「うつす」といふ事

或る「航空朝日」伝で18万おまけ


 「兵器生活」もおかげさまで18万以上のアクセスとなりました。読者諸氏には総督府一同厚く御礼申し上げます。


 「兵器生活」では古本・古雑誌からさまざまなネタを掘り出しては、世間様の物笑いのタネを提供しているわけであるが、そのためには、それなりの資金を投じて古本・古雑誌を購入し、あるいは図書館からコピーをして、新資料の入手に努めないわけにはいかないのである。

 先日、古書店のネット目録に、昭和20年度の「航空朝日」が掲載されていたので、さっそく取り寄せてみたところ、このようなモノが混ざっていたのである。

 「『航空朝日』2605(昭和20)年6月号」の表紙である。ザラ紙の造本は、この時期の雑誌であれば驚くべきモノではない。筆者があえて「『航空朝日』2605(昭和20)年6月号」と云う書き方をしたのかが解らない人と、これを送ってきた古本屋の名誉のために、同時に送られてきたモノもあげてみる。

 こちらは「航空朝日」2605年7月号。記事の内容はともかく、掲載された広告を見る限りでは「敗戦直後号」と云うべきモノなのであるが、それは本稿のテーマではないので画像は省略(笑)。

 さきにお見せした「2605年6月号」、表紙が手書きなのである。奥付を見てみると

 「航空朝日 六月号(第六巻第六号)」以下「配給元 日本出版配給株式会社」まできっちり手書きされていて、ご丁寧に「航空朝日」のマークまで描かれている。
 「さては表紙が破損したんで、手書きの表紙をつけたのだな」と思って、本文を見てみると…

 なんと、本文まで手書き文字になっているではないか!!
 驚くことに、この「航空朝日」は「写本」だったのである。原本を極力忠実に再現しようとするため、ページも段組になっているのだが、手書きの悲しさで罫線が傾いていたり、文字が罫線の上にまではみ出している。

 残念ながら総督府には「航空朝日」2605年6月号の現物が無いため、どこまで正確な「写本」なのかを判断する事は出来ないのだが、「目次」のタイトルと、中身を照合してみると
 大型機について
 光忙
 最近の海外航空事情
 と云う記事は書写されていて、目次には無いが、ここにあげた「敵米英の噴進機熱」とあわせ、4つの記事と表紙が写されていることになる。「写本」としては不完全ですね(笑)。しかし、表紙を除いて12ページにわたり、エンピツでカットも含めて書き写した努力には頭が下がる。ちょっとマネは出来ません。

  印刷技術が成立する以前の書籍が、すべて筆写によって流布していた、と云う歴史は知っているし、入手困難な西洋の辞書を勝海舟が書き写していた話は有名である。また、コピー機が無い時代や、そこまで忠実に模写する必要の無い事項をノートに書き写す事は、現代でも普通に行われているのだが、戦時中の航空雑誌を、わざわざ表紙まで忠実に写すと云う事例は、さすがに見たことが無い。

 この時購入した「航空朝日」の中には、複数の

 と云うサイン(ただし日付は異なる)が書き付けられており、同一の持ち主から放出されたものと思われるのだが、この「写本」の日付は、ごらんの通り「21.3.22 2606」(昭和21年)である。同時に入手した「航空朝日」2605年7月号では「20.11.20 2605」で、同じく2605年3月号は「20.10.1 2605」と記載されている。

 つまり、この「写本」の作成者は、敗戦後に「航空朝日」を買い集め、どうしても入手出来なかった2605年6月号を、「写本」として手許に置いた、と推測出来るのである。
 なぜそこまでして「航空朝日」を揃えたい、と思ったのかは想像してみるしか無いのだが、昭和20年11月19日に、民間航空禁止に関する命令が占領軍から出ていることと無関係ではあるまい。

 現物を見ずにモノを買うと、時折ハズレを引くことがあるわけだが、これを「ハズレ」とみるかどうかは、ちょっと悩む…。目録に「『航空朝日』昭和20年6月号○千円」とあったから取り寄せてみたわけであるから、目録に「ただし『写本』」と書かれていない以上、本屋のミスとして返品してもかまわないし、結局この号は別途入手しなければならない事には変わりがない。
 しかし、古本屋の目を見事にかいくぐって我が手許にやってきた、この「力作」は、すでに立派な「ネタ」である(笑)。支払った代金は勉強代としておいて、総督府蔵書目録には「航空朝日1945.6月 備考:写本」として登録しておこう…。