マーケット・ガーデン作戦について : 山家(01/9/18 21:59)
Re:マーケット・ガーデン作戦について : Edwerd(01/9/19 11:47)
作戦に参加した部隊、取り分けポーランド部隊について : 山家(01/9/20 21:13)
作戦の背景や連合軍の情報収集のミス等について : 山家(01/9/22 21:13)
Re:マーケット・ガーデン作戦について : まなかじ(01/9/23 19:07)
Re[2]:マーケット・ガーデン作戦について : 山家(01/9/25 20:23)
ちょんぼ。 : まなかじ(01/9/25 22:27)
話がずれてしまいますが。 : 山家(01/9/27 20:04)
言うは易く、行うは難し : まなかじ(01/9/28 00:08)
Re:言うは易く、行うは難し : 山家(01/9/28 21:26)
 : まなかじ(01/9/29 00:49)


6044 Root [6046] [6056]
マーケット・ガーデン作戦について
山家(01/9/18 21:59)

 邦題名「遠すぎた橋」という題名で映画化もさ
れた1944年9月のマーケット・ガーデン作戦
についてですが、あの作戦について、どのように
思われますか。
 確かに結果だけから見れば、大失敗に終わった
としか言いようがないのですが、事前に英米連合
軍が得ていたという情報等から考える限り、19
44年9月に、ライン河を渡河し、クリスマスま
でにWWUを終わらせようとするならば、あの作
戦を実行する以外の作戦を私には思いつけないの
ですが、やっぱり無謀で、どうしようもない作戦
なのでしょうか。私としては、発想自体は悪くな
い作戦だとずっと考えていたのですが、最近、無
意味で、事前に英米連合軍上層部は、SS装甲師
団等が作戦地域に展開しているのを知っていて、
失敗に終わるのを予測しえたのに、作戦を強行し
たという説を読んで、えっと思って書き込むこと
にしました。
 どうか、よろしくお願いします。


6046 [6044] [6053] [6055]
Re:マーケット・ガーデン作戦について
Edwerd(01/9/19 11:47)

こんにちは、Edewrdという者ですが、久しぶりに覗いた所、興味ある記事を見掛けてレスしました。
連合軍上層部がドイツ装甲部隊の集結を知りつつも無謀な作戦を強行したエピソードは、映画「遠すぎた橋」でも取り上げられていました。ダーク・ボガードを扮する作戦総司令官のブラウニング中将が、情報将校が示した偵察写真で確認された、森に偽装隠蔽された装甲車輌が存在する事実を握り潰すシーンです。このシーンでは、ノルマンディー戦以降、何度となく中止されてきた空挺作戦を今度こそ実施しなければならないという、半ばブラウニングの連合国上層部内における功名争いがその大きな動機を占める政治的な理由で作戦が強行されてます。
またこの時、アメリカ軍と先を争うようにドイツ国境を目指していた英第21軍集団司令官のバーナード・モンゴメリーにも、英軍はノルマンディー上陸後の戦闘でアメリカ軍の突破を助けるためにカーン全面で多数のドイツ装甲部隊を引き付けて作戦の貴重な貢献をしたものの、それが為にはた目には目立った活躍を見せる事ができなかったので、ここで英軍主導の下に大きな作戦を成功させる必要があったという理由があるようです。
総括的に見れば、この作戦はその準備不足や情報収集等の不徹底さがたたって失敗に帰しましたが、確かに山家さんのおっしゃる様に作戦の着想そのものは大胆不適で悪くないものではあります。当初の計画通りに十分な輸送機を集める事ができ、作戦初日の第一波の降下時に実際には遅れて投入された部隊も降下させる事ができれば、その結果はもっと違ったものになったでしょう。なにせ精鋭の英第1空挺師団の将兵達は、2日でアーンヘムに到着する予定だった英第30軍団の到着を待ちつつ、ドイツ装甲部隊を相手に9日間も粘ったのですから。
しかし、その後のドイツ軍の粘り強い抵抗を考え合わせると、ルールを占領して一気に戦争を帰趨を決して、クリスマスまでには終戦に持ち込もうというのは、いささか希望的観測に過ぎたというのは否めない所でしょう。

映画「遠すぎた橋」に関しては私のHPでも詳しく述べてありますので、興味のある方は御覧下さい。
http://www.h2.dion.ne.jp/~yacinema/

かしこ


6053 [6046] なし
作戦に参加した部隊、取り分けポーランド部隊について
山家(01/9/20 21:13)

