一杯やりつつ35万おまけ
1980年代の後半、チューハイブームがあったように思う。小綺麗な缶入り商品が出たことで、若者・女性が手軽に購入できるようになり、当時の軽さ志向も後押しした結果、酎ハイ(焼酎ハイボール)が、滝田ゆうのマンガで「ウィッ」とやられているようなオヤジ飲料から、「『嫁さんになれよ』だなんて カンチューハイ二本で言ってしまっていいの」(『サラダ記念日』)と云うくらい、ヤングなものへと革命的変化があったのである。
チューハイの同族で、甲類焼酎をジュースやコーラで割って呑みやすくした「サワー」なんてモノがもてはやされたのも、この頃のように記憶しているが、これは自分が外で呑める身分になりはじめた時だったからかもしれない。
安いけれどもアルコール臭い甲類焼酎も、何かを混ぜれば呑みやすくなる、と云うのは、酒の味もわからぬ貧乏学生時分には有り難いもので、私は一度インスタント味噌汁で割ってみたことがある。「呑んだ後の味噌汁はうまい」のだから、焼酎を割ってもうまいはずだと思ったのである。一口目「これはイケル」、二口目「…」、誰も三回口をつける者はいなかった…。
アルスと云う、日本の出版史と写真史では、ちょいと名の通った会社が出していた「カメラ」と云う雑誌を二冊、サンプルとして購入した。当時の写真機の価格を知りたいと思ったのである。「アサヒカメラ」でも良かったのだが、こちらは一度ネタにしたことがある。
本屋に行けば、写真雑誌は「日本カメラ」「アサヒカメラ」の二大誌始め、何種類も本屋に並んでいるが、著名作家の作品、読者投稿、季節ごとの技法解説、新商品の紹介が主要な記事になっていて、パッと見には変わり映えのしないものである。30年、50年の単位で見れば、新しい発見がありそうなのだが、それは「兵器生活」の仕事ではない。
手許にある「カメラ」昭和14年7月号も、やっぱり著名作家(当時なので今では知らない人ばかりであるが、『海兵団』の真継不二夫の名が見える)の作品、「夏の写真と調子の問題」と云う季節記事、読者の投稿で構成されているが、新製品情報は貧相なものである。頻繁に新商品が出る時代では無かった(昭和14年と云えば、支那事変三年目にあたる)と云うことか。
「カメラ」表紙
そこに「酒と現像液」と題された記事が掲載されているのである。チューハイの話が突然写真雑誌に飛んで面食らった方、ご安心あれ(笑)。
例によって以下に全文を掲載するのだが、「現像液って何?」と首をかしげるデジカメ時代の読者諸氏のために、これまた例の如くいいかげんな説明をしておく。
カメラが、キリシタンバテレンの秘術で景色を平面上に定着させる道具であることは、あえて語るコトでは無い。その仕組みは、光を取り込むレンズ、景色を画像として定着させるフィルム(デジタルカメラの場合は、ここに「何百万画素」と称される受光素子がセットされ、電子情報としてメモリカードなどに記憶(言葉通りメモリー)される)が、人間の目の部品に例えられるのだが、カメラにだけあるのが、適切な量の光を当てるシャッターで(『露光させる』とも云うのはこのため)、写真機は、普段はずーっと閉じていて、ある瞬間だけ開く目玉と脳味噌なのだ。
デジタルでないカメラの場合、レンズを通した光を、フィルムに塗られた感光剤(乳剤とも云います)にぶつけて化学変化させて映像を記憶させるのだが、撮影したままのフィルムそのものから映像を見ることが出来ない。その時点では画像はフィルム乳剤中に隠れているし、写真機から外に出した瞬間、外光が強すぎて記憶された映像はオジャンになる(光の無いところでは、人間の目が使えない)。
と云うわけで、フィルムに焼き付けられた、目に見えない画像を外に現す、「現像」と云う処理が必要になってくる。撮影済みのフィルムを、現像液に浸けて更なる化学反応をさせてるのである。
しかし現像だけでは、画像が見えるところにはたどりつかない。「定着液」と云う薬品に浸けて、不要な乳剤を落としてやる必要があるのだ。フィルムに何かが映っているのを目で確認するためには、これだけの処理をやらなければならず、「現像」と「定着」をして「印画紙への焼付」手前まで持っていくことを、「フィルムの現像」略して「現像」と呼んでいるのである。一般に我々が見ている「写真」とは、フィルムに定着された映像を、印画紙に投影・転写して「焼き付けた」ものであるわけだが、何をやっていればレンズを通した画像を固定する方法を発見出来るのだろう?
