ブリュースター/海軍航空廠 SBA/SBN

 F2Aバッファローで知られるブリュースター社が、初めて自社開発した機体となったのが本機である。
 1934年6月1日付仕様書に基づく、建造中のヨークタウン級空母の就役に向けた新型艦爆コンペに参加したもので、BT-1、SB2U、SBC、XSBF、XB2Gと同期にあたる。
 XSBA-1の型式符号を以って1934年10月15日に試作機1機の製作を受注し、1936年4月15日に初飛行した。
 本機はコンペ参加各社の機体の中でも最も先進的な設計であった。全金属製セミモノコック構造の中翼単葉機で、油圧作動の完全引込脚、同じく油圧作動のダイブブレーキ兼用フラップ、ハミルトン・スタンダード恒速プロペラ、機内爆弾倉と、当時の世界水準をはるかに超えるものであった。
 当初は750馬力のR-1820-4を装着していたが、1937年にXR-1820-22(950馬力)に換装して、速度は390km/hから430km/hにアップし、当時世界最速の艦爆となった。また、これに伴いプロペラは3翅となり、エンジンカウリングは浅いものに替えられた。
 また、ダイブフラップにはXBT-1のアイデアを借用して小穴を開け、急降下特性を改善した。
 この高性能ぶりに海軍はSBA-1として1938年9月29日に30機発注したが、当時弱小メーカーもいいところであったブリュースターではこの程度の注文にも応じきれず、生産はフィラデルフィアの海軍航空廠(NAF:Naval AircraftFactory)に移転されることになった。また、これに伴い、量産型の名称はSBN-1となった。
 生産型は試作機に比べて垂直尾翼が高くなり、またキャノピーも視界を改善するために高くされている。また、後部キャノピー周りは大きく改修された。エンジンは「X」が取れたR-1820-38(950馬力)となった。
 NAFでの生産機は1940年11月から流れ始めたが、その後の生産ペースは全く上がらなかった。
 というのは、本機の生産が開始されたところで、決定版とも言えるSBDが登場してしまったので、本機は必要がなくなってしまったのである。
 祟ったのは、当初は本機が採用された理由であったはずの完全引込脚と、機内爆弾倉であった。車輪を胴体に引っ込む関係で爆弾倉容積が小さく、500lb爆弾1発しか入らないのである。
 これは本来1000lb爆弾の携行が要求されていたはずの仕様に反していたのだが、XSBAの飛行性能があまりに卓抜なので採用されたという経緯があった。
 しかし、それに匹敵する飛行性能と1000lb爆弾装備を両立させたSBDの登場により、SBNの立場はなくなってしまったのである。まこと、この時代の航空技術の進歩の速さは恐るべきものがあった。
 とりあえずブリュースター社が見所のあるメーカーなので育成したいという海軍の思惑と、経営規模が弱小なメーカーでありキャンセルに耐えられないことから、契約分の30機は生産されることになったが、最終号機は1942年3月完成というすばらしいノロノロ運転で製作された。
 開戦前にVB-3に一時期配備されたが、すぐにSBD-3に改編され、その後USSホーネットとともに練成中のVT-8にも配備され、開戦時〜1942年初め頃までは編成表にその名前を見ることができるが、実戦配置となった1942年3月には全てTBDに変わっている。
 その後は本土で雑用機として使用された。
 もし、ブリュースターに自社工場があって生産移転に伴うタイムラグがなければSBC-4やSB2U-2あたりと同じ頃に実戦配備に就けた可能性もあるが、SBD-2が同じように登場してくれば、初期ロット30機を超える受注はもともと望めなかったであろう。
 げに恐ろしきはエド・ハイネマンであった。

(文章:まなかじ)


XSBA-1です。R-1820-4装備の深いカウリング、低いキャノピーに注目。

SBN-1です。この角度から見ると、SBAの経験がF2Aに引継がれているのがよくわかります。

飛行中のSBN-1。XSBA-1に比べて高くなった垂直尾翼、切欠きラインが変わった後部キャノピー周りに注目。

諸元(SBN-1)
全幅11.89m
全長8.43m
全高2.64m
翼面積24.06m2
自重1,825kg
全備重量2,445kg
武装12.7mmコルト・ブローニングM2機銃*1 7.62mmコルト・ブローニングM2機銃*1 500lb爆弾*1
発動機ライトR-1820-38サイクロン 空冷星型9気筒 950馬力
最高速度486km/h(5,190m)
巡航速度364km/h
海面上昇率678m/min
実用上昇限度9,150m
航続距離1,630km
乗員2名

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