 Edewrdさまへ。HPの紹介等、本当に
ありがとうございます。
 HPの映画紹介を読んで、初めて「遠すぎた橋」をTVで見たときのこと等を思い出して、
思わず目頭が熱くなりました。この映画の中で、
私が一番印象に残っているのは、ポーランド第
1独立パラシュート旅団長を務めているソサボ
フスキー将軍と彼の部下達です。将軍は、この
作戦について批判し、戦場で将軍の部下達は、
絶望的な戦いを強いられることになります。し
かし、それさえも、彼等が戦後蒙ったと聞いて
いる祖国からの仕打ちに比べれば、という気に
私はなります。彼等は、戦後、祖国にほとんど
帰ることができませんでした。祖国には、共産
主義の政府が樹立され、帰国した人は、反革命
罪に問われ、家族ともども強制労働を強いられ、
死に追い込まれたからです。私の記憶違いだっ
たら申し訳ないですが、それを思うたびに、私
は痛切に胸が痛みます。
 他にも、いろいろな部隊が、この作戦には、
参加しています。英米、更には独の空挺部隊が、
独は歩兵としてですが参加しており、再編中と
はいえ、武装SS2個装甲師団も参加していま
す。作戦に参加した部隊について、印象に残る
エピソード等を、ご存じの方はおられませんか。


6055 [6046] なし
作戦の背景や連合軍の情報収集のミス等について
山家(01/9/22 21:13)

 この作戦が実施された背景として、英米の将軍
間の功名争いは、映画でも取り上げられていまし
たが、本当にそれだけなのでしょうか。この作戦
が実施された背景としては、私としては、既に連
合軍側、取り分け英軍も戦争に疲弊しており、少
しでも早く戦争を終わらせたいという焦りがあっ
たのではないか、と思うのですが、これはモント
ゴメリー元帥等に好意的過ぎる見方なのでしょう
か。それに、この作戦によってV2基地の補給を
絶ち、ロンドンを空襲から守ることも動機と聞い
ていますが、これは間違いでしょうか。この作戦
の背景や動機について、ご存知の方はおられませ
んか。
 それから、どうしても分からないのが、連合軍
の情報収集ミスについてです。私の読んだ資料に
よって、食い違いがあります。モントゴメリー元
帥は、作戦が決行されるとき、2個SS装甲師団
を中核とする独軍が待ち構えていることを熟知し
ていたのでしょうか、それとも知らなかったので
しょうか。また、独軍の状態も今一つ分かりませ
ん。例えば、2個SS装甲師団の再編は完了して
いたのでしょうか。書名を失念しましたが、この
とき2個SS装甲師団は補充の真っ最中で、それ
ぞれ1個連隊程しか、連合軍の空挺降下に即応で
きる状態ではなかったという本を読んだ覚えもあ
ります。どなたか、教えて頂けないでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。


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Re:マーケット・ガーデン作戦について
まなかじ(01/9/23 19:07)

まず見る。

http://www.marketgarden.com/
(英文ページ)
http://member.nifty.ne.jp/highway/holland/market.htm

http://homepage1.nifty.com/RC30/holland.htm

とりあえず読む。
「遥かなる橋」(コーネリアス・ライアン)ハヤカワ文庫NF
学研・欧州戦史シリーズ・9「アルデンヌ攻勢」


6057 [6056] [6058]
Re[2]:マーケット・ガーデン作戦について
山家(01/9/25 20:23)

 まなかじさま、どうも、詳しい情報をありがと
うございます。英文のHPについては、この週末
にでも腰を据えて読もうと思います(私は外国
語が、大の苦手なのです)。ハヤカワ文庫につい
ては、近くの書店・古書店を虱潰しに当たったの
ですが、見つけられませんでした。注文すると、
また時間がかかるし、と悩んでいます。
 しかし、友人とこの話をしたとき、友人に言わ
れたのですが、英軍は速やかにスヘルデ河口を掃
討し、アントワープを補給港として活用すべきだ
ったのでは、とあらためて考えました。そうすれ
ば、「ラインの守り」作戦、いわゆるバルジ大作
戦は、連合軍が充分な補給を受けることにより、
立案さえされなかったのでは、とも考えました。
「マーケット・ガーデン」作戦が実行されなかっ
たら、多分、そうなったのでは、と考えると尚更
です。その一方で、もし、1944年9月に連合
軍がライン河を渡河していたら、という考えも、
どうしても、捨てきれません。もし、渡河できて
いたら、どうなったのでしょうか。


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ちょんぼ。
まなかじ(01/9/25 22:27)

まあ、その、英軍は、ちゃんとした「電撃作戦」ってのをやったのは今回が初体験なわけです。
もう、第2軍は疲れきってへとへとで、アントワープを取ってもスヘルデ湾の両岸を取っておかないと港が使えないなんてことも忘れてしまうくらいでしたから。
ドイツ第15軍もスヘルデ湾を渡って撤退に成功してしまってますし。こいつらのせいでアイントホーフェンとナイメーヘンの中間あたりでめちゃめちゃに時間を食わされちゃいましたね。
いやー、海軍士官が一人でも司令部にいたらそんなことはなかったのかもしれませんけどねえ(笑

