軍事施設以外を攻撃する『戦略爆撃』は許されるか? : すーだら無責任男(99/4/26 16:04)
re:人道に基いた戦争とは? : ささき(99/5/4 03:38)
戦争にもルールは必要 : ウェーバー・アデマイド(99/5/4 16:48)
re:トッテンさん : dg.marshall(99/4/28 15:22)
ちょっと変。 : BUN(99/4/27 08:03)
クリントンは自己中心的、卑怯で残酷で不道徳で無能 : すーだら無責任男(99/4/30 18:43)
re:クリントン云々 : dg(99/5/6 11:31)
正義という名の天秤 : ささき(99/5/6 10:06)
NATOこそが侵略者 : すーだら無責任男(99/5/14 17:33)
米国の指導者たちはシニカルで臆病 : すーだら無責任男(99/5/12 18:37)
戦場の善悪って何でしょう : ささき(99/5/13 03:25)
朝鮮半島有事? : すーだら無責任男(99/5/14 18:23)
re:戦場の善悪って何でしょう : すーだら無責任男(99/5/14 17:54)
アメリカは巨大な田舎国家ですね : ささき(99/5/16 11:58)
米国は理性のカケラもない鬼畜 : すーだら無責任男(99/4/30 17:57)
事実無根 : BUN(99/5/6 00:58)


1002 Root [1007] [1004] [1003]
軍事施設以外を攻撃する『戦略爆撃』は許されるか?
すーだら無責任男(99/4/26 16:04)

敵国民の士気をそぐには、軍事施設よりも労働者住宅を攻撃するほうが効果的だそうです。
このような『戦略爆撃』は、許されるでしょうか?
参考までに、
http://news.jp.msn.com/worldreport.asp?id=990420jimbo&vf=1
から、引用します。


●ドレスデン―東京―長崎―広島
 1945年2月13日夜から14日にかけて、連合軍(主力はイギリス空軍)による「ドレスデン大空襲」が、そしてその後の3月10日には、米空軍による「東京大空襲」が敢行された。筆者は「東京大空襲」の時には生まれていなかったが、身近な人たちからいろいろと話を聞かされた。
 しかし、その直前に敢行された「ドレスデン大空襲」のことを知ったのは、ほんの数年前のことであった。最近、ビル・トッテン氏のホームページ上で、大空爆を生き抜いたドイツ人が、体験に基づいた詳細な記事をよせていた。
 ある日、『サントリー・ホール』の関係者の方との酒の席で、「ドレスデンという町は、ドイツが誇りとするドイツ音楽発祥の古都」であることを教えていただき、連合軍の「ドレスデン大空爆」に対する手掛かりの一端をつかむことができた。ヨーロッパの人々にとって、その意味は言わずと知れたことだったであろうが…。

 この「大空襲」は、ドイツ軍の軍事力を殺ぐことが目的ではなく、ドイツ国民の志気に壊滅的な打撃を与えるために編み出された、「それまでの戦争の観念を根本的に変える」作戦であった。

 連合軍のドイツへの空爆は、イギリスなどの「国際的な銀行家たち」が、ドイツ領内に所有する自らの軍事施設に対しては巧みに「破壊」を回避する一方、「もし主要な都市の労働者住宅の65%が爆撃で破壊されるならば、国民の志気は壊滅する」という冷徹な計算に基づいて、『戦略爆撃』という、それまでの戦争には全くなかった新しい「戦争の思想」に基づくものであった。

 『戦略爆撃』の思想は、明確に「無差別かつ大量に非戦闘員を一挙に殺戮する」ことを目的とした。「ドレスデン大空襲」は、その最初のものであり、12万5,000人を超える老人、女性、子供が爆死した。

 「木と紙でできている」東京の民家を焼き払い、非戦闘員を一挙的、大量に殺戮することを目的とした焼夷弾による「東京大空襲」は、『戦略爆撃』の日本への応用版であった。

 これら一連の『戦略爆撃』が、どれほどの「戦争犯罪」であり、「人道」にもとる軍事作戦であったかは、当事者たちが一番良く知っていた。そのことについては、米スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授が、『中央公論』(1995年2月号)掲載の『FOREIGN AFFAIRS』に「検証・原爆投下決定までの300日」という論文を寄せ、その背景について詳しく記している。

 それによると、トルーマン大統領は「ヒトラーを上回る残虐行為に手を染めたという汚名を着せられたくない」と怯えながら、ギリギリの状況を迎えた時、「獣(ゴイム)に対処するときは、彼らを獣として扱わなければならない」(トルーマン日記)という、問題のすり替えによって自己正当化し、長崎・広島への原爆投下の決断を下していった。

 自国民に対しては、「軍事施設を標的とした作戦であり、戦争終結を早めた」と、偽情報を振りまいて欺いたことは周知のことであろう。

●『戦略爆撃』の秘密は元英情報将校が暴いた

 「東京大空襲」が、どんな悲惨なものであったかを何度も話には聞かされた。阪神大震災を身近に知った今でも、「ドレスデン大空襲」の惨状(死者の数だけを単純に比較しただけでも25倍を上回り、なにより自然災害などではなく、狙いを定めて人為的に行った殺戮行為なのだ)は、想像を超えるすさまじいものであっただろう。

 連合軍は、それがどれほどの残虐行為であるかを充分に理解していた。だから、事実の発覚を恐れ、人々の目が圧倒的に「ナチスドイツの残虐性」に向かうよう、集中的にスポットをあて、自らが犯した残虐行為の事実を長い間、隠し通すことに成功した。

 この『戦略爆撃』は別名、「クルト・レウィン計画」とも言われ、1920年代にイギリス陸軍の技術将校、ジョン・ローリング・リース少佐を中心に、『イギリス心理戦争局』が取り組んだ「洗脳」の技術開発の結果として生まれ、第2次世界大戦中、イギリス空軍に設けられた『戦略爆撃調査部』の初代長官、クルト・レウィン博士(アメリカCIAの前身であるOSS設立を指導)と、彼の保険計理士のチームが完成させた。

 実行に当たっては、“爆撃屋”ハリスが指揮を執ったが、その実際の爆撃計画作りの資料を用意したのは、現在でも世界最大級の規模を誇る某生命保険会社であった。

 これらは、大英博物館で古資料の調査の仕事に携わり、後にイギリスでも超エリートといわれる情報将校として、膨大な「機密文書」に接する仕事に従事していたジョン・コールマン博士が、アメリカに移住して数々の論文を発表するまで、だれにも知られることはなかった。

 「戦争の観念を変える」作戦をどれほど激しく行おうとも、「勝利者」になってしまえば、裁く者などどこにもいない。一方的に勝利者が「正義」になってしまう。その時々の「正史」とは勝利者を正当化するために書かれたもの以上には一歩も出ない。右手がいかに血塗られたままであろうとも、左手で「デモクラシー」という勝者の“印籠”を突き出せば、敗者には反論すら許されてはこなかった。

 NATOのユーゴスラビア連邦への攻撃は、4月15日で3週間が経過した。この空爆も、『戦略爆撃』の延長上にある。いつものことだが、この手の軍事作戦は必ず、「軍事施設を攻撃する」という常套句をもって開始される。しかし、ひとたび始まってしまえば、イニシャティブは血も涙もない軍需産業と軍が握る。後はなし崩しに標的を拡大するだけだ。

