そろそろ「防空」しませんか
「兵器生活」では、あえて言及を避けていた『空襲』である。大多数の日本人にとって『空襲』と云えば、B−29による空襲の惨禍である。ベトナムや沖縄、中国を思い出しても、あんまりアフガンやイラン・イラクに思いをはせる事は少ないし、真っ先にツェッペリン飛行船によるロンドン空襲を思い浮かべたあなたは、はっきり云って変人である。
最近では『空爆』と云う云い方が主流になっているが、『空爆』とは<空から爆弾を使って攻撃する>意味であるから、地上に暮らす者としては『空襲』=<空から襲われる>、と云う言葉を持っていた方がいい。
通常であれば、ここでネタ本を取りだしてくるのだが、テーマがテーマなので、今回はただの文章が続く。そもそも空襲の惨禍について「兵器生活」でネタにするつもりは毛頭ないことは、読者諸氏一同おわかりの事である。
戦前・戦中の雑誌から空襲に関する事項を取り出して、テキスト化して、図版も引用して、<あのころはこんな事で空襲の被害を防ぐつもりでありました、思慮が足りませんねえ>でネタ一つ上がり。
これでは先行する<空襲の惨禍を今に伝え、恒久平和の実現をめざす>あまたの文章には勝てないのである。ハッキリ云ってしまえば、防空演習や灯火管制、空襲にあたっての当時の心構えなんてネタを嘲笑することは、先行する書籍の中では、もう終わってます。
そう、確かに民間防空ネタは『終わってる』のであるが、それを『真面目に』甦らせる事を、私は目論んでいるのである。
日本国が、国際連合や各種の国際条約によって成り立つ国際社会の一員である以上、日本は国家である。国家同士の殴り合いが戦争であることは、云うまでもない。したがって、日本が国家である以上、たとえ日本国憲法で戦争を放棄していても、戦争当事国になる可能性は存在する。また、仮に日本が国家としての形態をなして無いとしても、日本列島と云う物理的に存在するところに、住民が生活している以上、何者かによって、武力行使をうける可能性は存在する。
そして、住民がさまざまな素材で作られた住居で生活している以上、それを破壊する手段である『空襲』をうける可能性は否定されるべきではないのである。
今時の戦争ならば、水爆が落ちてきてみんなイチコロさ、と云う意見もある。しかし核兵器が登場して57年にして戦争は根絶されていないし、そこで核兵器が使われたと云う話も(我々の知る限りでは)無い。つまり核兵器を使う必然性はないけれども、ドカンと一発お見舞いしたい時には、依然として爆弾は使われつづけているのである。上から落とすか、遠くから正確に投げ込むか、だけの違いでしかない。
云うまでもないが、航空機やロケットは爆弾運送の手段でしかない。小さいモノはカバンに入れられ人と一緒にドカンだし、車に載せてドカンと云うのも最近一部の国では流行っている。
と云うわけで、大地震と同様に、身近なところに爆弾が落ちてこない、なんて事は神様以外は誰も断言できないのである。
さて、『空襲』が我等小市民にとって、地震や火災同様、歓迎したくはないが、絶対来ないとは云えないものである以上、それに対する備えが必要である。そう書いた私に何か備えがあるのか、と云われると、正直何も備えは無いのであるが、そう書かないと先が無い(笑)。
駅前や郊外のちょっとした本屋に足を運んでサブカルチャーか、趣味の軍事本のコーナーに立つと、サバイバル解説書の2、3冊を目にすることと思う。試しにその目次を見れば<空襲にあったらどうするか>と云う項目が見当たらない事に気が付くはずである。大地震だ、大火災だ、テロだ、墜落だ、と日常生活の危機は多々あるが、瓦斯攻撃に対する対応を書いたものはあっても、爆撃を受けたらこうしなさい、と書かれたモノを残念ながら私は見た事が無い。
しかし、爆弾とはこう云うものであり、空襲に遭遇したら、このように行動しなさい、と懇切丁寧に説いた本が、かつては存在したのである。そう、それこそが『まったく役に立たなかった』と嘲笑の的となっている、各種の防空読本と防空記事なのである…。
それら各種の防空読本が、現在ロクな扱いを受けていない理由は、市民に「命を投げ出して持ち場を守ります」(「時局防空必携」昭和18年度改訂版の<防空必勝の誓>より)と、避難よりも消火を強要したために、結果として甚大な人的被害の発生と、市民が文字通り命をかけたにもかかわらず、空襲による国力低下を阻止し得なかったことによる。つまり、大本営発表同様『国家のついたウソ』あるいは『国家の横暴』の見本として、その存在を許されていると云って良い。
だからといって、そこに書かれた事が、すべて空襲の実状を予測出来なかった、お門違いなたわごとだったのか、と云う点について、検証されたことはあったのだろうか?
