太平洋戦争から学ぶ事 : 日本の若者(01/8/10 16:35)
とりあえず : ささき(01/8/11 06:56)
Re:とりあえず : どんべ(01/8/12 00:50)
Re:太平洋戦争から学ぶ事 : シャー・ルフ(01/8/11 19:31)
太平洋戦争からだけですか? : んがんぐ(01/8/13 08:34)
Re:太平洋戦争からだけですか? : ナオキ(01/8/14 01:27)
それは逆・・・。 : BUN(01/8/14 23:21)
Re:それは逆・・・。 : ナオキ(01/8/16 20:08)
たとえばですね : んがんぐ(01/8/24 08:06)
[投稿者削除] : んがんぐ(01/8/13 08:39)
あまりありません : あるめ(01/8/15 01:16)
では、聞きたいんですがね・・ : アリエフ(01/8/18 08:27)
そうではなくてー : あるめ(01/8/18 17:48)
Re:そうではなくてー : アリエフ(01/8/19 02:29)
そうですねー : あるめ(01/8/19 17:55)
Re:そうですねー : アリエフ(01/8/20 01:07)
なるほどー : あるめ(01/8/20 03:06)
歴史・社会の実態踏まえて物事言おうね(笑) : アリエフ(01/8/20 08:49)
あれれ : あるめ(01/8/20 18:41)
な〜るほど、妄想だったわけね。 : アリエフ(01/8/21 01:43)
そこまで! : ささき(01/8/21 07:43)
ではでは : あるめ(01/8/21 13:34)
[投稿者削除] : 通りすがり(01/8/21 06:30)
問題定義の後が問題 : A cat is bit(01/8/15 19:04)
Re:問題定義の後が問題 : 日本の若者(01/8/15 21:42)
日米交渉に関する日本外務省の失敗 : dg(01/8/21 14:28)


5852 Root [5855] [5856] [5864] [5869] [5932]
太平洋戦争から学ぶ事
日本の若者(01/8/10 16:35)

 今年も8月15日が近づいてまいりました。
 軍事分野に目覚め始めた若かりし頃は、零戦等の日本軍の「活躍」に胸躍らせていましたが、成長し、社会人ともなってまいりますといささか見解も変わってきました。
 私の目にはかつて「米英恐るるに足らず」と豪語しながら脆くもミッドウェーで大敗した日本軍の姿と「ジャパンアズナンバーワン」「日本的経営の勝利」などと奢っていたバブルの頃の日本の姿、また、マリアナでもはや趨勢が明らかになったにもかかわらずただ、だらだらと見込みもないまま何もしなかったかつての戦争指導者と巨大な不良債権を前にしても何もしない現在の経営者の姿がダブって見えます。
 私達はあの戦争からいったい何を学んだのでしょうか。また、何を学ぶべきであるのか。豊富な知識をお持ちの皆さんの見解を伺いたいと思います。
 ただし「あのような戦争を二度としてはいけない」といったようなステロタイプなご意見はココでは遠慮したい(議論に道徳倫理が持ち込まれてしまうので)と思います。


5855 [5852] [5857]
とりあえず
ささき(01/8/11 06:56)

まず「マスコミを盲信しないこと」かな?
次に「目先の利益ばかり追いかけない」こと。
「耳当たりの良い正論は疑ってみる」というのも大切かも。


5857 [5855] なし
Re:とりあえず
どんべ(01/8/12 00:50)

>「マスコミを盲信しないこと」
>「耳当たりの良い正論は疑ってみる」

とかく世の中とはいろんな価値観を押しつけてきますが、
どれも疑わしいものばかりです。
とりわけ「常識」という言葉が出たら疑ってかかっていいと思う。
権威に負けてもいけないと思う。

馬鹿には見えない服を着た王様を見て、
「王様は裸だ。」と言える人ばかりになればいいのにね。


5856 [5852] [5858] [5859]
Re:太平洋戦争から学ぶ事
シャー・ルフ(01/8/11 19:31)

組織における日本軍の失敗の分析はとても必要であると思います。現代の日本でも旧日本軍と同じような失敗があるから、研究する必要があると思います。


5858 [5856] [5860]
太平洋戦争からだけですか?
んがんぐ(01/8/13 08:34)

 昔、バブル華やかなりし頃父が「絶頂は転落の始まりだ」などと吐き捨てるように申しておりました。勝って兜の緒を閉めよとはこのようなことを指すのでしょう。なかなか難しいことだから諺にもなるのだと思います。もちろん大平洋戦争も忘れ去るべきものではありませんが。


5860 [5858] [5863]
Re:太平洋戦争からだけですか?
ナオキ(01/8/14 01:27)

僕は最近太平洋戦争にこってて本を読みあさっています。「大空のサムライ」という本を御存じですか。この本を読めば「戦争ってなんだろう」、とおもうこともしばしば、
> 太平洋戦争からだけでも十分学べるとおもいます。是非。


5863 [5860] [5893]
それは逆・・・。
BUN(01/8/14 23:21)