 報じられるところによれば、「NATOの1日の戦費は1億ドル」といわれている。軍事資源を消費することが目的であるから、破壊のためには惜しげもなく投入する。軍事資源が飽和状態になれば、必ずどこかそれを消費する場所を捜し出す。

 戦争がなくならないのはこのためで、絶対にその費用は「建設」のためには使わないわけである。すべての不条理はここから発している。大きな戦争がここしばらくなかったことから、巨大軍事産業が悲鳴をあげていた(3月19日付「ミサイル防衛構想の裏側:危機で儲けるアメリカ」を参照)。

 日本のマスコミ報道でひとつ気になる点がある。「アメリカ国内では大量の地上軍派遣への抵抗が根強い」という報道であるが、最近の各種「世論調査」の結果は「地上軍派遣すべし」が、「すべきでない」を上回っている。今のところ「最も抵抗している」のは米政府、なかんずくクリントン大統領である。地上軍を投入し、米軍兵士に少なからず犠牲者が出れば、自らの地位が維持できなくなることをよく知っているからであろう。


1007 [1002] [1008]
re:人道に基いた戦争とは?
ささき(99/5/4 03:38)

> 敵国民の士気をそぐには、軍事施設よりも労働者住宅を攻撃するほうが効果的だそうです。
> このような『戦略爆撃』は、許されるでしょうか?
私は戦争とは是も非もない殺し合いだと思っています。「残酷な兵器」とか
「非人道的な作戦」というのは妙な言い回しです。兵器はすべて残酷なもので
あり、戦争とはすべて非人道的なものだと思っています。

何が残酷で何が非人道的か、それを決めるのは前線で戦う兵士ではなく、
後方で作戦を決める政治家や高官たちです。言わば人間の駒を使った
将棋のルールです。彼らはそのルールに「人道的」とか「正々堂々と
した戦争」などの甘い砂糖衣をかぶせて国民の目を騙そうとします。

人間同士の殺し合いに「ここまでなら許せる」「これは許せない」と
「人道」に基いて線を引くことはできないと思います。人道に基いた
殺し合いを認めてしまったら、人道そのものが崩れます。人道に基くなら
戦争そのものが否定されるべきです。政治情勢が戦争の否定を許さないの
なら、人道ではなく政治的理由で線を引くべきでしょう。


1008 [1007] なし
戦争にもルールは必要
ウェーバー・アデマイド(99/5/4 16:48)

>> 敵国民の士気をそぐには、軍事施設よりも労働者住宅を攻撃するほうが効果的だそうです。
>> このような『戦略爆撃』は、許されるでしょうか?
> 私は戦争とは是も非もない殺し合いだと思っています。「残酷な兵器」とか
> 「非人道的な作戦」というのは妙な言い回しです。兵器はすべて残酷なもので
> あり、戦争とはすべて非人道的なものだと思っています。

> 何が残酷で何が非人道的か、それを決めるのは前線で戦う兵士ではなく、
> 後方で作戦を決める政治家や高官たちです。言わば人間の駒を使った
> 将棋のルールです。彼らはそのルールに「人道的」とか「正々堂々と
> した戦争」などの甘い砂糖衣をかぶせて国民の目を騙そうとします。

> 人間同士の殺し合いに「ここまでなら許せる」「これは許せない」と
> 「人道」に基いて線を引くことはできないと思います。人道に基いた
> 殺し合いを認めてしまったら、人道そのものが崩れます。人道に基くなら
> 戦争そのものが否定されるべきです。政治情勢が戦争の否定を許さないの
> なら、人道ではなく政治的理由で線を引くべきでしょう。

 とんでもなく困難なテーマですね。まず、「残酷な兵器」にして「非人道的な作戦」
の見本とされることの多い、「特攻」そして核兵器や生物化学兵器の使用はどう考える
べきなのでしょうか。私は、使用された当時の政治家や世論に置いては「非人道的でない」
とされた兵器、戦術であっても、後々に「非人道的」とされたなら、国際条約等々で制限
してゆくべきであると思います。現にある程度はなされていますが。政治的理由による
線引きであっても、使用兵器の幅を狭めてゆくことが出来たなら、それは破壊力を増して
行く兵器の使用に対する制約となって、戦場における死傷者を減らす事が出来ると思いますし、
そのことは、たとえ大海の一滴であっても無意味ではないと思います。

 また、なにより重要なこととして、政治家を動かせるのは(大半の国家においては)
国民であるということです。これについては逆効果な場合、インド・パキスタン国民が
自国の核兵器保有を熱狂的に支持したという事例も有ったりして、これはこれで難しい、
問題ではありますが。
 
 ともかく私は、戦争にも「人道」に基づいた最低限の「ルール」が必要だと思います。
有名な「ジュネーブ交戦法規」等々の戦時法も、政治的理由で線引きされたルールなわけです。
現時点で平均的な「人道」を参考にして、「政治的理由」によって定められたルールなど、
戦争の実態から言えば、偽善に過ぎないでしょう。しかし、偽善によってで有っても、何人かの
兵士が、一般市民が救われるなら、それは決して悪いことでは無いと思います。

 もっとも、「人道」や「正々堂々とした戦争」という糖衣に包まれることによって、
戦争の実態が覆い隠され、政治家が「戦争」という政治上の選択をしやすくするという
ことがあってはならないと思います。これについては、我々が戦争と言うものを知り、
それを政治家が選択するのを、可能な限り避けるようにさせて行く事が重要と思います。

 だらだらとした長文となってしまったので、最後に要約します。戦争にもルールは
必要です。「人道」を参考にして「政治的理由」で定められた物であっても、それに
よって救われる人間が少数でもいる限りは。ただ、それを政治家達の戦争開始の口実
としない為の努力が、国民に求められていると思います。どのようなものであれ、
「戦争」は「非人道的」な殺し合いで有ることを、忘れてはいけないと思います。

ご覧になられた皆様、長々とした駄文、全く持って失礼致しました。


1004 [1002] なし
re:トッテンさん
dg.marshall(99/4/28 15:22)

トッテンさんのHPは、毎週拝見しています.
そして、その主張には、概ね同意している、軍縮イストです.

武力の強いものが、弱いものを殺す.
兵士だけでなく、一般市民も殺す.
このことが是か非か.
極端に議論の要点を抽出してみました.

弱い立場からいえば「非」でしょう.
強い立場からみても、できれば「非」で、やむなく「是」に
しているのだと思います.
では、なぜ、人間は戦うのか、殺しあうのか.
このテーマを丁寧に説明すると、「ローマ帝国興亡史」を超える
大著になるのは確実ですので、ざくっと書きます.

それは、人間が貧しいからです.
いいかえれば強欲なのです.
無限の可能性がある、とか、・・・よ永遠に、とか、
あまりよく考えない、上のような台詞や文章を
みることがあります.
僕は、これらを、大変危険なものとして受け取っています.

人間はなぜ生まれてくるのか、なぜ死なねばならないのか.
むつかしく考えなくともよいのです.

人口が多いのを誇るのが常識のようです.
町の人口が増えると・・・住民税がたくさん取れるから?
国の人口が増えると・・・GDPが増えて、国際的な重みが増すから?

大きいことは本当によいことなのだろうか?
多数派はいつも正しいのか?
強いということは、どういうことなのか?

長くなるので、このへんで.


1003 [1002] [1006] [1005]
ちょっと変。
BUN(99/4/27 08:03)

 戦略爆撃は許されないとは、誰が許さないのでしょう?
「私」は許さない、なら結構。「我々」ならNo!ですね。

 また、労働者住宅を目標にした方が有効な戦略爆撃の話ががユーゴの情勢と
結びつけられていますがNATO軍は労働者住宅を目標に空襲しているのでしょうか?

