「ドイツ戦車パーフェクトバイブル」発売記念で24万5千おまけ
支那事変当時、中華民国軍が戦車を使用していた事は、あまり知られておらず、ましてやドイツ製1号戦車が使われていた事は、さらに知られていない。当時、鹵獲された車輌が「ソ連製」として公開されたことは、過去に戦車雑誌で取り上げられていたり、「兵器生活」でも紹介しているのだが、それでもポピュラーになったとは云えない。
先日発売された「ドイツ戦車パーフェクトバイブル」(学研)のコラム「アジアで活躍したドイツ戦車」(川畑 英毅)でも
そのドイツ製戦車のユーザーは中華民国陸軍であり、日本軍を相手に戦ったことは意外に知られていない。
と書かれているくらいなのである。そのような状況であるので、支那陸軍の戦車写真は、なおのこと目にする機会が無い(地球のどこかには、その写真で鼻をかみ、尻を拭くような人がいるのかもしれないが…)。
例によって古雑誌を買ってみたところ、鹵獲された1号戦車が、大衆の面前で披露されている写真が見つかったので、それをご紹介する次第である。
「鹵獲戦車の大行進」(一台だけど)
出典は「写真週報」昭和14年1月25日号。読者からの投稿写真である。
鹵獲戦車の大行進
東京市京橋区 松田 傳
一月八日陸軍始観兵式後戦車隊の市中大行進は数万市民の熱狂と歓呼をわき起したが、この行進に加わった鹵獲支那戦車は、わが勇士の輝かしい戦功を生々しく市民の胸によび起させた。
「鹵獲品」と書かれているであろう札を付けて、市中を走る(あるいは停まっている)戦車は、まさに靖国神社で展示されていた1号戦車と同じものと思われる。どちらも車体前に「晴天白日」のマークがあり、大ぶりのライトを付けている。
上の写真を拡大したもの「晴天白日」マークらしきものが見える
一枚しか無い写真でネタ一つ持たせねばならぬので、拡大してカサを稼ぐ(笑)。武器を取り外した砲塔(実際は銃塔)に立っている人が、戦車帽子でも鉄兜でも無い黒っぽい帽子を被っているのが興味深い。軍人が、勤務中に規格外の服装をするのは考えられないのだが、印刷不鮮明につき、これ以上のことはわからない。
この写真が撮影された時期に、撮影されたと思われる(ややこしい表現だ)映像を、少し前にNHKの番組で見た記憶がある。その映像も、やはり「鹵獲品」の札を付けた1号戦車が、白い排気ガスを吐きながら市内(このころは『東京市』なのである)を走っていた…。この映像を解析すれば、もう少し実状を掴めるのだろうが、そちらに関する手がかりも無い。あとは昭和14年1月頃発行の週刊誌、月刊誌を丹念につぶしていくしかないのだが、そう云う余裕は無いのであった。
近頃軍事系サイトらしいネタをやっていなかったので、今回はわかる人だけわかれば良い、と云う姿勢でやっております。内容もたんに「こんな写真があった」と云うだけなのであります。
一台で「大行進」と云うタイトルをつける松田さんも松田さんだが、「アジアで活躍したドイツ戦車」と云うコラムのタイトルも同じようなモノなので、今回のネタにヤマもオチも無くても(少しは意味があって欲しい)これでいいのである。