B-29は原爆搭載を前提に開発された? : どんべ(00/12/2 01:46)
Re:B-29は原爆搭載を前提に開発された? : ”&”(00/12/3 21:35)
Re[2]:B-29は原爆搭載を前提に開発された? : どんべ(00/12/5 00:14)
呼ばれて飛び出て : ささき(00/12/5 09:14)
[投稿者削除] : 毛沢豚(00/12/5 22:07)
Re:呼ばれて飛び出て : どんべ(00/12/6 00:54)
全然明確ではないけど_(^^;)ゞ : 大塚好古(00/12/6 08:48)
核爆弾 : ノースバーグ(00/12/8 20:03)
時系列 : ノースバーグ(00/12/8 23:46)
砲撃型 : ノースバーグ(00/12/9 15:14)


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B-29は原爆搭載を前提に開発された?
どんべ(00/12/2 01:46)

 ルーズベルトに原爆開発を促した「アインシュタイン書簡」に、
「原爆は船ならば運べるが、航空機で運ぶには重すぎる」
と書かれていることを知ってから、
B-29(もしかしたら、ランカスターも)の開発は、
原爆搭載が最初から考慮されていたのではないかと
考えるようになりました。
これについて、皆さんのご意見を聞かせて下さい。

 尚、私が調べたところでは、
アインシュタイン書簡がルーズベルトに届き、
第一回のウラン諮問委員会が開かれるのが、39年10月、
R40B要求仕様の作成が開始されるのが39年11月、
射出式ウラニウム爆弾の基本構造と、ウランの臨界量について述べられた
「フリッシュ=ピエール覚書」が提出されるのが40年(?)、
XB-29の発注が40年8月です。


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Re:B-29は原爆搭載を前提に開発された?
”&”(00/12/3 21:35)

いきなり反対意見で恐縮なんですが,私はそうではないと思います。
マンハッタン計画を指揮していたのはグローブスと言う男ですが,
(1年間で5階級昇進,アフリカ戦線でロンメルと戦うのが野望の怪しい工兵少将)
彼がマンハッタン工兵管区に着任したのが1942の9月,
ちなみに研究炉が初めて臨海に達したのが1942の12月です。
その後も不当取引を監視するトルーマン委員会の追及やら
(1943の12月で5億ドル注ぎ込んでます。)
をかわしつつ,
(トルーマンは大統領就任後に初めて計画の全容を知らされました。)
最初の5kgのプルトニウムが1945の6月中旬にできています。
理論的には可能でも,何時完成するのかわからず,そもそも
実現できるのかもわからない。公式にはそんなもの存在しないことになっている。
そんな兵器の専用機を開発するでしょうか。
…というのが理由です。
もっと深い意見はBUN師匠や大塚さん,ささきさんが書いてくれると思うので,
皆様意見をお聞かせください。


4386 [4378] [4388]
Re[2]:B-29は原爆搭載を前提に開発された?
どんべ(00/12/5 00:14)

> いきなり反対意見で恐縮なんですが
いえいえ、ご意見ありがとうございました。

> 最初の5kgのプルトニウムが1945の6月中旬にできています。
> 理論的には可能でも,何時完成するのかわからず
> そもそも実現できるのかもわからない。公式にはそんなもの存在しないことになっている。
> そんな兵器の専用機を開発するでしょうか。

 しません(笑)…と言ってしまうと議論にならないので、再反論します。
原爆のアクティブ材を臨界量造るのは、言われるとおり、おそろしく大変だったようです。
しかし、爆弾の設計自体は43年にはほぼ完成しており、
44年には原爆投下部隊である509CGの編成が始められます。
「何時完成するのかわからず、そもそも実現できるのかもわからない」
のも事実ならば、巨額の費用をかけた以上、
絶対に成功させなければならないプロジェクトだったこともまた確かです。

 私がとにかく不思議に思うのが、巨大なリトル・ボーイとファット・マンが、
大型機とは言え驚異的な高速機であったB-29のスリムな胴体に収まったということです。
また、B-29の9トン、ランカスターの10トンという搭載量は、
どういう理由で決められたのか?とも思います。


4388 [4386] [4397] [4399]
呼ばれて飛び出て
ささき(00/12/5 09:14)

名指しで呼ばれたのでしゃしゃり出てきました(^^;)

>「何時完成するのかわからず、そもそも実現できるのかもわからない」
>のも事実ならば、巨額の費用をかけた以上、
>絶対に成功させなければならないプロジェクトだったこともまた確かです。
そうでしょうか。
私はマンハッタン・プロジェクトは「ナチス・ドイツより先に原爆を開発する」
ことが目的だと思っています。つまり極論すれば、ドイツが失敗したなら彼ら
にも失敗が許されたのではないでしょうか。
絶対に起こしていけなかったのは「ヒトラーの手に原爆があり、我々には
ない」という事態を招いてしまうことで、「どちらの手にも原爆がない」ので
あれば引き分け(通常兵器の生産能力で勝ち目あり)、「ヒトラーの手にはなく
我々にはある」ならば大ラッキーというプロジェクトだったのではないかと
思っています。

