特攻是か非か : 白熊(01/1/29 17:06)
Re:特攻是か非か : 無頼庵(01/1/29 18:04)
Re[2]:特攻是か非か : tackow(01/1/31 11:52)
Re:特攻是か非か : どんべ(01/1/29 21:32)
Re[2]:特攻是か非か : FUL(01/1/29 23:24)
Re[3]:特攻是か非か : 紅葉饅頭(01/1/30 00:30)
Re[3]:特攻是か非か : 紅葉饅頭(01/1/30 00:34)
Re[2]:特攻是か非か : いおーじま(01/1/30 01:09)
Re:特攻是か非か : 明石耕作(01/1/30 01:47)
Re:特攻是か非か : ダークマター(01/1/30 02:08)
フェアリー・バトルの惨劇 : ささき(01/1/30 03:11)
特攻隊を見たような気がする : BUN(01/1/30 18:34)
似ているように見えるかもしれませんが・・・違います。 : TETSU29(01/1/30 21:17)
わかりました : BUN(01/1/30 22:36)
「まったく同感です」って書こうと思ったら : どんべ(01/1/30 23:39)
私ははBUN氏の見解に本質論を垣間見ましたよ。彼等は赴いた、彼等は赴かせた。 : 雪風2(01/2/4 00:02)
Re:特攻是か非か : P-kun(01/1/30 22:34)
Re:特攻是か非か : NX(01/1/31 01:14)
[投稿者削除] : ごるぴゐ(01/1/31 05:06)
Re:特攻是か非か : ごるぴゐ(01/1/31 06:02)
Re:特攻是か非か : tackow(01/1/31 11:48)
祖先を誇りに思いたい : 白熊(01/2/2 09:31)
Re:祖先を誇りに思いたい : となりの大トロ(01/2/2 21:18)
Re[2]:祖先を誇りに思いたい : たかつかさ(01/2/2 22:25)
誇るのではなく、悼むというかたちで : 雪風2(01/2/3 21:25)
「赴くか」ではなく、「赴かせるか」 : 雪風2(01/2/3 21:41)
Re:特攻是か非か : ROCK(01/2/2 22:43)
また聞きなのですが : ささき(01/2/4 05:39)
Re:特攻是か非か : カバノフ中尉(01/2/3 02:45)
Re[2]:特攻是か非か : いおーじま(01/2/4 14:46)
Re[3]:特攻是か非か : カバノフ中尉(01/2/6 10:07)
怖く、そしてやりきれないのが : 雪風2(01/2/6 11:28)
Re:特攻是か非か : 彼らの子孫(01/2/4 01:14)
それは、分かる気がする。 : 雪風2(01/2/4 01:16)
Re:それは、分かる気がする。 : チャッピー(01/2/4 10:18)
[投稿者削除] : ウェーバー・アデマイド(01/2/6 00:18)


4589 Root [4592] [4598] [4608] [4609] [4612] [4618] [4620] [4624] [4625] [4626] [4627] [4653] [4660] [4664] [4677] [4700]
特攻是か非か
白熊(01/1/29 17:06)

己の肉体を武器と化し敵艦に体当たりする「特攻」。この非人道的攻撃をあなたはどう思います。私ですか・・・・
あの時の状況を鑑み、あえて「是」とします。

皆さんの意見をお聞かせねがいます。

特攻の経緯、指揮系統、兵器、統計的資料等の薀蓄も歓迎。

 ただし題名が題名だけに不真面目、茶化したものは不可!そんなこと書いたら恨みますよ。

って脅しちゃったけど。お願い。何でもいいから意見を聞かせて。


4592 [4589] [4628]
Re:特攻是か非か
無頼庵(01/1/29 18:04)

人道的視点からは、特攻は、絶対採用すべきではない攻撃法であると考えます。
また人材育成を考慮した戦略的視点と士気の点からも、特攻は非効率的攻撃法であると思います。

以下は、あくまで、極めて短期的な戦術的視点に限定しての話です。
 降爆の際の爆弾の終速(時速1000km前後)と、
零戦の急降下時の速度(時速500〜600km )を考えると、
物体の運動エネルギーは、速度の2乗に比例するため、
航空特攻は威力の点で明らかに非効率であると思います。
そもそも体当たり出来る距離まで敵艦に肉薄が可能であれば、
特攻を行わず、そのまま降爆に移っても、充分効率的であると考えます。

ただ、自分で否定できないのは、末期の回天攻撃です。
橋本以内「伊58帰投セリ」によると、
最後期の回天は、時速40ktで航行しながら、潜望鏡観測による追尾が可能であり、
高い命中率を期待できた、とあります。
これが、もし、本当なら・・・・・。
もちろん、回天搭乗員の養成に要する期間、働き盛りの青年の損失等を考えると、
回天戦もつまるところは、非効率な攻撃法だと思います。
ただ、一回だけ使用するなら・・・・・。この場合、自分は、未だ回天の効率性を否定出来ません。
誰か、定量データを元に、否定をお願いします。


4628 [4592] なし
Re[2]:特攻是か非か
tackow(01/1/31 11:52)

 本土決戦時のハナシですが、対輸送船への特攻兵器の命中率の見積もりとして、航空機が1/6、水中特攻兵器が1/10という数値があります。
 これから考えるに、少なくとも当時の軍上層部は航空機での特攻がより命中率が高い、と認識していたようです。
 ただ、航空機の1/6は実情に近いのですが、水中特攻兵器の1/10はどうやって算出したのか不明です。


4598 [4589] [4599] [4607]
Re:特攻是か非か
どんべ(01/1/29 21:32)

以下のような条件があれば、特攻もやむなしと考えます。

・他に手段がない
・特攻が勝利につながる可能性が少なからずある、または、
 この戦争に負ければ国家が滅亡する(一般的に戦争とはそういう物だが)
・志願制である
・発案者および指揮官は戦果を見届けたあと、自決する。

