某予備校とは関係無い、偉い人は何を云っても許される16万5千おまけ
インターネットの普及は、「ただの人」が、あたかも職業的著述者であるかのように、世間に向かって自らの意見を述べることができる、と云う夢のような状況を実現した。しかし、それは発言手段が世界に対して開かれただけで、「ただの人」の発言自体が社会から重要視されるようになったわけではない。当たり前の話だが、読者が「ただの人」たる発言者の存在を認識していないからである。
すなわち、
ただの人=どーでも良い存在
ただの人の発言=どーでも良い発言
と云う図式は厳然として、ある。
「ただの人」が、自身の意見を社会から受け入れてもらうには、本人自身を、まずは認めてもらう必要がある。つまり「コイツを知れ、意見を読め」と社会に影響力を持つ、個人または団体(とは云うものの、こちらも『個人』の集合体だ)に、認知してもらわねばならない。しかし、その方法は、必ずしも当人の意見の出来を高めることには限られない。要は当人が「ただの人」から「偉い人」になってしまえば良いのだ。
その結果、
偉い人=言動に注目すべき存在
偉い人の発言=(とりあえず)傾聴すべき発言
と云う図式が成立し、意見の善し悪しは別としても、社会は「偉い人」の言動に注目せざるを得なくなる。プロ野球選手が、時事問題について述べなくとも、スポーツ新聞には、彼の動向が掲載されていて、自分のウェヴサイトで時局を斬りまくる「ただの人」の言説・動向が掲載されていない理由はここにある。
新聞・雑誌の類に掲載される文章(含む談話)は、作り手が読ませたい、と思う内容を持っている、と云うのが建前である。横丁の隠居(停年間近の教員でも、女子大卒業の主婦でも、受験勉強が手につかない学生でも同じ)が、自分の投稿した文章が新聞の投書欄に掲載されると嬉しくなるのがこちら側である。
その一方、偉い人に何か書いてもらえば読者が喜ぶだろう、と云う意図のもとに掲載されるものもある。まずは注目されるべき人ありき、のパターンである。「タレント本」と呼ばれるものが、その典型であろう(中には、タレント本人が文章を書いないものもある、と云われている)。
ネット上で文章を表す人間は数多くいるはずだが、私を含む無名な書き手の意見が、どのくらい社会に認められているかは怪しいと云わなければならない。著名人がすでに同じような内容を表していれば、無名人のものなど無視されるのが当然の事であるし、独創的なものであれば、著名人が認めるまでは、ただの戯言としか受け取ってもらえない。しかし、独創的なもの(書いた本人しか内容を理解出来ないほど独創的過ぎるのものは別として)の方が、読んでもらえる可能性が、まだあると云えるだろう。
例によって長い前置きがあったところで、本題に入る。今回は、戦時中の雑誌に掲載された著名人の文章を読んでいただこう、と云う趣向である。以下は「科学朝日」昭和18年10月号に掲載されたものである。原文は段を設けずに書かれているが、読みやすさを考慮して段分けを行うとともに、例によって仮名遣いの改変を施してある。
科学者の或る構想
骨相学で人間を改造 川上 嘉市
人の似顔を沢山に描いている間に私は顔というものに対する愛着をつくづくと感ずるようになった。若い人達が美しい女性に愛着を感ずるとは反対に、私には歪んだ顔、渋い顔、ひょっとこのような顔、苔さびた顔、表情たっぷりな顔、田舎びた素朴な顔等が最も強く心にひびく。
亡くなった清浦伯爵の顔などは随分人間離れのした理想的な馬面であったが、差向かって描いておりながら、長い南瓜を連想したことであった。
さてこうして描き集めた顔の種類が三万種も手許に溜って見ると、私がこの資料を取纏めて、一つ人相学か、骨相学かを開拓して見たいと考え出したのは強ち無理からぬことであろう。これが抑々私の夢の発端である。
私は先ず西洋の骨相学の本を調べて見た。また日本の某々師等の著書も読んで見た。然しそれ等の記述している所は、科学とは凡そ縁遠いものであって、殆ど信憑するに足らない。なぜなれば、これ等の本には量というものが一つも考えられておらない。数字の入らない物理学、大きさの無い形状というものは成り立たないのである。
例えば人間の耳の位置にしてからが、側面から見て、耳は決して頭の中央には位置しない、人によってその位置が一寸位中心から前後している。故に耳の上の骨の凸凹が、どうのこうのと言っても、本当はその位置でさえ不定であり、且つ骨には継目が表面に明瞭に現われておらないから、個々の骨相を比較する標準が無いのである。