 逆だと思いますよ。
 現代の教養と常識をしっかり持っているからこそ大東亜戦争から「学ぶ」ことができるんですよ。何か「ものの役に立てよう」とするつもりならば、戦争の本ばかり読んでいては駄目ですよ。
 ただ単に楽しむだけならば何を読んでも良いのだけれど「そこから学ぶ」のはとても難しいことです。大東亜戦争から学ぶ為には、この毒もあり、手垢にまみれた二流三流の言説の付きまとう分野から学べるほどに勉強している必要があるからです。


5893 [5863] [5937]
Re:それは逆・・・。
ナオキ(01/8/16 20:08)

確かにbunさんの考えは正論です。
>だけど「戦争」から学ぶことはそんなに
難しいことでしょうか。ただ、「学ぶ」ということは、知識はもちろん最終的に自分の意見を考えあるいは、持つというのが、一つの「学ぶ」だと思うんです。それをふまえて考えると、なにも手垢にまみれ、、、、から学べるほどに勉強する必要はあまりないとおもいます。確かに、bunさんのいう、現代の常識や教養、それと手垢に、、、、分野から学べるほどの勉強は重要です。しかし、それと同じくらい、あるいはもっと重要なのは、戦争に対する自分の考え、意見をしっかりと持つということではないでしょうか。そしてそれは戦争からまなんだということにはならないでしょうか。だから気軽に本を読むだけでも十分勉強になるし、なにより「もう2度と戦争を起こしたくない」とみんなが考えればそれだけで「ものの役にたっている」のではないのでしょうか。もっともこれはいち読者の勝手な考えですから。。。長くなってごめんなさい。



5937 [5893] なし
たとえばですね
んがんぐ(01/8/24 08:06)

 A&Qを読んだでしょ?いろんな立場の人達がそれぞれの知識をもちよっています。とすると、戦争とは一体なんでしょう?ということだと私は考えています。人に教える程物知りでもないんですけどね。


5859 [5856] なし
[投稿者削除]
んがんぐ(01/8/13 08:39)

投稿者によって削除されました。(01/8/13 08:39)


5864 [5852] [5910]
あまりありません
あるめ(01/8/15 01:16)

太平洋戦争以前の段階で、既に日本は追い詰められていたので、開戦後「米英恐るるに足らず」と豪語しても、ちょうど倒産寸前の大會社がわが社は業界ナンバーワンと自己催眠をかけているのと似ていて、とても正視できる状態ではありません。だから内務・商工官僚の計畫實施した思想統制や經濟動員など精密かつ強力な國民總力戰態勢には戦後社会のありかたを解明する端緒が多々あって研究に価しますが、政略・軍略には、ただただ哀しい思いをするのみです。
「だらだらと見込みもないまま何もしなかった」のでなく、「頭がおかしくなっていた」のだと思います。
学ぶべきは、太平洋戦争そのものではなく、その前段階である確信犯めいた満州事變あたりから、テロ吹き荒れる日月を経て、日華事變の不如意な拡大に入り込むメカニスムのあたりでしょうか。
どうしてズルズルああなってしまったのか、仮説でもいいから学んでおくべきです。すると現代に通底するいろんなことが見えてくると思います。
もう太平洋戦争となると、「處置なし」です。
陸軍は北支で、てこずり、上海杭州で苦戦し、欧米植民地守備軍並みの(即ち日露戦争に毛が生えた程度の)装備で、伸びきった兵站線を抱えて善戦しましたが、疲弊甚だしく、そろそろなんとか収拾するだろうという銃後國民の期待もむなしく、佛印進駐、真珠湾となったのですから、あれよあれよの展開ですね。
私の祖母が真珠湾攻撃のラジヲ・ニュースを聞いた時は、16歳の女學生でしたが、「あ、これは負ける、アメリカと戦争したら」と咄嗟に思ったそうです。女子供が一家に一台の自家用車を運轉して、毎日のように牛肉を食べている、だだっ廣い国と戦争したら勝つ見込みの無いのは、女学生でも分かったので、これは20歳くらいまでしか生きられないだろうから、今のうちに好きなことをしておこうと考えたそうです。それで満州に渡りましたが、昭和20年にソ軍が突如侵入してきた時には、やはりこれでオシマイと備蓄食糧をはたいて食べおさめをしたそうです。(運良く引揚しましたが、おかげで食べるものを残しておかなかったので、大連で露天商をしたりで難儀したとのこと)
タイトルに「あまり(学ぶべきところは)ありません」と書きましたが、戰時下、國民諸階層の至る所で(軍部も含めて)先の見込みを諦観して、ただ國の運命に翻弄されるがままに過ごした人々には多々、人間として学ぶべきところがありますね。


5910 [5864] [5911]
では、聞きたいんですがね・・
アリエフ(01/8/18 08:27)

