SB2Uは鋼管骨組に胴体前半を金属外皮、後半部を羽布張り、尾部は金属外皮、翼は主桁より前方を金属外皮、それより後方と動翼部を羽布張り、という1930年代中期頃の単葉機としては一般的な構成である。
操縦席からの視界はよさそうで、実際低速性能のよさとドループエプロンのおかげもあって離着艦は容易だったようだが、高速時に不意自転に入るという悪癖があり、これは最後までSB2Uにつきまとった。
ボート社らしく、金属外皮はスポット溶接で接合され(O3U以来)、低速時には両エルロンを同時に下げてフラップとして使える(OS2Uなどにも例がある)。
引込脚は手動であるが、ワイヤではなく、ギアを介して90°ひねって平らに引込むという方式。カーチスP-36/40のを手動でやるような感じである。
爆弾架は機体中心線上の急降下爆撃用スイングアーム付のものの他、主翼付根あたりに緩降下爆撃用のものを取り付けることができ、どちらかを選択するものであったが、この緩降下爆撃用オプションの方が主として使用されることとなる。
変わっているのはダイブブレーキシステムで、プロペラをリバースピッチにしてダイブブレーキとするという大胆不敵なものである。
だが、これはうまくいかず、作動させると振動が激しくて、Vindicator じゃなくて Vibrator だと悪口をたたかれたし、作動機構そのものにも問題があって、SB2U-1/2は実際には急降下爆撃機としての運用はできないシロモノであった。
それでも -1が54機、-2が58機生産され、当時の第一線各空母に配備されたが、本来の開発目的であったヨークタウン級にはBT-1が搭載されていた。やはり、最強の空母には最良の飛行機を載せていたようである。
SBC-3/4やSBA/SBN、BT-1など、同時期に制式艦爆がいくつもあったのは、どれも性能不十分だったからであろう。SBCは信頼性はあるが遅くて航続距離が短く、SBNはいつまでたっても生産機が出てこず、BT-1は会社が買収されたうえに改設計に入ってしまい、急降下爆撃はいまのところできないとしても、いちばんまともなのはSB2Uであった。
ボートとしてもこの状況に手をこまぬいていたわけではなく、主翼上下面にスポイラーを立ててブレーキとする新機構を開発し、まず輸出型のV-156-Fに搭載した。
この型番のFはフランスのFで、フランス海軍航空隊がロワール・ニューポールFN410シリーズの実戦化までのつなぎとして発注したものである。
このタイプはSB2U各型中最強ともいえるタイプで、固定武装は7.5ミリダルヌ機銃3挺、照準器もリフレクターサイトとなっていたが、せっかくダイブスポイラーを搭載したのにフランス海軍は急降下爆撃をやらなかった。
合計で90機が発注され、34機が引き渡された。ドイツ軍やイタリア軍との戦闘にも投入されたが、さして活躍もせずに休戦となり、ヴィシー政府下では使用されずに全機スクラップとなってしまった。
V-156-Fの残りの発注分は宙に浮いてしまったので、これは英軍が引き取ることになった。
名称もV-156-B1となり、英軍名称はチェサピークと名づけられた。まだ組立が終わっていなかったのを幸い、翼を下に述べる -3と同じくインテグラルタンク付きのものに改め、前後席に防弾板を追加(ヴィンディケイターは無防御なのだ)、翼の機銃を左右2挺ずつに強化。ダイブスポイラーは止めて、ここでも緩降下爆撃機として扱われる。着艦フックも英国式のV字型のものが取付けられるはずだったが、結局フックはつけられなかった。
スキュアに比べてどう不足なのかよくわからないが、とにかく性能不足とされ、イギリス人の大好きな標的曳航などをして暮らしていましたとさ。
米軍使用機でダイブスポイラーを採用したのは、海兵隊航空隊向けのSB2U-3である。
このタイプは艦上機装備は外していないものの、主として陸上爆撃機として使用すべく要求されている。このため航続距離の延伸が図られ、中央翼をインテグラルタンクとし、エンジンも巡航時の燃費のよいタイプに変更された。これにより、これまでのタイプに比較して燃料搭載量は3倍強(増槽を使用すれば4倍弱)、戦闘行動半径で2倍強となった。
固有武装も12.7ミリに強化され、翼内機銃は通常は1挺のみではあるが、最大限4挺まで増加できるようになった。
しかし、これらの改造により重量が増加し、速度と上昇率が悪化している。
SBDの実戦化に伴い、1941年半ば頃までには空母上からは引退しているが、これらの余剰機を集めて新鋭空母エセックスのためのVB-9とVS-9が1942年3月に編成されているのが注目される。この頃には米軍にも余裕がなく、艦も飛行隊も慣熟訓練中の隊に第一線機を回すことはできなかったようだ。
SB2Uの実戦出動は、先に記したフランス海軍のものを除けばアメリカ海兵隊によるもののみである。
ミッドウェー海戦が最初で最後の大舞台となる。SBDとSB2Uを半々に装備していたVMSB-241は、6月4日の早朝から出撃を反復し、多数の機材と指揮官の少佐二人、大尉一人を含む多くの人員を失いながらも勇戦敢闘し、SB2Uも海戦二日目に重巡三隈を撃沈するのに一役買っている。
1943年までには残る全機が練習航空隊に移管された。SB2Uは戦闘被害、事故で失われた他、摩耗により戦争中に全てが用廃となり、現存するものは大戦中に五大湖で練習空母ウォルヴァリンに着艦しようとして失敗、水没した機体を引揚げたという1機のみ。
この機は1999年4月にレストアを終え、フロリダ州ペンサコラの海軍航空博物館に展示されている。
全幅 | 12.80m |
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全長 | 10.36m |
全高 | 3.12m |
翼面積 | 28.33m2 |
自重 | 2,121kg |
全備重量 | 2,868kg |
武装 | 7.62mmコルト・ブローニングM2機銃*2(右翼付根固定*1 後席旋回*1) 500lb爆弾または1,000lb爆弾*1 |
発動機 | P&W R-1535-96ツインワスプ・ジュニア 空冷星型14気筒 835馬力 |
最高速度 | 402km/h(2,895m) |
巡航速度 | 365km/h |
着艦速度 | 106km/h |
海面上昇率 | 471m/min |
実用上昇限度 | 8,350m |
航続距離 | 1,128km(500lb爆弾搭載時) |
乗員 | 2 |