コクピット後方のエンジン配置、プロペラ軸内への大口径砲の搭載、前車輪式降着装置、 などの斬新な機構を採用しながら立派に量産された機体。 1939年4月6日に初飛行した機体は、ターボ過給器を備え628qの最大速度と6,100m まで5分の上昇時間などの高性能を示しました。この数値に喜んだアメリカ陸軍は武骨さが 目立つ機体設計をさらに洗練すべく、NACAにこの機体を送りました。 NACAではまず、陸軍からの要請もあり装備方法に問題のあったターボ過給器を撤去し、 また、そのために空いたスペースにこれも配置に問題の多かったラジエータを移設、低空戦闘 機に用途変更を行ない、これをYP−39とし、約1年後に初飛行しました。しかし、この 設計変更により性能が大幅に低下、陸軍自体も大量発注は行なったものの、そのほとんどを 海外への輸出用に回してしまいました。ところが、その初期生産分を受け取ったイギリスでは (フランス降伏による余剰分を含む)、あまりの低性能のため8機を受領しただけで受け取りを 拒否、残りはソ連に回されるか、アメリカ陸軍が引き取ってP−400の名で太平洋戦線で 使用しました。 太平洋戦線での実戦投入後も低性能と実用性の低さでP−40の競争相手にもなりえず、 日本軍パイロットからは「カツブシ」とあだ名されて、ほとんどなんの活躍もしないまま終 わってしまいました。 ところがソ連では、主に照準器などの装備品がソ連製のものよりも格段に優れていたせい などで喜んで迎え入れられ結構な活躍をしました。 大戦後半には主に過給器性能が向上したことにより大幅に性能の上がった発展型のP−63 が登場しましたが、すでにP−47,P−51が登場していたこともあり、そのほとんどが ソ連に送られ、これがまたまた活躍してしまいました。 この機体の最大の謎は、なぜ初期開発段階で大幅に性能を低下させるような大改修を行なっ たか?ということでしょう。予想されることはXP−39の各擬装の配置に相当問題があった ということなのでしょうが、普通なら2年ぐらいはかけてなんとか改修しようとしていま したから、この考えも納得が行きません。実に不思議です。 |
諸元 | Q |
全幅(m) | 10.36 |
全長(m) | 9.21 |
全高(m) | 3.75 |
翼面積(u) | 19.8 |
自重(s) | 2,900 |
全備重量(s) | 3,443 |
エンジン |
アリソンV−1710−85 液冷V型12気筒 1200馬力 |
プロペラ |
エアロプロダクツ定速3翅 直径3.15m |
最大速度 | 616q/h(3,600m) |
巡航速度 | 320q/h |
上昇率 | 1,000m/分 |
実用上昇限度 | 10,605m |
航続距離 | 2,000q(最大) | 武装 |
T9 37o×1 M2 12.7o×4 |