2002/11/29更新)
ライアン FR-1 ファイヤボール(Fireball)
初期ジェットエンジンの推力不足は、短い空母甲板上からのジェット機の発進を非常に困難にしていた。着々とジェット機開発を推進する陸軍に対し焦った海軍は 1943 年にジェット/レシプロ混合動力戦闘機を発注、ライアン社がこれに応えて設計した機体が FR-1 である。機首にライト R-1820 9 気筒 1350hp、胴体内にジェネラルエレクトリック I-16 ジェットエンジンを搭載(燃料は 1820 と共用のガソリン仕様)、三輪式降着装置を採用。練習機のような機首、妙に切り立った背の高い風防、どうも冴えない丸翼端などあまり高性能機には見えないが、米海軍機として始めて層流翼を採用し、機体全面に沈頭鋲を使用し全舵面を金属化するなど細かいところでは凝っている。しかし最高速度 692Km/h は高性能レシプロ機に比べて大したことはない割に航続距離は短く、12.7mm 機銃×4の武装は貧弱、しかも沈頭鋲の工作に問題があって荷重を伴う機動を行うと機体の疲労が著しく進行するという欠陥機であり、約2年という短期間で退役した。生産機数は 66 機。

(2002/11/29更新)
ライアン XF2R-1 ダークシャーク(Dark Shark)
FR-1 の発展型として 1700hp の GE XT31 ターボプロップを搭載した機体。機首前方と垂直尾翼前方に取って付けたようなヒレが増設されている以外、機体はほとんど FR-1 そのままである。XF2R-1 は最高速度 805Km/h を発揮し、更に多くの改良を施した戦闘爆撃機型 XF2R-2 が計画されたが、モックアップ段階で計画キャンセルされた。XF2R-1 は生産機数1機のみ。

(2002/11/29更新)
ノースアメリカン FJ-1 フューリー(Fury)
1946 年に初飛行した米海軍初の単発ジェット艦戦で、F-86 の母体となった機体。あえて冒険を避け直線翼を採用したため、機体には各所に P-51 と共通するラインが見られる。第一ロット生産 100 機が予定されていたが、より高性能なグラマン F9F の実用化によって 30 機に削減され、生産された FJ-1 は空母ボックス・カーの VF-5A 飛行隊で短期間使用されたにとどまった。エンジンはアリソン J35、武装は 12.7mm 機銃×6、最高速度 880Km/h。

(2002/11/13更新)
ノースアメリカン FJ-4 フューリー(Fury)
もともと米海軍のジェット艦戦 FJ フューリーを発展させた機体が空軍の F-86 セイバーだったが、今度は F-86E をベースに作られた「出戻り艦戦」が FJ-2 フューリーである。FJ-2 が 200 機、エンジンを J65 に換装した FJ-3 が 389 機生産された。最終生産型 FJ-4 は胴体燃料タンクを増積したため胴体が太くなり、弦長の長い主翼と水平尾翼・背の高い垂直尾翼など全面的に再設計されており F-86 の面影は殆ど残っていない。374 機生産された FJ-4 のうち 222 機は空対空ミサイル搭載能力を持つ FJ-4B である。FJ-4B の最高速度は 1094Km/h、武装は 20mm 機関砲×4+ブルパップ AAM×6(または対地兵装)。

(2002/8/31更新)
(2005/3/30更新)

(2005/6/23更新)
グラマン F9F-5 パンサー(Panther)
1946 年にグラマンで自主企画された機体で、数度のエンジン変遷を経て R&R ネーン(Nene)のライセンス生産型 P&W J42( 推力 2600Kg) を搭載する F9F-2 として 47 年 11 月に完成、425 機が量産された。-5 は R&R テイ(Tay 推力)のライセンス型 J48(推力 2800Kg)に換装したタイプで、胴体延長・垂直尾翼延長など外形も少し変更されている。朝鮮戦争では空母バレー・フォージ(Valley Forge)の CAG-5 所属の F9F-2 が主として対地支援攻撃に活躍し、MiG-15 撃墜の戦果も挙げている。F9F-5 は最高速度 932Km/h、航続距離 2092Km、武装 Mk12 20mm 機銃 x 4、爆弾・ロケット弾など約 4t。量産数 641(-5P 写真偵察型も含む)。

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン F9F-8 クーガー(Couger)
パンサーを後退翼化したものが F9F-6/-7/-8 クーガーである。F9F-8 は、主翼と胴体を大型化し、速度・航続性能をアップさせ、ダイブ時に音速突破が可能となっている。なお、1962年に F9F-8 は F-9J と改称。多くが核爆弾搭載能力のある F9F-8B(AF-9J)に改造され、ドローン管制機や標的機になったものもある。偵察型や練習機型も含め、クーガーは各型合わせて 1985 機生産された。