「志願制である」という理由は、
「生贄を捧げることで国家が存続した」という歴史を
後世に残すべきでない、という考えも含みます。

>私ですか・・・・
> あの時の状況を鑑み、あえて「是」とします。

私は「あの時の状況」について他の方々ほどの知識はありませんが、
仕方なかったという印象は確かにあります。
しかし、このような状況に陥ってしまった理由については、
「仕方なかった」とは言えないと思うのです。


4599 [4598] [4603] [4604]
Re[2]:特攻是か非か
FUL(01/1/29 23:24)

> ・他に手段がない
> ・特攻が勝利につながる可能性が少なからずある、または、
>  この戦争に負ければ国家が滅亡する(一般的に戦争とはそういう物だが)
> ・志願制である
> ・発案者および指揮官は戦果を見届けたあと、自決する。
という条件をつけても駄目だと思います。

1.ほかに手段がなければ、すでに戦争は敗北
しています。
2.国家の滅亡とは、人間個人の滅亡とは違います。特に、太平洋戦争では、国体という一部の
利権者の為の戦いに
3.まともな情報も教育もあたえられず、
形式的には志願した形ではあるが、実際は
環境や雰囲気により強行されたともいえる事。
(特に太平洋戦争では、死が日常になり、
相手の真の力も知らされない上に、降伏を
禁じられていた。)
4.責任者の自害には何も意味が無い。

以上から、特攻を開始する段階で、フィリピンを
維持することが不可能となり事実上、戦争継続が
不可能になったわけで、残された手段は講和を
求めることであったと思います。
そうすれば、多くの市民を犠牲にするルソン・
沖縄・本土爆撃も回避できたはずと考えます。
特攻の継続と美化が、純粋な多くの日本人を
破滅に追い込んだとも言えませんか?
又、回天に関しては、かなりの戦果を上げたはず
という、潜水艦館長の話がありましたが、
1.当時、潜水艦で米艦隊に近寄るのも至難の業。
2.たとえ少しの期間、戦果をあげても米軍のOR
により対抗策がすぐにとられたはず。
(潜水艦の徹底的な探索と母港の破壊、護衛網
強化等)
3.品質の維持、乗員訓練が消耗に追いつかない

一般論として、アクシデント的に体当たりが
実行され、それが、戦争全体の流れを変える
ことはありうりますが、その場合は戦力が
拮抗している場合に有効であり、体当たりを
戦術とし組織運用することを考える時点で軍部
上層部が脳死していること、つまり戦争に
負けていることの証明だと思います。
従い、特攻は戦術としても、戦略としても
否定します。


4603 [4599] なし
Re[3]:特攻是か非か
紅葉饅頭(01/1/30 00:30)

私は絶対反対です。FULさんとかぶりますがそんな事するような時点ですでに勝敗は決してますし、本人が他人に国のために死ねといわれる(当時の国家観がどういう物か解りませんが)なんてくそくらえです。まあ汚くなりましたがそうゆう事です。


4604 [4599] なし
Re[3]:特攻是か非か
紅葉饅頭(01/1/30 00:34)

私は絶対反対です。FULさんとかぶりますがそんな事するような時点ですでに勝敗は決してますし、本人が他人に国のために死ねといわれる(当時の国家観がどういう物か解りませんが)なんてくそくらえです。まあ汚くなりましたがそうゆう事です。


4607 [4598] なし
Re[2]:特攻是か非か
いおーじま(01/1/30 01:09)

>または、
>この戦争に負ければ国家が滅亡する(一般的に戦>争とはそういう物だが)

ちょっとした突っ込みです。
戦争と国家と滅亡の定義が難しいですが、一般的に戦争で国家が滅亡することは少ないのでは。
私の知る限りしいて20世紀ではベトナム戦争における南ベトナムくらいですが。


4608 [4589] なし
Re:特攻是か非か
明石耕作(01/1/30 01:47)

「かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人
の自由と尊厳に比べたら大した物じゃない」

「銀河英雄伝説」で登場したせりふですが、自分
はこの考えを支持します。その上で、あえて「個
人の生命を犠牲とした勝利」を求める特攻に意味
を求めるとするならば、それこそ、「自由と尊
厳」を守るための自発的な物であること、それの
みでしょう。

 それを考える限り、「大日本帝国」という国家
の存亡のために個人が犠牲を強いられた太平洋戦
争における「特攻」は全面否定です。と、同時に
宇垣纏氏の様に軍人としての「尊厳」(彼の場合
は指揮官としての責任もあったでしょうが)を守
るために自らの意思で出撃した個人に対して自分
はいかなることも語る資格はないと思います。


4609 [4589] なし
Re:特攻是か非か
ダークマター(01/1/30 02:08)

私なりに考えてみました。

旧日本軍の特攻は基本的に「非」と考えます。
実質、志願制ではなかったうえ、「死ぬ事」が目的になってい
た部分があり、それを行ったところで有効な戦果が上げられた
とは思えないからです。

ただ、マリアナ沖海戦のようなぎりぎりの作戦において、一回
限りの奇策として行うのであれば「是」とする余地も有ると
考えます。
もし、アメリカ人のキリスト教徒としての習性を研究し、
「自殺攻撃をかければ実戦未経験者を混乱させる事が出来る」
と裏が取れ、その作戦時における実戦未経験者が半数近いと判
明したとしましょう、そしてその作戦時自軍の切れるカードが
ぎりぎりであったとしたら、結果的に被害を減らせる「特攻」
と言うカードには切るかどうか検討する価値が出てくると考え
ます。

他にももし「突入直前の脱出」が前向きに研究されていれば、
「死ぬ事」ではなく「戦果を上げる」事を目的とした
特別攻撃が出来たのではないでしょうか?

