物が有れば日本は勝てたのだろうか? : カバノフ中尉(00/11/8 07:53)
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか? : ペンギン(00/11/8 15:25)
「勝つ」とは?「物」とは? : BUN(00/11/8 17:05)
その辺り難しいですね(^^; : カバノフ中尉(00/11/8 22:16)
絶対勝てない理由 : マキャベリ(00/11/9 20:37)
Re:絶対勝てない理由 : PT(00/11/9 21:13)
アメリカに住んでいる身には : ささき(00/11/9 07:52)
Re:アメリカに住んでいる身には : BB(00/11/9 14:18)
こちらは2600年不敗の伝統 : 戊種(00/11/11 08:46)
Re:こちらは2600年不敗の伝統 : さn(00/11/11 22:25)
Re[2]:こちらは2600年不敗の伝統 : 戊種(00/11/14 01:56)
無題 : ささき(00/11/14 08:03)
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか? : TETSU(00/11/9 20:41)
[投稿者削除] : VVVVVVVVV(00/11/16 16:40)
負けはしなかったのではないか : 戊種(00/11/11 08:32)
柄じゃないんだが、組織論のお話 : FIX(00/11/11 13:44)
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話 : BUN(00/11/11 15:14)
私もあまり難しい話は苦手では有るんですが : カバノフ中尉(00/11/11 17:08)
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話 : 戊種(00/11/14 02:50)
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話 : LLL(00/11/15 23:30)
Re:負けはしなかったのではないか : 白熊(00/11/11 14:46)
Re[2]:負けはしなかったのではないか : BUN(00/11/11 16:01)
捕まえたのに・・・ : FIX(00/11/11 21:53)
Re:捕まえたのに・・・ : BUN(00/11/11 22:22)
Re[2]:捕まえたのに・・・ : CAT(00/11/13 21:42)
変な所にあります。 : BUN(00/11/13 22:52)
努力は認めるのですが・・・ : 白熊(00/11/13 12:21)
Re:努力は認めるのですが・・・ : BUN(00/11/13 17:50)
Re[2]:努力は認めるのですが・・・ : 白熊(00/11/14 11:41)
少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など : ISHI(00/11/18 15:50)
Re:少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など : 白熊(00/11/21 01:15)
事実? : BUN(00/11/21 06:31)
Re:事実? : ISHI(00/11/21 14:03)
燃料は関係ないのでは? : tackow(00/11/21 19:07)
「少々お待ちください」 : BUN(00/11/21 19:42)
出来ました! : BUN(00/11/22 22:55)
Re:出来ました! : ISHI(00/11/23 18:13)
確実な事と不確実な事がある : BUN(00/11/23 19:34)
誉は本来100オクタンガソリン専用 : ISHI(00/11/28 17:44)
どうかな? : BUN(00/11/28 20:02)
低品質オクタン価の揮発油に付いて : カバノフ中尉(00/11/29 01:05)
この問題は難しいけれども・・・・ : BUN(00/12/4 10:41)
Re:この問題は難しいけれども・・・・ : カバノフ中尉(00/12/4 23:19)
[投稿者削除] : ISHI(00/12/1 18:22)
Re:どうかな? : ISHI(00/12/1 18:27)
Re:出来ました! : tackow(00/11/24 11:46)
始動用では?(タイトルのみ) : SADA(00/11/24 12:14)
それは多分・・・ : BUN(00/11/24 12:44)
燃料に関しては弩シロートなのですが : まなかじ(00/11/24 17:59)
Re:事実? : 白熊(00/11/22 13:48)
Re:少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など : ISHI(00/11/28 17:40)
Re[2]:負けはしなかったのではないか : 戊種(00/11/14 16:32)
Re[3]:負けはしなかったのではないか : BUN(00/11/14 17:22)
Re[4]:負けはしなかったのではないか : 無頼庵(00/11/15 11:40)
やはり負ける・・・・ : 白熊(00/11/15 18:03)
Re:やはり負ける・・・・ : 戊種(00/11/15 20:39)
[投稿者削除] : LLL(00/11/15 23:57)
Re[3]:やはり負ける・・・・ : カバノフ中尉(00/11/16 14:37)
お礼 : 白熊(00/11/16 15:45)
少々の反論 : BUN(00/11/15 20:42)
1点の光 : 白熊(00/11/16 16:21)
Re:1点の光 : tackow(00/11/16 18:12)
[投稿者削除] : マキャベリ(00/11/11 19:04)
結局、政治の問題 : マキャベリ(00/11/11 19:54)
なぜ、連合国が日独を徹底的に叩いたのか? : アリエフ(00/11/12 01:05)
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか? : 2HB(00/11/16 10:55)


4253 Root [4255] [4256] [4259] [4267] [4274] [4288] [4311]
物が有れば日本は勝てたのだろうか?
カバノフ中尉(00/11/8 07:53)

戦争の話を聞くと判で押したように
物が無かったから戦争に負けたと聞きます。
勿論物資不足は敗因の一つでしょう
新聞報道でしか情報を拾得出来ない当時の
人々は実感としては日々困窮する生活が
敗戦感に直結しやすいのも判りますが
しかし・・・身も蓋も無い話ですが
仮に開戦時に物資が満足するだけ有ったとして
戦争に勝てたのだろうか?せめて有利な
講和条件で終戦を迎えられたのであろうか?
技術水準と輸送関係が満足でない辺りから
言っても、私は可也怪しいと思うのですが・・。


4255 [4253] なし
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか?
ペンギン(00/11/8 15:25)

まず無理だと思います。私個人としては、大東亜戦争(遼東半島租借以降)は日本独自の経済ブロックの確立する過程での衝突と理解しています。当時の南方占領地に対する意識でも、欧米列強は国内工業の余剰製品の独占市場の拡大を主目的としたのに対し、日本は工業原料の確保が先に来ています。つまり日本の工業化は発展途上であり、総力戦を遂行するほどの余力は無かったのではないでしょうか。


4256 [4253] [4257]
「勝つ」とは?「物」とは?
BUN(00/11/8 17:05)

「勝つ」という事がどんな状況に持ち込むことを指すのか?
そして、「物」とは何をどの位いつまでに手に入れることなのか?
この辺を明確にしないとどうにもなりません。

 私としてはマリアナ海戦で敵空母の3隻でも撃沈できれば、私の戦争は「勝ち」なのですが、中には米国が無条件降伏しなければ気が済まない方もいらっしゃるでしょうし、「有利な講和」を結ぶことに意義があると考える方もあるでしょう。

 その辺は如何ですか?


4257 [4256] [4266]
その辺り難しいですね(^^;
カバノフ中尉(00/11/8 22:16)

多分誰もが聞いたであろう又は読んだであろう
ご年配の方々の物が無いばかりに負けた
物が有りさえすれば勝てた・・・。
・・ってその物・・って何なんだ?とか
勝つってどんな状態?とか
多分言っている本人も可也漠然とした
話なんだろうなぁ〜と思っています。
大分負け惜しみ的ニアンスも強いと思います。
そのあたりをわざわざ叩き潰すような話なんで
酷なんですが聞く度に私は”いゃ〜勝てません”
・・と漠然と思ってしまいます。
物の定義や勝利状態に付きましては
こういった話を聞かれた方それぞれの
主観に委ねたいと思います。

私的にはこういった話をされる方は
当時如何にひもじかったかとか弾が勿体無くて
ケチりながら撃ったとか寂しい話が始めに
出ますので。

物が豊かとは大砲の火力優勢とか食い物に
困らんとか弾をケチらないで撃てるとか
いわゆる単純に消耗的な物資に気をとらわれずに
じゃんじゃん使える状態ではないかと思います。

勝利条件とは日露戦争のポーツマス条約の様に
双方意見交換の上で譲歩した条約を締結する
状態だと思います。


4266 [4257] [4268]
絶対勝てない理由
マキャベリ(00/11/9 20:37)

物資(食料、武器、弾薬)が豊富にあれば個々の「戦闘」では、あるいは勝てたかもしれない例はあったでしょうが、絶対に「戦争」には勝てなかったでしょう。
理由は簡単。戦争目的が判然とせず、戦争設計が存在しなかったから。
戦争に勝つとは戦争目的を達成する事。いくら戦闘に勝っても戦争目的を達成できなければ、戦争に勝利した事にはなりません。ところが戦争目的自体が判然としないのだから、勝ち様が無いのです。

忠勇なる皇軍兵士が「泥水啜り、草を食み」悪戦苦闘している最中、帝国議会で斎藤代議士が質問した「シナ事変の戦争目的は何か」と。ところが米内首相以下政府首脳は誰一人として答えられず、畑陸相に至っては「なかなかいいところを突く」と感心する有様。こんな体たらくでは、いくら物資が豊富で夢の超兵器を持っていても勝てるはずが無いです。


4268 [4266] なし
Re:絶対勝てない理由
PT(00/11/9 21:13)

> 戦争に勝つとは戦争目的を達成する事。いくら戦闘に勝っても戦争目的を達成できなければ、戦争に勝利した事にはなりません。ところが戦争目的自体が判然としないのだから、勝ち様が無いのです。

目的はなくとも戦うためには相手が必要ですから、敵国が全てなくなれば事実上は「勝ち」でしょう。
従って、極論としては全世界を敵に回しても平気で戦えるだけの物資があれば、勝つことはできるんじゃないかと思います。
勿論、こんな仮定は全く現実的ではないし、物資の面での仮定が成立したとしても途中で自滅するのがオチでしょう。
そもそもそんなに大量の物資があるならこちらから戦争を仕掛ける必要性はないだろうし、そんな国に戦争を仕掛ける国も
そうそうないと思いますけど。


4259 [4253] [4264]
アメリカに住んでいる身には
ささき(00/11/9 07:52)

私は米国に在住し、米国に友人を持ち、米国の航空雑誌を読んだり
ドキュメンタリー番組を見ていますが、日本で聞く以上に「パール
ハーバー」の恨みは根深く浸透しています。

アメリカ人は愛国心が強く誇り高い国民です。彼らの星条旗に対する
忠誠心には、少々前時代的なものを感じずにはいられない程です。
建国以来ほとんど外国の侵略を受けたことがない誇り高き国アメリカ、
その領土であるハワイが東洋の小国から宣戦布告なき奇襲攻撃を受け、
アメリカン・シーパワーの象徴たる戦艦が反撃の術もなく何隻も破壊
され、神聖なる日曜日の礼拝時間に数多くの戦死者まで出したのです。

ルーズベルト大統領が煽らなくとも、国民から「日本討つべし」の声が
上がるのは必定でした。米軍前線戦力に多少の痛打を与えたところで、
日本との講和を受け入れるような状態ではなかったと思います。日本に
痛打を与えなければ気が済まなかったのはむしろアメリカではないで
しょうか。


4264 [4259] [4275]
Re:アメリカに住んでいる身には
BB(00/11/9 14:18)

未熟ながらレスを・・

> 私は米国に在住し、米国に友人を持ち、米国の航空雑誌を読んだり
> ドキュメンタリー番組を見ていますが、日本で聞く以上に「パール
> ハーバー」の恨みは根深く浸透しています。
僕(高校生)もヒューストンに住んでいますが、こちらの人は必要以上にパールハーバーを持ち出します。ちょっとアメリカ人に冷たい態度取るとパールハーバー!って言います(話の内容とは関係無く)
原爆投下もパールハーバーで帳消しになるとか言ってます。数十万の民間人と2000ちょっとの軍人は同じ命とはいえ、つりあわないと言い返すと話はそこで途切れます。

歴史の授業で先生は比較的客観的になっていますが、一部の生徒は僕を非難がましい目で見ますね。

戦後50年たった今でもこうですから戦時中の半日感情は凄かったと思います。東洋の小国に大被害を受けたのが悔しかったのと認めたくなかったのではないでしょうか?