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン F9F-8P クーガー
F9F-8 の偵察型。機首を延長して、3台〜7台のカメラを搭載。62年に RF-9J と改称。

(2005/3/30更新)
(2005/6/23更新)
グラマン F9F-8T クーガー
F9F-8 の複座練習機型。T-33B の後継として採用された高等練習機である。400 機生産。62年に TF-9J と改称。

(2004/2/24更新)
グラマン F11F-1(F-11A)タイガー(Tiger) 初期生産型
第156攻撃飛行隊アイアンタイガース仕様(Grumman F11F-1 Tiger“early production”VA-156 IronTigers)
1952 年に F9F クーガーの発展型 G-98 として自社開発された超音速戦闘機。試作機は 1954 年に初飛行したが、エンジントラブルなどによって正式採用は 57 年 3 月にまで持ち越した。F11 は小型軽量・高速で優れた運動性を誇った反面航続距離や電子兵装搭載能力が不足ぎみで、海軍はより大型で発展性に優れたボート F8U およびマグダネル F4H を本命とした為 F11 の生産数は 199 機にとどまり、7 個飛行隊で 4 年間使われたに過ぎなかった。ライト J65-W-18 推力 3380Kg(AB 4762Kg)、最高速度 1210Km/h、航続距離 2051Km、武装 Mk12 20mm 機銃 x 4 + AIM-9 x 4。

(2004/2/24更新)
グラマン F11F-1 タイガー(Tiger) 後期生産型
第21戦闘飛行隊マッハバスターズ仕様(Grumman F11F-1 Tiger“late production”VF-21 MachBusters)
二次発注 (156 機)の F11 には幾つかの改良が施されていた。外見上目立つのは延長された機首とレドームで、これは AN/APS-50 レーダーへのアップグレードを予定したものだった(結局実施されていない)。他は主翼付け根に小型のストレーキが設けられ、空中給油プローブを機首右側面に移動、内部燃料タンクの増設などが行われているが、これだけの変更にも関わらずサブタイプは F11F-1 のままだった。非公式に前期型をショートノーズ、後期型をロングノーズと呼んで区別する場合もある。

(2004/2/24更新)
グラマン F11F-1F スーパータイガー(Super Tiger)
(Grumman F11F-1F SuperTiger)
ライト J-65 エンジンの推力不足とトラブル多発に悩んだグラマンが新鋭ジェネラルエレクトリック J-79 に換装してみたモデル。社内呼称 G-98A、初期には F11F-2、のち F11F-1F と呼称が変更された。1956 年 5 月 25 日に初飛行して数日のうちにマッハ 1.4 を記録、小改良を施してテストを継続し一年後の 57 年 5 月にはマッハ 2.04 を記録した。しかし -1F は翼面荷重が増加して母艦運用に適さない機体となったため米海軍は興味を示さず、NATO 諸国や航空自衛隊への売り込みも失敗し、試作2機に終わった。J79-GE-3 推力 4355Kg(AB 6800Kg)、最高速度 2253Km/h(マッハ 2.04)、航続距離 1828Km、武装 Mk12 20mm 機銃 x 4 + AIM-9 x 4。

(2004/1/4更新)
(2004/1/14更新)
グラマン F11F-1 タイガー(Tiger) 後期生産型 ブルーエンジェルズ仕様
実戦部隊からは早々に退役して予備役や練習部隊に格下げされた F11 だったが、ブルーエンジェルスでは 1957 年から 1969 年まで 12 年間にわたって海軍の看板娘を務め、「海軍戦闘機のグラマン」の面目を施した。初期にはショートノーズ、後期にはロングノーズ型を使用したらしい。

(2002/10/29更新)
McDonnell F3H Demon
F-4 PhantomUに繋がるマクドネルの戦闘機。
全幅10.77m 全長17.96m 全高4.44m 自重10,039kg 全備重量15,377kg 最大速度1040km/h 航続距離2200km 武装20mm*4

(2004/2/24更新)
(2004/2/26更新)