私は帝大の人類学の教室にも行って尋ねて見た。ドイツの某教授の考案になる首を切り離して白骨となった頭蓋の測定機が一種あるが、これは全然生きた人間の骨相測定には使用すべくもない。
私は大工の使う金指を以て眉と眉の間とか、額の広さとか、頭の巾や奥行などを測って見た。然しそんな簡単なことで人間の複雑した頭の格好などが表現できるものではない。色々考えた揚句、天来の妙音の如くに、私の頭に一つの考えが浮んだ。それは両方の耳の穴に軸を挿入し、これを中心として、頭の前後に廻し得るU字形の箍を取りつけ、その底辺に上下左右に摺動しうる針を備えた頭蓋測定器の考案であった。尚この測定器にはこれを頭部に固定し得る止め捻子と、測定せんとする頭蓋の断面と垂直面とのなす角度を示す角度計と、頭蓋の断面を紙上に実物大に記す自記装置とが備わっている。私がこの装置の特許を得たのは三四年前のことである。
本測定器の使用法はここに詳述する余白を有しないが、これによって従来不可能とせられた人間の頭の形状を、全然実物大に自記することが出来るようになった。これに依って如何にして骨相学を作り上げるかが次の問題である。
先ず多数の学校の生徒等の中から、その性質や、才能の何か一つが、ずば抜けているものを選んで、その頭蓋の形状を測定する。そしてその最も秀でた方面々々によって頭の形状を分類するのである。例えば国民学校や中等学校で数年間も教えた生徒の中から或る学科例えば数学、理学、音楽、暗記、文章、図画等の何れかが抜群的に秀でた者のみを選定してその頭蓋を測定し、各科別に分類して、その中から頭の形状上の共通点を見つける時は、頭蓋各部の機能というものが推定し得らるる道理である。
性質に就ても才能の場合と同様の研究をする。親切、残忍、短気、侠気、勇敢、怯懦等一切の性質に就てこれに該当する頭蓋の形状上の変化を調査し上げるのである。
こうして精密な調査研究を幾万となく成しとげて、ここに科学的根拠に基礎を置いた真の骨相学というものが始めて成立するであろう。特定の個人をこの測定器によって乳児期より老人期に至るまで記録を取れば、人間一生の頭脳発達史を作ることもできる。
人相骨相と人間の性質や能力と、どれだけの関連があるかは、今はまだ資料が充分でないから、断定することは尚早である。然し私は自分が似顔を描くことによって訓練せられた比較的正確な観察眼を以て見る時は、相似た二つの顔の持主は殆ど例外なく、実によく共通した性格を有しているということだけは断定出来る。
今日私はこういう夢を懐いている。それは若しも時間が私に与えられるならば、私の骨相学を基礎として人間改造、更に広くは人類改造を完成するということである。それには人の才能や性質と頭蓋の形態との関係を究明して、若しも理想的に頭の形状とか、特異の才能に対して最適当な頭蓋の形が発見できるならば、その形を人工的に作り上げることである。四角の床柱は若竹に四角の樋をはめて作り上げるのである。人間の場合に於ても石膏を以て頭蓋の型を作って幼少の時に、これを嵌めて理想とする形に作り上げればよろしい。支那人の纏足の例や、現に南洋ボルネオ人の一部が幼児の頭に木片を縛りつけて頭を変形せしめているという事実もある。発達不充分な頭脳の一部を膨らませる為には頭蓋骨の一部を外科手術によって砕き取るのである。
こうして世の中から一切の残忍者や悪性者を根絶し、善人、優秀人のみの住む極楽世界を出現せしむるのが私の夢である。差し当たり米英人のつっ張った欲の皮、否骨を凹ませるだけでも人類の喜びとなるであろう。(筆者は日本楽器会社社長)
「日本楽器会社」とは、今の「ヤマハ」の事である。通常は、記事の書き手その人には触れない(触れようが無い)のだが、著名人であるので、ざっとネット検索をかけただけで、人となりが解った気になるほどの情報量がある。それらをまとめてみると、
川上嘉一(1885年3月1日〜1964年4月6日)経営者。 東京帝国大学工学部を主席で卒業、東京ガス、住友電線の取締役を経て、昭和2年に経営不振に陥っていた日本楽器製造株式会社に招聘された。以後社内の改革を断行し、現在のヤマハの基礎を作り上げた。浜松市の名誉市民、ロータリークラブの会長と世俗的成功をおさめるとともに、ヤマハの社長職を実子に継承させ、多数の著書を残し、「川上嘉市著作集」(全13巻)まで編纂されたと云う、「偉い人」の典型のような人である。
とは云え社内改革の結果、優秀な技術者に独立されたり(河合楽器の設立)、「兵器生活」主筆が、そんな人の事など知らず、ネタに選んでも「川上嘉市著作集」まで手を出したくないなあ…と云う状況であるから、「偉大な人」には少し足りなかった人でもあるとも云える(笑)。
