BUN(01/3/24 21:55)
こういう話題は大いに結構ですね。大好きです。 勢い余って書き損じましたのでまた書き直し(笑)。
> 濃緑黒色→色の幅はあっただろうがかなり黒にちかいものだった(白黒写真から推測)
白黒フィルムは全ての色に対して同じ感度を持っている訳ではありません。パンクロタイプの乳剤とオルソタイプの乳剤とで同じ色の被写体を撮影しても明度が異なります。 しかも、白黒主流の時代には現在我々が常用しているスカイライトフィルターと同じく黄色のフィルターが常用されていたことも忘れてはいけません。ですから、白黒写真の明度は参考にはなりますが、絶対的な基準にはなり得ないのです。 更に引き伸ばしの際の焼き加減で明度は全く違った仕上がりになります。 カラー写真や残骸の色を実際に見た経験から想像できる範囲で言えば、中島色とか、三菱色とか言われはしますが、一般に海軍の緑は陸軍よりも黄色味が少ない傾向にはあるようです。それは総じてダンプカーのような色で、極端に濁った色では無いようです。
> 味方識別標識→赤みの強いもの(黄色がかっているよりも識別しやすいのではないか)
これもカラー写真が残っていますので、ほぼ想像が着きますが、湘南電車の橙色より少し黄色味がかった色であったようです。 「赤みが強い」との説は「識別帯は赤かった」との回想が存在することと、往年のレベルカラー58番「黄橙色」があまりにも黄色味が強かったことから模型製作者の間だけで言われているのだと思います。 前にも書きましたが、識別帯は赤みが強かったから「赤い」との回想が残っているのではなく、昭和17年8月21日付けの「軍用機味方識別に関する陸海軍中央協定」という通達の中に「迷彩セル飛行機ハ黄色」「迷彩セザル飛行機ハ赤色マタハ黄色」とした項目が存在し、実機にも赤い識別帯を塗った機体があるからです。一部の解説記事にあるような「初期は赤だった」のではなく、この頃は既に殆どの機体が迷彩塗装になったので「黄色だけ」になったのです。この通達はその後細部が変更されながら終戦まで有効です。 実際の色調は上記の通りで、橙色より少し黄色味のある色、まさに橙黄色と推定して良いのではないでしょうか。 > 下面塗装→明灰色は零戦の大戦初期の塗装、「灰緑色」だった(黒須氏のスケールアビエーションでの燃料タンクについての記事から) > 紫電改などの下面が銀色に見えるものはジュラルミン地肌で無塗装だった(何も塗らないというのはかなり工程の簡略化に貢献するのではないか)
海軍機の迷彩規定は昭和十八年の内令兵四二号で定められていますが、この規定とその後の改定では機体上面の緑色は定められていますが、下面の塗装については規定がありません。ですから灰鼠色以外の色で塗られる場合があるのです。 しかし、その下面塗装も「機体工作標準」という文書によって仕上げ方が規定されています。 ですから初期の陸上攻撃機等の銀色に見える機体は無塗装ではなく、全て透明の保護塗料が塗られています。無塗装の機体は一機もありません。 紫電などの後期の機体にも塗られているかどうかについては、戦争末期に使用されたアルコール混入燃料が機体塗装に及ぼす影響を通知した文書があり、そこでまだ透明保護塗料が使用されていることが確認できる事等が傍証となると思います。 下面が銀色に見える機体の塗装は省略された塗装なのではなく、陸上機仕様の塗装が施された結果ではないかと私は思っていますが、それでも零戦等の艦上機に対して行われた数層の重ね塗りと比較すれば省力化は出来たことでしょう。
> 紫電改の計器パネルは本当に黒色だったか?
これは米軍が塗り替えたもので、緑色が正しい塗装のようです。しかし、黒色の計器盤も存在します。それは代用材を用いて製作された木製計器盤です。零戦で確認できますし、実物も残っています。
以上、市販資料にないネタも本日はいつもより多くマワシておりマス!!
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