(2004/4/1更新)
ヴォート F-8E クルセイダー(Crusader)
空母ボノムリチャード(Bon Homme Richard) VF-211 の M.O.Wright 少佐機
1952 年に海軍が求めた超音速艦載戦闘機競作にヴォート社の V-392 案が採用され F8U の呼称が与えられた機体。前作 F7U で大迎角着艦によるトラブルを多発した反省に基づき、油圧によって主翼全体が 0〜7 度の範囲で持ち上がる可変取付角機構を採用した。
1955 年 3 月に初飛行した試作機 XF8U-1 は画期的な高性能を発揮して次々に記録を樹立、ただちに F8U-1(空海軍統一呼称後は F-8A) として 218 機が量産された。F-8E は当初 F8U-2NE と呼ばれた機体で、エンジンを強化した F8U-2(統一呼称 F-8C, 187 機)をベースに全天候戦闘能力を持つ APQ-94 レーダーを装備したうえ空対地攻撃能力を持つ多用途(マルチロール)戦闘機であり、286 機が生産された。
単発単座で機銃武装を持つ F-8 は同時期に採用された双発複座で純ミサイルのマグダネル F-4 ファントムと好対照をなしており、F-8 の搭乗員は本機を「ラスト・ガンファイター」と呼び絶大な信頼を寄せていた。
ベトナム戦争において F-8C/E は海軍制空戦闘機の主力として活躍、各型あわせ 14〜18 機のミグ戦闘機を撃墜し「ミグマスター」などの愛称で搭乗員から親しまれた。
P&W J57-P-20A 推力 4853Kg(AB 8165Kg)、最高速度 1803Km/h(マッハ 1.7)、航続距離 2293Km、武装 Mk12 20mm 機銃 x 4 + AIM-9 空対空ミサイル x 4、対地攻撃時は爆弾・ロケット弾など最大 1.8t または AGM-12 ブルパップ空対地ミサイル x 2。

(2004/2/24更新)
(2004/2/26更新)

(2004/4/1更新)
ヴォート XF8U-3 クルセイダーIII(Crusader III)
F8U クルセイダーから発展した超音速全天候迎撃機で、外形は似ているが胴体・主翼・水平/垂直尾翼とも新設計の別物である。同時期の F-8C が「クルセイダー II」と仮称されていたため本機は「III」を名乗ることになった。非公式に「スーパークルセイダー」と呼ばれることもある。
超音速飛行時のエンジン吸気効率を向上するためインテイク下端はアゴ型に突出し、余分な吸気を逃がす排気口が胴体左右側面に開口している。後部胴体下面には2枚の大きな腹ビレを持ち、これは離着陸時には水平位置に持ち上げられる。延長されたノーズコーンには AN/APG-74 レーダーを搭載し、自動操縦装置との組み合わせによって迎撃手順をほぼ全自動化していた。機銃は全廃され、主武装は半埋め込み式ランチャーに搭載した AIM-7 スパロー3発。
1958 年 6 月 2 日に初飛行した機体は期待に違わぬ高性能を発揮したが、あまりに迎撃用途に特化しすぎた設計が仇となり、海軍はより汎用性に富むマグダネル F4 ファントムを選択した。試作された3機の F8U-3 は空軍や NASA で高速研究機として 1960 年頃まで使われたあとスクラップとなり、現存していない。
P&W J75-P-5 推力 7484Kg(AB 13380Kg)、最高速度 2345Km/h(マッハ 2.2)、航続距離 3290Km、武装 AIM-7 電波誘導空対空ミサイル x 3 + AIM-9 赤外線誘導空対空ミサイル x 4。

(2003/4/1更新)
(2003/4/20更新)
McDonnell F-4J PhantomII
米海軍向け最終型の F-4J

(2003/1/6更新)
Northrop Grumman F-14・A 「Tomcat」 第111戦闘飛行隊 VF-111仕様

(2003/12/25更新)
マクダネルダグラスF/A-18ホーネット (1978)
空軍用軽戦闘機としてジェネラルダイナミックスYF-16と競作されたノースロップYF-17を原型とする艦上戦闘攻撃機。艦上機化にあたって海軍機の老舗マクダネルダグラスが主契約社となっている。A-4、A-7両攻撃機を代替することも要求されたため、最大離陸重量20トン超級の中型戦闘機となった。
航続距離や推力重量比の不足を指摘する声もあるが、当初からスパローの運用が可能であり、ストレーキや小後退角の主翼などからなる空力パッケージのおかげで優秀な制空戦闘能力を有し、C型からはAMRAAMやマーベリックの搭載も可能となるなど、事実上F-14やA-6の後継機といえる機体にもなりつつある。
米海兵隊のほか、オーストラリア、スペイン、スイス等でも採用され、F-16ほどではないにせよ、マルチロールファイターとして確固たる地位を築いている。
アイコンは、米海兵隊VMFA-323所属のC型。

(2003/12/25更新)
マクダネルダグラスF/A-18ホーネット ブルーエンジェルス仕様
1974 年から 12 年間使われた前任 A-4 スカイホークに代わり、ブルーエンジェルス創立 40 周年にあたる 1986 年からブルーエンジェルスに採用された。機首銃を降ろしてスモーク発生装置を搭載している以外、実戦仕様機と殆ど同仕様でアクロバットに用いられているという。

(2004/2/24更新)
(2004/3/28更新)

