日露戦争、旅順攻略戦 : 雪男(01/3/12 20:16)
Re:日露戦争、旅順攻略戦 : あるめ(01/3/13 10:05)
追加 : あるめ(01/3/13 22:29)
Re:追加 : 雪男(01/3/14 00:59)
Re[2]:追加 : あるめ(01/3/14 11:28)
不勉強で申し訳ないのですが… : 小石川(01/3/14 01:43)
Re:不勉強で申し訳ないのですが… : あるめ(01/3/14 11:13)
Re:日露戦争、旅順攻略戦 : んがんぐ(01/5/24 07:47)
なるほど : あるめ(01/5/24 17:59)
Re:なるほど : んがんぐ(01/5/26 02:49)
Re[2]:なるほど : あるめ(01/5/26 13:08)
なるほどなるほど : んがんぐ(01/5/26 20:20)
Re:なるほど : ナゾの人(01/5/27 11:30)
なるほど・なるほど・なるほど : あるめ(01/5/28 02:28)
わあ! ナゾの人、すごいすごい!! : んがんぐ(01/5/28 19:37)
[投稿者削除] : んがんぐ(01/5/26 04:36)


5128 Root [5134] [5180] [5190] [5641]
日露戦争、旅順攻略戦
雪男(01/3/12 20:16)

戦史の歴史の441を見て思ってのですが、
四千名足らずの敵兵が守る南山を3個師団で攻撃して危うく撃退される処だったのを承知の上で、
3個師団で旅順要塞をそれも正面から強襲で攻略できると考えた大本営と満州軍はなぜ非難されないのでしょう?


5134 [5128] なし
Re:日露戦争、旅順攻略戦
あるめ(01/3/13 10:05)

南山では日本軍全体が、露軍の戦力見積を甘く見ていたので、皆が悪いというので「今度は気を付けようね」で「反省」すれば、その時はよかったのですが、旅順は、そうした反省があるにもかかわらず、乃木さんが日清戦役当時の簡単な考えで銃剣突撃を許可してしまったので、おいおい第3軍は「戦訓」を活かしていないじゃないか、と云うのではないでしょうか。


5180 [5128] [5188]
追加
あるめ(01/3/13 22:29)

正面から急襲で攻略できると単純に考えたのは、第3軍司令部であって、満州軍でも台本營でもないと思います。第1回総攻撃直後に、すぐ坑道を掘削していって地下から要塞を爆破する正攻法に切り替えていたら大きな犠牲を出さずに攻略できただろうと、云うのが大方の見方でした。大本営も満州軍も「おいおい乃木さん・・・」と云ってるうちに総攻撃が繰り返され、ついに危機感を 募らせた満州軍總参謀長は、第3軍の作戦に異例の介入をなし、あっという間に攻略を成功させたのでした。
大本営や満州軍は、むしろ第3軍の面子をたてるのも最早これまで、と権限委譲を撤回して第3軍を直轄同様にし、頽勢挽回して責任を果たしたわけです。あのまま第3軍に任しておけば、今ごろ日本が存在するかどうか、たしょう心もとない程だったと云うのが私の見方です。


5188 [5180] [5194]
Re:追加
雪男(01/3/14 00:59)

要塞本体の早期攻略は満州軍の命令だと思っていたのですが私の勘違いでしたか。
ですが、第三軍の作戦を抜きに考えても、数万の守備兵を持つ要塞の攻略にたった3個師団を当てるのは、無茶が過ぎるのではないでしょうか?
兵力差を考慮すると、攻略に成功したこと自体が奇跡的な事のように思えます。


5194 [5188] なし
Re[2]:追加
あるめ(01/3/14 11:28)

要塞自体の攻略は満州軍司令官が第3軍司令官に命令した作戦でしたが、どうやるかは第3軍に委任されており、満州軍司令部は正攻法(工兵の坑道作戦、對壕の整備)を用いれば標準的な軍編成の3個師團で十分と判断したようです。
満州軍と大本営の責任は、乃木さんとその参謀長が攻城司令官・幕僚として不適任である事が証明された段階で早めに更迭しなかったところにあるでしょう。


5190 [5128] [5193]
不勉強で申し訳ないのですが…
小石川(01/3/14 01:43)