4275 [4264] [4285] [4300]
こちらは2600年不敗の伝統
戊種(00/11/11 08:46)

当時の米国民以上に、当時の日本人は、
2600年皇国不敗の伝統を信じ、
神州に一歩たりとも夷敵の土足を踏み入れさせまじ
と、それこそ、懸命に戦ったでしょうね。
まさに史実どおり。

ですから、そういう精神論、闘争心は
互角。

むしろ、その面では、大君の大義に殉じる至
誠の気迫をもってする日本人に
米国人は最終的には
圧倒されたと思いますよ。


4285 [4275] [4296]
Re:こちらは2600年不敗の伝統
さn(00/11/11 22:25)

> 当時の米国民以上に、当時の日本人は、
> 2600年皇国不敗の伝統を信じ、
白村江や朝鮮の役は?
白村江はミッドウェーと並べられるほどの敗北です。


4296 [4285] なし
Re[2]:こちらは2600年不敗の伝統
戊種(00/11/14 01:56)

>> 当時の米国民以上に、当時の日本人は、
>> 2600年皇国不敗の伝統を信じ、
> 白村江や朝鮮の役は?
> 白村江はミッドウェーと並べられるほどの敗北です。

「皇国不敗の伝統」
とは、当時の日本人の認識でした。
そういうことを言っているのであって、
白村江や朝鮮の役
を言っているのではありません。
もっとも、2つの役についての
あなたの事実認識と私の認識
とは違いますが、ここは論議の場でないので割愛。


4300 [4275] なし
無題
ささき(00/11/14 08:03)

ごめんなさい、ちょっと議論ボードから目を
離していました(^^;)

> むしろ、その面では、大君の大義に殉じる至
> 誠の気迫をもってする日本人に
> 米国人は最終的には
> 圧倒されたと思いますよ。

あれほどの国力差・戦力差のある状況で、あれほどの敢闘ぶりを
見せたということ自体、日本兵の「気迫」を証明するには充分
過ぎるほどであるとは思います。

しかしアメリカ兵も必要なときには恐ろしく勇敢であり、自己犠牲を
厭わない行動を取っています。それは類挙に暇がないくらいです。
両者を隔てるのは「死を賭してまで守るべきものがある」と信じる
何かの違いではないでしょうか。

そもそも戦争とは自らの命を死の危険に晒し、見知らぬ外国人を
殺傷するという残虐かつ野蛮な行為です。良くも悪くもそれが文明
社会において尚も容認されているのは、生命よりも大切な「何か」が
あると信じられているからでしょう。

アメリカにとって戦う道義は「自由の防衛」でした。独立戦争、南北
戦争など血塗られた歴史を通じて「自由は無償では与えられない」と
教育されている彼らにとって、血で掴み取った自分達の「自由なる
祖国」が日本帝国やナチスドイツに屈服することは死よりも耐え難い
屈辱でした。…たとえ、「日本人の野蛮さ」や「ナチスの残虐さ」が
米政府プロパガンダによって多分に増幅されたものであっても。
プロパガンダの化けの皮が剥がれ、信じるべき「何か」を失ったアメ
リカ兵がいかに惨めな有様になるか、ヴェトナム戦争が如実に証明して
います。

では日本兵にとって、戦う道義は何だったのでしょうか。
頭上を我が物顔に B-29 が飛び交い、大都会が一夜にして焦土にされ、
病院や小学校が艦載機に機銃掃射を受けるような状況で、自らの命を
賭して少しでも祖国の犠牲を軽減できる可能性があるならば、そこに
「何か」を見出す心理は理解できそうな気がします。

しかし極寒の孤島アッツや絶海の孤島タラワには、果たして命を賭けるに
ふさわしい価値があったのでしょうか。そこで玉砕し戦死していった
兵士達が信じていたものは、果たして何だったのでしょうか。

その「何か」が「大君の大義」であったのかどうか、私にはよくわから
ないのです。


4267 [4253] [4317]
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか?
TETSU(00/11/9 20:41)

初めて書き込みいたします、TETSUと申します。
興味深いページなので、お邪魔致しております。

> しかし・・・身も蓋も無い話ですが
> 仮に開戦時に物資が満足するだけ有ったとして
> 戦争に勝てたのだろうか?せめて有利な
> 講和条件で終戦を迎えられたのであろうか?

身も蓋も無い話というならば、物資が不足していないなら勝ち負け以前に戦争はしなかったと思います。
少なくとも石油さえ有れば海軍は対米戦に踏み切ることは無かったはずです。
(物資の多寡に関わらず、陸軍は多分中国大陸で泥沼にはまり込んだままでしょうが・・・)


4317 [4267] なし
[投稿者削除]
VVVVVVVVV(00/11/16 16:40)

投稿者によって削除されました。(00/11/16 16:40)


4274 [4253] [4276] [4277] [4281] [4282]
負けはしなかったのではないか
戊種(00/11/11 08:32)

対米戦での敗因のフィジカル面を列挙すると、
物量のほかでは、いうまでもなく
電子兵器、核開発その他の科学技術力
ということになりますが、
物資豊富な条件が整えば、これらに
当時の日本が対応できたか否かにかかるでしょう。

開戦劈頭の日本軍の勝利は、一面物量の
勝利でもありました。昭和18年初頭までは
なんとか互角の形成を維持していました。
したがって、このころまでの力関係が
ずっとつづく状態ならば、米軍はフィリピンまで
攻め上るにはあと2年近くはかかったのではないか
と思われます。

日本軍が押し返すとは考えにくいのは、
米軍の航空機の品質が日本側よりも進み、
また、科学電子兵器の有利さが否定できない
からです。

戦術面、戦略面、統率面を指摘したがる
人がいますが、これは、物量の問題が
カバーされている前提なら、国柄の問題
個性の問題として、捨象とまでは言いませんが、
大きな差は生じないと思います。

結論的には、物量によって、日米の科学技術力
の格差がどれほど縮まるかにあるでしょう。

私は、米国を屈服させることは出来ないにせよ、
うまく講和にもっていけたと思うのですが。
満州を確保し、面目を保っての講和ということ
です。


4276 [4274] [4278] [4297] [4309]
柄じゃないんだが、組織論のお話
FIX(00/11/11 13:44)

>戦術面、戦略面、統率面を指摘したがる
>人がいますが、これは、物量の問題が
>カバーされている前提なら、国柄の問題
>個性の問題として、捨象とまでは言いませんが、
>大きな差は生じないと思います。

 十分、大きな差が生じているように思えます。
 日本はアメリカに対して、(個々人ではなく)組織としての能力で完璧に負けてるのです。
 行動の目的は不明確、責任の所在が不明確、システムではなく情緒的な人間関係で物事が進められ、行動に対する評価は現実的な結果ではなく動機やプロセスに求められる。
 経済方面の人間が日本軍を評価した時に、よく挙げられる欠点です。私はこれを積極的に肯定します。

 また、経済方面における人的資源の差も気になります。
 当時の日本には、優秀な人間は軍人か官僚になってしまう風潮があったようです。対して、アメリカはまともな資本主義国家ですから、優秀な人材は、軍人・官僚・一流企業に適切に配分されるはずです。
 となると、仮に物資のみならず技術力まで同等だったとしても、総合的な生産力ではアメリカの方が上になります。

 また、軍と民間の関係という要素もあります。
 プロフェッショナリズムに固執して、技術者以外の民間人をただの兵員・労働力の供給源程度としか見てなかった日独と、民間人の知識や技術力を積極的に取り入れることで多角的な視点から物事を見ることのできる米英の差です。
 オペレーションリサーチなどという手法は絶対に日本人やドイツ人の頭からは出てこなかったでしょう。


4278 [4276] [4280]
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話
BUN(00/11/11 15:14)

 学校でそう習うかもしれないけれど、実際に米軍が採用した様々な手法について、日本が全く手をつけていなかった分野を探す方が難しいのではありませんか?
 オペレーションズ リサーチが日本人の頭からは絶対に出てこないと言い切れる理由が全く理解できません。そう言い切れる思考からは絶対に出て来ないだろうとは想像できますが、日本においても戦訓の調査は組織的に行われていますし、その結果は早期に検討され、マニュアル化されて戦術に反映されています。また、銃後では様々な品質管理の手法が導入され、組織自体の改善もまたかなりきめ細かく実施されています。しかし、こうした様々な事例を先のような頭ごなしの言説を吐く側の方達は、全く知らないか調べる気も無いのでしょう。
 米国とそっくり同じ物が無いからといってそう、自国を卑下するものではありません。何がどの水準まで行われていたのかを正確に検証することが一番重要なのです。何が無いから駄目、という罵倒ではなく、何があり、その達成水準はどうだったのか、その背景は何なのかを考えて欲しいと切に思います。
 日本人は、ドイツ人は、と語るその語り口が、そもそも「戦前の軍部の硬直した思考」にもっとも近いのではないでしょうか。


4280 [4278] なし
私もあまり難しい話は苦手では有るんですが
カバノフ中尉(00/11/11 17:08)

これまただいぶ感覚的な話なんですが

対米戦以前にも日清日露の戦争が有って
これまたとんでもなく国力が違い使える
物資の量に隔たりが有って、それでも
使える物資を最大限有効に努力をして
使えるものは何でも使いどうにか勝利
といえる状態に持って行ったと思います。

兵器も違い戦法も考え方もそもそも時代が違う
わけですから一緒にするのは乱暴な話ですが。
資料が少ない問題もあるのですが先の戦役
と比べてもあの時ああしていればというのが
多すぎるような気がするのです、なんと言うか
四面楚歌の状態なのにまだ内部でうちわもめ
しているような話を沢山聞いてしまいます。

現代において私の視界の中では結構多くの人が
敗戦理由を物が無かったからだから負けたんだ、
ですましている人が随分沢山いるように
感じられます。

勿論生死を分ける戦場で或いは銃後で個人の
献身的に非常なる努力が有った訳ですが
必死に努力する底辺を台無しにする上層部と
いう図式が目に付きます、現代も・・・。

陸軍参謀部などは相当の努力をしている話と
案外リベラルな話を聞くことが出来ますが
どうも一番戦況に影響を与える海軍に芳しく
無い話を聞きます。

消耗できる物資が十分にあれば有ったで
やはり違う形の敗戦があったような気がします。


4297 [4276] なし
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話
戊種(00/11/14 02:50)

話は、「物があれば」という前提です。

じつは、あなたの言われるような認識は、観念的ではあっても当時の日本人の問題意識としてありました。

「経済方面の人間が日本軍を評価した時に、よく挙げられる欠点」
などというものは、たとえば、すでに満州事変後あたりに中野正剛らの右翼論客らも言っていました。(参照=日本国家改造案)
かれらは日本軍の欠点という狭い範疇でなく、まさにあなたが後段いわれているような経済、人的資源の活用、経済社会システムの問題点について指摘しています。
むろん、あなたの理想(かどうか知れませんが=失礼)である米国的なものではなかったかもしれませんが、現状の日本にとって欠けている合理的な国家体制を常に追求していました。
また、米式民主主義や科学技術力を進んだものとして見る認識も得ていました。