たとえば桜花でも最終突入段階で固体ロケットを使った「強制
脱出装置」とかで搭乗員を射出するとか、「回天」も初期の設
計のまま脱出ハッチを残しておくとか、ドイツの「ミステル」
のような無人機突入とか。

多分死ぬだろう事には変わらないとしても「100%死ぬ為」に行
くので無ければそれは普通の軍事行動の範疇と考えます。
日露戦争の203高地戦や第1次大戦の塹壕戦を「自殺の為の戦い」
と呼ぶ人はたぶんいないでしょう。

10人のうち
・3人自分で殺しておけば残りは助かる
・全員死ぬかもしれないが全員助かるかもしれない、結果不明
・多分7人死ぬが味方は手を下さない
・全員その場は助かるが、その後8人死ぬと予想できる
最高指揮官はこんな判断をしなくてはならない物だと思います
算術だけで判断できないのは当然ですが、百万将兵全員に人情
をかけてもいられないはずです。

「人道的に許されないからだめ」と言う模範回答も良いですが、
いろんな面から考えてみてはいかがでしょうか?

最後に特攻責任者が死を持って責任を取ると言うのは反対です。
死んであっさり終わらすのではなく、特攻の意味を考え、苦悩
し、人殺しと罵られてもそれに耐えて生き抜いて、一生かけて
苦しみながら供養するのが責任の取り方だと思います。


4612 [4589] なし
フェアリー・バトルの惨劇
ささき(01/1/30 03:11)

第二次大戦初期、撤退を続ける英陸軍をドイツ軍の追撃から救うため、
当時すでに時代遅れとなっていたフェアリー・バトル軽爆による一連の
橋梁爆撃が強行されました。この作戦の生還率が低いことは最初から
わかりきっており、出撃は志願者だけに絞られて行われました。
損失率は70%を超え、ある作戦では36機出撃し帰還ゼロという
悲惨な数字さえ記録しています。

また、私はミッドウェイ海戦における旧式雷撃機デバステーターの
ほぼ全滅に近い被害のことを考えます。まだ「無敵のゼロ」伝説が
生きていた当時、ゼロの巣窟たる日本機動部隊に対し、鈍足鈍重の
旧式機で戦闘機の護衛なき低空攻撃を敢行した彼らの心中はいかなる
物だったでしょうか。

これらの作戦は、その結果において「特攻」と殆ど変わらないと思います。
そもそも考えてみれば、戦争というのは何の恨みもない人間同士が死力を
尽くして殺し合うという非常識極まりない社会行動です。
味方を生かすために敵兵を何百何千と殺しても罪に問われることがない、
それが戦争です。友軍数千を生かすため、友軍数名を見殺しにすること
すら日常的に行われます。

しかしそれを前提にしたところで、なおも私は「特攻」という作戦には
一線を引きたいと思います。バトル軽爆の白昼強襲もデバステーターの
雷撃も、生還する可能性は非常に低いですがゼロではないからです。
また、彼らには出撃を拒否する権利が残されていました。
(実際に母艦雷撃隊の隊長として敵空母発見の報に接し、生還率の低さを
理由に出撃拒否を言い張ることができるかどうか?は極めて疑問ですが…。
全滅した VT-8 雷撃隊長の J.C.ウォルドロン大尉は軍規違反を承知で
自隊装備機の旋回機銃を連装に「不法」改造させていました。軍人としての
任務と部下の生命を預かる責任の狭間で、彼が部下にしてやれる精一杯の
努力だったのでしょう…)

一方、特攻の生還率は「ゼロ」です。また特攻の「出願制」は建前に過ぎず、
特攻拒否を出願した者が真っ先に特攻出撃を指名され出撃して散っていった
という悲劇も伝わっています。

戦争という異常事態において、兵士の生命はもはや彼個人のものではなく、
その所属する集団の所有物として扱われてしまいます。好むと好まざるに
関わらず、それが実際に行われてしまうのが戦争です。
しかしそれでも兵士は一人の個人であり、自らの生命の処置を自らが決定する
最後の権利は保留すべきだと思います。

特攻が下命されたとき、それを受理した者は生きながらにして英霊として
扱われたと伝えられます。言い換えれば彼の生命は生きながらにして剥奪され、
その肉体は人権を持たぬ一個の兵器として扱われたのです。
いかに戦争という異常事態であっても、故国の同胞を救うために個人の生命を
捨てざるを得ない状況にあると言っても、それは許される行為だったとは
思いたくありません。


4618 [4589] [4619] [4623]
特攻隊を見たような気がする
BUN(01/1/30 18:34)

先日の東海村の事故で、計画被曝の名の下に「特攻隊」が編成されるのを見たような気がする。
彼等はいざとなれば仕事を放棄してその場を退去できる勤め人の立場にあるにもかかわらず、何が起こるかわからない危険な現場での作業班に加わり事故の処理を黙々と行った。
世間は彼等の所属した企業の杜撰な管理を罵ったが、実際の事故を命を賭けて片付けたのは彼等計画被爆作業班だった。彼等の奮闘こそ称えられるべきだろう。もし悪い企業に属した人間はその後始末の為なら死んでも障害を受けても構わない、と言うのなら、そういう人々の過ごす安穏こそ醜悪な代物である。
ただ憤りを覚えるのは危険の最も大きい第一班にその企業の経営責任者が立ち会わなかったことだろう。作業のスキルは無くとも、作業班の進退を決定できる人間として立ち会うべきだろう。恥とはこういうものを指すのだと思う。


4619 [4618] [4621]
似ているように見えるかもしれませんが・・・違います。
TETSU29(01/1/30 21:17)

> 先日の東海村の事故で、計画被曝の名の下に「特攻隊」が編成されるのを見たような気がする。

 確かにあのときの臨界終息作業は特攻の様に傍目には見えるかもしれませんが、違うものと考えるべきでしょう。
 あのとき、あの場所では限られた情報から現場の放射線量を推定して1人あたりの作業時間を決め、その範囲内でできる作業だけを行わせたのです。時間が来れば、そこで作業を打ち切って後続に任せろとも指示されているはずです。
(ここで、「いくら時間がかかっても決められた作業を終えるまで戻ってくるな。」と言ったらそれはまさに特攻です。)
 もっとも、結果として一部の作業員の方は緊急時の線量当量限度を上回ってしまいました。その落ち度は責められてしかるべきものではあります。