> ・・政略・軍略には、ただただ哀しい思いをするのみです。 「だらだらと見込みもないまま何もしなかった」のでなく、「頭がおかしくなっていた」のだと思います。
なるほど、本格的な軍国主義・総力戦体制を構築し計画的に対外進出計画を進め、勝てば官軍を目指すべきだった、というのが貴方の基本的考え方でしょうかね。
その点、最も頭良かったのは、第二次大戦当時ではソ連でしょうね。30年代から強制農業集団化などで多くの犠牲者、餓死者を出しつつ、国民の大半を実質的に奴隷状態にしノルマ超過達成競争で酷使、ナチス・ドイツでも達成できなかったほどの総力戦体制を構築。大戦時では独ソ戦で窮地に追い詰められたものの、子供から老人に至るまでの根こそぎ動員でドイツに対抗、人間を湯水の如く浪費する大量・促成動員でドイツを追い詰めた。プロシア軍人の流れを組むドイツ軍将校の想像を超えていたのかもな・・。
そして何よりも利口だったのは、連合軍の一員に入り米英から支援を受けられたこと。アメリカのルーズベルトがお人よしか、馬鹿だったのが幸いしたのかもしれませんが。米軍将校の中でもウェデマイヤーはソ連と手を組んだのが間違いの元だったと回顧録に書いているが、戦後、数年経ってアメリカは気づく。それまでアメリカを騙しとおせたのは中々です。
このようなソ連のやり方が理想的なんでしょうね。少なくとも、戦争、及びそれに至るまでの過程で各国が疑心暗擬的な状況の中で、最大の成果を収める手法としては。国民や占領下住民を強制的に酷使する手法が最も頭がいいやり方か・・。でも、ソ連ってまだ存続してたっけ?


5911 [5910] [5916]
そうではなくてー
あるめ(01/8/18 17:48)

本格的な総力戦体制は、第一次歐州大戰参戦国が止むを得ず取らざるを得なかった(そうしないと長期持久戦を維持できなかった)國民戦争遂行の形態で、これはその後の戦争に対する國家の取り組み方に恐ろしい影響を与えたのです。
1次歐州大戰の経験から、それでなくては今後の戦争には勝てないとわかっていたので、いざ戦争をしようとすれば、ぜひとも國家總動員態勢を組まないといけないと云うので、商工官僚は旧満州でその実験を行い、内地でも實施して成功を収めました。この態勢は上手く出来ていて、太平洋戦争を支えていたのですが、当然に思想統制を始めとした「人の頭の中の総動員体制」をも伴なうのものだったので、「神がかりの軍国主義」と非難されても当然でありました。しかしこの点は、終戦時の「一億総懺悔」を以って「清算」したものとされ、思想抜きの「經濟」總動員体制が戦後も存続し、配給制度や物価統制、国内産業保護施策のもとに國民の生存保護と經濟恢複が實施されたと、わたくしは思っています。
精密かつ強力な國民總力戰態勢は戦後社会にも形を変えて存続したのではないかという仮説は、研究に価します。そうでなくては戦後經濟復興を担った人々が、ああも、がむしゃらに働いて、報国の經濟戦士となった合理的理由が見つかりません。たしかに、より豊かな生活を目指して、おとーさんたちは頑張ったのでしょうが、その働く職場が(組合運動などあったにせよ)余り戦中と変わりない態勢であったから効果があがったのはないかと考えています。

そこで、政略・軍略の方は、まあ負けちゃったのだから何も云う事は無いのです。
それで、アメリカの原爆投下は、どうして裁かれないのか、極東軍事裁判は片手落ち、などと云っても、それは無条件敗戦国なんだから、しようがないんじゃないの、というのが私の云いたいことです。占領国が無条件敗戦国の戦争指導者と國際交戦法規違反者を処罰するのは当たりで、体裁上、裁判という形をとっただけマシだったと思います。「戦争の惨禍」として抗議しつづけることは大切です。けれど戦勝国官軍は決して謝罪はしません。あくまで正義のもとに行った合法的な行為であるからです。
もっとささやかな例では、祖先伝来の屋敷を占領軍の部隊司令部に使うからと接収され、何百年も磨いてきた床の間の柱から欄間から木目のあるところは分厚くオール白ペンキ塗りにされても、家の当主は黙っているしかなかったのです。これが「勝てば官軍」に対する「負ければオシマイ」側の状態です。まあ、その程度で済んで、ちょっと奥さんが美人だから供出せい、と命令されなくてよかったのです。占領軍が正義の文明国をもって自らを任じている限りは、あまりややこしいことはしないわけです。