にもかかわらず、あなたのような観察の結果になってしまったのは何故か。
それは、当然といえば当然なのですけれど、当時のブロック経済体制下で呻吟しなければならなかった日本の劣勢な経済力、貧弱な資源で国家体制を構築しなければならなかったからです。
軍事もその影響を受けます。

当時世界はブロック経済が進行し、まだ特殊な高度工業製品で世界を席巻するに至っていなかった日本経済は、閉塞状況にありました。
そこで、日満ブロック経済を確立し、自立経済体制を確立し「豊富な物」を得たい、と考えたわけです。
「豊富な物」を得るためには、自立経済を確立しなければならない。そのための合理的国家体制が必要だった。しかし、合理的国家体制というものは、「豊富な物」に基礎付けられたブロック経済をすでに確立した米英においてこそ進行していたし、その与件があって成立しうるという現実があった。
この表裏した問題を一挙に解決するという矛盾した使命を与えられたことに、日本の悲劇がありました。

日本に米式の普遍的な政戦略、それにともなう統率の問題、軍事戦略が何者にも先立って欠けていた、というのではなく、それは「物がなかった」という日本の歴史から付随して生じたものです。

ちなみに「経済方面の人間が日本軍を評価した時に、よく挙げられる欠点」というときの、
「経済方面の人間」
こそ、当時の日本人が構想していた国家体制を戦後受け継ぎ、復興の波に乗り入れた人々です。

ここはIFを語る場ですから、それを徹底させて論を進めるなら、日米戦に関して私が上記想像したイメージは、もっと日本側に有利なシミュレーションを描かせて頂いても良かったかもしれません。


4309 [4276] なし
Re:柄じゃないんだが、組織論のお話
LLL(00/11/15 23:30)

>  プロフェッショナリズムに固執して、技術者以外の民間人をただの兵員・労働力の供給源程度としか見てなかった日独と、民間人の知識や技術力を積極的に取り入れることで多角的な視点から物事を見ることのできる米英の差です。

ではソ連赤軍についてはどうなんですか。
また中国軍についてはどうなんですか。
少なくとも僕は日本陸軍が中国に負けたとは思っていません。



≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫

だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、
その日誌に、自分の予期かった感想を記述することになった。
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・
(中国政府は)自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。
指導者たちの興味は、ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。
 手に入るものには何でも頭を下げ、自分は戦わないように心がける・・・・。
“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、農民の子どもが戦争に
かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!!
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練
をした孫部隊は、一キロ歩いては休み、次に一キロ進んでは
ごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえば
かなわないものと信じていたのに、その日本軍がひきあげたのである。
勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、
にこやかに迎える孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・
なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、
全中国軍のなかでとびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。
足りないというのなら、迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。
だが、命令に従うのが条件だ・・・・もし自分の使命が達せられないようなら、
辞職してワシントンに報告せざるをえない」

#これで「中国は戦勝国」などとは、ふざけるな!


4277 [4274] [4279] [4302]
Re:負けはしなかったのではないか
白熊(00/11/11 14:46)

 戊種さんの意見を読み、日本人として非常に溜飲のさがる思いです。
ただ残念ながら例え物量があったとしても最終的には日本の敗北は避けられないと考えています。
ここでは解りやすく日本とアメリカが「兵器の性能」、「物量」、「士気」が等しい状況にあると考えてみます。それでも勝てないのはなぜか?以下3点がはなはだしく欠けていたからです。
1)品質という概念が欠如
2)物流の軽視
3)科学的手法の欠如

1)は日本の兵器はポンコツと言っているわけではありません。技術的には非常に精巧であり部門によっては他国を1歩も2歩もリードしてるものもあります。38式歩兵銃は現代でも命中率において高く評価されてます。
 では何が悪いのか?日本の工業製品は大量生産品ではなく職人の作った1品なのです。それは何を意味しているかというと例え同じ銃であっても部品の互換が全く無いといってもいいのです。飛行機のエンジンもあたりハズレが多かったと聞きます。大量生産(安物をいっぱい作るのではなく高品質の物を滞りなく作り出す。)を行う上で品質管理、工程管理が必須ですが日本にはそのような学問も手法も軽視する風潮がありました。
 戦後、日本のあまりの品質に対する無知さにアメリカは驚愕している。
 
2)、はよく言われるシーレーンの軽視とは違います。重要物資を満載した輸送船をぼこぼこ沈められるのは問題ですが例えそれが無いと仮定しても日本の艦船の運行計画は非効率でした。アメリカの調査によると南方−本土−中国大陸で三角航路にしただけでも40%もの輸送効率の上昇がみられると報告しています。
 ガダルカナル、インパール。日本軍はロジスティックを軽視していたと言うより馬鹿にしていたとも思えます。

3)は何を意味しているかと言いますと、日本軍は作戦に関する意思決定を「勘」「経験」「見栄」に頼っていました。対するアメリカは「オペレーションズ・リサーチ(OR)」で意思決定を行っていました。
 具体的にいいますとよく神風攻撃はVTヒューズとレーダーによって撃退されたと言われてますがそれは間違いです。それらが開発されていたにもかかわらずかなりの損害が出ていました。ORがこの局面を打破したといっても過言ではありません。
神風に遭遇した艦船をケースごと(大型艦か小型艦か)に調べどのような対処(回避したのか射撃したのか)をしたら被害を受けないかを数値的に明らかにし各艦船に対処法を提示しました。これ以降神風による被害は激減したそうです。
 有無を言わさず「全軍突撃せよ」といわれるのと「数値的にはこっちのほうが有利だからそうしなさい」と言われるのははたしてどっちがいいでしょう?

以上3点をどう感じるでしょうか?
私ははっきりいって勝てないと思います。戦争への取り組み方にこれだけの差があれば例え精神力、物量が等しくてもダメでしょう。
 
書いててちょっと悲しくなった・・・・







>
> 結論的には、物量によって、日米の科学技術力
> の格差がどれほど縮まるかにあるでしょう。
>
> 私は、米国を屈服させることは出来ないにせよ、
> うまく講和にもっていけたと思うのですが。
> 満州を確保し、面目を保っての講和ということ
> です。


4279 [4277] [4283] [4289]
Re[2]:負けはしなかったのではないか
BUN(00/11/11 16:01)


> 1)品質という概念が欠如
> 2)物流の軽視
> 3)科学的手法の欠如

 果たしてそこまで言い切ってよいものでしょうか?
 品質管理、生産管理の諸手法は早くから導入が試みられていますし(日本でのテーラーシステムの歴史は終戦時で既に20年もあります)、日本の兵器そのものも立派な工業製品であり「職人の一品仕上げ」とはかなり趣を異にするものです。三十八年式歩兵銃に部品の互換性が無かったとは確かにある面事実でありよく指摘されますが、実際に生産されていた九九式は部品の交換が可能です。また、よく引き合いに出される誉エンジンも職人芸というよりも、生産の合理化を念頭に入れて設計された部分(旋盤で加工可能なクランクケース等)の方が私の目には止まります。
 部品の規格についても航空機用部品の規格化は検討、実施されていますし、燃料は陸海軍で規格化されており、陸海軍の兵器の共用も計画されています。現在我々が用いてその恩恵をこうむっているJIS規格も戦時規格を受け継いだものなのです。
 そして最も成果の乏しかった兵站についても、ただ漫然と指をくわえて眺めていた訳ではなく、様々な努力と試みが行われているのです。  
 さらに特攻作戦にしても、米軍側の対神風対策のORのみが独り注目されていますが、神風特攻の本格導入に至るまでの日本側の戦訓調査と分析については何故か語られることがありません。
 そして、米軍は対神風対策のORを行ってはいますが、成功したとは言い難いものがあります。
沖縄作戦終了後の陸軍第六航空軍の戦訓にある「特攻機が邀撃戦闘機と遭遇するのは稀である」との記述は何を意味しているのでしょう。精神主義の象徴とされる練習機特攻が何故次々に敵艦に命中しているのでしょう。当然米軍戦術の変化に対抗した攻撃法の変更が功を奏している訳ですが、これは極めて大雑把に言えば日本側の「OR」の勝利と言いたい位です。このように通り一遍の言説で切って捨てられている事柄の中にも慎重に調べねばならない事は多いのです。

 私は日本がこうした分野で米軍を凌いでいたと主張するつもりは全くありませんが、日本が払った努力とその達成水準は十分評価に値するものだと考えています。
 ある分野の歴史研究者が戦前までの日本史に民主主義の独自の萌芽を見出そうと半ば滑稽な努力を払っているように、我々もそのツメの垢位は飲んでおくべきかもしれない、と最近考えるようになりました。


4283 [4279] [4284]
捕まえたのに・・・
FIX(00/11/11 21:53)

よーし、やっぱり出てきたBUN師匠。
これで経済学者云々はお役御免です。(にやり)
偉そうに語ってくれたからには、もう逃がしませんよ。
戦前日本の合理主義とやらについて存分に語って貰おうじゃありませんかっ!

と、思ったら、挙げた実例は特攻ですか?
ひどいです。いくら恐れをしらぬ私とはいえ、特攻云々はつつきにくいです。
まあいいです、特攻の発令までの経緯はいつか聞きます。(弱気)


4284 [4283] [4293]
Re:捕まえたのに・・・
BUN(00/11/11 22:22)

 いくらでもお話しますけれど(笑)、大事なのはよく調べること。
「何々は駄目、何々はこう」といった耳に入りやすい言説にはチェックが必要、ということです。
前の議論ボードで昭和五年の軍令部が第一次大戦の独海軍の戦訓を解説した文章を丸ごと転記したでしょう?あれの前では凡百の帝国海軍批判なんて沈黙してしまうでしょう?ああいう例があれ以外にもいくつも存在するんです。
 まあ、ユーラシア大陸の生態系とオーストラリアのそれを比較するようなものかもしれませんが、そこの住人である以上、馬鹿な高校教師みたいなこと言ってないで、自分で調べてみては如何でしょうか。


4293 [4284] [4295]
Re[2]:捕まえたのに・・・
CAT(00/11/13 21:42)

大変勉強になります。ところでBUN師匠様

前の議論ボードで昭和五年の軍令部が第一次大戦の独海軍の戦訓を解説した文章を丸ごと転記したでしょう?。
 この書き込みはどこにいけばあるのでしょう?
ひとわたり新議論ボードと旧ボードの大目次で関係ありそうな所は探してみたのですが・・。お教えいただけたら幸いです。


4295 [4293] なし
変な所にあります。
BUN(00/11/13 22:52)

申し訳ありません。
これが変な所にあるんですね。
「零戦リサイクル」の仲に「決戦論は日本の伝統か?」というのがありまして、そこに当該の文があります。


4289 [4279] [4292] [4326]
努力は認めるのですが・・・
白熊(00/11/13 12:21)

こんにちはBUNさん。
誤解を受ける表現があればご容赦ください。

>  品質管理、生産管理の諸手法は早くから導入が試みられていますし(日本でのテーラーシステムの歴史は終戦時で既に20年もあります)、

→テーラーが各種手法を発表したのは1883年です。(明治15年?)日本で導入されたのは昭和初期でしょうか?40年の開きがありますね。これを早いと捉えるか遅いと捉えるかは各人違いはありますが。

>日本の兵器そのものも立派な工業製品であり「職人の一品仕上げ」とはかなり趣を異にするものです。三十八年式歩兵銃に部品の互換性が無かったとは確かにある面事実でありよく指摘されますが、実際に生産されていた九九式は部品の交換が可能です。