>  私がとにかく不思議に思うのが、巨大なリトル・ボーイとファット・マンが、
> 大型機とは言え驚異的な高速機であったB-29のスリムな胴体に収まったということです。
それは逆ではないでしょうか。
実験用のトリニティがどんなサイズだったのか知りませんが、おそらく
一回り大きかったものでしょう。それを実戦兵器に応用するには空中投下
しなければならない事は自明であり、当時最大の重爆であった B29 の
爆弾倉に収まるようコンパクト化した産物が「リトルボーイ」「ファット
マン」だったのではないかと思います。

> また、B-29の9トン、ランカスターの10トンという搭載量は、
> どういう理由で決められたのか?とも思います
http://www.csd.uwo.ca/~pettypi/elevon/baugher_us/b032-01.html
http://home.att.net/~jbaugher2/b29_1.html
によれば、発令当時の R-40B 仕様では最大戦闘距離において爆弾搭載量
2000 ポンド(約1トン)です。もし R-40B の要求仕様が原爆搭載と関係が
あるなら、あまりにも楽観的に過ぎる数字ではないでしょうか?
航続距離は一体何処から何処を爆撃するつもりだったのか、5333 マイル
(8582Km) という途方も無い値が要求されています。B-29 の原形 Model334
から Model341, Model345 と計画が変更されてゆく過程で段々と航続距離が
削られ、代わりに爆弾搭載量が増やされてゆく様子が伺えます。

どういう理由で米陸軍が航続距離偏重から爆弾搭載量重視になったのか、
それはよくわかりません。1940 年後半と言えばバトルオブブリテン華やか
なりし頃で、欧州での戦訓に何か得るところがあったのかも知れません。
将来開発されるかも知れない新型爆弾に備えて…という布石がなかったとは
断定できませんが、その可能性は少ないと私は思います。


4397 [4388] なし
[投稿者削除]
毛沢豚(00/12/5 22:07)

投稿者によって削除されました。(00/12/5 22:07)


4399 [4388] [4401] [4424] [4425]
Re:呼ばれて飛び出て
どんべ(00/12/6 00:54)

> 名指しで呼ばれたのでしゃしゃり出てきました(^^;)

 ありがとうございました。米軍機研究家のご意見、承りました。
予想はしてたけど、反対意見ですねぇ(笑)

> 私はマンハッタン・プロジェクトは「ナチス・ドイツより先に原爆を開発する」
> ことが目的だと思っています。つまり極論すれば、ドイツが失敗したなら彼ら
> にも失敗が許されたのではないでしょうか。
> 絶対に起こしていけなかったのは「ヒトラーの手に原爆があり、我々には
> ない」という事態を招いてしまうことで、「どちらの手にも原爆がない」ので
> あれば引き分け(通常兵器の生産能力で勝ち目あり)、「ヒトラーの手にはなく
> 我々にはある」ならば大ラッキーというプロジェクトだったのではないかと
> 思っています。

 ドイツの原爆開発に不安を抱いたユダヤ系科学者たちが
アインシュタイン書簡を作成したことがそもそもの始まりだったのは確かなようですが、
「マンハッタン計画」は20億ドルを費やした超巨大プロジェクトです。
「原爆が完成すればラッキー」というレベルの金額でしょうか?
 私は逆に、この20億ドルという出費の大きさが、
原爆の実戦使用に対し、後戻りを許さなかったのではないかと考えています。 

> 実験用のトリニティがどんなサイズだったのか知りませんが、おそらく
> 一回り大きかったものでしょう。

  私の調べたところでは、ウラニウム爆弾「リトル・ボーイ」は、
1発しか完成せず(ウラン濃縮が間に合わなかった?)、
プルトニウム爆弾「ファット・マン」は2発が完成したので、
実戦使用に先駆けてテストを行ったということらしいのです
(若干の推測を含む)。

>発令当時の R-40B 仕様では最大戦闘距離において爆弾搭載量
> 2000 ポンド(約1トン)です。もし R-40B の要求仕様が原爆搭載と関係が
> あるなら、あまりにも楽観的に過ぎる数字ではないでしょうか?
> 航続距離は一体何処から何処を爆撃するつもりだったのか、5333 マイル
> (8582Km) という途方も無い値が要求されています。B-29 の原形 Model334
> から Model341, Model345 と計画が変更されてゆく過程で段々と航続距離が
> 削られ、代わりに爆弾搭載量が増やされてゆく様子が伺えます。

 これですよ(笑)。これがB-29の最大の謎なのです。
この話題を振った理由のひとつが、
この謎に対して明確な答えを持った方がおられるのではないかと考えたからです。
 ささきさんを含め、この辺を明確にしてくださる方はおられないでしょうか?
(いかん、ただの質問になってきた)


4401 [4399] なし
全然明確ではないけど_(^^;)ゞ
大塚好古(00/12/6 08:48)

