一枚の絵

印度総督のルーツで55000おまけ


 とにかくこの絵なのである。

 (いつもであれば、この大きさで終わりなのだが、今回は画像をクリックすると拡大されるのである)

 とかく人様から、得体の知れない道楽とされる、私の兵器趣味・軍事趣味であるが、今にして思うと、この絵(だけでは無いが)を小学生の時に見た事が、現在のマイナー指向を決定づけてしまったような気がしてならない。
 私が20年ほど前にこの絵を見たのは、兄が所有していた「わたしたちの歴史 昭和時代1」と云う大判のグラフ誌中に掲載されていたものである。現物が手元に無いのが残念であるが、記憶ではこの絵に対して

 日本の戦車が地雷で壊されました。

 と云うような味もそっけも無い説明が付けられていたのである。しかし、この絵が私に与えたインパクトと云うのは大したもので、好きな拳銃はモーゼルミリタリー(画面中央で宙に舞っているやつである。しかもストック付き!)だし、九四式軽装甲車見たさに北京まで足を運んだ事は、以前ネタにもした。そして地雷で破壊された戦車を取り囲んで(返り討ちにあって)いるのは、中国軍兵士達である。


 「わたしたちの歴史」は、縄文時代から敗戦まで10数冊にわたり、日本の歴史を覚えよう、と云う教育グラフ誌なのだが、正直云って、熱心に読んだのはこの<昭和時代1>と、有名な「原爆の図」とレパルスを撃沈させた一式陸攻の絵が掲載されている<昭和時代2>に、後三年の役の合戦絵巻がある<平安時代3>と云う、ものすごく偏ったものであった。

 日本の戦争絵画は、いまだに世間では<なかった事にしよう>アイテムの筆頭なのであるが、御覧の通り、模型製作上参考になる部分は多い(もちろんゲージツに走りすぎて資料にならないモノは、さらに多いのだが…)。
 
 今回使用した絵は、「聖戦美談 興亜の光」(省文社 昭和14年)に掲載されていたもので、どうも「わたしたちの歴史」で使われていた絵のかなりの部分がここから引用されていたようである。
 <聖戦美談>とあるように、編輯のスタンスとしては、<美談>に対して画家が絵を付けるものであるのだが、序にも「絵文にも適不適正誤無きやを保し難いが」と堂々と書かれる程アヤシイものもある。われわれとしては、もはやその真偽を問う事も困難であり、せいぜい時局を反映した壮烈な<美談>を味わうのみである。この九四式軽装甲車の絵に付けられた<美談>は、以下の通りである。

 突如咆哮する戦車の機関銃

 2月11日中支の陣中に紀元の佳節を迎えた森田部隊は、今日ぞ敵を殲滅して皇国の隆昌を寿がんものと、湯陰陣地の敵に向かって一斉進軍を開始した。久しく沈黙していた森田部隊、闘志自ずと湧き上がる。頑敵何する者ぞ!勇気凛々と進撃すれば、敵又必死の防戦。魏家営の山腹斜面に塹壕と鉄条網を幾重にも張巡らし、機銃小銃の雨を降らせる。迫撃砲は閃々と火を吐き、銃声は辺に谺し、白煙は濛々と天地に漲る。
 −味方の砲兵陣地が援護の砲撃を始めた!此の時、轟々たる響きを立て松本鐵牛隊の川村伍長、中村一等兵が搭乗する戦車は雨と降る敵弾を弾きはじき忽ち鉄条網を踏み躙った。ソレ!と歩兵の突撃。其の喊声を後に聞きつつ戦車は小気味よく機関銃を猛射し、掩蓋銃座に迫って行く。グンと第一線の塹壕に突込んだ刹那!轟然たる地雷の大爆発!アッと云う間に戦車は2米も跳上られた後、地上に叩きつけられた!
 両勇士やられたか!一瞬味方に沈黙が続く、得たりと敵は戦車に近寄って来ると、突如!壊れた戦車からダダと機関銃が唸りだした。意外の抵抗!敵はバタバタと倒れる。時を移さず森田部隊は敵を撃退。遂に此の陣地を奪取した。後その労を犒うべく歩兵が駈寄って見れば両勇士は、前身血達磨となって倒れていたがその手はしっかと銃把を握りしめて居た。この気迫!(加藤たかし画)

 加藤たかしと云うの詳細は不明である。この本の描き手の中に、梁川剛一、鈴木御水、伊藤幾久造の名があるところから、恐らくは挿し絵系統の人ではないか、と推測されるくらいである。


 2米も跳ね上がって、戦車はひっくり返らないのか?とか、操縦士は拳銃を出してから息絶えたのか?などと云うツッコミようは人それぞれにあるのだろうが、素直に砲塔の上に降り注いだ土砂を書き込んだ、絵描きの芸の細かさを愛でるのが正しい鑑賞法であると私は信ずる。

これのジオラマが作りたい…