> 彼等はいざとなれば仕事を放棄してその場を退去できる勤め人の立場にあるにもかかわらず、何が起こるかわからない危険な現場での作業班に加わり事故の処理を黙々と行った。
> 世間は彼等の所属した企業の杜撰な管理を罵ったが、実際の事故を命を賭けて片付けたのは彼等計画被爆作業班だった。彼等の奮闘こそ称えられるべきだろう。もし悪い企業に属した人間はその後始末の為なら死んでも障害を受けても構わない、と言うのなら、そういう人々の過ごす安穏こそ醜悪な代物である。

 彼らには終息作業を行う義務が(法律上は)存在しました。簡単に説明すると、原子炉等規制法に定められている内容には次のものがあります。
 ○事業者(この場合は社長)は事故が発生した場合には直ちに応急の措置をとらなければならない。
 ○事業者は、緊急時には線量当量限度(まあ計画被ばくの上限と思って下さい。)の範囲内で従業員に作業させることができる。
 そして原子力事業所では法律に基づき「保安規定」を定めるように義務づけられており、その中には非常の場合にとるべき措置について定めることとなっています。
 この保安規定については、従業員は事故時には終息及び拡大防止に務めるよう定められています。
 (ちっとも「簡単な」説明ではないですね、回りくどくて恐縮です。)
 あのときに彼らが放棄したら、そのこと自体が法律上の問題となったでしょう。
 まあ、誰かがやらなければいけない作業でしたし、彼らが放棄または拒否していたら、多分近隣の原子力事業所の従業員が集められていたでしょう。
 もちろん、彼らがあの極限状況で自らの義務を果たしたということは十分賞賛に値します。

> ただ憤りを覚えるのは危険の最も大きい第一班にその企業の経営責任者が立ち会わなかったことだろう。作業のスキルは無くとも、作業班の進退を決定できる人間として立ち会うべきだろう。恥とはこういうものを指すのだと思う。

 大事故を起こしてしまったら、事故直後はトップが陣頭指揮を執るなんてことはまず不可能です。こんなときのトップの最も大切な仕事は国会対応(及びその準備)です。そして所長クラスのもっとも大切な仕事は自治体対応(住民対応を含む)です。
 現場で直接指揮を執るべきなのは実質部長クラスです。これをわきまえずに事故直後からトップが現場をウロウロしていたって何の役にも立ちません。それぞれの立場に応じてそれぞれの役目があるのです。

 いや、長々と書いてしまいましたが、ああいった極限状況での対応を安易に特攻と対比して欲しくはないと思います。


4621 [4619] なし
わかりました
BUN(01/1/30 22:36)

>  もちろん、彼らがあの極限状況で自らの義務を果たしたということは十分賞賛に値します。

まさにそう感じたのみのことです。他意はありません。
事情は良く理解できました。ありがとうございます。


4623 [4618] [4675]
「まったく同感です」って書こうと思ったら
どんべ(01/1/30 23:39)

 …師匠が引っ込んでしまった。

 まぁ、なんにしても私が言いたいのは、
特攻隊が必要な状況に陥ってはいけない、ということです。

戦争も原子力も止めておいた方がいい、ということですね。


4675 [4623] なし
私ははBUN氏の見解に本質論を垣間見ましたよ。彼等は赴いた、彼等は赴かせた。
雪風2(01/2/4 00:02)

タイトル通り。


4620 [4589] なし
Re:特攻是か非か
P-kun(01/1/30 22:34)

私論を述べさせてもらいます。
確かに、理論的に考えてみれば特攻は合理的でしょう。特に桜花や回天であれば。
しかし、合理的だからといって、人を守るべきために、人としての権利を守るために
存在する国家がそれを強制してよろしいのでしょうか?私は本末転倒におもえてなり
ません。
私が特攻してでも良いと考えるのは、明確に相手がこちらの存在を許していない時、
そしてこちらの自由を不当にうばい、奴隷と何ら代わり無い状態に置こうとしている
時、すなわち自分の住んでいる土地を植民地にしようとしている相手がいる時だと考えます。

しかし、相手がこれらをする意図が無い時、少なくともこちらを不当に拘束する意志
が無い時にはごめんこうむりたいです。太平洋戦争は国家的屈辱は味あうかも知れませんが、
避けようと思えば避けられたはずですし、最低限人権は保たれたはずです。
そんな戦争になぜ戦局が危なくなったからといって特攻せねばならないのでしょう?

これらははっきり言って結果論です。言論統制で情報隔離されていた当時の人々では
判断できないことかもしれません。しかし、結果論でも少なくともこの太平洋戦争の
特攻にはまるで賛同できません。

わたしはこのような特攻は二度と繰り返してはならないと思います。
私は、非礼を承知で言いますが、少なくとも太平洋戦争で特攻で亡くなられた方達は犬死だと思います。
こんな愚かしいことを2度と繰り返さないために、「犬死」だと、戒めのためにそう思うことにしています。

20世紀になってたくさんの人々が死にました。そして悲劇に遭いました。
こんな特攻を繰り返さないために、ベトナム戦争の時のような自殺兵を生み出さないためにすなわち19世紀から続いたアジア諸国への列強の圧迫からの苦しみを2度と味会わないために、
自分の国家をしっかり監視しなければならないのではないでしょうか。そのためにある民主主義ではないでしょうか。

なんか、長文でつたない文章で申し訳ありませんが、私はこのように思います。


4624 [4589] なし
Re:特攻是か非か
NX(01/1/31 01:14)

特攻隊ですか。

私は戦術面としては、あとさき考えない「その場限りの戦法」(戦力の再生産を不可能にし、士気の喪失を招きますから)としては、有効であったと思います。そして、この戦法をとった時点で敗北は決定すると思います。

ただ、心情面としては。

私は以前、某所の掲示板で特攻の議論をしたことがあるのですが、私が特攻に否定的な意見を述べると議論百出、袋叩きの百人組み手で大変なことになりました。延々議論したのですが、結局平行線を辿るだけで、結論や合意点はなかなか見いだせない。日本人にとって「特攻」は、永遠に答えの出ないテーマだ、と言うことだけは実感しました。