「現像液」は、「現像」に使う薬品のことである。「現像液」と云うくらいだから液体で、水に何種類もの薬品を溶かしたモノである。「ジュースの素」あるいは「スープの素」があるように、原料となる薬品が粉末あるいは濃縮液として市販されていて、それを自分で溶いて使用するのである。料理のレシピに相当する「処方」が何種類もあり、さらには作られた現像液をどう使うのかについても、さまざまなノウハウが存在していて、フィルム現像の世界は、自分のような部外者からみれば、「錬金術」か「ウナギ屋秘伝のタレ」に近い。
カメラでパチリと撮ったあとには「現像」があって、「現像液」は「薬品を水で溶いて作る」と云う大前提が呑み込めたところで、ようやく本文に入るのである。
現像液、定着液の広告例「鈴木八郎先生処方」と云うところが、昔のクスリ広告のようである。著名人(ここでは戦前の銀座スナップを残した師岡宏次)が、推薦文を寄せるのも同じだ。
では、本文をどうぞ
自家調合しなくても良いと謳う広告文例
酒と現像液 大渓 寛「カメラ」昭和14年7月号
「酒と現像液」とは一寸変てこだ!!
「ビールと現像液」も一寸おかしいなどと考える読者は、この文を最後まで読むことによって、「ウウン成程」とうなずけるでしょう。
輸入禁止下の写真材料界は、フィルム、印画紙の不足殊にロールフィルム、フィルムパック(※1)の不足は、アマチュアカメラマンの中でもその入手に色々苦労されていることと思います。
然しこれも戦地で働いている皇軍将兵のことを思えばこれしきの不自由はしのばなければならないことです。
物資節約の今日では、自動車がガソリン統制で無駄な運行を経済的にせられていると同様、写真家も以前の様に豊富に材料を使用することがゆるされなくなって来ました。そこで当然「材料を経済的に使用する」と云うことが考えられます。
「乱写は禁物」百発百中傑作を生むことは望めないでしょうが、少なくとも一枚撮る度の注意によって、少しでも失敗をまぬがれる様努力したいものです。
ある有名な写真家は、一枚のポートレートを撮るのに、十五、六分はかかるそうです。
又ある先月の雑誌には、ローライの十三枚撮り(※2)のことが書いてありました。
ブローニー判の人がそれを半裁にし、十六枚撮りを十八枚撮りにすることは、面倒くさいことには違いないけれど決してケチではありません。
最近小型カメラの流行にともなって、これ等の使用者の大部分が、やたらに乱写をして、その中からよいものを拾うと言うやり方がむしろ当然の様になっているのではないかと思われる感があります。斯様な考えは此際サラリと捨てて、写場で写真師が乾板を一枚撮るのに自分の総てをシャッターレバーに打ちこんでいるあの気持ちで行き度いものです。
材料をケチに使用するというのではありません。有効にフィルムを使うのです。誰だってベストで三十六枚撮れなどの無理は出来ません。
近頃は、パンクロ(※3)全盛時代です。「猫も杓子」もの言葉通り、パンクロで撮らなければ、よく出来ないなどと云う間違った考え方をしている人が多いです。
都下の有名な写真師でも未だにレギュラー乾板を使っている人さえいます。斯様な人たちは、決してパンクロ乾板が発売されても新しがらないで昔ながら普通乾板で満足な絶果(ママ)を得ています。むしろパンクロ以上の良果さえ示しているではありませんか。
可視光線全部に感ずるフィルムだからとて時と場合によっては、どんなにオーソ級フィルムの方が適切か分かりません。
例えば、赤や橙を含まない静物や特殊の風景写真を除いての一般風景などは、粒子の細かい、暗室操作も気楽に出来る(※4)オーソの方がどれだけよいか知れません。
