「覆面」という言葉の使い方を考える
学研から好評発売中の、「四式戦闘機 疾風」、「陸軍軍用機パーフェクトガイド」には、戦時中に公表された陸軍戦闘機の記事について書かれた、非常にユニークな記事が掲載されていてるのだが、当時の記事を読むと「覆面を脱ぐ」と云う表現が使われていることに気付く。
新聞記事の見出し。日本軍兵器につく「世界に誇る」なんて言葉は、今時ゼロ戦・戦艦大和・酸素魚雷くらいにしか用いられない。
今日「覆面」と云われて、読者諸氏が思い浮かべるのは
「少年サンデー」昭和38年12月15日号掲載「プロレス悪役物語」
(文、梶原 一騎、画、石原 豪人)より
この「魔王」ザ・デストロイヤーに代表される、プロレスラーや、テロリスト、特殊部隊のそれであろう。しかし、日本の伝統を考えれば、
こう云う頭巾スタイルこそ、正統派(ストロングスタイル)と云わねばならない。これは「週刊少国民」(朝日新聞社)に連載されていたコラムの、昭和20年初頭でのイラストで、「ウミワシ」(海鷲)、「リクワシ」(陸鷲)のタスキに象徴されるように、覆面の新鋭機が米英を待ち構えているぞ、と戦意昂揚を訴えようとしているものである。
ところが、その後に出た号に、もう一度同じイラストが掲載されている。
一見、まったく同じモノであるが、右側の人物の首のくびれ方が違うことで、描き直したことがわかる。何故、描き直す必要があったのかと云えば、タスキに書かれている文字が違うのだ!
左側は「ウミワシ」「リクワシ」だが、新たに描き起こされたものでは、どちらも「アラワシ」(荒鷲)となっている。一度描かれた画の構図はそのままで、文字だけが違う、と云うことは、そうせざるを得ない状況が発生したわけで、陸か海(あるいは双方か、余談だが、『軍からのクレーム』と云う文脈になると、どうして最初に『陸軍』と書いてしまうのでしょうねえ)から配列について文句が出たものか(左書きの現代から見れば、海が主、陸が副に見えるが、右書きで考えると逆になり、実のところ戦前から左書きと右書きが混在していたことを思うと、画を描いた「平八郎」氏は極めて巧妙なワザを使っていたことがわかる。後列中央の所属が、どちらでもとれるようにタスキを隠しているのも上手い)、沖縄にまで敵が来ているところで、もう陸も海も無いだろう、と云うシビアな現実を反映させたのかのどちらかである。
一般国民向けメディアにおける、陸軍と海軍の違い、と云うのは、かなり面白いものがある(久しぶりに軍事ネタを展開したなあ…)。
「覆面」と云う言葉は、戦闘機だけに使われていたわけではない。「覆面将軍」と云う表現で、軍の司令官を表現した例もある。もっとも、軍関係の「覆面」は、基本的に脱いだ時に使われるのだが(『覆面』をしている時点では、公表そのものが出来ないのだ)、一般社会にあっては、ちょっとした趣向の一つとして、「覆面」が使われていたこともある。
この「覆面文芸」とは、「写真週報」に連載されていた、小文に付けられていたタイトルである(元の大きさが小さいため、相当拡大してある)。文章を書いた人の名前は出ていない。この企画が始まった時には、誰と誰が執筆します、と云う記述があるはずなのだが(執筆者が交代します、と云う記事を見たことがあるのだが)、見つけられていないので、これ以上はふれない。このあたりについては、もはや文学史の領域である。
現代の表現者は、本名雅号ペンネームと使う名はさまざまではあるが、とにかく作品と作者が関連づけられるようにしているのが普通である(そうしなければ仕事の依頼のしようが無いし、『文名を上げる』ことも出来ない)が、「覆面文芸」は、あえて名前を出さないことで、「誰が書いているのだろう?」と、読者の興味を惹こうと云うテクニックである。
これを身も蓋も無いやり方でやってしまったのが、
「覆面作家」の手になる「少年冒険王」(『冒険王』昭和34年11月号附録)である。この「覆面作家」氏が誰であるのかが、懸賞のネタの一つになるわけで、無駄がない。
「世界一の大活劇まんが」と銘打たれている以上、読むとツッコミ所満載で、表紙の「冒」マークだけで充分なのだが、飛行機で逃走した「七つの海をまたにかけ/大インカ帝/国再現の/野望をもつ」マッハ族を、オートバイで9ページにわたって追跡して、ちゃんと追いつくシーンは、「覆面作家」の豪快な力業が光っている。
さて「覆面作家」の正体は? 正解が書かれた本が無いので断定はしないが、主人公の眼を見れば、わかる人には判りますね。
「覆面考科」(守屋 磐村著、山崎 光子編、源流社)と云う本によれば、「大言海」をひいて、その定義を「面をおおうこと、顔を隠すこと、また、そのために用いるあり合わせのもの、手巾、袖、扇など。徳川時代に、男女外出徒歩のとき布帛・綿などで顔を包み隠すこと。またその物」と紹介している。
とかく「覆面」と云うと、正体を隠す、の意味で使われがちなのだが、日焼け・寒さよけと云う実用性もあり、登山の目だし帽や、東北地方農村での被りものが知られている。
言葉としての「覆面」は、「仮面ライダー」以来、揮わなくなっているように感じられる。「匿名」も大いに結構だが、個人としての存在を曝している、「覆面」の方が立派だと私は思うのである。