(2004/4/1更新)
ダグラス SBD-5 ドーントレス(Dauntless)
1939 年に「偵察爆撃機(Scout Bomber)として開発された艦上急降下爆撃機。基礎設計をノースロップ BT-1 練習機に倣っており、同じ祖先を持つ AT-6 テキサンによく似た機体レイアウトを持つ。性能的には凡庸で速度は固定脚のライバル 99 艦爆と大差なく、また構造上主翼折りたたみができないという艦載機として致命的な問題を抱えていたが、後継機のカーチス SB2C ヘルダイバーが欠陥機寸前の問題作だったため、1944 年 7 月まで生産が続けられていた。
カタログ性能では凡庸な本機だが、頑丈で飛ばしやすく爆撃精度の高いことでは定評があり、1942 年 6 月のミッドウェイ海戦で日本空母四隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を撃沈したことで名機の誉れ高く、SBD をもじって「Slow But Deadly」の渾名が付けられた。
SBD-5 は 1942 年から登場したモデルで、全生産数のうち約半分(5936 機中 2409 機)を占める主力生産型。ライト R-1820-60 空冷星型 9 気筒 1200hp、最高速度 406Km/h、航続距離 2085Km、武装 12.7mm 固定銃 x 2+7.62mm 旋回銃 x 2、454Kg 爆弾 x 1(胴体) + 45Kg 爆弾 x 2(翼下)。

(2002/11/23更新)
カーチス SB2C ヘルダイバー(Helldiver)
ダグラス SBD ドーントレスの後継機として 1938 年に発注された機体。試作機は 40 年 12 月に初飛行したが、空母運用上の利便をはかった外形寸法に関する海軍要求のため著しい短胴となり安定性・操縦性に問題多発、量産は 42 年 7 月にまで持ち越された。実戦配備後も事故続出で現場の評判は芳しくなく、「野獣(Beast)」「二線級のクソッたれ(Son of a Bitch 2nd Class)」と陰口を叩かれたが、持ち前の重武装を生かして太平洋戦線ではそれなりに活躍した。主生産型(1985 機)SB2C-4 の仕様はライト R-2600-20 空冷星型 14 気筒1900hp、最高速度 475Km/h、航続距離 1875Km、武装 20mm 主翼銃 x 2 + 7.62mm 旋回銃 x 2、爆弾・ロケット弾など 900Kg。

(2002/8/31更新)
(2003/2/8更新)
グラマン TBF アベンジャー(Avenger)
ダグラス TBD デバステイターの後継機として 1940 年 4 月に発注された機体。試作機は 41 年 8 月に初飛行し、量産機は 42 年 1 月から出荷された。グラマン社の生産が戦闘機(F6F)に注力された後はジェネラルモーターズ社でも TBM の呼称で量産され、終戦までに TBF/TBM 合わせて 9836 機が量産されている。アベンジャーは大柄な機体ながら扱い易く汎用性に富んだ機体で、独特の主翼折りたたみ機構から「七面鳥(Turkey)」の愛称で呼ばれた。終戦後は電子作戦機や空中給油機にも使用され、民間に払い下げられた機体は森林消火機として 1990 年代まで現役だった。TBM-3 の仕様はライト R-2600-20 空冷星型 14 気筒1900hp、最高速度 444Km/h、航続距離 1610Km、武装 12.7mm 主翼銃 x 2 + 12.7mm 旋回銃(後上方) + 7.62mm 旋回銃(後下方)、爆弾・ロケット弾など 900Kg。

(2003/2/20更新)
TBM-3R
アヴェンジャー艦上輸送機。
銃塔を撤去し並列複座、爆弾倉に二座、パイロットを含めて7名搭乗可能。
貨物を爆弾倉内のアルミ枠ワイヤーメッシュ製バスケットに収納する。

(2002/10/27更新)
CURTISS XBTC
雷撃と爆撃を兼ねる単座艦攻、BT計画にカーチスが提出したのがこれ。視界を良くする為、エンジンカウル上面を平らにしてあるのが特徴。しかし、競争相手がダグラス BT2D スカイレイダーでは敵う訳なく、未練がましく通常の機体としたXBT2Cも提出するも、いずれも不採用となった。

(2002/10/27更新)
DOUGLAS XTB2D Skypirate
当時建造中であったミッドウェイ級空母に合わせて開発された最強のレシプロ艦攻。性能は素晴らしかったが戦争終結により量産はされなかった。降着装置は3脚式を採用しているのが特徴。

(2002/11/8更新)
DOUGLAS A2D Skyshark
ターボプロップによる高性能化でスカイレーダーの後継を目指した艦上戦闘攻撃機。しかし、朝鮮戦争勃発による量産計画もトラブル続出によりキャンセルされてしまった。
同様なワイバーンが問題を抱えながらも量産されたのに較べると不遇な機体。