あと、終戦直後に書かれ、GHQによって発禁処分になった坂口安吾(安吾ばかりしつこいぞ!NXと言わないで)のエッセイ「特攻隊に捧ぐ」がごく最近発見されて、去年四月に発行された筑摩書房の坂口安吾全集16巻に収録され、ようやく陽の目を見たのですが、特攻肯定論の方にも否定論の方にも機会があればぜひ一度、読まれてみてはいかがかと思います。内容を一部抜粋すると、

引用開始

『私はだいたい、戦法としても特攻隊といふものが好きであった。人は特攻隊を残酷だといふが、残酷なのは戦争自体で、戦争となった以上はあらゆる智能方策を傾けて戦う以外に仕方がない。特攻隊よりも遥かにみぢめに、あの平野、あの海辺、あのヂャングルに、まるで泥人形のやうにバタバタ死んだ何百万の兵隊があるのだ。戦争は呪ふべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思ふ。』

『私は文学者であり、生まれついての懐疑家であり、人間を人性を死に至るまで疑ひつづける者であるが、然し、特攻隊の心情だけは疑らぬ方がいいと思っている。なぜなら、疑ったところで、タカが知れてをり、分りきっているからだ。要するに、死にたくない本能との格闘、それだけのことだ。疑るな。そッとしておけ。そして、卑怯だの女々しいだの、又はあべこべに人間的であつたなどと言ふなかれ。』

『我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るといふこと、それを必死に愛し、まもらうではないか。軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であつたとしても、死と必死に戦ひ、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。』

『私は然しいささか美に耽溺しているのである。そして根本的な過失を犯している。私はそれに気づいているのだ。戦争が奇跡を行ったといふ表現は憎むべき欺瞞の言葉で、奇跡の正体は、国のために命を捨てることを「強要した」といふことにある。奇跡でもなんでもない、無理強ひに強要されたのだ。これは戦争の性格だ。その性格に自由はない。かりに作戦の許す最大限の自由を許したとしても、戦争に真実の自由はなく、所詮兵隊は人間ではなく人形なのだ。』

『けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考へ方も必要だと思つている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応なく強要せられた、だが、その次に始まつたのは彼個人の凄絶な死との格闘、人間の苦悩で、強要によつて起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だといふ考へである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を以て敬愛したいと思ふのだ。』

引用終了

「特攻隊に捧ぐ」は「堕落論」とほぼ同時期に執筆された、たった4ページほどの短いエッセイなのですが、安吾はやっぱり凄いなと、思います。

そして、こういうまっとうな文章が占領下で発禁になる、というのはやはり屈辱的なことなのかな、とも思います。


4625 [4589] なし
[投稿者削除]
ごるぴゐ(01/1/31 05:06)

投稿者によって削除されました。(01/1/31 05:06)


4626 [4589] なし
Re:特攻是か非か
ごるぴゐ(01/1/31 06:02)

「戦うも亡国かもしれません。
 しかし戦わずしての亡国は、魂までも失う永遠の亡国となりましょう」

 子供の頃に読んだ本に、かの御前会議で山本五十六がこんな決め台詞を吐いていまし
た。真実かどうかは、わかりません。が、解釈は簡単です。

「はっきり言って勝ち目なんか無い。だがこのままでは日本の独立も、日本民族の尊厳
も守れない。だから敢えて戦争に訴えるのだ。例え酸鼻極まりない結果に終わっても、
それさえ守れれば、日本と日本民族が自らの尊厳を失わなければ、日本は再び復興する
だろう」

 太平洋戦争を始めた理由。いろいろ語られています。しかしこれこそが、全ての理由
の上に立脚した、最後の、究極の理由ではないかと私は考えています。「勝ち目の無い
戦いだったのに、なぜやったんだ?」恐らくは、最も人口に膾炙された言葉でしょう。
でも、この戦争は「誇りと尊厳を守る訴え」だったという思いに至った時、馬鹿臭い以
外の何物にも思えなくなりました。

 誇りを守るための戦いには、英雄という偶像が嘱望(しょくぼう)されるのです。
「これは我々の誇りを敵に見せつける、そういう戦いである。だから、誇りを敵(と我
々に)示せる英雄がなくてはならん」これ以上理(ことわり)に適ったことがあるでし
ょうか。科学あたりの理ではありません。別のものです。科学、戦略、戦術、人道云々
など、入り込む余地の無い、極めて宗教的な理なのです。科学あたりの理ではない理で
貫かれているだけです。

 理に合っている。これが「不合理」と言えましょうや。

 私、実は「特攻が制度化したのは、熟練搭乗員が払底(ふってい)したからだ」と思
っていました。でも「それは関係ない。実はもっと早い、戦局が悪くない時期から考え
られていた」という指摘を受けました。上記のことが、少し確信に変わりました。

 話を戻します。
 英雄になるためには、地位や才能は必要ありません。並外れた天運も、いや、勝利す
ら要りません。「感銘に値する闘いをした(している)」それだけで十分です。
 ですから戦術的に、戦術的に全く割が合わなくても関係ありません。俄(にわ)かで
も軍人ですから、商売としての戦果が上がらなかったら、成績の悪いサラリーマンのよ
うに冷たい評価を下されることでしょう。本来ならば。でもいいのです。戦果を上げる
に越したことはないけど、いくのではありません。実はもっと大切なことがある。「決戦の英雄になるためにいく」その事だったのです。

 死という代償に、寂寞と断腸の想いを禁じえないにしても、近所から英雄が現れる。
あの友が英雄になる。家族が、息子が英雄として扱われる。自分は英雄の知人であり、
友であり、家族であり、親である…逝(い)く者にしてもその想いがヒシヒシと胸に迫
る。そして、何の地位も名誉も無い一介の兵士であるこの私が、英雄となる…なんと甘
美なイメージでしょう。志願した場合は自らが、強要された場合は強要した側が、その
麗しい偶像を欲していたのです。もし「特攻」という冠が無かったら、戦争の記録に埋
もれるだけの、無名戦士の死に過ぎなかったでしょうに…