>計画的に対外進出計画を進め、勝てば官軍を目指すべきだった、というのが貴方の基本的考え方でしょうかね。

大戦争を始めるのだったら、上記のような目的が有ったはずで、それが不首尾に終われば、どのような状態に國家と國民が陥るかは、当然に予測していたはずですから、みな必死になって戦争をしたのはないでしょうか。もし、そうでなければ、戦争は最初から止めといたほうがよかったのです。その点、当時の指導層も、はっきりわかっていなかったのではないか、とおもわれるフシがあります。維新の悲惨さを生き抜いてきた第1世代の元老級はいなくなっていて、2代目や3代目の苦労しらずのお坊っちゃんがたが、指導層となっていれば、それもむべなるかなです。軍部も老巧卓抜の(負け戦がどのような結果をもたらすかを身をもって知っている)戊辰戦役生き残りは日露戦争で消耗し、視野狭窄・負け知らず・國際情勢オンチの陸代出身の秀才官僚が戦争指導をするのですから、まるきり世襲大企業の悲劇を見るようです。
もし日本が勝てば、とうぜんに官軍なのですが、敗戦国は、お慈悲をと首を差し出しているのだから、その錦の御旗をどう振り回すかは、ひとえに戦勝国の品位にかかわってくる問題です。どのようにふるまったかを、想像すると面白いと思います。(わたしは、よくない想像をしてしまいますが)

旧ソ連は、第一次欧州大戦後の5カ年計画時代から農村の食糧を徴發して驚くほど大量の國民を餓死に追いやり近代化・軍事強国化を実行しています。國家総動員・戦時体制を平時から行っていたわけで、不満分子は強力な思想統制で抑圧・粛清したのですから、物凄いことをしたものです。
これを仮に日本で実行すると、とても国内の民心は追従してこないでしょう。強力なイデオロギー
があるわけはなく、米騒動や鉱山暴動、都市暴動(日比谷焼討事件のように)が容易に起き得る、なんとも掴みがたい國民を擁して、戦前の指導者には、とても軍国主義・総動員体制を標榜する自信はなかった、というか、考えもなかったのでしたが、満州事變をすぎるあたりから、ドイツもやってるんだし、これはいけるんじゃないか、と云うので段々に始めたと云うのが日本の軍國主義かなーと思います。
そのおかげで終戦前後には餓死者や栄養失調死亡者も多数でて悲惨な状態となりました。

とにかく負けちゃったんだから、日本の行った戦中の残虐行為ばかり非難されて、原爆をはじめとする他国の同様の行為は公式には非難されないというのはおかしい、と云うのは、いまさら云っても始まらないんじゃないの、その根拠は、「勝てば官軍、まければオシマイ」という戦争の決着についての考え方にあるのです、が私のスタンスです。
ところで、私は十分に勝つ見込みの無い大戦争を始める事と、それに伴なう妙に徹底した國家総動員体制は大嫌いです。徒労以外のなにもんでもありませんから。
やるんなら戦争は勝たなければ意味はありません。なりゆきで戦争を始めて、ぼろ負けしちゃったんだから、周囲からぼろくそに言われても、じっと黙って我慢の子が武士道かと思います。
ただ戦没者および罪も無い民間犠牲者に黙祷するのみです。


5916 [5911] [5917]
Re:そうではなくてー
アリエフ(01/8/19 02:29)

 御説の中で矛盾が生じているようですが。
 最初の方で「いざ戦争をしようとすれば、ぜひとも國家總動員態勢を組まないといけないと云うので、商工官僚は旧満州でその実験を行い、内地でも實施して成功を収めました。この態勢は上手く出来ていて、太平洋戦争を支えていた・・」とあるのに、
後の方で「これ(国家総動員・戦時態勢)を仮に日本で実行すると、とても国内の民心は追従してこないでしょう。強力なイデオロギーがあるわけはなく、米騒動や鉱山暴動、都市暴動(日比谷焼討事件のように)が容易に起き得る、なんとも掴みがたい國民を擁して、戦前の指導者には、とても軍国主義・総動員体制を標榜する自信はなかった、というか、考えもなかった・・」とある。
 ソ連並みの国家総動員態勢を実行できないような国家が、戦時中に成功を収めたという「国家総動員態勢」とはどんなものなのでしょうか?形だけの国家総動員態勢ということですかね? 経済学者が言う、米の食管制などの起源となった「昭和16年体制」のことを指しているのでしょうか? 価格統制や稀少物資の配給制、国家の市場介入政策なら日本以外にも多くの資本主義国で、あるいは戦争中で無くとも行われたりするものなのですが、これを本格的な国家総動員態勢と言うのでしょうか?
 
>大戦争を始めるのだったら、上記のような目的が有ったはずで、それが不首尾に終われば、どのような状態に國家と國民が陥るかは、当然に予測していたはずですから、みな必死になって戦争をしたのはないでしょうか。もし、そうでなければ、戦争は最初から止めといたほうがよかったのです。その点、当時の指導層も、はっきりわかっていなかったのではないか、とおもわれるフシがあります。

 どこの国も確定的な目的、長期計画に立って外交等の政策を展開している、かつ展開できるものでしょうかね? 第二次大戦のときルーズベルトが同盟国と信じてソ連と一緒に戦ってきたものの、戦後間もなくベルリン封鎖、朝鮮戦争など、ソ連と対立する関係になってしまったことを、何故、ルーズベルトは十分、予想できなかったのでしょうか? 第二次大戦中の頃からソ連との付合いをほどほどにして、ソ連と枢軸国が両者共倒れ、国家解体に結びつく長期戦略をなぜ取れなかったのでしょう。
 私は、外交や戦争が計画的に実行できる、巧妙な戦略通りに行くほど世の中甘くないと思いますけど。