(2002/9/16更新)
Rockwell(North・American) A-5A「Vigilante」
第二次大戦後、米海軍は空軍との間で核戦略、露骨な表現をするなら発言力をめぐって争っていました。
当初、海軍は核運用能力を持たず発言力の低下は必至な状況にありましたが、朝鮮戦争における海軍航空隊の活躍が基となって一定以上の発言力を維持する事に成功します。
この後、海軍は当時主流だった高空高速侵攻を目的とした超音速核攻撃機の開発を推し進めます。
その結果、米海軍期待の超新星として開発されたのがこのA-5A「Vigilante」です。
しかし、SLBMの出現によって海軍の核戦略が弾道ミサイル中心に変更されたため、55機という少数生産に終ってしまいました。
A-5はチタン合金製の構造材、フライ・バイ・ワイヤの採用、引き込み式の受油プローブの装備といった特徴に加えて、2基のエンジンの間にトンネルを設け増加燃料タンクと核爆弾を搭載する構造をもっていました。
なお、これらの特徴は、偏に高度1万3500mをマッハ2で巡航することを想定し、空気抵抗の削減と軽量化をした結果だったようです。
アイコンのカラーリングはレンジャー搭載のRVAH-5のモノ(機首のNoは適当)を流用(A-5Aの実際のカラーリングは知りません)。

(2002/9/16更新)
Rockwell(North・American) RA-5C「Vigilante」
SLBMの出現によって職にあぶれたA-5Aの再就職先は艦上偵察機の道でした。
当機は高性能な偵察機材を持つ反面、その稼働率が低かったといわれています。
背中と腹が出たのは中年太りではなく、機内燃料タンクの増設とマルチセンサーの装備を行った結果です。
カラーリングはRVAH-6のモノ(機首のNoは適当)を流用。

(2004/2/24更新)
LTV A-7E コルセアII(Corsair II)
ダグラス A-4 スカイホークの後継機として 1963 年に発注された軽艦載攻撃機。LTV(Ling-Temco-Vought)社は F-8 クルセイダーの空力/構造設計をベースにした社内呼称 V-463 を提案、A-7A として制式採用され 65 年から量産が開始された。全体のプロポーションは F-8 に似ているが浅い後退角と短い胴体によってズングリした印象となり、F-8 の特徴だった可変取り付け角機構は省略されている。
A-7 は頑丈で信頼性が高いうえ、限定的な空戦能力を持つほど運動性が良く、主翼 6 + 胴体 2 = 8 箇所のハードポイントによって豊富な対地兵装を搭載可能で、燃費の良いターボファンエンジンにより長い航続距離/航続時間を実現していた。折から始まったベトナム戦争ではこの特性を買われて危険な低空対地任務に投入されたが、損害率は驚くほど低かった(合計 12928 ソーティーで未帰還 4、平均 0.03%)。
A-7E はエンジンをアリソン TF41(R&R スペイのライセンス生産型)に換装したパワーアップ型。1969 年から 535 機が生産され、1994 年まで 25 年間にわたり艦隊攻撃力の一翼を担った。アイコンは空母サラトガの VA-105 'Gunslingers' 所属機。
アリソン TF41-A 推力 6577Kg、最高速度 1110Km/h、航続距離 4950Km(増槽使用時)、武装 M61A1 20mm 機銃x1(装弾数 1000 発)、AIM-9 空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 6.8t。

(2003/8/18更新)
DOUGLAS C-117D
たった3機しか売れなかったスーパー DC-3 に舞い下りた救いの女神。空軍に転売された YC-129 は米海軍の興味を引き、1951 年に既存の R4D(C-47 の海軍呼称)-5 および -6 のアップグレードという名目で「R4D-8」の型番で 100 機が生産された。のち 1962 年に陸海軍呼称統一により C-117D(C-117A〜C は DC-3 系の高官輸送機)の改称し、一部は空軍でも使われた。
しかし民間も空軍も見放した機体を海軍が 100 機も、しかも 25% しか共通部品のない機体を「アップグレード」と称して生産するのは如何にも胡散臭い。大枚かけて作った飛行機が売れずに慌てたダグラスが何らかの政治コネクションで海軍に発注させ、議会の追求を免れるため「既存機の改良」という名目を付けたのではないか…と勘繰ってしまう。
怪しげな出生の秘密はともかく、C-117D は DC-3 の特長を受け継いだ頑丈で飛ばしやすい機体で乗員には好評だったという。アイコンは米海軍所属機の塗装。

(2004/4/20更新)
グラマン S-2G トラッカー(Tracker)
1950 年に開発された艦載対潜哨戒機。グラマンらしい質実剛健なレシプロ双発機で、肩翼式の主翼はナセルの外側から上方へ左右食い違いに折り畳まれる。当初 S2F の呼称が与えられていたため、乗員からは S-two-F をもじってストゥーフ(Stoof)の愛称で呼ばれた。主生産型は S-2A(755 機)、S-2D(100 機)、S-2E(252 機)に分かれるが、他に輸送機型や練習機型、電子作戦型などの改造型が少数存在する。S-2G は S-2E の電子機器をアップグレードしたもので、米海軍で使用された最後のモデル。
S-2 は合計 1342 機が生産され、アメリカだけでなく日本、カナダ、イタリアなど 10 ヶ国以上にも輸出された。米海軍では 1953 年から 77 年まで対潜哨戒機の主力として活躍し、一線を引いた後も輸送・練習機として 86 年まで現役にあった。軍を退役した機体も多くが火災消火機に改造され引き続き活躍している。
ライト R-1820-82A 空冷 9 気筒 1525hp x 2、最高速度 389Km/h、航続距離 1600Km、武装ロケット弾ポッド x 6(主翼下面)、Mk.46 対潜魚雷 x 2 または Mk.101 核爆雷 x 1、乗員 4。アイコンは空母キティホーク搭載の VS-33 所属機。