旅順での攻防戦(及び、他の野戦)によって、既に機関銃と進化した砲兵が剥き出しの歩兵部隊に何が出来るかは証明されたと思います。日露戦争にはヨーロッパ各国の観戦武官が多数参加しており、旅順の戦いの様子は各国にも伝えられ、分析もされていたはず。ところが、第一次世界大戦では相変わらず機関銃で守られた陣地に歩兵が突撃を行い、旅順を一桁超える犠牲が出ています。当時のヨーロッパ各国の指導的立場にあった軍人は、日露戦争から何の教訓も得ていなかったのでしょうか?『機関銃の社会史』も、いまいち日露戦争の扱いが小さいようですし。WWIの各国の状況を見ると、攻城戦と野戦の違いこそあれ乃木将軍は責任は大きいと思いますが、平均程度の対応だったのかな?と思わされます。


5193 [5190] なし
Re:不勉強で申し訳ないのですが…
あるめ(01/3/14 11:13)

まさに「平均程度の対応」だったのですが、それでは巨大な露軍に勝てなかった(あらゆる局面で勝ち続けなければならなかった)のが新興日本軍の可哀相なところで、乃木さんは貧乏籤を引いたと云えばそう云えるのだと思います。
ところで、諸国観戦武官は、たしか、まさか旅順が今後再現されるとは思ってなかったフシがあるようですね。


5641 [5128] [5642]
Re:日露戦争、旅順攻略戦
んがんぐ(01/5/24 07:47)

 歴史群像の6月号は読まれましたか?面白い記事が載ってましたよ。
 旅順攻防戦や乃木将軍に対する評価は簡単にはいかないようです。


5642 [5641] [5650] [5651]
なるほど
あるめ(01/5/24 17:59)

あれを読んで、なかなか児玉總参謀長をうまく表現しているなあ、と感心しました。さもありなん、と云うのが感想です。
正攻法準備途中での中途半端な総攻撃(第2回以降)敢行による第3軍の人的資源(現役将兵最良の部分)の喪失は、やはり乃木さんとその幕僚の責任であるようです。「いま攻撃しても人命の無駄だから、しばらく止めとく」と自分で云ってしまうくらいの、鋭くしぶといところが乃木さんに無かったのは、たいへん残念です。このへんのところで、乃木将軍の作戰家としての技倆が疑われるのは仕様がないでしょう。日露戦争はプロシャ流の兵学技術プラス幕末を生抜いてきた海千山千の政治感覚の絶妙な一致によって、かろうじて勝ちの形をとれたと、私は思っていますが、乃木さんは折角ベルリンに勉強しにいっても形式しか学んでいないところがあって、幕末志士の知恵の方はこころもとなかったようです。陸軍省・参謀本部・実戦部隊もかなりの部分は同じレベルであったのでしょうが、あんまり旅順が目立ったのが第三軍の悲運なのでしょう。
児玉總参謀長のコントロールによって乃木将軍は旅順陥落の英雄になったのですが、記事中、気になったのは、p49上段(児玉さんが)「正攻法を進めている部下(乃木さん)をクビにする必要はない」とありましたが、乃木第三軍司令官は、大山満州軍總司令官の部下ではあっても、児玉満州軍總参謀長の部下ではなく、児玉と乃木は満州軍では同僚の間柄となります。児玉總参謀長が臨時に第三軍の指揮に介入したのも、大山總司令官の文書による特別の委任命令に従っているので、スジ論から云えば総攻撃の失敗は、あくまで第三軍司令官の判断責任に帰せられるべきものと思われます。


5650 [5642] [5653] [5657]
Re:なるほど
んがんぐ(01/5/26 02:49)

私は特に資料を買い漁ってる訳ではないので、満州軍総参謀長の人事に関する権限は知りませんし、満州軍総司令官の委任命令書の原文があれば読んでみたいです。このような問題はまず御自分で調べてみて、壁に突き当たってからBUNさん達のような「大人衆」にアドバイスを頂くともっと楽しめるかと思います。
 例えば、件の記事に基づくとしましょう。あるめさんは以下の部分についてどうお考えですか。
1.「参謀本部第五課の手で坑道戦機材を削られ」
2.「陸軍省により砲弾を削られるという憂き目にあった」
3.「ドイツ陸軍は〜その影響を受けた日本陸軍は要塞戦そのものを軽んじていたという見解」
4.にもかかわらず「第1回総攻撃の失敗により、第3軍司令部は工兵の意見を取り入れて」
5.「海軍は一刻も早い大平洋艦隊撃滅を要請していた」
6.「海軍の要望で〜203高地を占領して 大平洋艦隊を砲撃して欲しいという要望を出してきた」

 攻略戦前の常識はどうだったでしょう。それに対してどのような打開策が採られ、そこにはどのような苦労があったでしょう。乃木を悪く言ったのは誰が最初でしょう。それはどんな人達だったでしょう。こんな所について考えて調べてみても人間の集団というものについて深い考察ができそうで楽しそうです。そしてこれは必ずや現在に通じる問題であるでしょう。
 例えば、あなたは誰かの悪口で盛り上がったりしませんか?


