ZUG(01/5/21 21:45)
神風は蒙古軍撤退中の出来事ですから、地上戦は鎮西軍(日本軍)の辛勝ですね。 作戦の疑問は、地図を眺めた方が彼我の意図がよく見えたりしますが、それから得られる結果は鎮西軍が一方的に負けたのではないと言うことです。 文永の役には箱崎、博多-住吉、赤坂の三つの戦線がありますが、 結果的に各戦線とも戦力比通りの結果でしかなく、鎮西軍の作戦が取り立てて不味いなとどいうことは見当たりません。それどころかあの段階で出来うる最高の戦略で戦っています。 私が見るところでは、箱崎は壊走ではなく非常に高度な機動防御ですし。 赤坂の撤退は、敗退ではなく軍事的な意図をもった計画的な後退です。
確かに、博多-住吉戦線は他戦線以上に御家人の集合体ですから、まとまった陣形というのは無かったようで、それが苦戦の元になっています。 「蒙古軍は集団戦法に長け、一騎駈けをする武者に対して鐘や太鼓で脅し、 うろたえた所を草を刈るように倒していった」 従来言われているこの描写は確かにあった筈です。 ですが結果から言って、最大兵力を率いる大将小弐氏はよく奮戦したと見ていいでしょう。 そして同数の兵力が衝突する場合、決定的な状況を作り出すにはモラル(戦意)を維持するしかなく、指揮官が前線に赴いて叱咤激励する必要があります。 矢傷を受けたのは当時の指揮官の宿命とも言えますので、蒙古軍副指令・劉復亨の負傷は乱戦の証明にはなっても、一方的な戦闘の証明にはならないと思います。
ことさら鎮西軍の苦戦が伝えられるのは、皇国史観を神がかり的に演出したい人達が、 実際に苦戦した出来事を拾い上げた結果のような気がします。 「絶対絶命の危機に嵐が到来し、朝敵を一掃してくれたのだ。神州日本は不滅である。 だから、耐えに耐え、捨て身で奮戦すれば自ずと勝機は開ける」 事実そうだったのですが、結果を神の力と見るか、御家人の知略と見るか、私は後者です。
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