(2006/6/10更新)
グラマンC-2グレイハウンド(1964)
 レシプロ双発の旧式機で能力不足が目立ってもいたC-1トレイダーの後継機として開発された艦上輸送機。すでに実績のあったE-2早期警戒機の翼とエンジンを流用し、人員なら39名、貨物なら4.5トンまでを登載可能な大型胴体を組み合わせている。貨物室後端にはローディングランプつきの大型ドアが設けられており、F-4やF-14のエンジンやCH-53のローターブレードといった長尺貨物の輸送も可能である。
 当初の生産数は1967年までの19機だが、その後C-1の退役などに伴う艦上輸送機の不足を補うため、1985年から1989年にかけて39機が追加生産されている。追加生産型ではエンジンや航法装置が強化され、貨物室の防音や貨物保持カゴも改良されたが、形式名はC-2Aのままとされている。E-2同様、特段の性能不足も適当な後継機もないことから、少なくとも2015までは現役にとどまるとみられている。

(2006/6/10更新)
グラマンE-2ホークアイ(1960)
 1957年に米海軍が提示した空中戦術情報システム搭載艦上AEW機の仕様に基づき作られた機体。後部胴体上に360°回転式レドームを登載し、高度9100〜11000mを飛行することにより、半径最大600kmに及ぶ空域、殊に低空侵攻してくる航空機やミサイルの探知およびその迎撃管制を可能とする。航空機としても、高アスペクト比の高翼、低燃費のターボプロップエンジン、4分割された垂直尾翼、二重ヒンジ式方向舵など、長時間の航続性能とレーダーの架台として必要な姿勢・進路保持能力に徹した設計となっている。
 実用化後の改良はもっぱら登載電子装置の更新によるが、レーダーの能力向上はもとより、中央コンピュータのデジタル化(B型)、受動型目標探知システムの追加(C型)、統合戦術情報分配システム(C型グループII)等を積み重ねて初期型とは桁違いの目標探知・追跡・情報管理能力を有するに至っている。1998年までに米海軍向け約240機が量産されたほか、日本、イスラエル、フランス等に40機弱が輸出されており、2020年頃まで現役にとどまるものとみられている。
 アイコンは、VAW-120所属の最新能力向上型ホークアイ2000。高効率・低騒音型のNP2000プロペラを装備しているのが外見上の特徴。

(2005/6/20更新)
グラマン JF-2 ダック
 水陸両用の多目的飛行艇。その原型はローニング社の XO2L-1。ロ社が航空機製造を停止したため、ローニングから独立したグラマン社が XO2L-1 を再設計し、JF として生産した。海軍、海兵隊、沿岸警備隊、民間などで広く活躍。1933年初飛行。沿岸警備隊用の JF-2 はライト R-1820-102 750hp 装備。最大速度 282 km/h。

(2005/6/20更新)
グラマン J2F-5 ダック
 JF の発展型。1936年初飛行。人員輸送、救難、偵察、標的曳航、消防、南極観測など数多くの任務で使用された。米空軍でも OA-12 として採用。最終型の J2F-6 はコロンビア社で生産されている。J2F-5 はライト R-1820-50 850hp 装備。最大速度 302km/h。

(2002/12/12更新)
CURTISS SO3C Seamew
旧式化した SOC シーガル水偵を置換するため 1937 年に発注された機体。前方固定銃である程度の空戦もでき、500 ポンド爆弾も搭載して爆撃もでき、パーツ交換で陸上機にもなり…という虫の良い要求と、カーチスの駄目っぽい設計センスと、欠陥エンジン・レンジャー V-770(空冷倒立 V12 600hp)の低信頼性&出力不足が合わさって駄作機となった。794 機が生産されたが、約半数はラジコン標的機に改造された。最高速度 277Km/h、航続距離 1851Km、武装前方 7.62mm 機銃×1+旋回 7.62(または 12.7mm)機銃×1、爆弾最大 250Kg。