→大戦末期、九九式歩兵銃の粗悪品が大量に出回ったのはなぜでしょう? 戦後、警察予備隊、韓国軍に装備されましたが暴発、故障が多く使い物にならなかったそうです。熟練工が戦争に引き抜かれたからでしょうか?女工さんが作ったから質が劣るのでしょうか?もしそれが理由なら日本には「品質管理」「工程管理」といわれるものは「無い」と断言できます。マニュアル作成、規格の制定のみが「品質管理」「工程管理」ではありません。各種手法を用いて問題点を数値化し、現状を工夫することにより作業者の経験の多少にかかわらず高品質のものを安定して供給することが「品質管理」「工程管理」です。(厳密に言うと作業測定も入るんですけど。)
 対するアメリカはどうでしょう? アメリカでも事情は同じで女工さん(事務職じゃない)が戦車、戦闘機、艦船、銃器の生産にかかわってます。それでも品質が低下したという文献は全くありません。(私の知る限るですが)


>また、よく引き合いに出される誉エンジンも職人芸というよりも、生産の合理化を念頭に入れて設計された部分(旋盤で加工可能なクランクケース等)の方が私の目には止まります。

→「誉」は究極の(奇跡の)エンジンです。私好きです。元走り屋だし。だけど実際乗る身になって考えてみると「今日は調子いいけど明日はまわるか?」というのがはたしていいのかな?稼働率と言う面でだめです。(作戦が立てられない) 「空戦中にストール!」なんて言語道断です。(さすがにここまでは無いよなぁ)ここまで尖がったエンジンだと耐久性だって疑問です。
 いくら生産を合理化したところで信頼性に問題あるものをたくさん作っても戦力になりません。もう一つついでに言うと「栄」エンジンで100%の性能を引き出すにはハイオクタンが必要ですがドイツのメッサーはある程度オクタン価の低い燃料でも持てる性能を引き出したといわれてます。

>  部品の規格についても航空機用部品の規格化は検討、実施されていますし、燃料は陸海軍で規格化されており、陸海軍の兵器の共用も計画されています。現在我々が用いてその恩恵をこうむっているJIS規格も戦時規格を受け継いだものなのです。

→確かにその点は旧軍に先見の目があったと思う半面、最低限のことしか共有化できなかったのかと残念に思います。


>  そして最も成果の乏しかった兵站についても、ただ漫然と指をくわえて眺めていた訳ではなく、様々な努力と試みが行われているのです。

→「海上護衛戦」は涙なしには読めませんね。努力をしている人がいる反面、努力を無にする人たちがいると思うと・・・・
 

>  そして、米軍は対神風対策のORを行ってはいますが、成功したとは言い難いものがあります。
>これは極めて大雑把に言えば日本側の「OR」の勝利と言いたい位です。このように通り一遍の言説で切って捨てられている事柄の中にも慎重に調べねばならない事は多いのです。

→米軍は被害を減少させることには成功しました。ですが私は神風作戦の勝者は日本と考えていません。「敵の心胆を寒からしめる」事には大成功でしたが。この戦術を取る自体、もう負けているのです。特攻については別に議論したほうがいいでしょうね。

>  私は日本がこうした分野で米軍を凌いでいたと主張するつもりは全くありませんが、日本が払った努力とその達成水準は十分評価に値するものだと考えています。

>  ある分野の歴史研究者が戦前までの日本史に民主主義の独自の萌芽を見出そうと半ば滑稽な努力を払っているように、我々もそのツメの垢位は飲んでおくべきかもしれない、と最近考えるようになりました


4292 [4289] [4301]
Re:努力は認めるのですが・・・
BUN(00/11/13 17:50)

 そうした努力が払われていたことを理解して戴けているなら十分です。

 細かい話にはなりますが、九九式の末期の生産品の品質低下や誉の信頼性の低下はこうした努力とはまた別の問題です。
 それに誉の信頼性は実際には同時期の栄等に比べて格別低い訳ではないのです。この辺も数字で残されている記録と伝聞による文学的表現との違いでしょう。
 Me109の燃料にしても、後期の主力生産機であるG−14は96オクタンのC3燃料仕様ですが、実際には87オクタンを使用し、MW50ブースターの使用を諦めていることが写真等で確認できますが、これは末期の零戦五三型とよく似ており興味深いところです。高性能の大型過給器付きエンジンでもC3燃料の代わりに87オクタンを使用した場合、顕著な出力低下が見られます。印象とは異なり独空軍機もまた高オクタン指向なんです。

 負けた戦争ですから、良い結果が残せた訳が無いのですが、そうした発想が全く無かったのと、実施されていたが達成水準が低かったのでは大違いだということを言いたかったのです。


4301 [4292] なし
Re[2]:努力は認めるのですが・・・
白熊(00/11/14 11:41)

>  そうした努力が払われていたことを理解して戴けているなら十分です。
→そしてその努力があったからこそ戦後日本が復興したと考えております

>  負けた戦争ですから、良い結果が残せた訳が無いのですが、そうした発想が全く無かったのと、実施されていたが達成水準が低かったのでは大違いだということを言いたかったのです。

→惜しむらくはそれを受け入れる体制がなかったということですね。当時の状況を考えればやもえないですね。決して無駄にはなっていないことは現代が証明しています。


4326 [4289] [4345] [4368]
少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など
ISHI(00/11/18 15:50)

> 大戦末期、九九式歩兵銃の粗悪品が大量に出回ったのはなぜで
しょう? 戦後、警察予備隊、韓国軍に装備されましたが暴発、故障が
多く使い物にならなかったそうです。

少々遅いのですが、99式小銃の暴発問題について。戦後小銃不足に
より戦時中の99式を改造して再利用しました。同一口径と言うこと
でM1ガーランド小銃の弾薬を流用したのです。この改造には無理が
あって故障・暴発の主な原因になったそうです。つまり九九式の元々
の欠陥ではなかったのです。

誉は元々100オクタン専用エンジンとして開発されたものです。で
すから低オクタンガソリンでは本来の性能を発揮できず、無理な使い
方により故障多発もやむを得ないと思います。機械は作られた通りに
しか働きませんから、こうした結果もある意味当然と考えています。

大局的に見ている訳ではありませんが、小さな事実なども正確に見る
べきでしょう。こうした事実の積み重ねが全体象をみるもとになると
思います


4345 [4326] [4346]
Re:少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など
白熊(00/11/21 01:15)

レスありがとうございます。
稚拙ながらお返事もうしあげます。

> 少々遅いのですが、99式小銃の暴発問題について。戦後小銃不足により戦時中の99式を改造して再利用しました。同一口径と言うことでM1ガーランド小銃の弾薬を流用したのです。この改造には無理があって故障・暴発の主な原因になったそうです。つまり九九式の元々の欠陥ではなかったのです。
→いえいえ。戦争末期、粗悪品が出回った事は事実です。一番多かった事故はシアのかかりが悪く撃針が引っ込まず、押し込んだら暴発したそうです。大量生産しだすととたんに質が落ちちゃうんですね。銃の性能が悪いわけではないのに。
 厳密に言うと99式とガーランドは同口径ではありません。99式は7.7mmでガーランドは7.62mmです。アメリカ軍の.30-06(7.62mm×63)弾を撃てるように、薬室を薬莢の長さに合わせて削ったのですが、銃身は7.7mmのままでした。ようは0.08mmの隙間があったから、当然射撃精度も悪くなったし、同じ銃で威力のある弾を発射するから反動も相当に強く、評判は良くなかったようです。
いつの時代も改造銃はあぶないのです。おっしゃる通り銃の欠陥ではなく加工上の問題です。



> 誉は元々100オクタン専用エンジンとして開発されたものです。ですから低オクタンガソリンでは本来の性能を発揮できず、無理な使い方により故障多発もやむを得ないと思います。機械は作られた通りにしか働きませんから、こうした結果もある意味当然と考えています。

→いや、ホントそうですよね。私のハイオク仕様のS14に父上がケチってノーマルのガソリン入れやがった。加速の悪さは実感できます。通常、ハイオク仕様のエンジンにより低いオクタン価のガソリンを入れるとどうなるか?燃室内はノッキングしまくりです。ピストン内はこの予期せぬ爆発にダメージを受けスラッジがたまります。このおかげでエンジンも出力がでません。最悪ブローの可能性があります。幸い愛車は低オクタン対応でした。
BUNさんの指摘で多少差異はありますがドイツ機は低オクタンにも対応してました。私は決して誉をけなすわけではありません。が同時期、将来の燃料事情を見越したエンジンを完成させた国があったことが言いたかったんです。

> 大局的に見ている訳ではありませんが、小さな事実なども正確に見るべきでしょう。こうした事実の積み重ねが全体象をみるもとになると 思います
→まさにご指摘どおりだと思います。以後肝に銘じていこうと思います。


4346 [4345] [4347] [4354]
事実?
BUN(00/11/21 06:31)

 ちょっと話が発展してしまったので、口を挟む事にしますが御勘弁ください。
 九九式の話は設計に携わった津野瀬さんの回想をお二方とも参考にされているのでは?でしたらもう一度よく読まれれば解決すると思いますが、ここで話している事柄とは少しニュアンスの異なる書き方がされています。

 更に「誉エンジンは低オクタン燃料を供給された為に性能が発揮できず、信頼性も低下した」という話には、何の根拠もありません。
 このことは後で別の場所で資料と共に検証したいと思いますが、小さくとも大きくとも、とにかく事実ではないのです。


4347 [4346] [4348] [4350] [4358]
Re:事実?
ISHI(00/11/21 14:03)

99式小銃の話は津野瀬氏の著書からですが曖昧でした。

誉の事は?。例えば四式戦疾風では、確か設計上では中高度で速度680km/h以上を期待されていたはず。しかし実際には試作機で624km/hでした。試作機ですから部品も吟味されているはずで、戦時中の粗製部品が原因では無いと思います。
専門家ではないので「ブースト比が・・・」などの話は分かりませんが。戦後米軍がハイオクガソリンを使い性能調査をしたところ、実際に680km/h以上出たそうです。他に紫電や彩雲などにも同じような話があります。
性能低下の全ての原因ではないにしても、やはり燃料が最大の問題では無いでしょうか?


4348 [4347] なし
燃料は関係ないのでは?
tackow(00/11/21 19:07)

 同じ、「誉」搭載の彩雲の場合。試作機と量産機では、2速での最高速が28ノット位違う様
です。

 その原因としては、発動機関係で10ノット、主翼および胴体の工作精度で6ノット、操縦法
で5ノット程度が挙げられており、燃料については指摘されていません。
 「誉」の場合には、水メタ噴射でハイオク相当のブーストを可能としていたため、燃料の質は
性能の低下には直接結びついていないと考えるべきであると思います。

 ちなみに、昭和20年の段階でも生産された航空ガソリンの40%以上は91オクタン以上で
すから、第一線の戦闘機部隊には相応の質を確保した燃料が供給されていたと考えられます。

 「疾風」の場合、680キロというのは軍の要求で、会社側は650キロ程度がせいぜい、と
いう考えだったのではないでしょうか?


