不二家をちょっとだけ応援する特別ふろく
「ゆく川の流れは絶えずしてもとの水にはあらじ」と、古人は無常を綴ったが、埋め立てにでもならない限り、今日も「川」はそこにあり、泥を除け水を持ち込み続ければ川の流れは残される。
人の暮らしが今日明日の快適を求める以上、自らを育んでいた「ふるさと」は、いつか別なモノに成り果て「遠くにありておもうもの」になってしまう。転居や建て替えで生家は失われ、カッコイイ乗用車はスクラップとなり、泣いて欲しがった玩具も、読んだ本も、手に入れてみたかった諸々のモノが、過去の映像や書籍、博物館、古物屋まで足を運ばねば、見ることが出来なくなった事に気が付くと、最後に残る「懐かしのふるさと」は、町中にある、ロングセラー商品、かつて流れていた音楽映像に求めるしか無いのではないか、と思う。昭和30〜40年代が注目されたり、パチンコ台に昔のTV番組・マンガの主人公が埋め込まれるようになった昨今、その思いは強くなりこそすれ、弱まることはない。
明治の文明開化以来、日本人は「新作」ばかりをもてはやし、世代間で共有・継承される文化を作らなかった、と云った人がいたが、映像・音曲の記録再生機器が個人の手に入ったことで、ようやく庶民レベルでの「継承文化づくり」が緒に付いたと云える。それが「文化」の名に価するのかと、疑問を抱いたり、反発する人もあろうが、若い頃、耳をそむけていた流行歌ですら懐かしく感じられるようになった我が身を振り返ると、好みに合う合わないはともかく、身の回り一切合切が「文化」であると云っても良いだろう。
懐かしいと思うことは、自分の過去を許し、認めることに通じているように思う。近年注目される高度経済成長前後を懐かしむと云う気持ちは、時代の高揚感を取り戻そうと云うよりも、貧しかった当時の自分達が、恥ずべき存在ではなかった、と云うことを認めだしただけだ、と云う考え方もあると云う。昔出会った何かが、今でも懐かしいと認められないとしたら、その頃の自分との折り合いが出来ていないのかもしれない。
「ふるさと」は市場の商品にのみ残り、リアルタイムで接した世代には懐かしさを、あらたに触れる世代には新奇なモノとしての面白さが与えられ、彼らが年ほ経ることでまた懐かしさが生じ、世代共有の「文化」となる。「文化」になって初めてそれを歴史の中に位置付けようとする考えが起こり、それが生まれた時代への興味を生みだし、一個の商品から宇宙の始めまで連想することも夢ではなくなるのだ。
そう思うとロングセラー商品の供給は止まってはならないと云える。新しい送り手と受け手が続く限りは、文化の継承は続くが、どちらかが欠ければ最早「滅び行く文化」である。送り手がいなくなれば、受け手はただの骨董愛好家か好事家になり、受け手がいなくなれば送る世間も人もない。
そう云う考え方に立つと、2007年の初頭に発生した不二家騒動(※1)が、単なる洋菓子メーカーだけの問題にはとどまらない事も理解していただけるはずである。食品メーカーが不具合のある商品を製造したがゆえに、世間の糾弾を受けるのはやむを得ないところである。しかし、必要以上に責め立て、あるいは萎縮するのはどうか、とも思う。無責任な糾弾や、安易な自粛ではなく、より向上した商品・サービスを提供する方向に走ってもらった方が、世のため人のためになるのではないかと、私は思う。
と云うわけで、今回は幼少の時分、少しお世話になった(大変お世話になった、と書けるほど我が家は裕福ではない)不二家がテーマである。いつものようにネタに苦しんでいたところ、古本屋でこんなモノを見つけたのである。
「ぽぱいのぽこちゃん」
小学館の学習雑誌「小学一年生」昭和35年11月号の附録、「ぽぱいのぽこちゃん」と云うマンガである。何故ポコちゃんがポパイなのか? その疑問は表紙を開くとスグわかる。