現在の如きフィルム入手難の時は「パンクロを大切に使用する」と言う意味で是非考える可きことと思います。
印画紙の無駄排除、定着液の銀回収その他色々未だ未だこれからの写真家としては、国策に副う仕事が残されています。
まずは本論とまったく関係の無いように見える、昭和14年当時の写真界の雰囲気について語られている。「時局下の写真生活」と云うやつだ。これを読むと、フィルム・印画紙などの材料が輸入禁止になっていることがわかる。貴重な外貨を石油屑鉄その他軍需物資の輸入に廻すための措置である。国産フィルムが登場したころ、有名な写真家である土門拳は、誰も国産フィルムなんか見向きもしなかった、と回想しているが、そんなゼイタクは許されなくなってきたのである。一年後には、例の「七・七禁令」がやってきて、高級写真機の販売そのものも許されなくなる。
「※」以下は本文の註である。自動車を持っていない人間が、クルマについて書いている、噴飯モノの解説であるので、受け売りすると恥をかきます。
※1.「ロールフィルム」は、巻いてあるフィルム、つまり我々が思い浮かべるフィルムで、「フィルムパック」は、4X5インチや8X10インチと云うような、大型カメラに使うシートフィルムを一まとめにしたもの。大型カメラにふれたことの無い人間に、これ以上何を期待すると云うのだ。
※2.「ローライの十三枚」とは、ブローニーフィルム(幅6センチと云う、一般に使われている35ミリフィルムよりも幅の広い、つまり大きな画像を収めるフィルムで、『120型』とも云う)12枚撮りのカメラを、13枚撮れるようにする工夫のこと。具体的なやり方についてはわからないので、35ミリカメラ(『135型』フィルムを使う、今の『普通のカメラ』のこと。本文で云う『小型カメラ』のことでもある)を例にすると、裏蓋を閉めると勝手に一枚目まで巻き上げてくれるカメラが出るまでは、フィルムを装填して、撮影に入るまで2、3回空写しをしてから、初めて一枚目の撮影になるのだが、実は最後の空写しのところでも撮影は出来てしまう。これを意図的にやることで、撮影可能枚数が一枚増えるのである。「ローライ」は、有名な写真機。
※3.「パンクロ」「オーソ」「レギュラー」は(白黒)フィルムの種類。「レギュラー」「オルソクロマチック」(『オーソ』のこと、『オルソ』と表記されることも多い)「パンクロマチック」の順に登場。感光剤の性質が違う。
「紫外線」「赤外線」の間に可視光線があるのだが、レギュラーは青色光線までに反応、オルソは赤色光線に感光せず、パンクロでようやく人間の目に一番近い感光をするとされる。まあ、フィルムによって、白黒写真の仕上がり方が違う、と云うこと(さらに云えば印画紙によっても印象がかなり違ってくる。ウソだと思う人は、写真材料店に行って、チラシ・ポスターの類を見るべし)。
現在市販されているモノクロフィルムはパンクロであるため、具体的にどう違うのかは、昔の写真を見るしかないが、元の色が分からなければ、違いの見つけようがない。
カラー写真普及前に活躍した兵器のプラモデルを作る人が、「昔の写真から正確な色なんてわからんよ」と云う根拠がコレ。
※4.「暗室作業も気楽に出来る」と云うのは、オルソは赤色光に感光しないため、赤い暗室電球下での作業も出来るから。現在では未現像フィルムに光を当てるのは御法度である。暗室で電気を消されると、いつまでたっても何も見えない。
では引き続き本文をお楽しみ下さい。
大分話が初から横道にそれて飛んだお説教染みてしまいましたが、酔ぱらわない様もう少し続けて読んで下さい。
「酒と現像液」変わった対照でしょう。