4350 [4347] なし
「少々お待ちください」
BUN(00/11/21 19:42)

あと、数日お待ちの程を・・・。


4358 [4347] [4361] [4363]
出来ました!
BUN(00/11/22 22:55)

できました。
以前から用意していたものですが、
真実一路「すてきなオクタン」を御覧ください。


4361 [4358] [4362]
Re:出来ました!
ISHI(00/11/23 18:13)

始めて「真実一路」を拝見しました。貴重な資料ばかりです。
「誉」の話しですが、やはりよく分かりません。つまり誉は日米開戦前に開発を始め、その際100オクタン専用が絶対条件だったと、誉の開発者の証言を読んだ記憶があります。その後の石油禁輸や開戦までは予想できずに。
ですから91オクタンでの使用は、やむを得ずの妥協ではないでしょうか?。水エタノール噴射併用でアメリカ直輸入ガソリンほどの性能が出せたかどうかも分かりません。
疾風の性能は設計上の期待値680km以上と書きましたが、ほかに紫電でも設計上は648km以上、彩雲もやはり600km台後半の高速を期待され開発されたはず。それに比べ試作機の性能が低すぎるようです。量産機は更に低下していますが、これは他の条件が悪化したためでしょう。
こうした数字は設計者が適当に出したものではなく、綿密な計算があるはず。
やはり戦後米軍調査で紫電改が670km以上、彩雲はそれ以上の高速を発揮したそうです。
機体の設計者は、誉の公称出力を信じて制作したはずですが、その「公称出力」は100オクタンガソリンを使用しての物ではなかったでしょうか?


4362 [4361] [4369]
確実な事と不確実な事がある
BUN(00/11/23 19:34)

> 始めて「真実一路」を拝見しました。貴重な資料ばかりです。

ありがとうございます。

> ですから91オクタンでの使用は、やむを得ずの妥協ではないでしょうか?。

 それはその通りです。あそこに書いた通りの代替策として91オクタン燃料に水噴射を行っているのです。
 しかし制式発動機としての誉発動機は100オクタン燃料を使用するエンジンではありません。採用された誉発動機は水噴射装置を装備した91オクタンクラスの燃料を使用するエンジンです。そこに勘違いがありませんか?91オクタン燃料を使用した為にブーストを下げたということは無く、100オクタン燃料で誉発動機各型の運転試験が行われた事実もありません。
 生産された誉発動機各型は、91オクタンで運転する事が予定されたエンジンであって、その為の燃料供給は問題なかったのですから、世に言う誉の不調は燃料に主因がある訳ではないだろう、と言っているのです。

> こうした数字は設計者が適当に出したものではなく、綿密な計算があるはず。

 私は誉ばかりが特別なエンジンだとは思っていませんが、計画要求を速度面で大きく下回るのは誉搭載機に限った事ではなく、皆さんの評価の高い火星や金星搭載の機体でも当たり前に見られることです。これには色々な理由があることでしょうが、ひとり誉だけの問題ではありません。

 キ84が武装を搭載した実戦とほぼ同様の状態で624kmを記録し、その結果採用されたのが四式戦疾風なのですから、米軍が記録した689kmという数字は陸軍戦闘機としての疾風を語る場合にはあまり重要な数字ではないのです。
 採用を決定した試験時の性能をほぼ維持できていれば四式戦疾風は合格なのです。実馬力が何馬力出ていたかを検証するのは多分不可能でしょうし、そう言う事には意味を見出せません。

> やはり戦後米軍調査で紫電改が670km以上、彩雲はそれ以上の高速を発揮したそうです。
> 機体の設計者は、誉の公称出力を信じて制作したはずですが、その「公称出力」は100オクタンガソリンを使用しての物ではなかったでしょうか?

 これは、あくまでひとつの推論ですね。
米軍の計測条件などは検証されてのことでしょうか。また、当時の陸海軍の計測条件はどうでしょう?
 二つの異なる国の異なる組織での詳細の判らない試験結果を元に正しい議論はできません。
 こういう議論が実に不確実な話である、ということの一つの例を挙げましょう。
 日本各軍用機の戦闘飛行は、表現には問題がありますが、言わば本当の全力運転では行っていないのです。試作機の計測時においても同様です。これは昭和19年秋以降「戦闘馬力」として連続10分間の制限を条件に定められた基準が正式な命令で通達されて、各機の中で必要な機体にはセッティングの変更を指示していることからも明らかです。
 だから何キロ出たはずだ、という議論を私は全く望みませんが、これだけの事実でさえ、紫電改が日本では594km、米国では670kmだから、との話は土台から怪しくなってしまいますね。
 それにISHIさん、あの記事中の陸軍の95オクタン燃料、多分、相模飛行場の一錬飛の疾風が使用してますよ。これはどうします?


4369 [4362] [4370]
誉は本来100オクタンガソリン専用
ISHI(00/11/28 17:44)

都合により遅くなりました。

まず議論の前に一つ誤解が有ります。私の場合元々「オクタン価が91から低下したから・・・」ではなく「100
から低オクタン(91−87)へ変わったので、誉に様々な問題が発生した。」としたのです。ですから「真実一路」
の資料は貴重なものと思いますが、この場合議論にすれちがいが有ります。

つづいて誉の開発経緯。

和田操(少将)空技廠長の元で昭和15年5月開発開始。当初100オクタンガソリン専用として開発される。
昭和17年9月制式化。制式化の時点では91オクタン+水エタノール使用の発動機となっていました。
つまり途中で海軍の方針が変更されたのです。
91+水エタノールで100オクタンと同等の出力を発揮したことは有りました。こわれ物を扱うような配慮の
もと、あらゆる条件が最良の環境で。
100から91へ変更、この時点からシリンダーの異常加熱を始めとして様々な問題点が発生するようになる。
100使用が前提の誉にとって大変な痛手。ついに信頼性が不完全なまま、制式化が決定されたのです。

(疾風など機体側も)

さらには誉の制式化以前に、つまり実用試験終了前に見切りで、疾風他の機体に採用が決定される。本来は発動
機制式化の後に採用を決めるべき。4式戦疾風は昭和16年1月29日軍より要求される。試作機18年3月完成。
本来100オクタン専用エンジンに91を使用すると様々な故障が続発。一つ手直しする間にも別の場所が次々に
故障する。ところが95や100を試しに使用するとこれらの故障がぴたりと消える。しかし貴重な100オクタ
ンは量産機にほとんど使えず、結局疾風も信頼性は不完全なまま制式化が決定されたのです。

これらの問題点は誉に限った事で火星・金星・栄にはありません。また性能低下も誉搭載機ほどでは有りません。
ただし水エタノール使用機は、量産機でやはり大幅な性能低下を引き起こしている。

出力低下もやはりあるし、調査する方法もある。一つは機体の設計値から逆算する、むろん工作精度も考慮して。
また会社側で誉の出力をテストする。零戦・烈風の主任設計技師堀越二郎氏はこうして誉の出力低下を確認した。

誉の公称出力に基いてみると、機体の最高速度が低すぎる。しかしその速度と空気抵抗などから逆算した、エンジ
ン出力は、会社側で行った地上試験での出力と良く一致する。堀越氏の調査した時点(昭和19年7月)では、誉に
は公称出力から25%の低下がありました。

やはり誉の不調と出力低下の最大の原因は91オクタン使用に有ります。燃料では関係者の非常な努力があった
と思いますが、誉の性能を最大限発揮するには100オクタンガソリンでないと無理だったのでしょう。


4370 [4369] [4371] [4374] [4375]
どうかな?
BUN(00/11/28 20:02)

 この件は、不確かな部分もありますので、あんまり、詰めて議論したくないんですが、それは何か定量的な記録が残っているのでしょうか。100オクタン前提のチューニングでそれより低いオクタン価の燃料を使用したエンジンは他にも沢山ありますし、水メタノール噴射が果たしてそれ程悪影響を与えるものなのでしょうか。
 でも、それは私が究明したいことではありません。私が調べているのは「果たして誉が特別に不調なエンジンだったか」ということです。
 私の手もとにある19年半ば頃の横須賀航空隊のまとめた第二航空艦隊所属各航空隊の実働状況調査データでは、栄搭載の零戦と誉搭載の紫電とはどちらも実働率が50%を下回る結果が出ており、仲良く不調エンジンとして記載されています。他の機種は70%程度を維持しているものもあるというのに・・・。
 誉の実態の把握が進んでいない為に伝聞のみが一人歩きした結果の誤解だと思いますよ。燃料のオクタン価は本質的な問題でしょうか?


4371 [4370] [4379]
低品質オクタン価の揮発油に付いて
カバノフ中尉(00/11/29 01:05)

高品質オクタン価の揮発油に付いてちょっと調べてみました。
基本資料 作者:駒宮真七郎 戦時輸送船団史
昭和20年の航空用燃料輸送状況では
昭南発1/20門司行2/7 ヒ88A せりあ丸が最大の成功のようですが
ここに書いてある記述を読み進んで行くと・・。
昭南で積込んだ航空用揮発油は九十二式航空揮発油17000tであり
直接使用出来るそうですがこれを下津港にて揚陸し精油所で更に精練した
そうです。この後も7000〜16000t程度の成功が少し有りますが
それが航空用揮発油であり更に危険を冒して製油所に回送して精練した
かどうかまでは分りませんでした。
量と時期から判断してBUNさんの一覧表に存在する高品質揮発油はこの
揮発油ではないかと思います。
昭南発/門司行の本土到着の最終便は2/23〜3/14で原油15800t
です。1/9ルソン上陸を向かえ4/1の沖縄戦を目前に控えた輸送は
涙無しには語れそうに有りません。
疾風に低品質揮発油が使用されたかどうかですが上記のように
南方産油地域で一旦精油された航空用揮発油を本土に運び再度製油所で
精練している状態である事、決戦場として最も大量使用されたと思われる
比島ではクラーク飛行場を除いては急造に近く給油設備が悪かった事
昭南発又はミリー発で比島経由又は比島止まりの輸送船からドラム缶の状態
で補給された形跡が見られる事から1次精練の航空揮発油が相当使われたと
思われます。
尚 この航空用揮発油がどの程度のオクタン価を持っていたかは謎です。


4379 [4371] [4384]
この問題は難しいけれども・・・・
BUN(00/12/4 10:41)

 レスが遅れて申し訳ありませんが、カバノフ中尉、御指摘ありがとうございます。私は南方直送の航空揮発油は高性能エンジンには使用不可能と思っていました。
油の出所から考えないといけない問題かもしれませんね。

 また、色々と反論のある誉の「本来の燃料品質」ですが、設計に関わった中川良一氏の著書(「中島飛行機エンジン史」)を見ても、どうも最初から水メタノール噴射を用いることが前提であり、その後、開戦直前に使用燃料の変更があった(これは事実だと思います。当初は87オクタンの後継燃料は91ではありません。何故かハッキリと触れられていませんが恐らく93から91への変更ではと推測します。)為に水メタノールの噴射量を調整したとの記述が複数箇所で見られるのです。
 そして不調が始まったとの記述と同時に「潤滑油も悪かったのかもしれない」と率直な発言をしています。誉20の開発が始まった時期でもあり、中川氏でさえ燃料品質に全ての責任を負わせてはいません。
 また、同書で中川氏は三菱で行われた烈風不調に端を発する誉の性能試験に触れて「誉の馬力のでていなかった時期に・・・」試験を行うのはフェアではない、機体も悪いのだと主張していますが、中川氏の言う、「馬力の出ていなかった時期」というものは、供給燃料の質の低下とはまず無関係であることは時期から見ても明らかです。
 ですから、誉の不調における燃料の関与の度合いは一般に言われるようなものでは無いということだと思います。


4384 [4379] なし
Re:この問題は難しいけれども・・・・
カバノフ中尉(00/12/4 23:19)

