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NX(00/5/12 18:25)
> 航続距離では紫電改と三式、五式とでは大差無いはずです。
カタログ値ではそうです。そして、カタログ値では陸軍の一,三、四、五式戦は沖縄本島南部まで行けるはずでした。ところがパイロットの技量低下と末期の機体性能の低下が相まって、空戦を見込めば与論島までしか進出できなかったと。逆に言えば与論島までは行けたと言うことになります。 これに反して、カタログ値で大差ない紫電改は事実として喜界島までしかいけなかった、と。 カタログ値がどうであれ、事実を見れば紫電改の航続距離はやはり劣っていた、といわざるを得ないのでしょうか。
> 坂井氏は > ベテランですので燃費の良い領域で飛んでいたでしょう。ですから、カタログを > 大幅に下回る航続距離しか出せなかった、などと言う事も無いでしょう。
坂井氏は343空では実戦に参加していません。
> 誉発動機が原因とすると、四式にも同様の問題が発生するはずです。
紫電改と四式戦の機体設計の差、でしょう。 同じ発動機をつけている零戦32型と22型でも、航続距離には大差があるのは、SADAさんももちろんご存じのはずです。 但し、その分四式戦は他の性能が犠牲になっている可能性がありますが。(防弾性能とか)
> 実際には、「まともに燃料・増槽が支給されなかった」だけなのではないでしょうか。
戦争末期においても、海軍のほうが燃料事情は陸軍よりはマシだったはずです。343空は92オクタン燃料をなんとか確保していた、との整備員の回想を読んだことがあるような気がします。(うろ覚えですが・・・) それに新鋭戦闘機が最優先で配備されていた343空に増槽が支給されなかったとは考えにくいです。
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