一杯やりながら現像をすると言うのではないですからその点早合点なさらぬ様、大体酒とは幾%かの酒精を含む飲料です。その幾%かのアルコールが、人間共をあるときは利巧にしあるときは馬鹿にするのです。
酒を飲んで喧嘩をするものはあっても、仲の悪いもの同志が「オイ、一杯つき合わないか」と相手の肩をたたいている図は少ないもので、大ていは仲好し同志が「オイ、○○君今日はサラリーが入ったから一杯おごるぞ」と云う様なわけで、なじみのオデン屋へ飛込むと云うものです。
吾々がフィルムを可愛がる意味でたまには日本酒の三合も御馳走したって悪くないことです。
駄弁休題
「現像液に使用する水は必ずしも水道の水に限られていない」
多くの化学者たちがこれまで、ずい分多種類の水について現像障害を研究実験しましたが差程水液中の不純物は影響しないと発表されています。先年長濱慶三氏が海水について実験され、海水以上の塩分を含有するものにても実用上影響がないことも書かれていました。銀の還元を妨害しない程度の不純物はある程度見逃してもよいのではあるまいかと思います。かえって戦地などでは、純粋の水が得られず雨水を使ったり、又彼地の水よりも、銃後の国民が心をこめて送った日本酒やビールの一部を使用した方が結果に於てよい場合があると考えられます。
筆者は本稿で、日本酒とビールによって作った現像液の試験結果報告を述べて実用上使いものになることを読者諸君に御伝えしたい。
先ず準備として次のものを用意しました。(※1)
1.普通現像液
メトール 三瓦(グラム)
無水亜硫酸ソーダ 五〇瓦
ハイドロキノン 七瓦
無水炭酸ソーダ 二五瓦
臭素加里 一瓦
水ヲ加ヘテ 一〇〇〇C.C.
2.使用乾板「A・I」乾板(※2)
3.日本酒、富久娘
4.ビール、キリンビール
現像液の処方は、普通のものよりも稍硬気味にハイドロキノンを多量に入れました。日本酒現像液もビール現像液も共に薬品の秤量は同じで、ただ水を加えてが「酒を加えて」又は「ビールを加えて」となるだけです。
「現像液」の作製に、水が必要なことはすでに説明しているが、水のかわりにお酒を使ってみましょう、と云うのが本文の趣旨である。そこにいたるまでに、えらく寄り道をしたものだ。
※1.ここで紹介されている「処方」は、現像液調合の一例で、記載してある薬品は写真用品屋で入手できる。今日では、これらの薬品をある「処方」にしてセットになったもの(『D−76』など)を購入して使うのが一般的である。先に掲載した、広告はその一例である。
※2.「乾板」はそれ以前に使われていた「湿板」に対する言葉で、ガラスなどの支持体に塗られた感光剤が乾いた状態にあるもの。湿板は作成後、感光剤が乾く前に撮影し、すぐに現像しなければならないが、乾板は作り置きが出来、暗室が近くになくても良い。「乾・湿」の区分けで云えば、フィルムも乾板の一種である。
なお「A・I乾板」は未詳。
日本酒現像液
日本酒で現像液を作るときは、甘口もから口もないのです。
要するに「サケ」であればよいので、味の方は愛酒家にゆずって、専ら富久娘を日本酒の代表として選びました。
ビンの栓を抜くと、日本酒特有の香りがプーンと心よく臭覚を酔わせます。愛酒家なら、ここで「エイ面倒だ現像なんかやめて一杯呑んじゃえ」と行き度い処、それを我慢してオチョコならぬメートルグラスの中へ、先ず、用意した酒六〇〇C・C(約四合)を、トクリで少しオカンする。水温ならず酒温摂氏三〇度頃を見計らい前記水を使用する処方に示された量のメトールを混入する。至極溶解し易い、此頃までの酒色の酒は次に無水亜硫酸ソーダを入れるとクリーム色に変化して来ます。ここで又愛酒家は、ウィスキーハイボールを連想することでありましょう。
