ロシア : BB(99/12/27 12:03)
Re:ロシア : kazu(99/12/27 15:43)
Re:ロシア : なんでや?(99/12/27 22:27)
Re:ロシア : アリエフ(99/12/27 23:21)
Re[2]:ロシア : kazu(99/12/28 09:33)
なるほど : BB(99/12/28 02:07)
Re:なるほど : kazu(99/12/28 09:42)
Re[2]:なるほど : BB(99/12/28 14:33)
Re[3]:なるほど : kazu(99/12/28 15:28)
Re[3]:なるほど : ◯塚◯古(99/12/28 22:58)
Re[3]:なるほど : アリエフ(99/12/29 04:19)


2779 Root [2789] [2797] [2799] [2806]
ロシア
BB(99/12/27 12:03)

前々から気になっていたのですが第二次世界大戦の引き金となったドイツのポーランド侵攻ですが、同時にロシアも反対側から侵攻しましたよね?このときなんで英仏はドイツに宣戦布告してロシアをほっといたのでしょうか?Ans、Qに書く内容かもしれませんが大戦中のロシアに対する譲歩といっしょにするとなんか怪しいので。


2789 [2779] なし
Re:ロシア
kazu(99/12/27 15:43)

英仏はソ連を味方に引き込みたかったのではないでしょうか。ソ連はドイツと不可侵条約を結んだのであって同盟を結んだのではありません。ソ連に対してポーランド侵攻を非難して敵対関係となり「敵の敵は味方」の論理で本格的に団結すればドイツ軍は全戦力をフランス国境に振り向けられます。少なくとも「ソ連はいつ敵になるかわからない」と思わせた方が有利でしょう。
ちなみに独ソ不可侵条約締結は世界中を驚愕させました。なぜならドイツはそれまで共産主義を公然と非難していたからです。だから、英仏もソ連を対独包囲網に引き込もうと交渉していたのです。


2797 [2779] なし
Re:ロシア
なんでや?(99/12/27 22:27)

英仏がドイツに宣戦布告したのは、これを見逃してしまえば、中・東欧ではドイツの侵略に抵抗する国はもうなくなり、そして、ドイツはこれら諸国をすべて組織したうえで、英仏を攻撃する絶好のチャンスを得ることになると判断したからだと思います。つまり、ポーランドを助けるために参戦したわけではないのです。事実、ポーランド政府の軍事援助要請に対して、自国にそれだけの余裕がないとして、英仏はまともな支援を行いませんでした。従って、英仏はこの時点でソ連を敵にまわすつもりはなかったのです。ただ、英仏とソ連との関係は険悪なものになったのは間違いないと思われます。また、ソ連はバルト海諸国に軍事基地を取得するなどしたので、英仏国内の反ソ感情は激化しました。ソ・フィン戦争時に英仏は派兵を検討し、なかでも、フランスはバクー油田の爆撃や中央アジアのイスラム教徒を支援し、ソビエト政権の転覆までも計画しました。もっとも、まもなくソ・フィン間に休戦が成立したので、これらは計画倒れに終わりましたが、もしこれが実行に移されたなら、収拾のつかない事態をもたらしたのではないでしょうか。


2799 [2779] [2810]
Re:ロシア
アリエフ(99/12/27 23:21)

他の方の回答とも関連しますが、当時の背景など
この頃の英仏(英:労働党チェンバレン政権、仏:ダラディエ政権)両国はドイツに対し宥和政策をとっており、38年に行われたチェコ侵入のときもドイツに対し圧力をかけるような積極策を取りませんでした。これは両国の指導者がヒトラーを平和的に対話できる相手と考えていたこと、第一次大戦の悲惨な記憶がまだ生々しく、特にフランスにおいて厭戦気分が強かったことが関係しています。そうした状況で、英仏両国の政府はヒトラーをなだめつつ彼の行動を黙認しながら、ソ連を自陣営に引き込もうと画策していました。しかし、スターリンは両国政府の対独弱腰を見て、ドイツとの不可侵協定の締結とポーランド分割の方を選択したわけです。
 39年9月のポーランド侵攻のとき、英仏両国はドイツに宣戦布告したものの、ドイツ領内に攻め入ることは考えていませんでした。結局、ポーランドが独ソ両国により分割されるのを指くわえて見ているしかなかったのです。(抗議はしたけど)
 こうした宥和政策に強く反対していたのがイギリスのチャーチル(保守党)であり、ポーランド侵攻後、チェンバレン政権が倒れ彼が首相になります。チャーチルは共産主義も嫌いだけど、当面の第一の目標はヒトラーの打倒であると考えていました。こうして、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者による同床異夢的な連合が造られていくのです。


2810 [2799] なし
Re[2]:ロシア
kazu(99/12/28 09:33)

>  39年9月のポーランド侵攻のとき、英仏両国はドイツに宣戦布告したものの、ドイツ領内に攻め入ることは考えていませんでした。

英、仏がドイツ国内に攻め込まなかった理由の1つとして第一次世界大戦の西部戦線の戦訓が考えられます。第一次大戦西部戦線では攻め込んだ方が負ける(正確には防御側が陣地を守り抜く)戦いがほとんどでした。大戦末期600両の戦車を集中投入し、迂回機動を行い、師団司令部はおろか軍団司令部まで襲撃した、『第一次大戦におけるドイツ軍暗黒の日』アミアン戦においてさえそうでした。
つまり、ドイツ軍の攻撃をマジノ線で受け止めドイツ軍の戦力が疲弊した所で反撃に転ずるつもりだったのではないでしょうか。


