本機は、なんというかつまり単発複座の「長距離爆撃機」である。
三面図を見ればわかるように、アスペクト比の大きい長大な主翼が最大の特徴で、全幅は全長のほぼ二倍に達する。
この長大な主翼を支える構造には、バーンズ・ウォーリス開発の大圏構造を用い、主翼桁前方の胴体と尾翼にも適用している。また、本機は、量産機としてはじめて大圏構造を採用した飛行機でもある。大圏構造は強度が高く、こんなレイアウトの機体でもかなりの急操作にも耐えたそうで、軽荷状態であれば本機は意外と運動性は悪くないらしい。
防御武装は極めて軽く、前方の固定機銃はほとんど使い道がなさそうなので、実質後席の7.7mmルイス1挺(おそらく参戦時にはヴィッカーズKに換装されていたものと思われるが)が全てである。
爆弾は、両翼下のスリッパ型のポッド内に収容するという変わった方式で、合計2000lbの携行が可能である。
本質的には軽爆であるが、その攻撃圏は(欧州標準からすれば)重爆並という、平時にハッタリをかますには最適なスペックといえる。
量産開始は1937年初めからで、部隊配備は同年4月の第76飛行隊を皮切に、英本土に4個飛行隊、中東方面に3個飛行隊が配備された。
1938年、特別に長距離仕様に改造されたMk.I(ペガサスXVII装備、燃料搭載量を標準の1,930lから5,860lと三倍近くにまで増加)を以って、エジプトのイスマイリアからオーストラリアのダーウィンまで11,519kmを無着陸で48時間で飛び、世界記録を樹立。
1939年には、本国の部隊はウェリントンで再装備されることとなり、中東方面は6個飛行隊に増強される。1940年、イタリアと開戦すると、中東に展開するウェルズリーはエチオピアやエリトリアのイタリア軍拠点に対する爆撃に出撃した。
この方面のイタリア空軍は弱体で、数少ない戦闘機はそのうえCR.32を主体としており、ウェルズリーでもさほど危険なく作戦することができたが、それでも運悪く捕捉されてしまうとイタリア複葉戦闘機にとっても容易な目標となり、エリトリア戦線でのイタリア空軍エースのスコアの幾分かに貢献してしまうことになった。
エリトリアの戦線が一段落すると、各部隊はブレニムで再装備されることとなったが、多少の機体は連絡機などとして1944年ごろまで飛行を続けていた。
全幅 | 22.73m |
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全長 | 11.96m |
全高 | 3.76m |
翼面積 | 58.5m2 |
自重 | 2,889kg |
離陸最大重量 | 5,035kg |
武装 | 7.7mm機銃*2(前方固定ヴィッカーズ機銃*1 後席旋回ルイス機銃*1) 爆弾905kg |
発動機 | ブリストル・ペガサスXX 空冷星型9気筒 925馬力 |
最高速度 | 367km/h(6,000m) |
巡航速度 | 303km/h |
実用上昇限度 | 10,060m |
航続距離 | 1,786km |
乗員 | 2 |