自説立証のためDVDドライブまで買ってしまった話
この写真は「画報 躍進之日本」昭和16年3月1日号に掲載された、防空演習における一コマである。頭巾、マスクに身を固め、腰には新兵器の消火弾を巻いている。防空演習の写真と云うと、とかく防空頭巾にモンペ姿でバケツリレー、のイメージが強いのであるが、このいでたちは(実際の効果はともかく)なかなか勇ましい。
この一種異様な集団を見ているうちに「これってまるで宇宙人だよなあ」と云う考えが頭をよぎると、伊福部 昭のマーチと、東宝映画のマークがひらめいて、今回のネタとなるのである。
(このロゴを使いたいがためにDVDを買ったわけではない)
思い浮かべてしまったのが、この1957年12月公開の東宝映画「地球防衛軍」に登場する宇宙人、「怪遊星人(ミステリアン)」だったのである。
これでネタ一本出来たも同然、と思ったまでは良かったのだが、実はミステリアンの写真が手元に無いことに気が付いた。これじゃあネタにならない! 仕方がないので、「地球防衛軍」のDVDと、DVDドライブまで買ってしまったのである。こうなってしまうと、先の防空装束と、ミステリアンが本当に似ているかどうかを絶対に読者諸氏にも判断していただかないわけにはいかないのである。
と云うわけで、実際のミステリアンの姿をお目にかける。
これが怪遊星人(ミステリアン)だ! 本当は<ミステリアン>とルビを振りたいのだが、技術的事情で我慢している。まったくのうり二つ、と云うのはさすがの私もためらうが、「似ている」と耳元で百回くらいささやけば、そんな気もしてこようと云うものである。いかにも50年前の21世紀と云う素敵なデザインである。
このDVD(云うまでもなく東宝から定価6000円で絶賛発売中だ、さア君も買うんだ!)、「さよならジュピター」等を手がけた川北 紘一氏と、平成「ガメラ」の樋口 真嗣氏と云う二大特撮監督のオーディオ・コメンタリーも収録されており、この中でミステリアンの被りモノはダルマみたいだ、と云う衝撃の発言がなされているのだが、そう云われるとたしかにダルマに見えてくる。
ミステリアン=防空装束説をブチ上げようとしていたにもかかわらず、いつのまにかミステリアン=ダルマ説に洗脳されてしまった自分が情けない(笑)…。
しかし腰にある謎の装備や、肩の飾り?はやっぱり防空装束っぽいのである。
*ちなみに小松崎 茂によるミステリアン(最初は「ミステリーマン」と云うネーミングである)のデザインは、高度な知性を持つ宇宙人の伝統とも云える、人間より一回り大きな頭をもったもので、それをカモフラージュするためにヘルメットを被らせるものであった。腰には生殖器を保護する腰巻(銭湯でタオルを腰に巻いたイメージ)を着けており、映画のものとは大部違う。
こうやって並べてみると、「防空演習を視察するエライ人」に見えてきませんか?
