ノートをとりつつ秘密を考える15万おまけ
「ノート」 英語で書けば「note」である。手元の「THE ANCHOR」(第二版 学習研究社)では「覚え書き、メモ、ノート;記録」とあり、以下「注」「(形式ばらない短い)手紙」等々と続く。これが「notebook」になると、「ノート、筆記帳、手帳」と云う、何かを書き記すための物体を指し示すようになる。
今回は、「notebook」の「ノート」の話である。
ノートを用いなくなって久しい。小学校から大学まで、鞄の中にはなにかしらノートが入っていたものだったのが嘘のようである。メモは取る。それはオフィスで大量に発生した反古紙を裁断して作ったものに殴り書きされるもので、そこから先はゴミ箱か「報告文書」になるかである。だからノートを持ち歩くことが無い。
「兵器生活」の内容を作る時にも、ノートは作らない。ネタ本は手元にあるし、参照すべき資料も「本」としてそこにある。コピーされた「紙」のものも多いが、あくまでも「紙」である。引用すべき部分はとっととテキストファイルとしてしまうし、全体の流れなどはhtmlファイルを作りながら組み立てる事が殆どなのだ。たまにメモを作れば上出来である。
と云うわけで、図書館で資料を読み、それをノートにまとめている人を、私は無条件で畏怖尊敬することにしている。そう云う人にあやかるべく、切り離しせばバインダーに綴じられるノートを始め、普通の大学ノートを買った事もあるのだが、それらを使ったためしが無いのである。
現代であれば、思いついた事象をパソコンに打ち込めば良いのであるが、パソコンが普及する前、ましてや戦前・戦中にあって知的生産を行おうとすれば、どうしても物体としての「ノート」を使わざるを得ない。
しかし、ノートと云うモノは、モノカキのネタ帖を除けば、用事が済んでしまえば持っていても邪魔になるだけである。人様にお見せできるような内容が書かれていないこともあるだろう。記念館が作られるようなエライ人を除外すれば、使い終わったノートは所詮反古の固まりであり、それを再利用するには、ノートの形態を残せないような用途(焚き付け、ちり紙 等)にしか使いようが無い。よって、昔のノートが、商品として出回る事は少ないと云えるだろう(デッドストック品を除く)。
よって、戦前・戦中のノートは、モノがあるだけで立派なネタとなるのである。
古本市で入手したノートである。絵柄を見ればわかる通り、小学生低学年くらいのお子さま向けのモノだ。古本市に並べられた理由は、この表紙に商品価値がある、と店主が思ったからに他ならない。
表紙は多少くたびれているのだが、子供が使うノートが、美麗に使われるためしが無いのは、各人がそれぞれの過去を振り返ればわかることある。これは、どこかの商店が帳簿代わりに使用していたものである。内容を紹介したいのはやまやまなのだが、符丁と数値ばかりであるので、紹介のしようが無い。
絵に描いたような(笑)よい子は兵隊さんごっこ。そのころホンモノの兵隊さんは、トーチカを陥として万歳三唱である。日本の女性は家庭にあって銃後の護りの役割を求められていたのであるが、この絵では仲良く行進している。女の子は星一つの二等兵、男の子はサーベル持ちの准尉サンである。男女差別だなあ(笑)…。
次にご紹介するのも、同じ古書市に出ていたノートである。出もとの店も同じで、中身はやっぱり良く分からない商売上の書き付けである。
可愛いのか不気味なのか、判断に困るヒヨコの兵隊さん。目の部分はなぜかトリっぽく描かれている。このカタチは凄いね(笑)、スズメの焼き鳥を食べながら描いたんじゃああるまいに。
手に持っている武器? はどう見ても竹竿にしか見えないにもかかわらず、腰には剣(らしきモノ)を帯びている。表題?が「NOTE BOOK…」となっているのもヘンだ。
次も謎の書き付けノートである。
「愛国貯蓄」と云うカードを掲げた兵隊さんと、何が嬉しいのか良くわからない女の子と云う組み合わせである。銀行か郵便局か何かの景品のようにも思えるのだが、手がかりは無い。画像では分からないのだが、イラストと文字の部分は型押しがされて浮き出している、ちょっと手のこんだノートである。
以上は、支那事変頃に市販(あるいは配布)されていたと思われるノートであるが、次に紹介するのは、それらとは一線を画したノートである。
「マル秘」のマークも厳めしい「特別筆記帳」である。何が特別なのか、を説明する前に、表紙をじっくりと眺めてみよう。