5917 [5916] [5918]
そうですねー
あるめ(01/8/19 17:55)

昭和初期には、まだ大規模な戰争の豫想が無く、國家總動員体制も第一次歐州大戰の例を研究する段階で、經濟官僚も軍部も日本でそれが實現できるのかどうか甚だ自信が無かったのですが、満州事變以降、軍部が發言權を増大させ、實際に満州に於いて大規模な統制經濟の雛型の運用に成功したので、日華事變が長引くにつれて愈々、膨大な兵站の需要を満足せしめる為に統制經濟をはじめとする國家總動員体制の實施が急がれ、なかなか上手く緻密な体制ができて、後の太平洋戦争の軍需を賄えたのです。満州事變以前には頭の中でしか生きていなかった總動員体制が、日華事變以降の戰局の進展に伴ない急激に現實に整備されてしまったと云うのは、軍部の政治發言力が俄かに強力になった為とは云え、驚くべき事と思います。
大正デモクラシー風の自由主義政党政治から大政翼賛會の挙國一致體制に移行したのも、あれよあれよでしたが、この國家總動員体制もあれよあれよで、大戰争をするならやはり軍需と後方を固めておかなければならない、と云う軍部の強力な意志と主體的推進力がなければ、達成できなかったと考えます。時制の説明を省いたので、分かり難くなったようですね。申譯御座居ません。昭和十二年頃より、「國家總動員なんてホントにできるのかなー」から「是非それをしなければ戰争は遂行できない」に推移したと云う時の流れがあるので、矛盾ではなく、變化の説明(變化する前、變化した後)と讀んで頂ければ幸甚です。

>  ソ連並みの国家総動員態勢を実行できないような国家が、戦時中に成功を収めたという「国家総動員態勢」とはどんなものなのでしょうか?

別に蘇聯並でなくとも、各國とも其れなりの國情に適合した總動員体制を組んで今度の大戰に取り組んだものと思います。日本の場合は決して形だけのものではなく、國民の生活そのものを軍需・思想動員してしまう精緻なものであったはずです。企業の合併整理、徴用の形で實行された勞働力の動員などは、實に國民の誠心誠意の協力無くしては、できなかったものですし、そのような挙國一致体制は日本の國情に合わせた本格的な國家總動員体制であったとわたしは思います。
蘇聯式の「本格的」を日本でやれば、いかに戰時下と雖も民心は離れたはずです。一億一心の精神を崩して、餓死者を出すほどに「銃をもってする強奪」に均しい事をすれば、如何に忠良なる臣民でも忠誠心を喪う事でしょう。前線の兵士は故郷の親兄弟妻子が敵國ではなく自國の政府によって強制的に餓死に追いやられたと知っては、戰意を喪失するでしょう。

さて当時の指導層は、戰局の行き着く先をはっきり分かっていなかったのではなく、實際はこのままだと困ることになるけど、どうしようかなー、程度の憂慮はしており、困った事にはそこに留まっていたフシがありますね。ところが軍部の主戰派はそう考えておらず、これは絶對に勝つ戰争だ、いや勝たねばならぬ、と主張して戰時体制の整備を急ぐと共に戰線の拡大に踏み込んでいったのでして、これは國家の戰争指導としては相當に危険な賭けでした。

> どこの国も確定的な目的、長期計画に立って外交等の政策を展開している、かつ展開できるものでしょうかね?

こちらから仕掛けた戰争となれば、戰勝の見込があるから戰争をするのであって、開戰の時點では、確定的な目的、長期計畫に立って外交等の政策を展開するべきでしょう。どうなるか分からない賭けに大金を積みますか? 防衛戰争となれば賣られた喧嘩は買わなければなりませんが、こちらから仕掛ける時に、其の時点で確定的な戰争終結目標を設けずに、さらに外交の長期展望を組まずに開戰するのは、如何にも無責任です。
「確定的」「長期的」は固定したものではなく、戰況と國際情勢は刻々と變化するので、開戰當初に立てた展望も計畫も刻々と組み替えていかなければならないのは當り前です。其の中で可能な限り當初の目標を得るべく努力工夫し、時には目標の極く一部のみしか達成できない場合でも(日露戰争のように)さっさと、その獲物を持って引揚げるだけの抑制が必要とされます。その為に國内の好戰派に暗殺されようと、どうなろうと、戰争指導者は断じて國益の無駄な喪失を防止し、國體の維持を圖るべく、万難を排さねばなりません。
ところが、できなかったのですね。この當り前の事が。