さて、この「地球防衛軍」について少し解説すると、昭和32(1957)年12月公開の映画で、「ゴジラ、ラドンを凌ぐ空想科学巨編」映画である。特撮ファンには空中戦艦?アルファ号、元祖パラボラ超兵器マーカライトファーブ、ロボットモゲラで有名な作品である。監督:本多 猪四郎、特技監督:円谷 英二、音楽:伊福部 昭と云う、ある特定の嗜好者にはたまらない組み合わせである。
お話は、富士の裾野を占拠して半径3キロの土地割譲と、放射線による生殖能力低下のために、地球女性との自由婚姻を要求する(と云いながら、着々と妙齢の女性達を拉致監禁していくあたりが悪の宇宙人である)ミステリアンと、地球防衛軍との戦いを描いたもので、日本SF映画の古典的名作として、高い評価を受けている。
世間では日本人がシネスコスクリーンに描き出した未来超兵器絵巻、と云う見方が定着されているのだが、もう少し突っ込んでみると、日本製SF映画・TVの基本フォーマットである
科学者指導主義
超兵器決戦主義
国際協調路線(ただしリーダーは日本人科学者)
のはしりの一つであるとも云える。
戦後日本のSF映画における科学者の位置と、平和を守るための暴力装置としての国際機関への期待の大きさについては、「キネマ旬報別冊 動画王VOL4 侵略SF特集」で、花山外吉氏が解説されているので、ここでは細かくふれないが、航空機や戦車でかなわない敵に対し、科学者が開発した超兵器で一発大逆転を狙う図式と、有望といわれつつも戦果をあげることのできなかった新兵器を投入することで、米軍を撃退すると云うパターンは、実は同じものだったりするのである。
また、科学者が宇宙戦争を指導する、という構造は、ウラを返せば軍部による戦争指導〜敗戦に対する、科学陣の意趣返しと見れないこともない。
敗戦の意趣返し映画、と云う視点で、この「地球防衛軍」を見だすと、あきらかにこれは1945年に起こるはずだった、本土決戦を描いたものであると云うことがわかってしまうのである。
理由1、すでに敵は本土上陸をはたしている。
ここが上手い。通常の地球侵略バナシであれば、宇宙人は空からやってくるものである。防衛戦闘を描くのが侵略モノの王道であるから、宇宙人がやってくるところから始めると、地上に基地を作ってしまう前に、円盤による都市破壊と、防衛軍との空中戦という見せ場がきてしまう。つまりインベーダーゲーム同様、地上を押さえられたら地球人は負けになってしまうのである。
ところが、この映画ではすでに地上に(実際は地下なのだが、ずっと潜ったままでは見せ場が無いので、地上に現れるようになっている)基地を設営した宇宙人に対して、地上と空から攻撃して撃退すると云う構造を持っているのである。
理由2、国土を保全すれば終わりである。
怪遊星人(ミステリアンとルビをふるのが正しい姿であることは云うまでもない)を殲滅させていない。これも凄い事である。大東亜戦争中、帝国は国民に対して、日本か米英どちらかが滅びるまで戦争は終わらない、などと云っていたにもかかわらず、実際のところ日本人にそこまでの蛮行を働く意志があったとはとても思えない。
本土決戦を行おうとしていた事情自体、一度相手を痛い目にあわせたところで停戦しよう、と云うところが戦争指導者のホンネであった。よって、宇宙人に対しても、とりあえず日本から追い払ってしまっておけば、敵の宇宙ステーションが健在であっても、万々歳なのである。
ここの詰めの甘さがあるから、侵略者は日本を毎週のように襲ってくるようになったのではないだろうか…。
以上の理由によって、「地球防衛軍」が、実は本土決戦映画であることがおわかりいただけたはずなのだが、軍事趣味的に見ると興味深いものを持っているのである。
1.戦車は役たたずである、と云う思想
陸上自衛隊が協力しているにもかかわらず、彼等の手柄はロボット・モゲラ一台の撃破だけである。最初の攻防で、M4シャーマン、M24チャーフィーが登場しているのだが、徹底的に痛めつけられてしまい、戦車隊にはまったくいいところがない。二種類の戦車が出てくるにもかかわらず、M4だけが破壊されているのは、絶対に意趣返しであると、この際云いきってしまおう!