5653 [5650] [5654]
Re[2]:なるほど
あるめ(01/5/26 13:08)

満州軍総参謀長は、人事に関する決定権限はないのですが、「人事に関する意見具申」を總司令官に行う権限はあるので、実質上は満州軍の人事を動かしていたと考えられます。ところが軍司令官クラスの進退になると、これは親任官なので勅命を仰がなければならなくなり、児玉さんの一存ではいかなくなるところと思われます。明治天皇は乃木を辞めさせるな、との意向を側近に洩らし、それでとうとう第三軍司令官更迭案は旗色悪くなったと聞きます。その辺のところを児玉さんは思案して乃木さんの顔を立てつつ、作戰に介入したと云うところなのでしょう。
参謀本部や陸軍省の課長連が開戦前の動員計畫で器材を日清戦争レベルで見積ってよしとしていたのは、皆さんの知るところですが、それだけ日露戦争は後の欧州大戦(1914-18)の様相に近く、当時の軍事常識では予想し難い状況の現出これあり、ようやく大本営も慌てたと云うところだと思います。メッケル直伝の日本陸軍が要塞戦を軽んじていたのは、うなずけます。第1回総攻撃の失敗により、第3軍司令官が工兵部の意見を採用して坑道戦術に着手したのも常識的な線で理解できますが、その後の第2回目の総攻撃続行が、私には何とも理解できません。今度の要塞戦の困難さがおぼろげながら分ってきた段階で、忠勇な兵の敢闘精神に依存した突撃を再度敢行し、あれほどの損害を出すと云う点が奇妙です(歐州大戰初期の英軍は同様な轍を踏んでいるのですが)。乃木司令官の判断によっては、より合理的な包囲滞陣戦術がありえたのではないか、と云う疑問を拭えません。軍司令官には、そのような判断をする権限と責任があるので、その点を私は合理性を重んじる要塞攻略戦において「まことに奇異な事」と思ったのです。
海軍の大平洋艦隊撃滅督促と203高地については、あの記事にかかれている通り、陥落時期との兼合いで決定するべき事項と考えます。
乃木さん個人の悪口は、あまり云いたくないのですが、不必要な損害に対して公の官職にある軍司令官の責任が云々されるのは当然の事で、そこが軍司令官と云う部下の人命を左右する高い権限を持つ人のつらいところなのでしょう。参謀本部の公刊した日露戦史では、あまり具合の悪い事は軍の威信を保持するためわざと省かれていますが、後の青島要塞攻略戦の神尾司令官は無理のない合理的な作戰をとっているところから見て、陸軍にとって、さすがに旅順はこたえたのだとおもえます。
私見ですが、「不必要」にして大規模な損害は兵力補給源である國民の不評をかい、さらには離反を招致する可能性もあるので、軍は旅順問題では考えなくてはならなかったと思います。乃木さんの責任論を公にするのを控えたのは、その時点での政略的選択のひとつだったのでしょう。まさに「合理的かつ現実的判断」として私はこれを肯定するものですが、それとこれとは別でして、やはり第三軍司令官としての乃木さんの総攻撃続行判断には、大いに疑問を抱かざるを得ないのです。旅順で弊れた将兵のうち、幾人かは同じように考えているのではないでしょうか。


5654 [5653] なし
なるほどなるほど
んがんぐ(01/5/26 20:20)

 人に質問しといて何ですが、第二回以降の総攻撃続行については、実は私も考えあぐねています。当時の正道をいく敵に対抗して自分達の常識を実地で試し、不都合があれば現地で(だけじゃないかも知れませんね)打開策を考案していかねばならなかった軍隊の、内部や周辺で何が考えられていたか。「リアル 旅順攻略戦」を評価するのには、軍事、一般を問わず一軍の司令官の知り得る情報を並べて考える必要がありそうです。正直、あの記事を読むまでは私も「相手は立て篭ってんだからこっちの準備ができるまで遠巻にしてりゃいいだろ」という認識でした。「でも、それは今の合理的判断だろ」とするか、「そうだろうか?」と追求するかで意見は正反対になりそうですね。

 悪口云々の部分は誤解を招いたようですが、私は乃木派でも反乃木派でもありません。ただ、日露戦争後に陸海軍間か、陸軍内部の勢力間に暗闘でもあったのかな?という方向性を示したかっただけです。