日本人の大多数が爆撃される側にある、と云う事情がまったく変化しない以上、当時の空襲知識のレベルを知ることは、これから我々の頭上に降ってくる、爆弾の威力を知る事は無理であっても、まったくの無駄とは云い切れないはずである。そして、当時の防空記事を読むことで、読者一人ひとりが自分の未来を護るために、何を用意すれば良いのかを見つけていただければ、各種防空読本の著者も、私の祖父をはじめとする、空襲で殺された数多の生命も、「兵器生活」のネタとして『防空』を取り上げる事を許してもらえるものと信じている。
と、例によって長い前置きが済んだところで、いつもの調子に戻る。前置きでは固いもの云いをしたが、空襲遺児の息子としては、やはりこれくらい書いておかないと、正直やりきれない部分というのがある。
戦後日本で、真面目に『防空』が語られることがなかった最大の理由は、罹災者本人及び遺族と、その『代弁者』の圧力を怖れている以外の何物でも無い。文中にある『まったく役に立たなかった』部分には、たしかにその通りとしか云いようがない事項もある。その最たるモノであり、おそらくは唯一の事である、焼夷弾に対する消火活動を、防火装備の無い素人にやらせる、と云うオカミの発想と要求は、もう無茶以外の何物でもない。
想像していただければ、納得していただけるのだが、防火服ナシで、天井まで達する炎を上げている油脂火災を、消火器を使わずに消火しようというのである。下手をすれば火が衣服に燃え移るのは明白ではないか! 後知恵そのものではあるが、本気で都市住人に消火を担当させるのであれば、油脂火災用の消火器を国家は大量に配布するべきであった。これはあきらかに国家的失策である。
てな具合で、本人がいつもの調子でやろうとしても、ネタそのものがそれを許してくれない場合も今回は予想されるし、そもそも今の例だけで、当時の民間防空が誤りだった事は明白になってしまっている。そう云う意味で、『終わっている』ネタなのである。
しかし、その誤りを取り外してしまえば、10キロ油脂焼夷弾単独での燃焼範囲は、高さ5メートル、直径10数メートル(「防空絵とき」)と云う具体的な情報が得られ、総督府(6畳)は、10キロ焼夷弾一発でオシマイだ、と云うことがわかるのである。つまり<落ちたら逃げろ>というわけだ。
ちなみに、10キロ焼夷弾が木造二階建て家屋(総督府のあるアパートもそうである)に命中すると、二階を貫いて一階に落ちて炎上することになっている(「防空絵とき」)。貫通孔から炎が吹き出す可能性は高いが、自分への直撃が回避できれば、金目の本を抱えて逃げ出す事はやれない話ではない(笑)。
かように、『役にたたなかった』情報でも、ちょっと目つきを変えてみれば、それなりに面白いモノになるのである、と云う事は「兵器生活」の基本方針なのであります。
「防空絵とき」に掲載された、焼夷弾の「燃焼状況」(10キロ焼夷弾)。
一番下が油脂焼夷弾の例。図の右下に「五米、十数米」とあり、これが燃焼範囲を表す。解説には「燃焼の酷なるは落ちてから5秒乃至3分間で、全弾の燃焼時間は約8分位である。」と記されている。つまり日本家屋が完全に不燃化されており、かつ室内に可燃物を置かなければ(無理だね)、8分我慢すれば建物は残り、生活の復興がはかれたと云うことである(実際は燃焼の熱によるダメージが残ってしまうのだが…)。
下にあげたのが、ネタ本として期待されている「防空絵とき」(大日本防空協会、昭和17年11月)である。その他『防空読本』は多種多様にわたっているため、主筆もそのすべてを網羅しているわけではないが、<絵とき>のタイトル通り、イラストで爆弾の被害範囲や、防空壕の作り方を紹介している、不謹慎だが楽しい本である。
まあこの本一冊で充分ネタになるのであるが、当時のいろいろな記事を元にして、例によって笑っていただければ良いのである。笑いつつも、読者諸氏の防空精神−自分の身は自分で守る−を涵養していただければ、主筆も古書代を払った甲斐があると云うものである。