炭酸を入れると濃度はずっと濃黄になり、臭も酒の臭気から「ヌカミソ」の如くなって来ます。しかしこの「ヌカミソ風」の臭も、臭素加里を入れて、現像液完成後数十分で又もとの酒特有の臭気に戻ってしまうのです。
落語家に言わせると「ソレハキット臭素加里ヲ混入スルコトニヨッテ臭素加里ノ臭ト現像液ノ臭トノ臭ガ、プラスマイナス零ニナルカラ元ノ酒臭ニ戻ノデハナイカト」(※1)言うことでしょう。
非常に薬品が溶解し易く、アルコール分を混入されている関係上保存性もあり大いに国策に副った現像液が出来上がりました。これも一方的な考え方である意味では、酒を濫用する意味にもとれましょうが−
ビール現像液
これも酒と同様、便宜上キリンビールを使用したけれど、ヱビスビールであろうが、オラガビール(※2)であろうと、味こそ差あれビールには違いないのであるからどのビールもよいことにしておきます。
ではビール現像液を作りましょう。
処方は日本酒と同じです。ただ注意し度いことは栓の抜き方です。乱暴に栓を抜くと皆んな泡となって、飛んだ泡を食いますから、又日本酒の様に、震蕩して薬品を溶解することが出来ない不便もあります。
殊に炭酸を入れたときなどは余程容器が大きくないと半分は、外へこぼれます。
ビール現像液は、亜硫酸ソーダと一しょになって、非常に不愉快な臭気がします。
※1.「ソレハキット」云々が、誰のマネなのかは不明。落語はわからないのである。当時の「キング」あたりを丹念に調べれば、落語速記記事があるかもしれないが、そこまで手が廻らない。
※2.国産ビールの銘柄の一つ。戦前の広告に関する本に「カブトビール」などと一緒に登場する。
第一図 A1・A2(水で溶いたもの)
第一図 B1・B2(日本酒)三種の現像液による現像操作
第一図 C1・C2(ビール)
第一図を参照して下さい。Aの1は三分、Aの2は一分半現像したものです。
促進剤の炭酸ソーダが、いく分多いので、試験乾板浸漬後約二十秒で先ずハイライトとハーフトーンが殆ど同時に出て来ました。
一分半から二分で濃度は急激に増加して来ます。三分では到底中間調の印画紙では、焼付不可能となりました。
Bの1とBの2は日本酒現像液を使用したもので、Bの1が三分Bの2が一分半現像です。乾板浸漬後、二十秒では、全然画像が表れず、三十秒、ハイライトより徐々に還元され、一分半で、ハーフトーンが極めて弱く肉乗りして来ます。二分過ぎる頃よりだんだん濃度は増して来ますが、これは普通現像液と違いハイドロキノンの多い割合に、そんなに硬調にならずに、極めて良好なる調子となりました。
ビールに於ては、Cの1及び2を御覧下さい。一分半現像では、てんで問題にならない肉乗加減です。わずかに被写体の金属や硝子の反射即ち強烈なハイライトが、現像されるのみです。二分から三分と現像を押しても、日本酒よりもずっと、軟調でフラットです。
これは、ビール中何ものかが抑制作用をするのではないかと思われます。
ただ、日本酒ビールに限らず、総べてアルコールを含んだ現像液を使用したときは、現像後の水洗を、厳重にやらないと、アルコールによって、定着液が弱められますので定着時間が永くなり、遂にはその定着液の寿命が短縮されます。
幸い本実験では、画像が酔っぱらうことがなく終了しました。
日本酒現像液で処理したとき乾燥も早く、非常な好絶果でした。
粒子の大きさも、ハイドロキノンが多量に含まれているのに関わらず日本酒現像液は普通現像液よりも小でした。