(2002/10/17更新)
コンソリデーテッド PBY-5A カタリナ(Consolidated PBY Catalina)
1933 年にマーチン P3M との競作に勝って採用された双発中型飛行艇。第二次大戦時には既に旧式化していたが、突出した頑丈さと双発機にしては異例に長い航続距離を評価され全戦線で活躍。哨戒・対潜・救助などの地味だが重要な任務をこなした他、爆弾や魚雷を積んで主に夜間の船団攻撃も行った。PBY-5A は 1939 年から 1003 機(改良型 PBY-6A を含む)が生産された水陸両用型で、海軍を退役後も沿岸警備隊の救難機や森林消火機として長く使われた。
R-1830-92 空冷 14 気筒 1200hp x 2、最高速度 314Km/h、航続距離 5000Km、武装 7.62mm 機銃 x 2(機首および腹部) + 12.7mm 機銃 x 2(後部側面銃座)、爆弾最大 1t。総生産数 3281 機。

(2002/12/20更新)
Martin PBM マリナー(Mariner)
旧式化しつつある PBY カタリナの後継機として 1937 年に発注され、1939 年に初飛行した双発飛行艇。大別してライト R-2600 1700hp を装備した PBM-3 と P&W R-2800 2000hp に換装した PBM-5 の2種類が存在し、両者合わせて約 1300 機が生産された。なお、最後期型の PBM-5A は艇体側面に引き込み脚を持つ水陸両用機となっている。アイコンは 4翅プロペラ付き R-2600-22 を搭載した PBM-3D のレドーム付き仕様。最高速度 320Km/h、航続距離 4400Km、武装 12.7mm 旋回機銃×8(機首、背面、尾部の連装銃座+胴体左右の単装銃)、爆弾/爆雷最大 1800Kg または MK.13 魚雷×2。爆弾はエンジンナセル後部の爆弾倉に、魚雷はナセル内舷の主翼下面に搭載する。

(2002/10/19更新)
MARTIN P6M Seamaster
アメリカが唯一開発したジェット飛行艇で、僅かですが音速も突破。

(2006/02/15更新)
(2006/07/27更新)
ロッキード EP-3E Aries2
米海軍の電子偵察機。特徴あるお椀型ドームを降ろして、絶賛偵察中の姿。

(2006/04/29更新)
米海軍 NP-3D
 NP-3Dは米海軍の装備品試験や各種実験・研究の支援をする、海上自衛隊で言えば装備品試験評価機UP-3Cに当たる機体。であるが、色々な目的の機種を寄せ集めてNP-3Dと名乗っているため ややこしい。ひとつの機体で何でもこなすわけでなく 各機毎に各々専門の分野・装備を持っている。
 このオレンジのNP-3Dは米海軍研究試験所(NRL)のもの。NRL所属機はオレンジ塗り分けの機体が特徴。また、側面上部にNAVAL RESEARCH LABORATORYと大書きされている。オレンジの塗り分けは2種あり これは旧色、また一般のグレーとホワイトの2色塗りの物もある。
 描いたのは おとなしい姿だが、試験の内容によっては大っきなレドームを積んだり、パイロンになにやら沢山ぶら下げたりと 姿が変わる。星条旗がいい加減でも気にしない事。

(2006/04/29更新)
米海軍 NP-3D EATS
 垂直尾翼と一体化した巨大なアンテナが特徴のこの機体は、宇宙ロケットやミサイルの発射実験の際の支援に使われます。試験領域拡張システム(EATS)を搭載し、ミサイルから送られてくるテレメーター信号(機器の動作状況を知らせる信号)を受信、地上基地へ中継します。中継する事により試験の領域を拡げられるわけです。
 ビューロナンバー150499(機首番号337)、150521(機首番号341)、150522(機首番号340)の3機が改造されました。各機・時期によってアンテナ等細部が異なります。描いたのは340号機。名前はややこしく これもNP-3D。ここまで改造しちゃうと別の名前を名乗った方がいいんじゃないか?と思うが・・・。一応識別のためNP-3D EATSと名乗っています。
 ちなみに、時期により所属部隊は変化しています。

(2006/09/05更新)
NOAA WP-3D
WP-3Dは、米海洋大気局(NOAA)が ハリケーン観測等に用いている機体です。お腹のCバンドレーダー、お尻のXバンドレーダーの他 各種観測機器を備えており、沢山開けられた観測窓も特徴です。
必要によりパイロン等に採氷装置も取付けハリケーンに突入してデータを収集するのが お仕事です。ビューロナンバー159773、159875の2機が存在します。
時代につれ 観測機器の出っ張りが増えていき、また、塗装も少しずつ変化しています。ドア横の撃墜マークならぬ“ハリケーン突撃マーク”が目に付きますが、細部のマーキング類も軍用のP-3とは微妙に違って 面白いです。

(2006/09/05更新)
米国税関 P-3B Slicks
米国税関(USCS→ICE)が おもに麻薬密輸機取締りに使っている機体。高性能レーダーと赤外線暗視装置を装備し、AEW&C機で見つけた不審機を追いかける。米国には不法滑走路が多数あるため、このような部隊が必要なのだ。P-3AとP-3Bから8機改造。部隊では「スリック」と呼んでいる。描いたのは 米国関税庁(USCS)時代 末期の塗装。