 「軍事資源が飽和状態になれば(軍需産業は)必ずどこかそれを消費する場所を
探し出す。」とのことですが、相互の破壊が確認されてから数十年、既に飽和状態に
なって久しい核兵器が何故か未だに使用されないのは何故でしょうか。

 企業も国家も我々が参加する集団の一つである限り、そう簡単に理性のカケラもない存在に
貶めるのはあまりに絶望的な物の見方でしょう。

 ユーゴの戦争が早く終わることを切に望みますが、ちょっとこのテーマ、変です。


1006 [1003] [1011] [1010]
クリントンは自己中心的、卑怯で残酷で不道徳で無能
すーだら無責任男(99/4/30 18:43)

>  また、労働者住宅を目標にした方が有効な戦略爆撃の話ががユーゴの情勢と
> 結びつけられていますがNATO軍は労働者住宅を目標に空襲しているのでしょうか?


NATO軍が労働者住宅を目標に空襲しているという証拠はありません。
しかし、多数の労働者住宅が破壊され、多くの非戦闘員が死傷していることは事実です。
かつて米国は、多数の非戦闘員を巻き添えにすることさえも激しく非難していたはず。

では、その非難されるべき行為を米国が正当化できる事情があるでしょうか?

http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00255.html
題名:No.255 バルカン問題:アメリカはコソボの呪縛にとりつかれている

から、以下に引用します。


バルカン問題:アメリカはコソボの呪縛にとりつかれている
『ワシントンタイムズ』紙、1999年1月26日
ハリー・サマーズ2世

 シカゴほどの人口もないセルビア共和国コソボ自治州はクリントン政権にとって一生ついて回る十字架のような存在であり、そのやり方がいかに傲慢で、また外交政策がいかに愚かなものであるかを証明する事例である。
 177年前、クインシー・アダムズ国務長官は、米国が自由や平等を装い、しかし実際にはそれを侵害してバルカン諸国に介入すれば、利権や陰謀、強欲や妬み、野心などのすべての争いから抜けられなくなると警告した。そして、今まさにその通りになっている。
 かつて米国は、どの国よりも国内の安定を誇り、国家の独立を神聖なものとしていた。しかし、クリントン大統領が民主主義の拡張を国家戦略として打ち出してから、米国は内乱と革命の扇動者として、かつてのソビエト・コミンテルン(国際共産党)にとって代わった。しかし、革命とは何かを熟知していた昔の共産主義の工作員とは違い、米国は自国の政策が焚き付けた残虐行為に恐れおののいている。
 ジョン・クインシー・アダムスの正統な助言、そしてもっと最近では元国防長官のウィリアム・ペリーが1994年11月に発した、米国のバルカン介入は最善の国益ではないという警告にもかかわらず、米国はコソボに介入した。
 ボスニアには善玉がいないことが明らかなのにもかかわらず、米国はイスラム教徒に味方して、クロアチアとセルビアを悪魔の化身だと中傷した。
 同様の偏見が、この地を何世紀もの間支配してきたセルビアからの独立を求める運動につながり、アルバニア系イスラム教徒のコソボ解放軍(KLA)の反乱を引き起こした。米国はボスニアでコソボ解放軍の反乱を焚き付けただけではなく、セルビア大統領のミロシェビッチが自国内の反乱を沈静化しようとしたのを非難した。それはまるで、サミュエル・ジョンソンの風刺話にある、活きたうなぎの皮を剥ぐ魚屋の話のようだ。
 1999年1月、コソボ地方ラチャック村の40人以上のアルバニア人がセルビア治安部隊によって虐殺されたことが、大きく報道された。政治家たちは遺憾の意を表し、NATO諸国の首脳はセルビアを爆撃するためにアドリア海に軍艦を配備することを検討した。しかし、98年8月にセルビア人がクレッカで殺害されたときや、また最近KLAテロリストがラパスチアとオブランザにあるセルビア人の住居に押し入り、セルビア人の警察官が殺された時にはこのような抗議の声が上がったことはなかった。
 ワシントンポストに対して、セルビア人のポデュデボ市長ミロバン・トムキックは「これは民族浄化としかいいようがない」と語った。また、町外れに住むセルビア人の農婦は「いったいなんて国なの、国が守ってくれないなんて」と嘆いた。
 しかし、国が彼らを守ろうとしても、また海外からの軍事介入によって直ちに脅威に晒されるだろう。米国は外交政策を極度に捻じ曲げ、今や米国の大敵であるイスラム教徒のテロ指導者オサマ・ビン・ラーディンが支援、煽動するKLAゲリラを暗黙のうちに援助することになった。ラーディンは98年8月のケニア、タンザニアの米大使館同時爆破テロ事件の首謀者とされる男であり、『ロンドンサンデータイムズ』紙は「ラーディン率いるグループはコソボに義勇軍を送り込むイスラム原理主義過激派グループの1つである」と報道している。彼らの目的はこれらのイスラム国家をヨーロッパでの活動拠点にすることである。
 18世紀のフランスの政治家タレーランの言葉を借りれば、米国のバルカン政策は犯罪以上の悪であり、大失策である。ヨーロッパにイスラム・テロの基盤を育てることは米国の国益に反するだけではなく、バルカン介入の目的そのものを取り違えていることになる。バルカンの安定を図ることを名目にした米国の外交政策は、イスラム革命を支援することになり、まさに最初の目的とは逆を達成する結果となった。近隣のモンテネグロとマセドニアも、コソボ同様の内乱の危機に直面している。またNATO加盟国であるギリシャも、自国内の安定を懸念している。
 コソボの呪いはどうすれば取り除けるのか。ベトナム戦争で学んだように、泥沼化する内戦に深く介入することは決して解決策にはならない。しかし、今になってコソボから手を引くためには、クリントン政権は自分の政策が過ちであったと認めなければならない。大統領弾劾裁判でわかったように、過ちを認めることはクリントン政権の切り札にはなり得ないようだ。クリントンが過ちを認め、コソボから手を引く可能性は低いであろう。
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コソボの真の犯罪はNATOによる軍事干渉
『オーランド・センティネル』紙 1999年2月25日
チャーリー・リース

