フェアリー・ゴードン
1920年代後半の英空軍において非常に広汎に使われていたフェアリーIIIFを交替させる必要から、仕様書18/30が策定された。
この仕様書は空軍の植民地用近距離偵察/昼間軽爆撃機の分野でのフェアリーIIIFの後継を求めるもので、既にホーカー・ハートという優れた機体が存在したため、特に稼働率の高さが求められるものとなっていた。
これに応えて、フェアリー社では現用のフェアリーIIIFの改良型として試作機を準備した。
この機体はフェアリーIIIFMk.Vと呼ばれ、Mk.IVMからの改装によって製作された。従って、ゴードンの構造はほとんどフェアリーIIIFと変わらない。鋼管羽布張り(一部金属外皮)構造のオーソドックスな複座二張間の複葉機で、主翼のリブにも金属材料を使用している点がこの時代の機体としてはやや先進的と言えた程度であるが、Mk.Vの試作時点ではそれも珍しいことではなくなっていた。
最大の差はエンジンがネピア・ライオン(570馬力)からアームストロング=シドレー・パンサーIIA(525馬力)に換装された点である。一見すると馬力低下のように見えるが、エンジン本体及び冷却系の重量の差から、全備重量で180kgほどMk.Vの方が軽く、特に離陸性能及び整備保守の面で顕著な改善が見られた。
良くも悪くも堅実な、言い換えればごくごく平凡な機体であった。
本機は改造機ということもあり、1931年3月3日に初飛行して一連のテストを終えると直ちに採用、新たにゴードンと名づけられて量産化に進んだ。
生産数は明確でないが、1934年までに概ね185機を新造、更に90機ほどが既存のフェアリーIIIFのうち状態の良いものから改造されて製作された。
就役開始は採用直後の1931年4月からで、第一線部隊の多くからは1938年いっぱいで引退したが、中東方面のいくつかのSqdでは1939年まで使用していた。
引退後は標的曳航の任務に転用され、低速すぎて有効でないとされて1940〜1941年にかけて退役するまで訓練支援を続けた。
また、1939年に中古のゴードンがニュージーランド空軍と英連邦エジプト空軍に数機ずつ引き渡され、練習機や訓練機として使用された。
(文章:まなかじ)
諸元
全幅
13.94m
全長
11.20m
全高
4.32m
翼面積
40.69m
2
自重
1,590kg
離陸最大重量
2,680kg
武装
7.7mm機銃*2(前方固定・ヴィッカーズE 後席旋回・ルイス) 爆弾227kg
発動機
アームストロング=シドレー・パンサーIIA 空冷星型14気筒 525馬力
最高速度
233km/h(915m)
実用上昇限度
6,700m
航続距離
970km
乗員
2
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