いきなり「処理法」などと云う注意書きが印刷されている。
左記ノ場合ハ所属分隊長ニ返却シ分隊長ハ之ヲ焼却スルモノトス
1.卒業ノ時
2.不要ニ帰シタル時
「分隊長ニ返却」そして「焼却」である。何かしらの事象が記載されたノートが、焼却に値するのかどうかは、書かれた内容によるべきものであるが、不要になったら問答無用で「焼却」と云うのは凄い。
紙の枚数まで銘記することで、ヘージをこっそり破り取る行為まで牽制しているのだ。しかし、これの紙を勘定してみると、40枚しか無いことが判明した! 元の持ち主は、密かに2枚破り取っていたのだ。何故破り取ったのかは知るよしもない。
何故「焼却」されねばならないのかの理由がこの訓令である。
制令
海軍練習連合航空総隊
1.当隊学生練習生ハ在隊中教示ヲ受ケ又ハ研究修得セル事項中機密ニ属スルモノヲ本帖ニ記託スルコトヲ得
2.軍機ニ関スル事項ハ一切之ヲ記載スルコトヲ得ズ
3.本帖以外ニハ一切秘扱以上ノ記註ヲ禁ズ
4.本帖ノ取扱ハ軍極秘ニ準ジ厳ニ散逸ヲ戒シムルト共ニ隊外ニ持出ヲ禁ズ
5.本帖ハ必要ニ応ジ査閲スルコトアルベシ
5.本帖ハ各教程ヲ通シ使用スルコトヲ得
以上
練習航空隊を自動車教習所にたとえると、運転免許を保持している読者諸氏には理解が早いかもしれない。教習所では、学科・実技の教育を受けるわけだが、そこで教わったことをこのノートに書いて良い、と云うのが訓令第一条の趣旨である。教習所と違うのが、教育内容に軍の機密が加わることである。訓令第一条では「機密ニ属スルモノ」の記載を認めているが、第二条では「軍機ニ関スル事項」は一切書いてはいけない。つまり、機密>軍機と云う包含関係がある、と云うわけだ。
その一方、第三条は「本帖以外ニハ一切秘扱」以上の事項を書き留めてはならないとあり、一般に市販されているノート・手帳・日記帳の類に機密事項を書くことを禁止している。
この筆記帳の「取扱ハ軍極秘ニ準ジ」とあるから、筆記帳そのものは軍極秘には本来あたらないことを示している。表紙の画像には、「マル秘」マークが印刷されているから、筆記帳は「秘」ですなわち 軍極秘>秘と云うレベルの高低がわかる。
さきほどから「軍機」と私は平然と書いてしまっているが、「軍機」って何? と云う疑問があってしかるべきである。実は私も良くわかっていない(笑)。
「海軍兵須知提要」(海軍省教育局 昭和18年12月)と云う、帝国海軍の兵が知っておかねばならない事象をまとめた本があるのだが、これの第三章が「軍機保護法」の説明になっている。いわく(註:原本は漢字カタカナであるが、平仮名に直した)
軍事上には種々機密を要する事項があり、此の機密を守ることは極めて大切で若し漏洩したとせば取返しのつかぬ不利を来すものである(略)
一、軍事上の秘密の種類範囲を明かにしてある
本法に適用される軍事上の秘密と称する作戦、用兵、動員、出師其の他軍事上秘密を要する事項又は図書物件を謂い、此の詳細は海陸大臣が命令を以て定むることと規定され此の図書には「軍機」又は「軍極秘」「秘」と標記する
(二〜五、略)
六、過失に依り軍事上の秘密を他人に漏洩したる者も処罰せらる
例えば職務上知りたる軍事上の秘密を記せる日記帳又は秘密の地図書類を不用意の間に屑屋に払下げ秘密の漏洩せる時も処罰せらる(機密事項は日記帳等に書いてはいけない)
「機密事項は日記帳等に書いてはいけない」と、明確に禁止事項としてあげられている。禁止された事が守られているのか、と云う問題については触れない。戦死者や捕虜から入手した日記・手帳の類から米軍が情報を得ていた話が、日本軍の情報活用意識を論じられる際、取り上げられることがある、とだけ書いておく。
「軍機」とは「軍事上の機密事項の略だ」と云うのが私の認識なのであるが、「軍機保護法」(昭和12年の改正後)の条文では、実のところ「軍事上の機密」=「軍機」とはどこにも銘記されていない(笑)。法律の表題に「軍機」とあるだけで、条文上はすべて「軍事上の秘密」で通してしまっている。※改正前の条文を入手していないので、「軍機」と云う言葉に法的根拠があるのか、今のところ不明である。
余談が過ぎたようなので、「軍機保護法」の条文にふれなければならいのだが、ネットで検索すれば出てくるものを、わざわざ打ち込むのも面倒なので、「軍機保護法施行規則」の一部を紹介してみる。これは「海軍諸例則」と云う海軍大臣官房編による、海軍関係の法令の類をまとめあげた書籍に掲載されていたものである(昭和館所蔵、原書房『明治百年史叢書』版)。漢字カタカナまじり文を、漢字平仮名まじり文にあらためた。
