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なんでや?(00/1/2 08:50)
> 「転換点」の意味合いの取り方にもよりますが、 > 1・はあまり関係なさそうです。 > 1941年の秋から冬にかけてのドイツ軍の苦戦は、ヒトラーのせいではなくOKHの失策によるものです。ヒトラーとしては1941年中の決着は無理、ある程度の持久戦はやむを得ないと考えていたようですし、また、1942年にブラウ作戦をやってのける余力もありました。 > モスクワ攻略の失敗によって、ソ連打倒の機会がなくなったというのは、あまり説得力がありません。
ソ連に比して国力(人的及び物的資源)に劣るドイツが勝利するには短期決戦しかありえず、この時点でモスクワもしくはロシア南部の資源地帯の攻略をいずれも達成できないとなると、例えブラウ作戦をやってのける余力があったとしてもソ連打倒の機会は失われたのでは、と思うんですがこの考え方にはやっぱり無理がありますか。 また、モスクワ侵攻作戦の失敗はヒトラーがこの作戦を発動するのがあまりにも遅すぎたからだと思うんですが、これについては如何ですか。
> 2・はドイツ軍の背骨を折られてしまったという意味で「転換点」になるとも言えます。 > 陸軍はまだしも、空軍、とくに攻撃の骨幹たる爆撃機部隊は、これ以降立直ることはできませんでした。これによって、ドイツ軍は近代戦での戦略的攻勢を取れなくなります。 > また、ブラウ作戦はこれによって失敗に終わり、コーカサス・カフカズでの戦果は無意味になってしまいました。ロシア南部の資源地帯を確保して長期自給態勢を造る(大東亜戦争みたい…)という戦略目標は、達成できませんでした。これで、ドイツ(いや、ヒトラー)は東方にレーベンスラウムを拡大して、確保するという大戦略の実行を不可能にされてしまいました。
ドイツにとってスターリングラードの戦いは勝敗に拘らず「転換点」になったということなのか、それともこの戦いに勝利していればまだ望みはあったということなのか、どちらになるのでしょうか。
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