> ルーズベルトが同盟国と信じてソ連と一緒に戦ってきたものの

ルーズベルトは決して信じていたわけではなかった、と思いますよ。英國抜きで蘇聯と談合して戰後世界の線引きをしたところまでいき、世界の超大國としての實權を手に入れたのですから、あと残った仕事は、手を握った相手の追い出しを畫策する事になりますね。昨日の友は今日の敵です。これはパワーゲームでは當然に予測され得ることです。なので戰時中から、どちらも決して互いに信じてはいなかったと思います。

> 第二次大戦中の頃からソ連との付合いをほどほどにして、ソ連と枢軸国が両者共倒れ、国家解体に結びつく長期戦略をなぜ取れなかったのでしょう。

それは豫定調和と云うものでしょう。米國の参戰目標は大英帝國を世界から追い出すことにあったと私は思っているので、當初から蘇聯壊滅を目標にしていたとはチョット思えません。(ついでに日本を排除して東亜細亜への影響力を獨占しようともした)。衰弱した大英帝國の代役として元氣に活躍できるようになって、その目標を達成できたのだから、ここで、ひとまず目出度く戰争終結とし、世界への影響力と云う獲物を入手できたわけです。さて次は何か?それは急に勢いを増した蘇聯邦と共産主義國家群であるわけですが、これは新たな戰争として對國内的にも國際的にも廣汎な支持を取付けないと、達成できない程の大戰争であったはずです。直ちに東歐に侵攻することなく冷戰状態でやり過ごしていったのは、それなりの勝算が今ひとつ、つかなかったのでしょう。(後で蘇聯の原爆開發やスプ−トニク・ショックで苦勞する事になりますが)。出るにしても、退くにしても、USAの戰争指導は手間隙掛けるだけあって、やる事が隅々までキビシイです。


5918 [5917] [5919]
Re:そうですねー
アリエフ(01/8/20 01:07)

 全体的に見て、歴史教科書に書かれていることの上面程度をなぞって、妄想に浸りきっているように見えるのですけど(笑)。

>大正デモクラシー風の自由主義政党政治から大政翼賛會の挙國一致體制に移行した・・
貴方は、ナチス党独裁の政治体制を目標とした大政翼賛会がその当初の狙い通りのものとなったのか。大政翼賛会による翼賛態勢を推進しようとする統制派右翼と、それに抵抗した皇道派右翼との闘争など御存知ですか?例えば、政治学者の丸山真男の本を読んだことありますでしょうか?彼の主張に100%賛成しないとしても、この辺の事情はよく知っておいてもらいたいんだな。

>米國の参戰目標は大英帝國を世界から追い出すことにあったと私は思っているので・・
 そのように主張されるのなら、具体的な根拠、証拠を挙げていただきたいのですが。まるで陰謀論ですね(笑)。
 日本を排除して東アジアへの影響力を独占? では、なぜ共産主義中国の成立を放ったらかしにしてしまったのでしょうか? 中国大陸での国共内戦において、国民党をより積極的に支援したり、直接軍事介入したりすることがなぜ無かったのでしょう。朝鮮半島では介入しているのにね。
 他にも色々あるけど、今日はこれくらいにします。


5919 [5918] [5920]
なるほどー
あるめ(01/8/20 03:06)

皇道派は、統制派に押さえ込まれてしまったから
、仕様がありませんね。粛軍以降は「勝てば官軍」状態が現出していたと思います。
まあ、統制派の方が名前から云っても(笑)總動員体制を上手く進めたように見えますが、それは結果的に主導権争いで勝ったから、そう云えるだけで、皇道派が戦時体制を担っても、あまり変わりは無かった、いやずいぶん変わっていたはずだ、と云うのは最早IF論争にすぎないと思います。
米国は大英帝国を世界支配から追い出そうとしたとは、自分では決して云わないでしょうが、結果的にそうなっているのだから、そう見られてもしようがありません。成功者に対する世間のものの見方は冷たいものです。

パワーゲームは大きな冷徹な陰謀ですよ。昨日の敵は今日の友、今日の敵は明日の友、弱者はうまく利用して味方につけ、老体はていよく神棚に祭り上げ、しかも国際世論において決して悪者にならないよう配慮おさおさ怠らず、目指すは自国の繁栄なり、確実な勝算があれば武力行使もまた辞さずです。したがって国家の暴力装置たる軍は確実に政府の統制下におく必要があって、その進退は外交と密着していなければなりません。

わたしはそう思っております。他に何があるのでしょうか。この点についてどう思われますか?そこのところがハッキリしないと議論になりません。

米国が共産主義中国が成立するのを邪魔しなかったのは、したくても、結果的にできなかったからでしょう。それだけです。中国共産党軍は政戦ともに強かった。それから内戦に他国軍が積極介入するのは、如何なものでしょうか。それが小国ならいざ知らず、あの強力な日本軍さえ手を焼いた広大な戦場で戦うことについて、米国の世論はその政府に対してどう報いたでしょうか。