軍機保護法施行規則
第一条 軍機保護法第一条第二項の規定に依る海軍の軍事上の秘密を要する事項又は図書物件の種類範囲左の如し
一、国防、作戦又は用兵に関する事項
(一)国防、作戦の方針、計画又は其の実施の状況
(二)兵要地点の調査に関する計画、実施又は其の成果
(三)軍港、要港、防御港湾其の他作戦要地の防備の方針、計画又は其の実施の状況
(四)海上交通保護の方針、計画、実施又は戦時事変の際に於ける其の成果
(五)艦船部隊(軍用船舶を含む以下同じ)の用兵上の任務、行動計画又は其の実施の状況
(六)外国又は外国人の団体との軍事に関する交渉、約定又は其の実施の状況
(七)戦闘の際に於ける戦闘方式及艦船、軍事施設、航空機、兵器、軍需品若は人員の数並に此等の損傷の状況
二、出師準備に関する事項
(一)出師準備の方針又は計画
(二)出師準備の状況
(三)戦時、事変又は之に準ずる事件の際に於ける出師準備に関する諸令達又は之に基く出師準備進捗の状況
三、軍備に関する事項
(一)軍備の方針、計画又は進捗状況
(二)水陸設備の方針、計画又は進捗状況
(三)艦船部隊、官衙又は学校の戦時編制又は其の装備
四、諜報、宣伝又は防諜に関する事項
(一)諜報又は防諜に関する方針、計画又は其の実施の状況
(二)諜報又は防諜の方法又は機関の組織、所在若は任務
(三)宣伝の方針又は計画
五、教育、訓練、演習又は研究実験に関する事項
艦船部隊、官衙又は学校に於ける機密(「軍機」又は「軍極秘」に属するものに限る以下同じ)に属する教育、訓練、演習又は研究実験の計画、実施又は其の成果
六、通信に関する事項
(一)軍用通信の施設、計画又は軍用通信規定の内容
(二)軍用暗号の名称、種類、内容又は暗号の標記を為したる書類
七、軍事施設に関する事項
(一)海軍大臣所管の飛行場、電気通信所、砲台、防備衛所其の他の軍事施設の位置、員数、編成又は設備の状況
(二)海軍大臣所管の軍需品工場又は鉱山の能力、生産額、従業員数又は設備の状況
(三)海軍大臣所管の軍需品貯蔵所の能力、貯蔵量又は設備の状況
八、艦船、航空機、兵器又は軍需品に関する事項
(一)「軍機」又は「軍極秘」に属する現用、計画、製作若は実験中の船体、機関、兵器、航空機、液体燃料、火薬又は「軍機」の標記を為したる計画図書に依り製作若は実験中の物件の形状、名称、機構、性能、要目若は規格
(二)船体、機関、兵器、航空機、液体燃料、火薬の機密に属する製作技術
(三)艦船の機密に属する要目
(四)軍需品又は重要軍需資材の使用量又は使用予定量
(五)軍需品又は重要軍需資材の運輸計画、補給計画又は其の実施の状況
九、図書物件に関する事項
「軍機」又は「軍極秘」の標記を為したる図書物件並に第一号乃至前号に掲ぐる事項を表示する図書物件
前項の種類範囲に属する事項又は図書物件と雖も法規若は官報を以て公示せられたるもの又は海軍に於て公表したるものは之を除く
ここに掲載したのは「海軍」の規則(海軍省令第二十八号)の冒頭部分で、以下は「測量、撮影、模写、若ハ録取」に関する規定と、そう云う場所である旨を知らせる高札の書式が続く。この規則、当然のことながら陸軍のものも存在し、その文言は微妙に違うのである。今回はノートの話なので(笑)海軍の分だけを挙げてみた。
昭和12年に改正された「軍機保護法」の趣旨は、「軍事上ノ秘密」の保護にあるわけだが、「軍事上ノ秘密ヲ探知シ又ハ収集」すると6ヶ月以上10年以下の懲役、公表する目的で「探知又ハ収集」すれば2年以上の懲役と云う罰が待っている。個人的興味で軍用機や軍艦を調べると、やり方によっては犯罪として処罰されるのである。その秘密を「他人ニ漏洩シタルトキ」は無期あるいは2年以上の懲役になる。世が世であれば、私は刑務所送りである(もっとも世が世であれば、こんな事はしておるまいが…)。上にあげた規則を読むと、昭和12年以降の雑誌から、日本軍の兵器に関する情報が、当局の許可を得たものだけになってしまった理由が良くわかる。
しかし、国民全般を規制する法律に書かれている文言を書き連ねても、「機密ニ属スルモノ」と「軍機ニ関スル事項」の違いが、「軍極秘」と「軍機」と云う言葉以外はまったく分からないのである。
「規則」をさらにかみ砕いた内部文書が絶対存在するはずなのだが…。
当時の資料が得られない以上、現在の類似の法令を調べてみた。
防衛庁訓令第百二号「秘密保全に関する訓令」(昭和33年)に