文中に登場する「清浦伯爵」は、おそらくは清浦奎吾伯爵の事と思われる。明治〜大正時代の政治家で、第23代内閣総理大臣であるが、わずか半年で辞任している。
「骨相学」と云うのは、頭蓋骨の形状の違いと人間の性質(『性能』と云うべきか)には相関関係があるものとして、人間をパターン化し、その結果を社会の役に立てようと云う、近年あまり流行っているとは思えない学問である(現代では『疑似科学』の一つとして紹介される事もある)。本文中にもはっきりと
骨相学を基礎として人間改造、更に広くは人類改造を完成する
と、読む人が読むと卒倒するようなことが堂々と書かれている。
人体そのもの、あるいは生殖細胞を操作することで、理想的な人間=一種の超人を生み出そうとする話は、SFの世界でおなじみの仕掛けだが、この人の考えが凄いのは、頭蓋骨の形状を物理的にコントロールすれば理想の人類が誕生する、と素朴に結論付けているところにある。科学的骨相学が成立するのか、と云う前提の可否判断は別として、それに基づいて作り上げられた「正しい人間」を、どう教育していくのか? と云う視点が、この文章から欠落しているのが、その証拠であると云える。
「アタマのカタチを変えればこの世に極楽世界が出現する」と云う考えは、21世紀の科学雑誌誌上では、たぶんお目にかかることの出来ない極論ではあるが、現代でも、優秀とされる人間の生殖細胞を使って、天才を生み出そうとしている人達も存在しているそうであるから、人間の理想世界に対する渇望と云うのは、根が深いものである…。
川上氏考案の頭蓋測定器
この文章とともに「科学朝日」誌に掲載された「頭蓋測定器」である。「2」が、耳の穴に挿入される軸であるのだが、鼓膜を突き破りそうで、ちょっと怖い(笑)。各部がどのような機能を持っているかは、「科学朝日」には書かれていないので、興味のある人は、特許庁にでも問い合わせてみること。
人類の闘争の歴史は、敵味方の選別の歴史でもある。犯罪は常に他者に対して行われる(自殺は、『生きている価値の無い自分』と云う自分自身から切り離された『他者』に対する殺人と考える)。と云うわけで、道徳は「他人の身になって考える」だの「世界は一家、人類みな兄弟(火星は遠い親戚)」と説くのであるが、ならば自分の価値観と相容れない他者は始末してしまおう、あるいは波風を立てぬように「寄らば大樹の陰」、と云う発想も生まれてくる。その表れ方は、大は全体主義体制における思想統制から、身近な所では親や上司への追従や無関心まで様々である。
人体(そしてその考え方)を、ある規格に人工的に合わせてしまおう、と云う発想も、「生病労苦死」と称される人間である宿命から逃れるために考案されたものなのである。
川上氏の文章は、「差し当たり米英人のつっ張った欲の皮、否骨を凹ませるだけでも人類の喜びとなるであろう。」と、取って付けたような、時局に考慮した結びで終わるが、髪の毛や肌の色についてはどのようにするつもりだったのだろうか。
「鬼面帝国」と云う山上たつひこの漫画では、極楽浄土の市民権を得た亡者が、全員同じ顔(それは『仏の顔』である)に手術されると云う、グロテスクな極楽往生を描いている作品であるが、川上氏の夢見る「極楽世界」も、それに通じるものがある。そこは、すでに頭蓋骨が固まってしまった我々にとって、本当に住み易い世界だと云えるのだろうか…。
<参考>
1.川上嘉市に関するもの
ITスクエア 先達に学ぶ一本のキラーパス
第13回 日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)元社長 川上 嘉市氏
文化を産む業 MADE IN HAMAMATSU
浪漫を企てた巨人たち
川上嘉市 (かわかみかいち)
私設文庫館−太平洋戦争編−
『空襲の歌』 川上嘉市さん の短歌紹介
ヤマハホームページ
戦前のヤマハの企業活動
※生没年に関しては、Catalysis〜ストローワラの情報交差点〜の、生年月日(誕生日)データベースおよび没年月日(命日)データベースを参照した。
※川上嘉市の日本楽器社長就任と、河合楽器創立の部分についてはピアノ概論中のピアノの歴史「日本のクラフトマン達」を参照した。
2.清浦伯爵に関するもの(馬面の度合いは下の「知られざる 清浦奎吾の生涯」のページでご覧下さい。
西村美術人名辞典
清浦 奎吾 嘉永3/2/14-昭和17/11/5
電網木村書店 Web無料公開『読売新聞・歴史検証』
明治維新の元勲、山県有朋の直系で、仏門出身の儒学者
テレビ熊本の番組(読者の方からの情報です。ありがとうございました)
郷土の偉人シリーズ 第8弾!知られざる 清浦奎吾の生涯
(残念ながら放映済みです)