でも、ドイツも初体験のときにはダンケルクという大チョンボをやらかしているわけですし、それよりは小さいんですから大目に見てあげましょうよ(笑


6060 [6058] [6061]
話がずれてしまいますが。
山家(01/9/27 20:04)

 自分で話をずらしてしまい、申し訳ないと思う
のですが。
 英軍が、電撃戦に慣れていないことはないと私
は思うのですが。意外と知られていませんが、も
し1918年にWWTが終わらなかったら、英は
単独で、戦車約5000両を投入し、世界初の機
甲師団まで編制して、プラン1919という計画
を、1919年に行う予定で、英陸軍総司令部の
仮承認は1918年7月20日に得ていたとのこ
とです。実行前に、独が降伏したので、幻となり
ましたが、この事から考えると、英軍は電撃戦に
慣れていないというのは、作戦立案能力からは、
疑問があります。実戦でも、伊軍が相手とはいえ
1940年に、北アフリカ戦線で、電撃戦による
勝利を収めています。
 従って、私としては、敢えて言うならばの話に
なりますが、モントゴメリー元帥が、電撃戦の実
行を行ったのが間違いのような気がします。元帥
は、いわゆる横綱相撲のような作戦を行うならば
無敵ですが、電撃戦のように多大のリスクを伴う
作戦には向いていないと思うのですが。
 いかがなものでしょうか。



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言うは易く、行うは難し
まなかじ(01/9/28 00:08)

北アフリカ戦線初期の機動作戦ですが、これは、オコナー将軍の力量によるところが大きいのです。
砂漠の戦闘では機動し続けることが勝利の要であるとロンメルは言います。実際、ガザラ線の戦いではどこまでも内陸を迂回してくるドイツ・イタリア軍に英軍は敗れています。
逆に言えば、オコナーが捕虜になってしまったのでモントゴメリーとしては内陸への迂回が困難なエルアラメインまで退がって陣地戦を行う必要が生じたのです。
機動戦ができるなら、キレナイカで勝負をつけにいったでしょう。兵力的には優っているのですから。それができないのは、将兵にその能力がなかったからです。

計画1919ですが、これもホバート一人の頭から出てきたもので、戦後はまったく顧られていません。英軍内部には理解できる者が少なかったことを示していると思います。

西部戦線で英軍の先頭に立っていたのは第2軍ですが、カーンでは長々と足止めを食い、アントワープ解放では作戦命令を遵守して停止してしまい、べフェラント半島の根っこを取らずにドイツ第15軍の脱出と、スヘルデ湾の制海権奪取とに失敗していますね。

モントゴメリー元帥が一人で戦争するわけではありません。
問題は、部下の将兵にそれを実行するだけの能力があるかどうかです。
英軍は頑強で、個々の戦闘では実に老獪に立ち回ってきます。
しかし、
中隊長が戦死、さらに小隊長が戦死すると戦闘ができなくなってしまう英軍に対し、軍曹が死んでさえ上等兵が指揮して戦闘を続けられるドイツ軍。
命令どおりのことしかやらず、命令がこないと動きが取れない、司令部は後方にあって予定外の事態に対しての反応が鈍い英軍に対し、大隊長、中隊長でも常にチャンスをうかがい、作戦目的のためならいくらでも独断専行をし、また軍団クラスの上級司令部も前線と共に移動しチャンスを逃さずいつでも作戦変更の心構えが全軍にできているドイツ軍。
英軍は、めまぐるしく状況が変化する展開の速い機動戦闘をやれるような組織にはなっていませんし、それに対処できるような訓練もやっていません。

この点では、兵士や下級将校の質がいかにも素人くさいとはいえ、はるかに米軍の方が上手で、ドイツ軍に近い戦い方をします。
アヴランシュの突破作戦や、ファレーズの包囲機動なんか見事なもんです。
だから、ルントシュテットはモントゴメリーよりパットンのほうが怖かったのです。


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Re:言うは易く、行うは難し
山家(01/9/28 21:26)

 まなかじさま、どうも詳しい説明をありがとう
ございます。
 自分で話をずらし、更に重箱の隅をつつくよう
なことをしてすいませんが。計画1919を主に
立案したのは、フラー大佐(当時)だったと思う
のですが。私の手元の雑誌資料が間違っていたら
すいません。


6063 [6062] なし
まなかじ(01/9/29 00:49)

いひゃ〜、そです、J.F.C.フラーですわいな。
すみません。


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]