(2006/09/05更新)
米国税関 P-3 AEW&C Domes
米国税関(USCS→ICE)が おもに麻薬密輸機取締りに使っている機体。E-2 ホークアイ早期警戒機と同じロートドームを備え 不審機を探し出す。P-3Bから8機改造。部隊では「ドーム」と呼んでいる。描いたのは 国土安全保障省・入国税関執行部(ICE、2003年11月改組)に移行後の塗装。

(2004/2/24更新)
ノースアメリカン T-28C トロージャン(Trojan)
米海軍も T-28 の優れた特性に注目、エンジンをパワーアップした T-28B を 1954 年に発注し 489 機が生産された。T-28C は機体を強化し着艦フックを取り付けた母艦用練習機で、1955 年から 57 年まで 299 機が生産された。T-28C の仕様はライト R-1820-86 1425hp、最高速度 557Km/h、航続距離 1460Km、乗員2名。

(2003/5/13更新)
ダグラス D-558-1 スカイストリーク(Douglas D-558-1 Skystreak)
米海軍とNACAの指導の下、ダグラス社が開発した超音速ジェット研究機。
円断面の胴体と薄い直線翼を組み合わせたシンプルな外見をしている。
1947年5月に初飛行、同年8月20日に1031km/h、同25日には1047km/hの世界速度記録を樹立している。

(2002/10/15更新)
Rockwell XFV-12
VTOL戦闘機を目指した機体、製造に既存の機体を流用し、コストを抑えるはずだったがそれ以前の問題だった。
機首・前輪・主脚・キャノピーをA-4から、インテークから胴体にかけてF-4からの流用。
完成時には豪華な式典まで上げ、いざ飛行試験となったものの、少々の改良では何ともならないほどに推力が不足し飛べずに計画終了。
全幅8.69m 全長13.39m 自重6,259kg 最大離陸重量8,845kg 最大速度0km 航続距離0km

(2006/3/04更新)
シコルスキーS-55(1949)
 英仏日でのライセンス生産を含めて約1700機が製造されて40カ国以上で使用された、1950年代の西側を代表するヘリコプター。機首に空冷星型エンジンを斜めに登載してコクピット後方のギアボックスまでドライブシャフトで動力を伝えるレイアウトにより、従来機種ではエンジンに占領されていた重心付近の空間を乗客10名、担架8床あるいは5000ポンドまでの貨物を搭載できるキャビンとした結果、貨客輸送、捜索救難、対潜哨戒、農薬散布など、現代に至るヘリコプターの用途のほとんどを開拓する多用途機となった。アンダーパワーで操縦がやや難しい面があったとはいえ、胴体右側面の大型積載用ドアや観音開き式のエンジンルーム、油圧ホイストやフロートなどの豊富なオプションにより実用性は非常に高い。民間航空輸送事業や海難救助に活躍したことで一般社会における印象も強く、『きかんしゃトーマス』に登場する「ハロルド」のモデルにもなっている。
 アイコンは、米国沿岸警備隊で使われた機体。

(2005/5/31更新)
シコルスキーSH-34(1953)
1950年6月に出された米海軍新型対潜ヘリコプターの要求仕様に応えて開発された機体(社内名称S-58)。機首に斜め置きした空冷星型エンジン(ライトR-1820)とコクピット後方のギアボックスとの間を延長軸で結ぶ構成としてローター直下前後に広い搭載スペースを確保する設計は前作S-55譲りだが、エンジン出力で2.5倍、総重量で1.8倍と大型化され、また、胴体とテイルブームを一体化することで対潜機器と操作員のための十分なスペースを確保している。このため、開発中から各方面の注目を集め、対潜任務のほか、捜索救難、空挺作戦、軍民における輸送などにも用いられ、1970年までに各型合計約2300機の生産数を誇るベストセラーとなり、使用国数も20を超える。
 アイコンは、1962年ごろ空母レイクシャンブレインに搭載されていたSH-34J(旧称HSS-1N)。

(2005/5/31更新)
シコルスキーUH-34D(1957)
S-58中型ヘリコプターの米海兵隊型(旧称HUS-1)。武装兵員12名を内陸部まで高速で投入できる本機の配備により、海兵隊は真の意味で対象地域を選ばぬ上陸・侵攻能力を得ることとなった。技術的には1960年代初頭からのヘリコプターのタービン動力化に遅れた存在ではあったが、UH-1初期型の性能不足とCH-46の配備の遅れから、ベトナム戦争前半における海兵隊の空輸能力の中核を担うこととなった。
 アイコンは、HMM-266所属の強襲揚陸艦オキナワ搭載機。

(2003/2/20更新)
V-22 オスプレイ
多用途ティルトローター機。
垂直離陸時ペイロード、約4,500kg。
滑走離陸時ペイロード、約8,000kg。