 今から10年後、カリフォルニア州人口の90%がラテン系、10%が白人となり、ラテン系住民が2つのグループに分かれたとする。1つのグループはカリフォルニアのラテン系住民の自治権を求め、もう1つのより過激なグループは独立したいという。そこで米国連邦政府はカリフォルニア州の警察を増強し、連邦軍をカリフォルニアに派遣する。
 すると中国とロシアが、カリフォルニアでの米国政府の行動は北半球の安定を脅かすと主張し、さらに、米国はラテン系住民に自治権を与えなければいけないという。そして軍隊および警察を引き上げるよう主張し、さらに米国がその要求を盛り込んだ合意内容をきちんと遵守するかどうかを監視するために、中国とロシアが軍隊をカリフォルニアに駐留させ、米国側が受け入れなければ空爆すると威嚇する……。
 この仮定の話は、コソボをカリフォルニアに、ラテン系住民をアルバニア系住民に、さらに中国とロシアを米国とイギリスに置き換えれば、そのままセルビア人が直面している状況と等しくなる。まったくばかげた気違沙汰である。
 2月23日、両陣営が完全な合意に達しなかったためにコソボの和平交渉は2週間延期された。セルビア人への空爆を正当化するためにも、米国がアルバニア系住民の合意を求めているのは明らかである。まったくおかしなことだ。
 交渉の成果がどうであれ、北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラビアをもはや独立した主権国家ではないといとも簡単に明言し、ユーゴスラビア国内問題の処理方法を指示できると考えていることは、大きな犯罪である。
 この狂った政策が持つ影響力は計り知れない。NATOの本来の役割は防衛にあるという考え方などいまやまったく残っていない。NATOはヨーロッパの新しいごろつきであり、ごろつきの仲間に入っていないヨーロッパ諸国は、万一に備えて戦いの準備をしておくべきである。
 国連はもはや役に立たず、費用ばかりかさむ無用の組織であり、自らが国連憲章を破り、新しい悪の帝国である米国の手先以外の何者でもないということは、地球上のすべての国が知るところである。国際法や国連憲章などを持ち出しても、嘲笑されるのが関の山だろう。
 私は、ビル・クリントンを頽廃的な社会病質者だと常々思っていたが、ついに気が狂ったのかもしれない。NATOを拡大し、それを利用して独立主権国家が外国の命令に従わないからといって、威嚇し、制裁することは悲劇的ともいえる大失策である。
 独善的で傲慢な米国人が、ロシアを破産した弱小国だと嘲笑するのを私は見てきた。経済制裁によってイラクの子供たちが数多く殺されていることにまったく関心を払わない、冷酷な米国人の姿も目にしてきた。
 しかし、今さら米国人が独善的だとか傲慢だとかいってもはじまらない。滅びゆく帝国の寵臣たちはいつもそうだった。詩人のロビンソン・ジェファーズはそれをうまく言い得ている。「他者が味わった敗北という残酷な恐怖を、我々も味わうのは明らかだ。だからドイツを見て、将来を思い描け。もちろん、女は地下室のネズミのように、男は山のオオカミのように死ねればいい。しかしそうはならないだろう。男はののしり、へつらい、服従し、女は一かけらのチョコレートのために、にやけた征服者に身を任せるであろう」
 たとえ怖気をふるう予測でも、宇宙の法則を避けることはできない。法の支配を崩すことは自分達の保護を取り払うことであり、国家の主権という概念をないがしろにすれば、自国にも跳ね返ってくるのである。
 クリントンが世界の帝王になるのは問題だ。彼はわがままで自己中心的、人間的に卑怯で残酷で不道徳であると同時に、無能でもある。彼は世界を弱肉強食の無法地帯に戻しながら、愚かにも自国の牙や爪を捨て始めているのである。


1011 [1006] なし
re:クリントン云々
dg(99/5/6 11:31)

僕らの知り得る「事実」とは、常に事態のごく一部にしか過ぎない.
力が強くなるほど、大国であるほど、間違える可能性が高くなる.
他者に対し、神経を使う必要性が低下するように見えるからだ.
戦争には正義の戦争というものはない.
あるのは、その場の勝者か敗者かという結果だけだ.
卑怯とは弱者の言い分であり、強者は同じことを正義という.
残酷とは被害者の言い分であり、加害者は正当化する.
不道徳とは辱められた者の言い分であり、強者にとっては、
記憶にすら残らない.
無能かどうかは、行為の結果の審査次第.
と・こう書くと、身もふたもなくなる.
キプロス・ボスニア・コソボに共通しているのは、
ことなる民族(宗教や習慣が少しちがうだけで、
言葉や日常生活はほとんど同じ)だというだけで、
多数派が少数派を迫害し、その後に同族や他国の
応援を得た仕返しが行われる.

「多数派が少数派を迫害」する段階のケアが
実は重要なのだが、内政不干渉のたてまえのもとで
ほとんどは黙殺されてしまう.

あやまった民族主義が燃えるのは、ほとんどが
貧困が原因である.
貧困からくるストレスを、隣りの弱者にむけるのは
無知(無教養)がなす業である.

国連−安保理は、武器で利益をあげることを止めよ.
武器は世界にあふれている.
いま必要なものは、教育=知識の普遍化 と思う.
武器によって利益を挙げる者が世界を支配するかぎり、
理由はどうであれ戦争はなくならない.

現代版・武器よさらば・の心境である.


1010 [1006] [1022] [1014]
正義という名の天秤
ささき(99/5/6 10:06)

鬼畜、自己中心的、卑怯、残酷、不道徳、無能…激しい形容詞が並びますね。

アメリカの自己中心的な「正義」を批判される気持ちはわかります。事実上
アメリカ主導であるNATO軍空爆の巻き添えで死傷する市民の姿に憤りを
感じられることもわかります。

しかし、それは「アメリカが人道に劣る鬼畜だから」という理由で説明できる
ことでしょうか?戦争をそういう理由で説明するのは非常に危険だと思います。
戦争にはいつも多くの局面があります…そして各勢力の主導者はそれぞれに
自分に都合のよい局面だけを取り上げ、自らの正義と対抗勢力の非道ぶりを
主張します。

戦争という異常事態のなかでは、正義や人道という概念すらも輪郭が曖昧に
なってしまいます。人が人を殺す、それは既に人道を外れた異常な行為なのに、
ライフルで撃ち殺すのは人道的だが毒ガスは駄目だとか、細菌をばら撒くのは
駄目だが火炎放射器で焼き殺すのは構わないとか、政治的に決められたガイド
ラインがあたかも「人道」であるかのように扱われます。「正義」に至っては
まったく影が薄くなってしまいます。そもそも全人類に共通した確固たる正義
というものの認識があるならば、なぜ戦争が起こってしまうのでしょうか。

平和な日本という高台の上からアメリカの非道を槍玉に上げることは簡単です。
しかし貴方が故郷を追われ荒野を流浪するアルバニア人であったら、それでも
アメリカの都市爆撃を批難するでしょうか(それともあの映像はみんなCIAの
仕組んだでっち上げなのでしょうか)?テロ行為によってセルビア人の市民が
殺害されることもあるでしょう。しかしセルビア人は本当に自国の領土を
つつましく守り、自国市民の平和を乱すクロアチアやイスラム勢力と致し方なく
戦っているだけなのでしょうか?旧ユーゴで何が起ころうがEUはそれを黙殺
すべきであり、例えEUが行動に出たとしてもアメリカはそれを黙殺すべき
なのでしょうか?

かつてヒトラーがベルサイユ条約の破棄・オーストリアへの侵略を始めたとき、
ヨーロッパ諸国は彼を黙殺する行動に出ました…田舎の小国がいくつかドイツに
喰われたくらいで、自国の利権には何の悪影響もないだろうと。イギリスの首相
チェンバレンがドイツの一方的な領土権主張を認め、「これで平和が守られた」
と明言したことはあまりにも有名です。そしてヒトラーを野放しにしてしまった
結果、ヨーロッパがどんな運命に巻き込まれたかはご承知の通りです。

今にして思えば、チェンバレンの「正義」は「大英帝国さえ安泰なら」というエゴに
基いた「非人道的」なものであり、積極的軍事介入を主張したチャーチルのほうが
より人道的な「正義」だったと言えるでしょう。それともヒトラーの主張を受け入れ
ヨーロッパ全土をナチの手に委ねたほうが良かったか?私はそうは思いません。
では、ドレスデンの空襲は人道的だったか?私はそうとも思いません。

戦争における「正義」や「人道」というのは、いつも天秤の反対側に何かが乗って
いるものです。絶対普遍の正義や人道というものは、残念ながら今の人類には
備わっていないようです。

なぜアメリカは旧ユーゴに軍事介入する道を選んだのか?
アメリカの主張する「正義」の天秤には何がかけられているのか?
セルビア人、クロアチア人、アルバニア人達がそれぞれに主張するそれぞれの
「正義」は、どうやって折半されるべきなのか?
「正義」の折半交渉が行われている間、既成事実の書き換えを狙って起こされる
軍事行動は黙認されるべきなのか?それを止めようとして落とした爆弾が住宅地に
落ちて一般市民が死傷することは、やむを得ない犠牲なのか?それとも、それは
「非人道的で許されない行為」なのか?