航空発動機の性能等の技術的な事はさっぱり
なのですが輸送船航路から判断して比島戦では
ボルネオはミリー発の輸送船が運んだ
航空揮発油が相当使用されているものと思います
ミリー発は低速タンカーかドラム缶積みで
比島南部の飛行場は輸送船からドラム缶を受取り
トラックで野ざらしで山積みが容易に想像でき
ます、数週間から数ヶ月たった野ざらしの
ドラム缶詰めの航空揮発油がどの程度の品質を
保っていたか・・・乗りたくないですね(^^;


4374 [4370] なし
[投稿者削除]
ISHI(00/12/1 18:22)

投稿者によって削除されました。(00/12/1 18:22)


4375 [4370] なし
Re:どうかな?
ISHI(00/12/1 18:27)

前回の一文は特に奇抜な話ではなく、一般的な物と思います。内容は関係者の証言を集めたもので噂話などでは無いはずです。

大戦末期の日本機の性能低下について、堀越二郎氏の調査結果を引用します。

日本機の性能低下 単位ノット表示( )内はkm/h換算 
誉搭載機
    試作当時               19年春〜夏 
烈風  343(634)計算値        300〜310(555〜573)
紫電改 320〜330(592〜610)   約300(555)
彩雲  330(610)           約300(555)

その他
雷電  320〜322(592〜595)   295〜300(545〜555)
雷電(オクタン価87使用時)         288〜293(532〜542)

零戦  298〜302(551〜558)   287〜297(530〜549)

百式新司偵3型  最高速7〜10%低下

爆撃機飛龍 零戦と同程度の性能低下

堀越二郎氏の調査後の結論
性能低下の原因は燃料の質の低下、水エタノール噴射量の調整不良、その他。特に誉発動機に顕著。水エタノール機も同様に大幅に性能低下。

他には米軍に捕獲された1式戦隼や雷電なども戦時中に性能調査をした所、やはり最高速度が50km以上向上したそうです。日本機の実態調査ですから特に高速化の改造などをした訳では無いでしょう

ほかに付け加えることは無いので、議論はもうこの辺にしたいと思います。これ以上の事はわかりません


4363 [4358] [4364]
Re:出来ました!
tackow(00/11/24 11:46)

> 真実一路「すてきなオクタン」を御覧ください。

 毎度ご苦労様です。「すてきなオクタン」読了しました。オクタン価に限ってで
すが、陸軍の燃料事情が良いのが意外といえば意外でした。

 先に書き込んだのですが、昭和20年に於ける生産量のうち4割以上が91オク
タンであるのですが。既に昭和20年には四日市も徳山も岩国も被爆しており(な
により原料が無いですが・・・)。生粋の高オクタン燃料は勿論のこと、イソオクタ
ン等の添加物も生産がかなり滞っていたと推測されますね。

 私は昭和19年度に生産された航空ガソリンに対して各オクタン価の占める割合
がどの程度であったかは知り得ませんが。昭和20年の段階ですら、91オクタン
の航空ガソリンが生産量の40%以上を占めているのですから、上記工場のプラン
トが稼働していたと思われる昭和19年に生産された航空ガソリンの多くが91オ
クタン以上であったとも思ってはおりましたが、ようやく、裏付けがなされたと感
謝しています。 

 で、95オクタン燃料というのは初めて見ました。
 こいつは、なんの目的で使われたんでしょうかねえ?やはり高々度邀撃用でしょ
うか?

 謎は尽きません。



4364 [4363] [4365] [4366]
始動用では?(タイトルのみ)
SADA(00/11/24 12:14)

雷電、紫電等では始動用の高品質燃料だけを
別タンクに入れていたと記憶していますが・・・。

以上。


4365 [4364] なし
それは多分・・・
BUN(00/11/24 12:44)

それは多分、アルコール燃料仕様機に始動用にガソリンを入れる話と、厚木の三〇二空の雷電が離昇用に高オクタン燃料を入れていた、という話との混合物ですね。
訓練時には必ずしも高オクタン燃料を使用していない記録があるので(両方を給油した、との記録あり)多分、そうした事を示しているのでしょう。


4366 [4364] なし
燃料に関しては弩シロートなのですが
まなかじ(00/11/24 17:59)

高オクタンの燃料は、揮発性において低オクタンの燃料に劣るので、始動用には適さないような気がするのですが。
極低温時だけか??


4354 [4346] なし
Re:事実?
白熊(00/11/22 13:48)

つまるところ誉も九九式小銃も品質の低下から起きたんでしょうか・・・・BUNさんの調査がまたれます。

誉エンジンってあんなに小さいのに何であんなに馬力が出るんだろう。と思ってしらべたら栄エンジンの後ろにシリンダーを追加した設計コンセプトだったんですねぇ。無理があったんでしょうか設計に。軸受けの焼きつきがおこりやすいと何かに出ていたようなきがするのですが。何かを取れば何かを失うのはやもうえないんでしょうか。


4368 [4326] なし
Re:少々遅いのですが99式小銃の暴発問題の事など
ISHI(00/11/28 17:40)

前回99式小銃の暴発問題に触れましたが、簡単に書きすぎて曖昧な点や不足がありました。そこで追加の説明をします。

元々99式は量産性を考慮し部品に互換性を持たせ、その上38式より軽量、更に38式の高精度に7.7mmの威力を持たせた
名銃でした。
しかし戦争末期に本土決戦用としての、膨大な要求量を満たすには、徹底した簡素化・簡略化しかなかったのです。
戦時型の各型は膨大な量に上り、その改造・改悪の過程は資料が全く無く不明な状態です。これにより本来の部品の
互換性はなくなり、さらに部品の要部に硬度がなく生金に等しい状態でした。こうした物は本来の99式とは別物と見
るべきでしょう。

米軍で終戦後押収した99式小銃は、朝鮮戦争勃発後に米側で改造し韓国軍に装備させる。その後自衛隊の全身警察予
備隊に回してくる。
改造目的は99式にM1の実包を使うため。実体は改悪。99式は元々細い銃身と小さな薬室を持つ、また38式やM1に対
し軽量。弱装用の99式の薬室を広げ、大きなM1用実包が入るようにする。

銃身外径                                    
諸元 銃全長 銃口部 薬室部 全備重量 口径  銃身長 初速  弾丸径 弾長  弾量 装薬量 実包全長 リム
M1 1.108m 12.96 27.82  4.3kg  7.62mm 610mm  848m/s 7.80mm 28.7mm 9.72g 3.7g  84.93mm 11.86mm
99 1.133m 14.1 21.4   3.7kg  7.7mm  657mm  780m/s 7.90mm 34.8mm 1.8g 2.85g  80.0mm 12.25mm

1)本来弱装弾を使用する99式に強装のM1実包を使う。そのため腔圧に差があり、また薬室の径、薬莢の起縁部(リム)
  の径に大きな差がある。材質、径、装薬の違いにより銃身破裂や薬莢の縦割れが発生する公算が多きい。

2)軽量長銃身の99式にM1の実包を使用すると高初速となり反動増大、命中率悪化。

3)口径の差が(7.7−7.62=0.08)と8/100大きい。銃砲は、多数の発射により銃身内部が摩耗すると
  精度不良となり命中率が悪くなる。さらには横転弾などが発生するようになる。そこで規定により交換する。
  日本軍の廃兵器検定規則では銃口が0.1ミリ代となると廃品とする」とされていた。
  すると改造99式の残存命数は0.02ミリしかなくきわめて小さい。射撃を加えなくても横転弾がでる可能性がある。

4)弾倉部の改造により給弾不良しばしば発生。

事故多発などにより調査開始。500丁ほどを検査したところ合格したものは一つもなかった。その後99式は使用禁止となる。

議論でなく不良過程の一部の説明です。詳しくは「小火器読本」[幻の自動小銃」「火器開発裏面史」かや書房 津野瀬光男著 


4302 [4277] [4303] [4306]
Re[2]:負けはしなかったのではないか
戊種(00/11/14 16:32)

「兵器の性能」、「物量」、「士気」が等しい状況にあると考えてみます。それでも勝てないのはなぜか?以下3点がはなはだしく欠けていたからです。
> 1)品質という概念が欠如
> 2)物流の軽視
> 3)科学的手法の欠如
>



レスが遅くなって申訳ありません。
FIX氏へのレスに時間がかかって一度に応じきれませんでした。
FIX氏へのレスとは別角度でお答えしたいと思います。

こういうIFは遊びなので、肩のこらない論議をしたいものですが、しばしば耳にする日本軍の「失敗の本質」を、「本質論」として語る論調があまりにも通俗化していることは嘆かわしいと思います。つまり本質的に日本軍はそうであったという決めつけをしているだけの論です。これらは現象の一端を誰かが解説した後追いをしているだけではないか、という感想がどうしてもあります。

物があれば日本は勝ったかという設問は、そうした論議への面白い問い直しだと思います。

さて、「物があれば」というときの「物」を資源、工業設備、食料といったハード面ということに定義してみます。これらが単純に当時の日本の10倍くらいあり、そこから生産される戦争のための武器が米軍(連合軍)と同じくらいの数だったと仮定します。一単位の兵隊の集団が当時の数倍の火力を持ち、輸送船の数、軍艦の数、飛行機の数も米軍と同じくらい生産できたとします。

ここで考えられることは次のようなものです。
1)品質という概念
多品種少量生産の場合、職人的な芸や親方の目の届く範囲での管理で十分であり、むしろそのほうがきめ細かなものを作る利点もある。しかし大量生産されるものになるとコンベア式のシステム化された等質の製品が要求されてくる。日本に米国と同等の大量生産が可能だったとすれば、当然そのような品質管理への要求が高まり具現していたとは考えられませんか。産業史の必然として。
また、一品生産的な大型軍艦も数を作れば、経験から性能も向上してゆくのではないでしょうか。思い返せば「大和」も傑作ながら、貧乏国の一点豪華主義の無理を伴った計画であったともいえます。

2)物流
品質を管理するシステム自体がソフトだから、それは「本質的に」日本にとって不可能だったという論の立て方なら、物流についても、そこでお話はおしまいです。しかし、物の量が増えてゆくと物流に関しても同様に、質的な変化がもたらされると思います。
史実は乏しい輸送船を重要拠点に必要に応じて配分するはずのものが、想定よりも被害が大きく、船の需要に船の実数が追いつかなかった。結果的には無計画な行き当たりばったりのものになってしまいました。
しかし、輸送船の数がそれを補うだけあり、船団護衛の軍艦もその数だけあれば(いくらなんでも被害が多ければ護衛艦の数を増やしたでしょう)、補給も史実よりは相当上手くいったと思うしかありません。

3)科学的手法
米軍式のオペレーションリサーチを日本軍がやってなかったからといって、日本軍にそうした手法が皆無だったとは思えません。これはBUN氏が指摘されているとおりだと思います。
物が豊富だと、数量的な基礎を分母に、統計的な計画・分析から作戦を考案するゆとりも生じたでしょう。史実のように弾を惜しみながらの戦では、突撃すべきときに突撃できず(いくつかの海戦)、貴重な武器を早期に消耗し、そのままでは死を待つばかりという段になっての最後の突撃(幾多の万歳攻撃)というパターンになってしまったのは、仕方のないことだと思います。一平方メートルあたりに何発の弾丸を投射すれば、どのくらいの効果があるからその後進撃に移る=というような作戦は「物」の豊富な軍隊でしか出来ません。日本軍にもそのようなマニュアルがあったのかどうか知りませんが、目標拠点に狙いを定め、経験と勘、その場での偵察行動による判断で効果を確かめるといった、武人的戦を中国大陸でやっていたのではないでしょうか。

