クリスマス二題

戦争とクリスマス 昭和6年と19年


 メリー・クリスマス! と時節に迎合してみたものの、不惑の年となった今では、それがなんぼのモンじゃい、と云う気持ちの方が強い。しかしクリスマスのおかげで今回のネタが拾えたのだと思えば、サンタさんになった気分で例によって読者諸氏に一時のお慰みを提供する次第。

 日本で、クリスマスが商売と下心で普及したのは、なんとなく「戦後」のように思ってしまうのだが、昭和6(1931)年「時事新報日曜附録 漫画と読物」(時事新報社)12月20日号の表紙は、このようなものであった。


「時事新報附録 漫画と読物」表紙

 帝国陸軍の防寒帽を被った坊やがクツ下から取り出したのは、御存知「慰問袋」であるが、赤文字で書かれているのは


「慰問袋」

 驚くなかれ「クリスマス」である。袋には「茶目君へ」ともある。この「茶目」は「お茶目」のことで(目玉が茶色いわけではない)、有名なレコード「茶目子の一日」に登場する「茶目子」さんの男の子版という事になる。画を描いたのは、日本漫画の祖、北澤楽天で、「茶目さんの慰問袋」と云うタイトルが付けられている。

 これで昭和ヒトケタ時代にも、クリスマスを祝う風俗があったことがわかるわけだが、なぜ、クリスマスに「慰問袋」なのか? これは「昭和6年」と云う年が大きく関わっている。この年の9月18日の柳条溝(湖)事件をきっかけにして勃発した満洲事変の存在が背景にある。いわゆる「十五年戦争」の幕開けであるが、銃後はこのようにノンビリしたものである。

 ものの本を読むと、昭和の始めは金融恐慌(昭和2年)、世界恐慌(同4年)、金解禁(同5年)の失敗で不況が続き、満洲事変によって景気が回復基調になったなどとあるのだが、そのおかげで茶目君のところにもサンタさんがやってきた、と云うわけ。もっとも、ホンモノのサンタクロースが「慰問袋」を置いていくとは思えない。
 この「漫画と読物」の中身は、表題通りに漫画(『黒猫フエリックス』も掲載されている)と、読み物(直木三十五の小説など)からなっているのだが、クリスマスをネタにした漫画が他にも掲載されている。


「北満派遣軍冬営のサンタークロース」(作者不明)

 「サンタークロース」と云う表記が時代を感じさせる漫画である。防寒服の毛皮をヒゲに見立てているが、大袋は持っていない。描いた人の名前が記載されていないのだが、この冊子には「楽天」、「武」、「抜天」の名が見え、目次での表記は「合作」となっているから、楽天門下の誰かの手によるものなのだろう。


(右から読んで下さい)

 こちらは「ニンニク純精素芳香糖衣錠 アルリー」の広告。呑んでいるので、橇に乗らず(飲酒運転はいけませんよ)歩いてプレゼントを配っている。3コマ目の右端に見えるのは煙突のようで、サンタの通用口が煙突なのも今と同じである。


ハナコサン

「稻天」描く「ハナコサン」
(1)サンタクロースノ オヂイサンガ キタユメヲミタラ ホントニクツシタガ オイテアルワ
(2)オヤナニモハイツテ イナイト オモツタラ アナガアイテルワ

昔の人は、本当にこれで笑う事が出来たのか、と疑問に思う漫画である。髪型と布団の柄が可愛い。
 さて、満洲事変によって日本経済が息を吹き返した、と書いたが、息を吹き返すついでに鼻息が荒くなったものがある。軍人だ。
 この冊子の表紙が、防寒帽(もちろん満洲に出ている日本軍ファッションである)に慰問袋と云う、風俗としての軍国調であることから、それが伺えるわけだが、もう少し露骨なものもある。


キッコーマンの広告漫画(右から読んで下さいね)

 1コマ目の軍人サンの偉そうな歩み方を見よ! 昭和2年に野田醤油で大規模な労働争議が発生していることは有名な話。醤油と云えば思い出すグッドデザインな「醤油さし」はまだ登場していない。醤油をわざわざ「調味料の」と説明する意図がよく分からない。

 これで充分ネタ一本分だが、クリスマスプレゼントがわりにもう一つ紹介してみる。


「Cosmopolitan」1944.12

 「コスモポリタン」1944年12月号表紙である。
 いきなりバタ臭くなってしまったが、クリスマスと云えば西洋伝来であるし、女性の画があるとアクセス和が増えるかもしれないから、これで良いのだ。日本では昭和19年12月号である。当時の国産雑誌を見たことがある人なら、誰でも戦争に負けるのも仕方がない、と思う。
 帝国日本の臣民が「撃ちてし止まむ」と云った翌年、「竹槍では間に合わぬ」と新聞に書かれた、その年の12月に「メリークリスマス」なのだ。この差はエスカレーター進学予定者と追い込み受験生のクリスマス以上に絶望的である。


「7up」の広告

 今でこそ、スーパーにも置いてあるが、一昔前はどんな味なのか見当もつかなかったセブンアップの広告である。昭和19年12月号掲載の広告が、裏表紙でもないのに色刷りであることすら腹立たしいのだが、この号の広告には他に香水・マニキュアもあればトイレットペーパーに「リステリン」まであり、こんな国とよくもまあ三年半も戦争をやっていたものだ、と感動すら覚えてくる。
 とは云え、戦時中なので「戦時債券を買いませう」と云う文句が欄外にあったり、ノルマンディー上陸作戦の写真があったりもするのだが、戦争記事とそうでないものの配分は、見た(英語は読めないので)感じでは、昭和12、3年つまり支那事変当初の日本の雑誌より平和に感じる。このあたりを掘り下げていくのも面白そうなのだが、手が廻りそうも無い。

 戦争にかかわる広告・記事のたぐいは、別な機会にとっておくことにして(貴重なネタ本は大事に使いまわしたいものです)、クリスマスに特化したものを最後に一枚ご紹介して幕としよう。


「BELL TELEPHONE SYSTEM」広告

Another big rush on Long Distance lines this Christmas...

It was a big rush last year. It may be even bigger this Christmas.
So please help keep Long Distance lines for essential calls on Decenber 24,25 and 26.
War still needs the wires-even on holidays


BELL TELEPHONE SYSTEM

また大きな混雑が、このクリスマスの長距離通話に…
大きな混雑が昨年はありました。今年もクリスマスに起こることでしょう。
そこでお願いです 重要な呼出のために、12月24、25そして26日は長距離回線を残しておいて下さい。
戦争は、まだ休日でさえも電線を必要としています。
ベル電話会社

 AT&Tの前身であるベル電話会社(この関係については、AT&T社のページに詳しい)が、クリスマス期間中の長距離通話/通信の自粛を求めた広告である。木の電信柱に張られた電線の上で、擬人化された通信が慌ただしく移動しているのがおわかりだろうか? サンタが立っている柱の横、クリスマスプレゼントを抱えた男女の中に、ライフルを持った兵士が、ダッフルバックを担いだ水兵と並び颯爽と歩いているが、列の中程には先を急ぐ女性兵士の姿も見える。電線にぶら下がってしまった水兵サンもいる。

 こう云う画を描かせるとアメリカ人はなんて上手いんだろう。
 本年(2006年)も「兵器生活」をご愛読いただきまして、ありがとうございました。来年も読者の皆様にとって良い年でありますよう、主筆以下、総督府一同心より御祈念申し上げます。