 目の前を見つめなおして下さい。大東亜戦争が終結して半世紀以上。それを知る先人
も、鬼籍に入らざるは寡なくなり、歴史年表の一項目になろうとしている、そんな現在
にあって、このネットの片隅のBBSにすら、人は数多の想いを込めて特攻を語っていま
す。これ自体、「特攻」が人々の心に遺(のこ)り、今だに生き続けている何よりの証
左ではないでしょうか。

 遺したものがある死。これが「犬死」と呼べましょうや。

 話が少しそれますが、「第二次大戦の真の勝者は日本である」といった人がいます。
戦争目的であった「国体(天皇制)の護持」「自由貿易の再開」「植民地の解放」等。
これらが全て達成されたからだというのが、その理由です。

 しかし私は「あの戦争は負けた」そう思っています。
 なぜか。究極の戦争目的である「民族の誇りを守る」これが、これだけが達成されな
かったからです。いや、自ら捨ててしまったといったほうがいいでしょう。誰かに頼ま
れた、とでもいうのでしょうか。

 今では「日本が合衆国51番目の州になる」この言葉に賛同する人は、決して少なく
ありません。むしろ歓迎する人が多いくらいでしょう。「アメリカ人に生まれればよか
った」という人も。子供をアメリカ文化に漬けこんで育てる母親も少なくありません。
似非(えせ)外人育てているだけ…

 これが、日本人が民族の誇りを持っている姿でしょうか?
 自分の生まれ出でた姿が、自分の慣れ親しんだ言葉が、目上から伝えられたものが、
生活空間が、国が…そんなに嫌なのでしょうか。「戦争をしたからだ」といい返される
かもしれませんが、戦いをしなかった民族など、この世のどこにいるというのでしょう
か。いるというならば、それは滅び去ってしまった民族です。「正義のない戦争をした
からだ」正義のない戦争など…いや、「正義という名の理由を口にしない」戦争など、
ありえません。

 特攻のことを思う度に、彼らこそ、文字通り身を挺して日本の誇りを遺してくれたの
だと感じます。いつか彼らの心が生かされて、日本人が民族の誇りを取り戻す日が来る
のでしょうか…いや、来て欲しいと願っています。

 それを取り戻したとき、日本はあの戦争に完全に勝ったことになる。
そう信じていますから。


4627 [4589] なし
Re:特攻是か非か
tackow(01/1/31 11:48)

 私の考えとしては「総論反対」で「各論概ね反対」となります。

 自らの意志により死を賭して赴くのと、自らの意志に反して背中を強制的に
押されるのではおのずから意味が異なると思います。
 軍が組織的に自殺攻撃を強要、実施していた、という意味での「特攻」は肯
定出来るものではありませんが。(先日の中東での米駆への体当たり攻撃の様な
)自発的な、自らの意志による「特攻」に関していえば、私としては肯定も否
定も出来ません。
 もちろん、全ての特攻が「自発的だった」と言われれば、まぁ、そうなんで
しょうが。


4653 [4589] [4656] [4671] [4672]
祖先を誇りに思いたい
白熊(01/2/2 09:31)

いろいろな意見がありますねぇ。
どれも正論だろうと思うのですが。
わたしも意見を。

特攻の成功率は約15%でした。これは米軍がORを駆使し、レーダーピケット艦を配し、近接信管の作動時間を「特攻機用」に早めた結果を含めての数字です。
通常攻撃なら成功率はほぼ0でしょう。例え誘導爆弾や反跳爆弾が実用化されたとしても。


我々は平穏な環境で武器を論じ戦略を評することができます。
翻って太平洋戦争末期の状況を想像してみてください。
本土を守るべき軍の多くは鬼籍となり、爆撃のため町は廃墟と化し上陸軍がいつ上陸してきてもおかしくない状況です。上陸軍に父母兄弟を殺され恋人や娘が犯される事を考えたらいったい何ができるでしょうか。逃げ場はないのです。

特攻は果たして「強制的」であったのか?
みなさんご存知のとおり命令ではなく志願です。
なぜなら堂々と自分達の意見を述べ特攻を批判した部隊もあります。技量、攻撃方法を考慮しての意見であり決して逃げてたわけではないです。
個人的に断った方もおられます。この人は焼け野原となり占領された日本を再建していこうと覚悟を決めた方です。ある意味勇気の要ることでしょう。

特攻が敵軍の本土上陸をおしとどめた主的要因では無いにしろ、要因にはかなりの部分「特攻」が含まれていると考えるのが順当でしょう。特攻で散華された方々は「悲劇の生贄」ではなく「救国の英雄」です。決して『犬死』ではなかったと断言します。


特攻のような犠牲的精神はあの時代特有のものなのか?
現代の我々でも持ち合わせているでしょう。守るべきものがあれば。
隊員の残した手記を見ると「洗脳された」とか「狂信的」とは思えません。国家のためでは無く
功名心でもなく、ただ「水が清らかで四季のある国土」「そこで暮らす人々」を守りたいがために
特攻に赴いたとしか思えないのです。私は祖先を誇りに思います。


4656 [4653] [4659]
Re:祖先を誇りに思いたい
となりの大トロ(01/2/2 21:18)

> 隊員の残した手記を見ると「洗脳された」とか「狂信的」とは思えません。国家のためでは無く
> 功名心でもなく、ただ「水が清らかで四季のある国土」「そこで暮らす人々」を守りたいがために
> 特攻に赴いたとしか思えないのです。私は祖先を誇りに思います。
>
>  この部分について,私は意義を持ちません。
お気を悪くなさらないで下さい。
 私は特攻否定論に立つのですが,それは,そのような戦術を採用しなければどうにもならない状況に追い込んだ当時の国家を否定します。
 私は現在,妻も子もいます。
 もし,彼らを守るために自らの身を失う以外手段がないとすれば,ためらいなくそれを選びます。
 ですが,国家の政策運用のまずさのため,そのような状況になれば,恐らく,国家に対して,怨み持ちながら赴くでしょう。
 たぶん,その時の遺書にはこの言葉を入れるでしょう「俺は国家により,殺される」と。


4659 [4656] なし
Re[2]:祖先を誇りに思いたい
たかつかさ(01/2/2 22:25)

>  私は現在,妻も子もいます。
>  もし,彼らを守るために自らの身を失う以外手段がないとすれば,ためらいなくそれを選びます。
>  ですが,国家の政策運用のまずさのため,そのような状況になれば,恐らく,国家に対して,怨み持ちながら赴くでしょう。
>  たぶん,その時の遺書にはこの言葉を入れるでしょう「俺は国家により,殺される」と。

「口に出しては国のため、心のうちは君のため」という言葉が残っていたように思います。
結局そういうことに尽きるのでは?