これらのことは、幼稚な例かもしれませんが、「物」の豊富さは、いろいろな面で「質」の変化をもたらすものだという、常識が日本軍といえど(?)通用するのではないかということです。
日本軍の精神主義の台頭は、大正期の粛軍期に昂進したと聞いたことがあります。粛軍ムード、軍縮条約、西洋の軍隊の量的な優位を知っていたこと、さらに、第一次大戦後の列強の消長が「西洋精神の没落」を予兆させた時代的な雰囲気、そしてなによりも日本経済の低迷が、「量」を「質」(精神)で補う、体質の軍を形成してしまったのだと思います。

これで、日本軍が米軍を屈服できたとは申しません。しかし史実よりははるかに品質のいい軍艦や飛行機が登場し、大いに米軍を苦しめたであろうことは想像に難くありません。


4303 [4302] [4304]
Re[3]:負けはしなかったのではないか
BUN(00/11/14 17:22)

> こういうIFは遊びなので、肩のこらない論議をしたいものですが、しばしば耳にする日本軍の「失敗の本質」を、「本質論」として語る論調があまりにも通俗化していることは嘆かわしいと思います。

まさにその通りだと思います。

> 物があれば日本は勝ったかという設問は、そうした論議への面白い問い直しだと思います。

確かにカバノフ中尉の提起した問題は興味深いですね。

>日本に米国と同等の大量生産が可能だったとすれば、当然そのような品質管理への要求が高まり具現していたとは考えられませんか。産業史の必然として。

当然、そうであろうと思います。誰もが容易く見ることが出来る記録写真の中にある生産ラインの風景、例えば高座工廠の雷電の生産ラインを見て「職人芸」論者は何も思わないのでしょうか。そこに残されている風景は職人の一品仕上げではなく、はるかに近代的な「タクト方式」ではないでしょうか。

また、単位面積当たりに何発の弾丸を撃ち込めばどれだまた、けの効果が挙がるか、ということは近代の砲兵であるならば必ず研究していることですが、こうしたことも研究していない近代軍隊が存在すると考えられる「常識」もいささか問題のような気がします。


4304 [4303] なし
Re[4]:負けはしなかったのではないか
無頼庵(00/11/15 11:40)


> 当然、そうであろうと思います。誰もが容易く見ることが出来る記録写真の中にある生産ラインの風景、例えば高座工廠の雷電の生産ラインを見て「職人芸」論者は何も思わないのでしょうか。そこに残されている風景は職人の一品仕上げではなく、はるかに近代的な「タクト方式」ではないでしょうか。
>
蛇足ですが・・・。
駅前書店で手に入る文庫本で、
細井和喜蔵 「女工哀史」があります。
読んでない人でも内容はご存じでしょう。
当時の日本のマスプロ体制は、そこからでも推測できます。


4306 [4302] [4307] [4308]
やはり負ける・・・・
白熊(00/11/15 18:03)

こんにちは
もしかしたら文中失礼な表現を使ってるかも知れませんがお許しください。

>日本に米国と同等の大量生産が可能だったとすれば、当然そのような品質管理への要求が高まり具現していたとは考えられませんか。産業史の必然として。

→申し訳ありませんが私には考えられません。大量生産と品質管理、工程管理等いわゆる経営工学的手法はある意味別次元の問題です。いくら大量生産しても歩留まりが悪くちゃ意味ないですよね。品質管理は「品質がどういう状況でこれでいいのか悪いのかを判断する」手法と考えてください。
ソ連だってアメリカに負けないぐらい戦車、火砲を大量生産しています。そしてその質はどうだったでしょう?機械的な信頼性に乏しく非人間工学的な居住性はとてもじゃないけど私だったら乗りたくないです。トランスミッションを背負って行軍していた戦車もあります。いくら多く作っても品質は改善されません。(逆に悪くなる)
 ここで問題はそれら経営工学的手法を取り入れ実践する機関が日本に存在したかです。旧軍が本腰入れてやるでしょうか?民間から出てきても紹介程度で終わってしまうのでは?学問として定着して広く日本に行き渡るでしょうか?しかも戦前で。

>一品生産的な大型軍艦も数を作れば、経験から性能も向上してゆくのではないでしょうか。
→多く作って質を向上させることですか?戦時標準船とリバティー級はちょっとくらべたくないな。

>輸送船の数がそれを補うだけあり、船団護衛の軍艦もその数だけあれば(いくらなんでも被害が多ければ護衛艦の数を増やしたでしょう)、補給も史実よりは相当上手くいったと思うしかありません。
→それはシーレーンの問題になるでしょう。旧軍の決戦思想では輸送船団にエリートたる水雷戦隊を割くようなことはしないでしょう。史実ではあれだけボカチン食らってようやく護衛艦隊を創設したくらいですからうまくいく保証はないですよね。対戦技術を必死に習得して輸送船団に有力な軍艦をつけないと。イギリスだって滅亡寸前までいったのですから。

>米軍式のオペレーションリサーチを日本軍がやってなかったからといって、日本軍にそうした手法が皆無だったとは思えません。これはBUN氏が指摘されているとおりだと思います。
→やはり皆無です。
ORとは「物理学」「数学」「天文学」などなど一般的に軍と関係ない学問と軍事学が結びついた学問体系です。「経験則から各部隊にマニュアルを配布すること」とは別問題です。
旧軍が民間と結びついて兵器、戦術と関係ない学問を研究するとは思えません。(あれ?レーダーの時はどうだったかな?)

>日本軍にもそのようなマニュアルがあったのかどうか知りませんが、目標拠点に狙いを定め、経験と勘、その場での偵察行動による判断で効果を確かめるといった、武人的戦を中国大陸でやっていたのではないでしょうか。
→日本陸軍が白兵戦を多用したのは資源が無いからではなく陸軍の方針としてとられた戦術だからです。決して精神論からではありません。日露戦争の誤った教訓から生まれたものです。(当時の日本軍は射撃戦が主体)兵士を死地に駆り立てるために精神論が大いに論じられました。

>「物」の豊富さは、いろいろな面で「質」の変化をもたらすものだという、常識が日本軍といえど(?)通用するのではないかということです。
→いくら「物」が豊富でも「質」は変化しないということをわかっていただけますか?過去FIXさんも触れてましたけどそれを支える組織ないし土台がなければそういった学問は生まれてこないことを。

(白熊版)日本に物量があった場合のIF
1) 大量の物資
2) 優れた兵器
3) ??な作戦指導
4) 勇敢な兵士
(ん?なんか東ヨーロッパに同じような軍隊がいたなぁ。)
日本に大量な物量があって開戦したならば太平洋に「ソ連軍的日本軍」が出現します。そして損害を大量に出し勝ったり負けたりを繰り返し日本本土、周辺国に多大な損害を与えます。攻める連合軍、守る日本軍は多大な人的損失が降りかかります。戦争は長期にわたり国民は疲弊しまくり日本だけで死者は2000万はでます。(根拠なし)やがて終戦。日本は最終的に敗北。優秀な人材を多量に失った日本に復興はあるのか??
もっと悲惨になるでしょう。我ながら恐ろしいIFです。


4307 [4306] [4310] [4314]
Re:やはり負ける・・・・
戊種(00/11/15 20:39)

これ以上論争を続けるつもりはありませんが、すでに思考の方法が異なります。
そうした「本質論」に疑問を生じたところが、私の出発点でしたから。

一つだけ言い置きたいのは品質管理ということですが、戦後のTQCとかデミング博士の功績を念頭においてらっしゃるのでしょうか?
優れた手法かもしれませんが、品質管理はそれがすべてではりません。

またソ連と同様になるとは思えないし、日本の大戦に至る歴史経過を見れば、民間と軍との関係もそんな機械的な史実の延長になるとお思えません。
もっとも、米国と同様になるとも言いませんが。

よって、ほぼ全面的にお答えには否定的です。


4310 [4307] [4313]
[投稿者削除]
LLL(00/11/15 23:57)

投稿者によって削除されました。(00/11/15 23:57)


4313 [4310] なし
Re[3]:やはり負ける・・・・
カバノフ中尉(00/11/16 14:37)

ソビエト時代はものが有っても輸送手段が洗練
されずに非効率なままだったので各地に産出さ
れた物資が溜まっていました食い物産出すると
ころでは食い物が製品を生産するところでは製
品が溜まっていました。
それでも当時はまぁ平等主義でしたからそれな
りに分け合ってやっていたのですが。

ある日突然180度方向転換の政策をしたから
さぁ大変!
純情無垢なガキンチョに死体ビデオ見せたよう
なものですから歪んだ方向に走りました。
7年近く只ひたすら金の亡者となりましたが
一昨年の9月に崩壊しました。
極東地区は全ての工業と金融関係が壊滅して
流通関係だけが中国との裏取引で生き残って
いましたが最近はだいぶ持ち直しました。
工業だけは立ち直れずに中国の安い製品に
押しつぶされています。

嗚呼 私ってば・・来ないだの事件起こして
からは暫く謹慎する積もりだったのについ書
いてしまった・・・。


4314 [4307] なし
お礼
白熊(00/11/16 15:45)

> これ以上論争を続けるつもりはありませんが、すでに思考の方法が異なります。

> またソ連と同様になるとは思えないし、日本の大戦に至る歴史経過を見れば、民間と軍との関係もそんな機械的な史実の延長になるとお思えません。
→ソ連軍的日本軍も極端でした。
 ですが史実よりも日本軍に有利な材料があるとそれだけ戦争が長引き日本、米国、周辺国に多大な損害が出るのが私の持論です。

> もっとも、米国と同様になるとも言いませんが。
>
> よって、ほぼ全面的にお答えには否定的です。
→カバノフ中尉、BUNさん、FIXさん、そして戊種さん、私もそれぞれの考えがあります。他の人がどう考えどう思っているのかがわかっただけでも私的に大収穫です。何かの折にまた意見をお聞かせください。ありがとうございました。


4308 [4306] [4315]
少々の反論
BUN(00/11/15 20:42)

 おっしゃる事は理解できますが、いくつかの前提が未検証のイメージに基づく誤解を含んでいるように思えます。だからといって私は物量さえあれば日本大勝利、とは全く思いませんが、ぎりぎりのところで当時の日本で行われた努力を検証し評価すべきではないかと考えています。

 戦争末期のソ連戦車は確かに見た目は酷い部品を使用しているように思えますが、実際の信頼性は水準以上のものがあったようです。私も実際にT34の中に入った印象では、まさにこの車両は地獄の釜のように思え、三号戦車の車内が非常に広く感じましたが、白熊さんは多分、M48パットン戦車を御覧になっても多分同様の印象を抱かれるのではないでしょうか。M4初期型などに比べるとM48はまるでスターリン戦車の如き仕上げの荒さが目に付きますが、ご存知の通り実態が見た目通りという訳ではありません。
 更に日露戦争は砲兵主体の戦争であり、歩兵の射撃戦中心というのは実態とかけ離れたイメージに過ぎません。戦訓の中では火力の重要性が説かれています。
 また、当時の民間の研究と軍の連携が全く存在しなかったということはありません。能率協会のような組織は存在していますし、軍側からのアプローチも当然存在します。こうした組織の活躍がなければ零戦も隼も量産はかないませんでした。ただ残念なのは日本の場合こうした貴重な萌芽を十分に育てるだけの余裕が長期の戦争で失われていたことでしょう。軍事以外の各分野の研究は実際に行われていますし、そもそもおっしゃるような決戦主義は日本の伝統ですらないのです。あえて、再度記しますが、これを読んで頂きたいのです。決戦論に凝り固まっていたはずの海軍中枢にこれだけの理性が存在したということだけでもご理解いただきたく思います。
以下過去の書き込みの引用。

