ノースロップN-3PB

 ノルウェーは差し迫った危機に対し、1940年3月初旬ノースロップに単発単葉双浮舟の三座水上哨戒爆撃機24機の設計及び製作を発注した。
 ノースロップでは極めて近代的な全金属製構造、片持フロート、カーチス電動恒速プロペラの機体を設計した。試作機の速力は414km/hに達したが、これはおそらく非武装での値であると思われる。
 本機は極めて重武装で、翼内に12.7ミリ機銃を4挺、後席の旋回銃はキャノピー後端の後上方と、胴体後部の後下方の2挺を有する。爆装も最大2000ポンド(907kg)、または魚雷1本の搭載が可能であったが、後に実際の任務飛行を行った際には機銃武装のみで飛ぶことがほとんどであった。
 ノースロップは8カ月という超特急の作業で1940年11月1日に原型機を初飛行させたのだが、しかし、ノルウェーが思っていたよりも事態の緊迫度ははるかに高かったので、ノルウェーが戦場になったのは発注から1カ月後の1940年4月のことになってしまう。
 周知の通り、ノルウェーはそれから1カ月足らずでドイツの占領下となってしまうが、機体はイギリスの立替払いによって発注24機全てが製作及び購入され、亡命ノルウェー海軍航空隊に供給されることになった。
 配備先はアイスランドに駐留することになったイギリス空軍コースタルコマンド所属のノルウェー人部隊である第330Sqdとなった。A小隊がレイキャヴィーク、B小隊がアクレイリ、C小隊はボルゼイリにそれぞれ基地を置き、Sqd本部はレイキャヴィークにあった。330Sqdの保有機は18機で、各小隊3機の常用機と、本部予備機6機からなっていた。(更に予備6機がカナダにあった)
 1941年4月25日に移動完結、6月23日に初出撃を記録し、以降1943年4月21日まで任務に就き、貧弱な設備と苛酷な気候条件と闘いながら、この間1041ソーティをこなし、対潜哨戒ミッション246回、船団護衛ミッション379回、偵察飛行250回、そして患者輸送18回の作戦任務飛行を含む。
 数機がドイツ空軍のFw200やBv138と空戦を交え、8機の撃破を公認されている。Uボートの発見は15件あり、Uボートの対空砲火と交戦した機は9機で損傷した機は延べ7機。
 気候条件による損耗が10機あったが戦闘損失はゼロである。乗員の損耗は21名であった。
 1943年5月に飛行隊人員は飛行機を置いて船便でスコットランドに移動し、ショート・サンダーランドで再編成された。
 アイスランドで保管中、積雪と風で格納庫が倒壊したことによって1機が失われたが、そのせいで海没処分にされずに残っていたので、1965年に掘り出され、1980年にノースロップ社によってレストアされ、ノルウェー航空博物館に寄贈された。

(文章:まなかじ)


横から。フロートそのものはエド社製。カーチス・エレクトリック三翅プロペラ。面積の大きい方向舵に注目。

後から。片持式の流線型フロート支柱が印象的。

前から。長大な眼鏡式照準器は光像式照準器の輸出が認められなかった時代の産物。後になっても光像式になっていない。

諸元
全幅14.93m
全長11.58m
全高3.67m
翼面積35.01m2
自重2,800kg
全備重量3,850kg(離水最大:4,808kg)
武装12.7mmコルト・ブローニングM2機銃*4 7.62mmコルト・ブローニングM2機銃*2 爆弾900kgまたは魚雷1本
発動機ライトGR-1820-G205Aサイクロン 空冷星型9気筒 1200馬力
最高速度414km/h(3,000m)
巡航速度300km/h
実用上昇限度7,300m
航続距離1,600km(過荷重:2253km)
乗員3名

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