>  これですよ(笑)。これがB-29の最大の謎なのです。
> この話題を振った理由のひとつが、
> この謎に対して明確な答えを持った方がおられるのではないかと考えたからです。
>  ささきさんを含め、この辺を明確にしてくださる方はおられないでしょうか?
> (いかん、ただの質問になってきた)

 実際の戦闘行動半径を3500kmと仮定すると、フィリピンから日本へ、というのが
一番確実性が無いですか?<長大な航続距離

あと洋上哨戒爆撃機として、ハワイからグアムにかけての米軍の島拠に
配置する機体、と考えると結構納得は出来ます。

以上、オレンジプランを読んでのただの推論でした(笑)


4424 [4399] なし
核爆弾
ノースバーグ(00/12/8 20:03)

>  私の調べたところでは、ウラニウム爆弾「リトル・ボーイ」は、
> 1発しか完成せず(ウラン濃縮が間に合わなかった?)、
> プルトニウム爆弾「ファット・マン」は2発が完成したので、
> 実戦使用に先駆けてテストを行ったということらしいのです
> (若干の推測を含む)。

 横から補足させていただきますと、砲撃型は原理が単純なために、わざわざ実験するほどのことも無いと考えられていたようです。また、電磁分離法による生産量の少ない高濃縮ウランを実験に使うのはもったいなかったらしいです(プルトニウムの方は、生産ラインが軌道に乗れば、続々と生産することができ、価格もウランより安かった)。
 これに対して、爆縮レンズを使った方式は不確定の要素が多く、実験の必要がありました。トリニティ実験の目的も、プルトニウム爆弾のテストというよりは、爆縮装置による核爆発のテストに比重がかかっていたらしいです。
 なお、当初は砲撃型プルトニウム爆弾が本命視されていましたが、中性子バックグラウンドの問題が判明したため、プルトニウムは砲撃型に使えないと判断されました(プルトニウム240を除去すれば使えたのですが、スケジュール的に無理でした)。そこで、プルトニウム→爆縮型、ウラン→砲撃型ということになっています。

> 実験用のトリニティがどんなサイズだったのか知り
> ませんが、おそらく一回り大きかったものでしょう。

 これは想像ですが、不発の時に核燃料を回収する容器「ジャンボ」の有無を除けば、核爆弾本体は実験用と実戦用で大きさに差は無いと思います。差があったのでは、本番直前の実験としての意義がずいぶん低くなりますから。


4425 [4399] [4426]
時系列
ノースバーグ(00/12/8 23:46)

 アインシュタインの手紙にある天然ウラン爆弾というのは、現実的に不可能なものでした。そして、ウラン諮問委員会では、原子炉を潜水艦などの船舶の動力に利用することが検討されただけだったようです。
 1941年3月の全米科学アカデミーのウラン問題再審委員会の報告書でも、原子炉の船舶用動力、死の灰を爆弾に入れて敵地にばらまくこと、原子炉を暴走させるという「原子爆弾」については述べられていますが、我々が言うところの原子爆弾についてはふれられていません。
 1941年9月くらいまでは、米国において原爆開発を直接目指す動きは無く、原子炉開発中心の方針でした。
 1940年2月のフリッシュ・パイエルス・メモにより高濃縮ウラン爆弾の構想が示されました。が、軍事研究の分割管理と秘密主義により、このイギリスで生まれたアイデアがアメリカで取り上げられるのにはしばらく時間がかかりました。1941年10月、イギリスのモード報告を受けたルースベルトの命令によって、核開発方針が転換され、原爆の本格的な開発がスタートしています。

 さて、爆縮型原爆のアイデアですが、これはネッダーマイヤーが1943年3月以降にロスアラモス研究所で思いついたものです。同年末に、砲撃式と並ぶ優先権が与えられ、この研究によって爆弾直径1.5メートルの卵型という値が出てきます。

 一方、B−29試作機の初飛行は1942年9月21日。
 Mk.1砲撃型ウラン爆弾。全長3.20m。直径0.74m。重量4400kg。
 Mk.2爆縮型プルトニウム爆弾。全長3.25m。直径1.52m。重量4540kg。

 こうして見ると、砲撃型はともかくとして、B−29の設計に爆縮型が影響を与える可能性は無いようです。


4426 [4425] なし
砲撃型
ノースバーグ(00/12/9 15:14)

 えー、砲撃型についてはどうだったか、ですが。
 ボーイングのModel 345の要目は1940年5月には出ているようですので、やはりB−29は、原爆ができたとしてどの程度のサイズになるか判る以前の設計であると思います。
 原爆の設計に関し、例えば、フリッシュ・パイエルス・メモではウラン235の臨界量を実際より随分と低く見積もっており、これが実験によってそれなりの値に正されるのは1941年3月くらいですし。そして、この事が米軍側へ伝わるのに、これまた結構な時間がかかっているのです。
 砲撃型装置の開発は、ロスアラモス研究所の開設(1943年3月)直後から進められ、44年前半には技術的にほぼ完成していたようです。これは全長5メートルほどの砲撃型プルトニウム爆弾「スィンマン」のものですが、ウラン爆弾である「リトルボーイ」のはそれを短くして作られています。


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