|
BUN(99/7/1 23:20)
作っていたと想像します。 雷電は十四試なのですが、なぜ十四年に高速邀撃機の試作指示が出たのかといえば、 ソ連製の高速爆撃機に自軍の飛行場が空襲され大損害を出していた事情があります。 こうした至急の対策を必要とする事態には複数の計画案が進められても自然なことです。 ひょっとしたら陸軍も採用したかもしれない、といったことが考えられるだけでしょう。
また、日本の航空機開発姿勢ですが、私はそれ程無計画に乱造したとは思いません。 合理的に開発を進めていたと言われるアメリカでさえ、大戦中、四十機種程の試作戦闘機を まさに乱造して飛ばしていますが、日本など試作機が飛んだものは数機種に過ぎません。 必要とされる機種は戦術の要求によって決まり、国力の大小は二義的なものでしょうから、 無定見に乱造したのはどちらかと言えばアメリカの方だと言えるでしょう。
また、当時の生産性の低い手作り的な量産体制を考えると、たとえ鍾馗と雷電、疾風と紫電をを機種統合しても それほど生産量を拡大できたとはとても思えません。それよりも、当時の日本の航空機生産能力は まだ余裕があった形跡があります。生産拡大を阻害していた要因は資源の輸入途絶が最大のものでしょう。
よって陸海協調の下でも雷電は開発され、我々はプラモのネタに困ることは無い、と。
|