4671 [4653] なし
誇るのではなく、悼むというかたちで
雪風2(01/2/3 21:25)

実際のところ、
「犬死」
と言い切る人に対して、私も不快感を隠すことができません。

それと同時に、無条件で彼等を賛美する傾向に対しては、強い警戒感を覚えます。

私が疑問に思うのは、果たして本当に

>特攻は果たして「強制的」であったのか?
>みなさんご存知のとおり命令ではなく志願です

そうであっただろうか、という点です。
彼等の胸中は慮るしか術はない訳ですが、それでも尚、「遺書」は残ります。
その「遺書」の中には、靖国神社が編纂した『英霊の言の葉』には決して掲載されえない内容の物の残っています。

また、「回天」による特攻の際、ハッチを閉ざすやり方に対しても、憤りは拭えません。
例え失敗しても、助かる術はない。
ここに武士の情けはなく、
彼等に対して機能のみを要求する、
私には断じて認めることの出来ない「逸脱」です。

私は彼等を誇るのではなく、悼むというかたちで
頭を垂れたいと思っています。


4672 [4653] なし
「赴くか」ではなく、「赴かせるか」
雪風2(01/2/3 21:41)

> 特攻のような犠牲的精神はあの時代特有のものなのか?
> 現代の我々でも持ち合わせているでしょう。守るべきものがあれば。
> 隊員の残した手記を見ると「洗脳された」とか「狂信的」とは思えません。国家のためでは無く
> 功名心でもなく、ただ「水が清らかで四季のある国土」「そこで暮らす人々」を守りたいがために
> 特攻に赴いたとしか思えないのです。私は祖先を誇りに思います。


三十路を過ぎた今、考えるべきは、

「私なら赴くだろうか?」

ではなく、

「私なら赴かせるだろうか?」

ではないか、その様に考えています。
あくまで、私個人としては。


4660 [4589] [4683]
Re:特攻是か非か
ROCK(01/2/2 22:43)

アメリカ人は特攻を忌むべき存在としてみていますが、「自己犠牲の精神」の観点から見るとそうでもないようです。
たとえば、映画「インディペンデンス・デイ」
のラストに出てきたおっさんがF−18でUFOに突っ込むシーンや、ちょっと違いますがエアフォースワンでのF−15が身代わりになるシーンを見るとやっぱり人間はそこに行き着くんだろうかと思ってしまいます。
もっともアメリカ人にとってはあれはあくまで自己犠牲であって、特攻ではないと胸を張るでしょう。


4683 [4660] なし
また聞きなのですが
ささき(01/2/4 05:39)

 ロサンゼルスの酒場で知り合った女性がおりまして、どういう事情があってか知りませんがアメリカ人の養女になっております。んで、その義父というのがベトナム戦でファントムを駆り戦後はサンディエゴのトップガンで若いパイロットに空戦をビシバシ仕込んだという大ベテランで、軍務をリタイヤした今もフロリダの隠居先には若いパイロット達(トムキャットやホーネット乗りだそうな)やがよく遊びに来るそうです。

 彼らが痛飲した果てに漏らすのは「ジュンコ、カミカゼというのは軍人と最高の死に様であり、愛国心の発露として最大のものだ。僕も海軍に身を置きアメリカに忠誠を誓った以上、もし祖国を救うためならああいう死に方をしても悔いはない」と語るそうです。

 また聞きなので本当かどうかは言い切れません。酒に酔った上のことでもあり、彼女が日本人である事に対するおべっか的な意味合いもあるかも知れません。
 しかしカミカゼ=特攻というものに対し、ドライで論理的で個人主義的と呼ばれるアメリカ人が必ずしも「理解できない、忌むべきもの」という感情だけではなく、何かしら胸を打つものを感じることがあるのは確かなようです。


4664 [4589] [4690]
Re:特攻是か非か
カバノフ中尉(01/2/3 02:45)

戦争というものは勝つ国が有れば当然負ける国が
ある訳で敗勢が濃厚であり敗戦の経験が少なけれ
ば少ないほどそれこそあらゆる手段を尽くして
徹底抗戦するものなのかもしれません。

現在の価値観や概念は当時のものとは相当に
違います、個人の自由や権利と言うものが
まだ十分に一般社会に浸透しておらず名誉と
忠誠心が重んじられて戦争行為に対しても
自己犠牲の精神を前提にして行われていた
名残が有ったのでしょう。
現在でも発展途上国を中心とした自爆テロ等が
時々有るようですが彼らもまた自らの生命を
捧げても守るべきものが有ると固く信じた結果
なのかも知れません(宗教的なものは知りませんが)

死ぬ事を前提とした特殊攻撃は何も特攻隊に
限定された事では有りません。
近場に有力な対戦車兵器が無ければ爆雷を手に
肉弾攻撃で散華された方々が沢山いらっしゃい
ます、それこそ苦悩する時間余裕すらなかったの
かもしれません。

戦力を消耗してしまい、どうしても攻撃力が
足りない中で苦悩して特別攻撃の手段を採用し
その後においてはこれに代わる攻撃手段を見出
せずにいた指揮官の苦悩も計り知れないものが
有ったでしょう。
・・・勿論、部下を死地に追立てて自分は
敵前逃亡をしてのけた無責任の極みもいましたが