このまんがは、不二家の提供によるもので、不二家のご好意により、作られたものであります。不二家提供の外国まんが「ポパイ」は、ラジオ東京・大阪毎日放送・山陽放送・RKB毎日・ラジオ新潟・信越放送・北海道放送・北陸放送・東北放送・ラジオ熊本・ラジオ中国・長崎放送・静岡放送・中部日本放送の各テレビ局より毎日曜日午後7時30分、北日本放送(毎月曜7時)より放送されております。
初代「オバケのQ太郎」、「怪物くん」の提供で知られる不二家は、ホーレン草で強くなる「ポパイ」のスポンサーなのであった(ポパイ=不二家、とすぐに思い浮かべることが出来る人にとっては、何を今更、と思われるところであるが、コンテンツ作成者との世代差として平にご容赦を乞う)。
「外国まんが」と云う表記や、「テレビ局」なのに局名に「テレビ」ではなく「ラジオ」が付けられているところが、時代を感じさせる。ちなみに「ラジオ東京」とは、今の東京放送すなわち「TBS」のことで、昭和35年11月号に名称を改めているから、12月号附録では「東京放送」と記載されているはずである。
昭和35年と云えば1960年、今から40年以上も昔の話だ。「60年安保」、「ダッコちゃん」ブーム、「『風流夢譚』事件」、現皇太子殿下ご生誕の年でもある。
ペコちゃんがスカートをはいている
本の状態が悪いため、イタリアの遺跡から出た画のようだが、ポコちゃんが「ムキムキマン」(これはライバル会社ですね)状態なのが面白い。残念ながら作者名が書かれていない。
この附録、「ぴよぴよぶっく」と銘打たれているのだが、このマークが
「不条理ギャグ」マンガに出てきそうな不気味な味があって、これもまた面白い。
マンガの内容は、お子様向けのものであるので、他愛ないものである。ポコちゃんが、魔法の壷を使って人を騙す魔法使いのたくらみを妨害し、魔法の玉で石にされかかるものの、ペコちゃんに助けられ、悪い魔法使いは捕縛されてめでたしめでたしと云うもの。
「ぽぱいのぽこちゃん」とあるから、上のあらすじでもわかるようにポコちゃんが活躍することは云うまでもない。「ポパイ」といえばホーレン草でのパワーアップが「お約束」であるが、提供が不二家であるので、
ハイ、このとーり♪
「ちからもち」も最近聞かなくなったコトバである。もちろん未成年なのでパイプは吹かしません(笑)。江崎グリコが「ポパイ」のスポンサーやった方がよかったんじゃあないか? などと云うツッコミは御無用に願います。
ペコちゃんは完全に脇役になっているのだが、無視してしまうと読者諸氏がご納得しないと思われるので、ペコちゃんの活躍場面も紹介しておく。
身体が石になりそうなのにこの余裕
こうやってポコちゃんをサポートしてくれるわけである。ペコちゃんがちゃんと舌を出しているところに注意。
ハイ、このとーり
お話の最後は、悪い魔法使いがポコちゃんの活躍により、お巡りさんに捕縛(ここも子ども向けですね)されたあと、
魔法の玉を池に投げ込んでしまうのである。これを使って悪さを働かないところが、さすがは学習雑誌の附録である。学習雑誌なので、ちゃんと読者にモノを考えさせる設問もある。皆さんも考えてみましょう。
※1.不二家の工場で消費期限を経過した食材を使用していたことが発覚し、販売業者での商品撤去、製造工場の停止、フランチャイズ店の休業、社長の交代、本社ビル売却など、経営を揺るがせ、世の愛好家を嘆かせた事件(とは云うものの、誰が罰せられたのか、よく判らない)
(ふろくのおまけ)
ペコちゃんグッズのコレクターの方々は、このシリーズも集めないとコレクションが完結しないわけであるが、残念ながらこのマンガがいつから掲載され、いつごろ終了したものか、皆目見当がつかない。学年雑誌附録と云うことは、他の学年誌バージョンが存在しているかもしれないと云う、ああペコちゃんコレクターでなくてよかった、と、胸なで下ろす問題も否定出来ない。気になる方は古本屋さんを丹念に探してみて下さい。