2.空中戦艦も無敵ではない
地球防衛軍が組織され、巨大空中戦艦アルファ号、ベータ号が戦場に現れるのであるが、最初の攻撃では地上の監視壕を崩壊させるだけで、ミステリアンに対してはほとんど効力をあげていない。そればかりではなく、ベータ号はミステリアンの怪光線であっさりと撃破されてしまうのである。初めてこの映画を観た時、大きなショックを受けたのを覚えている。
3.得意の逐次投入
「兵力の逐次投入」と云えば、帝国陸海軍の得意技である(笑)。この映画においても、新兵器電子砲の第二ベータ号への取り付けが完了しないまま、敵基地の拡充防止の名目で総攻撃に突入してしまうのである。まったく困ったものである(それにしても何故第二ベータ号なのだろう? 順番でいったら絶対ガンマ号になるはずなのだが…)。
4.情報軽視とヘンなファアプレイ精神
この映画を続けて3回以上見ると、ようやく湧いてくる疑問である(つまりそれを感じさせないほど、良くできた映画ってことだ)。ミステリアンは、富士の裾野にドーム型基地を作り上げ、そこに立て籠もっているのであるが、ちゃんと円盤も持っている。円盤は戦闘機を撃破するくらいの攻撃能力はある。にもかかわらず、迫り来るマーカライトファーブを、円盤で攻撃しない。それ以前にそれを製造している現場にも来ない。地球側はミステリアン基地の拡充を阻止しようとしているにもかかわらずである。
帝国陸海軍を批判するにあたり、敵輸送船を叩かなかったのが悪い、真珠湾の石油タンクをつぶしておくべきだった、などと云う事が良く云われるが、日本軍同様、そう突っ込まれても仕方の無いはなしである。もっとも映画製作上の事情の方が大きいのであろう事は云うまでもあるまい(このへんは書いている本人もわかっております。文章上の事情と思っていただければ結構)。
5.軍事科学者優遇
この映画、大きく分けると3種類の科学者が登場する。最初は純粋な科学の徒としての科学者。つまり志村喬、佐原健二、平田昭彦らが演じるような、リーダー格として活躍するけれど、戦闘には何も貢献しないタイプ(平田昭彦はミステリアンドームを内部から破壊すると云う、最大級の功績をあげているが、科学者としての活動ではない)。2番目は超兵器を開発する民間の科学者。敵の熱線を反射する新兵器、マーカライトファーブを担当。最後が軍所属の技官。こちらは電子砲を開発している。
映画の中での扱いは、主役のためか、第1グループが派手であるが、注目は第3の科学者である。軍所属の科学者が大きな成果をあげる、と云うのも、先の敗戦の反省があるものと思われる。いわゆるマッドサイエンティスト型ではなく、組織に属する、制服を着た人物が優遇されているのである。
この映画は、ある意味では日本軍対日本軍の(笑)本土決戦映画なのであるが、ビジュアル的には昭和初期から語られてきた未来戦争を具現化したものである、と云う一面も持っている。
それを代表するのが空中戦艦アルファ、ベータ号であることは云うまでもないだろう。第二次大戦前、将来の軍用機のあるべき姿をめぐり、民間でも飛行機ファンが議論を戦わせていた事は「兵器生活」に詳しいが(笑)、夢想されたものとして大型火砲を搭載した「空中軍艦」「飛行軍艦」と云うべきものがある。つまり、防御力を大きくするために厚い装甲をめぐらし、相手の装甲版を打ち破るために大口径の火砲を搭載し、敵の首都までひとっ飛びするために、将来の軍用機は巨大なモノになるだろう、と云う構想である。まあ「未来少年コナン」に登場した「ギガント」や、「少年倶楽部」の附録を思い浮かべていただければよろしい。
そんな重たいモノをどうやって飛ばせるんだ?と云う文字通り物理的な理由で、未だに(この先も)空中戦艦は実現していないのであるが、そこは映画の素晴らしさで、全長何百メートルもある物体が空を飛び回るのである。
怪遊星人攻撃に出撃する巨大空中戦艦の勇姿!
そして「殺人光線」あるいは「怪力線」と称された怪光線! 放電管を走る稲妻のような光線がシネスコスクリーンを走り回る姿は、まさに古き良き「未来戦争絵図」である。怪光線を受けた相手兵器がぐにゃりと曲がってしまうのも、実は戦前から伝えられたイメージなのである。
「陸軍大写真帖」(国防知識協会 昭和8年)に掲載された<殺人光線の威力>
つまり、映画「地球防衛軍」とは、宇宙戦争に名を借りた「夢の本土決戦映画」であり、「夢の未来戦争映画」なのであった。そう云う意味で、戦中の国防科学雑誌「機械化」の口絵や、戦後は「地球SOS」等の絵物語で人気を博した小松崎 茂をメカデザインに起用したのは、歴史的必然なのである。