アメリカを鬼畜非道と口汚なく罵ることは簡単です。
しかし、それでは何も解決しないと思います。


1022 [1010] なし
NATOこそが侵略者
すーだら無責任男(99/5/14 17:33)

> 平和な日本という高台の上からアメリカの非道を槍玉に上げることは簡単です。
> しかし貴方が故郷を追われ荒野を流浪するアルバニア人であったら、それでも
> アメリカの都市爆撃を批難するでしょうか(それともあの映像はみんなCIAの
> 仕組んだでっち上げなのでしょうか)?テロ行為によってセルビア人の市民が
> 殺害されることもあるでしょう。しかしセルビア人は本当に自国の領土を
> つつましく守り、自国市民の平和を乱すクロアチアやイスラム勢力と致し方なく
> 戦っているだけなのでしょうか?旧ユーゴで何が起ころうがEUはそれを黙殺
> すべきであり、例えEUが行動に出たとしてもアメリカはそれを黙殺すべき
> なのでしょうか?

> かつてヒトラーがベルサイユ条約の破棄・オーストリアへの侵略を始めたとき、
> ヨーロッパ諸国は彼を黙殺する行動に出ました…田舎の小国がいくつかドイツに
> 喰われたくらいで、自国の利権には何の悪影響もないだろうと。イギリスの首相
> チェンバレンがドイツの一方的な領土権主張を認め、「これで平和が守られた」
> と明言したことはあまりにも有名です。そしてヒトラーを野放しにしてしまった
> 結果、ヨーロッパがどんな運命に巻き込まれたかはご承知の通りです。

> 今にして思えば、チェンバレンの「正義」は「大英帝国さえ安泰なら」というエゴに
> 基いた「非人道的」なものであり、積極的軍事介入を主張したチャーチルのほうが
> より人道的な「正義」だったと言えるでしょう。それともヒトラーの主張を受け入れ
> ヨーロッパ全土をナチの手に委ねたほうが良かったか?私はそうは思いません。


ミロシェビッチをヒトラーになぞらえておられるようですが、
これは絶対に違います。
ヒトラーは明らかな侵略者でした。
このたびのバルカン紛争では、NATOこそが侵略者です。

NATOは、「近隣諸国と平和な関係を保つ主権国家に対する軍事侵略を禁ずる」国連憲章に違反しています。
ユーゴスラビアは、少なくとも近隣諸国とは平和な関係にありました。NATOは、NATO憲章にも違反しています。
本来NATOは防衛上の同盟のはずであったにもかかわらず、NATO加盟国のどの国も攻撃されてはいないのに、爆撃を行ったのです。

ユーゴスラビアとの事前の交渉などまったくありませんでした。
ユーゴスラビアはこういわれたにすぎない。

「コソボをアルバニア人に返せ。
外国の軍隊がおまえの国の領土を占領することを認めろ。
さもなければ爆撃する。」

ユーゴスラビアの指導者は、NATOの要求を呑むことはできなかった。
これは現指導者であるミロシェビッチ大統領のせいではない。
誰がユーゴスラビアの大統領であっても、この命令を拒絶せざるを得なかったはずです。


1014 [1010] [1016]
米国の指導者たちはシニカルで臆病
すーだら無責任男(99/5/12 18:37)

> なぜアメリカは旧ユーゴに軍事介入する道を選んだのか?
> アメリカの主張する「正義」の天秤には何がかけられているのか?


アメリカは「正義」の天秤だけで動いているのでしょうか?

それなら、ルワンダでツチ族の老若男女70万人が虐殺されているのに
アメリカが知らんぷりをしているのはなぜでしょうか?
(ちなみに、コソボ内戦死者は2000人)
パレスチナ人が米国や、あるいは国連やヨーロッパに救いを求めるたびに、
米国は「パレスチナ人とイスラエル人の紛争は当事者同士で解決すべきだ」
と、なぜ言うのでしょうか?
米国が、中国の「人権抑圧」に対して、空爆しないのはなぜでしょうか?

以下は、
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00275.html
からの引用です。

『オーランド・センティネル』紙 1999年4月18日
チャーリー・リース

私は戦争が嫌いだ。とりわけ、テレビの特別報道や対談テーマとして取り上げられるよ
うな戦争は大嫌いだ。我々は、まさにオーウェルの小説の悪夢が現実になったような国で
生活をしている。米国人は、カラー映像で難民を何時間も見せられ、コソボから逃げ出し
た、または追い出されたアルバニア人に強い同情を感じている。実際、同情や悲哀を感じ
ないとすれば、その心には鉛の重りがついているに違いない。しかし、我々の感情は操作
されているということを覚えておかなければならない。

今この時、世界中には何百万人もの難民がいて、その多くはもう何十年も汚い避難所で
過ごし、やせ衰えているのだ。しかし、我々は彼らの存在に気づいてはいない。なぜな
ら、そんな彼らにカメラを向け、彼らが直面している恐怖を扱ったニュースを毎日我々に
提供しようとするメディアは1社もないからだ。

それゆえ安っぽい政治家たちは、大きな嘘をつき通せるのである。これは人道主義にと
っての大惨事だ、人口1千万人の小さな国の大統領は悪魔だ、だからこの戦争は必要なの
だ、と。

よく聞いて欲しい。中国はチベットを侵略し、その文化や歴史的な文化遺産を滅ぼした
だけでなく、人口の約80%を殺害した。ではなぜ米国は、その人道主義の大惨事に対して
中国に最後通牒を突き付け、爆弾を落とさなかったのか。

答えは簡単だ。中国は人口10億人以上の国家で、核兵器やミサイルも保有している。米
国の指導者たちはシニカルで臆病なのだ。彼らは小国いじめを好む一方で、抵抗する術を
持った国に介入することは恐れている。彼らは、人類の中で最も嫌悪を覚える人間であ
り、理論だけの書斎の戦士、つまり他人の戦争を高みの見物と決め込む批評家なのであ
る。

中国がかつて分割されて弱く貧しかった頃には、米国やヨーロッパも中国人を威嚇して
いた。それは事実として認めよう。共産主義者は残酷かつ残忍ではあったが、中国を西洋
人が威嚇できないような、また搾取できないような強い国へと作り上げた。

書斎の戦士にとって好都合なことに、米軍はすべて志願兵で組織されるので、彼らの息
子や娘が間違った政策決定によって戦争に巻込まれることはない。米国人兵士の多くは、
政府が提示する貧困線以下の給料しか得ていない。これらの志願兵が死のうが、不具にな
ろうが、金持ちでひ弱な理論家たちにとって知ったことではないのである。