朝鮮半島でも、なぜ積極介入(というより中国領土への打撃(爆撃による))をはかったマッカーサーが解任されたかは、合衆国としてはそれ以上できなかったからなのです。当初、計画してあった戦争目標の限界を超えてしまう不測の事態が出てくる可能性のある場合は、それ以降がバクチになりますね。バクチは避けなければなりません。チャンスはまた巡ってくるはずですから、その時にまた確実な目標を設定して必ず勝つ戦争をやればよいわけです。
このあたり、北支事変が拡大していくのを止められなかった当時の日本の文民政府の軍部コントロール能力と較べると面白いです。


5920 [5919] [5924]
歴史・社会の実態踏まえて物事言おうね(笑)
アリエフ(01/8/20 08:49)

あのさ・・、私は、貴方が日本の翼賛体制の実態がどのようなものだったか、大政翼賛会が実質上、ナチス党のような一党独裁、社会の各層に党の支部が介入・統制を図るような支配政党になることができたのか(それが目標だったわけだが)、きちんと実態踏まえて議論してるのか?と言ってるわけ。
図書館に行って、戦前・戦間期の日本政治外交史の研究書、いくつか読んでみたら。貴方のイメージしているものとは実態が随分と異なるものだったことが、具体的な例をあげて幾らでも説明してあるよ。
とにかく、具体的な証拠、論拠上げないと議論で相手にされないんだな。

> 米国は大英帝国を世界支配から追い出そうとしたとは、自分では決して云わないでしょうが、・・
疑問点指摘されたときに、陰謀・謀略の証拠が残っていない、陰謀を行った連中が証拠を破棄したとか言って、具体的証拠上げようとしないのは、ユダヤの世界支配陰謀論など、様々なトンデモ系議論の本によく見られるやり方。笑っちまうね。逃げ腰なってるんじゃないの・・?


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あれれ
あるめ(01/8/20 18:41)

あれれ、8/20のアリエフさんの「大政翼賛会がその当初のねらい通りのものとなったのか。大政翼賛会による翼賛態勢を推進しようとする統制派右翼と、それに抵抗した行動派右翼との闘争」って、もしかしたら、企画院事件に代表される動きの事をおっしゃってるんでしょうか。統制派、皇道派って云うから、軍閥の暗闘のことかと錯覚しましたよ。

> あのさ・・、私は、貴方が日本の翼賛体制の実態がどのようなものだったか、大政翼賛会が実質上、ナチス党のような一党独裁、社会の各層に党の支部が介入・統制を図るような支配政党になることができたのか(それが目標だったわけだが)、きちんと実態踏まえて議論してるのか?と言ってるわけ。

大政翼賛会は近衛さんが新体制!と叫んで、大いに国民の期待を集めたけれど、ゴネゴネいうのが多くて、まあそうは簡単にはならなかったのでしたね。わたくし的には、議会がいちいち五月蝿いから、軍部にとっての「はいはい、ごくろー様、なんでもどーぞ」機関に議会をしてしまった役割は大きいと思いますし、ミクロなところでは、隣組だの標語募集だの、まあよく細かくやったなー、と驚くばかりです。頭の中の総動員は翼賛態勢にお任せと、云うやつですね。まあ翼賛会そのものは乗合バスなので、その実態は、もとより完全なものとも思っていませんし、そうかとい云って、翼賛態勢そのものが政治過程と国民に及ぼしたインパクトははナカナカのものだった、と評価しています。特に庶民の「頭の統制」!! あれがなければ、苦しい銃後の生活はどうなっていたのか、想像するのも恐ろしいくらいです。
国家総動員法は既に実施されていて、物動はそっちでしっかりやっていたのですが、機構はあっても実はブツそのものが入手できなくなってしない、「負ければオシマイ」になってしまいました。
アリエフさん、お米の配給の米穀手帳っておうちにあります?うちにあったのは返納したのか、捨ててしまったのか、見当りませんが、ああいうのを時々取り出して眺めて、うむむと感無量になるのもたまにはいいですね。引揚手帳や軍隊手牒にスイトンもあればなおよいのですが。(閑話休題)

> とにかく、具体的な証拠、論拠上げないと議論で相手にされないんだな。

いえ、そのー別に相手してほしい訳じゃないんですが、(^^ゞ
聞かれるので、いろいろご説明申上げているうちに、ついでにサービスで「妄想」みたいなのも面白がるかもと思ってお答えしているのでして。そうまじめに反応されると嬉しいです。

> 米国は大英帝国を世界支配から追い出そうとしたとは、自分では決して云わないでしょうが、・・
> 疑問点指摘されたときに、陰謀・謀略の証拠が残っていない、陰謀を行った連中が証拠を破棄したとか言って、具体的証拠上げようとしないのは、ユダヤの世界支配陰謀論など、様々なトンデモ系議論の本によく見られるやり方。笑っちまうね。逃げ腰なってるんじゃないの・・?

