初心に還るか90000おまけ
社会的変化に際し、商売人がとるべき道は2つある。時局に乗るか、背を向けるかである。時局の波を乗り切ったモノは、あらたな<標準>となるし、その大波に流されず市場に留まり続けたものが<ホンモノ>と珍重される事は云うまでも無い。
戦時下の市民生活史の語り口の一つとして、<町中の商品にも戦時色が…>と云うものがあるが、それは国民服であり、生活必需品の代用品であったり、今も市場に流通する商品の広告だったりする。
今回ご紹介するのは、時局とともに現れ、時局の中に消えていった愛すべき小品たちである。例によって当時の雑誌記事をお読みいただきたい。「国際写真新聞」昭和12年10月5日号に掲載されたものである。
非常時局を反映したコンパクトと玩具
”書簡箋にも戦争気分”
非常時局下の今日にありましては銃後の国民の意気を示すべく、流行界のあちらにもこちらにも非常時の反映を見せていますが、さてその意気は高くとも、まだ御婦人の衣装や装身具にまでは、材料や染料の関係上、容易に表れて来ません。然し御婦人に片時も無くてはならぬコンパクトには既に銃後らしいものが出来ました。
例えばコンパクトの蓋に「星」のマークを施した国防色のそれで、非常時に際し緊張しきった軍国婦人の心意気を表現したものであります。それからコンパクトと御親戚筋の粉白粉入の蓋も、国防色で塗りつぶされ、それに「星」の印とか、ナチスの印を施したり、鉄かぶと型をしたものなど、今時の御婦人に歓迎されるとのことです。
国防色のコンパクトと白粉入
さて男子の方々には、御書斎の机上を飾る、文鎮とか、インクスタンドなどというものに早くも戦争気分が表されています。軍艦長門や潜水艦の文鎮に海国日本を偲ばせ、ピストルや鉄砲型のインクスタンドに皇軍の威力を想わせるというところでしょうか。
その他、レターペーパーの表紙に北平や上海の地図が書込まれてあるのなど、ナンと素晴らしい非常時熱でありましょう。そして夕陽に照らされた塹壕の絵に「赤い夕陽」の歌を折りこんだレターペーパー等々。
だがナンといっても、戦争気分の縮図は玩具でありましょう。子供を喜ばせる玩具ほど早く時代を反映させるものはありません。例えば子供達が戦争ごっこに用いる「防毒マスク」でも玩具の領域を越えるほど進歩したものが出来ています。またゼンマイ発射飛行機やゼンマイ発射野砲なども実に見事な装置で、私共大人までが実戦的興味に引込まれるほどの出来栄えです。
その他、装甲自動車や軍刀、さては機関銃、又は列車砲やゼンマイ仕掛のタンク等に至るまで、玩具の世界は時局をただちに反映し、戦争気分をフンダンに発散させています。(銀座・三越調べ)
玩具の防毒マスク
<軍艦型の文鎮>は、割と古道具屋のガラスケースの中で見かける物件である。もっとも、現代の精密なプラモデルを見慣れた目では、長門なのか三笠なのか判別がつきかねるシロモノに見えるのは仕方のないところである。そう云う意味で、記事中にある<玩具の領域を越える>と云う言葉は、多少割り引いておいた方が無難と云うものであろう。
で、「兵器生活」としては、やっぱり<国防色の白粉入>を押したいのである。最初の図版の左右両端に見えるのがそれで、モロに鉄カブト型である。星がえぐれているところがご愛敬である。星を浮き出しに出来なかったところが、60年前の甘さである。実に惜しい(笑)。鉤十字の向きが逆版になっているのも、時局便乗商品らしさを醸し出して、ポイントが高いところである。鉄かぶと型と云いながら、形状がドイツ式になっていないのは、実用性を考えればやむを得ないところだ。
この記事が出たのは、昭和12年10月である。中国との交戦がその後6年近く続くとは、恐らく世界中の誰もが予想だにしていなかった時期のものであるため、文章はあきらかに能天気である。余裕である。これで一儲けしてやろう、と云う空気が見え見えである。戦争が日常となっていなかった時代の一コマといえよう。
はたして、三越の思惑通り、国防色の白粉入が御婦人方の大人気となったのか、こればっかりは知るよしも無い…。