great britain

ブラックバーンB-25ロック
 宮崎駿氏の「雑想ノート」にも登場している、英海軍艦隊航空隊の複座動力銃塔つき艦上戦闘機である。ロックとは、アラビアン・ナイトにしばしば登場する伝説の巨鳥の意。
 本機は、一目見てわかるように急降下爆撃機兼複座戦闘機のスキュアから発達した機体である。
 とはいえ、スキュアに銃塔を載せただけの飛行機のようにみえるが、要目を見ればわかるようにかなりの改設計(特に主翼と胴体後部)が施されており、胴体前部を除いて内容はほとんど別機になっている。

 O.15/37仕様に基づく本機は、艦隊に迫る敵の爆撃機や雷撃機を側面からの「同航戦」(!)で仕留めようという、まことに大英帝国海軍に相応しい運用構想を以って開発された。
 確かに同航戦であれば射撃時間は長く取れ、射弾修正も容易であり、なにより前方固定機銃の戦闘機では難しい、超低空を低速で飛ぶ目標への接敵も簡単である。まさに艦隊に喰いつく雷撃機や触接してくる水上機や飛行艇を叩くには理想的であるとも思われた。
 ブラックバーンの設計案は海軍の採用するところとなり、37年4月28日に原型機の完成も待たずに136機の発注がなされたが、ブラックバーン社はスキュアの開発生産で手一杯であったので、生産は銃塔を産地直送(笑)で手に入れられるボールトンポールが肩代わりすることになった。
 ロックとデファイアントは、同じ工場で組立が行なわれていたそうである。
 1938年12月23日に初号機が初飛行したが、計画に基本的な見落としがあることが明らかになった。
 というのは、この最大速度では、当の英海軍の雷撃機でもなければ空中で捕捉することが困難であるということである。スキュアより遅くては、将来予想される敵爆撃機の捕捉など、まるで覚束無い。
 プロペラ直径を大きくしたり、いろいろやってはみたが(写真を見るとその割にはあまり努力した風でもないが)たいして成功しなかった。唯一のとりえはスキュア譲りのどっしりすわった急降下安定性のみであった。
 よせばいいのに、シャーク用のフロートを取り付けて、水上機型の試験も行なわれた。当初の計画では主力艦の自衛用に搭載されるはずで、1938年8月の時点(つまりまだ初号機も飛んでない皮算用)で、マレーヤ、クィーン・エリザベス、ヴァリアント、ウォースパイト、レナウン、レパルスの各艦に3機ずつ、ロドニーに1機が予定されていた。だが、やっぱり予想通りというべきかなんというべきか、最大速度は48km/hも低下し、安定性は絶望的で、低空での旋回は絶対に禁物であったといわれる。

 結果、ロックはまとまって装備されることはなく、スキュア装備の飛行隊に分散して配備された。どう使うつもりであったのかはよくわからない。英海軍でもどうしたものか迷ったのであろう。とりあえず共通部が多い飛行機だから・・・ということだったのだろうか。
 第800、第801、第803、第806の各飛行隊は任務に就き、アークロイヤル、グローリアス、フューリアスなど空母に搭載されたこともある。第801ではロック唯一の空中戦での戦果を記録しているが、なんと100km/h近くも優速なJu88がロックの獲物となったのは驚きである。
 また、バトルオブブリテンの最中、ゴスポート基地で損傷したロック4機に電源をつないで、デコイ兼用の地上対空銃座として使用した例がある。
 結局、前線任務からは短期間で引揚げられ、銃塔を降ろして風力駆動のウィンチを載せた標的曳航機として使用された他、連絡などの雑用についた。
 補用部品がなくなる1943年8月まで使われた。

 また、1940年に、ソ連の侵攻を受けているフィンランドへの援助機として33機が送られるはずになっており、RO-141〜173のナンバーが与えられ、塗装と国籍標識の記入まで終えた機体がダイス基地で待機していたが、送られる前に休戦になってしまい、結局これらの機体はフィンランドの手に渡ることはなかった。

(文章:まなかじ)

ROCS

諸元
全幅14.02m
全長10.85m
全高3.68m
翼面積28.80m2
自重2,778kg
離陸最大重量3,606kg
武装7.7mmブローニング機銃*4
発動機ブリストル・パーシュースXII 空冷星型9気筒 905馬力
最高速度359km/h(3,050m)
巡航速度217km/h
実用上昇限度5,485m
航続距離1,304km
乗員2

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