何れにしても特攻隊に行かれた方は途中の過程が
どうであれ生死を超越した崇高な義務感と責任感
によって成し遂げられ彼らを含めた当時の方々の
おかげで今日の日本が有るのだと思います。
強制性が濃厚に有ったとおっしゃる方も
いらっしゃるようですが例え強制されても最後に
はその事実を受け入れたのでないでしょうか?
どうしても嫌だと思えば爆弾捨てて降伏する事も
選択肢としてはありえます、勿論生存の可能性は
限りなく低い訳ですがそれこそ可能性はあります

現在は個人主義思想のもとで権利を主張する事が
出来る時代であり、人権と言う概念も十分に
浸透しております。
また、有力な誘導弾兵器が有り当時のような戦法
が取られる事は可能性としてもありえません。

それでもです、仮に私が何らかの必要があって
例え最初は半強制的な要素が有ったとしても
悩み悩んで苦悩した後に最後にそれを受け入れて
自ら死地に踏込んで散華したとして!!
後世の子孫が”あれは強制されて嫌々死んだ哀れ
な人なんだ”とか”洗脳されて人格を失って死ん
だ犠牲者”等と評価するものがいたら、それこそ
死んでも死にきれないものであり鬼籍にあっても
呪ってやりたいと思います。

そういう意味で私は彼らを否定する事が
どうしても出来ません。



4690 [4664] [4704]
Re[2]:特攻是か非か
いおーじま(01/2/4 14:46)

何時の間にか特攻で死んでいった者達と同世代になっています。
もし自分が彼らだったら。この仮定はそもそも自分という存在が戦後30年以上過ぎて生まれた状況によって規定されていることを考えれば無意味ですが、敢えてさせてもらいます。
最初は恐らく「なんて馬鹿なことを」と思い、他の者が行ったあとでは「今度は自分も」と思い始めるでしょう。遺書には何を書くか。私は体制批判は書きません。自分が死を持って尽くす体制を批判しては自分の誇りが保てません。恐らくは家族や今まで触れた愛すべき人々を、自分が育まれて生活した場を思い「お国のため」と書くでしょう。
確かに自己犠牲の精神は尊きものと感じます。しかし、何のために、そもそも何故という疑問は持ったほうがよい、というより持たねばならないと感じます。
私は70年代以降の各国の赤軍によるテロを憎みます。彼らの理想は確かに無視できるものかもしれませんがテロは断固として憎みます。
私は特攻を誇りにはできません。しかし、忘れずにおくべきと考えます。


4704 [4690] [4705]
Re[3]:特攻是か非か
カバノフ中尉(01/2/6 10:07)

そうですね、自己犠牲の精神は尊いですが十分に
考えなくしては単なる自殺になりかねませんから
これからの未来に付いて考えれば深い疑問と
冷静な判断力を持ちたいものです。
その為にも余り賞賛し過ぎるのも考えものなのか
も知れませんね。
とは言っても軍人としての責務で部下を死地に
立たせたものの最後には自分もその責務を
何らかの形で果たした指揮官(全部ではなくて
一部の人達)や
実際に行かれた方達が否定されるのは忍びがたく
感じられます。

テロは私も憎みますしそもそも理解を超える世界の人達です。
まぁ 彼らにしてみれば自分の生命を引替にしても
守るべきものがある・・何かがあってのことであり
・・・自爆テロなんかは宗教が絡んでいるようだし
やはり単に狂っているだけなのだろうか?


4705 [4704] なし
怖く、そしてやりきれないのが
雪風2(01/2/6 11:28)

> テロは私も憎みますしそもそも理解を超える世界の人達です。
> まぁ 彼らにしてみれば自分の生命を引替にしても
> 守るべきものがある・・何かがあってのことであり
> ・・・自爆テロなんかは宗教が絡んでいるようだし
> やはり単に狂っているだけなのだろうか?

見る人から見れば、特攻もそう捉られがちであり、
誰がどれほど言葉を尽しても、彼等のその認識を覆すことは
難しいでしょう。
ここはもはや感情の世界であり、理論などは存在しません。
そして、それを感情的と罵る人も、大抵、その陥穽に陥るのが常です。

同様に、自爆テロの支持者にとって実行犯は誇るべき英雄であり、
自爆テロ実行犯は
「守るべき物を守るべくして立った」
と主張して譲りますまい。
たとえそれが視野狭窄極まる宗教的原理主義に基づこうとも。


最近、私は「理論」による正解の追求ではなく、
むしろ単純な好悪の感情のコントロールこそが、
摩擦や対立を解消する唯一の手だてではないかと考えるように
なっています。

そして、利害関係が、全てをぶち壊す。

先の発言と重複しますが、私には、悼むことしかできません。


4677 [4589] [4678]
Re:特攻是か非か
彼らの子孫(01/2/4 01:14)

 特攻隊員たちにとっては坂口安吾の言ってることがおそらくいちばん弔いとなるのかな?と思う


4678 [4677] [4685]
それは、分かる気がする。
雪風2(01/2/4 01:16)

タイトル通り


4685 [4678] なし
Re:それは、分かる気がする。
チャッピー(01/2/4 10:18)

私は、特攻で亡くなった方々全てを敬愛すべき存在だと思います。
しかし、機体の故障で引き返した特攻隊員に対して「なぜ山にぶつかってでも死ななかったのか!!」と息巻いていた参謀もいたし(出撃員数が合わなくなることと、戦果の報告が出来ないことに対して怒っていたらしい)、出撃直前まで泣いていた隊員の話しも聞きます。町内から特攻隊員が出れば確かに英雄扱いでしょう、しかし、人々は「可哀想に、ああ、家じゃなくてよかった」と内心ホッとしていたというのが現実ではないでしょうか?
私は、これら雰囲気の全てに嫌悪感を覚えます。この問題に結論はないでしょう、しかし、大東亜戦争で現出した特攻は、白虎隊とは違います。


4700 [4589] なし
[投稿者削除]
ウェーバー・アデマイド(01/2/6 00:18)

投稿者によって削除されました。(01/2/6 00:18)


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