ニュース・メディアによって誘導された狂気のもう1つの徴候は、意味のない言葉がや
たら好んで使われる点である。人々は、どのように感じているかを口に出すことが大好き
なのである。彼らは自分がいかに難民に同情を寄せているかを、それがあたかも難民の口
を一滴の水で潤すかのように、あるいは難民のお腹を一片のパンで満たすかのように語っ
ている。「私は軍隊を支援する」。今、人々は好んでそう語る。しかし、議会が軍隊への
約束を破った時にも人々は軍隊に味方をしただろうか。政府が軍隊を降格させ、士気をく
じき始めたとき、人々は軍隊の側についただろうか。今回の「支援」も、自分たちは家や
会社という安全地帯に居ながら、ただ口先だけの支援を唱えているに過ぎない。

まるで無防備な小国を爆撃し、攻撃することは(米国は過去10ヵ月間で4つの異なる主
権国家を爆撃した)、世界の多くの人々に米国に対する敵意を抱かせることに他ならな
い。腐敗した無能な政治家によるこの無謀なそして違法な行動は、いつか米国民にはね返
り牙をむくだろう。

戦争が米国の国土で行われるようになった時、この理論家戦士たちがどれほど勇敢かを
見るのは興味深いものがある。現在の米国政府の行動を考えると、いずれその時が訪れる
に違いない。

そうなったら恐らく、テレビのアナウンサーたちは米国の難民をインタビューするのだ
ろう。いや、自分たちが難民になっているかもしれない。いかなる戦争であっても、あた
かもそれがスポーツの試合やゲーム、あるいはテレビ番組であるかのように取り上げられ
てはならない。戦争は悲劇であり人類に対する犯罪であって、それ以外の何ものでもない
のである。


1016 [1014] [1024] [1023]
戦場の善悪って何でしょう
ささき(99/5/13 03:25)

> アメリカは「正義」の天秤だけで動いているのでしょうか?
「正義の天秤」の意味を誤解なさっているようで…。
天秤の片側には「正義」という奇麗事を載せて、反対側には金銭や地下資源や
軍事産業などの醜い錘が乗っているということなのです。

アメリカが本当に「正義(彼らの信じる人道・正義)」の実現ために自国民の
血を流すことをいとわない国家であれば、ルワンダからあっさり引き揚げたり、
中国が国際経済的に無視できない存在になったからと言って天安門や
チベットをウヤムヤにしたりはしないでしょう。

しかし、この天秤は大小さまざまな形で人類社会のあちこちに見ることが
できます。米国の天秤はひときわ大きな存在で目につきますが、それは量的な
問題であり、質的な問題ではないと思います。

冷戦構造が崩壊した現代、ひとり「スーパー・パワー」を自称し武力を振り回す
米国の政治は確かに横暴で暴力的です。そしてその横暴さを「正義を守るため」
「世界の警察官」という言葉で粉飾していることも確かです。アメリカの「正義」は
自国に有利な方向に天秤が傾く場合だけに使われます。彼らが真に正義や人道を
守るため武力を使っていると弁護するつもりはありません。トッテン氏らの指摘は
いちいちもっともです。しかし、それを「だからアメリカが悪い」という言い方で
置き換えることには同意できません。ましてや、それが大統領個人の人格に帰する
ような言い方は不適当であるばかりか危険であるとすら思います。

米国だけが非道鬼畜な政治を行っているのでしょうか?
中国がチベットで行った行為はアメリカの行為とくらべてどうなのでしょうか?
ルワンダで殺し合っているフツ族とツチ族の指導者たちは、クリントン大統領より
よほど人道的で人間的なのでしょうか?

>彼らは、人類の中で最も嫌悪を覚える人間であり、理論だけの書斎の戦士、
>つまり他人の戦争を高みの見物と決め込む批評家なのである。
この言葉にはまったく説得力がありません。リース氏もトッテン氏も、私も
無責任男さんも御同類です。それとも、ヘミングウェイのように銃を取って
戦場へ向かいますか?そして戦場で敵を殺すことこそ人道に基いた正義の行動
なのでしょうか?

私ですか?私はもし日本が武力的な侵略を受けたなら、戦わざるを得ないと
思っています(現住所はアメリカですが ^;^;)。戦うということは敵…つまり
他人の命を奪う行為ですが、自分の家族や友人の命を奪われるよりマシだと
思うからです。つまり、心の中の小さな天秤に人間の命をかけています。
これを卑怯と言うこともでき、正義ということもできるでしょう。

しかしこれを一歩進めて、例えば「北朝鮮が明らかに日本上陸の準備をしている、
来るべき惨事を事前に食い止めるには積極的攻撃しかない」と言われたらどう
でしょうか。そんな情報は政府の捏造だと笑い飛ばしますか?実際に事が起きる
まで指をくわえて眺めていますか?また同じ例を出しますが、かつてヒトラーが
第二次大戦を起こしたときはそんな有様でした。後世の歴史家はチェンバレンの
弱腰と身勝手を批判しますが、人間にとっての「正義」なんてその程度のもの
だと思います。

平和な地に暮らす我々の手には、操作され取捨選択された情報しか届きません。
しかし、戦場で戦う兵士にも全てが見えている訳ではありません。東部戦線で
惨殺された戦友を見たドイツ兵たちはロシア人の残虐さを知ったでしょうが、
自分の同類がアウシュビッツで何をやっていたかは知らなかったでしょう。

誰も絶対的な高台に立って善悪の判断をすることはできません。
悪を問うなら、我々人類はみな呪われた悪しき存在でしょう。
しかし諦念主義では何も変りません…我々には歴史に学び、宗教に道を問い、
少しずつ現状を良くしてゆく責任があるでしょう。

そのための一手法として、アメリカの悪を問うことも大切だと思います。
しかし無責任男さんの論調には、現代社会の悪をすべてアメリカの責任だと
なじるようなところがあります。それには同意できません。


1024 [1016] なし
朝鮮半島有事?
すーだら無責任男(99/5/14 18:23)

> しかしこれを一歩進めて、例えば「北朝鮮が明らかに日本上陸の準備をしている、
> 来るべき惨事を事前に食い止めるには積極的攻撃しかない」と言われたらどう
> でしょうか。そんな情報は政府の捏造だと笑い飛ばしますか?実際に事が起きる
> まで指をくわえて眺めていますか?


本当に、そんな状況にあるなら、十分な備えが必要です。
事前に食い止めるためなら、積極的攻撃に出るのは当然です。
本当に、そんな状況にあるなら・・・

ビルトッテン氏は、このように言っていました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
世界の警察官としての役割に余りに多くの資金を費やしているために、
自国の国民を殺人、強姦、強盗などから守る予算さえ米国には残っていない。
エリツィン大統領に資金を提供し、北朝鮮の軽水炉への転換を援助し、
メキシコのペソを支援するだけの税金を国民から徴収していながら、
国民のための充分な食べ物、家庭、健康保険、教育などは提供できないでいる。
今、日本は余りにも多くの資金を米国の戦争や
外交政策の援助のために使っているため、
自国の高齢化対策のために消費税を上げなくては
ならなくなってしまった。
阪神大震災の二の舞を防ぎ、最悪の事態を回避するために、
東京の道路や鉄道を再構築する余裕などもちろんないであろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

大地震などの「有事」に備えることを後回しにし、
自国の防衛よりも米国の世界戦略を優先させようと
している、今の状況はやはり、どこかおかしい。


1023 [1016] [1029]
re:戦場の善悪って何でしょう
すーだら無責任男(99/5/14 17:54)