5657 [5650] [5665] [5673]
Re:なるほど
ナゾの人(01/5/27 11:30)

初めまして。詳しいレスは改めて致しますが、即レス出来るものから参加します。

>3.「ドイツ陸軍は〜その影響を受けた日本陸軍は要塞戦そのものを軽んじていたという見解」
この「ドイツ陸軍は」という件り。
 これは明らかな間違いです。当時のドイツ陸軍は恐らく欧州一の要塞学理論を完成させていた軍で有ったのは紛れもない事実です。
 その上で戦略態度が即戦を旨とするものと決定されたので実際の一次大戦にて“急襲”戦策で緒戦を戦ったまでのことです。更に言うとこの章で戦略環境の違うリエージュとセバストポリを並べ、その上で旅順をも加えたにもかかわらず何ら議論もせずに「興味深い」で終わらせては如何にも消化不良。

 本件に関する事実とはメッケルが“教えなかった”事とドイツ(陸軍)が「軽んじていた」と日本側が勝手に理解し、その理論を体系化していた、と言うのが本当でしょう。
 ですから「・・・故に日本はドイツが要塞戦を軽んじていた、と誤解し“軽んじてしまった”」と言う分には兎も角も、それ以上の表現では賛同する気はありません。
 事実これに異を唱える者も当時の日本には存在していましたし、実際に行動していました。が、これらについては学研紙では一切触れられていません。

>乃木を悪く言ったのは誰が最初でしょう
これは当時の第三軍の兵士、日本の国民。
と言う答えを排除すると「陸軍大学」一派と言うことになります。その点からは今日無条件で賛美されている『機密日露戦史』と言うもののそもそもの性格が、殊「旅順攻略戦に関する記述」に於いてはかなりのバイアスがかかっているのです。乃木さんの一番の応援団が陸軍であるとするのならば、乃木さんの一番の「非難する者(批判者とは一寸違うニュアンスがあるのだが―)」も又身内であった、という訳です。
これが陸軍の良い点でもあり「悪い」点でもあるのですが。

取り敢えずはこの位で。ご勘弁!
(詳細レスにはもう少し時間を下さい)


5665 [5657] なし
なるほど・なるほど・なるほど
あるめ(01/5/28 02:28)

ナゾの人 様

>「ドイツ陸軍が要塞戦を軽んじていたという見解」
については、学研で初めて読んだ事でしたが、なるほど、そういう事情なのですね。
>「機密日露戦史」のバイアス
どの戦史にも、それはあり得て当然と思われます。のちになって、いろいろ云えるのでしょうが、当時の乃木さんが、どのようにして、あのような犠牲の多い作戰を実行するに至ったかは、政戦略と、軍隊組織の動き方と、第3軍の内部状況と、乃木さんの思考特性と、さまざまな要素を繰り合わせて検討しなければ、なかなか実際に近い状況を把握できないと思います。その点で、学研の記事は、児玉さんの政戦略思考の動き方について、その扱いが、なかなか面白かったのです。
>詳細レス: 期待しております。

んがぐぐ様

大本營(参謀本部・軍令部)・満州軍總司令部・聯合艦隊・第三軍との間で、旅順の戦略的認識を巡って十分な合意が見られない状況で、第3軍は官廳に於いて例規を踏襲するが如く「自動的(?)」に第二回總攻撃を発起したような感じがしますが、この自動的な強襲の継続と云うのは、のちの歐州大戰の戦場のあちこちで見られますね。西部戦線・ガリポリなど。不思議といおうか、なんといおうか。軍隊というのは、そういうところ、と云われれば、そうかなーとなりますが、それにしても、なのです。白襷隊も理解に苦しむところですが、そこまで第3軍は追い詰められていたのか、と思ってもみますが、やはり理屈では納得できない、奇妙なヘンな感じがします。


5673 [5657] なし
わあ! ナゾの人、すごいすごい!!
んがんぐ(01/5/28 19:37)

 こちらこそはじめまして。どこから調べようかふらふらしてたら、イキナリ気持ち良いとこ押された気分です。

 つまり、要塞攻略の理論を知っていて、だから泡食って工兵の意見を取り入れたり増援を送ったりしたと解釈するべきなんですかね?

 また、乃木将軍の応援団の面々にはとても興味があります。恐らくあるめさんに対して示されるべき人々がその中にいるような気がします。

 続編を楽しみにしております。 


5651 [5642] なし
[投稿者削除]
んがんぐ(01/5/26 04:36)

投稿者によって削除されました。(01/5/26 04:36)


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