ひろ子さんも、ヒロヒト君も

「のんでますか?」の42000(公称)おまけ


 あまりにも有名すぎて、今までネタ化するのをすっかり忘れていた<アレ>である。

 戦時、平時にかかわらず、人間生きていれば必ず疲れる。<生病老死>と云う仏教の言葉は、それは本当に<苦>だけなのかと云う点は別としても、真理であると云えよう。

 楽しい事をしていても疲れを感じる事はあるし、会社にいればいるで<疲れる>ものである。「兵器生活」のネタを集め、それをページにする事は大変愉快であるが(読者諸氏から嬉しい感想の一つもあればさらに愉快である)、一つネタをアップするごとに、確実に我が肉体は疲弊しているのである。

 学生であれば「今日は疲れているから休み」と云う奥の手を使っても、本人が後でツケを払うだけで済むが、善良な会社員の場合はそうもいかないし、正しい工場労働者も、優良な農夫も、<健全な>政治家諸氏であっても、およそ社会人を名乗る者はおのが疲労を愛でる事は決して許されない。
 そして美しいOL諸嬢は化粧をし、明日を背負う営業マンは栄養ドリンクを飲むのであった…。


 現代でこそ<覚醒剤>は悪魔の小道具とされているが、登場当時は上の広告のごとく、産業戦士に捧げられた天下の妙薬であった事を忘れてはならない。
 新発売

 疲労の防止と恢復に 最新 除倦覚醒剤

 製法特許 ヒロポン

 本剤はd−l−Phenyl−2−merthylamino−propanの塩酸塩であって、未だ曾つて知られざる特異なる中枢神経興奮作用を有し、倦怠除去、睡気一掃に驚くべき偉効を奏し、医界産業界等各方面に異常なる注目と愛用を喚起しつつある最新剤である。

 適応領域
 1.過度の肉体及び精神活動時
 2.徹宵、夜間作業、その他睡気除去を必要とする時
 3.疲労、宿酔、乗物酔
 4.各種憂鬱症

 包装
 錠剤(1錠中0.01瓦含有)
 20錠 50錠 100錠 500錠
 (散剤・注射剤あり)

 各地薬店にあり
 品切の節は直接本社へ御注文乞う

 本店 大阪市道修町
 製造/発売元 大日本製薬株式会社
 支店 東京市本町
 これが「アサヒグラフ」昭和17年8月26日号に掲載されたヒロポンの広告である。<覚醒剤>と堂々と書かれると、正直なところ笑ってしまうしか無いのだが、発売当時の<覚醒剤>には、文字通りの意味しか無かったと云うだけの話である。もちろん<覚せい剤>などと云う人を馬鹿にした表記などは存在する余地も無い。まあ戦後の御禁制の対象が、ヒロポンとその同類そのものだから仕方が無いのだが…。

 当然の事ではあるが、「兵器生活」にて覚醒剤の製造方法を含む説明を期待してはいけない。

 しかし異常なる注目と愛用とは、後の乱用問題を予言しているかのようで、なかなか味わい深い。

 手持ちの乏しい雑誌類をひっくり返してみたが、ヒロポン広告は昭和17年より前では確認出来なかった。製薬会社の社史を紐解けば、もう少し情報が入るのだろうが、例の面倒でやらないのである。

 さて、その後ヒロポン広告がどのような展開をたどるのか、手持ちの資料から紹介していこう。

 「航空朝日」昭和17.9より。文言は先の「アサヒグラフ」のものと変わらない。ヒロポンが<Philopon>と表記される事が判るだけである。

 「航空朝日」昭和17.11より。以後しばらくこの形式が続く。やっぱり文言は同じ(ラクでいいね)。

 やっぱり「航空朝日」昭和18.9より。広告の大きさは、戦争の展開とともに小さくなるのがトレンドである。

 頭脳の明晰化
 作業能の亢進
 疲労除去
 睡気一掃

 本剤は、未だ曾つて知られざる特異なる中枢神経興奮作用を有する最新の薬剤であって、その服用により、気分爽快・明朗となり、意想の奔流、思考力の増強を来し、同時に体力の昂揚と作業欲の亢進を促す。のみならず、疲労感、倦怠感の防止及び睡気一掃に効果があり、従って非常時に於ける精神的及び肉体的活動には勿論、徹宵、夜間作業等に甚だ好適である。その他乗物酔、宿酔、頭重、憂鬱時等にも奏功し、医界、産業界等各方面に異常なる注目と愛用を喚起しつつある。
 相も変わらず「異常なる注目と愛用」ぶりだが、当初の内容と比べると、広告内容の変質が認められる。それは、

 疲労防止・恢復よりも頭脳の明晰化、作業能の亢進と云う、<クスリでハイになる>効能が謳われるようになった点である。つまり昭和17年が<疲労からの防御>をアピールしていたものが、18年には<ヤル気増進!>と云う一種の攻撃性が強調されるようになっているのである。つまり<覚醒剤>が現在も密かに求められる理由が、製造/販売者も気づき始めたと云うことである。

 「意想の奔流、思考力の増強」とくれば、<牌が透けて見える>まであと一歩である。

 そして昭和19年2月の「航空朝日」の広告。もう大きな広告スペースは無い。その後20年になれば雑誌のページ数は一気に激減する事は読者諸氏もご存じであろう。

 ついに「頭脳の明晰化」が第一となり、「疲労の防止と恢復に」は姿を消してしまった。

 残念な事に敗戦直後のヒロポン広告が手元に無いため、戦後にどのような広告のされ方をしたのかは不明である。まあ<広告しないでも売れる>状況にあった可能性が一番高いのだが…。


 さて、現在会社員諸氏が愛用する栄養ドリンク剤と<覚醒剤>の決定的な違いは何か、それは指向するモノが肉体か神経か、と云う事である。
 肉体派の栄養ドリンクが<ビタミンやらナントカエキスが入っているから効きそうだ、効くに違いない>と甚だ怪しい精神効果で売り上げを倍増しているのに対して、<覚醒剤>は疲れと、その原因そのものは黙殺して、ひたすら元気であるかのように服用者を錯覚させると云う怖ろしいシロモノである。つまり、クスリが切れると服用前の疲労感+服用中に蓄積した疲労感がドッと戻ってくるのである。これが行き着くところに行き着くと、商店街で包丁を振り回すアブナイ人になってしまうわけで、「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」と云う文句の根拠がここにある。


 何であれ<のみすぎ>は良くないのである…。しかし今時、宿酔対策で<覚醒剤>飲む奴は存在するのだろうか?

 <追記>「サン写真新聞 ”戦後にっぽん”4」(毎日新聞社)に、昭和24年当時のヒロポン状況が記述されている。それによれば、

 昭和24年3月、厚生省はヒロポンなど6種類を劇薬に指定。(略)さらに同年10月、同省は製造業者に対して覚醒剤製造の中止を勧告、26年6月には覚醒剤取締法が制定された。

 とある。下は同紙に掲載された<ヒロポン注射剤>である。開封された箱の下には(見づらいが)注射器が置かれている。昭和24年の価格は10アンプル入り(写真のセット)一箱81円50銭であるが、実勢価格は100〜200円だと云う。

 戦後ネタには手を出したくないので、これ以上の追求はしないが、「サン写真新聞」のオリジナル記事は読んでみたいものである。

一仕事終わった後の一服よ!