「もしモスクワが没落していたらソ連は降伏していたであろうか?」というのは、多くの戦史家や研究者の間でも賛否両論に大きく分かれるほど難しい問題ですな。ただそれは、モスクワ占領が成功したか否かという単純な条件だけで計れるものではなく、その時点での状況に大きく左右されるのではないでしょうか。 つまりモスクワを占領したとしても、史実の様に極寒の気候に喘ぎながら息も絶え絶えのドイツ軍がかろうじてそれに成功したという状況であれば、冬季の反攻作戦を着々と準備していたジューコフ将軍の反撃で押し戻されるか、下手したら包囲されて早くも「スターリングラードの悲劇」を経験するはめに陥っていたかもしれない可能性は多分にあると思う。 しかしタイフーン作戦が季節はずれの時期を逸した遅すぎたものでなく、国防軍の多くの将官が望んでいた様にもっと早い段階、ソ連軍が緒戦の大敗北のショックと混乱から立ち直っておらず、その予備兵力の展開や防衛体勢が不十分な9〜10月の内に行なわれて、かつそれがその両翼の軍集団と連携した全般的な攻勢として成功していたとすれば、スターリン政権が瓦解してソ連が降伏していた可能性は十分にあると思う。史実ではドイツ軍接近の報に接したモスクワ市は大混乱に陥り、政府機関は当初ゴーリキーに移転し始めたが、計画していた様にウラル地方に移転してでも戦争を継続するという状況に実際に直面するはめに陥るようなら、それはスターリンの政治生命の終焉を意味するもの意外に他ならないと思う。 確かにスターリンは恐怖政治で支配した専制国家を作り上げていたが、このような独裁制に依存した政権ほど実は大衆による潜在的支持を必用としており、対外的な政治的失敗が常にその基盤を大きく揺るがしかねない危険性を秘めていると言える。これは同じ独裁者であったヒトラーが国民の圧倒的な支持に陰りを生じさせる事を危惧する余り、バルバロッサ作戦に失敗した事が明白になるまで銃後の国民の協力を求める必要のある「総動員体勢」に踏み切れなかった事からもその微妙な立場が伺えると思う。 つまり絶対的な権力を握ると考えられている独裁者ほど、実はその政治的成功を維持する事でその権勢が支えられている指導者は無く、戦時においてはむしろ民主政治体制の指導者以上に不安定な立場であると言える。 しかし、モスクワの没落が確実なソ連の降伏に繋がる為のマイナス要因として、ヒトラーの対ロシア民族政策が挙げられると思う。ヒトラーが偏執的感情の赴くままにこの戦争を「スラブ民族の根絶」を掲げたようなイデオロギー的戦争として捉えた事は、スターリンをしてロシア人民を最後の一兵まで戦わせる祖国防衛戦争という喧伝に利用されてしまったのは外交上の大きな失策だった事は間違い無い。 この点をクリアーし、かつ緒戦で得た多くのロシア兵捕虜を委細かまわず後方の収容所に送るような事をせずに、スターリン政権に批判的であったロシア兵士達の半分でも帰順させてロシア人部隊を創設していれば、その後の展開はかなり違ったものになったはずである。 政治・経済・交通の中心地であり、それゆえ軍事の要となるモスクワの没落は、古都レニングラードの没落、穀物の大収穫地であるウクライナやコーカサスの油田地帯の占領以上に、ソ連政府の中枢神経を揺さ振る様な破滅的インパクトを伴う心理的ショックをもたらしかねず、一般大衆・兵士の抗戦意志に多大な影響を与えていたはずだ。少なくともロシアの国民全てを敵に廻す様な言質を取られていなければ、スターリン政権の転覆を大いに可能性があったと思う。
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