私は、現代社会の悪をすべてアメリカの責任
だといっているわけではありません。
米国だけが非道鬼畜な政治を行っているわけではない。
そりゃそうですよ。

私が言いたかったのは・・・、

米国は いかに自国が崩壊しているか、
また自国のことさえきちんと管理できない国が
他国に干渉するのがいかに愚かなことであるか
に気づくべきである。
逆に日本は、そんな第三世界と同様の国家
(米国在住のささきさんには悪いが)
を真似る価値はまったくないことに気づき、
米国の 手先が、米国とは違った日本的なことを
すべて異常だと攻撃し、日本も米国の ように
「普通の国」になるべきだと説いても、
今こそそれを拒否すべきだ。

と、言うことなのです。

いくつか例を挙げましょう。

NATOの攻撃が始まった時点で、
ユーゴスラビア政府とコソボ解放軍との2年にわたる内乱により、
セルビア人とアルバニア人合わせて約2,000人が殺されていた。
米国では1年間で約18,000人の人間が犯罪者によって命を奪われている。

米国では15秒に1件の割合で凶悪犯罪が起きている。
毎日、65人が殺され、 299人の女性がレイプされ、
1,842人が窃盗に遭い、3,000人がその他の暴行に 直面している。
このような犯罪統計の数字上、また内容からも、
米国に匹敵す るような先進国はまったくない。
米国よりも悪い状況にある国は、ジンバブエ 、コロンビア、
グアテマラといった国々であろう。

1992年の拳銃を使った殺人は米国では1万3,220人
であったのに対し、日本では 60人であった。
こういう状況下で、米国は自由を性急に信奉するあまり
拳銃の 密輸まで規制緩和し、
その一方で日本は規制が多いと非難している。

米国の刑務所収容者数は、他の先進諸国の4倍以上であり、
日本の10倍である。
あのスターリンでさえ、刑務所に入れた人数は
米国よりも40%も少なかっ たという。
人口10万人当たりの刑務所収容者数は、
米国では600人であるのに 対し、ロシアは558人、
西ヨーロッパは60〜75人である。
南アフリカのアパル トヘイトの政府でさえ
人口10万人当たり311人しか刑務所に入れなかった。
中 国は米国の4倍の人口を抱えるが、
刑務所収容者数は米国よりも20%多いだけで ある。
それにもかかわらず米国は中国に対して
人権問題についてお説教してい るのである。

死刑を廃止していない米国は、
シンガポールのむち打ち刑に文句 を言うのである。

米国では、教育費 が削減される一方で、
国民を投獄するための予算を増やしている。
年間2万5,000 ドルをかけて学生1人をハーバードに送るよりも、
同じ金額で刑務所に入れる ことをよしとする社会である。
刑務所内の服役者と仮釈放者が500万人以上いるのに対し、
大学生の数が900万人という社会なのである。


1029 [1023] なし
アメリカは巨大な田舎国家ですね
ささき(99/5/16 11:58)

> 米国は いかに自国が崩壊しているか、
> また自国のことさえきちんと管理できない国が
> 他国に干渉するのがいかに愚かなことであるか
> に気づくべきである。
> 逆に日本は、そんな第三世界と同様の国家
> (米国在住のささきさんには悪いが)
> を真似る価値はまったくないことに気づき、
> 米国の 手先が、米国とは違った日本的なことを
> すべて異常だと攻撃し、日本も米国の ように
> 「普通の国」になるべきだと説いても、
> 今こそそれを拒否すべきだ。

> と、言うことなのです。
上記の意見には共感いたします。アメリカの内政にも見るべき点はあるの
ですが、犯罪率の高さを見れば法律が額面通りに機能してないことは明らか
ですし、ましてや「自分の身は自分で守れ」と銃による自衛を推奨する
など本末転倒です。こういった国内の腐敗を隠すように海外に兵力派遣し、
他国の都市に爆弾やミサイルを降らせて「アメリカは正義の国!強い国!」
などと吹聴しているのはあまりに幼稚で恥ずかしいことです。

自国こそ「普通」と考えるのは人間として当然だと思いますが、米国の
悪い点はその価値観を国際的な場にまで持ち込むことです。自国の価値観が
外国で通用しないことはベトナムで思い知ったはずなのですが、湾岸戦争で
「勝利(だとアメリカ人は思っている)」して以来また悪い癖が再発した
ようです。その吹聴を真に受けて「日本も国際的になるべきだ」というのは
間違いでしょう。もちろん日本にも改正すべき点は沢山ありますが、
国際的=アメリカ的という価値観は既に時代遅れだと思います。

アメリカは世界最大の田舎国家だと思います。いまだに恥ずかしげもなく
フィート・ポンド法を使っていることからもそれは知れます。そろそろ
アメリカも自分が世界の孤児になりつつあることを知り、自己中心的な
田舎者の外交政策を転換すべき時なのに、クリントン大統領の外交政策は
いまだに湾岸戦争の延長線上にあります。これは米国内からもっと批判
されるべきだと思いますが、米国人は自国の国際的立場について自覚症状に
欠けるらしく、あまり批判の声も聞きません。困ったことです(アメリカ人
自身にとっても、トバッチリの爆撃を食っている外国人にとっても)。


1005 [1003] [1009]
米国は理性のカケラもない鬼畜
すーだら無責任男(99/4/30 17:57)

>  企業も国家も我々が参加する集団の一つである限り、そう簡単に理性のカケラもない存在に
> 貶めるのはあまりに絶望的な物の見方でしょう。

今の米国は「理性のカケラもない鬼畜」と言っても過言ではありません。
でも、昔からそうだったわけではありません。
いつのまに、米国は変わってしまったのか?

http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00119.html
ビル・トッテンレターNo.119 奇妙な年表
から、以下に引用します。


 ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、私は(1997年)7月20日に、日本テレビの「知ってるつもり」に出演しました。「原爆の父」と称される理論物理学者、ロバート・オッペンハイマーを取り上げた番組でしたが、この番組出演の準備のために私は、太平洋戦争や原爆に関する書物をたくさん読破しました。そして今まで知らなかった多くの事実を突きつけられ、非常に大きな衝撃を受けました。今月は「戦争・原爆特集」ということで、先のテレビ出演準備のために読んだ資料の中から、是非、皆様に知っていただきたいと思った記事や書物をご紹介する予定です。
 まず第一週目の今回は、United World News誌から、「奇妙な年表」を取り上げました。1899年のハーグ条約以来、非戦闘員に対する爆撃に強い反対の立場をとってきた米国の態度が、1945年の原子爆弾の投下に至るまでどのように変化していったか、その変遷を辿った記事です。この記事は記者の主観によって書かれたものではなく、すべて実際の条約や書簡、大統領の声明からの引用であることに注目して下さい。これらの資料をどう解釈するかは、皆様方ひとりひとりに委ねられています。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
(ビル・トッテン)

--- 爆撃に関する米国の主張がどのように変わっていったか ---

デイビッド・ローレンス

 東京発のニュースによると、広島と長崎の原爆投下により死亡、負傷、および家を失った人々の数は、子供を含む男女合わせて約48万人にのぼり、うち死者は9万人以上、負傷者は18万人であったという。(以下に紹介する様々な資料の抜粋から、米国政府が爆撃に対してどのような姿勢をとってきたか、その興味深い変遷を辿ってみることにする。編集主任デイビッド・ローレンス)

ハーグ条約 (1899年)
 「19世紀には文明の進化とともに、戦争において、敵国に属する個々人と、戦闘員からなる敵国そのものとの概念が明確に区別されるようになった。武器を持たない国民は、その命も、財産も、名誉も可能な限り戦争で奪われることがないようにすべきであるという原則がますます認識されるようになってきた」(米国調印)