ドイツ海軍のオットー・グロース大佐の著作で、ティルピッツ元帥が丁寧な序文を書いている「世界大戦より見たる海上作戦の教条」という本があり、この本は帝国海軍の軍令部によって翻訳され恐らく海軍士官向けに参考図書として出版されています。

問題は、この訳本の冒頭にある軍令部の「緒言」なのです。
この本はこう読め、といった注目点の要約なのですが、この内容が実に興味深いのです。以下、転記します。

「本書の内容中特記すべき点を列記せば次のごとし。

1.特殊の国情環境の下に統帥権問題に関し大戦中最も苦き経験を嘗めたるドイツ海軍将校の「戦略及び政略の微妙なる関係」に対する諸説。

2.国家の各機能を戦争の遂行に対して打って一丸となすべき国家戦略を高調し、ドイツは各機能の対立抗争によりて廃滅せりと指摘する点。

3.海陸両軍作戦の緊密なる連携の必要を力説し、戦争の全部を海陸共同作戦の連続のごとく見なす主張。

4.「海上作戦の目的は制海権の確保にあり。決戦は目的達成上の最勝路なれども目的そのものにはあらず、畢竟ひとつの手段たるに過ぎず」と説き、「目的と手段を混同するなかれ」と警告し、ドイツ海軍が決戦の艦隊を創造するに急にして制海権保持の用意に欠ける所ありしを指摘する点。

5.将来の海戦において彼我共に自ら進んで堂々雌雄を決せんとするが如きこと無かるべきを説き、「決戦強制の戦略的手段及び準備なければ決戦成立せず」と主張し、「ドイツ大海艦隊は決戦に備うべき所ありしも、決戦強制の手段と準備を欠けり。速戦即決論者はすべからく決戦強制手段の有無を再考三考せよ」と唱うる点。

6.ドイツ海軍当局が戦術問題の研究に没頭して戦略問題に適正なる理解を有せざりしを嘆じ、「両軍相見ゆるまでの問題は、両軍相見ゆる後の問題よりも困難なり。両軍決戦の意図を以って出動したる後の研究と準備とにのみ没頭する者は、ドイツ大海艦隊の轍を踏むべし」と戒むる点。」


 如何でありましょうか?
 ロンドン条約で揺れる1930年の海軍軍令部が一方でこのような発言を行っていること、これは注目に値します。私はここに現れた理性的見解に日本海軍へのひとつの救いを見ます。

 長くなりましたが、私が言いたいのは前提が不正確であれば如何なる議論も徒労に終わってしまう危険があるということです。これは残念なことです。



4315 [4308] [4318]
1点の光
白熊(00/11/16 16:21)

こんにちはBUNさん
レスありがとうございます。
>
>  戦争末期のソ連戦車は確かに見た目は酷い部品を使用しているように思えますが、実際の信頼性は水準以上のものがあったようです。私も実際にT34の中に入った印象では、まさにこの車両は地獄の釜のように思え、三号戦車の車内が非常に広く感じましたが、白熊さんは多分、M48パットン戦車を御覧になっても多分同様の印象を抱かれるのではないでしょうか。
→昔、AE92レビンに乗せてもらったときなんて自分のS14シルビアに比べ圧迫感を感じました。でもRVに乗ってる友人に言わすと地を這うようで閉塞感があるといわれました。BUNさんみたいに乗った人にしかわからないんでしょうね。(いい例えじゃないかな)


>  更に日露戦争は砲兵主体の戦争であり、歩兵の射撃戦中心というのは実態とかけ離れたイメージに過ぎません。戦訓の中では火力の重要性が説かれています。
→す、すみません。実は大砲の射撃のことが言いたかったんです・・・激しい砲弾の消費量の割には効果が薄い(陣地に榴散弾じゃ・・・)と判断されたということを覚えていたんですけど。

>あえて、再度記しますが、これを読んで頂きたいのです。決戦論に凝り固まっていたはずの海軍中枢にこれだけの理性が存在したということだけでもご理解いただきたく思います。
> 以下過去の書き込みの引用。
>
> ドイツ海軍のオットー・グロース大佐の著作で、ティルピッツ元帥が丁寧な序文を書いている「世界大戦より見たる海上作戦の教条」という本があり、この本は帝国海軍の軍令部によって翻訳され恐らく海軍士官向けに参考図書として出版されています。
>
> 問題は、この訳本の冒頭にある軍令部の「緒言」なのです。
> この本はこう読め、といった注目点の要約なのですが、この内容が実に興味深いのです。以下、転記します。
>
> 「本書の内容中特記すべき点を列記せば次のごとし。
>
> 1.特殊の国情環境の下に統帥権問題に関し大戦中最も苦き経験を嘗めたるドイツ海軍将校の「戦略及び政略の微妙なる関係」に対する諸説。
>
> 2.国家の各機能を戦争の遂行に対して打って一丸となすべき国家戦略を高調し、ドイツは各機能の対立抗争によりて廃滅せりと指摘する点。
>
> 3.海陸両軍作戦の緊密なる連携の必要を力説し、戦争の全部を海陸共同作戦の連続のごとく見なす主張。
>
> 4.「海上作戦の目的は制海権の確保にあり。決戦は目的達成上の最勝路なれども目的そのものにはあらず、畢竟ひとつの手段たるに過ぎず」と説き、「目的と手段を混同するなかれ」と警告し、ドイツ海軍が決戦の艦隊を創造するに急にして制海権保持の用意に欠ける所ありしを指摘する点。
>
> 5.将来の海戦において彼我共に自ら進んで堂々雌雄を決せんとするが如きこと無かるべきを説き、「決戦強制の戦略的手段及び準備なければ決戦成立せず」と主張し、「ドイツ大海艦隊は決戦に備うべき所ありしも、決戦強制の手段と準備を欠けり。速戦即決論者はすべからく決戦強制手段の有無を再考三考せよ」と唱うる点。
>
> 6.ドイツ海軍当局が戦術問題の研究に没頭して戦略問題に適正なる理解を有せざりしを嘆じ、「両軍相見ゆるまでの問題は、両軍相見ゆる後の問題よりも困難なり。両軍決戦の意図を以って出動したる後の研究と準備とにのみ没頭する者は、ドイツ大海艦隊の轍を踏むべし」と戒むる点。」
>
>
>  如何でありましょうか?
>  ロンドン条約で揺れる1930年の海軍軍令部が一方でこのような発言を行っていること、これは注目に値します。私はここに現れた理性的見解に日本海軍へのひとつの救いを見ます。

→すごい!戦前にこれだけのことが考えられていたとは。とくに4.なんかグサッときますよ。座右の銘にしよう。日本海軍のみならず我々の生活にも応用できそうなフレーズがいっぱいあります。
本当に、本当に惜しむらくはこれだけすばらしい考察を生かしきれない上層部があったということです。

>
>  長くなりましたが、私が言いたいのは前提が不正確であれば如何なる議論も徒労に終わってしまう危険があるということです。これは残念なことです。
>
→言葉が足りなかったことをお詫びいたします。私なりに考えそして皆さんの意見を聞くことができたので満足しています。
 BUNさんまたいろいろ教えてください。


4318 [4315] なし
Re:1点の光
tackow(00/11/16 18:12)

> →すごい!戦前にこれだけのことが考えられていたとは。とくに4.なんかグサッときますよ。座右の銘にしよう。日本海軍のみならず我々の生活にも応用できそうなフレーズがいっぱいあります。
> 本当に、本当に惜しむらくはこれだけすばらしい考察を生かしきれない上層部があったということです。

 いや、当時は、いざとなれば軍がその国の命運を握る(勿論、今でもそうだけど、当時の方が切
迫していたでしょう。多分)でしょうから。多分、相当な事項まで研究していたのは当然だと思
います。

 ただ、世間一般ではその辺のところを深く突っ込まずに色々と流布されている面もあるので旧軍
に対する「誤解」が生じているのだとも思います。

 言葉尻を捉える訳ではないのですが「考察を生かし切れない上層部」というのも、その様な意味で一面的な見方かも知れません。

 偉そうな事を言うわけでは無いのですが、その辺の「誤解」を解いていくのはなんというか楽し
い仕事でもありますネ。
 
 単なる自己満足かも知れませんが(^^;


4281 [4274] なし
[投稿者削除]
マキャベリ(00/11/11 19:04)

投稿者によって削除されました。(00/11/11 19:04)


4282 [4274] なし
結局、政治の問題
マキャベリ(00/11/11 19:54)

> 私は、米国を屈服させることは出来ないにせよ、
> うまく講和にもっていけたと思うのですが。
> 満州を確保し、面目を保っての講和ということ
> です。

講和と簡単に言いますが、面目を保っての講和には天才的な力量の政治家が必要です。もっともまともな政治家がいれば、日中戦争はとうの昔に終結させていたはずですから、日米開戦とはなり得なかったでしょうが。
たとえ絶対国防圏を維持できても講和には譲歩が必要で、占領した南方資源地帯からの撤退が必要でしょう。ところが占領地からの撤退こそ難問中の難問で、中国大陸から撤退できなくて日米開戦に至ったではありませんか。講和するなら軍部の統率が絶対必要で、これが可能なら日米開戦の必要無いし、開戦しても昭和17年中に勝ち逃げ講和もあり得たでしょう。(ただし三国同盟の破棄が必要)
結局、物量ではなく政治の問題なのです。


4288 [4253] なし
なぜ、連合国が日独を徹底的に叩いたのか?
アリエフ(00/11/12 01:05)

ちょっと視点を変えて、そもそも、なぜ連合国(米英ソ)が日独をあれほどまで徹底的に叩く必要があったのか、考えることが必要だと思います。
当時、米英が日本をナチス・ドイツ同様の侵略国家と考えていたこと、そして日独の勢力拡大意図を砕くだけでなく、占領して軍備を解体し無力化することを狙っていたことを考えると、日本に対しても中途半端な妥協では済まないと考えていたからでは。ちなみに、米軍の高級武官の中でもウェデマイヤーは日本に対してそこまでやる必要があるのか、疑問を感じていたそうですが、政府全体としては日本が許せなかった。
要するに、先方が妥協を許さない、取り付く島の無い状況とすると、例え史実より米軍が不利な状況だったとしても、日本を叩けという限り、講和を選択せず、ドイツを倒した後、日本への徹底攻撃を行う可能性が強いのではないでしょうか。
もちろん、可能性の話であり、英米とソ連との関係によってもかなり変わってきますが。


4311 [4253] なし
Re:物が有れば日本は勝てたのだろうか?
2HB(00/11/16 10:55)

興味深い設問です、はじめてこのページに書き込みます2HBと申します。
先輩諸兄の投稿を読ませていただきましたがこの議論は今日、企業で語られる要素の人、物、資金、そして情報から考えるのが良いのではと思います。
この設問では物は充足されていたらのIFであり、品質、性能は相手国と同レベルとして考えた方が
事の本質が見えてくると思います。
そうすると、物を作るのに金が必要とすると設問上、物=金とし
残る人の面での論議が必要ではないでしょうか?
この場合、人とはこの時代の日本におけるその風土(世相)、文化、政治、教育、等々から生まれる軍とその用兵で考えますと
やはりかなりきびしい内容となるでしょう。
その理由の1っとして、あまりにも軍部の意見が強くその上、陸海軍で日本に2っの国家が有ったと語られる状態なのですから。
情報に関しては諸兄のご存知の通りの状況です。


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