2806 [2779] [2811]
なるほど
BB(99/12/28 02:07)

確かに、ソ連とドイツ両方相手にするのは英仏にとってつらいですよね。
ただどうしてもわからないのがなぜ連合国のなかでも第二位(アメリカに次いで)のソ連にイギリスは物資を送ったのでしょうか?PQ船団の開始時は確か1941年ー1942年ですよね。悪化した関係の二国がただ共同の敵を潰した一心ですぐ関係回復するところがどうも臭い。とくにイギリスはまだアメリカが参戦するまえだから北方船団をだす余裕なんてあったのでしょうか?スターリンはどうも手がうまいと言うか要領がいいというか。


2811 [2806] [2812]
Re:なるほど
kazu(99/12/28 09:42)

>とくにイギリスはまだアメリカが参戦するまえだから北方船団をだす余裕なんてあったのでしょうか?スターリンはどうも手がうまいと言うか要領がいいというか。

船団輸送については相当苦しかったようです。アメリカが参戦した後でさえ「輸送船が6隻たりない」等ということでソ連と交渉したりしています。でも自分とこが苦しいということで船団を出さず、万一ソ連が崩壊したり、降伏したりすると、今度は「フランス、ソ連を撃破したドイツ軍」がどこに攻めて来るかはだいたい想像がつきます。英本土航空戦もぎりぎりの勝利だったのです。今度も勝てるという保証はありません。フランスの地中海艦隊がドイツに渡ることを恐れて、潰しにいったほどです。できるだけの手は打っておきたかったのでしょう。


2812 [2811] [2814] [2818] [2820]
Re[2]:なるほど
BB(99/12/28 14:33)


> 船団輸送については相当苦しかったようです。アメリカが参戦した後でさえ「輸送船が6隻たりない」等ということでソ連と交渉したりしています。

では送り出した物資は必要だったんでしょうか。資料を読んでいてもハリケーンがドイツ機を落としたりB-25がドイツを攻撃する、というよりIl-2が攻撃し、Yakが戦うというイメージが強く、微々たる旧式機が活躍するということはかなり難しいと思います。すいません、欧州戦はよく知らないので。

あと今気が付いたんですが、僕の文は攻撃的でしょうか?なんとなくそんな気がします。すいません、アメリカ在住なんで、日本語で議論するのはめったにしないんです。


2814 [2812] なし
Re[3]:なるほど
kazu(99/12/28 15:28)


> では送り出した物資は必要だったんでしょうか。資料を読んでいてもハリケーンがドイツ機を落としたりB-25がドイツを攻撃する、というよりIl-2が攻撃し、Yakが戦うというイメージが強く、微々たる旧式機が活躍するということはかなり難しいと思います。すいません、欧州戦はよく知らないので。

うーん、まぁ必要だったんでしょうね。「Il-2が攻撃し、Yakが戦う」これはよくあった「成功したパターン」です。でも当然“これだけ”ではないでしょう。戦闘機ハリケーンはYakほど高性能ではありませんが空戦に、対地掃射に駆り出されていたでしょうしB-25がドイツを攻撃することはなくても前線への航空輸送や対地支援を行ってたかもしれません。広大なロシアの大地での防衛戦闘は一流の機体だけの少数精鋭ではやっていけません。くれるものならなんでも使って「やれることをやる」のも必要でしょう。“活躍”はできないかもしれません。こんな旧式機をくれるくらいならもっと別のものをと思うかもしれません。けど英本土航空戦で戦ったのはスピットファイアだけじゃありません。ハリケーンもデファイアントも複葉機のグラディエイターですら戦ったのです。それはドイツ軍も同じです。活躍はできないけど地味に馬車馬のように働くヤツもいます。ようは使い方ひとつです。ハリケーン10機があったためにYak5機を別の所に回せるならそれだけでも意味はあります。
「ないよりはマシ」・・・これにつきるでしょう。

> あと今気が付いたんですが、僕の文は攻撃的でしょうか?

そんなことないですよ。


2818 [2812] なし
Re[3]:なるほど
◯塚◯古(99/12/28 22:58)

> では送り出した物資は必要だったんでしょうか。資料を読んでいてもハリケーンがドイツ機を落としたりB-25がドイツを攻撃する、というよりIl-2が攻撃し、Yakが戦うというイメージが強く、微々たる旧式機が活躍するということはかなり難しいと思います。すいません、欧州戦はよく知らないので。

 米英が貸与した物資が無ければ師団の編成に事欠いたのは事実ですし、ソ連自身がかなりアテにしていたのも事実です。

 なにしろ、「大祖国戦争史」には「PQ18以降暫くの間援助の船団を休止したのは戦後のソ連の弱体化を狙ったためだ」といったあんばいのことを書いてますから


2820 [2812] なし
Re[3]:なるほど
アリエフ(99/12/29 04:19)

>ハリケーンがドイツ機を落としたりB-25がドイツを攻撃する、というよりIl-2が攻撃し、Yakが戦うというイメージが強く、

米英から供与された兵器の中でP39エアラコブラは相当活躍してます。この機についてはアメリカ軍よりソ連軍の方が重宝している(対地攻撃にも使えるし)。ただ、前線の兵士に愛用されていても政府や軍当局は自国製兵器の方が優秀という宣伝をしたがるもので(社会主義祖国の兵器は最優秀!?)、供与兵器の活躍がほとんど資料に出てこないのはそれが原因でしょう。私も独ソ戦で活躍する供与兵器写真集なんてあったらほしいのだが。


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]