第二図は、この三種の現像液使用による現像速度を、簡単に図示したものです。以上写真技術とは、およそ縁の無いことを述べた様ですが、酒現像液の論文でなく、ごく気軽く「酒でも現像出来るのだ」との報告文に過ぎないことであると御承知下さい。
第二図(※1)
「酒と現像液」立派に成立する言葉ではありませんか。
※1.「M.Q.」はメトールとハイドロキノンを主剤とした現像液のこと。最初に紹介した現像液広告にあるように、「MQ現像液」と称される。フェドニンとハイドロキノンで調製される「PQ現像液」と云うものもある。どう違うのか答えられる知識は無いので、興味のある人は、写真現像の本を読みましょう。
「ごく気楽く」と書きながらも、現像速度のグラフをもっともらしく作っているところが写真雑誌である。残念ながら、グラフ縦軸の意味するところが理解できないので、ここについては何も云えない。
「大いに国策に副った」と自賛しつつも「酒を濫用する」とうち消して、「報告文に過ぎない」ことを最後に加えるところに、筆者が崇高な意図の下、酒割現像液を作っていないことが読みとれる。呑まなきゃあやってられませんぜ、と云うわけだ。
実験に先立って大渓氏は、「彼地の水よりも、銃後の国民が心をこめて送った日本酒やビールの一部を使用した方が結果に於てよい場合があると考えられます」と述べているが、実験の結果を読むかぎりでは、とりあえずビールはやめておいた方が良い。
読者が喜んだのか激怒したのかはわからないが、「聖戦三年目」の時期ではまだ、写真道楽と云う特殊な趣味を持つ、中〜上の階層に向けて市販されているだろう雑誌(定価80銭。『およそ2千倍』ルール(※1)で今日の価格に換算すると、1600円となる)にあっては、時局に対応すると云う名目で、「遊んでみる」ことが可能だったことは、確かなようである。「時局迎合を装った批判」と云うのは、ちょっと持ち上げすぎと云うものだろう。
「酒割現像液テスト」として、日本酒、ビールは妥当なところだが、焼酎、ウィスキーを使ってみたら、どんな結果が出たのだろう。日本酒は実用に堪え、ビールが駄目だったのは、原料のコーンスターチが影響しているのか、大麦麦芽に問題があったのか、気になるところではあるが、そんな実験に使うくらいなら、呑んでしまった方がいいに決まっているので、読者諸氏にはお奨めしない。
もちろん実験した結果、大事なフィルムが駄目になっても当局は一切関知しないから、そのつもりで。
※1.「2千倍」ルールは、講談社現代新書「『月給百円』サラリーマン」(岩瀬 彰)にある、昭和10年頃の物価を現在の貨幣価値に置き換えるための考え方。個人的にはもう少し高くみた方が感覚を掴みやすいと思っている。「カメラ」80銭は、1600円ではなく、1800円〜2000円くらいが妥当なのではないだろうか。
(おまけのおまけ)
時局に便乗した広告を一つ。
オプトクローム社が出した「ツバサ アラワシカメラ」である。上級品30円を「2千倍」すると6万円。シャッタースピードが実質4段階しかない、高級なおもちゃ程度ではあるが、高い。同じ時期、舶来クロームメッキ仕上げコンタックス(軍神加藤建夫の愛機)は、F1.5ゾナー(有名なレンズの名)付きで2000円(つまり4百万!)と、えらく値段に開きがある。もっとも、アラワシと精密距離計も付いているコンタックスと比べること自体が、ナンセンスである(笑)。
ツバサ アラワシカメラ
写真雑誌の1ページを使っているのに、広告に手描きミエミエの文字を使うメーカー製の安物カメラではあるが、昨今のデシカメよりイカススタイルに見えるのは、広告に挿入された九七式重爆撃機のせいだろうか。フィルム巻き上げノブが底面にあるのもカッコいい。