これは、本人どもは大英帝国の手前、そんなことは自分で云わないけれど、結果をみれば、わたくしにはそう見えると云っているで、別にそれをホントなのだ、みなそー思えと他人に押付けようとは思っておりません。ときどき戦後処理の話を読むと、わたしの「妄想」と似たような仮設を云っているのを聞くことがあるので、ちょっとおうちに転がっている本を探してみますね。どっかにあると思いますが。ユダヤの世界支配陰謀論ですか、あれも結構面白いですね。
では、時間となりました。今日はこの辺で。ご返事楽しみにしております。


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な〜るほど、妄想だったわけね。
アリエフ(01/8/21 01:43)

> 聞かれるので、いろいろご説明申上げているうちに、ついでにサービスで「妄想」みたいなのも面白がるかもと思ってお答えしているのでして。そうまじめに反応されると嬉しいです。

は〜、ま、勝手に妄想してりゃいいでしょ。付き合ってられんわ。冗談言ってるなら他のサイトでやってね。


5930 [5928] なし
そこまで!
ささき(01/8/21 07:43)

タイトルの通りです。アリエフさんの発言はもはや議論の体を為していません、それこそ「喧嘩ならよそでやってください」。


5931 [5928] なし
ではでは
あるめ(01/8/21 13:34)

この件は終了。 敬禮!  /(^^)


5929 [5924] なし
[投稿者削除]
通りすがり(01/8/21 06:30)

投稿者によって削除されました。(01/8/21 06:30)


5869 [5852] [5874]
問題定義の後が問題
A cat is bit(01/8/15 19:04)

年功序列または性別による差別が顕著だった当時に比べ、今は、何でも言えるのです。

>ステロタイプなご意見はココでは遠慮したい(議論に道徳倫理が持ち込まれてしまうので)と思います。
の投稿があるので本意は控えますが、「とっぴな提案をしてそれで満足」ではなく
有言実行が必要と感じます。
今回は問題定義できました。ある意味正論と思います。
しかし問題定義したことに対する回答をおざなりにせず、
あなたの糧として今後実行していただきたい。

下からの突き上げが必要と思う今日この頃です。


5874 [5869] なし
Re:問題定義の後が問題
日本の若者(01/8/15 21:42)

> 年功序列または性別による差別が顕著だった当時に比べ、今は、何でも言えるのです。
> 下からの突き上げが必要と思う今日この頃です。
>
 え〜、人生の先輩からの実にごもっともなご意見ですが、世の中というものは実に世知辛いものでして理想と現実には大変な乖離があるんですね。何でも言えれば上司も部下も苦労せんで済みますが、突き上げて見事に叩き潰された経験を持つ身としては・・・(笑)
 何事もそつなく従順で冒険をしない今時の若者の気持ちもわからないでもありません。


5932 [5852] なし
日米交渉に関する日本外務省の失敗
dg(01/8/21 14:28)

1941年秋にハルノートが提示されます.
これは,最後通牒とも読めるもので,
ここに至っては,どうにもならないのですが,
そこに至る,1941初頭からの外務省の動きを
追って見ましょう.

日米和平を望む天皇は,近衛内閣を通じ,
特命大使として,野村吉三郎大将を送りました.
ある陸軍大佐が補佐として同行します.

この,野村-ハルのラインで,日米和平交渉が
進められ,骨子として,
日本は満州国以後に獲得した占領地を放棄し,
日米平等に中国市場に臨もう
というような内容で,まあ飲めないことも
ないんですが,

これに陸軍が猛然と反発しました.
といっても,天皇の命に直接さからうことは
できませんから,陸軍-松岡洋右外相のラインで
徹底的に野村大使の妨害を行います.

また,上海事変には海軍の利権もからんできますから,東条-嶋田繁太郎というようなラインも
日米和平反対でまとまるわけです.

そうして,東条・嶋田・松岡ラインは,
バスに乗り遅れるな・キャンペーンを
展開します.
これは,ドイツの世界征服の可能性を信じ,
そのわけまえにあずかろうというさもしい
魂胆なわけですが,欧州西部戦線の華々しい
成果に,目がくらんでしまったわけですね.

このころ米国政府は,欧州参戦を決意して
いましたが,戦争準備が不充分なうえに
国内の反戦勢力対策もあり,日本と同時に
ことをかまえるのを嫌っていました.

ところが,米諜報機関は,ドイツによるソ連
攻撃の準備がなされていることをキャッチしました.
そうなれば,ドイツの対英圧力は半減しますので,
この戦争の先行きに見こみがたってきたのです.

1941.4,ハル国務長官は.部下を通じ,野村大使側に,
日米和平交渉への回答は,暑くなる前にしたほうが日本のためになる・とほのめかしました.
独ソ戦が始まってしまえば,米国が日本に譲歩
する必要がなくなるということです.

日本はこの機会を意図的に見逃してしまいました.
そればかりか,外務省は,来栖特命大使を
送りこみました.これで日本の外交ラインが
2本になって,それぞれ別の任務を負って
いるのですから,日本の意図がうまく伝わる
道理はありません.

加えて,日米和平案と対極にある政策,
つまり仏印進駐などをやっていますので,
米国としても,日本の勝手を見逃すことが
できない状態においこまれていきます.

こうしてハルノートが出,
真珠湾になったのです.


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]