ハーグ条約 (1907年)
 「無防備の町、村、居住地、建物に対する、いかなる攻撃または爆撃も禁止する」(米国調印)

在日米国大使館より、日本国外務省に宛てた書簡(1937年9月1日)
 「8月26日夜の中国南京に対する大爆撃で、中国人および外国人の非戦闘員の生命および財産が危険にさらされた。この事実に対して米国政府は人道的配慮および国際礼譲から一国の政治的中心地への爆撃が禁止されていることを鑑み、今後そうした日本政府の行動を制限すべきであると考える。......米国政府は、軍事目的が何であろうと、結果的に教育およびその他の非軍事目的用財産を無差別に破壊し、負傷や痛ましい死を一般国民にもたらす活動を中止するよう要求する」

在日米国大使ジョセフ・グローより、東京の外務省に宛てた書簡(1937年9月22日)
 「米国政府は、多くの住民が平和目的で居住する地域に対して広範囲に爆撃することは、いかなる場合にも許されるべきではなく、また法的、人道的な原則に反すると考える」

国務長官代理の声明 (1938年6月3日)
 「極東およびヨーロッパでは、米国民および政府が遺憾とする戦争行為が今なお続けられている。女、子供などの非戦闘員を大量に殺戮するような冷酷な爆撃が行われている戦争行為を、米国の世論は野蛮であると見なしている。昨年数回、特に1937年9月28日と1938年3月21日に、国務長官は米国の見解として、平和目的で住民が生活する居住地に大爆撃を行うことはいかなる場合も、法的、人道的な原則に反すると発表した。過去数日間、中国およびスペインで空爆が行われ、その結果、数多くの一般市民が命を失った。米国政府は内政不干渉を固持する一方、近代文明に不可欠な人道的な行為基準の最も基本的な原則に反するものとして、そのような戦争行為を強く非難する」

ルーズベルト大統領より、英国、フランス、イタリア、ドイツ、ポーランドに対し、非戦闘員への空爆中止を要請 (1939年9月1日)
 「過去数年間にわたり、地球上の様々な地域で見られる野蛮な戦争行為の最中、無防備な一般市民の居住地に冷酷な空爆を行い、それによって何千人もの男女、子供が負傷し、死亡している。このような状況に対して、良識ある男女は嫌気がさし、また強い衝撃を受けている」
 「現在世界が直面している悲劇的な戦闘において、このように野蛮で非人道的な行為が繰り返されれば、戦争には全く参加していない、全く戦争責任のない、何十万人もの罪のない人々の命が失われることになる。このような観点から私は、戦争の当事国となる可能性のある国々の政府に対して、次のように緊急に呼びかける。敵の国々もまた同じルールに則って戦争を遂行するということを信じて、たとえいかなる理由があっても、またいかなる状況下においても、空爆を行わないよう要請する」

ルーズベルト大統領より、ポーランド大統領へのメッセージ(1939年9月18日)
 「ドイツの戦闘機が大した軍事目標もないポーランドの町や村に空爆を行ったことによって、数千人のポーランドの一般市民が死亡または負傷したという電報を受け取った。何十万人もの命が犠牲となり得ることから考えて、交戦国の政府は、空中から無防備な居住地の一般市民に対して爆撃を行うことを再度禁じ、非戦闘員の生命に配慮するよう徹底することを心から希望する。そうした状況は、9月1日の私からの要請に対して各国が対応することにより生まれる」

ルーズベルト大統領より、米国飛行機メーカーに対する声明 (1939年12月2日)
 「米国政府および米国民はこれまで一方的に一般市民を一掃する空爆を、熱心に非難する政策をとってきた」
 「米国政府は、そのような空爆が再燃する中、爆撃物資によりそれを助長することがないよう、米国の飛行機、航空機器および飛行機の資材メーカーおよびその輸出業者に対し、明らかに一方的な爆撃を行っている国との輸出契約交渉の際には、その輸出がこの爆撃を助長するものであることを再認識するよう呼びかける」

ルーズベルト大統領より、米国赤十字会議に対するメッセージ (1940年5月1日)
 「無力で無防備な一般市民への爆撃は悲劇であり、全人類の恐怖を掻き立てる。私は米国が一貫してこの非人道的な行為を禁止するよう先頭に立って主張してきたことを誇りに思う。国際赤十字が1938年のロンドン会議において、将来そのような野蛮な行為を禁止すべく、各国と共同してそれに立ち向かうよう呼びかけたことを私は嬉しく思う」
 「しかし残念ながら、各国政府はこの赤十字の提案通りに行動してはいない。米国政府に関しては、一般市民および非戦闘員を保護することになる、いかなる国際条約に対しても強力に支持することをここに保証する」

トルーマン大統領より、米国民に向けた演説 (1945年8月9日)
 「軍事基地、広島に最初の原子爆弾が投下されたことを世界は指摘するであろう。それは米国がこの最初の原爆投下で、一般市民の犠牲者を最小限に抑えるためにとった措置である。しかしあの投爆は、これから起きることへの警告にすぎない。日本が降伏しなければ、米国は日本の軍事産業にも原爆を投下しなければならず、不幸にも、数千人もの一般市民の命が失われることになるであろう。......米国は原子爆弾を使用した。我が国がこの爆弾を使用した相手は、何の警告もなしに真珠湾を攻撃し、米国人捕虜を飢えさせ、虐待し、処刑した。また彼らは国際法に定められた戦争法規の一切を無視した。よって我が国は原爆を投下したのである。米国が原爆を投下したのは、戦争が米国民にもたらす打撃をこれ以上長引かせないために、そして何千人もの米国の若者の命を守るためである」
 「米国は日本が戦争を行う力を完全に破壊するまで、原子爆弾を使い続ける。日本が降伏しない限り、それをやめるつもりはない」


1009 [1005] なし
事実無根
BUN(99/5/6 00:58)

 戦略爆撃は第一次大戦の人的損害を反映して考案された空軍の使用方法です。
 そして、それは1921年にイタリアのドーウェとアメリカのミッチェルが理論化していますが、
両者とも、戦争を一気に終結に向かわせる手段として、爆撃機による大都市への毒ガス攻撃を
上げています。というか両者の理論の中では毒ガス攻撃がイコール戦略爆撃なのです。
 非常に簡単に言えば、近代の総力戦においては前線の兵士も後方の市民も「生命の価値は等価」
(ドーウェ「制空権」)であり、道義的問題はそれが総力戦である故に無視されるであろう、と
しています。

 だけど、それから80年経って、彼等の理論が100%無批判に適用された空襲は極めて少なく、
常に爆撃目標の制限と目標設定の根拠が論争されていたことは諸氏の御存知の通りです。
 やっちゃえばいい、と80年前に結論の出ていることをやらない、のは何故なのか、
単に狭義の軍事的問題でもあり、また大いに政治的問題でもあるのでしょう。

 であるなら、国家はその政治によって動き、政治は思想によって裏打ちされるのですから
アメリカは突如変容した鬼畜等では全くなく、理解可能な存在であり、注意深く分析すべき対象
なのなのではないでしょうか? 当然政治の側面から。
 軍事史、兵器史の中からしか見えない真実もありますが、こうした問題は極めて政治的なのです。
 そして、ここは政治を論ずる場ではないのです。


FlasH BBS Pro v1.41 [Shigeto Nakazawa]