第一条
この訓令は、日米相互防衛援助協定に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律第百六十六号)に規定する防衛秘密及びその他別に定める秘密の保護に関するものを除き、防衛庁における秘密の保全のため必要な措置を定めることを目的とする。
第五条
秘密は、その保全の必要度に応じて、次の各号の基準により、機密、極秘又は秘のいずれかに区分するものとする。
(1)「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
(2)「極秘」とは、機密につぐ程度の秘密の保全が必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に損害を与えるおそれのあるものをいう。
(3)「秘」とは、極秘につぐ程度の秘密の保全が必要であって、関係職員以外の者に知らせてならないものをいう。
と書かれている。※「現行法規総覧88 国防(1)」(第一法規出版)による。
「軍機」が「機密」、「軍極秘」が「極秘」、「秘」はそのまま「秘」と変わっただけのような気がしないでも無い。だとすれば、帝国陸海軍における、「機密」「軍極秘」「秘」の区分の基準も、こんな程度のモノだったのだろう。
機密のところで思わぬ足踏みをしてしまったので、次に進む。
<海軍練習連合航空総隊>とは、字面を読む限りでは、帝国海軍の練習航空隊の元締めになるわけなのだが、「戦史叢書 海軍航空概説」(朝雲新聞社)から海軍の練習航空隊に関する記述を拾ってみると、
大正8年 横須賀海軍航空隊に練習部設置
大正10年 海軍航空隊練習部令制定
昭和5年6月1日 海軍航空隊練習部令廃止、海軍練習航空隊令制定
昭和5年6月 予科練習生(いわゆる予科練)一期生採用(高等小学校卒業程度から募集、3年教育。
卒業後は操縦練習生または偵察練習生へ)
昭和12年2月 「予科練習生」を「飛行予科練習生」と改称
昭和12年5月 制度改定。甲種飛行予科練習生制度制定(航空隊規模拡大により、小隊長クラスの搭乗員不足が予想されたため、旧制中学校4年第一学期卒業を資格としたもの)。従来の飛行予科練習生は乙種飛行予科練習生と改訂された。
昭和13年12月 海軍連合航空隊制度新設 練習航空隊2隊以上で構成される連合航空隊を、「海軍練習連合航空隊」と称することになる。
昭和18年 海軍練習連合航空総隊新設(1月制定、2月実施)
昭和20年3月 戦局の悪化に伴い、海軍練習連合航空総隊解体、練習航空隊を作戦部隊とするとともに、学生・練習生の空中教育の停止
昭和20年5月 学生・練習生の教育再開(一部選抜による特攻兵力として教育)
昭和20年5月末 予科練習航空隊は、土浦空、三重空、滋賀空(航空特攻要員教育)・倉敷空、小富士空(水上・水中特攻要員基礎教育)・宝塚空(新入隊予科練習生基礎教育)に整理される
※本当はどのような練習航空隊があったのか、名称くらいは記載するべきなのだが、「戦史叢書 海軍航空概説」には断片的な記述しか無かったため、割愛せざるを得なかった。
と云うような情報が手に入った。そこからは、この「特別筆記帳」は練習連合航空総隊設置が設置された昭和18年以降に制定され、解体された20年3月以後に廃止されたことがわかる。
練習連合航空総隊が廃止された理由は、戦局悪化で教育を施していることが困難になったものであるから、練習帳に書かれているように、これをいちいち回収するような余裕も無くなり、このノートも焼却処分を免れたのであろう。手元にあるこれが、いつ頃使用されていたものなのかを示す記述は何も無いのだが、全体の半分強しか使われていない事から、昭和20年に入ってから支給されたものと思われる。
物珍しさで買ったノートであるが、「存在している事」以上の価値が見いだせないため、紹介する方もたいした付加価値を付けることが出来ない。とりあえず戦前にも現代のような、表紙にイラストの付いたノートが市販されていた事実があったことと、海軍練習航空隊では、専用のノートを支給していた事を覚えていただければ良いと思っている(個人的には軍機保護法施行規則の一部をテキスト化した、と云うのが最大の付加価値だ)。
多分「ミッキーマウス」や「のらくろ」のノートも存在していたのだろう。また、このようなカラーイラストの付いたノートを横目で見ながら、藁半紙や反古紙を使っていた子供達の方が多かったに違いない…。